先日、3連続当直の次の日の休日近所の市民センターの音楽室が空いていたのにも拘わらず、練習を中止した。
理由は、

このままの疲労困憊状態では、ウィーンのレッスンで声が出無い。

という事。
これでは、元も子も無い。
今の自分の体調でウィーンにレッスンに行った場合、自分の考えるどの程度の歌唱が出来るか、自分の勉強した歌唱や表現をどの程度出して歌う事が出来るか?????
どう考えても30%程度だろうと考えた。
まず、声帯そのものに負荷をかけていなくともこれだけ身体的に疲労困憊であれば、声帯も不調極まりない。
練習していても、声が掠れる事があった。

元々演奏会やリサイタルなど、本番は好きでは無い。
声楽の勉強や練習やレッスンがとっても楽しくて、このような生活を送っている。
実際問題、自分自身の成長や進歩や上達などを実感出来るのは、私の場合その殆どが練習やレッスンである。
演奏会やリサイタルなどの本番は、結果でしかない。
努力の結果。
どんなに努力したからといって、どんなに勉強や練習をしたからといって、必ず結果に表れるとは限らない。寧ろ結果に表れたらラッキーな方であると考えなければならいだろうと思う。
努力が全て評価されたら、世の中苦労する人間も報われない人間も存在しないだろうと思う。
しかし、練習や勉強すらしない人間に結果など表れる筈も無い、とも考える。
努力せずとも結果が表れるのは、天才か、評価されたと妄想する勘違い野郎、だと私は認識している。
だから、練習や勉強に否定的な人間のみすぼらしい言い訳で「娯楽」を語る輩を見ていると、非常に不愉快極まりない。最も、そのような言を弄した人間の戯言なぞ気にかける価値も無いが。

プライド=自尊心というものは、周囲に対して持つものでは無く寧ろ自分自身に対して持つものである、というのが私のスタンスである。
結局、ブログであろうが音楽の近親者に対してであろうが、自分自身のやるべき事を怠り逃避した結果は幾ら言い訳したとしても、還ってくるのは全て自分自身に、なのだから。
怠惰の言い訳を文章化してブログで公表する事を「自己主張」と正当化している人間とは、誠に御目出度いものであるなと実感出来る。このブログという世界。
まあ、ブログ活用法は個人の自由なので口出しする筋も無いのだろうが、人間性の本性と品性や品格が隗間見える面白い観察ツールではあると発見出来た。
私はそのような人間にはなりたくないし、そのような人間も決して尊敬しないし、同じ次元にも住みたく無い。真っ平御免。


取り敢えず、練習に関しては自分自身に御約束を一つ作った。
3連続当直の次の休日は、必ず丸一日オフ日とする事。
自分一人で練習、勉強する分にはどのような無茶苦茶をしようと自己満足で構わないだろう。
けれど、私のウィーンでのレッスンには、多くの方々が御尽力くださり、手間を惜しまず、最大限私の意向を尊重して御協力くださっている。
自分自身一人の下らない自己満足の簡単な話では済まされない。
そして何より、声楽の勉強や練習やレッスンを音楽の本場ウィーンで出来るという大きな幸運と喜びを、出来る限り長く大切にして行きたいと考えている。
連続夜勤の後の1日の休日でそれが少しでも改善されるのであれば、練習や勉強やレッスン出来ない悔しさや不愉快さや苛立ちや怒りや理不尽さや不公平感を、少し耐えてみなければならないとも考えた。
実際1日練習を中止して、料理をして看護師の後輩に御馳走したり、声楽の勉強をしている事を何故か知っていた患者さんが貸してくださった元オペラ歌手の手記などを一気に読み終えて、本当に充実・充電出来たおかげで一昨日の練習は3時間久し振りに大いに集中出来たと考えている。
今までウィーンのレッスンで歌うシューベルト歌曲を絞り込めないでいたのだが、ようやく7曲まで搾り込めた。シューベルト歌曲のレッスンはウィーンでは恐らく3レッスンとなる予定。1レッスン2曲としても最低6曲を用意しなければならないのだが、出来る限りレッスンを受ける曲の可能性を広く持つ事によって、そのレッスン時に最適な指導を受けられるようにしたい。
何しろ、ウィーンには最高でも年に1度しか行けないのだから。

頑張りすぎて、疲れ果てて、辛くて、苦しくて。
でもそれで空回りしたとしても、それを私は後悔は絶対にしない。
私の最も大切な生き方は、

紆余曲折を怠らない。

という事だからである。
私にとって一番大切な事は、悩まず苦しまず程々の努力で楽しみ程々の結果と評価を得てそれに自己満足する事では、決して有り得ない。紆余曲折に自分自身気がついた時に、自分自身の能力と判断力と冷静さと強い意志を以って方向の軌道修正を自力で行える事、なのである。
私は悩まず苦しまず楽しみに逃避し自己憐憫に浸るという考えを、良しとするようには生れついていない。
また私の声楽の先生に、そのような事を良しとする先生もまた存在しない。
音楽に誠実である、という事は私にとってそのまま先生方にも自分自身にも、そして何よりもこの後世に今私が勉強し歌っている曲が遺され生き続けている事を見ている多くの偉大な作曲家に向けての尊敬と誠意であるように自分自身そのように存在したいと、心から想う。


怠惰な者は、今現在生存しない過去の作曲者に対してその最も愚かな妄言を吐いている。
現代に生きる作曲者の作品を演奏するなら、今の現実を生き音楽を創りあげ表現している生きた作曲者の意志に対してそのような妄言は、音楽そのものに対する、また作曲者である人間に対する「冒涜」以外の何物でも有り得ない、と私は考えている。


自分自身の心の中で自分自身に言い訳するのならまだしも、ブログで自分自身の怠惰と怠慢を公言する愚者の非を、嗤う。


休養して、また練習&勉強♪