私は、声楽を勉強し始めてから、他人と比較されるというシチュエーションが極めて少ない。
ミルヒー先生や、谷岡先生&ハリセン先生、その他以前にレッスンを受けていた先生方でも、同じような年齢のアマチュアは殆どいなかった。年配か、年下が圧倒的。しかも、声の質も同じようなアマチュアには会った事が無い。
かなり以前にはコンクールやオーディションなどの雑誌を調べてみたりもしたが、興味も湧かず、モチベーションも無かったので考えていない。アマチュアのコンクールは、ただ単に「出ただけ」的なコンクールが殆どだし、酷いコンクールになると、年齢制限は当たり前、演奏時間制限まであり、演奏時間の長いオペラアリアなどは「曲のカット可」などという全く訳の解らないコンクールまで存在する。歌う曲をカットして、一体何を審査するというのだ???摩訶不思議。
だから、自分が他人の歌唱と比較される、というシチュエーションが非常に少ない。元々アマチュアなのだし、他人と比較される事によるメリットもデメリットも存在しない。アマチュアの訳の解らないコンクールに出て歌う勉強なぞするよりも、自分が歌いたい曲を歌えるようになるような勉強をした方が余程マシで、特にウィーンでレッスンを受けてからはコンクールの必要性は私の中ではゼロ。コンクールで賞を取るイコール海外留学、みたいな構図は撤廃された。無論、ただのラッキーだった事には何等変わりが無いのだが。

でも、例え他人に評価される機会が存在しないからと言って、私が結果を出すという事に丸っきり関心が無いなどという事は有り得ない。他人からの評価が無い、または他人からの評価をアテにしないが、進歩成長だけは重ね続けて行かなければならない。そうでなければ、勉強したりレッスンしたりする曲の難易度も上げる事は不可能だし、増してリサイタル開催なぞ出来る事では無いからだ。私にとって一つ一つの演奏会本番を自分なりに結果を分析・評価する事を地道に細々と続けて来たからこそ、今の自分が存在するのだから。
私にとって「結果を出す」という事の条件が存在する。

先生方からレッスンで教わった事や自分で勉強・練習した事が、演奏会本番でも同じ演奏が出来る事。
自分自身が実現したいと考えている歌唱が、演奏会本番で実現可能である事。
自己分析・自己評価を他者に依存しない事。
自分自身の演奏に責任を持つ事の出来るレパートリーが存在する事。
極めて適切な自己分析・自己評価が可能であり、レッスンを受けている先生方の分析・評価と極端な乖離が存在しない事。
これらが必用条件となる。

結果とは、飽くまでも後からしか付いて来ない。評価を見越した計算上の努力の結果というものは、存在しない。結果を得るという事は数字では表わされないので、それ程甘いものでは無い。数字で表わされる結果というのは理解に苦しむ必要性が低いという点では利便性が高いが、私は自分自身の声質も含めて自分自身の歌唱を、全く知りもしない連中に数字上の評価をされる事には、全く良い気分にはなれない。そんなもので判断される事は、心外。
何度も書くが、結果は後からしか付いて来ない。即ち、結果が目標になってしまったら成長は結果止まりになってしまう。目の前の結果の先には、遠い大きな目標が無ければならない。そうしてこそ、進歩と成長が出来るのだと私は確信している。自身が望む結果の焦点を何処に置くか、という問題は成長の課題に直結しているというのが、私の持論である。
数値的結果は見た目に解りやすいので脳味噌を酷使する必要が無い分、非常に人間は怠惰になりやすい。結果が他人から与えられるべきものであるという認識で結果を追求した場合、人間的進歩や成長に遅滞が生じるという事は、私自身がアマチュアであるという条件によってより一層明確な現実であるという事を認識する。
数値や順位などに依拠しない結果、というものは、他人から貰うものでは無く自分自身の力だけで掴み取るしか無いものであると考えている。それが私自身の信念であり道である。その道が、ウィーンへと続いていた事は、何物にも替え難い幸福である。

どのような結果にせよ、私自身が最も悔しい評価は、

「練習不足だ」

という評価をされる事である。無論、他者評価だけでは無く自己評価もまた然り、である。
他者評価以上に自己評価の基準を厳しく設定するという事は、一見無謀なように思えるが成長の方法論としては非常に有効であると私は考えている。評価の基準と認識の設定を自分自身の都合と他者の言動の変化によって、変動させるなどという馬鹿げた事さえしなければ、一貫して自分自身に厳しいスタンスを維持する事は決して間違った方法とはならないと考えている。

私自身の「結果」とは、ウィーンへ続く道の一つとなった。
私が追い求める結果は、数値や順位では無いし、決して終わりが無い。そして、自分自身の努力によって続ける事が出来る、失われないものである。

7月、風邪で喉を痛めて満足に歌えなかった悔しさ、悲しさ、辛さは、全てヘンデルのリサイタルで纏めて倍返ししてやろうと思っている(笑)
私は、結果の先にまた新たな結果が延々と続いて行く。
私が歌い続ける限りは。