今年10月、ウィーンのレッスンから帰国してから、ウィーンのM先生から新しい声楽の先生を御紹介して頂いた。理由は、私が来年のウィーンでの演奏会で歌う、という事になったからである。お決めになったのは、ウィーンで主にシューベルト歌曲のレッスンを受けている、B先生。B先生が、今年私がウィーンのレッスンに持って行ったシューベルト歌曲6曲の中から2曲選曲されて、来年のウィーンでの演奏会で私に歌って貰おう、という事になった。
但し、条件が一つ。


「ドイツ語の発音をきっちり修正して来る事」


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これまた無理難題が出たものだ、と思い、最初この来年のウィーンでの演奏会の話を直接私にしてくださったウィーンのM先生には、即答でお断り申し上げた。理由はM先生からも、

「ウィーンでの演奏会は、今あなたがウィーンでレッスンを受けている先生方も演奏するし、他にもウィーンの音楽院などで優秀な成績の演奏家が出演する。日本のアマチュアの発表会のレベルとは違うのよ」

という発言もあったからだ。
あの、私はアマチュアである。音高にも音大にも専門学校にも行っていない。日本国内のアマチュアのコンクールすら出た事が無い。
ウィーンでレッスンを受けさせて頂いたのは、まだ2度目。
私はM先生に、「それなら尚更私はアマチュアだし、何よりもまず自分自身の声楽的レベルを全く把握していない。もう2〜3年勉強してからもう一度検討するべきだと思うので、今回は演奏会に出るべきでは無いと考える」とはっきり申し上げた。
ここで私の意見に頑張って反論したのが、ウィーンの音楽院を首席で卒業した現在大学院生のピアニストEさん。

「私は、あなたと一緒に演奏会をやってみたいと思う。あなたは音楽の造り方が良い、面白い。私だって幾ら(ウィーンで)学校に行っていても、他の演奏者は自分の先生とかだし、私だって、ペーペーだけど、でも周りの質の高い演奏をする人達に、一緒に引っ張って行って貰う事で、必ず大きく成長すると思う。また、そうでなきゃ成長するチャンスもなかなか無い。あなたなら、それが出来ると思う」

と、まるで25歳とは思えないような意志の強さとしっかりとした自分自身の考えを持っているEさん。私は少し涙ぐみながら考えた。私は、音楽の勉強としても、看護師の仕事としても、脳出血で倒れた親父の入院管理や借金の管理の面でも、今ギリギリ一杯状態でウィーンにレッスンに来ている。
果たして、来年自分に可能だろうか・・・・・・・・・・。それが大きな不安だった。
日本に帰国する前日の夜、M先生とピアニストEさんと私との3人で、アウグスティーナ・ケラーで飲み会を開いた時に、M先生とEさんからのアドバイスも含めて、来年ウィーンでの演奏会を目指してみる、という事で一応の決心をして帰国して来た。


日本に帰国して徹底的にドイツ語の発音を修正するのであれば、少なくともネイティブのオーストリア人またはドイツ人の先生、若しくは留学経験の長い声楽の先生が必要であることは絶対である。
ウィーンのM先生も探してくださるとの事だったがM先生ばかりを頼ってもいられないので、私自身も以前ピアニストの先生から教えて頂いたゲーテ・インスティトゥートや、谷岡先生から教えて頂いた日欧文化協会などを虱潰しに当たってみたが、結局ネイティブの先生など、何のツテも無い私が見つけるのは困難極まりないというよりも、不可能に近かった。
そこで、ウィーンのM先生にメールを送った。「今こちらでドイツ語に堪能な、出来ればネイティブの先生を探していますが、見つからない、現状は非常に厳しいです。このままでは来年ウィーンの演奏会に出る事はかなり難しいでしょう」と。
そこで、丁度ウィーンのM先生が来日されるという事で、一通のメールがM先生より届いた。
その内容が、来年ウィーンでの演奏会を歌うために新しくM先生が探してくださった先生の御紹介だった。

某大学の名誉教授。

これは、後日M先生が来日時にレッスン後一緒に食事をさせて頂いた時に伺った話だったのだが、もともとM先生が私に紹介する事を考えていた先生がいらっしゃったそうだが、レッスン料が高額であること(1レッスン¥35000!)、最近のお弟子さんの質を見ると余り良く無いとの事で、私の先生を新しく探して下さったとの事だった。



この某大学の名誉教授のレッスン、呼吸法だけで2時間びっちりぎっちり。ボイスレコーダーを用意して来るように要請されたので、てっきり自分の発声や歌唱を録音するものかと思ったら、トンでも大間違い(爆)ボイスレコーダーには、スーハースーハー、ハーフーハーフー、スッスッスッ、などの呼吸法バリエーションが1レッスン7〜8種類録音される。
胸郭を広げながら胸郭を決して動かさず、腹部の呼吸筋と舌と軟口蓋と下顎の動きを連動させ、声帯は歌うポジションの位置から絶対に動かさない。
これを毎回、1レッスン2時間。
まだレッスンを受けて3回目だが、既にシューマン・リサイタルのピアニストのY先生からは、

「あなた、随分中低音域の発声が良くなったわねえぇ・・・」

と感心されてしまった。某大学の名誉教授は私とのレッスンでシューマンのリサイタルが近日である事を話すと、

「リサイタル本番までに、ピアニストの方にあなたの発声が良くなった、と言って頂けるのが目標です!」

と仰っていた(爆)
それって、私の目標でしょうか・・・・・・・・・・?????ですよねえぇ・・・・・・・・・・(爆死)
とゆ〜事で、たった3回のレッスンで一応の初期目標に近づく事が出来た。
勿論は、私が音高や音大や専門学校に行っていない事も、外国語を話せない事も、全て御説明してあるし、今現状ほぼ夜勤の看護師の生活で、練習やレッスンにはある程度の体力的な限界がある事も御説明申し上げた。
それでも、某大学の名誉教授(今後は教授と呼ばせて頂く)は、非常にハイペースで、私がクリア出来たレッスンに関してはボイスレコーダーを使用して自宅で声を出せない時に練習するようにと、どんどん先にレッスン内容が難しくなって行く。一切、手は緩めない。教授のレッスンが2時間終了した後は、ヘトヘトのフラフラである。
しかし、今迄2〜3時間スタジオで曲の自己練習をやっていた時や、ピアニストのY先生とのピアノ合わせでがっつり1時間半シューマン歌曲歌いっ放しだった時には声帯疲労を強く感じたのだが、教授のレッスンを受けるようになってからは、声帯の疲労度はほぼ半減したといっても過言ではない。
その代わり、遠心疲労が物凄いけれど(苦笑)
これで、何とかシューマン・リサイタルや、来年のウィーンでの演奏会に向かって行けそうな気がして来た。
実際、ウィーンのM先生が教授とメールでコンタクトを取った時に、教授が私のレッスン内容を詳細に書いてくださったとの事。長年勉強しているだけあって、飲み込みが早い、と仰られていたらしい。それだけでも本当に有難い事だが、やはりレッスン内容が高度化して行くに連れて、出来ない事も多くなって来た。
それでも、今は何とか石にしがみついてでも教授のレッスンに付いて行こうと、決心している。


その教授が前回のレッスンの時に、こんな事を仰られた。

「プロとアマの違いは、お金を貰うか貰わないか、ではないんですよ。まずアマはね、自分が楽しんで聴く人が苦しむのがアマなんですよ。それから、プロは、自分が苦しんでお客様を楽しませるのがプロなんですよ。石川遼でもそうですけどね、我々は(彼のプレーを)あそこしか見てませんけど、彼は物凄い苦労していますよ」


私は、看護師というライセンスで収入を得ている。つまり看護のプロフェッショナルとして仕事をして収入を得ている。だから、クラシック音楽といえど収入を得る以上、プロとしての技術、自覚なぞあって然るべきであるのは言うまでも無い事なので、声楽に於いてもそのように分類し考えて来た。
教授の言葉は、非常に良い意味で私の固定観念の転換を図って下さったと感謝申し上げている。
成程、と。

但し、私は自分自身はアマチュアとしての認識を持っている。
大切な事は、プロとアマの区別なり基準なりを何処までも主体的に把握し、アマとして自分が目指すべき事は何か、不足している事は何か、やるべきでは無いプロの真似事は何か、自分自身の中に明確に厳格に基準を作る事によって、教授の仰る「プロとアマの違い」をより高く目指して日々練習勉強を続けて行く事にある。
適切な分析と認識と判断によって「プロとアマ」の明確な区別を知っておく事は非常に重要な事であると私は考えている。
でなければ、来年のウィーンでの演奏会の話しを、何の考えも無しに慎重さに欠けた無謀さだけで二つ返事でオーケーしていたに違いない。それは私にとっては、恥ずべき行為に等しい。
何がチャンスであり、それがどのようなチャンスであり、自分にとって不可避な条件を考えるためには、このような冷静な分析と判断能力が求められて、当然至極である。


ちなみに、プロであろうが、アマであろうが、自分の出来得る限りの勉強や努力や練習や鍛錬を継続的に行なう事は、演奏家として至極当然の事で、殊更取り挙げる程の事とは言えない。それが出来ないなら、上達やレベルアップなぞ有り得ないからである。
プロとアマの基準を、気にする若しくは都合の良い解釈をする事と、プロとアマの基準を明確に分析し認識した上で自分がどのような演奏を目指し、目標にして行くのか。
演奏家に問われているのは、正にその事であるという事が、教授の言葉の中に含まれていると私は認識している。
「プロとアマ」の基準を{気にする}事と、{プロとアマ」の基準を{主体的に分析、把握、認識}する事は大きく違う。気分の問題と、自己分析を混同するなど論外、笑止千万である。

M先生に、とても良い先生を紹介して頂けたと、感謝している。