1ヵ月ほぼ夜勤漬けの生活が過ぎた。多少体は慣れて来たが、疲労は取れない。スタジオ練習に行くのが精一杯。
一番困った事は、楽譜作りが進まない事。ミルヒー先生や谷岡先生のレッスンが殆ど受けられない事。
楽譜作りが滞ると、来年以降の歌曲やオペラアリアの勉強に遅滞が生じる。イタリア語やドイツ語の辞書を開いて歌詞を一つ一つ丁寧に訳し発音記号や指示記号を調べて楽譜に書き込んで行く作業。
これは私が声楽のレッスンを始めた時から自分自身の御約束としてずっと続けて来ている事であり、この作業無くして声楽の勉強は有り得ない。
来月になったら、少しは夜勤生活に体も慣れて、楽譜作りの作業を再開出来るだろうか。
バッハ「シュメッリ歌曲集」や、ウィーナーリートの楽譜作りが全く進んでおらず、手付かずのままである。
明日から、少しでも楽譜作り作業に着手したい。


今月は、夜勤明けで自宅にいても寝て過ごす事が多かった。
ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを2種類、CDを4種類購入、更にサラ・コノリーのヘンデル・オペラアリア集とシューマン歌曲集を購入した。
まだ殆どきちんと聴けていないのだが、DVDは全て見比べてみた。
このブログで御大層なディスクレビューはしないので、簡単に歌手の比較と感想を書くに留めたい。

Dresden StaatskapelleのCraing Smithの盤、
Concerto CopenhagenのLars Ulrik Mortensenの盤、
それといつものグラインドボーンのウィリアム・クリスティの盤。

シーザー役に関して思う所は、アジリダの表現や音の正確さに於いては、サラ・コノリーがやはり抜きん出ていると感じた。但し、グラインドボーン以外の盤はどちらもシーザー役がカウンター・テナーである。Jeffery Gall、Andreas Schollというカウンター・テナーだが、どちらも非常に伸びのある声の持ち主でシーザー役としては楽しむ事が出来た。シーザー役に関しては、メゾ・ソプラノやコントラルトも良いが、演奏としては男性のシーザーの方が50歳代軍人の男臭さというか好色振りが出ていて良い部分も多いのかも知れないと感じた。そういう意味では、サラ・コノリーのシーザーは非常に清潔感や華麗さが漂うシーザーで、やはり男声が演じるのと女声が演じる事の大きな違いが際立つ事に、多少の驚きを覚えた。サラ・コノリーは女声だけあって非常に緻密な表現を徹底して歌唱に取り入れているという事を強く感じた。

クレオパトラ役に関しては、Susan Larson、Inger Dam-Jensen、ダニエル・ド・ニースだが、私が一番参考にするであろう声質のクレオパトラはInger Dam-Jensenになる。Susan Larsonは不思議ちゃん系のソプラノでこれはちょっと私が参考に勉強するのは苦しい(爆)但し、このSusan Larsonの「敬愛する瞳よ」のアリアは恐らく3人のクレオパトラの中では最も美しい美声で歌われているのだろうという事は感じた。まあ、日本人好みのクレオパトラだろう。ド・ニースも確かにヘンデル歌手としてウィリアム・クリスティに認められてはいるし、「苛酷な運命に涙を流し」のアジリダはインテンポに歌いこなしているので、その辺くらいは参考にして行こうと考えているが、ド・ニースのクレオパトラには政治的要素や中年軍人をおとすといういやらしさが余りにも欠けていて非常に面白みが少ない。小娘的なクレオパトラを声で表現する事は私には必要無い。
Inger Dam-Jensenは、声質がやや太めな事もありクレオパトラのアジリダの表現に於いては多少重くなりがちであるという私が抱えている課題とリンクする歌手であると感じたが、しっかりした強い声のクレオパトラで、実に野心的なクレオパトラを歌っているので大いに参考に勉強して行きたい。流石にクレオパトラが多少強めの声質であれば、カウンター・テナーとの2重唱の相性というかバランスが非常に良いと感じた。
でも、今後は自分自身がクレオパトラをどう歌いたいか、どう歌って行くのかをほぼ掴みつつあるので、それ程録音や映像を手本に勉強するという事は減少傾向になるだろうと思っている。

最も差が出たのは、トロメーオ役。
Drew Minter、Christopher Robson、クリストフ・デュモーの3人の中では、圧倒的にクリストフ・デュモーの一人勝ち(爆笑)と私は判断した。クリストフ・デュモーは若いのでChristopher Robson程のいやらしさは無いのだが、歌唱力という点では抜きん出ている。追随を許さない、というカンジ(笑)カウンター・テナーとしても相当にしっかりした強い声質の持ち主であり、テクニックも非常に高度であると感じた。トロメーオは非常に若いエジプト王だが、タダのクソガキやセクハラ王では無く、狂気という表現が加わるとこれ程までに貫禄が違うものなのか、と圧倒される。特に古代エジプトは、王権は基本的に女王主権移譲で近親結婚であるので、政治的才能が無い(特に外交政策や国防戦略)王は、古代数千年のエジプト王朝を滅亡される危機と他国(ローマ)との戦争に発展するという歴史的現実が存在し得る。そういう意味で、ただの幼稚さと好色さだけでなく、それに加えて暴力的で狂気を持ち合わせる(歌唱として表現出来る)実力を兼ね備えたクリストフ・デュモーはまさに当り役と評価されて然るべきであろう。
特に、ド・ニースとの兄弟姉妹による近親結婚の末のエジプト王権争奪戦という、血で血を洗うグロテスクな血縁因縁と歪んだ愛情を、あそこまで表現しているトロメーオは、今の所クリストフ・デュモーの他私は見つけられていない。そのような素晴らしいトロメーオの録音なり映像が存在するのであれば是非教えて頂きたい。
何故ならば、トロメーオの解釈がクレオパトラという役柄の理解と解釈と表現に、絶対に切り離す事の出来ない絶対的要素なのだからである。

コルネーリア役も、この役を歌うコントラルト歌手自身のレパートリーによって非常に差が出ると感じた。
Mary Westbrook-Geha、Randi Stene、パトリシア・バードンの3人の中では、やはりワーグナーも歌うパトリシア・バードンの声の迫力や厚みは群を抜いていると感じた。低音域の発声の安定感という観点からしても、やはりパトリシア・バードンが圧倒的であると考える。
余談なんだけど、Randi Steneが誰かに似てるなあぁ〜〜〜・・・と良く良く考えてみたら、ヒラリー・クリントンに似ていた(爆)

セスト役に関しては、非常に面白い事が解った。
Lorrain Hunt、Tuva Semmingsen、アンゲリカ・キルヒシュラーガーの3人の中で、最もセストとして素晴らしいと感じた歌手について、では無く寧ろ、最もセストとして疑問視せざるを得ない歌手が、キルヒシュラーガーであると非常に強く感じた。
セストとしての歌唱で最も差がはっきり認識出来る曲が2曲存在すると私は非常に注意深く考えてる。「Cara Speme」と、コルネーリアとの2重唱である。この「Cara Speme」で音程が低いという荒業をやってのけたのはキルヒシュラーガー一人だけ(超苦笑)しかも、キルヒシュラーガーはコルネーリアとの2重唱でパトリシア・バードンと音程が合っていない。他の2人のセスト役歌手は、コルネーリアとの2重唱で非常に美しいアンサンブルを聴かせてくれている。特に、Lorrainn Huntのセストは非常に美しい2重唱で、思わず涙が流れる程だった。Lorrain HuntやTuva Semminsenは非常に伸びのあるしっかりした歌唱で音程もポンとピッタリ当てている。この二人のセストの歌唱は何の不安感も違和感も無く聴ける。しかも、Lorrain HuntもTuva Semmingsenも、殊更セストが少年である事や若さを強調しなくとも自然な歌唱でセストを充分に表現出来ていると非常に強く感じた。特に、Tuva Semmingsenのセストはイタリア語も曖昧さが無く非常に安定感のある歌唱で、セストをレパートリーとしているという事が歌唱から十二分に感じ取る事が出来る。
要するに、キルヒシュラーガーは、グラインドボーンのミス・キャストと私は評価する。

3つの盤で最も大きく違ったのが、アキッラとニレーノの解釈。
Dresden Staatskapelleでは、コルネーリアを天使のように崇める優しいアキッラと、女声がニレーナとして歌っていた。
Concert Copenhagenでは、トロメーオの部下として、コルネーリアへの欲望との間で悩めるアキッラと、まるで僧侶のような影武者のカウンター・テナーのニレーノが歌われていた。
グラインドボーンのアキッラは、トロメーオにまんまと騙される悪役で、ニレーノはユーモアたっぷりのチャップリン・タイプのように感じていた。
3つの盤とも、ここまで違うと比較出来ない(笑)それぞれの演奏や演出を楽しむのが最も良いかな〜と思う。



最近、ようやく少し状況が動いて来た。

まず、3月の演奏会で歌うバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアを、去年のドイツリート・リサイタルのピアノ伴奏をしてくださったY先生と、ピアノ合わせの日程の調整に入る事になった。Y先生とのピアノ合わせまでには、少なくとも谷岡先生のレッスンを受けておきたい。来月2月も、日勤はたったの2日で、後は全て夜勤になっている。体調と喉の管理に集中しなければならなくなるだろう。ただ、3月のウィーン行きは無くなったので、練習時間は何とか確保出来るだろう。取り敢えず、出来る事をやるしか今は他に方法が無い。バッハもパミーナも歌唱の方向性は既に出来上がっているのだから、後は演奏会本番に乗せられるレベルを如何に向上させて行く事が出来るか、に尽きる。

それと、先日ウィーンのM先生からメールを頂いた。
親父の病気のために3月のウィーンでのレッスンを中止したい旨のメールを送ったが、M先生は非常に心配してくださって、ウィーンのN先生やB先生にも私の事情を詳しく説明して下さるとの事だった。そしてM先生からは、

「状況が落ち着いてあなたがウィーンに来られる時に、いらして下さい」

と、非常に有難い言葉を頂いた。
今年のウィーンでのレッスン、まだ諦めてしまわなくても良いのか、と思ったら胸がいっぱいになった。
メールを頂いて、涙が流れた。
現在、今年の夏頃ウィーン行きが可能かどうか調整中である。
希望が持てるという事は、本当に嬉しい有難い事だ。
絶対にウィーンでのレッスンは、決して諦めない。


残念な事に、連続夜勤の蓄積疲労で、昨日のフィギアスケート四大陸選手権の録画を忘れて夜勤に出勤してしまった。
真央ちゃんの「鐘」が観られなかった、トリプルアクセルジャンプ2回成功が、観られなかった・・・(滝涙)
でも、逆転優勝出来て良かったです。真央ちゃん。
バンクーバー・オリンピックでも、どうぞ真央ちゃんが演じたいスケーティングが出来ますように。



さっき、某ブログで非常にショックを受けた。
チェリビダッケが、ジェシー・ノーマンの歌う、R.シェトラウス「4つの最後の歌」を、

「ゴビ砂漠の春」

と批評した、という事。

私も、パミーナのアリアを歌う時には、聴き手と歌う場所を相当に厳選しなければ相当に野次られるのかも知れないな、と苦笑いしてしまった。
演奏する側が聴き手を選別したとしても、別に悪くは無い。
私はアマチュアなんだし。