晴れの日はANDANTE

私のライフワークである歌曲やオペラ、日々の練習やレッスンについて、気ままに綴っていきます。

2008年11月

ヘンデル・プログラム決定vol.25

余りレッスン時間は残っていなかったのだが、レチタティーヴォの細かい事や楽譜の詳細に関しては殆どコメントは無く、発声についてのみ注意を受けた。発声に関しては、これだけはどうしても時間が掛かる。仕方が無い。地道に気長に我慢強く取り組んで行く以外に他に方法が無い。一夕一朝には行かない。まだヘンデルのリサイタル本番までにはかなり時間があるので、細かく丁寧に発声を仕上げながら譜読みして行くしか無い。それは自分でも重々承知している。レッスン終了後、それでもミルヒー先生が一言言って下さった。
『良くこの4曲をここまで勉強して来たね。大変だったでしょう。』
このミルヒー先生の言葉を聴いた時、何だか涙が零れそうになった(苦笑)嬉しかった。今は辛い事が多過ぎるせいかも知れない。私はただただ必死で勉強しただけだったけど、こうしてミルヒー先生から改めて言葉で励まされると本当に救われる思いだった。人生、全うに頑張っていればたまには良い事あるもんだなあぁ・・・と何だか切なくなった。以前親友に話した事だが、きっと報われる努力なんてたった一握りでそれも余程正しい努力以外は報われないのが当然だから、報われた努力だけが正しい努力だと考えるべきだと。続きを読む

ヘンデル・プログラム決定vol.15

今日はまた久々のミルヒー先生のレッスンだった。来年ヘンデルのリサイタルで歌うつもりの新曲4曲をレッスンに持って行った。【リナルド】からリナルドのアリア「愛しい花嫁よ」、【エジプトのジュリアス・シーザー】からクレオパトラのアリア「貴方は私の運命の星」「愛する瞳よ」「美しいヴィーナスは」の4曲。どの曲も4〜5ページあって繰り返しがあるので6〜8分の大曲が多い。譜読みだけでも一苦労だったのだが、リサイタルで歌う許可を貰うためには少なくとも通して歌ってそれが形になってないといけない。来年の今くらいにはきちんと歌えているようになれるだろうとミルヒー先生に判断して貰えるくらいでなくてはならない。昨日はスタジオを4時間借りてヘンデルを練習した。
久しぶりのレッスンだったのでまたまた発声練習に時間が掛かったのだが、何とか4曲みてもらう事が出来た。リナルドのアリアは
『ピアノ伴奏が付いて歌い慣れればいいと思う』と言って貰えた。リナルドは男性なので、メゾソプラノやコントラルトやカウンターテナーやテノールが歌う。音域が低いのだが、この曲が一発許可になった事はもの凄く嬉しい!!!去年のヘンデルの演奏会の時点だったら恐らく許可されなかったと思う。続きを読む

ウチのとんでもない親父vol.21

ですよねえぇ・・・(滝汗)いきなりそんな事聞かれてもねえぇ・・・(大汗)困るわな。余程ラフマニノフが好き、とか余程ラフマニノフの演奏機会がある、とかじゃあなきゃねえぇ・・・(溜息)声楽で言ったら、いきなりシュトラウスやワーグナーやマーラーやシューンベルク歌えって言われてもねえぇそりゃあぁ喧嘩売っとんのか!!!ごるあ!!!とかゆ〜話になるわな。
とゆ〜事で、再度ウチの親父に電話した時に、流石にヘンデルの演奏会でラフマニノフは厳しい、大体にしてヘンデルはバロックだがラフマニノフはロシア・ロマンスぢゃねえか、ど〜考えてもカップリングに無理があるじゃねえか!!!と話すと、親父も納得した様子。で、私が他の曲を先生に聞いてみるからバロック近辺で他に希望のピアノ曲は無いもんかと聞いた。親父はとても楽しそうに言い放った。
『テレマンでいいよ♪』・・・・・。何処のギャグだよ一体私如きのアマチュアのリサイタルにヘンデルのオペラアリア10曲近くも伴奏して下さるオクレール先生に、ラフマニノフの次にテレマン???それを私に聞けってかあああぁぁぁ!!!これだからマニアは困るんだあああぁぁぁ〜〜〜と思いながらも、オクレール先生にお尋ねした。続きを読む

ウチのとんでもない親父vol.11

最近凹む事ばっかりでかなり気が滅入っているのだが、さっさと切り離して立ち直ってリサイタルとウィーンを目指さなければならないので、ウザ問題は却下、という事で少しでも笑える話題を探したい。
来年2月のベートーベン&シューベルトの初リサイタルの後の来年秋〜冬頃に、没後250年メモリアル・イヤーのヘンデルのオペラ・アリアのリサイタルをやりたいと考えている。数日後にミルヒー先生にリサイタルに歌いたいと考えているヘンデルの新曲を4曲レッスンに持って行く予定だ。その事を先日親父に電話で話した。すると、来年秋〜冬にかけて従姉妹が結婚するので内輪の挙式のため親父が上京するという事だった。それなら親父の上京時期に合わせてヘンデルのリサイタルを開こうという話になった。
ウチの親父は大のクラシック音楽好きで私がクラシック音楽を聴くようになったのも親父の影響である。30年以上前自宅にはクラシック10枚組のLPやカラヤン・ベルリンフィルやオーマンディ・フィラデルフィア、リヒテルのラフマニノフやチャイコフスキーのピアノ協奏曲、カール・リヒターのオルガン曲のLPなど、とにかくクラシック音楽には事欠かなかった。唯一無かったのは、歌曲やオペラのLPだった(爆)続きを読む

ピアニッシモで・・・vol.21

だからと言ってハードな勤務後や夜勤後に声を出したら声帯に余計な負荷がかかるだけで何の得にもならない。下手をすれば声帯を潰す。ではどうしたら良いのか?効果的な練習を心掛けて行くしか無いのだが、それにしても厳しい状況の中に自分がいると考えると何だか切なくなって来た。でもこれが厳しくとも現実だ。現実を受け入れて出来る限り努力する以外に自分に出来る事なんか存在しない。文句や愚痴言ってるヒマがあったら1曲でも多くピアニッシモで歌う事に慣れなければならない。それにしても全てピアニッシモで歌うためには何と体を酷使しなければならない事か。体幹の筋肉がおかしくなりそうだ。声量は極力押さえなければならない上に声の響きや音程が下がってはNG。本当に一音一音ピアノの鍵盤で自分の声の響きと鍵盤の音を確認しながらの作業で、あっという間の4時間だった。喉は殆ど使った感じは無かったが、体はあちこち筋肉痛で痛かった。たった4時間でこんなに筋肉痛になるのか。今までの練習方法をかなり反省した。気付いたのが遅すぎたのかも知れないが今の私には後悔している余裕すら無い。出来得る限り最大限の努力を続けなければ、いつ初リサイタルが頓挫するとも限らないのだ。続きを読む

ピアニッシモで・・・vol.11

来年2月の初リサイタルで歌うベートーベン&シューベルト9曲全部4時間練習した。先日の初合わせでピアニストに指摘されたから。ピアニッシモを綺麗に歌えたら・・・プロだなあぁ・・・と(苦笑)考えながら、でも次のピアニストとの合わせがいつになるかはまだ解らないが、何とかピアニッシモだけは努力の後が見えないといけない。勿論今までピアニッシモできちんと歌った事は無かった、とゆ〜よりもピアニッシモなど出来た試しが無かった。ここ数日間色々考えたのだが、ピアニッシモを綺麗に出せるような効果的な練習方法なぞ全く考えつかなかったので、昨日の夜ハリセン先生&谷岡先生宅に電話したのだが、夜9時近くなっても御不在のご様子だったので仕方が無く自分でまた考える事にした。だがしかし、幾らこの無いアタマで考えた所で考えが浮かぶ訳でも何か思い付く訳でも無く、結局歌う曲全てピアニッシモで練習する事に決めた。自慢じゃ無いが私は《馬鹿の一つ覚え》だけは大得意だ♪少々極端だが、後は名案(迷案?)は思い付かない。これを100回練習して駄目なら200回、200回で駄目なら500回、500回で駄目なら1000回練習するしか無い。出来るまでやる。私に出来る事はそれ位しか無いのである。続きを読む

渡る世間は???vol.31

ピアニストは私にたった一言だけ教てくれた。それなら私はその一言から意地でも学ばなければならない。
『本当に私と共演して9曲歌いきるつもりなら、周りをアテにせず自分で勉強をしなさい』
という事なのだと、恐らくはそういう事なのだと、私が彼女に伴奏ピアニストをお願いするためにはそうするしか無いと、そして彼女に伴奏ピアニストをお断りされないためにはそうするしか無いと、そういう事だと理解・認識した。
現状は解る。ただ、どうすれば良いかが解らない。帰って来てからギャラリーカフェに行った。疲労困憊しきった私を見た担当者は高笑いして「大変だったね」と声をかけてくれた。私はピアニストが私の歌を聞いた後でも私の伴奏を引き受けようとしてくれた事が理解出来なかった。最初は楽譜を渡すだけのつもりが声を聞いて貰ってなかったので数曲歌うつもりが9曲全曲歌う事になり、しかも自分の先生とも全曲合わせた事が無かった事を話したら、余計に笑われた。でもギャラリーカフェの担当者は、
「そういうのってさ、最初のインスピレーションを大切にするみたいだよ。だから、きっとピアニストはあなたに何か感じたんだよ。だから頑張ってよ、応援するからさ」 と言って頂けた。続きを読む

渡る世間は???vol.21

そう言いながらピアニストは初見も含めて9曲弾ききった。凄い。唖然とした。ドイツ歌曲を大学とウィーン留学で勉強し続けている谷岡先生が呆れた選曲を彼女は弾ききった。私は全身汗だくで9曲何とか歌いきった。歌うというよりも《声を出す》だけで精一杯だった。それでもピアニストは、
『歌の人ってあんまり長い時間歌わないんでしょう?喉に良くないから。こんなに歌って疲れたでしょう』
と気を遣って下さった。とてもじゃあ無いが疲れるどころの話では無い。これが明らかな《違い》なのは解ったが、それが教育の問題なのか努力の問題なのか資質や天性の問題なのか、私には理解出来ない。ただ解る事は、今のままの自分ではもしかしたらリサイタル本番前にピアニストにお断りされる可能性も充分に視野に入れておかなくてはならない事だ。
『少しづつ合わせて行きましょう。何かあればいつでも連絡ください』
とピアニストは言った。もう、ただただ御礼を言ってお願いして来る事しか出来なかった。最後にピアニストに、
「私になにかありましたら是非御指導をお願い致します」
と尋ねたら、
『私は何も言える立場じゃ無いけど、会場は響く場所だからピアニッシモが綺麗に出せたらいいわね』続きを読む

渡る世間は???vol.11

今日、ドイツ歌曲初リサイタルをお願いしたピアニストのお宅に伺った。楽譜をお渡ししに行った。都内のとある超高級住宅街をしばしウロウロ探し回り、番地を見ながら何とか辿り着いた。ピアニストのお宅に着いて、ヤマハのグランドピアノのある部屋に通された。まず伴奏の御礼の御相談が済んでから、ピアニストに突然尋ねられた。
『リサイタルを開くって凄い事ですよね。何か、野望とか、あるんですか?』
は???野望σ(^ー^;)?野望・・・やぼう・・・ヤボウ・・・(滝汗)
「あ、目標って事でしょうか?」(滝汗倍増)
『そうそう♪』
いきなり考えた事も無い質問をされて一気に心拍数倍増。30秒程しどろもどろになった後、やっとの事で出て来た答えが
「いや、あの、とにかく勉強したいので・・・」
の一言だった(泣)まずった。そんな質問アリなのかあぁ〜と怯んでいる所に、今ドイツ歌曲のレッスンを受けている先生の名前を聞かれた。嗚呼、ハリセン先生&谷岡先生ごめんなざい(T^T)
ドイツ歌曲を習うきっかけを話した。最初はドイツオペラを習いたかった事など。
話の後にリサイタルの楽譜をお渡しした。ベートーベンとシューベルトの歌曲とアリア合わせて9曲。歌う曲順に重ねておいた。続きを読む

コンクール考察vol.43

発声のクオリティという課題を度外視したコンクールなど存在しないとは思うが、そのような理由によりモチベーション不在が成立すればコンクールは私の視界に入らないのは至極当然である。趣旨としてでは無く単にスタンスの違いという事だが。評価基準のポイントによってコンクール自体のレベルを想定する事は不可能では無い。とすれば評価基準とレベルによって数少ないコンクールへのモチベーションが左右されるのはごく自然である。
要するに、コンクール一つとってもかなり慎重に考えないと評価そのものに疑問符が付く可能性は高い。入賞の価値基準に固執するのは個人の自由だが表面的な形式やスタイルに左右されるのでは無く自分のものの見方に懐疑的姿勢を持つという視点が無ければ適切な評価認識さえ困難であるという謙虚な姿勢を持つ必要がある(苦笑)それが外的評価に起因するなら尚の事である。私自身謙虚であるとはかなり言い難いが、常に危機意識を持ちながらあらゆる問題に対して考察を深める事によって独断と偏見を規制し、尚且不必要に周囲に振り回されない適切な見識を持つ努力を怠ってはならない。価値観の多様化の今日、自意識特に過重な自意識のリスク・マネージメントは必須である。続きを読む

コンクール考察vol.33

ここに挙げたコンクールに関して言えば入賞曲としてはプッチーニはやはり多いと感じる。が、プッチーニが多い理由は幾つかあるだろうが、審査員がプッチーニ好きが多いか或はコンクール出場者の選択曲としてプッチーニが多いかという要因は考えられる。ここで私が注目している事はコンクール入賞曲の傾向と対策としてのプッチーニでは無く、ヴェルディの入賞曲の少なさと併せて考えた上での《ベルカントとヴェリズモ》という視点の問題である。プッチーニをヴェリズモとして捉らえる事は必ずしも適切では無いかも知れないが、ドニゼッティやベッリーニを始めとしてヴェルディなどのベルカント・オペラが入賞曲として非常に少ないという現実は非常に重要だ。私がコンクールの入賞曲として比較したプッチーニとヴェルディを単純にヴェリズモとベルカントに大別してしまう事は必ずしも適切では無いかも知れないが、それでもドニゼッティやベッリーニなどのベルカント・オペラの選曲自体が少ないのはやはりアマチュアのコンクールだからかなのか、という見方は可能だと考える。ベルカント発声が出来ていない状態でヴェリズモに慣れてしまう事に対して私自身かなりの危機感を感じずにはいられない。続きを読む

コンクール考察vol.23

ではコンクール出場の目標は何か?これは前述とリンクしているが、入賞・本番舞台演奏の場数踏み・歌唱技術の向上等の要素が考えられる。入賞による外的評価によりプロフィールの宣伝効果はあるだろうし、普段は演奏出来ないキャパのホールでの演奏経験は本番での緊張緩和という課題にもかなり効果的であると考えられる。私自身コンクール出場は論外だが、もしコンクールに出場する事を視野に入れるとすればこれ位の目的や目標を考えるだろう。無論、目的や目標は人それぞれ。ただ、私が自分が現在出場可能なコンクールに関しても興味が全然湧いてこない理由はモチベーションが無いという現実に起因する。ぶっちゃけ、コンクールのための勉強をするくらいならヴェルディ・プッチーニ・ヘンデル・シューベルト・ワーグナーの勉強を優先させたいし、ワーグナー1曲でも課題に出された方が明らかに歌唱技術も向上するだろう(苦笑)人参ぶら下げられた馬みたいに(爆)少なくとも私の場合は音楽の勉強が出来る時間的にも余裕が無い状態なので、勉強時間の有効利用という意味でも余程の理由が無い限りコンクール出場のための勉強に対するモチベーションは湧いてこないと言わざるを得ないのである。続きを読む

コンクール考察vol.13

先日私がコンサートに出演していた某ホールのサイトで、何度か一緒に出演した事のある人が今年とあるアマチュア声楽コンクールに入賞したという情報を目にした。かなり昔に色々コンクールについて調べた事はあったのだが、年齢制限が多い事や結構費用がかかる事、また費用の割にはあまりメリットが感じられなかったので興味が湧かずに終わってしまったのだが、某ホールで同じ日に出演した人が二人程入賞した事があり、その二人の歌唱レベルはアマチュアとしては低くは無かったので多少興味が湧いたので調べてみた。
1999年から10年間続いているアマチュア声楽コンクールである。応募資格や選考基準等の詳しい情報は今は手元には無いが、入賞した事のある二人は少なくとも私よりは結構年配なのでそれ程制限は無い様子。一応サイト上で過去10年間の入賞者の氏名・曲名は公表されていたのでそれを元に考察してみる事にした。
過去10年間の入賞者を声楽に限定して61曲とした(伴奏賞等は除く)入賞曲以外の応募曲のデータは公表されていないがイタリア・ドイツ・フランス・日本の歌曲やオペラの他にチャイコフスキーやガーシュインなどの曲やミサ曲もあり、入賞曲だけでも思ったより多彩だった。続きを読む

自分との闘いvol.21

はっきり言って、躊躇している場合でも恐れている場合でも無い。恐らくそんな余地は無い。今私がやるべき事は、途中で伴奏をお断りされるような中途半端な勉強や演奏を絶対にしない事だけである。それは彼女に対しても人間としても最も恥ずかしい事だ。他人のものの見方に振り回されて最も大切な事を見誤ったり見失ったりする事は誠に愚かな事である。何よりも私が自分自身の眼で見た事、自分自身の耳で聴いた事、自分自身の心で感じた事を強く信じなければならない。所詮自分自身の努力にしか拠り所の無い自分なのだ。私が他の人よりもマシな事は《地道にコツコツ努力する》事だけなのだから。それを忘れたら歌は歌えない。自分の身の程を知らなければ、思い出さなければならない。不必要に恐れている場合では無い。譜読み、暗譜、ドイツ語、曲の解釈、やらなければならない事は山積みだ。難しいだろうし歌えるかどうかも分からないが、彼女に軽蔑されるような演奏だけはしたくない。
後は、自分との闘いだけである。やるべき事を出来得る限り努力するしか無い。後のどのような術も私には解らない。3時間かけてそう考えたら、大分落ち着いて考えられるようになった(笑)続きを読む

自分との闘いvol.11

今日は急いで仕事を終わらせてギャラリーカフェに行った。最近時間が合わなかったので行けない事が多かった。来年の初リサイタルのピアニストの事も報告に行かなければと考えていた。何しろギャラリーカフェの方々に紹介して頂かなければ出逢う事が不可能だったピアニストだ。
ギャラリーカフェに行ったら担当の方が丁度いらっしゃったので早速ピアニスト決定の報告をした。報告はしたが、もの凄く驚かれた。『ええっ!!!彼女が引き受けてくれたの???良く引き受けて貰えたね〜!!!彼女はもの凄く好き嫌いがはっきりしてて気難しいんだよ!!!凄いね〜良かったね〜練習頑張らなきゃね〜!!!』
それを聞いて本番で歌う以上に緊張した。まさかそんなに気難しい方だと感じた事も思った事も無かった。私の中では音楽に物凄いこだわりがあって研究熱心でピアノが好きで音楽が好きで厳しいだろうけどとても音楽とピアノを大切に大切に生きている方だと感じた。だからこそダメもとで伴奏をお願い申し上げたのだから。
でも良く良く考えてみればその評価はごく自然な事なのかも知れない。あれだけ音楽とピアノにこだわりと思い入れを持っている方だ。妥協も甘えも許されない事は容易に想像が付く。続きを読む

本日のレッスンvol.23

こういう話は教えて貰わないとさっぱり訳ワカメ(苦笑)なるほどな〜と関心したが、自分がグレートヒェンを歌えるようになるためにはどんな勉強やら努力をしなきゃならんのかはさっぱり解らんが。谷岡先生が、
『あなたも、もしウィーンでレッスンを受けた先生が気に入ったら、自分の声にどんな曲が合うのか聞いてみたら?シューベルトが合うのかシューマンが合うのか、合うとしたらどんな曲が合うのか。勿論先生にもよるから絶対では無いし、他の意見もあると思うんだけどね。』
ををっ!!これは良い質問だなあぁ〜と感動した。そういう事を本場現地人に聞けるなんざそうザラには無い話だ(爆)自分の好きな曲が本当に自分の声質に合っているのか、自分の声質はどんな曲に合っているのか、いつも私自身が一番こだわっている超大切な問題である。これだけでもウィーンに行く楽しみが数段増えたと言うものだ♪それにしても、オランピアや夜の女王やツェルビネッタ役はヨーロッパでは不思議ちゃん系なのか〜・・・と考えると改めて大爆笑。もしウィーンでこんな話をさせて頂けるなら、例え少しでも構わないので聞いてきたいなあぁと考えている。東洋と西欧の文化と認識の違いを改めて認識した次第である。続きを読む

本日のレッスンvol.13

今日は久々に谷岡先生のレッスンだった。最近は本番続きでハリセン先生共々お忙しい。まずウィーンのセミナーのその後の経過から話が始まった。ウィーンのセミナーに関して全然連絡が無いという事で再度谷岡先生が確認して下さるとの事。最初はセミナー参加という形でウィーンに行く予定だったが初リサイタル開催もほぼ決まり、例えセミナーがあろうと無かろうと必ずウィーンに行くと既に心は固まっている。そこで、どちらかと言うと個人でウィーンに行く筋で確認を取って頂く事で話を進めた。出来れば3回くらいはレッスンを受けたい事、ウィーンのシューベルト協会の教授のレッスン料、ピアニストに支払う費用、通訳に支払う費用など。セミナーの有無に拘わらず、渡航や滞在に関しては全て自力で調整しなければならない。でも、金融危機で円高・ユーロが下がったからヨーロッパ行きはかなり助かる。金融関係者や輸出関連企業には申し訳無いが、暫くの間は続いて欲しいのおぉ〜(苦笑)
その後ウィーンでのレッスンの様子などの話になった。谷岡先生も現在グレートヒェンを封印していて40歳代のうちには歌いたいと考えていると以前聞いたのだが、その経緯を今日詳しく説明してくれた。続きを読む

ピアニスト決定vol.35

死ぬ気で頑張るのは別に当たり前で当然の事なので改めて言うまでも無い事だ。今後はピアニストに伴奏をお断りされないようにひたすら勉強あるのみだ。だけど本当にホッとした。ウィーンへ行く前にドイツ歌曲をある程度形にしたいが為のリサイタルだった。伴奏者が決まらない事でウィーン行きの準備がままならないためウィーン行きを本当に心底危惧していたので、ピアニストが決まっただけとは言えこれ程心強い事は無い。最も重要な事は演奏会本番での演奏の質だが、それにしても今の私にとってこれ程の安堵感は無い。本当に嬉しい。
コンサートの後、すぐに4時間スタジオ練習を入れていた。ベートーベン2曲とシューベルト7曲、もう音楽は頭に入っている。後はどう体に覚え込ませるか、どう歌うかだ。早急に暗譜しなければならない。これからが正念場だ。それでも今はこれからの苦難や困難よりも喜びや嬉しさの方が遥に大きい。無論喜んでばかりいられ無い事は承知の上だけど今は素直に喜びたい。
私はヴァイオリニストやピアニストの足下にも及ばない。40年もの間勉強し演奏を続けて来た方々に追い着く事など不可能だし、おこがましい。しかしせめて彼女達の背中だけは決して見失なわないでいたい。

ピアニスト決定vol.25

御二人に御挨拶に行って私が言った言葉は至ってシンプルだった。ピアニストに
「一つお願いがあります。来年、ギャラリーカフェでドイツ歌曲の演奏会をやりたいのですが、是非伴奏をやって頂けないでしょうか。本当なら私のような者がお願い出来る事では無いですし、本来であればまず私の声と歌を先に聴いて頂いてからお願いするべき所ですが、伴奏をお願いする事で貴方の音楽を是非勉強させて下さい」
お願いした。ベタだが、私にはもうそれ以外に方法が無かった。これで断られたらもうベートーベンとシューベルトの演奏会は例えウィーン行きが係っていたとしても中止する気概でいた。例え気持ちを持って頂けたとしても時期が合わないかも知れない。ヴァイオリニストとの演奏会の他に、ピアノ教室や室内楽や子供のためのオペラもなさっている。私の都合に合わせて頂けないのは無理も無い。ダメもと。私は彼女のベートーベンピアノソナタ【悲愴】を聴いた時から彼女のファンなのだから仕方が無い、と開き直った。本当にこれ以上は無い覚悟だった。私如きが頭を下げた位でどうなる事では無い。が、ピアニストからは思いもよらない言葉が返って来た。私は余りの驚きに思わず自分の耳をかなり疑った。続きを読む

ピアニスト決定vol.15

今日は、ギャラリーカフェで知り合ったピアニストとヴァイオリニストがコンサートを開くというので聴きに行った。ヘンデル、バッハ、ブラームスのアンサンブルとシユーマン【子供の情景】だった。ヴァイオリニストの演奏会をきちんと聴くのは初めてだったので、とても楽しみにしていた。先日、今日の演奏会に伺う事をピアニストにメールしたら、私と会う事を楽しみにして下さっているとの事で、恐れ多かった(爆)
ヘンデルのヴァイオリンソナタは以前ギャラリーカフェで聴いた曲だったが、バッハのヴァイオリンソナタは今日初めて聴いた曲でBWV1019。ヴァイオリンの音色に思わず鳥肌が立った。ジュリアードを首席で卒業した御方にこんな表現は誠に失礼は承知の上だが他に例えが解らないので敢えて申し上げるとすれば、彼女のヴァイオリンは《のだめカンタービレ》で表すと三木清良と高橋君の両方を備えたヴァイオリニスト。極めて繊細なヘンデルかと思えば、フラメンコのようなバッハ(滝汗)私には初めて経験するヴァイオリンの音だった。ブラームスは、泣けた。ピアノとヴァイオリンのためのソナタ作品100、ハンガリア舞曲。ブラームスの激しさと穏やかさが余す所無く音に表現されていて涙が零れた。続きを読む

さあ 楽しい音楽の時間デスvol.35

一番考えた事は、こんなにも自分はウィーンに行きたいのか?と気付いた事だった。忙しい勤務体制、思わしくない体調、少ないレッスン、足りない練習時間、決まらないピアニスト。全てが滞っている。自分が考えていた何百倍もなんてウィーンは遠いんだろうか、そう考えると益々涙が出た。本当に自分はウィーンに行く事が出来るのかどうかも解らない状態な気もしている。でも今日購入した別冊宝島のだめカンタービレ特集で、ほんの少しだけ励まされた気がした。
ど〜せ以前だって辛く悲しい時期があったじゃね〜かよ(爆)今が思うように進まないから今が一番辛いような気になっちまう所はあると思う。でも確実に間違い無くこの辛い時期が無ければ《楽しい音楽の時間》もほぼ間違い無く来てはくれない。それは仕方が無いというか、必然に近いのだろうと思う。
帰りにいつものギャラリーカフェに寄ってお茶して、帰る間際にグランドピアノを少し貸して貰った。私が唯一弾けるバッハの平均律1巻1番のプレリュードを30分くらい練習した。グランドピアノの音も良いのだが、何よりもバッハの平均律は精神的な調整に良い。
また来年、仲間由紀江似のピアニストとシュトレーゼマンの台詞を言いたいもんだ。続きを読む

さあ 楽しい音楽の時間デスvol.25

のだめカンタービレから最も教えられた事は《音楽、楽譜と正面から向き合う事》だった。その頃の私は、モーツァルトのメモリアルイヤーで千葉でのモーツァルトの本番がボロクソに終わって、それでもハリセン先生にモーツァルト【ドン ジョバンニ】ツェルリーナの厳しい妥協を許されないレッスンを受けて、楽譜を開かなくなっていた。シュトレーゼマンも千秋も、音楽や楽譜と正面から向き合うようのだめに言う場面があるのだが、その映像を見て本当に苦手でどう歌ったら良いのか皆目見当もつかないまま泣きながらモーツァルト【ドン ジョバンニ】ツェルリーナのアリアの楽譜を開いてひたすら譜読みした事はきっと一生忘れない。
最悪のモーツァルトの次の千葉の本番でヘンデルを歌った時にピアニストとのだめカンタービレの話をしたように記憶している。仲間由紀江似のピアニストは、ヘンデルの本番直前舞台に出る寸前にっこり微笑んで私に向かって言った。
『さあ 楽しい音楽の時間です♪』
私は何気に笑って応えて舞台に上がった。実は今年のヴェルディの本番の時も、仲間由紀江似の千葉のピアニストは全く同じ様に本番直前に私に同じ言葉をかけた。その時、私は何の違和感も感じなかった。続きを読む

さあ 楽しい音楽の時間デス vol.15

今日夜勤明けだった。病院からの帰りが残業で昼近かったので本屋に寄って昼飯でも食べてから自宅に戻って寝ようと思い駅前の本屋に寄った。何気にぶらぶらしてると、別冊宝島「のだめカンタービレ」総力特集があった。駅前の本屋には「音友」が無い。つい購入してしまった。詰まる所アニメ版のだめカンタービレの特集だ。早速購入して昼飯を食べながら読んだ。超眠気が強かったが巻頭から丁寧に読んだ。假屋崎省吾とかヤポンスキーとか村主章枝とか、一体何の特集だ(爆)???と思いながら瓶ビール大瓶1本と日本酒2本空けながら読んだ。
読みながら思い出したが、のだめカンタービレが少女マンガ雑誌に出始めてあちこちのクラシック音楽サイトで話題になった頃、私はのだめカンタービレに全然興味を持ってなかった。理由は音大が舞台だったから。幾らクラシック音楽のマンガでも、自分が行った事は愚か足を踏み入れた事も無い音大が舞台なら「共感なんか有り得無い」と考え一蹴した覚えがある。雑誌は愚か単行本すら手に取らなかった。クラシック音楽が大好きで声楽を勉強していても、音大は全くの非日常で馴染みの無い遠い別世界の話だ。後退りする程疎外感、それを覆したのがテレビドラマだった。続きを読む
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