今日、久しぶりに喘息発作を起こした。リサイタル直前という事で相当慎重になっていたのだが、流石に仕事の蓄積疲労と天候が重なると、キッつい。
病院で治療した後に、近くの本屋で「のだめカンタービレ」23巻を購入して帰宅。雑誌で読んでいたのだが、帰宅してもう一度読み直し。

夕方、何気にテレビをつけたら、辻井伸行の特集をやっていた。子供の頃の映像から、ヴァン・クライバーンコンクールで優勝してアメリカ・デビューするまで。
はっきり言って、今までは辻井伸行に興味が無かった。私はただの普通の人間なので、天才に対して共感するのは不可能だ。音楽というカテゴリーはあっても共感する部分の無い人間には興味は持てない。残念ながら、私は賞や経歴やハンディキャップに飛びつく性格では無いので。今までも度々テレビで特集されたり雑誌などは出回っていたが、CDを購入してまで聴くつもりは毛頭無かった。
でも、今日偶然テレビをつけた時は、今までとは全く違い、辻井伸行の特集に見入っていた。全くの全盲状態で生まれて来て、玩具のピアノで「ジングルベル」のメロディーを弾き、ピアノを習い始め、数々のコンクールに入賞し、ヴァン・クライバーン・コンクールで優勝するまで。
もし、2ヵ月前の私だったら辻井伸行の特集は見なかっただろうと確信する。
最近偶然お知り合いになれた方が、同じ状況である方だった。でも、私と同じ歌を勉強して歌われていて、一生懸命レッスンを受けてコンクールなども頑張って目指されていた。
間近に辻井伸行と同じような境遇の方がいるという事で、どれだけ今迄自分自身の視界が狭く閉鎖的であったのかを目の当たりに見せつけられた。誰でも無い私自身が一番、他人を表面的に判断して先入観を持って色眼鏡で見ているのではないのか?そう実感した。
しかし、確かにそれは良くない事ではあるが、それ以上に私は自分自身で確認・信頼しないものを鵜呑みにする事の方が遥かに避けるべき事と考えている。
情報過多の中で、まず自分自身の判断や認識の無いものは、それが幾ら社会的評価を得ているものであっても盲目的信頼は妄想に値する。

では、私にとって大切な事とは何か?それは、自分の認識に誤りがあると理解したら即座に改める、という事である。だから、今日の辻井伸行の特集は本当に心が洗われるような思いで見る事が出来た。本当に素晴らしいピアニストなんだなあぁ、と素直に思う事が出来た。今後、彼がバッハの平均律を弾くような事があれば、是非聴いてみたいと思っている。

辻井伸行の特集を見て一番強く感じた事は、目が見えない人だからこそ、目が見える人には「実は見えていないもの」、見えないからこそ感じ取る事の出来る何かがあるのかも知れないと思った。当たり前のように見えているからこそ何の疑問も持たずに、自らの目に入ったものを何の疑問も持たずに鵜呑みにしてしまうという「愚」を、見直さなくてはならないだろう。目が見えない事で生活の不便は多くあるだろうが、美しい音楽を奏でる障害は目が見える人間とどれ程の大差が存在するだろうか。否、である。

この事に気づかせて貰えた出逢いを、心から神様に感謝している。
辻井伸行という素晴らしい音楽に気付く契機を与えてくれた、彼女にも感謝している。

人間はちゃんと誰もが神様から大きなプレゼントを貰っているのだ。気付かない人もいるだろうが。

「のだめカンタービレ」23巻、最後にリュカがのだめに言った言葉、

「おじいちゃんが、僕の才能は神様がくれたんだから、ちゃんと世のため人のために使いなさいって言ってたよ」

と描かれている。
私も、そんな気持ちを彼女に伝えられるようにヘンデルを歌えたらいいなあぁ、と思う。