ヤンクミ一座演奏会のため前日19日に1時間程軽く発声練習を終わらせて午後千葉入りした時は、梅雨は一体何処に消えたんだあぁ???と思う程の晴天で、千葉駅前には、管総理大臣と福島大臣が駅前演説を行っていた。当然、厳戒態勢。

ホテルにチェックインだけして、早々にヤンクミ宅に最後のピアノ合わせに向かった。体調のため、非常に声帯が充血していて炎症を起こしやすい状態で、そうそう目一杯の声は出せなかったので、ヤンクミとのピアノ合わせは本当に気になる箇所をピンポイントで合わせるだけに留めた。風邪では無い。それは去年の教訓と毎日の「せんねん灸タイム」で風邪対策は万全だった。が、体調とは自己管理だけではど〜にもならんモノもある。
ヤンクミ宅に到着して自分のコンディション状況を説明したらすぐに納得了解して頂けた♪とゆ〜事で、前回の演奏会会場での通し練習の時に気になった箇所と、今回初めて歌う1曲目「Non, disperar」だけを通して練習を行った。
「Non, disperar」は、ダ・カーポ部分で途中楽譜の正規の音よりも1オクターブ上げて歌う音を、楽譜通りにトリルだけ付けて歌う可能性を説明して、実際にその練習を行った。特に問題も無く、また自分の今のコンディションではテンポ的には多少ゆっくりめの方がしっかりブレスを取り易いので、コンディションの悪さから余り焦らないように気持ちを切り替えて、それをヤンクミにもお伝えした。今迄の練習よりもブレスを小まめに行う事により、きちんと声帯〜頭部を体全体で支えた低く深いポジションでの発声を心掛けた。これが、今の私としては大曲を歌っても極力声帯の負荷を減ずる方法であるからである。
フィギアスケートの高橋大輔選手と同じ。ミスした場合を十二分に想定した練習を繰り返し行う事。どのようなミスが考えられるのか、ブレスが切れやすい部分はどのフレーズか、もしブレスが持たなかったとしたらどのように立て直すのか。それらを入念に検討して事故の被害を最小限度に抑えるためには、ヤンクミの協力が勿論必要だが、何よりも自分自身がリスクを想定した練習を継続的に集中的に行わなければならない。当然ヤンクミにはブレスの箇所が増えるであろう事、そして頻回なブレスに構わずヤンクミ自身のペースでの切れない伴奏を行って頂く事で合意した。

ヤンクミとの最終ピアノ合わせが終了した後、幾つかの用事を済ませて千葉そごうでお粥を夕食にしたのは夜6時過ぎていた。その後ホテルへ戻り演奏会本番のための全身ケア。まずは「せんねん灸タイム」から。全身せんねん灸尽くし。全身のお灸が終了するまでに30分以上かかった。その後入浴。疲労を除いて出来る限り全身の代謝能力を上げなければならなかった。入浴に30分以上。その後、そこらの入院患者の4〜5倍はある内服薬を腹一杯に飲んで、演奏会当日朝の発声練習を行うスタジオに電話を掛けたのが夜10時。大変な事に、毎年使用しているスタジオに空きが無い!!!!!困って携帯で千葉市内のスタジオを検索、何とか午前中に予約を取る事が出来た。考え付く限りの準備を済ませてようやく寝ようと思ったら、夜11時を過ぎていた。


演奏会当日、朝5時。
呼吸困難とともに覚醒。外は薄明るかったが、今にも雨が降りそうな雲行き。
喘息発作とともに迎えた、演奏会当日。前日夜、こんな事もあろうかと思い普段の倍量のステロイドホルモン剤を内服して眠ったにも関わらず、この始末。だが凹んでいるヒマも諦めるような鷹揚さも私は持ち合わせてはいなかった。すぐに朝の内服薬を飲んで早速追加の「せんねん灸タイム」を施行。喘息の吸入薬をいつもの3倍はたいて、副作用が落ち着いた頃に再びうたた寝した。このためか、スタジオでの発声練習は時間的にギリになってしまった。例年なら演奏会本番会場入りしてから飲むユンケルやリポDを朝から飲みまくり。
例え、喘息の重積発作を起こして呼吸が止まったって、歌う前に敵前逃亡するぐらいなら、堂々と呼吸停止してやる!!!との心意気で、演奏会本番会場入り。早速ヤンクミに喘息発作の状態を報告した。最終通し練習の30分間のうち、私が練習可能な体力は半分の15分だけだった。
喘息発作の特徴は、上手く息を吐く事が出来ない。まるで強力なサポートストッキングで絞めつけられるような胸部不快症状が強い。上手く息を吐けないという事は即ち、上手く息を吸えないという事に繋がる。無論、4小節ものロングブレスはほぼ不可能。
恐らくは、1日分のステロイドホルモン剤を1度に内服して、4〜5日分の吸入薬の規定量を僅か3時間で吸入して、演奏会本番直前まで4〜5リットルの水分を摂取した。心拍数は100以上が5時間は続いた。
これは流石に、結構キっつかった。
会場入りしてからもずっと、どんなに呼吸が苦しくても黙って休んでいる訳にはいかない。そんな事をしていたら体が固まってしまう。楽屋入りしてからはずっと柔軟体操、ストレッチを続けた。この体力と精神力に関して言えば、看護師という職業柄、本当に自分は鍛えられていたと考えている。
期待に違わず色々と困難試練のオンパレード♪

午後2時、演奏会開始。
まずは2台8手のピアノ演奏から始まった。開場してから比較的余裕を持ってメイクを行った。
何しろ、クレオパトラなのでメイクが濃い(笑)アクセサリーも派手(爆)
しかも1曲目の「Non, disperar」では、ドレスを太腿ギリまで捲り上げて網タイツとハイヒールを見せながら踊りながら歌う、という私自身としては前代未聞の歌唱(超苦笑)
この喘息発作で息もロクに吸えない吐けない時だったが、出来る限り大きな変更はしたくなかった。

何故なら、今迄、去年のヘンデルのリサイタルも含めて、出来る事は総てやって来た。
私が出来る限りの最大限の練習はもう充分にやっている。
後は、自分自身のやる気と意思と貫き通す強さだけが自分自身を支え、私だけの「クレオパトラ」の演奏が出来るし、それしか私には残された方法は無かった。だから、迷う事は一つも無かった。
途中でブレスが切れようが、途中で呼吸停止しようが、私は私の「クレオパトラ」を5曲歌いきる。
そう考えていたら、ヤンクミからいつもの言葉が出て来た。

「さあ、楽しい音楽の時間にしましょう」

その言葉に押されて、総てを押し切って押しのけて、舞台に立つ事が出来た。
練習とは何も変えない、変えたくない。
自分にはきっと出来るはず。
そう信じて、ヤンクミに目で合図を送った。


歌い出し、全くブレスが足りない、持たない。但し、約1時間近く断続的に行っていたストレッチのお陰か、いつもの演奏会1曲目よりも体のポジションの重心を比較的下に取る事は出来ていた。最も顕著に表れていたのが、中高音域の音程。過去の演奏会では、緊張の余りにブレスが浅くなりブレス不足に陥る事が大半を占めていたのだが、今回は喘息発作による換気障害のためのブレス不足という事態を十分に予測し対処したのだろうと考えている。もう一つの要因は、2度のリサイタルの経験から長丁場に慣れた事、力配分のバランスが成長したというふうに考えている。
どんなに呼吸が苦しくて、いや、実際には大量の吸入薬で随分と呼吸困難は改善されてはいたのだけれど、やはり喘息発作を起こしていない時に比べて遥かに呼吸機能が低下している事には変わり無かったので、外した部分は幾つかはあったのだが、去年のヘンデルのリサイタルでも歌った2曲目以降「Tu la mia stella sei」から「Venere, bella」までは比較的、去年のリサイタル時よりも表現する意志を感じ取って貰う事の出来る歌唱が出来たと考えている。
アジリダを極力押さないで発声出来た事が、そして、緩急を付ける事が表現としてのテクニックに繋がると同時に、目いっぱいの力技で押して出す発声よりも遥かに体力的消耗を抑える事が出来るという事を実際に体感出来たという事が、一番の成果であったと考えている。
まず、声帯が炎症を起こしやすい体調であり、喘息発作による呼吸機能低下状態である事から、なるべくコンパクトにエコで、しかしミルヒー先生が「あなたの声」と指摘した、太くて深い発声を決して犠牲にせず疎かにせず、体の支えの不足による息漏れから来るブレス不足を、上手くフレーズ毎にコントロールするという一つの最悪のギリギリの選択肢として実際に演奏に活かす事が出来たという事は、一つの大きな成果だったと確信している。こうして実感した経験として、アジリダが多くてもそれが決して声帯疲労に即繋がるとは必ずしも言い切れないという新たな認識を持つに至った。
そして、余分な力の抜けたアジリダは、ちゃんと表現に繋げる事が出来る、という事も。

全身汗だくで4曲のクレオパトラのアリアを歌った。
もう、メイクは総て流れ落ちているのではないのかと思う程の、汗。
そして、ピアノに合わせた空調のため、1曲歌う毎に乾燥する喉。本来の打ち合わせでは、2曲に1度は水で喉の乾燥を緩和させる予定が、1曲毎に水を口に含んでいた。
でも、一番最後に残された、クレオパトラの一番ドラマティックなアリア「Se, pieta」
今回は、レチタティーヴォから歌う。この「Se, pieta」のレチタティーヴォの後半のピアニッシモで歌う部分の出だしのピアノ伴奏は、私がヤンクミに、

「もっと自由に音を増やして欲しい」

と、特注を出した部分でもある。しかも、非常に音程が取り辛い部分である。ゲネプロでも何度も何度もヤンクミと確認作業を行った。去年のヘンデルのリサイタルで歌ったアリアの練習の3〜4倍は自己練習を行った部分である。ヤンクミも、非常に工夫を凝らして技巧的にドラマティックに、しかし決して私が歌い辛く無いように配慮してくれていた。
それでも全身汗だらけで、喘息発作で、既にこの「Se, pieta」を歌う体力を何処から捻り出せば良いのだろうか、と正直苦笑せざるを得ないコンディションではあった。
でも、この「Se, pieta」は、私が尊敬して止まないレオンティン・プライスを手本として勉強し、その他のどの歌手の演奏も一切参考にはしなかった、今の私が歌う事の出来るドラマティックなアリアの限界である。この曲を歌わずして、クレオパトラを歌ったとは言えない曲である。
去年、風邪で喉を痛めながらも喉が千切れてもいいから最後まで歌わせて欲しいと舞台上で祈った、シューベルト「こびと」と同じように、舞台上で祈った。ヤンクミは、私に十分な祈りの時間を与えてくれた。

結果、神様はギリギリ耐え得る声帯を私に用意して下さった。
静かに左手を高く振りかざして、観客の顔は全く見る事無く天だけを見据えて歌う事が出来た。
流石に喘息発作を起こしての5曲目、しかも自分自身の限界のドラマティックなアリア。音程が崩壊しそうになるのを、一つ一つ丁寧にギリの段階で持ち堪え、一歩づつ一歩づつ、私自身のクレオパトラを歌った。
ヤンクミの伴奏は、凄かった。完全と言える程に私のブレスを読んでくれていた。
恐らく、ヤンクミ程私のブレスを的確に読んでくれるピアニストは、稀であると思う。


私のクレオパトラを一時休止とする事が出来る。ヤンクミのピアノ無しには出来ない演奏だったと、深く深く心から感謝している。
全身汗だくで、メイクもほぼ落ちてしまっていて、絶世の美女クレオパトラも何処へやら(笑)
歌い終わってホッとして、腹が減って疲労困憊で、喘息発作も丁度良く(???)落ち着きを見せた。
演奏会は2台8手のエルガー「威風堂々」で幕を下ろした。
ヤンクミ一座、15周年記念コンサート、度重なる会員の不測の事態により、元の会員数の半分近くまで減少し、来年は活動を一時休止する。それでも、初期メンバーから私のような途中参加メンバーまで、皆で15周年記念という意気込みが確かに存在した。モーツァルトが得意だった病院長の奥様がラフマニノフに挑戦し去年の雪辱を果たし、フランス・エスプリのショパン@仲間由紀江であるヤンクミがガーシュインをパンツルックで演奏し、音大には行っていないにも拘わらずモーツァルト「2台のためのピアノのためのソナタ」の1stピアノを弾いたピアニストは、今私の新しい挑戦のための大きな勇気を提供してくれた。今年、多々の事情により参加出来ない方々も聴きに来てくださって、本当に小さいけれど充実した、次のステップに繋がるヤンクミ一座の演奏会になったと思う。
皆会員は、家庭の主婦で、夫の面倒と子供の世話と仕事と、舅の介護をしながらの勉強、練習、参加である。途中メンバーが入れ替わる事があったとしても、15年間継続するという事は並み大抵の事では無いと考えている。私が参加したのは15年の内の僅か半分に過ぎないが、それでもこのヤンクミ一座が私自身の成長の大いなる手助けをしてくださった事には何等変わりが無い。
改めて心から感謝の意を申し上げたい。


演奏会が終了してからドレスを着替える間も無く記念撮影、会場の片づけに入った。
私がパイプ椅子を畳んで片づけていると、数名のオバサマ方々から声を掛けられた。
「毎年、素敵な歌声を有難う」
「今年は参加されないのかと思っていましたんですけれど、パンフレットの最後にお名前があったので嬉しかったです」
「有難うございます。これからもまた歌を聴かせてください」
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まさか、まさか私のファンがいたとは、思ってもみなかった(爆)
本当に驚いた。4年前私がヤンクミ一座に復帰した時から、聴いて下さっているようだった。
皆様、上品な御婦人方だった・・・・・(滝汗)
ヤンクミに後日、お目障りな私の太腿を見せてしまい大変恐縮です、とお伝え下さるようお願いした(爆死)


演奏会が終了して東京に直帰の私を、ヤンクミと、ヤンクミの旦那様通称「ポンちゃん」がわざわざ千葉駅まで車で送ってくださった。私は9月末からウィーンでのレッスンが決定しているので、後日行われる打ち上げ会には出席出来ない。なので、ポンちゃんのお勧めで、私がウィーンのレッスンから帰国したら、ヤンクミ、ポンちゃん、私の3人で改めて飲み会を開きましょうという話しになった。もうすぐ千葉駅に到着、というトコロで車を運転中のポンちゃんに私はいっこ質問をした。

(私)「ポンちゃん、いっこ聴きたいんですけど、私、クレオパトラに見えましたか?」

と尋ねると、ポンちゃんはこっくりと頷いて、

(ポンちゃん)「完璧です」

と、答えられた。
男性から「完璧なクレオパトラ」と言われて、嬉しく無い女性はいないのでは???と思うのは、私一人だけだろうか。無論、お世辞も入ってのプラスアルファは当然であろうが、少なくとも容姿では無く、音楽や歌声であってこその「私のクレオパトラ」なのである。
ポンちゃんの一言だけで、このヤンクミ一座の演奏会は十分だったと、今だからこそ思う事が出来る。
ちなみに、演奏会には約30〜40名の方が聴きに来てくださっていたのだが、今回最も最も重要である演奏会のアンケートを書き置きして下さった方は、たったの3名しかいなかった!!!!!
ヤンクミに後日、出来る限りのアンケート回収をお願い申し上げた(気絶)



電車に乗っていた私を待ち受けていたのは、次の新しい挑戦とウィーンでのレッスンの事だった。
既に、ヤンクミ一座演奏会の感慨に耽っている余裕は、カケラも存在しなかった。
何故なら、自宅に到着する少し手前の駅での電車待ちの時間に私は泣きながらヤンクミに電話していたからである。
一昨日夜中に帰宅してから、昨日は夜勤入り。
今日は、夜勤中朝5時に喘息発作がまたも勃発。天気は演奏会当日と同じ様な、曇り空。
そして、明日もまた夜勤。
取り敢えず今の目標は、今年9月のウィーンでのレッスンに、生きて行く事かな♪
今は、ポンちゃんオススメ「麦とホップ」堪能中。出演は田村正和と「仲間由紀江」♪