最近、とあるアマチュアのソプラノの方とメールのやりとりをしている。彼女はまだ声楽の勉強を始めてから短いが、私のブログを良く参考にしてくださっているとの事。やはり、私と同じく声楽の他にやらなければならない事がある方で、月に数度のレッスンを受けられている。

アマチュアの歌い手は、迷う。先生に教わった事をどのようにして自分の歌に活かして行って良いのか。
先生方の言っている事は、頭では解るがどう実践して良いのか最初は殆どピンと来ない。きちんと体を支えようと思えば余計な部分にまで力が入り、余分な力を抜こうとすれば肝心な体の支えが抜けてしまう。
慣れないイタリア語やドイツ語を辞書を調べながら発音記号を読み、CDで聴いた録音で耳で覚えた曲を頼りに楽譜を読む作業に神経を使い果たす。楽譜に書かれた指示記号を、メトロノームで幾通りも変えながら譜読みを繰り返す。
何度も何度も先生から指摘や注意、たまにはお叱りも受けるが、自分が出したいと思う声の程に、自分の体は全く言う事を聞いてはくれない。たまにレッスンで少し上手く歌えたと思っても、演奏会本番では緊張で震えて力が入らない。歌い出しで失敗すると、どんどん立ち直る事が出来なくなり、あっと言う間に本番は終わってしまう。歌えなかった事と不十分な練習の後悔だけが残る。
でも、歌だけ勉強している時間はそうそうは無い。でも、歌いたい曲だけは、どんどん増えて行く。
そうこうしていると、音大生が4年でやる事を倍以上の時間をかけてやっとの事で一つ、二つ学び取る。

私が、アマチュアであるにも拘わらず、ヴェルディのオペラアリアやシューベルトのバラードに着手する事が出来、尚且つウィーンでのレッスンを受けられる事になったのは、本当にただの幸運だったと思う。歌が好きでずっとクラシックの声楽の勉強を続けて来てウィーンに行くまでに、合唱を始めた頃から数えたら、16年が経過した。何人も先生を替わり、何度も同じ曲を勉強し、途中本当に辛い事もあったが、それでも決して歌う事を諦めない幸運もあった。
一つが、ジェシー・ノーマンと身近で握手出来た事だった。絶対に歌う事は諦めない辞めないと、誓った。

私が今、声楽の勉強を始められた方とこうして交流出来て、本当に嬉しく思う。
私が声楽を始めた時に、プロや先生方に教えられても理解出来ず実践出来ずに苦しんで迷って出来なかった事を、少しでも伝えられたらと思う。
プロ独特の「音楽用語」では無く、アマチュアにも理解出来る言葉で、困った時にどうしたら良いか、声が出ない時にどのように体を使ったら良いのか、何が足りなくて声が出ないのか、どういう練習が効果的なのか、短い歌曲1曲を歌うために何に留意してどのような事に配慮するべきなのか、大曲を歌う事のためにはどのような事を心掛けて勉強するべきなのか。
アマチュアに解る言語で、私と同じアマチュアに伝えて行きたいと思う。

歌い手は単に曲を歌うだけでは無い。
作曲家の生命と足跡を歌うのだと思う。
曲を通して楽譜を通して、
バッハやヘンデルやモーツァルトやベートーベンやシューマンやブラームスやワーグナーや、
ベッリーニやヴェルディやプッチーニの、生命と足跡を、歌う。
多くの作曲家の生命と足跡を伝えるために歌い手に必要なものは、たった一つ「声」だけ。
歌いたいと欲する声、伝えたいと思う声。
何処で歌うのか、何を歌うのか、どんな声なのか、はそれ程重要では無いのだとも、思う。
歌いたいと思うあなたの声を聴きたいと思う人が、そこに一人でもいれば、ただ一人のために喜んで歌う。
それが、歌を愛して歌う人間にとって、最も大切で幸福な事であるという事を、歌を始められたばかりの方に伝えられたら、そしてそのお手伝いが出来たら、それで私の「歌う人生」は十二分に幸福なものであったと思う事が出来ると思っている。

今、私が伝えたり遺したり出来る事は何なのか、一生懸命考えている。