一昨日、久しぶりにウィーンのM先生からメールを頂いた。M先生は今年の3月私が初めてウィーンのレッスンに行った時の各先生方のコーディネイト&通訳をして下さったメゾ・ソプラノの先生。主にブラームスを御得意にしていらっしゃる。
先日、ドイツの偉大なヘルデン・ソプラノ歌手ヒルデガルド・ベーレンスが日本で急逝された事で、私も久しぶりにM先生にメールをお送りしたのだが、暫く御返事が返ってこなかった。良くヨーロッパ中をお仕事で旅行されていらっしゃるので、御忙しいのかお疲れなのかと思ってはいたのだが、御返事が無いと来年自分はまたウィーンに行ってレッスンを受けられるのかどうか、多少不安に思っていたのだが、一昨日ようやくM先生から御返事を頂く事が出来て少しホッとした(笑)
まずベーレンス急逝の話題から。M先生も非常に驚かれていた御様子だった。ウィーンでも大変大きな記事になったという。特に日本人としては、ベーレンスがドイツでは無く日本で亡くなった事は非常にショッキングだったらしい。本来であれば、故郷の地で眠る事が出来たはずであろうが、日本での草津国際音楽アカデミーのマスタークラスの講師として来日中に亡くなられた。日本とは御縁の深い偉大なソプラノ歌手であったのだろうが、故郷の地で休まれるが最善だったと誰もがそう思う事だろう。そう考えると、日本のオペラ界はもうちょっと多少なりとも商業主義ではなく伝統的なクラシック音楽やオペラの浸透に文化的レベルで尽力するべきなのに、と苦い思いを覚える。
それから、今年私が12月に予定しているヘンデル・オペラアリアのリサイタルについて。M先生から、
「ヘンデルの作品はどれも美しい音楽で素敵ですね。ウィーンにいらした折にお聞かせくださいませ。楽しみにしています。」
と、書いてあった!!!(超滝汗)これは、今まで以上にもっともっと気合を入れて力を込めて練習しなきゃあああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!!!!!多分、もうN先生やB先生にも私のヘンデル・リサイタルの話題は報告済みだろうからなあぁ(溜息)一番恐ろしい事は、予告無しでいきなり「ヘンデルを歌ってみてください♪」と言われる事である。これは、全く想定外の話しとはあながち括り切れないのが恐怖だ(爆死)
それから、いつもM先生が心配してくださっている事が毎回同じくメールに認められていた。
「あなたの熱心さには頭が下がります。でもでもどうぞ御自愛ください。心配です。」
こんな言葉は、歌の先生にしか言って貰った事が無い(超苦笑)ミルヒー先生、オクレール先生、谷岡先生、ハリセン先生、M先生。いつも私に音楽と歌を教え導いてくださっている方々だけがこのように私の「苛酷で無理な生活」を心配してくださるのみ、である。でも、本当にいつも誰にも心配すらして貰えない位、丈夫とゆ〜か不死身で頑強に見えるので仕方がない(爆死)未だ、付き合っていた男にもそこまで心配して貰った事は無い。一番最後に別れた去年の11月まで付きあっていた男は、私が作る食事は随分美味そうに食べていたが、幾ら私が疲労困憊でも代わりに私に食事を私に作ってくれた事は無かったな〜〜〜・・・(不愉快)な〜んか、も〜ちっとくらい私を少しくらいは心配してくれる男に出逢いたいものだわ(不満)でも今は、臆病で中途半端で卑怯な偽善者の男の相手をしているヒマは米粒ほども無いから、もうお腹一杯ごっそ〜さん。日本の男って結構精神的・文化的レベルが超低俗かもねえぇ〜(核爆)次はウィーンで見つけてこようかな〜♪
一昨日も昨日もモーツァルト「ドン・ジョバンニ」の映像を見続けている。今回の一連のモーツァルトのレッスン、スザンナやパミーナやドンナ・エルヴィーラのレッスンで一つだけ確実にはっきり理解認識出来た事がある。私は決してモーツァルトを歌う事が「苦手」ではなかったのだ、という事。モーツァルトに関しては、自分自身歌う事が苦手で嫌いな「オペラの役」が存在するだけで、私自身がモーツァルトの音楽に適性が無いという解釈は間違いであったという事が確信出来た。これは、本当に素晴らしい発見で嬉しい事である。これに気付かせてくださった某オペラファンには本当に非常に心底感謝申し上げている次第である(苦笑)今までは、私のような容姿が綺麗でも無い声が美しくも無い日本人にしては野太いソプラノではモーツァルトなんか歌えないと思っていた私に、美しいコロラトゥーラやレジェロのソプラノしか好まず認めない人間は私の「敵」にしか見えなかったが、ただ単に私がスザンナやツェルリーナなど日本人の慣例的で進歩も学習能力も賢明さも存在しない、自分の好みと偏見と自意識過剰の歪んだ美意識に振り回されていたという事を、嫌という程思い知らされて頂く事が出来た。私は、そのように歪んだ過剰なえげつない美意識のためにモーツァルトが不得意であると勘違いし続けて来たのだが、谷岡先生の仰る通りモーツァルトだってパミーナやドンナ・エルヴィーラはきちんとウィーンで認められるべき役柄であり自分自身非常に丁寧且つ余裕を持って歌う事が出来るモーツァルトの役柄なり曲が存在する事をこの逆境で良く良く認識認識する事が出来た。しかし、反面教師の存在はやはり非常に重要で、美人でスレンダーで細くて軽くて美しいソプラノしか認めないような偏狭でマニアックで独断的なクラシック・オペラファンがいたからこそ、私自身ウィーンにレッスンに行ってまで勉強して絶対に自分がきちんと歌える曲を1曲でも多く増やしたいという意地が持てたと思う。偏狭な美人ソプラノマニアのクラシック音楽ファンには、私自身が歌うモーツァルトなんか絶対に聴かせるつもりは毛頭皆無だが、「不得意」と「嫌い」の区別を認識するに至ったプロセスには仕方がないが無くてはならなかったのだと呆れ笑い感謝をしている所だ。
来年、またウィーンにレッスンに行ける事だけを本当に幸福に思う。
誰にも良い評価などして戴かなくても結構。私が今レッスンを受けている先生方が認めて下されば別に他はいらない。大体にして、そこいら辺の半端なオペラファン紛いに私の良さなんざ御理解頂く必要も無し。私はプロでは無いので、聴き手に気に入られ媚を売るような歌唱もする必要も無し。私の歌を心から聴きたいと心から思ってくださる人なら、唯一人の前で喜んで歌いたい。後は、私の望む物では無い。もともと演奏会やリサイタルだって、先生方から「100回のレッスンより1回の本番」と指摘され続けているから、自腹を切って疲労困憊の上無理をしながら演奏会やリサイタルをこなしているのだ。自分の歌唱技術の進歩向上目的でも無かったら、だ〜れがこんなに無理して自分に鞭打って演奏会やリサイタルなんざやるもんかい!!!
一度でいいから、次に生まれて来た時でいいから、ちょっとくらいは「美しい声ですね」って言われてみたいなあぁ・・・・・(溜息)
う〜ん、でも、やっぱり次生まれて来た時は、ワーグナーを歌えるヘルデン・ソプラノの方がいい!!!(爆)
ところで、来月号の「Kiss]で「のだめカンタービレ」は最終回なのかなあぁ???
zzz・・・。おやすみなさ〜い♪
先日、ドイツの偉大なヘルデン・ソプラノ歌手ヒルデガルド・ベーレンスが日本で急逝された事で、私も久しぶりにM先生にメールをお送りしたのだが、暫く御返事が返ってこなかった。良くヨーロッパ中をお仕事で旅行されていらっしゃるので、御忙しいのかお疲れなのかと思ってはいたのだが、御返事が無いと来年自分はまたウィーンに行ってレッスンを受けられるのかどうか、多少不安に思っていたのだが、一昨日ようやくM先生から御返事を頂く事が出来て少しホッとした(笑)
まずベーレンス急逝の話題から。M先生も非常に驚かれていた御様子だった。ウィーンでも大変大きな記事になったという。特に日本人としては、ベーレンスがドイツでは無く日本で亡くなった事は非常にショッキングだったらしい。本来であれば、故郷の地で眠る事が出来たはずであろうが、日本での草津国際音楽アカデミーのマスタークラスの講師として来日中に亡くなられた。日本とは御縁の深い偉大なソプラノ歌手であったのだろうが、故郷の地で休まれるが最善だったと誰もがそう思う事だろう。そう考えると、日本のオペラ界はもうちょっと多少なりとも商業主義ではなく伝統的なクラシック音楽やオペラの浸透に文化的レベルで尽力するべきなのに、と苦い思いを覚える。
それから、今年私が12月に予定しているヘンデル・オペラアリアのリサイタルについて。M先生から、
「ヘンデルの作品はどれも美しい音楽で素敵ですね。ウィーンにいらした折にお聞かせくださいませ。楽しみにしています。」
と、書いてあった!!!(超滝汗)これは、今まで以上にもっともっと気合を入れて力を込めて練習しなきゃあああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!!!!!多分、もうN先生やB先生にも私のヘンデル・リサイタルの話題は報告済みだろうからなあぁ(溜息)一番恐ろしい事は、予告無しでいきなり「ヘンデルを歌ってみてください♪」と言われる事である。これは、全く想定外の話しとはあながち括り切れないのが恐怖だ(爆死)
それから、いつもM先生が心配してくださっている事が毎回同じくメールに認められていた。
「あなたの熱心さには頭が下がります。でもでもどうぞ御自愛ください。心配です。」
こんな言葉は、歌の先生にしか言って貰った事が無い(超苦笑)ミルヒー先生、オクレール先生、谷岡先生、ハリセン先生、M先生。いつも私に音楽と歌を教え導いてくださっている方々だけがこのように私の「苛酷で無理な生活」を心配してくださるのみ、である。でも、本当にいつも誰にも心配すらして貰えない位、丈夫とゆ〜か不死身で頑強に見えるので仕方がない(爆死)未だ、付き合っていた男にもそこまで心配して貰った事は無い。一番最後に別れた去年の11月まで付きあっていた男は、私が作る食事は随分美味そうに食べていたが、幾ら私が疲労困憊でも代わりに私に食事を私に作ってくれた事は無かったな〜〜〜・・・(不愉快)な〜んか、も〜ちっとくらい私を少しくらいは心配してくれる男に出逢いたいものだわ(不満)でも今は、臆病で中途半端で卑怯な偽善者の男の相手をしているヒマは米粒ほども無いから、もうお腹一杯ごっそ〜さん。日本の男って結構精神的・文化的レベルが超低俗かもねえぇ〜(核爆)次はウィーンで見つけてこようかな〜♪
一昨日も昨日もモーツァルト「ドン・ジョバンニ」の映像を見続けている。今回の一連のモーツァルトのレッスン、スザンナやパミーナやドンナ・エルヴィーラのレッスンで一つだけ確実にはっきり理解認識出来た事がある。私は決してモーツァルトを歌う事が「苦手」ではなかったのだ、という事。モーツァルトに関しては、自分自身歌う事が苦手で嫌いな「オペラの役」が存在するだけで、私自身がモーツァルトの音楽に適性が無いという解釈は間違いであったという事が確信出来た。これは、本当に素晴らしい発見で嬉しい事である。これに気付かせてくださった某オペラファンには本当に非常に心底感謝申し上げている次第である(苦笑)今までは、私のような容姿が綺麗でも無い声が美しくも無い日本人にしては野太いソプラノではモーツァルトなんか歌えないと思っていた私に、美しいコロラトゥーラやレジェロのソプラノしか好まず認めない人間は私の「敵」にしか見えなかったが、ただ単に私がスザンナやツェルリーナなど日本人の慣例的で進歩も学習能力も賢明さも存在しない、自分の好みと偏見と自意識過剰の歪んだ美意識に振り回されていたという事を、嫌という程思い知らされて頂く事が出来た。私は、そのように歪んだ過剰なえげつない美意識のためにモーツァルトが不得意であると勘違いし続けて来たのだが、谷岡先生の仰る通りモーツァルトだってパミーナやドンナ・エルヴィーラはきちんとウィーンで認められるべき役柄であり自分自身非常に丁寧且つ余裕を持って歌う事が出来るモーツァルトの役柄なり曲が存在する事をこの逆境で良く良く認識認識する事が出来た。しかし、反面教師の存在はやはり非常に重要で、美人でスレンダーで細くて軽くて美しいソプラノしか認めないような偏狭でマニアックで独断的なクラシック・オペラファンがいたからこそ、私自身ウィーンにレッスンに行ってまで勉強して絶対に自分がきちんと歌える曲を1曲でも多く増やしたいという意地が持てたと思う。偏狭な美人ソプラノマニアのクラシック音楽ファンには、私自身が歌うモーツァルトなんか絶対に聴かせるつもりは毛頭皆無だが、「不得意」と「嫌い」の区別を認識するに至ったプロセスには仕方がないが無くてはならなかったのだと呆れ笑い感謝をしている所だ。
来年、またウィーンにレッスンに行ける事だけを本当に幸福に思う。
誰にも良い評価などして戴かなくても結構。私が今レッスンを受けている先生方が認めて下されば別に他はいらない。大体にして、そこいら辺の半端なオペラファン紛いに私の良さなんざ御理解頂く必要も無し。私はプロでは無いので、聴き手に気に入られ媚を売るような歌唱もする必要も無し。私の歌を心から聴きたいと心から思ってくださる人なら、唯一人の前で喜んで歌いたい。後は、私の望む物では無い。もともと演奏会やリサイタルだって、先生方から「100回のレッスンより1回の本番」と指摘され続けているから、自腹を切って疲労困憊の上無理をしながら演奏会やリサイタルをこなしているのだ。自分の歌唱技術の進歩向上目的でも無かったら、だ〜れがこんなに無理して自分に鞭打って演奏会やリサイタルなんざやるもんかい!!!
一度でいいから、次に生まれて来た時でいいから、ちょっとくらいは「美しい声ですね」って言われてみたいなあぁ・・・・・(溜息)
う〜ん、でも、やっぱり次生まれて来た時は、ワーグナーを歌えるヘルデン・ソプラノの方がいい!!!(爆)
ところで、来月号の「Kiss]で「のだめカンタービレ」は最終回なのかなあぁ???
zzz・・・。おやすみなさ〜い♪
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