昨日、夜勤入りで出勤してから、真央ちゃんがジャンプを飛べなかった事、銀メダルだった事を、仲良し看護師呑み仲間から訊いた。
昨日の夜勤、手術が1件。
ようやく手術患者の状態が落ち着いてから、休憩時間にネットで調べて、真央ちゃんがフリーの演技でトリプルアクセルジャンプを2度決めた事、その他のジャンプでミスした事を知った。

夜勤が終わって、急ぎ自宅に戻った。
バンクーバーオリンピック、女子フィギアスケートのフリースケーティングを録画予約してから夜勤に出掛けた。
真央ちゃんのフリーの演技を、ゆっくり観たかった。仕事帰りに、珍しくスーパーで鯛と平目を購入して、1本¥4000のオリーブオイル&バジル・ローズマリー・オレガノでマリネを作り、生春巻きと焼酎でバンクーバーオリンピックの女子フィギアスケートのフリー演技に備えた。

もう結果は知っている。私は、別に最初から金メダル争奪戦には興味や関心は薄かった。
真央ちゃんの初のオリンピックの演技、特にフリーのラフマニノフ「鐘」の演技が観たかった。
夜勤から帰宅して、バンクーバーオリンピックの女子フィギアスケートの演技を観た。

真央ちゃんが、泣いていた。
演技には満足していません。
トリプルアクセルは飛べた事は、良かったです。大粒の涙を溢れさせながら真央ちゃんはインタビューに答えていた。私も観ていて、真央ちゃんと一緒に涙が零れた。

感じた事は、断片的だけれど幾つか有る。

トリプルアクセルジャンプに挑んだ勇気。
トリプルアクセルジャンプよりも、トリプルジャンプ2連続の方が成功させれば高得点な事は、真央ちゃんが知らない筈が無い。前期から失敗の確率の方が高かったトリプルアクセル。成功への強い意志と執念。
世界選手権、グランプリシリーズでの失敗から姿を消した2ヵ月間、1日100回は練習したというジャンプ。
「やるべき事は全てやった。後は自分を信じる。金メダルは欲しい」
素直に率直に語る事の出来る、心。
フリー演技での、トリプルフリップとトリプルトゥループの痛恨のミス。悔しさの涙。
始めてのオリンピック出場でミスして銀メダルで、悔し涙。
連日、マスコミの過熱報道や周囲の期待やライバルとのプレッシャー。
オリンピックも含め競技会は、全てを点数に換算しなくてはならない。才能も資質も努力も忍耐も愛情も成功も失敗も、全て。

やるべき事を総てやったと、後は自分を信じるだけ、と言い切る事の出来るだけの練習量、努力、忍耐、意志の強さ、何百回ものジャンプ練習。そうでなければ溢れ出る筈も無い悔し涙。
本当に頑張ったからこそ、だが決して本当に充分であったかどうかは神のみぞ知るが、本当に持てる全ての力を使い果たした事の涙、率直な素直な正直な偽りの無い、感情の表出。
真央ちゃんが「もう飛べない」と泣いていたと言われている、トリプルアクセルジャンプ。

幾つも、私自身が真央ちゃんから大きく学ぶべき事があった。
ミスの大きさ。たった一つのミスが、演技・演奏そのものを大きく左右するという事。私も練習だけは何が何でも必ずやるが、演奏会やリサイタルの恐ろしさ。真央ちゃんですら、どれ程練習したとしても十分では無いのなら、私なぞ推して然るべし。
決して、点数や序列に換算する事の出来ない感動の存在。それを見つめる事の出来る、人間が生来持っている筈の、温かい心。

本当に努力し忍耐した人間でなければ流れない涙は、確実に存在する。それは、真央ちゃんだけの事には非ず。

マスコミの過剰報道は、己の好奇心と下世話な情動に対する自制心で情報処理は十分制御可能。マスコミを非難する遥か以前に、まず己の自制心を恥じるべき問題。

日本中から「真央ちゃん」という愛称で慕われ愛すべき真央ちゃん、それで良いではないか。
その愛称を、真央ちゃん自身が嫌悪しない限りに於いて。

以前、ある本に書かれていた。
「本当にその人を尊敬し、愛し、幸福や成功を倣い目指すのならば、その人の不幸やマイナスの部分も全て含めて受け入れ愛する事を受け入れる必要がある」と。

誰もが、イメージと違うと違和感を唱え続けたプログラムで、トリプルアクセルジャンプを成功させて、初のオリンピックで銀メダルを獲得した事。
己自身がフィギアスケートを滑る訳でも無いのに散々ごたくだけ並べ立てるのは、人間の品格として如何なものか。良識を疑う。

勿論、他の選手も素晴らしかったが、手術患者を16時間看護している身には、これ以上はキッツい。
もう、休む。