昨日の疲れはB先生のレッスンで精神的に多少取り戻した事と、ウィーン国立歌劇場のグルベローヴァのドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」を諦めて休養に徹した事で、大分回復出来た。
でも天気も悪く寒い。喉の調子も余り良く無い。

10時にN先生のオフィスでレッスン。今日はピアニストのEさんはいない。N先生と通訳のソプラノYさんと私の3人で行う。今日は主に発声練習という事だった。
先に私がN先生のオフィスに到着したため、早速発声練習開始。その直後、通訳Yさん登場。

発声練習の主な課題は、全身の力を抜く事。去年から、今年も、何度も何度も同じ事を指摘され続けている。逆に言うと、発声はそれだけ良い状態を保持するのが非常に難しい事であるのだという認識が非常に重要だという事になる。これは以前レッスンを受けていた先生にも言われた事がある。
「発声は、我々にとっても永遠の課題です」
本当にその通りだと、痛感させられるウィーンでのレッスン。
発声は、主に頚部〜下顎〜前胸部の力を抜く事。何度もN先生の指摘・修正されるが中々N先生のオーダー通りに出来ない。日々少しづつ体の余分な力は抜けて来てはいるものの、ウィーンの先生方の要求と理想はアマチュアの私の考えを遥かに上回る。
頚部〜鼻腔の奥〜頬骨と、下肢〜下腹部の支えを意識して口を縦に開ける事。最初の中低音域は口を開き過ぎず、高音域に上がるに連れて口を縦に開けて行く事。声を出そうとするのでは無く、ただ体という楽器が鳴っているのだと考える。息を押すのでは無く頭の後ろ〜上から通すように。
N先生から指摘されている事は通訳のYさんを通して言われている事は頭では理解出来る。同じ事を連日指摘されているのだから。問題はそれをどのように自分の体で体現して行くのかと、という事。慎重に考えながら発声を行っていたが、時々考え込んでしまう事も多くなって来た。

通訳のYさんに関しては、余り気にせず、なるべくジェスチャーも含めてN先生の仰っている事を自分が通訳のYさんよりも先にキャッチしようと努めた。それによってまず自分自身が意欲的にN先生の仰る事を理解しようと努める事によって、他人の介入による精神的ストレスを緩和するという、多少前向きな方向性を選択する事が出来た。ドイツ語そのものの理解よりも、ジェスチャーなども踏まえて私がきちんとN先生の指摘を理解して修正出来れば、それだけ通訳のYさんに依存する割合も減少する。それも、ストレス減少に正比例する。

立ったままの発声である程度声が少し響くようになったが高音域になると声が掠れたり出無かったりする事も出て来た。今日は恐らく2点Aくらいから上の高音域が、出づらい。椅子に座ってリラックスして体の力を抜きながら発声を行うようN先生から提案された。色々とN先生から指摘されるが、中々進まない事も多く、私が英語でN先生に、
「Very difficult」
と一言お伝えすると、一瞬、通訳のYさんがN先生のドイツ語を日本語に訳そうとするのを中断する場面も見られた。自分自身のレッスンなのだ。こうでなくては、ならない。
N先生は、
「誰にとっても大変難しい事ですが、出来るようになれば容易にやれるようになりますから」
と仰った。
私は、何か新しい事を習得する場合、普通の人の3〜4倍は時間がかかると自分自身考えている。だから、他人と同じ事を同じ習得速度でやろうとする場合、必然的に他人の3〜4倍の努力が必要となる。だからウィーンでのレッスンも指摘・修正された事を総てその場でクリア出来るなどとは考えていない。ただ、出来る限りその場でウィーンの先生方の指摘に対応して修正出来るような努力を行うだけの事である。日本でも継続してウィーンで指摘された課題を忘れずに取り組むために、こうしてわざわざウィーンのレッスン記録を行っているのだから。
N先生より、下腹部のポジション、ブレスのタイミング、口の開き方を一度に指摘されながら発声を行っていくという緊張感もあるし、考えると時間も掛かる。N先生から、
「何も考えないで、やってごらんなさい」
と仰られると、却って出来なくなってしまう場面も何度かあった。途中色々とN先生から指摘や質問をされる事も多かったが、私は解らない事、実感出来ない事、理解出来ない事は、必ずはっきりと、
「今の自分には理解出来ません。掴む事が困難です。少しは出来たという実感はあります。確実ではありません。少しだけ掴めたと思う」
など、かなり出来る事出来ない事を正直にはっきりと先生に申し上げる。この事については日本の先生でもウィーンの先生でも、同じ対応をさせて頂いている。知ったかぶりは論外、実際に出来なければ何もならない。それは本末転倒だからだ。
N先生から、椅子に座ったまま、複数の母音の種類で少しづつ音程を上げたり下げたりする発声練習に切り替えられた。異なる母音を交えて発声する時であっても、高音域に移行する場合には必ず口を縦に下に開く事。
ここくらい辺りから、ようやく発声が楽になって来たかな?と思えるようになった。喉の調子も大分回復して来た。良い発声、適切な発声は、声帯にも良い影響を与えるという事か。

最後に、椅子に座ったまま今の体に余分な力の入らない状況で口を縦に下に開ける状態で、モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアの最初のフレーズを歌ってみるように言われた。非常に声が出やすくなった。2点Aや2点Hも別に苦しくも辛くも何ともなかった。N先生からウムラウトの発音だけもう少し口を狭くするように修正された。自分の声がこんなにも少ない力でこれだけ響くものか???と思うような声が流れた。決して細く無く太く無く。N先生も思わず日本語で、
「そうです。その通りです!!!」
と仰っていた。ここで本日の発声練習でN先生からOKが出た。N先生から、
「あなたがこのレッスンで、こんなにも上達してくれた事を、私は大変嬉しく思います」
と仰られた。ああ、こういうふうに発声するものなのか・・・という事を幾分か掴む事が出来たような気がした。問題は、この発声を、パミーナのアリアの他にも、シューベルトやシューマンやブラームスの歌曲で活かされなければならない、という事である。
しかし、N先生からのこの言葉は、非常に嬉しかったが、反面非常に重くもあった。

レッスンが終わり、少しだけN先生の要求に近づける事が出来たためか、少しだけ精神的にも穏やかになっていた。少しだけストレスフルな状態から解放されつつあるかな、と思えた。しかし、ここで終わった訳でも何でも無い。まだレッスンは続くし、日本に帰国してまずシューマンのリサイタルでこのN先生のレッスンで受けた発声を少しでも活かさなければならないからである。
最後に通訳のYさんが随分ニコニコ笑いながら「とっても綺麗な声ですね」と何度も話しかけて来た。
この人、どうしてこんなにもハイテンションなのか?それとも私がローテンション且つナーバスなのか?と考えたけれど、もともとピアニストEさんのように日本にいる時からコミュニケーションを取っていた人では無いのだから仕方が無いかも、と思った。第一私は、もの凄く人見知りが激しい方だ。私が複雑な表情をしていたら、通訳のYさんから「大丈夫ですか?」と聞かれた。私は、
「今まで、日本でも綺麗な声と言われた事は無かったので、かなり不思議に思ったものですから」
と答えた。通訳のYさんは、不思議そうな顔をしていたが、兎に角今日の通訳のお礼を申し上げて帰宅した。午後には、通訳のYさんとシェアルームに住んでいるピアニストYさんとのピアノ合わせがある。また、通訳のYさんとも顔を合わせるが、自分のペースを掴めて来た事もあるし、他人や部外者の介入に精神的に左右されないという忍耐力もある程度培われなければならないので、これはこれで少し慣れて来た。
通訳のYさんも別に悪い人では無く、寧ろN先生に頼まれてわざわざ見知らぬ日本人オバサンのアマチュアのレッスンの通訳に来てくださっているので、感謝しなければならないのが筋だろうとも考えた。
ただ、私自身、自分のレッスンに部外者を介入させる事に非常に慣れていない事と、人見知りの強さが災いしたのだろうと、反省もした。


昨日のウィーン国立歌劇場のドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」のグルベローヴァを観に行く事が出来なかった事が、残念でならなかった。