晴れの日はANDANTE

私のライフワークである歌曲やオペラ、日々の練習やレッスンについて、気ままに綴っていきます。

歌と同じくらい美しいもの

今日、フィギアスケートのグランプリ・ファイナル出場選手が全て決まった。

今、真央ちゃんは、どうしているのだろう。

フィギアスケートは、声楽にとても良く似ている。
全体の流れ、演技や演奏を包括的に把握し、自分が得意または可能な技を織り交ぜて一つの純度と精度の高度な技術を演技・演奏する。自分の最も得意とする技や技術を最大限に活かす事の出来る「音楽」を厳選して演技に臨む。ジャンプやスパイラルやステップ、超高音や超低音やアジリダや20拍ものロングブレスなど、自分自身の持てる可能な限りのテクニックを駆使する。調子が悪い時には、ジャンプのコンビネーションの組み合わせを変えたり、ブレスの箇所を変更したり増減したり、カデンツァのバリエーションを変更したり最高音を下げたり、瞬時の的確な判断能力によってミスを最小限に止める技術が非常に重要である。音楽に効果的な衣装を選択したり、自分の好きな色やポテンシャルを高める色を厳選する。音楽に自分自身の持てる全ての技術で感情や感性を表現する。高度なテクニックだけでは人間の感情を表現しきれず、感情的表現だけでは美しい芸術とはなり得ない。技術だけでは不十分極まりなく、年齢は然る事ながら、身体的・精神的成長によって表現能力を成長させる事の出来る可能性を内包している。無論、声楽とフィギアスケートでは、その年齢的範疇に乖離は存在するのだが。

そして、最も類似している点は、自分自身に最も厳しい試練を課し自ら苛酷な鍛錬に耐える事でしか、結果を導き出す事が難しいという事である。


もう一つ、とても声楽に似ているものがある。
魔法は、声楽に歌に、とても良く似ている。美しい呪文は美しい言葉で聖なる力を与えられる。呪いの呪文は恐ろしい言葉により心や体や命に致命的な苦痛や打撃、時には死を与える。言葉を操るという点では、魔法と歌は非常に似ている点が大きい。美しい言葉は善き力を与える呪文に、恐怖の言葉は呪いや死を与える呪文に変わる。言葉の威力という点、それらが与え得る美や感情という範疇に於いて、歌と魔法はとても近い存在であると、私は考えている。
私は、映画「ハリー・ポッター」シリーズが大好き。DVDも、「不死鳥の騎士団」までは全て持っている。でも、最新作はまだ観ていない。劇場には観に行かない。だって、酒呑みながら観る事が出来ないし、重要な場面を即座にリピート出来ないからだ(爆)
ハリー・ポッターは試練の連続だが、絶対に決して「英雄ポッター物語」では無い。そして、いつも「死」と向き合い、「死」を背負いながら物語は展開する。私の最も愛する、最も得意とする、最も身近な、最も必要な、そして人間から決して絶対に永遠に切り離す事の出来ない「死」。「死」があるからこそ生は輝き、正義も感情も愛も裏切りも屈辱も名誉も謙遜も隠匿も、人間にとって大いなる財産となる。これら全てに立ち向かい打ち勝つなんざ、ハリー・ポッターでも不可能だろう。最も大切で必要で人間自身が最も逃げてはならない事は、あらゆる苦難や逆境や不幸や危機を、乗り越える事でも無く、逃げる事でも無く、挑む事でも無く、逆らう事でも無く、たった一つだけ「向き合う」事だけだと、私は考えている。


それが出来ない人間を「臆病者」と私は呼んでいる。


その為には、フィギアスケートでも魔法の呪文でも声楽でも、観察・分析・対策・計画・立案・実行・評価etc・・・・・そして繰り返し。

いつの世も、どのような分野も、「美」の実現は非常に手間暇がかかる(苦笑)

で、真央ちゃんは今どうしているのだろう???
人間である以上、天才にも試練は必要なのだろうか(苦笑)
問題は、真央ちゃん自身が、何と戦い何と向き合い何を目指しているのか、という事ではないのだろうか。
結果や成績の如何で応援したり支持したり、そういう美的感覚の欠片も存在しない嗜好性は尊敬するに値しない。
真央ちゃんが、例えどのような形であれ、戻って来る事をいつまでも待ち続けたいと思う。
本当の味方とか、愛情とか、信頼とか、憧れとか、期待とか、そういう気長なカンジでいいんじゃないかな、と思う(笑)

モーツァルト、はっきり言ってヘンですよ!

昨日で今月4日連続夜勤×2回の超ハードワークが一旦落ち着いた。病棟課長、拷問か?早期退職勧告か?(爆)

一昨日の夜勤は、新入院の患者さんが何人かいたのだが、私のチームに一人の某大学准教授の男性の方が、発熱で入院されて来ていた。インフルエンザでは無いとゆ〜事だった。ただ、結構インテリジェンスの高い患者さんは、若い看護師がドン引きする、または苦手とする(笑)別に私も得意ではナイけど、そ〜ゆ〜患者さんはボロが出る前に、丁寧な対応を心掛けなるべく早めに病室を離れる(爆死)医療の専門知識はあっても、インテリジェンスが低いと、看護師は結構ナメられるしバカにされる。これは治療上非常にやりにくい。また、そのような患者さんは大概個室で気楽に静かに過ごしたがる。

某大学准教授の患者さんは、熱が高かったので24時間点滴を行っていたので、夜中に2回点滴を新しいものに繋ぎ変えなければならなかった。夜中の0時頃、私が真っ暗な病室に新しい次の点滴を持って、ペンライトでこっそり抜き足差し足忍び足で病室に入った。患者さんを起こさないよ〜につま先歩きをしながらペンライトで点滴台を照らそうと思ったその時・・・・・・・・・・。
点滴台の傍のテーブルに、見慣れたモノ発見・・・・・(驚愕)
白地に赤のビニール袋。私も何枚も持っているビニール袋。これは・・・もしや・・・カワイ楽器のビニール袋・・・・・?????
と、そのテーブルの上に、これも見慣れたブルーの本。このブルーは、もしや・・・・・。と思い、ペンライトでテーブルの上を照らした。そこには、見慣れたブルーのドイツ製高級楽譜♪
ベーレンライター社、バッハ、クリスマス・オラトリオの、横長の楽譜。横長の楽譜、という事は、即ちオルガン譜?????
と思ったが、患者さんが寝てる側で楽譜をコッソリ開くワケにはいかない(猛爆)とゆ〜事で、疑惑を持ちながらも病室から退散。
休憩時間2時間も、気になって眠れなかった(爆死)

次の朝、起床時間より少し早めに、大学准教授の患者さんの病室に検温に行った(超苦笑)熱を測ったり血圧を測ったりしながら、勇気を出して質問!!!!!

(私)「あの〜・・・、一つ質問しても宜しいでしょうか???」
(患者さん)「どうぞ???」
(私)「あの〜・・・、テーブルの上のベーレンライターのバッハのクリスマス・オラトリオの楽譜なんですけど・・・・・、何か演奏されていらっしゃるんですか???」
(患者さん)「!!!お詳しいですね〜!!!」

とゆ〜事で、よくよくお話を伺ったら、芸大の声楽科を卒業したテノールの方で、その後ドイツに留学して宗教音楽&教会音楽を勉強されて、現在某大学で指揮とオルガンを演奏されていらっしゃるという事だった。ど〜りでベーレンライターだし・・・・・・(核爆)
特に、この時期はミサ曲関連の演奏会が多く、はっきり言って入院している場合では無いらしい。しかも、今休んでいると、大学での書類関係の仕事が溜まりまくるそうだ(苦笑)先日、日本では珍しいハイドンのミサ曲を演奏されたとの事。バッハはかなり難しいので、私も2曲くらいしか歌った事が無い事など、朝も早く5時半から、クラシック音楽談義(核爆)
その大学准教授の先生が仰っていた事。私が、日本人はモーツァルトが好きな人多いですよね〜と話すと・・・、

「あのね!!!モーツァルト、はっきり言ってヘンですよ!!!私が教会音楽や宗教音楽を勉強していて、モーツァルトの初期のミサ曲なんて、何でこんなトンでも無い曲作ったんだあぁ???という曲が実に多いです!!!しかも、モーツァルトのアマデウスっていう映画知ってます???モーツァルトって、あの映画はちょっとエゲツ無いですけど、ほぼあの映画に近い人物なんですよ!!!ああいう下品な人間だったっていう証拠は、手紙や書簡に非常に多く残されているんです!!!モーツァルト、絶対ヘンですよ!!!!!」
力説する先生に私は、
「私、モーツァルトすっごい苦手なんですよおぉ〜〜〜〜〜!!!!!日本人ってモーツァルト大好きだから、ホント肩身狭いんですよねえぇ〜〜〜・・・。お話伺えて、ホント良かったですうぅ〜〜〜(滝涙)」

朝イチ、モーツァルトの人間性について大いに語る、高熱の大学准教の先生約1名・・・・・・・・・・(笑)

こ〜ゆ〜シチュエーションがあると、このクソ忙しい看護師とゆ〜仕事も、案外悪く無いかも♪と思える。
殆ど休めなかったけど、結構楽しい夜勤だったなあぁ♪

5線の上。

私は、ソプラノである。でも、高音域を歌うのが好きでは無い。好きでは無いとゆ〜よりも、嫌いに近い。
では、高音域が出無いのか?と聞かれると、意外とそうでも無い。今年3月のウィーンでのN先生とM先生のレッスンでの発声練習では、3点Esまで出たらしい。M先生は、

「まだまだ上は出そうよね〜。あと3〜4音は出そう。魔笛の夜の女王と同じ音域は出せるようになるわよ♪」

と言われた。実は、3年くらい前に、ハリセン先生にも同じ事を指摘された事があったのだが、その時はちっとも本気にしてなかった。無論、ウィーンでM先生に上記のように指摘された時も、ドン引き終了。

では、何故高音域を歌うのが好きでは無いのか。
一つは、声楽を始めた当初は、自分の声の性質上自分はメゾソプラノかアルトだと考えていたからである。実際に、低音域も結構出る。Dまでは、出る。ウィーンのレッスンでの発声練習でも下のDまで出て、N先生が多少ビックリしていた。それに、高音域を歌う練習をするよりも低音域を歌う練習をした方が、喉の疲労が少ないと感じていたからだ。無論、声楽の勉強を始めたばかりの頃は発声が出来ていなかったのでそう感じただけという事なのではあるが。それと、これは演奏会に来てくれた友人から言われた事なのだけど、

「そんなに高い音を歌っているようには聴こえない」

と言われた事がある。私の声質では、私よりも声質が細いソプラノが歌う方が高音を出しているように聴こえるらしい。でも、これは実際問題自分自身でも錯覚してしまう部分でもある。特にこの問題に関して強く感じるのはモーツァルトの曲を歌っている時だ。高音域を歌っている自分の声が「美しいソプラノの高音域」というイメージから非常に掛け離れていると感じてしまう。ソプラノの場合、日本人は民族的に声帯が細い割合が高い。とあるオペラ演奏団体のソプラノの声質を、ネットで表記されているものを基準にしてデータを取った事があるのだが、イタリア式分類で出演ソプラノの約7割がコロラトゥーラ、レジェロ、リリコ・レジェロだった。日本人ソプラノは概して細めのソプラノが多い人種的傾向性は否定出来ない。つまり、理想的な綺麗な美しい声のソプラノに対する概念が上記の3種のソプラノとしてインプットされている傾向にある。だから、私自身ど〜も自分の声が「美しいソプラノの高音域」とは思えないのである。これは、今も変わらない認識である。実際に「美しい声」だの「綺麗な声」だのと言って貰った事は殆ど無い。ミルヒー先生ですら、

「あなたねえぇ、いい声してるのよ!!!」

と言われた事はあるのだが(超苦笑)これは、日本人のソプラノとして非常に厳しい現実である。自分で歌っていて美しいとも綺麗だとも思えない高音域なら、無理して歌いたくなんざ無い。しかも、声楽を勉強し始めの頃なんか、高音域がきちんと出せる筈も無い。大概「叫び声」「悲鳴」に近いものがある。だからと言って長時間高音域の練習は出来ないし、毎日声楽の勉強やら練習が出来る訳でも無いので、自然と高音域の曲は避ける傾向となってしまう。そうすると、高音域を歌う事が恐怖になってしまう。イタリア古典歌曲だってオペラアリアだって、無理して高音域の多い華やかな曲なんざ、わざわざ私が歌わなくたっていいじゃないか、高音域出すのが得意なソプラノが歌えばいいじゃないか、と考えるようになった。実際、声楽を始めて1年目はモーツァルト「フィガロの結婚」のケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」を非常に熱心に楽しく勉強した。特に、テレサ・ベルガンサの録音は何百回聴いたか解らないくらいだ。
中低音域の発声だって、決して正しい発声では無いのにも拘わらず、高音域を歌うよりは自分で歌っていて歌い易いし自然に聴こえる。でも、幾ら頑張って練習してもレッスンしても、叫び声や悲鳴にしか思えない自分の高音域の声を段々好きになれなくなって来る、出るだけは出るが歌っていても気分不快、そして歌いたく無くなるし躊躇する。そんな悪循環を繰り返して来た。実際、私はレッスンを受ける先生を替わる度に、

「私は本当は、メゾソプラノかアルトじゃないんでしょうか?」

と先生方に尋ね回って来た。今年ウィーンでM先生に、

「あなた、ホントはメゾソプラノなんじゃないの?だって、シューベルトを中声用で歌ってるし」

と言われた時には、一縷の望みに賭けたのだが、N先生から、

「あなたはソプラノです」

と言われた時は、死刑宣告のように超ガッカリした。嗚呼、私の憧れのジェシー・ノーマンだってメゾソプラノからソプラノに転向したのに。大体にして、日本人なんざ、ヴィオレッタは少女性だの蝶々夫人は可憐だの言いたい放題。しかも、コロラトゥーラやレジェロやスーブレッドが、ベートーベンやらウェーバーやらワーグナーやらヴェルディやらプッチーニのドラマティックな役を散々歌いまくり、異論を唱えると「悪口を言うな!」と怒鳴られる始末(超呆)スーブレッドがワーグナー歌ってる国は、日本だけじゃあ無いのか???呆れ果ててグウの根も出無い。

ドイツのソプラノ歌手、クリスティーネ・シェーファーが数年前に来日して飯田橋のトッパン・ホールでリサイタルを開いた。シェーファーはフィッシャー・ディースカウやオジェーに師事した、今現在ヨーロッパでも売れ筋の「スーブレッド」ソプラノだが、飯田橋のトッパン・ホールのリサイタルで、ワーグナー「ヴェーゼンドンクの5つの歌」をこっそり歌ってドイツに帰って行った。当時トッパン・ホールに問い合わせたが、録音も映像も残されていない、という回答だった。シェーファーはザルツブルグ音楽祭でもモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナを一度歌っているが、暫くシーズン中ヨーロッパの歌劇場に姿を見せないなと思っていたら、シェーファーはヴェルディ「リゴレット」のジルダや、ドニゼッティ「ルチア」を引っ提げて欧州の歌劇場に舞い戻っていた。シェーファーは自身のDVDで「ワーグナーの音楽に非常に興味がある」と述べていたのだが、シェーファーが日本という東洋の島国の片隅でスーブレッドでありながら、こっそりとひっそりとワーグナーを歌わなければならなかった無念さが少しだけ理解できるような気がする。

私が高音域を歌うまでのプロセスを相当に限定せざるを得なかった事は非常に大きな発声的成長の阻害要因となった。まず、声楽の勉強を始めてから、5線の上の音を歌わなければならない曲を演奏会に選ぶようになったのは、声楽の勉強を始めてから2年以上経過してからだった。「みっともない声」を自己認識しているにも拘わらず、高音域が出るというだけで音域の高い曲を自慢気に歌うような事を間違ってもしたいとは思わない程度の「恥」は知っている。声楽の勉強を始めてからの約2年は、最高音が5線の中に納まる曲を選んで歌っていた。でも、勿論レッスンでは高音域を歌わなければならない曲も練習・レッスンしていた事は確かだ。でも、自分自身が納得出来る高音域を絶対に出せない事が解っているのに、知らないフリして歌うなどという詐欺紛いの歌唱は、有り得ない話だった。

高音域を歌う事は、資質的問題よりも遥かに方法論的技術を内包しているように考える。そして、高音域をより美しく歌うという事は、声質の占める問題が非常に重要な「オプション」となるように考える。特に日本に於いては。だからこそ、私はソプラノとしての高音域の高さそのものには余り重点を置かない。
方法論とは、高音域を歌うために高音域の曲を練習し歌うのか、高音域を出せるようになるまでレッスンだけで歌い演奏会本番曲は発声可能音域内の曲を歌うに留めるのか、という選択肢がメジャーと考える。無論、アマチュアであればそのどちらを選択する余地は大いに存在すると考えている。
恐怖心の克服方法と似ている。徐々に慣れるか、荒療治をするか。それは、高音域を歌わなくてはならない状況の、ソプラノ歌手個人の性格や性質や声質や特性に依拠する事柄であり、非常に個別性が高い事項であると考えられるため、一慨にインスタントな方法は存在しない。
ソプラノに拘わらず、「声」は人間の体の諸器官の運動資質と運動機能の差にも非常に左右される事は、今更言うまでも無い。身長、体重、身長に対する胸郭の割合、横隔膜・内肋間筋・外肋間筋・腓腹筋・下腿筋肉・骨格に非常に左右されるし、やはり声帯のサイズに左右される可能性は否めない。

しかし、これだけははっきり言っておくが、逆は存在しない。
「あなたの声帯のサイズは●●で、横隔膜や肋間筋の可動域は××だから、あなたはこういう声質ですよ」
的な勘違い路線に関しては、常識や知性を疑わざるを得ない。

方法論の選択は自由。後は自分自身が何を選ぶか、による。恐怖心を克服する事・声を出す事に集中する事。先に出せる高音域を設定して曲を選択するのか・高音域の曲を決めて自分自身の高音域を鍛えて行くのか。

アマチュアの皆様、自分の自由な意思選択による自己決定という責任に於いて、声楽の勉強をしていかれる事を私は望みます♪

どう歌う?クレオパトラ。

今日は、連続夜勤の中休み。
休日の割に午前中から忙しく、ゆっくり寝呆けているヒマも無かった(怒)
郵便局に行ったり、注文していたメモリースティックのアダプタを取りに行ったり。

その後は午後から3時間のスタジオ練習。今日は前回のオクレール先生とのピアノ合わせで苦言を呈された部分を重点的に練習しなければならなかった。「リナルド」アルミレーナのアリアから。レチタティーヴォを丁寧にお浚いする。イタリア語のアクセントの通りにレチタティーヴォを歌う事に慣れるのは、結構難しい。この曲は、イタリア古典歌曲にも分類されているので、どうしても歌曲としての認識で歌ってしまいがちで、録音もイタリア古典歌曲として録音されたものを聴く事が殆どだった。「リナルド」を全幕通してオペラの映像を観たり全幕通しての録音を聴く事は、まず無い。私が所有している録音の他に、不本意に押しつけられた全曲録音のCDはあるにはあるが、全く聴く気も無いので、結局イタリア古典歌曲集の録音しか聴いていない。しかし、この曲を勉強し始めてから既に10年経過しているので、自分自身の努力で譜読みを丁寧に行って行こうと決心した。録音は、また後から探せば良い。取り敢えず、オクレール先生に指摘されたフレーズ、ピアノからクレッシェンドしてスフォルツァンドで歌うフレーズに時間を掛けて繰り返し練習。たった2小節に30分以上掛けてようやく少しだけ掴んだようなカンジ。小節の歌い出しを極力ピアノで歌う事と、クレッシェンドを急激にしないでフォルテの度合いを緩やかに取る事。このやり方で良いのかどうか、次のピアノ合わせでミルヒー先生やオクレール先生に確認する以外に方法は無い。

その他は、クレオパトラのレチタティーヴォをメインに練習を行った。
先日、2005年グラインドボーンのDVDを観てからは、クレオパトラの歌い方・演じ方に関して、非常に脳味噌を酷使しなければならなくなってしまった。ダニエル・ド・ニースという個人の歌手はど〜でも良いし問題では無い。ド・ニースがクレオパトラをどう解釈しどう歌おうが、私には全く関わりが無い事だ。問題は、全く参考にならないダニエル・ド・ニースのクレオパトラを観た後で、自分自身がクレオパトラをどのように歌って行くのかというベクトルなりスタンスなりを、自分自身どう決断し確立して行くのか、という事である。有名歌手の歌唱に惑わされたり引き摺られたり感化されないためには、自分自身の歌う役柄に対する徹底的且つ厳密な分析が絶対必要不可欠であり、尚且つ簡単に安易に他人に耳を委ねない厳しい姿勢が必要である。
先日オクレール先生とのピアノ合わせでオクレール先生から最も指摘されたレチタティーヴォ。喋っていないと散々注意された。何故レチタティーヴォで喋れないのか。散々考えて、ようやく見つけた答え。私がクレオパトラになって歌っていなかったからだと、ようやく気が付いた。これは、3年近く前に、川崎市内のとある小さなホールの20分枠の一般募集コンサートで、ヘンデルのオペラアリアを5曲歌った時の事だった。ミルヒー先生のレッスン中、良く怒られた事・繰り返し指摘された事が一つあった。ミルヒー先生いわく、

「このアリアは、クレオパトラのアリアなのよ!!!いい???クレオパトラよ!!!エジプトの女王なのよ!!!普段のあなたのまんまで歌っちゃ駄目なのよ!!!」

と、耳にタコが10コ位出来る程散々指摘され続けたのであった。今回も要するにそういう事だ。じっくり考えた結果、レッスンや練習で自分自身をクレオパトラだと思って歌った事は無かった(自爆)どのフレーズをどう歌うか、とか低音をどう出すか、高音をどう出すか、ロングブレスをどう凌ぐか、とかいう問題には血道を上げ発声には非常に神経を使ったが、自分はクレオパトラなんだからこう歌うのよ〜♪みたいな歌唱は、皆無だった。
ヤバい(爆死)これは、超ヤバい(核爆)早速今日から、自分はクレオパトラなんだとゆ〜自覚と認識を持って歌う事を念頭に置く練習を開始した(遅っ)
ただ、ここで問題になるのは、先にも述べた通り自分がクレオパトラをどう捉えどう歌うのか、という事。これに関しては私自身の持論もある。
まず、クレオパトラがキャバ嬢では、困る。おキャンなクレオパトラを歌うつもりもそのように解釈するつもりも、毛頭無い。クレオパトラは、一人の女性である遥か以前に、女王であり策略・知略・謀略に長けた野心家であり、男を手玉に取る妖艶さを持った、エジプト随一の誇り高き女王なのである。とゆ〜事で、ダニエル・ド・ニースの小娘的キャバ嬢路線は、却下。そう考えると、私が演じ歌うべきクレオパトラ像が少しづつ見えて来る。しかも、ただ単に、クレオパトラのオペラアリア集を歌うべきでは無く「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラ全曲の中のクレオパトラという役を歌い演じるという視点に立てば、おのずと見えてくる一つの非常に重要な問題点が浮き彫りにされる。このヘンデルの「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラは、タイトルロールはシーザーという男役だが、ヒロインが二人存在する。一人は、ポンペイウスの妻でセストの母で夫をエジプト王トロメーオに殺されエジプト将軍アキッラに情婦同然に差し出されそうになりエジプト王トロメーオにも慰み者の愛人と扱われそうになるコルネーリア。そして、エジプト王トロメーオの姉であり妻であるが、腑甲斐無いトロメーオに嫌気がさして不仲のため、自分自身がエジプト女王に君臨する事を野望するクレオパトラである。2005年のグラインドボーンのコルネーリア役パトリシア・バートンと、クレオパトラ役ダニエル・ド・ニースには、余りにも明らかな声の資質とキャリアに多大な差が在り過ぎた。しかし、このオペラの根源的且つ基本的な概念としては、コルネーリアとクレオパトラは、声質としては乖離的分類はあるものの、役柄の存在的意義としては、対極に存在しながらも対等である筈なのである。それを示すのが、ウィントン・ディーン著「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」春秋社出版の中で、非常に慎重かつ丁寧に著者によって分析・供述されている。
つまり、私自身は、ウィーン基準ではリリコ・ソプラノだが、メゾソプラノやコントラルトのコルネーリアに決して勝るとも劣らないクレオパトラを歌わなければならない。これは、至難の業だ。美人のキャバ嬢のセンは、有り得ない。どこぞのソプラノ歌手とも違うし(笑)
自分自身の声の太さを最大限に活かしながらも決して重くならず、尚且つドラマティックさを失わず余裕の軽やかさと自尊心丸出しの狡猾さ。これが私の考えるクレオパトラ(超苦笑)
リサイタル本番までカウントダウンとなったが、今自分が考えるクレオパトラ像を全て演じる事は可能では無いだろう。しかし、一歩でも、半歩でも、近づく努力と野望は捨てるべきでは無い。

最も大切な事は、コルネーリアと対極を成しながらも対等の、声の太さを最大限に活かしたドラマティックさと余裕の軽やかな声の響きでプライドの塊の狡猾で魅惑的なエジプト女王クレオパトラ、をダイエットの体型と化粧の濃さと親から貰った容姿では無く、自分の持てる「声」だけで演じなくてはならいという事である(核爆)

さあ、大変だあぁ。

明日も休日なので、自己練習、自己練習♪

今日は何の日。

昨日は結構多忙な夜勤明け。重度の認知症で骨折の患者さんが夜一睡もせずに大騒ぎ&整形手術の患者さん&内科で夜中から急激に重症になった患者さんetc。一休みしてから、よ〜やっとHMVに注文したヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを観た。2005年グラインドボーン音楽祭の演奏。最近、欧米で人気のソプラノ歌手、ダニエル・ド・ニースがクレオパトラを歌ってる。去年くらいだったか、ダニエル・ド・ニースが日本でモーツァルト「フィガロの結婚」のスザンナを歌ってた。今日はミルヒー先生&オクレール先生合同ピアノ合わせだったので、何としてもレッスン前にDVDを観ておかなければならない、と思い眠気でボケた頭にワインで喝を入れながら観た。
感想。ジュリオ・チェーザレ役のサラ・コノリー(MS)と、コルネーリア役のパトリシア・バートン(MS)の圧巻的歌唱と演技力が余りにも卓越していた。感動して、部屋で一人で大喝采のブラヴォ〜〜〜!!!連発(爆)サラ・コノリーはイギリスを代表するヘンデル・メゾ。その双璧にあるパトリシア・バートンは、何とワーグナーの「ニーベルングの指環」でフロースヒルデやエルダを歌う、ひょっとしてコントラルト???系メゾ。二人とも深く温かい声と重厚なバロックを軽やかなテクニックで、熱演するまさに「バロックの至宝」そこに、二人のカウンターテナー、トロメーオ役のクリストフ・デュモーとニレーノ役のラシッド・ベン・アブデスラムが、非常に伸びやかなカウンターテナーの美声とハイ・テクニックを聴かせてくれている。やはり、カウンターテナーが登場すると、バロックとしての実感が湧く演奏になるものなのかと思わせるくらい、二人とも素晴らしいカウンターテナーだった。
で、一番物足りなく浅く聴こえたのが、セスト役のアンゲリカ・キルヒシュラーガーとクレオパトラ役のダニエル・ド・ニース。
でも、これはある意味仕方が無いとゆ〜か、想定内事項だろうな。だって、ワーグナー歌手のバートンと一緒に歌ったら、幾ら今大人気のキルヒシュラーガーと言えど色褪せて聴こえてしまう。セストの怒りや復讐心を感情的に表現してはいたが、何にせよコノリーやバートンと一緒に歌ったら、やっぱ子役なのは言うに及ばず。
しかも、クレオパトラのド・ニースに関して言えば、クレオパトラの威厳とか妖艶さとか狡猾さとか策略家とか、そ〜いった面はお世辞にも感じる事は不可能だった。ド・ニースに対しての私の感想は「キャバ嬢」(核爆)しかもド・ニースの声は軽めのリリコだが多少太めだから、クレオパトラ役に合っていないという事も無い筈なのだが。ド・ニースのクレオパトラは、クレオパトラをどう歌いどう表現するかというよりも、ド・ニースのキャラクターのミニマムワールドのクレオパトラだったとしか思えないとゆ〜か、聴こえなかったとゆ〜か。
とゆ〜事で、クレオパトラの勉強は、今まで通りタチアナ・トロヤノスで勉強する事にした。
しかし、考えてみれば、コノリーとバートンの重量級の声とデュモーとアブデスラムの伸びやかでテクニカルなカウンターテナーのキャステングでは、ド・ニースとキルヒシュラーガーの軽めの配役でなければ、随分と重苦しい暑苦しいヘンデルになってしまうので、キャスティングのバランスとしては宜しいのでは無いのでしょうか。

で、今日朝一番で寝呆けている時にミルヒー先生からメールがあった。
「風邪をひいてしまったので、今日のレッスンはお休みさせてください」
!!!!!こりゃ大変だ〜〜〜(苦笑)取り敢えずオクレール先生に急いでメールしてこの件を伝えた。最初、今日のレッスン場所は世田谷区内だったのだがミルヒー先生が来られなくなったので、急遽オクレール先生のお仕事の御都合に合わせてスタジオを渋谷区内に変更。慌ててネットでスタジオを検索、ど〜にかこ〜にかピアノが置いてあるスタジオを見つけた。オクレール先生にメールでスタジオの場所をお知らせしようと思ったのだが、途中で手に携帯持ったまま、爆睡(自爆)目が覚めたら、近くのスタジオに発声練習に行く30分前に、慌てて覚醒。泡食って自宅を飛び出した。近くのスタジオでは、ホントに発声練習だけ。だって、オクレール先生とのピアノ合わせは、マジで休憩無しで2時間ぶっ通しで歌わなければならないから(爆死)まあ、ヘンデル9曲歌うのだから、仕方が無い。

渋谷のスタジオに到着して、すぐピアノ合わせ開始。やっぱ、私はスロースターターなもんで最初の一声は結構重めになってしまう。それでも1曲目の「アルチーナ」のアリアは前回よりはそこそこ。2曲目「リナルド」のリナルドのアリアも、以前よりもスピードアップしてテンポに乗って何とか歌う事が出来た。しかし、オクレール先生的には、
「もう少しテンポが前に進んでもいいと思うんだけど、これが限界???」
と言われた。この曲、楽譜の指示がLargoなのだが、ヘンデル9曲も歌うし、プログラム自体がマニアックなのでオクレール先生から指摘されたオーダーは早めのAndante(苦笑)それでも今回は普通のAndanteくらいに歌えるようには練習して来たが、やはりもう少し早いテンポに出来るならその方が良いのでは、というオクレール先生の御判断だった。テンポが速いと、ダ・カーポで繰り返し歌う時の装飾音の入れ方が困難になって来る。私にはまだそこまでのテクニックは無い・・・・・と・・・思う(爆死)でも、次回のピアノ合わせまでには善処して来るとゆ〜事で。
今日一番躓いたのがアルミレーナのアリア「私を泣かせてください」中間部の下降音形をピアノからクレッシェンドで最後スフォルツァンドで歌う所。スフォルツァンドで歌うF♯が声が当たっていない事と、ブレスが続かず声がブレてしまう事で、フレーズが尻切れトンボに聴こえてしまうとの指摘を受けた。オクレール先生から指摘されたが、具体的に何処をどのように変えれば良いのか自分ではさっぱりチンプンカンプンだった。
「解らないなら、今の通りでいいよ」
とオクレール先生も半ば諦め気味に言われたが、ここで私は諦める程落ちぶれてはいない。私は指摘されてもそれを修正して自分の歌唱に確実に活かせるようになるのに、他人よりも時間がかかる。要するに、もの覚えが悪い。だから、この部分は一度持ちかえって少し時間を掛けて練習しないと歌えないので、今日は保留にして貰った。改めて「私を泣かせてください」という曲の難しさを思い知った。尤も、アルトの低声用のキーで歌っているので、余計に歌う事に難儀しているのは間違い無い(凹)

逆に「セルセ」のアリアは、コメント無し(爆死)

とゆ〜事で、早速クレオパトラのアリアへ。
オクレール先生曰く、クレオパトラに限らず、アルミレーナのアリアもそうなのだが、
「レチタティーヴォは、もっと喋って。自由に歌っても良いけど、きちんと楽譜のインテンポの中で自由に歌って。イタリア語のアクセントで言葉のリズムをきちんと取って歌う事。でないと、平坦に聴こえるし、レチタティーヴォに聴こえない」
・・・・・・・・・・。自分でも解ってるつもりなんだけど、出来て無いって事は解って無いって事か(溜息)
もう一つ細かく指摘された事が、やはりアジリダの音程。特に半音下がったり上がったりする音が若干低めに聴こえてしまう。もともと下降音形でポジションが下がりやすい事もあるので、テンポの速いアジリダは特に慎重に確実に一つ一つ音を取っていかなければならい事は、解ってるんだけど(超苦笑)オクレール先生から、
「歌いだしの音が中低音だとポジションが低いから、高音に移行する時に苦しいんだよ。それに頭部の開き方がまだまだ足りない。それで良く喉を壊さないでこんな難しい曲歌ってるよねえぇ〜〜〜〜〜・・・・・(呆)」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
褒められているのか、貶されているのか・・・・・(笑)
でも、クレオパトラのアリア最後の2曲は、殆どお小言を頂く事無く、無事2度目のピアノ合わせ終了♪正味2時間、歌いっぱなし〜(爆死)
流石に疲れたが、こんな物覚えの悪い私に付きあって下さっているオクレール先生の方が余程大変なんだよなあぁ・・・・・(滝涙)オクレール先生から、
「いつも休日って夜勤の次の日なの???普通の休みって取れないの???」
と聞かれたが、夜勤が多い私の場合、休日は大概夜勤の次の日が殆どだ。運良く2連休があったとしても、先生方のスケジュールに合うとは限らない。
取り敢えず、帰宅したら今月中にもう一度ピアノ合わせが出来るようにメールする事で、渋谷駅でお別れした。

今日は、渋谷のスタジオに行く前に、ビミョ〜に少し時間があったので、表参道のカワイに行った。本当は、フンメルの声楽曲の楽譜を探す目的だったのだが結局見つからず。
でも、ひっじょ〜〜〜に大きな掘り出し物にありつく事が出来た!!!!!(号泣)
まず新刊だと思うのだが「フィッシャー=ディースカウ シューマンの歌曲をたどって」白水社出版。来年はシューマンのメモリアル・イヤーなのでシューマンの歌曲のリサイタルを計画、既に選曲も全て済ませている。だが、以前にこのブログに書いたが、シューマンの歌曲の専門的学術書が日本に存在しない。そこいら辺のありふれたドイツ歌曲の解説書には、来年私が歌うシューマンの歌曲の殆ど、解説は載ってやしない。今日たまたま表参道のカワイに足を伸ばしてこの本を見つけた。曲目検索のページを見たら私が歌うシューマンの歌曲で、他のどの本にもCDの解説書にも載っていない曲の解説が、短いながらもあった!!!!!当然、お買い上げえぇ〜〜〜〜〜・・・・・〆て¥6600・・・・・・・・・・(滝汗)・・・・・・・・・・無言。
それと、私が必ず購読しているオペラ雑誌がある。
ONTOMO MOOK「GRAND OPERA」である。この雑誌は季刊誌なので年に4回くらいしか発行されない。見つけたらすぐに購入する。大概、世界の注目の音楽祭とか、今が旬で人気のオペラ歌手とかの特集記事が多いのだが、私がこの雑誌を購入するのには、全く別の理由が存在する。
この雑誌の巻末に「世界の歌劇場シーズン・プログラム」という項目があるのだ。これは、今現在シーズンの世界各地の歌劇場の演目と指揮・演出・配役がざっと書かれている。私は、まるで競馬新聞を読むオヤジのように蛍光ペンを持ちながらこの雑誌を読み耽る。
理由は、まず現シーズンで、どの歌手がどの演目のどの役を演じているのかをチェックする為だ。特に、私が好きな歌手・注目している歌手・好きでは無いが人気のある歌手・ベテランの名歌手、これらのオペラ歌手達の現在の動向を知る上で、非常に有効に活用出来るからだ。
例えば、ネトレプコが、キルヒシュラーガーが、ド・ニースが、デセイが、チョーフィが、ゲオルギューが、メイが、今どの歌劇場でどの役を歌っているのかに興味は無い(きっぱり)
ここで一番私が重要視している事は、オペラ歌手達の動向である。この雑誌を続けて読んでいると、歌手の動向が顕著に解る。
あらゆる有名大歌劇場で出ずっぱりの歌手、大劇場で声質に関係なく手当たり次第ヒロイン役を歌いまくる歌手、持ち役だけを地道に歌う歌手、近・現代曲に取り組む歌手、暫く見かけないと思ったら新しい持ち役を歌っている歌手、大劇場でしか歌わない歌手、劇場の大小は無関係に持ち役を歌い続ける歌手、etc。
これは、歌手の人間性や歌手としてのストラテジー、歌手の勤勉さや開拓精神の有無を判断する上での非常に貴重な指針にもなり得る。
まあ、例に挙げたのはソプラノ歌手だけだが、無論もっと私が大好きで注目・期待する歌手の動向を主にチェックしている。
それに、来年3月にウィーンにレッスンに再渡欧する事がほぼ確実になったので、時期的にウィーンの幾つかの歌劇場でどのオペラを観るか、の判断材料にもなる。

それと、もう一つ雑誌を購入したのだが、これはまた後日ブログにアップしようと思う。



そして、夜23時に帰宅。
41歳の誕生日に気が付いたのは、夜中過ぎてからだった・・・・・・・・・・(核爆)


私のやらなければならないこと。

最近、とあるアマチュアのソプラノの方とメールのやりとりをしている。彼女はまだ声楽の勉強を始めてから短いが、私のブログを良く参考にしてくださっているとの事。やはり、私と同じく声楽の他にやらなければならない事がある方で、月に数度のレッスンを受けられている。

アマチュアの歌い手は、迷う。先生に教わった事をどのようにして自分の歌に活かして行って良いのか。
先生方の言っている事は、頭では解るがどう実践して良いのか最初は殆どピンと来ない。きちんと体を支えようと思えば余計な部分にまで力が入り、余分な力を抜こうとすれば肝心な体の支えが抜けてしまう。
慣れないイタリア語やドイツ語を辞書を調べながら発音記号を読み、CDで聴いた録音で耳で覚えた曲を頼りに楽譜を読む作業に神経を使い果たす。楽譜に書かれた指示記号を、メトロノームで幾通りも変えながら譜読みを繰り返す。
何度も何度も先生から指摘や注意、たまにはお叱りも受けるが、自分が出したいと思う声の程に、自分の体は全く言う事を聞いてはくれない。たまにレッスンで少し上手く歌えたと思っても、演奏会本番では緊張で震えて力が入らない。歌い出しで失敗すると、どんどん立ち直る事が出来なくなり、あっと言う間に本番は終わってしまう。歌えなかった事と不十分な練習の後悔だけが残る。
でも、歌だけ勉強している時間はそうそうは無い。でも、歌いたい曲だけは、どんどん増えて行く。
そうこうしていると、音大生が4年でやる事を倍以上の時間をかけてやっとの事で一つ、二つ学び取る。

私が、アマチュアであるにも拘わらず、ヴェルディのオペラアリアやシューベルトのバラードに着手する事が出来、尚且つウィーンでのレッスンを受けられる事になったのは、本当にただの幸運だったと思う。歌が好きでずっとクラシックの声楽の勉強を続けて来てウィーンに行くまでに、合唱を始めた頃から数えたら、16年が経過した。何人も先生を替わり、何度も同じ曲を勉強し、途中本当に辛い事もあったが、それでも決して歌う事を諦めない幸運もあった。
一つが、ジェシー・ノーマンと身近で握手出来た事だった。絶対に歌う事は諦めない辞めないと、誓った。

私が今、声楽の勉強を始められた方とこうして交流出来て、本当に嬉しく思う。
私が声楽を始めた時に、プロや先生方に教えられても理解出来ず実践出来ずに苦しんで迷って出来なかった事を、少しでも伝えられたらと思う。
プロ独特の「音楽用語」では無く、アマチュアにも理解出来る言葉で、困った時にどうしたら良いか、声が出ない時にどのように体を使ったら良いのか、何が足りなくて声が出ないのか、どういう練習が効果的なのか、短い歌曲1曲を歌うために何に留意してどのような事に配慮するべきなのか、大曲を歌う事のためにはどのような事を心掛けて勉強するべきなのか。
アマチュアに解る言語で、私と同じアマチュアに伝えて行きたいと思う。

歌い手は単に曲を歌うだけでは無い。
作曲家の生命と足跡を歌うのだと思う。
曲を通して楽譜を通して、
バッハやヘンデルやモーツァルトやベートーベンやシューマンやブラームスやワーグナーや、
ベッリーニやヴェルディやプッチーニの、生命と足跡を、歌う。
多くの作曲家の生命と足跡を伝えるために歌い手に必要なものは、たった一つ「声」だけ。
歌いたいと欲する声、伝えたいと思う声。
何処で歌うのか、何を歌うのか、どんな声なのか、はそれ程重要では無いのだとも、思う。
歌いたいと思うあなたの声を聴きたいと思う人が、そこに一人でもいれば、ただ一人のために喜んで歌う。
それが、歌を愛して歌う人間にとって、最も大切で幸福な事であるという事を、歌を始められたばかりの方に伝えられたら、そしてそのお手伝いが出来たら、それで私の「歌う人生」は十二分に幸福なものであったと思う事が出来ると思っている。

今、私が伝えたり遺したり出来る事は何なのか、一生懸命考えている。


声の出し過ぎ

今日は久々の連休2日目。今日はスタジオ3時間取れた。しかし、日頃の蓄積疲労か、2度寝してしまいスタジオのレンタル時間ギリに目が覚めてしまい大慌て。大急ぎでスタジオに駆け付けた。
天気が変だったせいか、矢鱈と痰が増えた。でも、6日のピアノ合わせまで時間が無いので、練習練習♪

スタジオに到着して、いつものように発声練習をして、いつものようにヘンデルのオペラアリア9曲歌った。9曲歌い終わって・・・・・声が掠れ始めた。ヤバい。マジで声の出し過ぎだ。練習直前まで寝てたせいか、発声練習してもまだ体が寝ているカンジ。声を押して出していたようだ。
スタジオは音響も良くない。アップライトのピアノがあるから良く利用しているのだが、基本的に響きは良くない。自分の声の響きの確認の目安が、20畳程あるスタジオのピアノの反対側にあるドラムセットのドラムの表面が私の声の響きで振動する音。でも、これでは本当に声の出し過ぎになってしまうと、反省した。
クレオパトラだけでなく、1曲目「アルチーナ」のオベルトのアリアの声量から考え直さなければならないなあぁ・・・。やっぱり、多少疲労で体が動かないか、喉の不調で無理は避けてる時の方が、発声としては良いのかも知れない。もともと声量はある方なので、声は出せば出すだけ出てしまう。しかも、やっぱりクレオパトラは気持ち的に力が入り過ぎてしまう。良くない癖だな、と不安になる。

それでも、前半4曲のオベルト・リナルド・アルミレーナ・セルセのアリアは大分余計な力が入らなくなって来た。クレオパトラもこれ位の慎重さと冷静さが必要不可欠だなあぁ・・・(溜息)
ギャラリーカフェが空いてる時には、なるべく本番会場のギャラリーカフェで声出ししないと。声帯に余計な負荷をかけてしまっては、リサイタル本番もそうだが、ウィーンでのレッスンにもひびく。今日、ウィーンのM先生からメールがあった。来年のウィーン行きは3月初旬になる事が決まった。ヘンデルのリサイタルが終わってもウィーンでのレッスンのために相当練習しなければならない。休んでダラけている余裕は一刻も有り得ない。
今日は結構凹んで帰って来た。6日のピアノ合わせは、きちんとミルヒー先生と打ち合わせして来ないといけない。曲自体はほぼ暗譜も出来ているので、残すはこの声量のコントロールの問題。やはり、きちんとした音響の会場で歌い慣れていない事、自分の声の響きを把握していない事は非常に不利な事だと実感。本当にリサイタル本番直前ギリまで努力しなければ追いつかない。
でも、私は2年前にも一度、20分枠の一般募集の演奏会で、ヘンデルのオペラアリアを5曲歌った事があったのだが、2年前はゲネプロの段階でヘトヘトだった。その時の演奏会では、オベルト2曲・セルセ1曲・クレオパトラ2曲。この事を考えれば、今は9曲歌っているワケだから成長してると言えなくもない。でも、やはりこの現状は決して宜しいものでは無い。ここで妥協したトコロで良い事は一つも無いどころか、弊害しか無い。

リサイタルも2度目になる。ウィーンへの渡欧も2度目になる。勉強しなければならない曲は芋蔓式に増えて行くし、常時30曲近く抱えている。
それでも歌いたければ、勉強したければ、無い頭から智慧を絞って行くしか方法は存在しない。

忍耐忍耐。善哉善哉。

今日、ギャラリーカフェの社長とリサイタルの打ち合わせしている夢を見た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
結構キテるかも(爆死)

久しぶりの・・・

2連休〜〜〜〜〜っ!!!(号泣)

昨日は日勤が終わった後に、ヘンデルのリサイタルの楽曲解説や歌詞対訳を作成してギャラリーカフェのプロデューサーにお渡ししなければならないので、メモリースティックを購入しに出掛けた。何だかんだ買い物をしていたら夜21時近かったので、さっさと帰宅した。

今日は日曜だったのでスタジオが混んでいたので2時間しかスタジオを借りる事が出来なかったのだけど、こ〜ゆ〜時は無理せず休め、とゆ〜事なのだと解釈して2時間練習。ヘンデルのアリア9曲一通り通し練習してから一時帰宅して、パソコンや本やCDを持参してギャラリーカフェに出勤(苦笑)
今日は、プログラムやらネット掲載記事や調律や会場の配置など、プロデューサーとヘンデルのリサイタルの詳細打ち合わせ。私が夜勤が多くて中々伺えないので、今日一気に沢山の打ち合わせをする事になった(笑)
今日から11月、そろそろ真剣に気合いを入れてリサイタルの準備を始めないと間に合わん。特に、楽曲解説や歌詞対訳を作成して、リサイタルのMCで何を喋るのかきちんと整理しないといけない。ヘンデルの4作のオペラのあらすじ、作曲年代や作曲された背景、自分がンデルの曲を選択して歌う契機や、アリアに纏わるエピソードなどを、原稿を作成しないまでも頭の中に纏めておかなければならない。ギャラリーカフェに到着してから、プロデューサーと話しながらパソコンのキーを叩きながら本を読みながら、と超忙しかった(滝汗)

私が一所懸命にパソコンと格闘している間に、ギャラリーカフェの社長&プロデューサーがトンでもナイ事をして下さっていた。
何と、ギャラリーカフェの店先にある掲示板に、私のリサイタルの写真入りポスターを作っていた!!!(絶句)
前回、今年2月のベートーベン&シューベルトの初リサイタルの時に、社長がこ〜〜〜っそり撮影していて後で私に渡してくれた写真。ちょっと前にプロデューサーが、

「あなたも、他の演奏者みたいにお店の前にポスター作って貼ろうよ〜♪」

と言われたのだが丁重に御辞退申し上げた。それなのに・・・・・(爆死)
こんなの恥ずかしくて友達や知り合いに言えないよおおおおおぉぉぉぉぉ・・・・・。
しかも、早速貼られてしまった。
いいや、自分は見ないようにしよう。そして、友達には、ナイショ(爆)
こんなの、こっ恥ずかしくて。
大体にして、自宅も職場も近いんだぞおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!
社長&プロデューサーは、2人ともとっても楽しそうだった(凹)
私は、ビジュアル系では無いのに・・・・・(超不服)
嗚呼、どうしよう。いやいや、見ないフリ見ないフリ。
現実逃避に決定。

体調は全快、とゆ〜程でも無いのだけれど、もうリサイタル本番までカウントダウンに入ったので、上手く調整しながらやって行くしかない。
6日には、ミルヒー先生のレッスンにオクレール先生も一緒に行って頂いて、主にクレオパトラのレッスンをする予定だし。ダ・カーポの曲が多いので1曲の演奏時間が結構長い。今日はエネルギー配分に一番重点を置いて練習した。やっぱり、ど〜やって歌ってもクレオパトラのアリアの後半4曲は、かな〜りドラマティックに歌う形になってしまう。その為、やはり前半4曲は軽めとゆ〜か柔らかい歌唱を心がけないとキツい。ここの所の調整は、6日にミルヒー先生&オクレール先生と御相談事項になるだろう。
やっぱり、クレオパトラのアリア5曲はかなりタイヘン(苦笑)それでも、きちんとブレスの位置を確認して行けば自分の想定通りに歌えると思うが、それでもなるべくブレスを長めに取ろうと思って無理すると中途半端になってしまうので、カンニングブレスの位置確認は直前まできっちりみっちり行っていかなければならいだろうなあぁ・・・と実感した。特にアジリダの部分は相当に要注意(滝汗)
それと、最近ヘンデルのアリア9曲通して歌うようになってから目立って来た事が、低音域(主に5線の下の方)の頭部や体幹の開き方がまだまだ不十分な事。もともと下降音形でポジションが下がりやすいので、非常に集中力を持って低音域を歌わないと喉が絞まりがちになって息の流れが悪くなる上にイタリア語の子音のアタックが弱くなり音程が悪くなってしまう。

音程の悪いバロックなんて、超最低(誤爆)

とゆ〜事で、やはり低音域はまだまだ不十分。相当集中して練習&確認を行っていかなければならない。しかも、クレオパトラは相当低音域をしっかりきっちり歌っていかないと、クレオパトラらしく聴こえない。ドラマティックに聴こえない。迫力が無くなってしまう。これは、流石に避けたい(笑)
私はプロでは無いので、通り一辺倒の歌い方をしたくない。自分の「クレオパトラ」を歌いたい。自分で自分を「型」に嵌め込みたくない。クレオパトラは今後全てのアリアを勉強して自分自身のレパートリーにしたいので、きっちりと自分の歌い方を掴んで確固たる声を作り上げて行きたい。そうなると、私の声質のポイントになるのは、やはり中低音域になる。この中低音域で勝負出来るソプラノ。これを目指している。
ストレートでは無く、スライダーやチェンジアップでストライクを取りに行くピッチャーみたいなカンジかな(日本シリーズ観戦中)
取り敢えず、6日のピアノ合わせまで頑張らなきゃね〜。

明日は月曜日だから、スタジオ3時間練習取れると思う♪

ヘンデル全曲通し練習。

今日は今月最後の休日。台風20号通過時は、多少痰が増えたものの夜勤は無事こなした。昨日、新入院の認知症の患者さんに一晩中振り回されて多少疲労困憊だったが(爆)、喘息発作も咳もひとまず落ち着いたカンジ。

今日は、12月のヘンデルのリサイタルで歌う9曲を通し練習開始。本当は今月初めに9曲通し練習を始める予定だったのだが、台風18号の上陸による喘息発作&風邪で、予定がかなり遅れてしまった。もうダラダラ休養してる無駄な時間は一刻も存在しない。
3時間のスタジオ練習で、15分発声練習してからヘンデルのオペラアリア9曲、前半4曲・休憩15分・後半5曲、と本番の予定に沿って歌った。占めて、1時間30分。
改めてヘンデルのアリア9曲歌ってみて、殺人プログラム・・・(爆死)と思った(滝汗)
以前、ミルヒー先生にも指摘された事なのだが、

「リサイタルの前半は、発声練習程度にしておかないとね〜・・・」

あははははは。さっすがミルヒ〜先生♪
しかも、ピアニストのオクレール先生が、先月の初ピアノ合わせで、

「僕って、すごく大変かも」

あっははははは。さっすがオクレ〜ル先生♪
・・・・・・・・・・。笑っている場合でも無い。
リサイタル前半は有名な曲があり、リサイタル後半は5曲ともドラマティックなクレオパトラの壮大なアリアが続く。今日一番考えさせられた事が、リサイタル後半「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲のエネルギー配分。これを間違うと、最後2曲が最もドラマティックな曲なのに、最後で息切れしてしまう事は避けられない。余程頭を使ってエネルギー配分をしないと、非常にみっともない御粗末なリサイタルになってしまう。今日9曲歌ってみて改めて認識させられた。勢いだけでは最後まで歌い切れない。
でも、私がこのかなりシビアなプログラムを断行した理由には、自分の声を鍛えて育てる、という目的が非常に大きなウェイトを占める。今後、ミルヒー先生からヴェルディとプッチーニを、谷岡先生&ハリセン先生とウィーンのM先生・N先生・B先生からバッハからワーグナーまでのドイツ歌曲とドイツオペラを学んで行くためには現状の自分の声だけでは非常に不十分であり、ウィーンのB先生に指摘されたのだが、

「シューベルトの魔王や、ベートーベンのフィデリオのレオノーレなどは、今後声が育って行けば可能性としてはあるかも知れないが・・・」

との事だった。だから、今現状自分が出せる声で可能な曲を歌うだけでは無く、将来的に自分が歌いたいと思う曲を歌うために可能な限り自分自身で自らの声を成長させるべく鍛えなければならない。
今後、喘息発作がこれ以増悪するようであれば長生きは不可能。せめて死ぬ前に一度だけでもワーグナーは歌いたい。ミルヒー先生からヴェルディのオペラアリアに関しては全て勉強の許可が出ており、プッチーニはトゥーランドット姫の勉強も許可されている。これらの曲を歌うためにも、是非とも自分の声を今以上に鍛え上げなければならない。
取り敢えず。ヘンデルのアリア9曲1時間30分歌い終わって、喉が死にかけた。そこで30分程休憩してから、最も歌えていなかったクレオパトラのアリア2曲をもう一度お浚いしてからスタジオ練習を終わった。
まあ、後はもう暫く本番まで努力を続けるしかない。後は丁寧に歌い込んで行くだけだから。それと体調管理。今後は、ヘンデルのリサイタルが終わったらすぐに2度目のウィーン渡欧レッスンの準備をしなければならない。シューベルト歌曲は最低7曲以上、ベートーベン歌曲2曲、モーツァルトのオペラアリアは最低4曲以上、これだけは最低限来年のウィーンでのレッスンに準備していかなければならない。この他に出来ればバッハの歌曲、モーツァルトの歌曲、下手をするとモーツァルトのスザンナやツェルリーナ、ヘンデルのアリアをレッスンする可能性も皆無では無い。マジで、ヘンデルのリサイタルが終わっても休むヒマも無いどころか、ウィーンに行くまでもっともっとハードでシビアな日々になる事間違い無し♪
嗚呼、体がもう1個欲しい、または、1日48時間欲しい・・・(爆死)


昨日、夜勤明けで朝ホールで患者さんの食事介助をしていた時の話。
テレビのニュースで、のりぴーの初公判のニュースをやっていた。そこで、のりぴーが「介護の仕事を勉強したい」との報道。
・・・・・・・・・・・・・・・・。介護の仕事も、よくよくナメられたものだなあぁ〜〜〜・・・、と呆れ果てた。幾ら裁判対策とはいえ・・・・・(絶句)
私よりも、ウチの病棟の看護助手さん達が大激怒していた。

「あんな派手な芸能人生活してた人間が、介護の仕事なんか出来るワケ無いじゃん。介護の仕事をナメるのもいい加減にしろ!!!」

と、介護福祉士の資格を持つ看護助手さんも含めて、皆ブーイングの大合唱♪私は、食事介助をしながら一人冷やかにニュースを観ながら鼻で笑ってただけだけどね〜。
第一、覚せい剤に手を出すような、薬にだらしが無い人間に介護や看護などの医療業界の仕事なんざ死んでもやって欲しく無い。のりぴーが勤務した病院やら施設から、麻薬や劇薬や睡眠薬や向精神薬が原因不明で紛失したら、一体誰が責任取ると思ってるんだあぁ???バカが!!!誰が雇うかいな。アホらしい。


昨日のスポーツニュースでは、浅田真央選手の会見がほぼどの局でもやっていた。
私も最初は、真央ちゃんがトリプルアクセルジャンプを失敗するのは、真央ちゃんの精神的な問題やら課題やらが大きい、と思っていたのだが、ここ最近は実はそれはかなり大きな考え違いなのではないのか???と思うようになった。
練習ではトリプルアクセルが飛べる、でも本番ではトリプルアクセルが飛べない。精神的緊張が原因ならば、その精神的緊張に対応した対策が取られて然るべきで、あれだけのコーチやらフォロー体制が整備されているのだから、テクニカル・メンテナンスは完ぺきかと思ったのだが、見ている限りどうも不思議。メンタル面が問題ならトリプルアクセルジャンプのどの部分に最も気おくれなり躊躇いが出るのか映像も含めて解析可能だと思うのだが、メンタル面のフォローだけではトリプルアクセルの成功率が上がらないという事は、即ちテクニカル面での問題が存在するという見かたが妥当では無いのか、と私は考える。要するに、メンタル的に弱い部分を補うテクニックに不足している、という事。
歌も似ていると思うのだけれど、苦手な部分、例えば高音域、低音域、アジリダ、ロングブレス、レガートなどはテクニックが苦手なら気力でカバーする部分も大きいし、逆に気持ち的に逃げてしまうなら、苦手な曲やフレーズをカバーする為の技術なりテクニックなりを考えるものである。だから、メンタル的なフォローアップで解決しないならば、それはもう一度テクニカルな基本に戻るべき、というのが常道だと考えるんだけどね。
でも、一番大切な事は、浅田真央選手本人の最優先事項、もっともやりたい事は何なのか、という事だと思う。トリプルアクセルジャンプを成功させる事なのか、今年も世界女王になる事なのか、オリンピックで金メダルを取る事なのか。全ては繋がっているけれども、人間そんなに欲張る事が出来ない事がある。オイシイとこ取りだけでは人生は済まされない。真央ちゃんが一番やりたい事が出来るのが一番いいなあぁ・・・と思う。

そろそろ、リサイタルのプログラムや楽曲解説や歌詞対訳などの制作準備しなくちゃ〜・・・。
来年は、2月末〜3月初めにかけてウィーンに行く予定。早くウィーンのM先生に御連絡しなければっ。




通常練習へ

今日は連続夜勤の中休み。
まだまだ咳と痰は続いているんだけど、咳が減って来たせいか喉の痛みが取れた事や、もういい加減歌いたくてウズウズしている事(笑)、余り無理をしないで飽くまでヘンデルのリサイタル本番に向けて調整を行って行く事を決めたので、今日からスタジオ練習を3時間に戻した。
スタジオに行く前に、ヘンデルのリサイタルを行うギャラリーカフェに行き、会場費用とピアノの調律代金〆て¥35000(!!!)を社長にお支払いして来た。

アマチュアで歌い続けるには、ホントにマジでお金がかかる。

来月11月に入ったら、もうピアニストのオクレール先生との合わせ中心の練習にシフトして行かなければならないので、自分自身で細かい練習を行えるのは、今月まで。その事もあって、今日は難しい曲3曲に絞って練習を行った。とは言うものの、ヘンデルのオペラアリア、難しく無い曲なんざ無いんですけど(苦笑)
リナルドのアリア1曲とクレオパトラのアリア2曲。この3曲は結構なハイレベルのテクニックを必要とされるので、やはり丁寧に練習して歌い込んでおかなければならない。しかも今日集中的に練習した3曲は、今まで演奏会本番に乗せた事が無い曲だから。
ただ、時間をかけて勉強して練習して来ただけあって、全体的な流れとしてはそれ程不安は無い。咳が無くなればもう少し本調子で歌えるようになるし。細かい音符を一つ一つ丁寧に歌って行く事がバロックでは本当に重要なんだなあぁ・・・と改めて実感する、この3曲。タダでさえ、バロックを歌える「天使の声」的ソプラノでは無いのだから、こ〜ゆ〜細かいトコロは外せない。ちょっと、やっぱり自分って声質的に損してるのかなあぁ〜〜〜???と凹んでしまうトコロも無くは無いのだが、もう歌うっきゃ無いんだから後は努力あるのみ。
それでも、咳のために喉が本調子ではないからなのか、却って体に余分な力が入らないような気がした。以前先生に言われた事なのだが、

「調子の悪い時には悪いなりに調整しておけば、調子の良い時にはきちんと歌える」

との事で、やはり看護師という職業柄、調子悪の時の方が圧倒的に多いとゆ〜ハイリスクは承知千万なのだからして、調子悪いから練習しない、とゆ〜のは実に誤った考えだと思う。
調子の悪い時こそ、練習練習♪
本当〜〜〜に、私は練習は大大大好きなのだが、本番は大大大嫌い。本番なんて、すぐ終わっちゃうし、レッスン通りにいかなくてもやり直し効かないし、緊張するから楽しくないし、普段履かないハイヒールは履かなきゃならんし、好きでも無い化粧は厚塗りしなきゃならんし。これでも、未だに朝寝てる時間が惜しくて職場に化粧をして行った事が無い。幸い、現在の病棟課長は、スッピンでも文句を言わない!!!(激爆)
で、多少声は掠れる時もあったけれど、取り敢えず苦手なフレーズやアジリダを丁寧におさらいした。4小節以上ノンブレスで歌わなければならないフレーズもあるので、兎に角ブレスを取る体の準備のタイミングを測って自分の体に覚え込ませる作業に終始した。やはり、喘息発作と風邪のミックス状態をようやく抜け出した後なので、呼吸機能全体が多少低下しているせいか、普段よりもロングブレスが続かないが、もともと声量はある方なので、声量を多少落としてその分ロングブレスにエネルギーを回す。有難い事に、会場のギャラリーカフェは非常に響きが良い、音響的には有難い会場だから。
特に、クレオパトラのアリアでは、ミルヒー先生のオーダーもあり、ピアノになっても決して声の響きや体のポジショニングを「抜く」事が出来ない。飽くまでも「ドラマティック」に歌われなければならない。オクレール先生的には、もう少し細く軽く響きだけで歌うように指摘された事もあるのだが、兎に角ミルヒー先生が現状の発声で歌うようにとの御指示なので、多少太かろ〜が重かろ〜が、取り敢えずは今の発声でヘンデル9曲何とか歌い切りたいと考えている。
特にクレオパトラはドラマティックな曲が多い。だから、ついつい力が入ってしまいがちなのでそこが非常に宜しく無いトコだ。私がクレオパトラを歌うなら、もっと自然に軽く細くを心がけて歌っても十分ドラマティックになるのだろうが、これがやっぱりどうも余分な力が入っちゃう。ヘンデルにしては結構暑苦しく聴こえてしまうかなあぁ・・・と思うので、もう少し歌う時に冷静さが必要なんだな、これが。とか思いつつ、結局演奏会本番はなるようにしかならないので、ベストを尽くすしかないんだけど。

今日はヘンデルの練習の後、ちょっとしたキッカケでもの凄く超久しぶりに、イタリア古典歌曲を練習した。特に演奏会で歌う予定は無いのだが、もう3年位はイタリア古典歌曲を歌っていなかった。久しぶりに歌ってみると実に色々な発見があって、とっても面白いし楽しい!!!大概、イタリア古典歌曲は声楽のレッスン初期に課題に出されるものなのだが、私もオペラアリアの勉強の比重が高くなるにつれイタリア古典歌曲を歌う機会は激減した。もっとも、ミルヒー先生はイタリア古典歌曲よりもベッリーニ歌曲の方がお好みなので、レッスンや演奏会の課題になるイタリア歌曲はここの所ベッリーニがメインだった事もあるのだけれど。
でも、以前は歌うだけでいっぱいいっぱいだったイタリア古典歌曲、今歌ってみると、自分がやりたかった事が以前に比べて出来るようになっている!!!という事に気が付いた。ああ、あの頃はこんな風に歌いたかったんだよなあぁ〜〜〜・・・と思う事に少し近づいている。そう思ってイタリア古典歌曲で自分が良く歌っていた曲を4〜5曲軽く歌ってみた。本っ当に、歌い易かったし歌っていて楽しかった!!!これは、いいかも〜〜〜(猛爆)と思った。同じ曲を何度も時間を掛けて勉強する楽しさを、今回改めて教えて頂いなあぁ・・・と感動した。機会があったら、またイタリア古典歌曲を演奏会で歌ってみたいなあぁ♪

とゆ〜事で、これからフィギアスケートのロシア大会フリーを観ます(笑)



我慢の限界

昨日は夜勤明けだったのだが、咳と痰がだいぶ落ち着いて来たので昨日スタジオを予約した。それでも、久しぶりの声出しなのでいつもよりは短めに2時間。少し発声練習をしてみて、いつからオクレール先生とのピアノ合わせを再開するのかを決めなければならなかったし、そろそろウィーンのM先生にも来年のウィーンでのレッスンについてメールをしたかった。何よりも、ヘンデルのリサイタルまで後2ヵ月を切ってしまった。

多少の焦りはあるのだが、今無理に声を出したら元も子もない。しかし黙って寝ているのにはもう飽き飽きした。良い加減、勘弁亀吉。

そう思いつつ今日は昼まで寝て起きてみたら、寒気はするわ頭痛はするわ吐き気はするわ、熱を測ったら、37.9度・・・・・・・・・・。頭に来て思わず体温計を投げつけた。

血液検査をしてもレントゲン検査をしても異常は見つからなかった。オマケにインフルエンザでも無い。異常が見つかれば治療もするかも知れないが、異常が見つからないものは治療のしようも無い。でも熱は出る。体温計が壊れているか、通常の検査では発見されないヤバい病気か、もうどっちでも構わん。ウンザリだ。知るか!!!とにかく喉さえ無事ならもう沢山だ。

そういうワケでスタジオに出かけた。勿論薬は飲んで。安静にして休養を取っても治らないなら、安静にしている必要も意味も無い。だからと言って余り無理も出来ないので、今日はフルに声を出さないよう考えた。2時間のスタジオ練習のうち1時間は来年ウィーンの教会で歌う予定のバッハ「シュメッリ歌曲集」から選曲する事に、残りの1時間はヘンデルのアリアのチェックに充てる事にした。発声練習では、長い間の咳のための声帯疲労で多少声はかすれ気味だったが、2点Aまで普通に出たのでそのまま予定通り練習をした。バッハ「シュメッリ歌曲集」は曲数が多い。しかもウィーンのM先生から、

「CDとか録音を聴かないで、最初から自分で音取りするように」

と、初見でとの指摘があったのでやむなく楽譜のコピーだけで音取りをした。初見なんてやった事が無い。それでも20曲余りの中から3曲選んだ。バッハの「シュメッリ歌曲集」は曲数は多いけど曲は短いので、音取りはそれ程苦労せずに済んだ。日本の全音の「ドイツ歌曲集?」にも1曲だけ掲載されていたので、最初はその曲にしようと思っていたのだが、出来ないながらも何とか楽譜でリズムを確認して音取りしてみると、自分で歌ってみたい曲が少しだけ見つかった。「シュメッリ歌曲集」も日本では殆ど演奏されないが、とてもバッハらしい素敵な小品が沢山あるんだなあぁ、と感動した。ヘンデルのリサイタルが終わったら、早めに谷岡先生にもバッハを見てもらわなければならない。今日は3曲音取りをしたので、後は楽譜作りをしなければならない。
ヘンデルも、余り音域の高く無いアリアを3〜4曲、オクレール先生にピアノ合わせの時に指摘された事を中心に軽くおさらいした。練習時間が2時間ではその位が関の山だが、まだ喉が本調子では無いので仕方が無い。それでも、高音も声量も声の響きも自分が考えていた程には落ちていなかったのでいささかホッとした。薬の飲み過ぎで胃の調子も余り思わしくなかったので、早めに切り上げて帰宅した。

幾ら待っても完全に回復しないので、もう様子を見ながら練習を再開して行くしか無い。
今日帰宅してから、ウィーンのM先生に来年のウィーン行きの事についてメールを差し上げた。
近日中に、ギャラリーカフェとも正式に演奏会の事を詰める予定だ。

ダラダラ休んでいるのは、もう嫌だ。

忘れかけていたこと。

今月初めの台風から風邪と喘息発作を併発して、連日38度近い発熱と咳と大量の痰と喉の痛みで、また10日以上歌う事の出来ない日々が続いている。連日の発熱で喘息発作の副作用の強い解熱剤を使用せざるを得なく、また高熱では無いにしても連日の発熱で、インフルエンザの可能性もあると病棟の医師から指摘されて検査を受けた。採血もレントゲンもインフルエンザ検査も、全て問題無かった。逆に、きちんと内服治療を行っているのに発熱と咳と痰が改善しないのか、医師からも疑問視されてしまった。無論、私も非常に疑問視せざるを得ない。毎日内服している1日の薬の量、喘息の薬2種3錠、咳止め6錠、去痰剤6錠、抗生物質2錠、消炎剤3錠、総合感冒薬2錠、その他胃薬、下剤、安定剤etc・・・。本当に、胃に穴が開くか胃液を吐くような薬の量を毎日内服し続けていて、それでも咳は止まらず痰の量は減らず、もう今年は歌う事は愚か声を出す事すら不可能とも思えるような毎日を過ごしている。自分でも、いっそインフルエンザだったらもう今年の演奏会は全て中止できるのに、と思うくらいここの所暗い気持ちで、それでも休む事の出来ない仕事と夜勤をこなしながら生活していた。もう休日を2日も休養に充てている。音楽から少し離れる事にしていた。CDを聴いてもDVDを観ても、気持ちばかりが焦ってしまって休養出来ないと考えたからだった。楽譜も開いていない。ちょっと辛かった。今年のヘンデルのリサイタルを中止する事を考え始めた。来年のウィーンでのレッスンも、まだM先生に御連絡出来ない状態でウィーン行きを見送る事さえ考え始めた。

今日は休日だったのだが余り体調も良くなかった。咳が止まらない。でも、病棟の仲良し看護師仲間と呑みに行った。最近、酒も殆ど呑んでいなかったので少しストレス蓄積気味だった。でも、歌えない、声を出せない苦痛と焦りから少し気分転換が必要だと考えたから。友達とは4時間位呑んで喋って楽しく帰って来た。

今日は、フィギアスケートのグランプリシリーズのフランス大会だったのでビデオに録画して出掛けた。帰宅してから録画を観た。
私は、浅田真央選手の大大大ファン。浅田真央が登場した当初は天才と騒がれていたので余り興味は無かったのだが、浅田真央がキム・ヨナと熾烈な争いを繰り広げてから非常に興味を持ってフィギアスケートを観て来た。私が今録画しても観る番組はフィギアスケートくらいなのだが(笑)私が浅田真央の大大大ファンである理由は、彼女の試行錯誤と紆余曲折と苦しみから逃げない苦しみに真っ向から飛び込んで行き躓きでも何度でも立ち上がるその「意地」と「度胸」だ。フィギアスケートも世界的な大会では、ノーミスかつクオリティの高い演技が期待され注目されて当然だろうが、音楽も勿論そうなのだが結果論だけでは無く「プロセス」というものが存在する。但し、プロセスは注目されるべきものではないのかもしれないが、自分が好きな選手ならデビュー当時からトータルで「見守りたい」と思うものである。金メダルや優勝した選手をやれ加点を貰えるジャンプだの表現力が卓越しているだのという専門家紛いの評価は部外者はメディアから仕入れていかにもらしい事は言えるかも知れないが、私は実際に大会本番でトリプルアクセルジャンプを何度も何度も失敗しながらそれでも飛び続ける浅田真央の、彼女の試行錯誤と紆余曲折と苦しみと悔しさと苛立ちが大好きなのだ。人間って、こういうもので、そんな浅田真央の失敗を何度繰り返し見ても、それでもトリプルアクセルを飛んで欲しい、いや絶対飛べるはずなんだ、いつか確実にいつでも飛ぶ事の出来るスケーターになって欲しいというある意味「希望」を持つ事が出来る。出来あがった仕上がったものに満足して失敗に批評するだけでなく、私にとっては「希望」を持ちたいと思える浅田真央、それくらい彼女のジレンマと感情がスケーティングから伝わってくる選手。

今日、自宅に戻って来てグランプリファイナルのフランス大会の録画を観て、何だか涙が流れた。
私が苦しんでいるのは病気ではなく、何が何でも病気を克服して「歌う気力」を失いかけていた事なのだと、気が付いた。スポーツ選手に怪我はつきもの、歌手に喉のトラブルもつきもの。今までは若さと体力で強引に捩じ伏せて来たものが、もうすぐ41歳になろうとしている体には徐々に負担が大きくなって来たのだろう。特にこの2年間は今まで以上の体調不良となりコンディション調整も非常に難しくなって来た。今年7月千葉でのヤンクミとの演奏会を風邪で喉を痛めながらギリギリの演奏会だっただけに、今回の風邪と喘息の併発は私自身にとって非常に厳しいものである事は間違いが無い。
ただ、今回は止まらない咳と止まらない喉の痛みと歌えない苦しさに、非常にネガティブになっていた。無論、7月の演奏会が非常に苦しかった記憶があるからという事は間違い無い。しかも、ここのところ、非常に不愉快な事や理不尽な事や怒りが続いていた事もあり、疲れ果ててしまった事を自分自身の言い訳にしかけていた感は否めない。
今年7月千葉でのヤンクミとの演奏会をウィーンのM先生に御報告した折にM先生から、

「演奏会中で体験なさったテクニックもあったのでは、と推察致します」

この言葉をすっかり忘れていたような気がする。
7月の千葉でのヤンクミとの演奏会は本当に喉を痛めて大変だったのだが、私には「使命」があった。ウィーンでコンチェルトハウスのB先生にレッスンを受けて来たシューベルト歌曲4曲、特に「こびと」だけは何が何でも歌わなければならない、という「使命」があった。恐らくは日本では歌われないシューベルト歌曲。本来ならば私自身の声質とは違うもっとドラマティックな歌手が歌う歌曲、それでも私が歌う「こびと」を認めてくださったB先生への感謝は言葉ではなく私が演奏会で「こびと」を歌う事だった。本番で「こびと」を歌う前にヤンクミに少しだけ「間」を頂いた。ウィーンのB先生、M先生、N先生、そして谷岡先生とハリセン先生に、祈った。喉が千切れてもいいから「こびと」を最後まで歌えるよう、力を貸してください、と。

今の私には、この気持ちが欠けていた。自ら弱気に逃げてしまっていた。今と同じ状態の喉で、7月千葉でのヤンクミとの演奏会では「こびと」を何とか歌い切った。モーツァルトの演奏会では評価してくださった観客は一人もいなかったが、喉を痛めて歌っても「こびと」を評価してくださった方々は存在した。私のようなアマチュアがシューベルト「こびと」のような大曲・難曲を歌う事は、フィギアスケートではトリプルジャンプのコンビネーション程に困難な事である。十分では無いにせよ、ノーミスで歌う事が出来て尚且つ少ないながら聴き手の方々の耳に残った事こそを、今回の体調不良や喉の不調の「教訓」とするべきではないのか。決して諦めて逃げる時ではないだろうに。

また今日も夜勤だが、声を出せない事に焦り落ち込み後ろ向きになるのではなく、声を出せなくても出来る事に戻りたいと思う。
たかが風邪。されど風邪。でも神様は乗り越えられる人にしか試練は与えない。
私は、ヘンデルを、必ず歌う。

真央ちゃんに、感謝♪

「のだめカンタービレ」最終回

今回の台風が日本に上陸して、マジで今度こそ入院か!!!と思った(苦笑)
先月の連続夜勤の蓄積疲労のせいか、最近風邪気味だった上に台風と共に喘息発作全開。止まらない咳と呼吸困難。午後になると毎日発熱。胃が痛くなるくらい沢山の薬を飲む。何を食べても何を飲んでも、味が分からない。喉は痛いし息は苦しいし体はダルいし眠いし、でも勤務はハードだし(超苦笑)

いっそ呼吸を止めてくれえええええぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!!!

とホントに思った。今でも咳は続いている。こりゃ暫く練習やレッスンは無理かと(爆死)
これでは、新型インフルエンザ・ワクチンの予防接種も無理かもな〜。毎日発熱してるし(苦笑)
つ〜か、年末のヘンデル・リサイタルまでに治るんかいな???
来年、ウィーンに行けるだろうか。ホントはそろそろウィーンのM先生に、来年のウィーン行きの日程等を相談するメールを差し上げる予定だったのだが、今回の喘息発作でまだメールしていない。
まあ、駄目なら駄目で仕方が無いんだよな。
怠けてるワケでもサボっているワケでもズルしてるワケでも無いんだもん。
真面目に喘息の治療もしてるし。

でも、喘息の重積発作起こって下手に人工呼吸器でも装着されたら、超エラいこっちゃ。
喘息の重積発作は人工呼吸器の適応なのだからして。
例え命は取りとめても、今のように仕事も無理だろうし、歌う事なんかもっと無理だろうし。
同じ病棟の仲良し看護師達に、御願いだから延命処置はしないでくれえぇ〜と頼んだのだが、却下された(爆)
これは、ちゃんと遺言状を作成しなければ!!!

一つだけ困った事があった。
私が持っている、リコルディやらペータースやらベーレンライターの楽譜や、CDやDVDはどうしようか???全部捨てられてしまうのは、勿体無いし忍びない。だって、流石に楽譜の類は、総額何十万だからなあぁ〜〜〜・・・(滝涙)
それを友達看護師に話したら、昔ピアノを習っていて今自分の息子にヴァイオリンを習わせようとしている友達看護師呑み仲間が、

「全部私に譲ってくださ〜い!!!息子と二人で使わせて頂きま〜すっ!!!」

と言ってくれた(核爆)をを、これは丁度良い〜〜〜!!!
心配事が、吹っ飛んだカンジ(笑)
これは、ますます遺言状を作成せねば!!!
とゆ〜事で、先ほどネットで検索したら、何と隣の駅にありました!!!法律事務所。無料相談も受け付けてくれる♪
とゆ〜事で、近々隣の駅の法律事務所に、遺言状作成の問い合わせに行こうと思う。

今日、仕事帰りにコンビニに寄ったら、「のだめカンタービレ」がやっぱり最終回だった。
つまんないなあぁ・・・・・(溜息)

早く喉の痛みだけでも取って、ヘンデルの練習再開しなくては。
その前に、明日も夜勤・・・・・・・・・・(核爆)



ドンナ・エルヴィーラに助けられながら

今日は谷岡先生のレッスンで、これからはモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラを中心としたレッスンをして行く事になった。
先週の谷岡先生のレッスンの後に、谷岡先生がハリセン先生と私のモーツァルトのレッスンの事について少し話し合われたとの旨を聞いた。ハリセン先生曰く、
「そりゃ、スザンナを歌えるような発声やテクニックを身に付ける方が先だし、ドンナ・エルヴィーラのようにレガートに勢いで歌える役の方が楽に決まってる」
との仰せだったらしい(滝汗)ただ、谷岡先生が、
「彼女は、どうもスザンナやツェルリーナは合わないので、もっと他の彼女に合った曲や彼女が好きな曲でスザンナを歌えるようなテクニックを身に付けないと、苦しい辛いだけになってしまうと思う」
と話してくださったら、ハリセン先生も、
「それはそうかも知れないね」
と御納得なさって下さったらしい(超苦笑)
という事で、スザンナを歌えるような発声のテクニックを身につけられる曲を今後他に探して行く事になった。谷岡先生曰く、
「ウィーンでなら、スザンナでもツェルリーナでも、あなたなら歌う機会があるかも知れないし、巨体じゃないから合わないという事も無いけど、やっぱりあなたはスザンナ合わないみたいだから今後はイタリア系でもドイツ系でも、テクニックを身につけられる曲を探して行きましょう」
との事だった。別に、スザンナもツェルリーナも、歌う機会は無くても構わないのだが(笑)
やっぱ、ハリセン先生は厳しいなあぁ・・・と思ったが、ホントの事だから仕方が無い。
それでも谷岡先生が言うには、ウィーン帰国後のハリセン先生御教室発表会で、ウィーンでレッスンを受けて来てウィーンのB先生に高声用→中声用に直されたシューベルト「トゥーレの王」を歌った時には、かなり勉強した事が感じられた、と言って下さったらしい。但し、移調の影響による音程の不安定さも指摘されていたとの事。
私が考え込んでしまったら谷岡先生が、
「とにかく、あなたはスザンナやツェルリーナよりもドンナ・エルヴィーラの方が早く演奏会に出して形に出来そうだから、まず出来る事からやって行きましょう。歌う曲の順序は多少人とは違っても、今後苦手な課題をどうして行くのかという問題には違いないのだから」
という事で早速ドンナ・エルヴィーラのレッスンを開始する事になった。

昨日から微熱と喉の腫れと痛みで、夜中目が覚めたらイソジンでうがいしまくりで、今朝ようやく喉の痛みと腫れが引いたので何とかレッスンに来られた。1時間スタジオ練習した時に、そこそこ声は出せたのでレッスンでも体は少しダルかったものの何とか歌う事は出来た。
今日は「Ah,fuggi il traditor!」と「Mi tradi quell'alma ingrata」のレチタティーヴォを中心にレッスンした。前回のレッスンではボロボロだったから(苦笑)それでも昨日のスタジオ練習、2時間といつもよりも短かったのだが、前回のレッスンよりもだいぶ形になって来た。毎日「ドン・ジョバンニ」のDVDを少しでも観ている事も効果があったのだろう。それでもまだかなり複雑なリズムやテンポに振り回されている感は否めない。それでも谷岡先生は、
「ドンナ・エルヴィーラのレチタティーヴォをきちんと勉強出来たら、わざわざスザンナの勉強しなくてもきちんと声をポイントに当てられるテクニックが少し出来るようになれると思う。スザンナで苦しむよりも、ドンナ・エルヴィーラで勉強した方があなたは楽しいし苦労も耐えられるでしょう(笑)???」
と聞かれた。・・・・・・・・・・図星(自爆)
ドンナ・エルヴィーラをきちんと勉強するようになって、改めてモーツァルトのオペラは非常に難しいんだな・・・と感じる事が多くなった。まだまだ音程も不安定な部分も多いし、声の響きを整えて行くのも今後の作業なので、まだ「地」で歌ってる感がある。しかも今は、ミルヒー先生のレッスンで思いっきりヘンデルで声を出しているので、モーツァルトを歌うには声の響きが少し硬いのではないか?と心配したのだが、谷岡先生は全然気にならないらしく、
「良いポジションで声が当たって響いていると思うわよ」
との事で少しホッとした。しかし、結構声を出している。声量を出そうとしている訳では無いのだが、去年演奏会でヴェルディを歌った時に近いような、割としっかりした声の響きに「なってしまう」のだ。自分的には、モーツァルトはもう少し軽めに歌う印象を持っていたのだが、どうやらこれは違うらしいという事は段々判って来た。谷岡先生やウィーンのN先生が、何故私にドンナ・エルヴィーラをレパートリーとして勧めたのかというと、要するにウィーンで言うドンナ・エルヴィーラの声は、私くらいの声の強さと声量が必要な役柄なのだ、という事なんだなあぁ・・・と改めて実感しつつある。今、私自身体調も余り良くないし喉の調子も今一つなので、ドンナ・エルヴィーラは私が歌うのには少し重い役なのではないか???と考えながらレッスンしていたのだが、いざ「Mi tradi quell'alma ingrata」のアリアを歌い始めたら、やっぱり声の響きも一段良く響くようになるし、多少音程の不安定な部分もあるが、難しいパッセージも声が良く回り始める。谷岡先生からも、
「高音域はきちんと張れているし、早いパッセージの所も私は全然心配していないの。しいて言うなら、やっぱり下降音形でポジションが下がり傾向な事と、フレーズの終わりの処理の仕方。フレーズの最後をもう少し自然に丁寧に歌えるように練習して来てね。でも、レチタティーヴォはかなり上手く歌えてると思うから、あまりリズムに惑わされないで、もう少し自由にイタリア語の単語のアクセントに合わせてディクションの練習をする方が効果的だと思う」
と御指導頂いた。
谷岡先生から見て、どうやら私はイタリア語よりもドイツ語の方がはっきり歌詞が聴こえるらしく、谷岡先生はそういう意味では私が歌うドンナ・エルヴィーラよりもパミーナの方が御好みらしい(笑)イタリア語のLの発音をもっと前に出す事やイタリア語のRの巻き舌をもう少しはっきり発音するように指摘された。

まだドンナ・エルヴィーラのレッスン2回目にしては、自分でもこんだけ歌えているのは結構不思議(自爆)なのだが、本当に歌う事は大変なのだが、苦しかったり辛かったりという事は少しも感じないのがとっても不思議だ。勿論、来年ウィーンのレッスンに持って行ったり、来年の演奏会に乗せたり出来るようになるまではまだまだ相当歌い込まなければならないだろうが、私も谷岡先生も、可能な事だと口にださずに了解している節がある(苦笑)自分としては、さっきも書いたが、去年演奏会でヴェルディを歌った時のテンションに近い状態でドンナ・エルヴィーラを歌っているのだが、これがウィーンでのある意味ドンナ・エルヴィーラの声質の目安なのかと思うと、今の自分にはドンナ・アンナやフィオルデリージはちょっと厳しいなあぁ・・・・・と実感した。コンテッサはウィーンのN先生からも谷岡先生からも私のレパートリーとして認められたが、今の自分の声の状態では、とても勉強で手を付ける気にならない。思いの他、ドンナ・エルヴィーラは多少ドラマティックさも含んだリリックな役柄であるとアリア3曲まとめて勉強してみて初めて思い知らされたカンジ。今の自分にはモーツァルトの役柄としてはドンナ・エルヴィーラが限界かな、とも思う。来年ウィーンのレッスンに持って行った時に、ウィーンのN先生やM先生がどのような評価をされるのにも由るのだが。

谷岡先生にも言われた事なのだが、ドンナ・エルヴィーラというキャラクターが非常に私に共感出来たりリンクする部分が多い役柄なのだろうと思う。だから、今このドンナ・エルヴィーラの大変なアリア3曲は私の実力で歌っているというよりも寧ろ、ドンナ・エルヴィーラという役やモーツァルトの音楽に助けられて歌っているんだなあぁ・・・という気持ちが強い。
以前谷岡先生から教えて頂いた話なのだが、
「ヘルマン・プライがね、モーツァルト「魔笛」のパパゲーノの役の依頼が来た時に、パパゲーノはバスも歌うから自分には役が少し重すぎるんじゃないかって迷った事があったらしいんだけど、パパゲーノという役柄に魅かれて、またパパゲーノという役に助けられて、歌う事が出来たっていう事をヘルマン・プライ本人が言っていたそうよ」
という話を思い出した。日本人が歌うドンナ・エルヴィーラもコンテッサもとても軽やかに綺麗に聞こえるが、私がドンナ・エルヴィーラやパミーナを始めとしてウィーンのN先生からレパートリーとして与えられたオペラの役柄は、ウィーン基準で歌えなければならない。今はまだ本当にドンナ・エルヴィーラというキャラクターやモーツァルトの音楽に助けられて歌っている事を心から感謝している。
しかし、少しづつでもドンナ・エルヴィーラを自分自身の持ち役として確実に歌えるようにして行く事をもう考えなくてはならない。そろそろ「ドン・ジョバンニ」の映像を観たり録音を聴いたりする事から卒業して、楽譜だけと向き合わなければならない時が来たのかも知れないな、と今日のレッスンで薄々感じ始めた。

最後に谷岡先生が非常に興味深い話をしてくれた。
「モーツァルトのオペラのエプロン役、スザンナやツェルリーナやデスピーナって、あんなに可愛らしく表現されているのは、男性の演出家の一種の願望や幻想みたいなものが大きいと私は思うのよね。だって、デスピーナなんて特に、役柄としてはオバサン向きよ!!!あんな若くて機転が利いて多少悪賢い女の子、いる訳無いじゃない!!!と私なんかは思うんだけどね。だから、あなたももう少し年を取って、というかオバサン化したらそういう先入観は取れて、自分のスザンナなりツェルリーナなり歌えるんじゃないかと思うのよ。ウィーンに行ってスザンナやツェルリーナは歌わないのか?とN先生に聞かれたら、正直に、勉強して歌ってみたけど楽しくないし合わないし苦しかったから駄目でしたっ!て説明しても良いと思うわよ」

ふ〜ん、そんなものなんだなあぁ、と思った。多少思い当たるフシがあるので結構笑えた。

今後はまた、ヘンデルのリサイタルに集中しなければならないのだが、少しづつドンナ・エルヴィーラの勉強も地道にやって行かなければならない。
ふう、疲れた。

過去のレッスン曲/本番曲

今日・明日は連休なのだが、ここの所のハードな勤務が響いてか超体調不良。明日は谷岡先生のレッスンなのだが、今日は体も超ダルダルで喉も不調なのでスタジオ練習は2時間で切り上げて帰って来た。頭痛もするので楽譜作りも厳しいし熱もあるので、自宅で雑用をした。

今年で声楽勉強を初めて10年になるので、ざっと今までレッスンを受けて来た曲と演奏会本番に乗せて来た曲を割り出して纏めてみた。

イタリア歌曲、レッスン曲36曲/演奏会18曲。
内訳:イタリア古典歌曲20曲/5曲
    ドナウディ歌曲 3曲/3曲
     トスティ歌曲 5曲/5曲
    ベッリーニ歌曲 6曲/4曲
   モーツァルト歌曲 2曲/1曲

イタリア・オペラ、レッスン曲35曲/演奏会16曲(アンサンブル含む)
内訳:モーツァルト13曲/4曲
    ベッリーニ 1曲/0曲
    カタラーニ 1曲/0曲
   ドニゼッティ 1曲/0曲
    ヴェルディ 6曲/3曲
    プッチーニ 2曲/2曲
     ヘンデル10曲/6曲
     グルック 1曲/1曲
  ヴィヴァルディ 1曲/0曲

ドイツ歌曲、レッスン曲51曲/演奏会24曲
内訳:   バッハ 2曲/ 1曲
     ヘンデル 1曲/ 1曲
   モーツァルト10曲/ 5曲
   ベートーベン 1曲/ 1曲
   シューベルト22曲/11曲
 メンデルスゾーン 3曲/ 2曲
    シューマン 5曲/ 1曲
    ブラームス 2曲/ 2曲
    ワーグナー 5曲/ 0曲

ドイツ・オペラ、レッスン曲3曲/演奏会2曲(アンサンブル含む)
内訳:モーツァルト 2曲/1曲
   ベートーベン 1曲/1曲

フランス歌曲・オペラ、レッスン曲3曲/演奏会2曲

ラテン語曲、レッスン曲7曲/演奏会1曲
内訳:ヴィヴァルディ 3曲/1曲
    モーツァルト 4曲/0曲

勿論この他にも、英語の曲や日本語の曲も歌っているのだが、クラシック音楽に分類されるのは上記のものだと思うし、曲を掘り返すのに疲れたので打ち止め終了。
こうやって改めて数えてみると、イタリア系とドイツ系の割合いとしては、歌曲とオペラに数の差ははるが、まずまずバランス良く勉強してるのかな〜・・・というカンジ。レッスンを受けている割には余り演奏会で歌っていないのがやっぱりモーツァルト。シューベルトは気合いを入れて勉強を始めてからまだ3〜4年だが歌っている割合いが非常に高い。今後はドイツ・オペラの割合いが増えて行くだろうし、モーツァルトのオペラの演奏会本番曲も増えて行くだろう。まだ殆ど手を付けていないヴェルディやプッチーニ、シューマンやブラームスも今後意欲的に勉強して行く予定なので曲数も増えるだろう。

やはり声質の問題は切り離せない。
ウィーンでは「リリコ」、日本では「リリコ・スピント若しくはスピント」と各先生方から評価されているので、これからもイタリア系とドイツ系、上手く使い分けて歌い続けていかなければならない。私の声質に関しては、根拠の無い自己判断では無く各先生方の客観的評価であるので、自分自身のレパートリーとしては多少広すぎるような気もしないでも無いのだが、これは頑張って努力して付いて行くしか無い。

10年間で、レッスン曲135曲、演奏会62曲歌った計算になる。勿論この他にも英語の曲や日本語のポピュラーな曲も結構歌っているし、何よりも上記の曲でも2〜3回繰り返して歌っている曲が結構あるのだ。イタリア古典歌曲、ヘンデルのオペラアリア、モーツァルトのオペラアリア、シューベルト歌曲などは結構繰り返し演奏会に乗せて歌っている曲が多い。10年間でこの曲数が多いのか少ないのかは私には判断しかねる。尤も、仕事に費やす時間が非常に多いので、もう少し体力的に負担の少ない職業ならばもっと歌えたのだろうか・・・???まあいいや。

そのうちホームページがアップ出来たら詳しい曲名まで掲載したいと考えている。
何度やり直しても一向にアップロード出来ないんだけど・・・・・・・・・・(滝汗)



   

ウィーンからのメール

一昨日、久しぶりにウィーンのM先生からメールを頂いた。M先生は今年の3月私が初めてウィーンのレッスンに行った時の各先生方のコーディネイト&通訳をして下さったメゾ・ソプラノの先生。主にブラームスを御得意にしていらっしゃる。

先日、ドイツの偉大なヘルデン・ソプラノ歌手ヒルデガルド・ベーレンスが日本で急逝された事で、私も久しぶりにM先生にメールをお送りしたのだが、暫く御返事が返ってこなかった。良くヨーロッパ中をお仕事で旅行されていらっしゃるので、御忙しいのかお疲れなのかと思ってはいたのだが、御返事が無いと来年自分はまたウィーンに行ってレッスンを受けられるのかどうか、多少不安に思っていたのだが、一昨日ようやくM先生から御返事を頂く事が出来て少しホッとした(笑)
まずベーレンス急逝の話題から。M先生も非常に驚かれていた御様子だった。ウィーンでも大変大きな記事になったという。特に日本人としては、ベーレンスがドイツでは無く日本で亡くなった事は非常にショッキングだったらしい。本来であれば、故郷の地で眠る事が出来たはずであろうが、日本での草津国際音楽アカデミーのマスタークラスの講師として来日中に亡くなられた。日本とは御縁の深い偉大なソプラノ歌手であったのだろうが、故郷の地で休まれるが最善だったと誰もがそう思う事だろう。そう考えると、日本のオペラ界はもうちょっと多少なりとも商業主義ではなく伝統的なクラシック音楽やオペラの浸透に文化的レベルで尽力するべきなのに、と苦い思いを覚える。

それから、今年私が12月に予定しているヘンデル・オペラアリアのリサイタルについて。M先生から、
「ヘンデルの作品はどれも美しい音楽で素敵ですね。ウィーンにいらした折にお聞かせくださいませ。楽しみにしています。」
と、書いてあった!!!(超滝汗)これは、今まで以上にもっともっと気合を入れて力を込めて練習しなきゃあああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!!!!!多分、もうN先生やB先生にも私のヘンデル・リサイタルの話題は報告済みだろうからなあぁ(溜息)一番恐ろしい事は、予告無しでいきなり「ヘンデルを歌ってみてください♪」と言われる事である。これは、全く想定外の話しとはあながち括り切れないのが恐怖だ(爆死)

それから、いつもM先生が心配してくださっている事が毎回同じくメールに認められていた。
「あなたの熱心さには頭が下がります。でもでもどうぞ御自愛ください。心配です。」
こんな言葉は、歌の先生にしか言って貰った事が無い(超苦笑)ミルヒー先生、オクレール先生、谷岡先生、ハリセン先生、M先生。いつも私に音楽と歌を教え導いてくださっている方々だけがこのように私の「苛酷で無理な生活」を心配してくださるのみ、である。でも、本当にいつも誰にも心配すらして貰えない位、丈夫とゆ〜か不死身で頑強に見えるので仕方がない(爆死)未だ、付き合っていた男にもそこまで心配して貰った事は無い。一番最後に別れた去年の11月まで付きあっていた男は、私が作る食事は随分美味そうに食べていたが、幾ら私が疲労困憊でも代わりに私に食事を私に作ってくれた事は無かったな〜〜〜・・・(不愉快)な〜んか、も〜ちっとくらい私を少しくらいは心配してくれる男に出逢いたいものだわ(不満)でも今は、臆病で中途半端で卑怯な偽善者の男の相手をしているヒマは米粒ほども無いから、もうお腹一杯ごっそ〜さん。日本の男って結構精神的・文化的レベルが超低俗かもねえぇ〜(核爆)次はウィーンで見つけてこようかな〜♪

一昨日も昨日もモーツァルト「ドン・ジョバンニ」の映像を見続けている。今回の一連のモーツァルトのレッスン、スザンナやパミーナやドンナ・エルヴィーラのレッスンで一つだけ確実にはっきり理解認識出来た事がある。私は決してモーツァルトを歌う事が「苦手」ではなかったのだ、という事。モーツァルトに関しては、自分自身歌う事が苦手で嫌いな「オペラの役」が存在するだけで、私自身がモーツァルトの音楽に適性が無いという解釈は間違いであったという事が確信出来た。これは、本当に素晴らしい発見で嬉しい事である。これに気付かせてくださった某オペラファンには本当に非常に心底感謝申し上げている次第である(苦笑)今までは、私のような容姿が綺麗でも無い声が美しくも無い日本人にしては野太いソプラノではモーツァルトなんか歌えないと思っていた私に、美しいコロラトゥーラやレジェロのソプラノしか好まず認めない人間は私の「敵」にしか見えなかったが、ただ単に私がスザンナやツェルリーナなど日本人の慣例的で進歩も学習能力も賢明さも存在しない、自分の好みと偏見と自意識過剰の歪んだ美意識に振り回されていたという事を、嫌という程思い知らされて頂く事が出来た。私は、そのように歪んだ過剰なえげつない美意識のためにモーツァルトが不得意であると勘違いし続けて来たのだが、谷岡先生の仰る通りモーツァルトだってパミーナやドンナ・エルヴィーラはきちんとウィーンで認められるべき役柄であり自分自身非常に丁寧且つ余裕を持って歌う事が出来るモーツァルトの役柄なり曲が存在する事をこの逆境で良く良く認識認識する事が出来た。しかし、反面教師の存在はやはり非常に重要で、美人でスレンダーで細くて軽くて美しいソプラノしか認めないような偏狭でマニアックで独断的なクラシック・オペラファンがいたからこそ、私自身ウィーンにレッスンに行ってまで勉強して絶対に自分がきちんと歌える曲を1曲でも多く増やしたいという意地が持てたと思う。偏狭な美人ソプラノマニアのクラシック音楽ファンには、私自身が歌うモーツァルトなんか絶対に聴かせるつもりは毛頭皆無だが、「不得意」と「嫌い」の区別を認識するに至ったプロセスには仕方がないが無くてはならなかったのだと呆れ笑い感謝をしている所だ。

来年、またウィーンにレッスンに行ける事だけを本当に幸福に思う。

誰にも良い評価などして戴かなくても結構。私が今レッスンを受けている先生方が認めて下されば別に他はいらない。大体にして、そこいら辺の半端なオペラファン紛いに私の良さなんざ御理解頂く必要も無し。私はプロでは無いので、聴き手に気に入られ媚を売るような歌唱もする必要も無し。私の歌を心から聴きたいと心から思ってくださる人なら、唯一人の前で喜んで歌いたい。後は、私の望む物では無い。もともと演奏会やリサイタルだって、先生方から「100回のレッスンより1回の本番」と指摘され続けているから、自腹を切って疲労困憊の上無理をしながら演奏会やリサイタルをこなしているのだ。自分の歌唱技術の進歩向上目的でも無かったら、だ〜れがこんなに無理して自分に鞭打って演奏会やリサイタルなんざやるもんかい!!!

一度でいいから、次に生まれて来た時でいいから、ちょっとくらいは「美しい声ですね」って言われてみたいなあぁ・・・・・(溜息)
う〜ん、でも、やっぱり次生まれて来た時は、ワーグナーを歌えるヘルデン・ソプラノの方がいい!!!(爆)

ところで、来月号の「Kiss]で「のだめカンタービレ」は最終回なのかなあぁ???

zzz・・・。おやすみなさ〜い♪

ハマり役5

今日は久々の谷岡先生のレッスン。7月に千葉でヤンクミとの演奏会の時に風邪で喉を痛めてからレッスンを受けていなかったので約3ヶ月振り。まず7月の千葉の演奏会の報告。喉が潰れるかと思ったが何とか最後まで歌えた事、アンケートでシューベルト「野薔薇」「菩提樹」のような有名な曲だけでなく「トゥーレの王」「こびと」など日本では殆ど知られていない曲を選んで下さった方々もいた事を報告した。今は主にミルヒー先生やオクレール先生とのヘンデルのリサイタルのレッスンやピアノ合わせをしながら、来年ウィーンのレッスンに持って行きたいモーツァルトのアリアやシューベルト歌曲の楽譜作りを行っている事、今月は月の半分が夜勤でかなり死にそうな事など(笑)今日は谷岡先生もお時間に余裕があったらしくお茶しながら30分くらい話を聴いて下さった。

そしてレッスン開始。まずモーツァルト「フィガロの結婚」のスザンナのアリア2曲。「Un moto di gioja」「Venite,inginocchiatevi」から。一通り通して歌い終わってから谷岡先生からかなり指摘された。
『あなたにしては珍しく暴れてるカンジ。レガートに歌えていない。ポジションが全体的に低い、特に下降音型でポジションが下がりがち。2曲とも声が音の一つ一つにきちんと当たっていないし、早いテンポでも歌詞はきちんとついて来て歌えているけどメロディーの流れが止まって聞こえるの』
・・・・・。確かに自分で歌っていてもマジで超苦しい。体の疲労の問題だけでは無い。今日はレッスンは午後からだったので1時間スタジオで発声練習もして来た。曲の音程の高低差に振り回されている感じが自分でも良く判る。谷岡先生は、『あなた、スザンナ好きじゃないでしょう!!』
・・・・・。確かに(超苦笑)図星。好きじゃないとゆ〜よりは、嫌いです(爆)キャラクターも違うし、曲の感じも自分自身歌っていてもレガートに歌えるポイントを非常に把握しにくい曲が多い。役柄としても理解しづらい部分が多い。しかし、これは谷岡先生にもお話した事なのだが、幾ら嫌いな役でもスザンナをすっ飛ばしてパミーナやドンナ・エルヴィーラを勉強するのはものの順序が違うというものだ。それに、嫌いだからと言って勉強しなくても良い理由にはならない。谷岡先生は、
『あなたはレガートに歌える曲の方が得意なんだけど、このスザンナのように音型の細かい腹筋をかなり使うような細かいポジションで確実に声を音に当てて行く曲はまだまだ苦手だから、これからはもっとメカニカルに声を音に確実に当てられるようなテクニックを勉強して行く事が今後の課題。今歌ったようなスザンナのアリアのような曲でもきちんと歌えるようにならないといけないし、そうすれば他の曲ももっと楽に歌えるようになるはずだから』
と言われた。ただ私自身としては今勉強しているスザンナは演奏会本番にすぐに乗せられるようなレベルにするためでは無く、飽くまでも来年ウィーンのレッスンにパミーナやドンナ・エルヴィーラの持って行くための前段階として歌っている訳で、もしもスザンナを演奏会で歌う事を考えるならば、もっとかなり先の事として考えている事を話した。谷岡先生も少し複雑な表情をされていたが、取り敢えず私としては今後もスザンナの勉強は続けて行くつもりである事を話したら納得されていた。

次はこれも久しぶりのモーツァルト「魔笛」パミーナのアリア。これは前回は譜読みも不十分で音取りをようやく済ませた段階で歌ったので、今回はきちんと譜読みをして行った。但し谷岡先生から前回のレッスンで、
「このパミーナのアリアは余り歌い込みし過ぎないように、飽くまでウィーンで習って来た発声で、でもいつでも歌えるようにしておいてください」
とかなり難しい注文(笑)だったので、自分でも1回のスタジオ練習でパミーナのアリアだけは軽くおさらい程度にしていた。高音域のパッセージは確実に歌えるようになった事、中高音域はなるべくピアニッシモで息の流れに留意しながら歌う事が出来るようになった事もあり、通して歌った後で谷岡先生から、
「殆ど問題無いわね」
との評価を頂いた(驚)日本のパミーナ・ファンが聞いたら激怒しそうな私のパミーナ(爆)パミーナに関しては、録音も映像も一切観ないし聴かない事に決めた。マティスもポップもボニーも、私が聴いたり観たりしても全く参考にも勉強にもならないし、逆に余計な事や勘違いな事を真似しかねないと自分自身判断した。だって声質が全然違うんだから。この事に関しては谷岡先生も納得されている。だからマティスやポップやボニーの録音や映像を観たり聴いたりするくらいなら、楽譜だけと向き合いウィーンのB先生曰く「自分自身の感性と解釈」でパミーナのアリアを勉強した方が余程私自身のパミーナを作り上げて行く事が出来るだろうと考えた。どうやら今日の谷岡先生の反応を見る限りでは、その選択は間違いではなかったようだ。音域も高低差がかなり激しく決して歌い易いアリアでは無いのだが、私自身スザンナのアリアを歌う何十分の一も苦に思わないで歌っているのが非常に不思議なのだが、谷岡先生も、
「パミーナ、歌うの楽でしょう。だって、楽そうに歌ってるように聴こえるもの(笑)」
と一言(爆)でも、私がパミーナを開き直ってここまで何とか歌えるようになるまでに、相当傷ついたし悩んだし苦しんだし混乱もしたし、第一私のパミーナを良いと言ってくれるのは日本では谷岡先生しかいないですよ〜という事を話したら谷岡先生は笑っていた。谷岡先生から、
「敢えて言うなら、フレーズの終わりの音が声の流れが止まってしまいがちだから、フレーズの歌い終わりの処理をもっと息や声が流れるように工夫が必要。今度からはそこの所に気をつけて練習してみて」
と指摘された。
私が、一度ハリセン先生にもパミーナをレッスンで聴いて頂いた方が良いのでは?という事を谷岡先生にお話しした。ハリセン先生はタミーノを得意とされているから。でも谷岡先生は少し考えた表情で、
「う〜ん・・・でもハリセン先生はパミーナに偏見持ってるからね〜。自分が軽めのテノールだからどうしても一緒に共演するパミーナはコロラトゥーラかレジェーロに近いパミーナを基準に評価しちゃうからね。」
・・・・・・・・・・。あはははは(滝汗)確かにそうだわ(爆死)そりゃ〜御尤も。だって私だってもしも私がパミーナ歌うとしてタミーノを共演者として選ぶなら、恐らく日本人ではしっかりした強めで太めのテノールでないとバランス悪いし、もっともっと限定されてしまう(苦笑)まあ、私が舞台でパミーナを歌うなぞ死んでも有り得ない事なので心配は不要だが、選択基準の話としては恐らく谷岡先生の仰る通りだろう。とゆ〜事で、私のパミーナのアリアをハリセン先生に聴いて頂くのはもっと後の事になった。

そして本日のメイン、今日は1曲くらいは谷岡先生にモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラのアリアを聴いて頂きたいと意気込んでレッスンに来た(笑)谷岡先生にも、来年ウィーンのN先生のレッスンには是非是非パミーナとドンナ・エルヴィーラのアリアを持って行きたい事を話した。スザンナは不十分極まり無いのだがドンナ・エルヴィーラの勉強と練習もすでに開始しており、ドンナ・エルヴィーラはアリア3曲ともウィーンのN先生のレッスンに持って行く考えでいる事を話した。何しろ、パミーナもドンナ・エルヴィーラもウィーンのN先生からレパートリーとして課題を戴いた役柄だ。もう10年以上も前からドンナ・エルヴィーラをいつかレパートリーにする事を目標としていたので、増してドンナ・エルヴィーラをウィーンでレッスンを受けられるとなれば力も籠るというものだ(猛爆)とゆ〜事でまず1曲目ドンナ・エルヴィーラ登場のアリア「Ah! Chi mi dice mai」を歌った。このドンナ・エルヴィーラももれなく、兎に角モーツァルトのオペラアリアは音域の高低差が非常に極端に動く。時には1オクターブ以上音が飛ぶ事もあるので、本当に歌うのに骨の折れるアリアである。が、しか〜しっっっ!!!ドンナ・エルヴィーラは意地でもウィーンに持って行く覚悟である。早速歌います(のだめ風)で、ドンナ・エルヴィーラ登場のアリアを歌い終わった途端、谷岡先生が、
「歌うの楽でしょ!!!、楽だよね〜、楽そうに聴こえるもの(笑)やっぱりハマり役ってあるんだよね〜・・・。歌い易いでしょう」
・・・・・・・・・・。谷岡先生の仰る通りで(爆死)やっぱり自分で練習した時の印象通り、谷岡先生も私が歌うドンナ・エルヴィーラはかなりハマってると思われたようだ。早速2曲目「Ah!fuggi il traditor!」も歌う事になった。この曲は・・・かなりリズムと休符が不規則で難しく、まだメトロノームを使用しながらのディクション練習の段階だった。谷岡先生のピアノ伴奏に付いて行くのがやっとこさ、みたいなカンジだったのだが最後のアジリダのパッセージは全然楽に歌っているように聴こえたという事だった。そこで谷岡先生から、
「このアリア、リズムや休符がかなり不規則で難しいアリアなんだけど、ドンナ・エルヴィーラが何を言っているのか何を訴えようとしているのかをきちんと理解出来れば、この一見複雑なリズムや休符もそれ程難しくはなくなると思う。言葉の意味やドンナ・エルヴィーラの心情を良く理解しようと努める事が大切」
と指摘戴いた。こういう御指導を戴くと、本当に谷岡先生に出逢えてレッスンを受けている事で自分は幸せ者なんだなあぁ・・・と感動する。今後はドンナ・エルヴィーラの録音や映像を観たり聴いたりする時にも心構えが違って来るというものだ!!!ますます気合が入る(爆)そして、最後のアリア「In quali eccessi,o numi,〜Mi tradi quel l'alma in grata」も歌う事になった(爆死)ちなみにこのアリア、本日は歌う予定ではなかったのでかれこれ1ヵ月以上おさらいしていない(自爆)まあ、細かい譜読みがまだなのでレチタティーヴォは流石にボロボロだったが(号泣)やはりアリアはいつも観ているキャロル・ヴァネスの映像が非常に素晴らしいからだろう、マジで苦しいと思わずに歌えた。流石に連続夜勤の疲労も取りきれていない上に今日はモーツァルトのオペラアリア6曲目(死)それなのに、やっぱり谷岡先生からは、
「楽でしょう!!!だって楽そうに歌ってるもの!!!だって楽そうに聴こえるんだもの!!!一番高い2点hもちゃんと出てるし!!!」
・・・・・・・・・・。言葉が出てきませんでした。要するに谷岡先生が聴いてもウィーンのN先生の眼力は流石で見事にウィーンで指摘された役柄は私のレパートリーとして適役、という事らしい。スザンナとツェルリーナは例外、若しくは私の「嫌い病」だろうけど(苦笑)ドンナ・エルヴィーラのアリア3曲歌い終わって谷岡先生から指摘されたのが、
「ドンナ・エルヴィーラは、後は如何に美しく声の響きを磨いて歌うか、だわね」
と言われた。先日私がブログに書いた通り全く同じ事を谷岡先生に指摘された。要するに、私がドンナ・エルヴィーラを確実にレパートリーにして歌うために必要な事は「美しい声の響き」である。それ以外余り余計な事は要求されない。非常に単純だが、恐らく最も大変かも知れない。スザンナやツェルリーナのように、キャラクターが合わないとか好き嫌いなどの言い訳は一切通用しない、先生方だけでは無く自分自身にも。それは即ち要するに「歌えなければ、演奏会で失敗すればそれは全て自分の怠慢」という事になる。嗚呼、恐ろしい(笑)

ようやく本日のレッスン終了。占めて1時間半(爆)よくもこの疲労困憊の中1時間半モーツァルトのオペラアリア6曲歌ったもんだ。みんな他の人もこんなハードでシビアなレッスンしてるのかな、特にプロとか。

谷岡先生とまた少しお話した。谷岡先生は私の今日のモーツァルトのアリアを聴いて話して下さった。
「私の大学時代の先輩でね、綺麗なコロラトゥーラのソプラノの人がいたんだけど、ウィーンのN先生の所にベッリーニの「夢遊病の女」のアミーナをレッスンに持って行ったらN先生から「NO!」と言われて、かなり落ち込んで混乱した挙句にウィーンのN先生のレッスンに行くのを辞めてしまった人がいるのよ。N先生から見たら、あなたはパミーナで私(谷岡先生)はパパゲーナなのよね。やっぱり、日本とウィーンではレパートリーに対する物差しが全く違う。でも、あなたは、ミルヒー先生にレッスンを受けているヴェルディなんかはN先生のレッスンに持って行こうとしないで、私とのレッスンで勉強した曲だけをウィーンに持って行こうとしているでしょう。それはとても賢い選択だと思うわ。」
との事だった。先日、オクレール先生とヘンデルのリサイタルのピアノ合わせをした時に、オクレール先生からウィーンの事を少し聞かれた。私は、ウィーンの先生からモーツァルトのオペラの役の課題を沢山出されちゃったんですよ〜とか話したのだが、オクレール先生が、
「それって、例えばCome scoglioとか???」
と聞かれた。モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージはミルヒー先生とこれからレッスンする予定だが、ウィーンではフィオルデリージは違うみたいですよ〜とオクレール先生に話したら、オクレール先生は少し驚いたらしく、無言だった(苦笑)その話を谷岡先生にしたら、やっぱり黙って頷いていた。
谷岡先生は、
「本当はね、スザンナをきちんと歌えるようになってからドンナ・エルヴィーラを歌う方が私的にはお勧めなの。その方が今よりももっともっと楽にドンナ・エルヴィーラも歌えるようになると思うから。でもね、あなたはスザンナ好きじゃないし、仕事も大変だし喘息もあるし、今スザンナを続けてやったら、ただ苦しい辛い時間が増えるだけになっちゃうと思うのよ。だから、スザンナは置いておいてドンナ・エルヴィーラから始めるのもあなたの場合はアリかなって思う。でも、今後も少しづつでもスザンナは歌い続けた方が良いと思う」
との仰せだった。はい。今集中的にスザンナ勉強しろって言われたら、今度こそ真の「モーツァルト嫌い」になってモーツァルト歌えなくなっちゃうと思う(笑)私自身スザンナの勉強は細々とでも続けるつもりだし、ただ今後演奏会本番に乗せたりウィーンのレッスンに持って行くかどうかについては考えていないけど(爆)

次回のレッスンからは、折角だからドンナ・エルヴィーラを丁寧にレッスンして行きましょうという事になった。
3年前、半ベソかきながらハリセン先生に怒られながらモーツァルトを歌っていたとは思えない展開になって来たなあぁ、あははははは。
最後に、ウィーンのM先生がモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナのアリアを1曲だけN先生に極秘でレッスンを引き受けて下さった事を話して、ウィーンのB先生が私の声に合わせて選んで送って下さったウィーナーリートの楽譜3曲を谷岡先生にお渡しして帰って来た。

今日はまた、キャロル・ヴァネスのドンナ・エルヴィーラを観てから寝ようっと♪

地獄の23日間

9月、昨日までの23日間で当直7回で夜勤を14日行っていた計算になる。日勤は僅かに3日。そのうち1日は喘息発作を起こして欠勤。
ヘトヘトのボロボロだった。夜勤の合間、自宅でビールの蓋を開けて2〜3口呑んではテレビもパソコンもつけっ放しで気絶、目が覚めて夜勤に行くとゆ〜相当に悲惨な23日間だった。
しかも、その合間にミルヒー先生のヘンデルのレッスン、オクレール先生とのヘンデルのリサイタルの全曲ピアノ初合わせ。
きちんと休めた日は喘息発作を起こして病院で点滴をしていた1日だけ。
酒も殆ど呑めない。呑んでもビールや発泡酒くらいで、日本酒やワインやウイスキーを呑むと動悸と胃痛が起こったくらいだった。
その地獄のよ〜な23日間も昨日でようやく終了。後1日夜勤はあるのだが、流石に今後3〜4日は休日と日勤なので多分大丈夫だろう。

この状況に文句を言っても仕方が無いのは重々承知している。
まず仕事に関してだが、看護師が楽な仕事では無いのは当たり前である。しかも、私は病棟では経験年数的にポジションが上から数えて4番目。病棟課長・病棟主任・先輩看護師はただ一人、と言ってもその先輩看護師も私より経験年数が数年長いだけで同い年。後輩看護師や准看護師や派遣看護師の方が遥かに多い。つまり病棟課長や病棟主任が不在の時は管理業務をこなし、日勤ではほぼ全日リーダー業務をこなしながら後輩の指導に当たり、しかも夜勤が多いとゆ〜超御勘弁願いたいポジションなのだ。それでも声楽の勉強をしているので、会議や委員会や研究会等は全てお断りしている。それでも尚、この激務。
本当に文句を言っても仕方が無い。この職業の収入だからこそ、声楽の勉強にこれだけの時間と金をかけられるのだから。でも、愚痴はこのブログでしか言えない・・・・・(滝涙)

今日は連続夜勤が一段落して超久々の2連休。本来なら1日くらいはゆっくり寝て身体的にも精神的にも疲労を少しでも取れるよう休養するのが良いに決まってるが、私の場合そんな戯言は言っていられない。
何しろ、ヘンデルのリサイタル本番まで既に3ヵ月を切ってしまった。先日のオクレール先生との初ピアノ合わせでは、かなり細かい修正チェックが厳しく入った。特に、細かい装飾音符や、レチタティーヴォのリズムや休符の取り方など、どう歌えば曲の表現に繋がり尚且つ表現が豊かに聴こえるのか、というかなり高度な御指導がオクレール先生からなされた。相当にしんどかったが、高度な要求をされるという事は、その分去年のヴェルディよりも自分自身進歩向上した証、と力無く希望を持つ事にした(超苦笑)
今日は夕方から3時間スタジオ練習。流石に休養が必要で体が全く動かなかったのでスタジオ練習ギリまで爆睡、スタジオに向かう途中の駅前で病棟の後輩看護師に声を掛けられた。私は全く気が付かなかったのだが、後輩看護師は心配そうに私に声を掛けて来た。余程、ボ〜〜〜〜〜ッと漂っていたらしい(激爆)
スタジオに着いて、取り敢えず先日のオクレール先生とのヘンデルの全曲合わせで指摘・修正された箇所をおさらいし直した。9曲あるので全曲通して歌っている時間は無い。オクレール先生から修正するよう御指導頂いた箇所だけをピックアップして丁寧にチェックしながら歌った。特に、レチタティーヴォのリズムや休符、アリアの繰り返し部分で装飾音を付け加える部分など、こ〜ゆ〜トコロがバロックの難しい所以なんだなあぁ・・・と改めて思い知った。オクレール先生はピアニストなので、ミルヒー先生からは指摘されないような細部にチェックが入った。やっぱり器楽の演奏者は違うんだなあぁ・・・(溜息)一通りヘンデル9曲、オクレール先生にチェックされた箇所を練習しただけで既に2時間以上経過していた。今日は余り合間の休憩も入れていない。その分声帯への負荷を減らすため余り声量は出さずに座りながら軽めに声を出した。部分的なチェックだけでも2時間が経過してしまった。やはり、勉強している曲数に比べて練習時間3時間は非常に短い。しかし、4時間の練習に戻してしまうと、特に今の仕事の身体的疲労度を考えれば何時また風邪をひいて喉を痛めるのかが懸念されるので、ここは無理出来ない。

実は、27日に久しぶりに谷岡先生のレッスンが入った。8〜9月は私自身ヘンデルのリサイタルの練習に集中していたしオクレール先生との初合わせである程度ヘンデルのリサイタルの目途が付くまではドイツ歌曲に気持ちが向けなかった。今月に入ってからは谷岡先生の御都合と私の休日が折り合わずレッスンがかなり開いてしまった。谷岡先生のレッスンで早くモーツァルトのスザンナのアリアを終わらせて、次はモーツァルトの「魔笛」パミーナのアリアや「ドン・ジョバンニ」ドンナ・エルヴィーラのアリアの勉強を始めたいし、来年もウィーンに行く予定なので、ウィーンのB先生の宿題のシューベルト歌曲の勉強やヴィーナーリートの勉強も始めなくてはならない。本当は今日はヘンデルの9曲チェックが終わったら、モーツァルトのアリア5〜6曲の譜読みをしたかったのだが、ヘンデルのチェックが終わった時点でスタジオの残り時間40分(爆死)明日もスタジオ3時間練習でモーツァルトのアリア、特にスザンナのアリアをメインに練習する予定だったので、今日は諦めてモーツァルトは2曲だけ譜読みする事にした。
初挑戦、「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラのアリア2曲♪と言っても、もう10年以上も前の話なのだが、私がまだ今よりも全っ然歌えていなかった時に二期会のメゾソプラノの先生にレッスンを短期間受けていた時に一度だけドンナ・エルヴィーラのアリアのレッスンを受けて見た事はあるにはあるのだが、今の私の歌唱レベルから考えたら、あの頃歌ったドンナ・エルヴィーラは経験の内には入らない。歌ってみただけ程度になってしまうのは致し方無い事である。とゆ〜事で、ほぼ初挑戦のドンナ・エルヴィーラのアリア2曲。ドンナ・エルヴィーラ登場のアリアと「逃げなさい、裏切り者から」の2曲の譜読みを行った。
はっきり言って、かなりイケてると思うドンナ・エルヴィーラ(激爆)こんなに歌い易いモーツァルトはマジで初めてだ(猛爆)自分の声をモーツァルト「風」にどうにかしようと余計な事は何もする必要が無い。自然に自分自身の持っている声だけで歌う事が出来る!!!こんなモーツァルトは初めてだ。ツェルリーナやスザンナは苦手意識も強く、その上「嫌い」に近い印象を持っている。勿論自分自身の声質や役柄のキャラクターが私自身のものとはかなり違うという違和感も強く、その上他人様から色々批評されているので今練習しているスザンナなどはほぼウンザリしながら練習していたのだが、ドンナ・エルヴィーラは違う!!!
まず、曲自体がドンナ・エルヴィーラの怒りを表現している構造になっているので、敢えてドラマティックにとか怒りの心情を込めたりとか、そういう余計な事は一切しなくて良い。私の声でドンナ・エルヴィーラを歌うなら敢えて慎重にする事と言えば「綺麗に声を響かせる」という事に尽きると感じた。それくらい余計な事を一切取り除いて楽譜通りに自然に無駄な力を一切使わずに歌う事、これが私の歌うドンナ・エルヴィーラだと思った。無論、アリアの難易度は非常に高い。私が所有しているDVDでドンナ・エルヴィーラを歌っているキャロル・ヴァネスはいとも軽々と歌っているが、当然私の場合は相当歌いこむ必要性がある。しかし、流石ウィーンのN先生!!!私の声のレパートリーにドンナ・エルヴィーラを挙げて下さった眼力は超越していると思う。是非是非、来年ウィーンに行く事が出来るならばN先生のレッスンに必ずドンナ・エルヴィーラを持って行かなければならないし、ある程度ウィーンのN先生からの評価を得たいと真剣に考えている。ドンナ・エルヴィーラは早くレッスンを受けたいし、出来れば早い段階で演奏会本番にも乗せたいと思う。来年、千葉のヤンクミの演奏会ではヴェルディを歌う予定で選曲もしていたが、このドンナ・エルヴィーラを含むモーツァルト・プログラムに変更しようかと真剣に考える事に決めた。最も、谷岡先生が私のドンナ・エルヴィーラを聴いてどのように評価されるかにも拠るのだが。

何だか、一気にモーツァルト苦手意識が治ってしまった(自爆)これからは頑張ってモーツァルトの勉強してガンガン歌って行こうと思う(核爆)
今、もの凄く疲労困憊なんだけど、今歌う事や歌う勉強を絶対に休みたくない。どんなに辛くても歌い続けたい。勿論言うまでも無く、今のペースで歌い勉強続けたら来年ウィーンのレッスンから帰って来た頃には倒れるかもね〜(笑)でも、倒れた時の事は倒れた時に考えよう♪ちなみにそれで息絶えたら、それが寿命という事で結構♪

素晴らしい発見の一日だった。

ヘンデル初ピアノ合わせ・・・・・(滝汗)

今年一番不幸な一日だったよ〜な・・・・・。
まず、今月は昨日まで夜勤10日とゆ〜事で、ほぼ昼夜逆転の日々で疲労困憊、体は鉛のように重く眠気で生あくびばかり出て物忘れも激しく食欲は無いが酒ばかり呑み、気持ちばかり焦って不眠の日々。
しかも今日はかなり運悪く、ピアニストのオクレール先生との合わせが夕方18:30〜だったのに、発声練習のためのスタジオが12:00から1時間しか取れなかった。発声練習後、オクレール先生が本番会場のギャラリーカフェに到着するまで寝てるワケにもいかず、来年ウィーンのB先生のレッスンに持って行く予定のシューベルトの歌曲5曲を楽譜造りしていた。ドイツ語の日本語訳と発音記号と強弱記号&指示記号を書き込む事5曲。しかもオクレール先生はスケジュールが押してしまったらしく約20分の遅れでギャラリーカフェに到着。今日はもともとギャラリーカフェでのピアノ合わせは社長の御厚意でイレギュラーな事だったので、事前にチョコレートの御礼差し入れを持って行ったのだが、ギリギリ正解だったらしい(虚脱)
昼夜逆転・睡眠不足・疲労困憊・練習時間のズレと、悪循環が重なった。その上、ミルヒー先生からは、
「全部9曲ぶっ通しで歌わないでね!!!!!!!!!!」
と散々言われていたのだが、時間の都合で結局9曲ぶっ通しで歌わなければならなかった。ゴメンなさああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・い。ミルヒー先生(自爆)
とゆ〜ワケで、体にも脳味噌にも声帯にも思いっきり鞭打ったかなりシビアでハードな初ピアノ合わせになってしまった。こんな事なら、楽譜造りはシューベルトの歌曲3曲くらいで止めときゃ良かった・・・と思うのだが、後2曲ベートーベンと3曲ウィーナーリートの楽譜造りが、まだ私を待ち受けているのだ・・・(滝汗)

会場のギャラリーカフェに到着したオクレール先生と、まずピアノの位置の打ち合わせ。オクレール先生はギャラリーの中をくまなく口笛を吹いて歩いた上に私に立ち位置を指定して声を出させた。結局オクレール先生の音響判断の結果、前回のドイツ歌曲のリサイタルの時とほぼ同じピアノ位置に決定した(笑)
予定よりも少し遅れて来たオクレール先生はかなり焦っていたらしい(ように見えた)ので、早速ピアノ合わせに移った。
会場のギャラリーカフェは場所の見た目以上にかなり響きが良い所なので、オクレール先生からは、去年ベッリーニの歌曲&ウェルディのアリアを歌った時よりも、音楽的な事よりも発声的な注意点が多かった。オクレール先生の台詞で一番多かったのが、
「ここは響く場所だから、もっと場所の響きの力を借りて、このホールの響きに助けて貰って、自分で声を抱えてないで声の響きを体から離しなさい」
という事だった。去年は、何か言いたそうな顔をしながらもミルヒー先生の御指導以上の事は余り言わなかったオクレール先生だったが、今年は何言われっかな〜〜〜???と戦々恐々だったが(超苦笑)まあ、発声に関して言うと、これはミルヒー先生にも指摘された事なのだが、普段からミルヒー先生のレッスンも含めて自己練習のスタジオはギャラリーカフェの何十倍も「響かない」スタジオ環境らしい。だから、いざ声や音が響く環境では私は「声を出し過ぎ・押し過ぎ」の傾向になってしまう事はミルヒー先生からも指摘されていたし自分自身良く認識している。それと、疲労困憊の体が自分の思い通りに動かない。これは、今日1年以上振りにピアノ合わせしたオクレール先生には全く言い訳にならない事なので、不幸な現実として目を瞑る(笑)まあ、でもオクレール先生も私が夜勤漬けなのは御存知なので良いと思う。
結局、途中オクレール先生から発声練習も御指導頂いた事と、今日歌った立ち位置がエアコンの真下で風を直撃だった事も手伝い、自分で立ち位置をビミョ〜に調整してはいたのだが、いつもは3時間自己練習していたはずなのに、早くも7曲目から声帯疲労が出始めた。まず低音域の音量が減った。ヤバイな、と思ったがオクレール先生の手綱は緩まなかった。だんだん音程が不安定になって来る、特にアジリダの部分。バロックを歌うならそれ程複雑で超高音域ではなくともアジリダは避けられない。これがバロックや古典の厳しい所以だと考えているし、今後自分が歌って行くレパートリーを考えると今ここで踏ん張って歯を食いしばるしか無い。それでもオクレール先生から、最後に歌ったヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア「苛酷な運命に涙を流し」のアジリダは、
「良く声が回っていたと思うよ」
と言って頂く事が出来た。前回のミルヒー先生のレッスンでは、自分では全く納得がいかずに何度もミルヒー先生にやり直しをお願いして、帰りはあんまし悲しくて呑みながら、次のオクレール先生のピアノ合わせをどうしたら良いのか途方にくれた事もあった。こんなちっちゃな事一つでも、人間これから頑張って行けるもんなんだなあぁ〜と感動した(爆死)
取り敢えず、一番問題になったのはオペラ「リナルド」のリナルドのアリア「愛しい花嫁」だった。まず、歌うテンポが遅すぎる、息が流れていないし回っていない、アタックが弱い、その割にロングブレスだけは良く続く、という貶されてるんだか皮肉なんだか(核爆)とゆ〜事で、もっとテンポとゆ〜か流れをアップした歌い方に慣れるように練習しなければならない。
それから、特にレチタティーヴォに言えるのだが、リズムもテンポも変化に乏しく表情や表現が見えて来ないとゆ〜事。これは、特に「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラに見られる傾向で、やはりDVDなどの映像を勉強しなければならないだろ〜なあぁ・・・と痛感した。
ギャラリーカフェの閉店時間を30分以上も超過して初ピアノ合わせはようやく終了。ギャラリーカフェの社長に只管頭を下げて帰って来た。嗚呼、チョコレート差し入れしといて良かった(号泣)

ちなみに、余談。
ピアニストのオクレール先生は男性なのだが、もともとピアニストしながら合唱団のヴォイス・トレーニングも少し指導していらっしゃると伺っていたのだが、今日ピアノ合わせをしていて私の発声を御指導頂いたのだが、結構なお美しいカウンター・テナーだった(卒倒)声の響きがとっても綺麗!!!私の声なんかよりもよっぽど綺麗!!!余りの綺麗さに自分の声は放っておいてしばし聴き惚れていた。
つくづく、私の声って美しくないなあぁ、良くもまあクラシック歌ってるなあ、いっその事元に戻って、へヴィメタ&ハードロックに戻った方がいいのかなあぁ、と痛感した。

後ほどオクレール先生に「私よりも全然綺麗な声〜♪」とメールしたら・・・・・・・・・・、
「ピアノがヤバいから、ソプラニスタでデビューしようかな???」
と、返信メールが返って来た。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一人呑み屋で、周囲の不審を買わないように爆笑するのに大変苦労した(猛爆)

確かに、ヘンデルのオペラ「セルセ」の「懐かしい木陰よ」なんか歌ったら、私より断然良いと思う(死)

嗚呼、疲れたけど楽しいピアノ合わせだった♪

「選曲」という「英断」

この「選曲」というテーマも、私自身のブログはさて置き他のクラシック音楽関連の特に演奏者のサイトでも、ゲロが出る程扱われ過ぎていてちっとも面白くも糞も無い話題なんだけど、幾つかの記事を読んでいて流石に呆れるとゆ〜か常識が無いとゆ〜か演奏者の主体性が無いクセこいて聴き手に媚売ってるとゆ〜か。まず第一に自分自身日本では歴史も知識も認識も知名度も浅いクラシック音楽というマイナーな音楽を演奏し、尚且つそのマイナーな分野を自分自身が厚かましくも教師と称して技術を切り売りして生活の収入を得ているという自覚も認識も謙虚さも覚悟も、相変わらず無いんだなあぁ・・・・・(呆)といういささかゲロ吐きそうなくらい食傷気味なのでこのお題で書いた。
演奏会や発表会の選曲は、金を取らないならフリーでOKだし金を取るなら金を払ってくれる聴き手の方々に配慮して然るべきで金を払ったのに知らない曲ばかりだと批判されたくないのなら日本が知ってる日本人曰く有名な名曲をプログラムすれば良いしそのような教育を生徒を持って授業料を取っている先生とやらがそのような指導をきちんとすれば良いだけの話である。無論、誰も知らないマイナーな曲を演奏したいなら聴き手の評価を期待したりアテにしたりなぞ決してしないような教育も必要不可欠で、そのような決意と決断力を育てるのは日本のクラシック音楽の教育には不必要だとでも思っているのだろうか???と、最近のブログを読むと相当に呆れ果ててしまう。聴き手が普段は自分自身の生活圏とは掛け離れたクラシック音楽の演奏会、オケなり弦楽なり金管なりピアノや歌なり、そこでいきなり聴いた事も無いしかもクラシック音楽に無縁な人間が「音」を脳で判別する限度を遥かに超えた曲を演奏して拒否反応を示す事を、ただ単に高尚な埋もれた名曲を演奏する自己満足と比較批判するという馬鹿げた慣例が未だに存在する事が不思議でならない。
私は今まで自分が歌う事に際して金を貰った事は一度も無いし、今後も自分自身が歌う事で金を貰う事は私が生きている限り生涯あり得ない。これは私自身の決定事項であり決して覆さない。ちなみに今年の12月のヘンデルのリサイタルでは、主催のギャラリーカフェのプロデューサーや以前私の歌を聴きに来てくれた友人から「お金を払って貰っても良いのではないか?入場料として高額でなければ良いと思う」とアドバイスは頂いたが、丁重にお断り申し上げた。
理由としては、自分自身のプロフィールに先生方のお名前を載せていない、要するに日本の先生もウィーンの先生も含めて自分の経歴としてアピールする気が無い事、集客意欲が無い事、つまり例え一桁のお客様人数であっても全然OKな演奏会であり続けたい事、例えマイナーな退屈な曲であっても日本人が好きな曲であっても聴き手の意思とは無関係に自分自身が歌いたい曲だけを歌い続けたい事、他人の評価とは別として自分自身の「声」が金を貰える「歌」だとはおふざけにも思えない事、納税処理がウザい事、そして一番は「自分の声や歌で金を貰わなくとも生活出来る稼ぎがある事」である。

日本では「イケてない」クラシック音楽を演奏するクセに金をせしめてその上誰も知りもしない曲を演奏するのに疎い聴き手に自分の耳に心地よい評価を期待するって、音楽の神様に地獄に落とされるかも〜とか思わないのかな???かなり不思議で仕方がない。じゃあ、日本では殆ど演奏されない曲を自分で本場の海外に行って演奏してそれなりの評価を貰えるのかい???と問えばそうでない人間の方が殆どではないのか???

もうちょっと聴き手に配慮するか金を貰う事に謙虚になるか、どっちか片方でもいいから少しは頭をお使いになっては如何じゃあないの???という演奏者が余りにも多すぎる、吐く程多すぎる。ブログを読んでいても気分不快著名。

何が何でも埋もれた名曲を演奏したいなら、聴き手の評価だの身入りは無視しても演奏して然るべきだろうが。大体にして、モーツァルトだのベートーベンだのシューベルトだの、その当時の作曲家の生活をちゃんと音楽大学で勉強して来たのかい???そんなの音大に行ってない私だって知ってるわ(爆)作曲家に対する演奏家の意志なり精神なり、時代は違ってもクラシック音楽の演奏者を自称するのであれば受け継ぐ事を目指したりはしないものなのだろうかいな???

不遜も傲慢も強欲も、大概にして戴きたいものだ。
クラシック音楽の演奏者としてどのような選曲をするべきか、そして自分自身の選曲にどれ程の意志の強さと意思決定の自己責任が重大なのかを、教師なら自らの身を以って教え諭すのが、そして自らも生徒から学ぶ姿勢が必要不可欠なのではないのか。そう考える人っていないの???

もう、マジでゲロが出そう♪お腹一杯御馳走様(爆死)

ピアノ伴奏初合わせ直前レッスン

今日で9月も半分が過ぎた。9月に入ってからもう夜勤(当直)を4回もやっている。日勤は僅か2回。昼夜逆転。思いっきり夜行生活を強いられている。このままではボケるのではないかと・・・(滝汗)
19日夜に今年12月のヘンデル・リサイタルのピアノ伴奏をしてくださるオクレール先生と本番会場のギャラリーカフェで初合わせをする事になったので、毎日戦々恐々としている(笑)今日は夜勤の合間の休日で、ピアノ合わせ直前のミルヒー先生との調整レッスンだった。
朝起きたら超ダルダルで体が動かないし眠いし眩暈はするし吐き気はするし頭痛はするし微熱はあるし、でもレッスンに行かない訳にはいかないので、ほぼ寝ぼけ状態で自宅を出た。レッスンのため都内のスタジオに到着したら、話し声がかすれていたのでミルヒー先生に超心配されてしまった。兎に角、夜勤が多くて休養が取れないので体調管理が大変なのだが、幸いこの時期喘息発作は落ち着いているし、19日にはオクレール先生とのヘンデル初合わせで、しかも会場のギャラリーカフェで行う事になったので、ヘンデルのオペラアリア9曲ぶっ通しの初合わせになるので、今日のレッスンに這って来た事を説明した(超苦笑)
レッスン約1時間なのだが、今日は疲労困憊なので3〜4曲のレッスンで留めておこうと考えていたのだが、発声練習で殆ど問題無く、疲労でかすれた話し声の割には歌う声はきちんと出ていたので、ほぼいつものペースでレッスンを行い、結局9曲のうち6曲レッスンを行った(大汗)流石に息切れした。それでも殆ど大きな問題も無く、途中少し休憩時間を頂いたくらいでほぼ1時間ぶっ通しでヘンデルのアリアを6曲歌ったのだけど、流石に今日はマジで死ぬかと思った(笑)
ミルヒー先生から、ヘンデルはかなり良い状態であると言って貰えたのでこれで何とかオクレール先生との初合わせには体調に最大限留意して臨む事でまず安心だという事になった。休憩している時に、先日自己練習の時にミルヒー先生に勧められたモーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」を譜読みした事を話した。かなり大変で難しいし、どう歌って良いものやらさっぱりワケわかめだった事を話したのだが、ミルヒー先生曰く、
「こんなに難しいクレオパトラがちゃんと歌えてるんだから大丈夫よ!!!ちゃんと歌える、歌える(笑)勉強頑張りましょうよ!!!」
と励まされた。3年前には、ミルヒー先生からフィオルデリージのアリアの勉強を勧められてはいたものの、一体どんな歌い方をするのやら・・・みたいなニュアンスの事を言われていた。私自身の発声や歌唱がこの2〜3年の間でかなり変わったんだなあぁ・・・と実感した。フィオルデリージを大丈夫と言われるようになるなんて・・・嬉し過ぎてちょっとだけ涙が出そうになった(苦笑)
レッスン終了後に、ミルヒー先生からなるべく早めにオクレール先生と一緒にレッスンに来て、特にクレオパトラについての伴奏との調整レッスンをしようと勧められた。19日のピアノ伴奏初合わせでオクレール先生が私のヘンデルを聴いてどのように感じて何を仰るのかは解らないが、取り敢えず今後はピアノ伴奏との調整と今回初めて歌う曲の暗譜が課題となるであろう事はまず間違い無いだろう。
兎に角少〜しだけホッとした。

レッスン帰りに青山のカワイに行って「ヘンデル・オペラセリアの世界」Winton Deen著を購入した。ついでにロベルト・シューマンの本も探したのだが、何しろどの本も歌曲の解説が余りにも少なすぎて話にならなかった。来年はロベルト・シューマンのメモリアルイヤーなので、何か新しい著書が出版されれば良いのだが・・・。谷岡先生に相談してみなければならないだろうし、一応来年ウィーンに行った時にM先生に相談してみようと思う。下手をすれば、英語かドイツ語の解説書を読みなさい〜♪とか言われかねない・・・かも・・・知れない(蒼白)

それにしても、も〜少し夜勤は減らないものだろ〜か・・・・・・・・・(滝涙)

こらあああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜・・・・・!!!!!病棟課長、何とかしてくれえええええぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜・・・・・!!!!!

爆死。

追悼 ヒルデガルド・ベーレンス

夜勤が終わって帰宅後、殆ど眠らずにMETのワーグナー「ニーベルングの指環」のワルキューレと神々の黄昏を観た。途中、眠さで何度か気絶していたが(苦笑)取り敢えずベーレンスのブリュンヒルデを久しぶりに観た。
涙が溢れた。止まらなかった。去年、草津国際音楽アカデミーでお会いしたベーレンスは白髪だったが、ブリュンヒルデを歌うベーレンスは茶色の髪で若々しかった。草津でのマスタークラスでは、ベーレンスは指導は行ったが歌わなかった。それでも、ベーレンスの指導は的確かつ明瞭で、ベーレンス御自身が知らないと思われた曲であっても丁寧に御指導されていた。穏やかな物腰でにこやかで、聴講に訪れていたのは私一人だけだったのだが、何度か笑いかけて下さったのが嬉しかった。言葉は交わしていないが、ベーレンスの指導を通訳していたピアニストの言葉を、なるべく漏らすことのないようにマスタークラスの講義中に、ずっとメモを取っていた。

私が残念な事は、ベーレンスのレッスンを受けられなかった事では無いのだ。昨日のブログにも書いたが、たった一日だけ、夜勤明けの疲労困憊の体を引き摺って長い時間電車を乗り継いで、ベーレンスのマスタークラスを聴講に行った事の真の意味や意義を、私自身いまだに理解・認識出来ていない事が腹立たしい。去年を逃していたら私がベーレンスに会う事は永久に不可能だった。
とても重要な意義の一つは、ベーレンスのマスタークラスのレッスンを聴講してウィーンでレッスンを受ける事を自分自身の意思で決定した事。もう一つは、ベーレンスのマスタークラスを受講していた生徒が、ヘンデルの「エジプトのジュリアス・シーザー」からクレオパトラのアリアを歌っていた事。クレオパトラのアリアの1曲「苛酷な運命に涙を流し」は既に私も勉強・レッスンして演奏会で歌った事のある曲だったのだが、もう1曲「敬愛する瞳よ」は、曲自体知らなかった。マスタークラスの受講生がレッスンでベーレンスの指導を受けているのを聴いて、不遜かも知れないが「私にもこの曲が歌えるんじゃないか?」と思い、東京に戻ってから早速録音を探した。結果、今年の12月のヘンデル没後250年リサイタルで歌う事に決定した。最初、早い段階でミルヒー先生に「敬愛する瞳よ」のアリアをレッスンに持って行った時にミルヒー先生から、
「随分難しいアリアだね。これ、本当に歌うの?」
と確認された位だった(笑)そして、この「敬愛する瞳よ」をレッスンしていてミルヒー先生が、
「あなたならクレオパトラらしいもっと怖い声で歌える筈。目指すなら、世界の基準を目標にしましょうよ」
と言われたアリアだった。
勿論、これだけでも十二分にベーレンスのマスタークラス聴講に草津まで出かけた意義は存在する。

ただ、私の疑問というか希望は、やはりワーグナーに関してなのである。
ベーレンスに直接会うという千載一隅の奇跡の意味の中に、ワーグナーは含まれていないのだろうか?

本当に今日は顔が腫れ上がるくらい泣きながらベーレンスのブリュンヒルデを観た。
まだ、ベーレンスのベートーベン「フィデリオ」とウェーバー「魔弾の射手」のCDが残っている。早く聴かないと(笑)それに、これから追悼盤や特集記事など多数出ると思うので、出来る限り観たり聴いたりしたいと考えている。

ヒルデガルド・ベーレンスのあの穏やかな風貌の一体何処から力強いブリュンヒルデが生まれたのだろうか、草津で本当に不思議な気持ちになった事が、今でも強く忘れる事が出来ないでいる。

訃報

今、夜勤から帰宅した所。
今日夜勤の休憩中にネットで知ったのだが、ヒルデガルド・ベーレンスが先月日本で亡くなっていたというのだ。
動脈瘤破裂、都内の病院で、72歳の生涯だった。
ベーレンスと言えば、カラヤン、ベーム、レヴァインなど共演、METやウィーンやその他世界の主要なオペラハウスで活躍した、ヘルデン・ソプラノだった。
私も、METのワーグナー「ニーベルングの指環」のDVDを持っていて、ベーレンスはブリュンヒルデを歌っていた。

去年、ハリセン先生と谷岡先生の勧めで草津国際音楽アカデミーのベーレンスのマスター・クラスを1日だけ聴講しに草津まで行った。ベーレンスはとても穏やかで、丁寧に受講生に指導されていた。とてもお元気だった。

私は、去年の今頃ウィーンでのレッスンを谷岡先生から持ちかけられていた。音楽に関しては高校どころか専門学校も大学も行っていない私は、幾らクラシック音楽、声楽曲やオペラが好きで勉強したい気持ちがあっても海外でのレッスンには難色を示していた。日本語以外は話せない、学歴も知識も勉強する時間も余裕も無い。ウィーンでのシューベルト歌曲のレッスンを勧められてはいたが、かなり気遅れというか怖かった。その時にハリセン先生と谷岡先生が、草津国際音楽アカデミーの事を教えて下さり、尚且つハリセン先生が聴講を勧めて下さった。私自身いつも時間に余裕が無い人間だったのだが、METでワーグナー「ニーベルングの指環」でノーマンと共演し、しかも私の憧れの役ブリュンヒルデを歌った偉大なソプラノ歌手が、ヨーロッパから遠く離れた東洋の島国日本に後進の指導に来ているのだ。ウィーンで外国人が日本人にどのようなレッスンをして貰えるのかを確認するという目的もあり、夜勤明けで電車を乗り継いで草津に向かった。到着したのは夜中近く、次の日早くにベーレンスの公開レッスン会場に向かった。

今、私が一番強く想う事は、もしも去年ハリセン先生や谷岡先生に草津行きを勧められながらも日程調整が付かない事を理由に草津行きを諦めていたら、ベーレンスに逢う事は生涯不可能だった、という事である。ここから導き出される答えは、一つ。私は去年ベーレンスに逢いに行かなければならなかった、という必然的結果論である。私が、去年、たった一日、レッスンを受ける訳でも無く、それでも私は去年たった一日でもベーレンスに逢いに行かなければならなかったのである。もしも去年私が、夜勤を理由に草津に行く事を逃したら、私は永久にベーレンスには逢う事が出来なかった、という事になる。それはまず確実に間違いが無い事である。

去年、たった一日、レッスンを受ける訳でも無いのにベーレンスのマスタークラスを聴講しに行った事には、必ず何某かの重要かつ重大な意義があるのだろうと考えている。一番悔しくて腹の立つ事は、その意味なり意義なりを私自身が理解出来ていない事、見えていない事である。きっときっと、必ず何かしらの意味なり意義なりは存在するのだろう。一番悔しくて腹の立つ事は、自分自身そのベーレンスとの出会いを、客観的に把握していない所である。
「意味はある。ただそれがどういう意味なのかを考えろ」

今は亡き、三原順の言葉である。

本当に間近でベーレンスにお会い出来ただけに、この訃報にはかなりショックだった。クラシック音楽界で72歳は、若い方なのではないだろうか。
何だか、もの凄く悲しい気分になった。
もっと長生きして、日本に教えに来て欲しかったのに。 
合掌。

「クラシック音楽好き」に名を借りた傲慢

今日は休日でスタジオ練習3時間。スタジオ練習を4時間から3時間に減らしてから多少の物足りなさは感じるものの、自分の喉にかかる負荷を考えれば自重するに越した事は無い。今日もモーツァルトの練習。スザンナとパミーナのアリアを練習した。
最近、自分自身の気持ちにようやく落ち着きを取り戻す事が可能になって来たせいか、スザンナを歌う事が以前ほど苦痛で嫌な気持ちにはならなくなって来た。どのみち今後勉強する予定のモーツァルトのオペラ・アリア、ドンナ・エルヴィーラや伯爵夫人、フィオルデリージやドンナ・アンナ、パミーナやイリアなど、どのみち今勉強しなければならない課題を無視して歌えるものではないので仕方が無いといえば当然なのではあるのだが。
やはり一番の理由は、スザンナなりパミーナなり自分自身の声だけで歌えるようになったという現実だろうと思う。他人の好みや感想や批評や比較などの言葉を気にして拘り意に添うよう努めるなどという馬鹿げた芸当をしようと無駄な努力をしなくなった事の意義は大きい。ついでに、名歌手や名盤と言われる録音も意に介しなくなってから、ほぼ自分自身の声とウィーンで学んだ自分自身の解釈と感性で曲そのものを分析・理解して歌唱に繋げようという努力を行うようになった事は貴重な賜物だろうと考えている。
今日の練習で、まあスザンナはやはりキャラクター的に合わないというか違うというか違和感がかなり顕著に目立ったが、自分自身の素の声で歌うならという条件さえ満たせれば別段歌えないという事もあり得ない。何しろスザンナやツェルリーナに関してはもう2004年頃から断続的に勉強してレッスンを受けて来たのだから。自分で歌う練習をしていても、別に興味も愛着も無いのでレッスンに持って来いと言われればそれなりに譜読みはして行く事は出来る。でも、非常につまらないという事は言いえて然るべきであるが(苦笑)
パミーナに関しては、妙な自信というか安心感がある。自信、は不適切かも知れない。強いて言えば「絶対的な安心感」であろうと思う。何しろウィーンでのレッスンでN先生が、
「あなたの声はパミーナの声である」
と指摘された強みがあるからだ。
勿論、日本のクラシック音楽ファン、殊にオペラ好きでコロラトゥーラやレッジェーロなどのソプラノ・マニアにとっては異論の多い言語道断な話しだろう。しかし、現にウィーンで長年オペラや歌曲を歌い後進を育てオペラ評論を書きコンクールの審査員を務めた聡明な先生が、日本から来た学歴も経験も無いただの歌う事が好きな一声楽家に、
「あなたの声はパミーナの声である」
と仰ったのだから、疑う余地も無い。自分自身ようやく今開き直る事が出来るようになってきた。もう「自分の素の声で歌うパミーナで良いのだ」と思えるようになった。マティスもポップもドナートもボニーも聴く必要も無ければ参考に勉強する必要も無い。
最も大切で重要な事は、ウィーンのB先生が仰ったように「自分自身の解釈と感性で歌う」という事なのである。今更ながらようやくその事に気付いた。スザンナでもパミーナでも、自分自身が他の歌い手を参照とするのではなくまず自分自身の声で自分自身がその曲をどう歌いたいのか、作曲家や曲そのものと向かい合い対峙し立ち向かわなければならなかった。
たかだか、ただの他人様に気に入られんがために、自分自身の声をたった半年とは言え無駄にして来た事は、ハリセン先生や谷岡先生、ミルヒー先生やオクレール先生、ヤンクミやピアニスト先生に大変失礼な愚鈍極まりない行為だったと自らを省み深く反省しなければならない。
なによりも、例え誰が見捨てても決して私自身と私の歌声を見捨てる事の無い先生方に対して、なんと不敬な勉強態度だっただろうかと情けなくなる。どの先生方もどのピアニストも、誰が私に対して自分自身の好みを語り誇った事があるだろうか。決して無い。
今日自分でスタジオ練習でパミーナを丁寧に音取りしてみて感じた事が少しだけあった。この余裕は何だろうか、と不思議に思った(笑)パミーナに関して言えば自信は、無い。恐らく「安心感」なのだと思う。ウィーンのN先生が私にパミーナという音楽を見つけてくれたのだから、何の心配も不安も持たずに自分の持っている声で歌って良いという安心。まるで子供が母親に抱かれるような安心感がある。だから、名盤も名歌手も好みも、何も気にせずに歌えると思う。無論、私が歌うパミーナなぞ日本では求められている訳も無いので日本で歌う必要性も皆無だ。歌う事があるとすれば谷岡先生からの依頼なり指示なり勧めがあった時だけで十分過ぎる位である。逆に私自身が、わざわざ偏見と歪んだ美意識の名のもとにオペラ・マニアを自称する傲慢極まりない人間の前などでは決して歌わない、という極めて毅然とした節度と適切な認識が必要である。誰が他人如きの興味本位に踊らされて歌うものか!!!どのみち演奏会やリサイタルで金なんか貰った事も無ければ、今後も自分が歌う事で金を貰うつもりも全く無い!!!

もう休日は休んでいるヒマは無い。
そういえば、先日とっても良い薬が手に入ったので安心して歌える。

困った!!!

昨日、仕事で緊急入院が5人、しかも1週間振りくらいの日勤でリーダー業務の上に重症患者さんを受け持っていたため、自宅に帰宅したのが夜20時過ぎ(滝涙)しかも、帰り際にギャラリーカフェに閉店時間ギリギリに滑り込みセーフ状態で行って、今月中にヘンデル・リサイタルのピアニストのオクレール先生がギャラリーカフェ視察も兼ねてピアノ合わせを出来ないかとの御要望があったので、その相談でギャラリーカフェの社長と打ち合わせに行った。
ヘロヘロになりながらまず酒を一杯(笑)
一昨日、スタジオ練習後に携帯電話を買い換えたので、新しいパソコン&新しい携帯電話で何だか少し嬉しいカンジの筈が、仕事で疲労困憊でダルダル状態だった(爆死)一息付いてからパソコンを起動、後はFTPにホームページをアップロードすれば良いだけに作成を終えてあったのに、いざアップロードしてみたらホームページが立ち上がらない!!!!!(驚愕)兎に角、色々試してみたのだが、幾らやってもホームページは立ち上がらず、プロバイダのホームページ作成手順などを参照して何度も試行錯誤を繰り返したのだが、結局ホームページは立ち上がらなかった(誤爆)
いい加減疲れ果ててホームページ立ち上げを断念したのが夜中の1時を回っていた(核爆)流石に今日の所は諦めた。またホームページ作成の本でも購入して明日の夜勤明け後にでも、ホームページ立ち上げで不眠不休の作業を繰り返さなければならないだろう。ワードからホームページのアップロードの仕方、これで良かったと思ったんだけど・・・(自爆)嗚呼、疲れた。

とゆ〜事で、リンクをお願いして快く承諾してくださった皆様、今しばらくお待ちくださいませ。

では、これから夜勤に出勤致します・・・・・(超凹)

マリア・カラス的最期

先月末から連続夜勤、しかも今、長年放置プレイだったホームページ再開のために自宅にいる時はほぼパソコンと格闘中♪不眠だから脳味噌はフル回転で薬を飲んでも眠気は余り無いのだが、何しろ体が超ダルダル・・・。目が覚めても体が動かない・・・。本当はぐっすりスッキリ熟睡出来れば疲労も取れるのだろ〜が、目だけが覚めて脳味噌だけは勝手に働くのだから仕方が無い。もういっその事、永遠の眠りに就けたらいいのになあぁ・・・と思う今日この頃。永遠の眠りに就けたら、超ダルダルで疲労困憊しきった体を引き摺り起して活動する事も無いのになあぁ・・・くすん(滝涙)
今月は15日の夜勤をこなしながら、年末に行うヘンデル・オペラアリアのリサイタルの準備がもう本格的に始まっている。ギャラリーカフェに申し込みを正式に行ったのでギャラリーカフェのお知らせに掲載されてしまった。それとここの所連日ピアノ伴奏をしてくださるオクレール先生とメールでピアノ合わせの日程調整中。私がほぼ夜勤で連絡が取りづらい状況なので、お手数をかけてしまっている。
昨日は夜勤明けで帰宅してからホームページの作成をほぼ終わらせた。幾ら凝って作っても放置プレイになってしまっても仕方が無いので、今回は至ってシンプルにした。サーバーの申し込み、BBSやブログのアップ、FTPアップデータの準備など、かな〜り昔にホームページを作成した時の事を思い出しながら何とか作業を進めた(苦笑)後は歌に関する細かい情報を順次アップしていくだけまで済ませた。ブログのリンクなど何人かの方にお願い申し上げたら、少しづつ良い御返事を頂けたので、ホームページ再開は何とか順調に漕ぎ付けている。
でも、今日も疲労困憊で動くのがやっとなんだけど、リサイタル準備や来年のウィーンでのレッスンの準備が心配でロクに休む気分には到底なれないので、午後からスタジオ練習3時間、ギャラリーカフェで楽譜作りをしなければならない。10月に入ったら、ウィーンの先生方とも連絡を取り合って来年ウィーンに行く日程調整に入らなければならないだろう。
まあ、喉だけは壊さないようにしなければならない。ぶっ倒れて息絶えた時はその時考えよう(爆)
最近、永遠の眠りに就けたら楽なのになあぁ〜・・・と思うようになって思い出したのが、マリア・カラスの最期。パリの自宅アパートで50歳代でひっそりと静かに息を引き取った。歴史的な世紀の歌姫の代名詞とはかけ離れた死だと多くの音楽雑誌や本に書かれていた。
でも、私はとても素晴らしい死だと思う。私も是非是非見倣いたいものだと思う。でも50歳代はちょっと長生きし過ぎかも(笑)
私は看護師をしているので、人間の死の場面に非常に多く接して来た。本なんかで語られるマリア・カラスの死よりも現実にすぐ自分の目の前に日常的に死が存在する。現実的かつ日常的な死を身近に見ていて今非常に強く感じる事は、死ぬ時は人間何一つ持って死に赴く事は出来ない、という事である。だから、静かにひっそりと死に赴くという事がとても人間の死へのプロセスとしてとても自然に近いフォルムに思える。多くの近親者に囲まれながら悲嘆に暮れる死も、それはそれでアリなのだと思うし人の好き好きなんだろうと思うが、死の静寂から掛け離れているよに感じてしまう。
眠い人に眠る事が必要なように、空腹な人に食事が必要なように、命が尽き果てかけている人には、死が必要なのだと思う。自分に死が必要な時に、感情的な喧騒の死はイヤだな・・・と思う。せめて死ぬ時くらいは静かにのんびり死にたいな〜・・・と思う。だから、マリア・カラスの最期に非常に憧憬を感じてしまう。大体にして、死なない人間も不死身の人間も、存在しないんだし。

と、そろそろスタジオに行く準備しなくては。今日は疲労が強いので軽くモーツァルトの譜読みぐらいにしておく予定。年末のヘンデルのリサイタルからウィーンへ行くまで、喉を壊しているヒマは無い。

イジメ5

まず、昨日購入してから半月程箱に入れっぱで放って置いた新品のパソコンをようやく開封した。昨日は夜勤明けで業者が開設に自宅に来てからパソコンの設定で夜中近くまで不眠不休。理由はケーズ電気で一番値引き率が良かったからなのだが、扱いの不自由さ加減からも言ってやっぱり前のパソコンと同じIBMにしておけば良かった〜と一時後悔したが、プロバイダもパソコンメーカーもカスタムサポートが充実していたので、何とか出来た。しかし、パソコンが故障してからネット接続もメールも何もかも放置プレイだったので、IDやらパスワードやら全て確認・修正しなければならなかったので、そこに手間取った。凡その設定が終わったのは昨日の夜中で、夜勤明けなのに殆ど不眠不休だったので、超披露困憊の傾眠傾向。携帯電話から、声楽の先生やウィーンからのメールや親友からのメール約100通以上をパソコンにバックアップして、近日中に携帯も新たに買い換える予定だ。兎に角夜中まで作業が続いた。

今は衆議院議員選挙速報を渡り歩き中。私は、旧自由党時代、小沢一郎政治塾で勉強した事が少しだけある。今回の衆議院選挙での民主党の圧勝はメディアでも一目了然の事で、自民党に愛想を尽かして停滞した経済・生活状況を少しでも自分寄りにしたい国民の生活選択選挙だと考えていたので、我が身可愛い老いても子の言う事を聴かない年寄りの業突張り議員がどれくらい減少するかだけには興味があった。寄生虫の一掃を期待しながら見ている。

昨日は結構薬を飲んだにも拘わらず殆ど眠れなかったが、ここ1週間くらい声を出していなかったのでスタジオに練習に出かけた。ただし休養が余りにも不十分なので余り声を出すとまた喉を痛めてしまうので、ヘンデルを力一杯歌うなんて事は出来ないので今日はまだレッスンを受けていなかったモーツァルトのスザンナのアリア2曲の音取りをした。なるべく早めにスザンナのレッスンを受けないと、ドンナ・エルヴィーラやパミーナのレッスンが進まない。余り気は進まないがスザンナの練習を行った。モーツァルトは苦手で不得意だが余り声量や音量は出さなくて良い事と私の声ならかなり軽めに声を出すくらいで十分なのが楽と言えば良い点だ。欠伸を繰り返しながらも何とか3時間自己練習を行った。
もう今は、例えモーツァルトのスザンナであっても、軽くとか可愛らしくとか細くとか、そういう小細工に努力や手間暇をかける必要性が無くなった事と、スザンナを演奏会本番で歌ったりウィーンのレッスンに持って行くつもりが皆無な事から、自分の素の声で歌う事が出来た。日本のモーツァルト・ファンやスザンナ・マニアが聞いたら怒鳴られそうなスザンナだが、私の声がこうなんだから仕方がない。歌うのは気が進まないし決して歌い易い役柄では無いが、素の声で歌うのは存外楽な作業である。まあ、歌ってしまえば何とかなるかな。取り敢えず今日は軽く音取り程度にしておいた。明日も休日でスタジオ練習をする予定だし、9月からはピアニストのオクレール先生と年末のヘンデルのリサイタルのピアノ合わせを開始するので、喉を痛めている暇は無いのだ。声を出す時間よりも休む時間を多く取った。発声練習は谷岡先生やウィーンの先生方式では無くミルヒー先生のベルカント方式で行った。ベルカント発声でスザンナを歌えばヘンデルのアリアの支障にはならないだろう。但し、スザンナには聴こえないだろ〜が(爆)暫くスザンナのアリア2曲の音取りをして少し休憩してから、本当はシューベルトの歌曲を練習しようかと考えていたのだが、ふとモーツァルトのオペラ<コジ・ファン・トゥッテ>のフィオルデリージのアリアの楽譜が目に入った。このアリア<Come scoglio>は前回のブログにもアップしたが、モーツァルトのオペラアリアの中でも難曲中の難曲であり、しかもウィーンのN先生からは「ドラマティックなソプラノの役だからあなたのレパートリーでは無い」と指摘された。しかし、ミルヒー先生から今回勉強するよう強く勧められたので楽譜だけはコピーした。まだきちんと楽譜作りはしていないのだが取り敢えず音取りだけでもやってみようと思い、楽譜を開いてみた。このフィオルデリージのアリアは、私が尊敬し大好きなアメリカのソプラノ歌手<メトロポリタンの黒い宝石>と讃えられたレオンティン・プライスが非常に得意としていたアリアで、録音も映像も残されている。何度もそれを聴いた。そのせいか、曲の音楽そのものは違和感無く体に染みついているというか(笑)一通り声を出してみた。確かにこれはソプラノ歌手に対する<いじめ>に近い(爆死)オクターブ無視の音程の飛び方と言い後半声の体力を消耗してからのアジリダの連続と言い、モーツァルトがソプラノ歌手に喧嘩を売ってるとしか言いようが無い曲だ。
しかし、しかし私が歌うスザンナなんかよりは、確かに歌う事が非常に困難な曲ではあるのだが、多分スザンナよりもフィオルデリージの方が、キャラクター的にも声質的にも余程説得力があるように自分でも感じられた。勿論、ウィーンに行ったら話しは別問題で声質としてカテゴリーから私は外されてしまうのではあるのだが。しかし、それにしても、自分が考えていたよりも遥かに歌い易い(笑)アジリダもそれ程苦には感じなかった。これは、ちょっとスザンナよりもイケてるかも???知れない(超苦笑)後は音楽や曲そのものに慣れる事が大事なのかな、とシンプルに感じた。何よりもスザンナよりも歌う事が非常に楽に感じた。自分だけの思い込みなのかも知れないけど。でも、少なくとも「モーツァルトのオペラのソプラノのアイドル」よりは遥かに私自身にとって歌う事が苦にならない不思議なフィオルデリージだった。
でも、それにしても1オクターブ以上の音程の高低差の移動が激しい。一体ど〜やって歌うんだこりゃ???みたいなカンジだったのだが、結構イケてるんじゃないか???という半ば確信にも似た心境はどっから湧いてくるのか???恐るべし、ミルヒー先生♪でした。

明日は、ヘンデルの練習をしよう。

ナーバス・ブレイクダウンvol.25

それに、ヘンデルのリサイタル用の楽曲解説と日本語対訳の原稿を作る事とヘンデルのオペラの本を購入して勉強しヘンデルのオペラに対する理解を深める事、来年リサイタル予定のシューマンに関してもヘンデルと同じような勉強を開始しなければならない。つくづく腹立たしい事は身体的にも精神的にも何か一つでも問題が派生すると何処かに僅かながらも停滞や遅滞が発生する事である。迷惑極まり無い。歌う事を邪魔されるなら自分自身の人生や運命でも呪いたくなる。私のような些末で価値の無い人間に無駄骨を折っいる暇なぞあろう筈が無い。私は歌う事が出来なければ存在意義も無いし自分自身存在する事すら不愉快だ。音楽以外の事に煩わされる事も振り回される事も真っ平御免被るし、そんな自分自身に言いようも無く腹立たしくなる。
不愉快さばかりに腹を立てている訳にもいかない。9月からはオクレール先生とヘンデルのリサイタルのピアノ合わせが始まる。せっかくヘンデルのアリアを一昨年よりも完成度を上げる事が出来たのだから、不眠の苛立ちに怒り心頭のままでもいられない。自分自身の存在や命の価値なぞ取るに足らないどうでもいい下らない事だが、支えてくれる人々の期待は裏切りたく無い。<
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ナーバス・ブレイクダウンvol.15

先日、青森に帰省して一昨日帰宅した。青森に帰った辺りから不眠症傾向で、体も頭も疲労と眠気で散々なのに睡眠薬を増やして飲んでも眠れない。以前なら12時間以上は眠れた薬の量なのに今は5〜6時間眠れれば良い方である。毎日薬の量が増えていくのだが、睡眠導入剤は職業柄弱めの薬品を使い分けていた。最近は不眠が続いたので併用しているが、余り量を増やすと声帯の筋肉や横隔膜が弛緩してしまうので量は余り急激に増やせ無い。しかし不眠は声帯をかなり疲労消耗させるので眠らない訳にもいかない。
青森に帰省前から夜勤を含めてもう1週間以上声を出していない。青森には墓の管理と休養に行ったので楽譜は持って帰らなかった。それが一番良くなかった。ここ数年間これ程長い時間音楽から離れた事はなかったように思う。自分自身の不手際と浅はかさに究めて不愉快になった。
一昨日帰宅してから休まずに今後勉強したり歌ったりする予定の曲の楽譜をコピーしたり映像を観たり録音を聴いたりと休む間も無く動いている。これ以上音楽を休んでいられるような余裕は皆無だ。私はどこぞの漫画の天才とは違い普通の凡人なのだ。1週間もの遅れを一瞬で取り返す事なぞ出来ない。全て地道な努力なのだ。


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お知らせ

この度、ホームページ再開のためブログのタイトルを変更致しました。ホームページのタイトルを今までの《晴れの日はANDANTE》に致します。
近日中にホームページ再開の為現在準備中でございます。
尚、ホームページ再開次第このブログで紹介させて頂く予定でございますので、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

クララ・シューマン〜愛の協奏曲vol.25

電話はヤンクミからだった。私は映画を観た後落ち着いて考えられなくて渋谷で呑んでいた。その時早速ヤンクミから電話が来た。ただ単に私自身の勉強不足と言ってしまえばそれだけの事だろう。しかし、これから私が歌う予定のロベルト・シューマンの歌曲は全て宝石の如く美しく、眼の前のスクリーンに写っているロベルト・シューマンは麻薬中毒で狂って暴れもがき苦しみ治療の末死んで行く。私はただの努力凡人なので想像も付かない世界だが、モーツァルトも含めてこれが天才というものなのだろうか。映画を観てかなり体力的精神的に消耗が激しかった。かなり疲労困憊だったが、ヤンクミから電話を貰えて本当に多少なりとも正気を取り戻したカンジがした(苦笑)以前ヤンクミが私に、
『音大の頃はシューマンが嫌いだった。自分の最も嫌な部分を見せつけられているようでシューマンの曲は弾けなかった』と言っていた。ヤンクミの言葉を思い出した時、これはかなりシビアな問題で生易しい事では無いと実感した。例え映画であっても、それだけ大変な作品であったと思うし俳優も大変な実力派だったのだろう。だからこそ尚の事、あれだけ真に迫ったロベルト・シューマンであったのだろうと思う。

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クララ・シューマン〜愛の協奏曲vol.15

という訳で昨日はミルヒー先生のレッスンが終わった後に渋谷Bunkamuraに【クララ・シューマン〜愛の協奏曲】の映画を観に行った。来年はロベルト・シューマンのメモリアルイヤーであり、私自身来年はロベルト・シューマンのドイツ歌曲のリサイタルを計画している。ロベルト・シューマンの歌曲も既に9曲選曲を終え楽譜も造り終え、後は譜読み&暗譜だけである。クララ・シューマンに関してはその当時稀な女流ピアニストで作曲家で大変な美女である事くらいは知っていたがクララの曲は知らなかったし、今回の映画も映画を楽しむためというよりは来年歌うロベルト・シューマンの歌曲に対する理解や知識や認識を深める事が第一の目的だった。ミルヒー先生のレッスン終了後急ぎ渋谷Bunkamuraに向かった。ロビーに到着してすぐパンフレットを購入しようと思ったら、何とクララ・シューマンの歌曲集CDが販売してあったので勿論衝動買い(爆)楽譜はウィーンで購入しても良いし♪買い物後にロビーでビールを呑んで開場を待ち、ル・シネマの一番後ろのど真ん中の席をゲット!して映画に臨んだ。映画の詳細は映画を観に行って頂くかDVDが発売されたら観て頂ければ良いと思うので割愛する。非常に驚きショックを受けた。

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忙しい2連休vol.25

ホントにベルカントでなければ歌えないし、今の私にはフィオルデリージのアジリダを歌うテクニックは無い(爆死)しかもフィオルデリージは、ウィーンのN先生からドラマティックなソプラノの役だから私のレパートリーには適さないと指摘された。でもミルヒー先生的には日本では私なら充分可なのかも知れない。テクニックさえあれば(滝涙)とゆ〜事で、取り敢えずヘンデルのリサイタルが終わった後で演奏会本番では歌わないなら、という事でフィオルデリージの勉強を始める事にした。もう、一体何年かかる事やら(大汗)でもまあ、ジルダもヴィオレッタも勉強はしなければならないし、複雑なアジリダも逃げてばかりはいられない。どのみちヴェルディ【トロヴァトーレ】【マクベス】などはレパートリーに出来るように勉強したい意志があるから。取り敢えず、フィオルデリージの楽譜は早急に作らなければならない(超苦笑)でもまあ、ミルヒー先生にフィオルデリージの勉強を勧めて頂けるようなレベルにようやく近付いて来たという事だと思えば逆に喜ぶべき事だから。しかし、これで今年12月のヘンデルのリサイタル以降はまたイタリアオペラを演奏会本番で歌う機会が延びてしまった。仕方が無い事なんだけど。

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忙しい2連休vol.15

昨日と今日は久しぶりの2連休だったのだが、時間単位のスケジュールと多忙で寝坊しているヒマもなかった。昨日は朝からギャラリーカフェで12月のヘンデル・リサイタルの打ち合わせ。プロデューサーと会場レンタル時間や開場時間や開演時間、プログラム作成やピアノの調律、客席テーブルやピアノの配置など大まかな事を決めた。やっとパソコンを購入しに行けたので、歌詞対訳や楽曲解説は自分で作れる。打ち合わせが終わってから、ミルヒー先生のレッスン時間まで少し間があったのでモーツァルトのオペラ【ドン・ジョバンニ】のドンナ・エルヴィーラやドンナ・アンナの楽譜を作ってからスタジオに行って1時間だけ発声練習した後ミルヒー先生のレッスンに都内に向かった。
昨日は主にヘンデルのクレオパトラを中心にレッスンを行った。ミルヒー先生的にはヘンデルのリサイタルで歌うアリア全曲ほぼOKが出た(滝涙)クレオパトラのアリアはかなり高音域も多いので高音に移行する時の下顎の開き方とブレスの吸い方を修正されたが、これに慣れればかなり高い音域もかなり楽に出せるようになれそうだった。ミルヒー先生から、来月のレッスンはピアニストのオクレール先生と一緒にレッスンに来るよう言われた。
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マリア・カラスのデッサン5

今日仕事帰りにギャラリーカフェに寄った。ギャラリーカフェは昨日まで1週間の夏休み期間だった。ギャラリーカフェのプロデューサーに預けてあった、私が数年前に描いたマリア・カラスの雑誌の写真を見て描いた鉛筆画のスケッチブックを取りに行った。ついでにプロデューサーの感想を聴くために行った(笑)プロデューサーはかなり忙しい方なのでギャラリーカフェが夏休み中に私の絵を見て頂いてもらうつもりだった。先日ブログにアップしたが、元々絵が好きで歌を始める以前は画材店でバイトしていた事もあるし、絵を額装する仕事もしていた。上野の西洋美術館は20歳代で主婦の頃は浅草に住んでいたので良く頻繁に通った。
で、夏休み明けの社長とプロデューサーとバイトのお嬢さん達が私とは違いかなり元気に出迎えて下さった(笑)そこで速攻プロデューサーにマリア・カラスの絵の感想をストレートに尋ねた。プロデューサーは一言強気で切り返して来た。
『また、絵を描き始めた方がいい』
(笑)何度も説明したんだけど。もう数年前に描いた絵で、歌を本格的に始めてからは一切絵を描いていない事、基礎的なデッサン等は全く勉強していない事など一応言い訳がましく説明した。
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宿題vol.35

カリタ・マッティラというドラマティックなソプラノ歌手がヨーロッパのコンクールで入賞した後に、ワーグナーなどの重い役の依頼が多く来たのだがマッティラが取り組んだのはモーツァルトだったという逸話がある。例えどのような強い声の持ち主であったとしても決してモーツァルトを疎かにしてはならないという教訓は多数存在する。言わずもがな、私が尊敬し愛してまやないジェシー・ノーマンはモーツァルト【フィガロの結婚】【偽りの女庭師】【イドメネオ】の録音を残しているし、レオンティン・プライスも【ドン・ジョバンニ】【コジ・ファン・トッテ】の録音を残している。
谷岡先生のモーツァルトのオペラアリアのレッスンではまだスザンナが2曲残っている。気持ち的には逸るが我慢してスザンナのレッスンは受けなければならない。ヘンデルのオペラアリアには一応蓍が付いたので早めに谷岡先生のレッスンを受けて早めにスザンナのレッスンを終えて一刻も早くパミーナやドンナ・エルヴィーラやドンナ・アンナの勉強を始める必要があると考えている。ちなみに谷岡先生は、私が歌うパミーナやドンナ・エルヴィーラには余り心配をしていないご様子。理由は不明(爆)しかし余り話題や問題にされないのだ。
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宿題vol.25

シューベルトの超マニアック&超マイナー曲の1曲【ある魂の声】の日本語訳が存在しないので、昨日行きつけのインド&ネパール料理屋で自力で日本語訳を試みた。さっぱりワケわかめでヘンな日本語の文章を仕上げるまでにインドの赤ワインのフルボトルが1本空いた(激爆)間違っても日本語として通じる文章では無いので今後は谷岡先生に日本語訳のチェックをお願いしなければならないだろう。宿題のシューベルト歌曲の中に、ソプラノ用のキーよりもメゾソプラノ用のキーの方が私に合っているのでは?という曲が幾つかあった。そしてウィーンのN先生のレッスンに持って行く予定の曲も大体選曲した。まずベートーベンの歌曲を数曲イタリア語の曲も含めて選んだ。今年3月にレッスンに持って行ったベートーベン歌曲【我汝を愛する】が予想外に評価がよかったのと、いずれベートーベンのオペラ【フィデリオ】レオノーレを本格的に勉強するつもりだ。それに来年ウィーンの教会でバッハのミサ曲のソロを1曲歌う予定だが、バッハは大曲が多くカンタータは曲数もかなり多いので選択が大変だし来年ウィーンの教会で歌う予定のバッハを一度N先生にレッスンを受けてからバッハの勉強を本格的に始めても良いと思った。
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宿題vol.15

今は夏休み期間。夏休みと言えば《宿題》とゆ〜事で、いきなり思い出したウィーンの宿題(笑)シューベルト歌曲17曲(爆)最近、ミルヒー先生のレッスンで今年末リサイタル予定のヘンデルのオペラアリアがある程度蓍が着いたので、そろそろその次のウィーンの課題にも取り組まないとな〜という事で3月にウィーンでB先生から宿題に出された17曲の中から選曲をした。流石に全曲17曲は無理(笑)なので。その上、先日ウィーンのB先生に選んで頂いたヴィーナーリートの勉強もこれから始めなければならない。ウィーンのB先生から出された宿題シューベルトは殆どがシューベルト歌曲の基礎編みたいな曲ばかりなんだけど、シューベルトの基礎歌曲みたいな曲は実は聴いている以上に意外と歌うのが難しいというか歌い辛い曲が多い。【野薔薇】みたいな曲が多い。しかも【音楽に寄す】【ガニュメート】みたいなシューベルト歌曲の中でもかなり玄人受けする名曲は全然手が出ない(苦笑)ちなみに↑の2曲は宿題に出たのだが今回はパスした(笑)とゆ〜事で一応来年は宿題曲17曲の中から7曲を選んで練習する事に決めた。ウィーンでレッスンを受ける事が出来るレベルに曲を仕上げるなら、もう少し曲を絞る事になる。
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何が何でも頑張りまくるvol.25

私自身、どのみち演奏会本番の出来によって自分自身の演奏に評価をするので日頃の練習量は著名に素直に演奏会に影響されて当然、と考えている。ぶっちゃけ、演奏会や先生のレッスンで自分の練習不足を認識しているという事は、既にその人個人レベルの問題ですがな(笑)
練習らレッスンでの努力が演奏会で全て実るはずも無いのだが、充分な練習や努力をして来なかった事を演奏会本番で出来るという事はほぼ不可能と私は考えている。もし自分が不十分な練習やレッスンでも演奏会で歌えたと思うならば、それは私自身に関しては、慢心か傲慢か勘違いの類という認識と評価を採用している。
〔自然に・頑張り過ぎない・自分のペースで〕
という言葉は、演奏会やコンサートやリサイタルでの自己評価を適切に謙虚に受け止め努力の糧にしていくという事ならまたしも、
「やっぱり今回も練習不足だった〜次はもっと勉強しよ〜」
というシチュエーションを繰り返し継続していくという《怠惰・怠慢》は自分自身の目標が大きければ大きい程に時間の無駄になってしまう。それどころか、
《自分の声(演奏)に責任を持たなくなる》ので自分自身の演奏に対して無責任になる事だけは避けたい。だから努力が忙しい(笑)


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何が何でも頑張りまくるvol.15

とゆ〜ワケで、ヴェルディ【椿姫】の全幕通しての練習は止めてアリアだけの勉強に切り替えたので、その分違うオペラを全幕通して勉強する事にした。今の所一番可能性が高いのがベートーベン【フィデリオ】のレオノーレ。これにはまず谷岡先生とウィーンのM先生にレッスンを見て頂く必要があるだろう。今年のヘンデルのリサイタルが終了した時点から来年のウィーン行きの準備が始まると思うし、ヘンデルのリサイタル後は発声もベルカントにより近くなり声質も以前よりも強くなっていると思うので、本格的にドラマティックな役の勉強を開始したいと考えている。ヘンデルのリサイタルでの発声でシューベルトやシューマンの歌曲やモーツァルトの【魔笛】パミーナや【ドン・ジョバンニ】のドンナ・エルヴィーラやドンナ・アンナを歌う事が出来るようになれば、次の課題、ヴェルディのドラマティックな役やウェーバーやワーグナーにも繋げる事が出来るかも知れない。そう考えて今はリサイタルに歌うヘンデルのオペラアリアをエンドレスで聴き、時間のある時はベートーベン【フィデリオ】の映像を見ている。ヴェルディの【ドン・カルロ】エボリのアリアは小休止。喉に余り負荷をかけないようにするためだ。

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《原点》vol.25

私自身、何故今まで色々な声楽の先生を渡り歩き、常識では考えられないシューベルトやワーグナーのレッスンを受けて来たのか。そして私が不可能と心の片隅で思い知りながらもジェシー・ノーマンやレオンティン・プライスやジェーン・イーグレンやヴァルトラウト・マイアーやルチアーナ・ディンティーノを目指して来たのか。それを、今一番ヘタレで愚鈍で道を誤りかけている今だからこそ、今こそ真摯に謙虚に心静かに良く思い出さなくてはならない。幾ら届かない遠い遥かな目標であり私自身が生きているうちに歌う事は愚か勉強する事さえ困難な難題であったとしても、自分自身が歌い始めた時のお約束を反古にしても赦される理由なぞ、あの世を探しても見つける事は出来ない。こんな体たらくでは、天国の妹に叱られてしまう(超苦笑)
私は、自殺して3ヶ月間湖に沈み続け腐乱死体で発見された妹の魂を少しでも慰めるために、世界的名歌手が歌ったとしても決して容易に歌う事は困難であるワーグナー【ヴェーゼンドンクの5つの歌】の第1曲「天使」を歌う事を誓った。この事はウィーンで通訳をして下さったメゾソプラノのM先生にも報告済みだ。この何よりも大切な事を忘れる私は本当に愚かで心貧しい人間だと思う。

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原点vol.15

最近色々考える事があって、どうも現在に縛られているのは私自身にとってただのマイナス要素でしか無い。私に関心を持たない人間や私にとってネガティブな要素しかもたらさない状況は、それを看過しても充分に差し支え無いのだとようやく得心が行くようになって来た。そこで、どうせ歌う事に血道を上げなくとも良くなった曲、ヴェルディ【椿姫】のヴィオレッタやモーツァルト【フィガロの結婚】スザンナや【ドン・ジョバンニ】ツェルリーナなど、私自身の今後の歌に関して努力の隙間が出来て、その分の余力をどう有効に効果的に使う事が出来るのか考えた。そこで考えたのが《原点》に戻るという事である。柵やこだわりを取り除いてくれた非常に親切な状況がわざわざ私自身にもたらされたのだがら、私自身の《原点》に今こそ戻らない手は無い(笑)私が声楽について、イタリア歌曲やイタリアオペラ、ドイツ歌曲やドイツオペラで最初に目指していたものは何だったのか。それをもう一度丁寧に慎重に注意深く記憶を遡って思い出してみなければならない。というか忘れる事など無いのだが、私が最近ウィーン渡航前後から非常に見失っていたり混乱していたり、愚鈍な誤認を怠惰に引き延ばしていたからである。

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のだめカンタービレ22巻vol.25

のだめが精一杯逃げまくっている気持ちも何だか良く解る気がする(笑)逃げたくもなる、というか(超苦笑)成し遂げた事の大きさでは無く寧ろ自分自身の一番望んでいた事をいかに達成出来るかなのだ。私自身、ウィーンから帰って来てウィーンでワーグナーを否定され日本ではパミーナを否定され、ひねくれ、不貞腐れ、怒り、拒否し、ぶつかりまくっていた一時期が本当に思い出される。決してのだめと同じでは無いのだが、その頃の自分自身と不思議とオーバーラップする。必死であがいて逃げ惑うというか、そんな姿。見る人から見れば、大変愚かで周囲に存在するだけでウザいのだろう。それに気付けなかった自分自身が一番愚かなんだろうが、それでもウィーンから帰って来た私自身を待っていたものとかなり近いのだと感じる部分はある。勿論、決して良い事では無いのだが今にして思えば仕方の無い事で避ける事の出来ない事だったのだと自分でも思えるようになって来た。
演奏する者にとって、音楽を学び演奏し前に進むという事に於いては避けて通る事が出来ない事なのかも知れない。のだめも私自身も〔もうちゃんとやったもん・・・・・・ちゃんと正面から向き合ったもん だからもういいでしょ〕と思う。

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のだめカンタービレ22巻vol.15

今月から四柱推命学上、空亡(天中殺)期間に入ったので、精神的に脱力感が強くてイマイチ何事にもやる気が起こらない。後2ヶ月は続くので多少は力を抜いて過ごさないと8年後まで命が持たない(笑)
昨日はギャラリーカフェの社長から勧められたケーズデンキに行ってパソコンを購入。4万円も値引きして貰った♪かなり使わなさそ〜なEモバイルとか加入させられたけど、後はウチの電話回線を光にしてもらえば終了。来月は携帯電話を買い替えるだけ。
ケーズデンキに行った後にスタジオを予約していたので、3時間練習。最近ようやく喉の調子も戻り気味で、3時間かなり真剣に歌っても多少の声帯疲労はあるものの痛みは無くなった。昨日は主にヘンデルの【エジプトのジュリアス・シーザー】のクレオパトラを重点的に練習した。発声もミルヒー先生の指導に近い形で歌えるようになって来たし、喉の調子も良いので高音域も練習出来た。クレオパトラは5曲のうち2曲は以前演奏会本番に乗せているので、後は歌い込んで自分自身のクレオパトラ像を造り上げて行ければ良いと思う。テクニックやイメージにこだわらず、しかし丁寧に歌う事。それが今回のヘンデル・リサイタルの目標。ようやく落ち着いて歌っている。


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芸術的な日々(笑)vol.35

エボリのアリア、流石に音取りには全く苦労しなかった。そりゃ〜毎日毎日何十回もルチアーナ・ディンティーノのエボリのアリアの映像を見てりゃ苦労はしないわな(笑)とゆ〜事で一通り通して歌ってみた。やはり元々はドラマティックなメゾソプラノの曲なのでかなり厳しいし、ハッキリ言ってギリギリのセンであるのは間違いが無い。それでも、歌いたいという意欲と意思と心意気だけはハリーポッター並に何百倍なので、とにかく慎重に丁寧に歌い勉強して行こうと考えた。まず高音は間違い無くきちんと声は出る。問題は低音域だ。低音域は出るには出るが、流石にメゾソプラノ並とは洒落にも行かない。低音域の響きが良くない。最近発声の進歩で高音域がより良く響くようになったため余計に低音域との落差が激しくなった。ルチアーナ・ディンティーノという訳には行かない。それでもどうしても何が何でもエボリのアリアは歌いたい。何だかもう我慢大会の様相だ(超苦笑)とにかく何とか演奏会に歌えるまで位の形にしたい。そのためには時間を掛けて我慢強く丁寧に根気強く勉強して行くしか無い。それでも、憧れの歌手が歌う憧れのアリアを勉強するという喜びは何物にも変え難い貴重で大きな喜びである。

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芸術的な日々(笑)vol.25

ギャラリーカフェの社長とプロデューサーに写メのマリア・カラスを見て頂いた。まず社長が、
『下手な美大生より上手い』
続いてプロデューサーが『実物を持って来て!』と仰っしゃったので、夜勤で寝不足なのにかなり気分を良くした(爆)ちっと恥ずかしかったが近いうちに持って行く事にした。それでプロデューサーが、
『明日ここで染め物の体験教室があるから、出てみない?』
と誘われたのだが、スタジオをレンタル出来る時間によって参加が決まる事を話たら心良く承諾して下さった。自宅に帰って夜にスタジオを予約したら染め物教室に参加出来る時間帯だったので、社長にメールで参加をお伝えした。
今日、染め物教室開始30分前に起床(爆死)してギャラリーカフェに到着。教室の前にプロデューサーにマリア・カラスの絵のスケッチブックを預けて寝ぼけながら染め物教室に参加した。染め物と言っても、布を型紙で色抜きする簡単なものだったが、型紙の絵柄が江戸小紋でとてもチャーミング(笑)私は紫色の布に秋の景色を型取りした。糊付けした型紙を洗ったり型取りした布を洗う手伝いをしたりと、普段やらない事を普段関わらない人と過ごしたが、何だかとても楽しい気分になった。

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芸術的な日々(笑)vol.15

先日、近所の回転寿司でしこたま酒を呑んでからギャラリーカフェに行った(笑)多少酔っ払っていたのでかなり機嫌がよかった。最近仕事が忙しかったのでギャラリーカフェは暫く御無沙汰だったのだが、展示作品が変わっていた。水彩画や油絵や日本画が展示してあったのだが、その中にギャラリーカフェのプロデューサーの絵が数点あった。以前、私が喉を痛めて歌う事が出来ず相当苦しんでいた時にギャラリーカフェの会場設定を手伝った事があるのだが、その時ギャラリーカフェのプロデューサーが私に『私の絵で良かったら気に入ったの1枚プレゼントするわよ』
と言って頂けたので本当なら絵を1枚戴く予定だったのだが、酔っ払ってギャラリーカフェに行ったら、戴く予定の絵よりももっと気に入ってしまった絵を見つけてしまった(笑)プロデューサーは馬の絵を得意としているのだが、重厚な額縁に躍動感溢れる馬の顔に金箔・銀箔が施してある。絵のサイズも私の兎小屋サイズの部屋でも大丈夫なコンパクトさ。これは千載一遇の《出逢い》と思い、酔っ払いながらもその場でお買い上げ〜♪とゆ〜事になった。プロデューサーはプレゼントすると言ってくれたが、私はちゃんと支払いさせて欲しいとお願いした。

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ヴェルディのレパートリーvol.33

今ヘンデルを歌っていると自分自身の声が多少重く感じるのだが、これがヴェルディを歌うとなると私の声は決して重くは無い。しかもベルカント発声でこれだけのヴェルディのオペラアリアを歌うとなると、相当な体力・身体能力・精神力・喉の強靭さが要求される。今の私の発声や喉の状態では確実に間違いなく喉を潰す。2013年のヴェルディのリサイタルにはオペラアリアだけでなくヴェルディの歌曲も勉強して歌う事を念頭に考えなければならないと思っている。それにどうせ私がヴェルディを歌うのだから日本では比較的余り演奏される機会の少ないオペラアリアを多く歌いたいと考えている(笑)そうなると、声楽を始めた時の目標である曲からマイナーな曲まで、外せ無い曲をかなり慎重にセレクトして行かなければならない。本当に難しい。勿論、上記に挙げた曲をミルヒー先生にレッスンして頂かなければならない。しかしミルヒー先生にレッスンして頂くという事は、ある程度きちんと形にして歌えるようにしておかなければならないという事である。ヘンデルのリサイタルが終わっても休む暇も余裕も皆無だ。というよりも、既に今からヘンデルのリサイタルに並行してヴェルディの勉強を始めなければならない。

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ヴェルディのレパートリーvol.23

先日のミルヒー先生のヘンデルのレッスンで、久しぶりのレッスンにも拘わらず発声がかなり上達したとの事で、取り敢えずヘンデルのオペラアリアに関してはある程度の蓍が付いた。喘息の状態は今一つ不安定なのだがポリープや風邪の喉に関しては落ち着いたので、先日から少しづつ2013年に歌う予定のヴェルディのオペラアリアの選曲を考え始めた。要するに、私自身のヴェルディのオペラアリアのレパートリーを真剣に考え始めた、という事である。私は自分自身歌う残り時間を余り長くは考えていないので、かなり厳選した選曲をしなければならない。しかも、ヴェルディのオペラアリアともなるとかなりドラマティックで重い役になる。ウィーンでは私の声質は〔リリコ〕であるので、ミルヒー先生の許可通りヴェルディのオペラアリアを歌うならウィーンにヴェルディのオペラアリアをレッスンに持って行く事は無いので、とにかくミルヒー先生と御相談しながらヴェルディの選曲を行っていかなければならない。無論、去年歌ったヴェルディのオペラアリアに関してはミルヒー先生的にはOKなので、後は2013年にヴェルディのオペラアリアでリサイタルを開くために他のオペラから幾つか選曲しなければならない。

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ヴェルディのレパートリーvol.13

先日のブログにも書いたが、2013年はヴェルディ生誕200年のメモリアルイヤーである。私がまだ声楽のレッスンを始めた頃の一番の目標はヴェルディ【アイーダ】を歌えるようになりたいという事だった。去年は演奏会でヴェルディのオペラアリア【椿姫】から《さようなら、過ぎ去った日々よ》、【オテロ】から《アヴェ・マリア》、【運命の力】から《神よ、平和を与えたまえ》の3曲を本番で歌った。去年はまだまだベルカント発声にはまだまだ不十分でヴェルディのオペラアリアを歌うには未熟だった。それでも2013年のヴェルディのメモリアルイヤーを睨んでヴェルディの勉強を開始するという目的でミルヒー先生にヴェルディの勉強を開始したい旨をお願いしてミルヒー先生と相談してヴェルディのオペラアリアを選曲、去年ようやく生まれて初めてヴェルディのオペラアリアを演奏会本番で歌った。それからまだまだ私自身ヴェルディを歌うにはベルカント発声が不十分である事を改めて反省したが、ミルヒー先生からはヴェルディのオペラアリアに関してはどの曲でもどんな役でも勉強して良いと許可を頂いたので、ベルカント発声をきちんと勉強するために、まずヘンデルのオペラアリアで勉強を始める事にした。

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