連続夜勤、終了。
明日は1日休日。
明後日は、ウィーンに向かう。

今は準備に追われまくり。今日、ようやくスーツケースを購入し荷物の8割方は準備完了した。
全く、超多忙どころの騒ぎでは無い。
この職業をしていると、長期休暇も殆ど取れないばかりか、今回のように長期休暇を取ると前後がとんでもない勤務になってしまう。
風邪をひかないようにするのが精一杯。
酷暑かと思えば、冬のような冷たい雨。
体力のある人間でも、おかしくなりそうな気候。


今回のウィーンでのレッスンは、悩むヒマすら無い程の多くの状況変動があり、また課題も山のように膨れ上がった。
このブログには書いていない激動の変化が相当ある。
兎に角、新しく始める事にした幾つかの勉強と今後の重要課題が存在する。
相当なロングスパンで思考していかなければならない。
勉強も練習も、今まで以上の忍耐力が必要となる。
必然的に、目指すレベルも難易度も相当高度なものに照準設定を行わなければならない。
日本でもウィーンでも、私を取り巻く音楽的環境が大きく変動していると考えて行動しなければならない。
現在、全く追いついて行けていない状況である事は、確か。
今回のウィーンでのレッスンは、自分の予定を遥かに上回る、勉強不足と練習不足。
これはもう言い逃れも言い訳も出来ない。
今回のウィーンでのレッスンで何とか今までの成果を挙げられる可能性があるものとしては、
去年ウィーンから帰国してからの演奏会を幾つかこなした事によるもの。

去年、
千葉のヤンクミ一座でのシューベルト歌曲4曲の演奏会。
ヘンデル・リサイタル。
今年、
バッハ歌曲とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアを歌った演奏会。
千葉のヤンクミ一座でのヘンデル・オペラアリア5曲の演奏会。

ここで学んだ事や得た事、発見した事や反省した事を、そのままウィーンでのレッスンに即応用しなければならない。
私に今出来る事は、それ以外には余り思いつかない。
先日、ウィーン行き直前の最後のレッスンを谷岡先生に見て頂く事が出来た。
ブラームス歌曲5曲。
ブラームスは、歌い込みが少ない事やピアノ伴奏に慣れていないという現実はあるのだが、谷岡先生からは、

「譜読みは頑張って出来ている」

との評価を頂いた。これは、自分自身に出来得る限りの努力を以ってウィーンでのレッスンに臨む以外他に手立ては無いのだから。
他レッスン曲として予定しているバッハ、モーツァルト、シューベルト、シューマンに関しては、得意というか歌い込みを行っている曲や、練習期間を長く取っている曲から順にレッスンに上げて行く事を想定している。
ウィーンにレッスンを受けるために準備して勉強・練習した曲だけでも30曲近いけれど、全ての曲のレッスンは無理である。
的確な状況判断と適応能力が、求められる事は間違い無い。


それから、今年のウィーンでのレッスンは去年と大きく違う事が、一つある。
ピアニストがいる、という事。
先日、ウィーンのM先生から紹介して頂く予定のピアニストから直メールを頂いた。
ウィーンでレッスンを受ける予定の曲目リストが知りたいという事だったので、送った。
私よりもかなりお若い女性ピアニストだったけれど、私の経歴を正直に説明しても、

「一緒に勉強したいと思っている。ウィーンで会えるのを楽しみにしている」

との御返事を頂いたので、最初はどうしたものか・・・と考えていたのだが、現在は非常に心強く感じている。
有難い事だと、思う。
ちなみにウィーンは日本の食品が高価なので、御煎餅をリクエスト頂いたので御土産に持って行く約束をした。確かに、日本を長く離れていたら、懐かしい味だろうと思う(笑)
今年は自分自身でも悔しくなる位に、勉強不足・練習不足である事には何等間違いは無い。
恐らく、ウィーンの先生方々にも指摘されるであろう事を十二分に織り込み済みの想定内としてレッスンに臨まなければならない事は、百も承知である。
少ないながらも、去年のウィーンでの初レッスンから1年半で学んだ事を出来る限り出したい。
それでウィーンの先生方々やピアニストに下された評価なら、甘んじて受ける覚悟である。
明後日に備えて、後は明日のスタジオ練習のみ!!!
明日は主にシューマンの練習を行う予定。




私はこのブログで、たまに批判を書く。
しかし、毎日毎日誰かの批判文を書き連ねている訳でも無い。
実名も上げないし、他者のブログに批判を書き荒らす事も、しない。
批判というのは、他者に対してであれ自己に対してであれ、時として大きな反動エネルギーとなって自分に返って来る事がある。
大切な事は、批判であれ批評であれ、偏見や自己憐憫や思い込みによらず、より適切または適正な認識に添うための自己努力と、見栄と虚栄心との明確な区別であると考えている。

最も惨めで愚かな事は、見栄と虚栄心と自己保身と僻み根性のために、ほぼ無意識に日常的に他者に対してまた自分自身に対しても「言い訳」を行い続ける事に気づかない、という愚であると私は考えている。


歪み僻んだ虚栄的人間になるくらいなら、傲慢な人間だと思われている方がまだマシである。
それが私の持論である。


いざ、ウィーンへ。