晴れの日はANDANTE

私のライフワークである歌曲やオペラ、日々の練習やレッスンについて、気ままに綴っていきます。

2010年01月

夜勤漬け生活

1ヵ月ほぼ夜勤漬けの生活が過ぎた。多少体は慣れて来たが、疲労は取れない。スタジオ練習に行くのが精一杯。
一番困った事は、楽譜作りが進まない事。ミルヒー先生や谷岡先生のレッスンが殆ど受けられない事。
楽譜作りが滞ると、来年以降の歌曲やオペラアリアの勉強に遅滞が生じる。イタリア語やドイツ語の辞書を開いて歌詞を一つ一つ丁寧に訳し発音記号や指示記号を調べて楽譜に書き込んで行く作業。
これは私が声楽のレッスンを始めた時から自分自身の御約束としてずっと続けて来ている事であり、この作業無くして声楽の勉強は有り得ない。
来月になったら、少しは夜勤生活に体も慣れて、楽譜作りの作業を再開出来るだろうか。
バッハ「シュメッリ歌曲集」や、ウィーナーリートの楽譜作りが全く進んでおらず、手付かずのままである。
明日から、少しでも楽譜作り作業に着手したい。


今月は、夜勤明けで自宅にいても寝て過ごす事が多かった。
ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを2種類、CDを4種類購入、更にサラ・コノリーのヘンデル・オペラアリア集とシューマン歌曲集を購入した。
まだ殆どきちんと聴けていないのだが、DVDは全て見比べてみた。
このブログで御大層なディスクレビューはしないので、簡単に歌手の比較と感想を書くに留めたい。

Dresden StaatskapelleのCraing Smithの盤、
Concerto CopenhagenのLars Ulrik Mortensenの盤、
それといつものグラインドボーンのウィリアム・クリスティの盤。

シーザー役に関して思う所は、アジリダの表現や音の正確さに於いては、サラ・コノリーがやはり抜きん出ていると感じた。但し、グラインドボーン以外の盤はどちらもシーザー役がカウンター・テナーである。Jeffery Gall、Andreas Schollというカウンター・テナーだが、どちらも非常に伸びのある声の持ち主でシーザー役としては楽しむ事が出来た。シーザー役に関しては、メゾ・ソプラノやコントラルトも良いが、演奏としては男性のシーザーの方が50歳代軍人の男臭さというか好色振りが出ていて良い部分も多いのかも知れないと感じた。そういう意味では、サラ・コノリーのシーザーは非常に清潔感や華麗さが漂うシーザーで、やはり男声が演じるのと女声が演じる事の大きな違いが際立つ事に、多少の驚きを覚えた。サラ・コノリーは女声だけあって非常に緻密な表現を徹底して歌唱に取り入れているという事を強く感じた。

クレオパトラ役に関しては、Susan Larson、Inger Dam-Jensen、ダニエル・ド・ニースだが、私が一番参考にするであろう声質のクレオパトラはInger Dam-Jensenになる。Susan Larsonは不思議ちゃん系のソプラノでこれはちょっと私が参考に勉強するのは苦しい(爆)但し、このSusan Larsonの「敬愛する瞳よ」のアリアは恐らく3人のクレオパトラの中では最も美しい美声で歌われているのだろうという事は感じた。まあ、日本人好みのクレオパトラだろう。ド・ニースも確かにヘンデル歌手としてウィリアム・クリスティに認められてはいるし、「苛酷な運命に涙を流し」のアジリダはインテンポに歌いこなしているので、その辺くらいは参考にして行こうと考えているが、ド・ニースのクレオパトラには政治的要素や中年軍人をおとすといういやらしさが余りにも欠けていて非常に面白みが少ない。小娘的なクレオパトラを声で表現する事は私には必要無い。
Inger Dam-Jensenは、声質がやや太めな事もありクレオパトラのアジリダの表現に於いては多少重くなりがちであるという私が抱えている課題とリンクする歌手であると感じたが、しっかりした強い声のクレオパトラで、実に野心的なクレオパトラを歌っているので大いに参考に勉強して行きたい。流石にクレオパトラが多少強めの声質であれば、カウンター・テナーとの2重唱の相性というかバランスが非常に良いと感じた。
でも、今後は自分自身がクレオパトラをどう歌いたいか、どう歌って行くのかをほぼ掴みつつあるので、それ程録音や映像を手本に勉強するという事は減少傾向になるだろうと思っている。

最も差が出たのは、トロメーオ役。
Drew Minter、Christopher Robson、クリストフ・デュモーの3人の中では、圧倒的にクリストフ・デュモーの一人勝ち(爆笑)と私は判断した。クリストフ・デュモーは若いのでChristopher Robson程のいやらしさは無いのだが、歌唱力という点では抜きん出ている。追随を許さない、というカンジ(笑)カウンター・テナーとしても相当にしっかりした強い声質の持ち主であり、テクニックも非常に高度であると感じた。トロメーオは非常に若いエジプト王だが、タダのクソガキやセクハラ王では無く、狂気という表現が加わるとこれ程までに貫禄が違うものなのか、と圧倒される。特に古代エジプトは、王権は基本的に女王主権移譲で近親結婚であるので、政治的才能が無い(特に外交政策や国防戦略)王は、古代数千年のエジプト王朝を滅亡される危機と他国(ローマ)との戦争に発展するという歴史的現実が存在し得る。そういう意味で、ただの幼稚さと好色さだけでなく、それに加えて暴力的で狂気を持ち合わせる(歌唱として表現出来る)実力を兼ね備えたクリストフ・デュモーはまさに当り役と評価されて然るべきであろう。
特に、ド・ニースとの兄弟姉妹による近親結婚の末のエジプト王権争奪戦という、血で血を洗うグロテスクな血縁因縁と歪んだ愛情を、あそこまで表現しているトロメーオは、今の所クリストフ・デュモーの他私は見つけられていない。そのような素晴らしいトロメーオの録音なり映像が存在するのであれば是非教えて頂きたい。
何故ならば、トロメーオの解釈がクレオパトラという役柄の理解と解釈と表現に、絶対に切り離す事の出来ない絶対的要素なのだからである。

コルネーリア役も、この役を歌うコントラルト歌手自身のレパートリーによって非常に差が出ると感じた。
Mary Westbrook-Geha、Randi Stene、パトリシア・バードンの3人の中では、やはりワーグナーも歌うパトリシア・バードンの声の迫力や厚みは群を抜いていると感じた。低音域の発声の安定感という観点からしても、やはりパトリシア・バードンが圧倒的であると考える。
余談なんだけど、Randi Steneが誰かに似てるなあぁ〜〜〜・・・と良く良く考えてみたら、ヒラリー・クリントンに似ていた(爆)

セスト役に関しては、非常に面白い事が解った。
Lorrain Hunt、Tuva Semmingsen、アンゲリカ・キルヒシュラーガーの3人の中で、最もセストとして素晴らしいと感じた歌手について、では無く寧ろ、最もセストとして疑問視せざるを得ない歌手が、キルヒシュラーガーであると非常に強く感じた。
セストとしての歌唱で最も差がはっきり認識出来る曲が2曲存在すると私は非常に注意深く考えてる。「Cara Speme」と、コルネーリアとの2重唱である。この「Cara Speme」で音程が低いという荒業をやってのけたのはキルヒシュラーガー一人だけ(超苦笑)しかも、キルヒシュラーガーはコルネーリアとの2重唱でパトリシア・バードンと音程が合っていない。他の2人のセスト役歌手は、コルネーリアとの2重唱で非常に美しいアンサンブルを聴かせてくれている。特に、Lorrainn Huntのセストは非常に美しい2重唱で、思わず涙が流れる程だった。Lorrain HuntやTuva Semminsenは非常に伸びのあるしっかりした歌唱で音程もポンとピッタリ当てている。この二人のセストの歌唱は何の不安感も違和感も無く聴ける。しかも、Lorrain HuntもTuva Semmingsenも、殊更セストが少年である事や若さを強調しなくとも自然な歌唱でセストを充分に表現出来ていると非常に強く感じた。特に、Tuva Semmingsenのセストはイタリア語も曖昧さが無く非常に安定感のある歌唱で、セストをレパートリーとしているという事が歌唱から十二分に感じ取る事が出来る。
要するに、キルヒシュラーガーは、グラインドボーンのミス・キャストと私は評価する。

3つの盤で最も大きく違ったのが、アキッラとニレーノの解釈。
Dresden Staatskapelleでは、コルネーリアを天使のように崇める優しいアキッラと、女声がニレーナとして歌っていた。
Concert Copenhagenでは、トロメーオの部下として、コルネーリアへの欲望との間で悩めるアキッラと、まるで僧侶のような影武者のカウンター・テナーのニレーノが歌われていた。
グラインドボーンのアキッラは、トロメーオにまんまと騙される悪役で、ニレーノはユーモアたっぷりのチャップリン・タイプのように感じていた。
3つの盤とも、ここまで違うと比較出来ない(笑)それぞれの演奏や演出を楽しむのが最も良いかな〜と思う。



最近、ようやく少し状況が動いて来た。

まず、3月の演奏会で歌うバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアを、去年のドイツリート・リサイタルのピアノ伴奏をしてくださったY先生と、ピアノ合わせの日程の調整に入る事になった。Y先生とのピアノ合わせまでには、少なくとも谷岡先生のレッスンを受けておきたい。来月2月も、日勤はたったの2日で、後は全て夜勤になっている。体調と喉の管理に集中しなければならなくなるだろう。ただ、3月のウィーン行きは無くなったので、練習時間は何とか確保出来るだろう。取り敢えず、出来る事をやるしか今は他に方法が無い。バッハもパミーナも歌唱の方向性は既に出来上がっているのだから、後は演奏会本番に乗せられるレベルを如何に向上させて行く事が出来るか、に尽きる。

それと、先日ウィーンのM先生からメールを頂いた。
親父の病気のために3月のウィーンでのレッスンを中止したい旨のメールを送ったが、M先生は非常に心配してくださって、ウィーンのN先生やB先生にも私の事情を詳しく説明して下さるとの事だった。そしてM先生からは、

「状況が落ち着いてあなたがウィーンに来られる時に、いらして下さい」

と、非常に有難い言葉を頂いた。
今年のウィーンでのレッスン、まだ諦めてしまわなくても良いのか、と思ったら胸がいっぱいになった。
メールを頂いて、涙が流れた。
現在、今年の夏頃ウィーン行きが可能かどうか調整中である。
希望が持てるという事は、本当に嬉しい有難い事だ。
絶対にウィーンでのレッスンは、決して諦めない。


残念な事に、連続夜勤の蓄積疲労で、昨日のフィギアスケート四大陸選手権の録画を忘れて夜勤に出勤してしまった。
真央ちゃんの「鐘」が観られなかった、トリプルアクセルジャンプ2回成功が、観られなかった・・・(滝涙)
でも、逆転優勝出来て良かったです。真央ちゃん。
バンクーバー・オリンピックでも、どうぞ真央ちゃんが演じたいスケーティングが出来ますように。



さっき、某ブログで非常にショックを受けた。
チェリビダッケが、ジェシー・ノーマンの歌う、R.シェトラウス「4つの最後の歌」を、

「ゴビ砂漠の春」

と批評した、という事。

私も、パミーナのアリアを歌う時には、聴き手と歌う場所を相当に厳選しなければ相当に野次られるのかも知れないな、と苦笑いしてしまった。
演奏する側が聴き手を選別したとしても、別に悪くは無い。
私はアマチュアなんだし。



私の堪忍袋のサイズはSサイズ♪

今日も夜勤の中休み。
明日からまた連続夜勤になるので、次の休日は31日。それまで声を出す事が出来ない。

今年3月のウィーン行きをようやく諦めてウィーンのM先生にレッスン中止のメールを送ってから、酒量が倍に膨れ上がった。
親戚一同が親父の入院費用等について色々言って来たが、一喝一蹴。
憂さ晴らしに、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のCDを4種類、DVDを2種類、買い漁り。金額合計約4万円也( ^^) _旦~~
嗚呼、すっきりした♪♪♪
これから届くのが楽しみだわあぁ〜\(^o^)/

今日は夕方からスタジオ3時間練習。
昼過ぎに起きて、まずは3月のお教室演奏会用のバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアの楽譜をY先生に速達で郵送。
それと、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のセストのアリア5曲とセスト&コルネーリアの二重唱の楽譜を点訳依頼。
それからギャラリーカフェに行ってコーヒーを飲みながら、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア1曲目「Non disperar」の楽譜作りをしてから、スタジオに向かった。

今日から暫くは連続勤務・連続夜勤が続くので、5日間は声が出せない。
今日は何の練習をしようか、結構迷った。
3月Y先生のお教室演奏会で歌うバッハとパミーナの他は、本当は、今年リサイタル予定のシューマンを練習しようと思って楽譜を持って行ったのだけれど、ギャラリーカフェでヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア、まだ歌っていない「Non disperar」の楽譜作りをしていたら、やっぱクレオパトラを歌いたくなってしまった。
クレオパトラのアリア「Non disperar」は、実際歌ってみたらクレオパトラの他のアリア「Tu la mia stella sei」「Vennelle bella」よりも余程歌い易く、何でヘンデルのリサイタルにこっちの方を選んで歌わなかったのかあぁ〜〜!!!と、超後悔した(爆死)でもまあいいか(超苦笑)
一つ感じた事なのだが、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のグラインドボーンの映像を購入してから、ヒマさえあれば毎日のようにDVDを観ているせいか、クレオパトラだけでなく、ヘンデルの「エジプトのジュリアス・シーザー」という音楽全体がもう体の中に叩き込まれているため、クレオパトラの新しいアリアを初めて譜読みしても、困難さも難しさも違和感も全く感じない。
当然私の頭の中にはダニエル・ド・ニースのクレオパトラの声や歌唱がおぼろげながら残ってはいるのだが、一番印象的な事は、ダニエル・ド・ニースの歌唱よりも、ウィリアム・クリスティのヘンデルの音楽構造の枠組みというか感性というか方向性というか趣向だったので、クレオパトラの新しいアリアを自分の声質と解釈と歌唱をベースに練習する事に、全く唯の一つも違和感を感じなかった。
強いて言えば、後はAllegro ma non troppoのテンポの創出に頭を搾るだけだった♪
要するに、自分自身にとっての真のレパートリーとは、即ちこういう事なのだろう(笑)という事が、ようやく得心が行くようになって来た。他の歌手、録音歌手に惑わされない、引き摺られない、自分の歌唱が最初の1フレーズで即座に掴み取る事が出来る。
それが即ち真の「レパートリー」という事になるのだという事。

その後は、バッハ「Bist du bei mir」とパミーナのアリアの練習。

バッハ「Bist du bei mir」は、低声用なので、まずは声を押さない響きを高く保つ練習。この低音ながら響きを高く保つ練習には非常に慎重に注意深く神経を使い果たす。
その上、このバッハの歌曲は原調版の高声用とはいえ、既に2回演奏会本番に乗せている。そのため、今回例え低声用で演奏会本番に歌うと言っても、今迄の演奏会本番よりもより質の高いレベルを目指さなければならない。今回の目標は、4小節ブレスを徹底する事。
世界的一流歌手の録音ですらブレスしている箇所でも、本来ならばブレスするべきではないフレーズは、ノンブレスで歌う事を目指す。それが、真の意味でのレパートリーという事なのだ。
ちなみに今のレッスン状況では、ギリセーフ(自爆)後は本番までに如何にしてノンブレスで4小節歌いきる事が出来るかを最終目標にする。
幸い、バッハも声の響きに関しては、特にミルヒー先生のレッスンで教えて頂いた事、ブレスは地面の下から深く、発声は地面の下から背後を通って頭蓋骨全体を響かせて、その練習の繰り返しで何とか方向性が見えて来た。3月の演奏会本番まで集中していかなければならない。

モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアは、ほぼ問題が無い。はっきり言って、私が歌いたい目指したいパミーナの歌唱というものについては、という飽くまで前提条件付き。
最近、でもそれの何がいけないんだあぁ???一体???外野は構うな!!!放っとけ!!!と相当にえげつなく開き直るようになったので、痛くも痒くも無い。
今日の練習も、ピアノで歌う低音域〜中低音域のテンポと正しい音程の確認作業に集中した。特に低音域のF♯と中低音域のC♯の音程が不安定で低めになりがち。これは、許せない、有り得ない、存在価値無し♪
メトロノーム60テンポで、ゆっくりじっくり1時間かけて集中練習。この音程の不安定さは、演奏会本番までに何とか克服しなければならない。我慢忍耐継続は力也。
でも、2点AだのHだのは一向問題無しなので、やっぱり後は如何にピアノやピアニッシモの発声で美しい歌唱に向かって到達出来るか、しか無い。演奏会本番に向かって日々精進邁進あるのみ。
不思議な事に、このパミーナのアリアは、1時間でも2時間でも、練習してもちっとも喉に負担がかからない。ずっとずうぅ〜っと練習してても、喉に変化無し(核爆)

早く注文した「エジプトのジュリアス・シーザー」のCD4枚、DVD2枚、届かないかなあぁ〜〜〜(滝涙)超楽しみ♪


去年の、無責任臆病者にしろ、今回の親父脳出血事件の親戚一同にしろ、一旦私が怒ったら歯止めが効かないし、誰も止められない。
私は、庚辰の金性魁罡で西の白虎、つまり怒りはドラゴン&タイガーの情け無用の破壊と破滅の怒りである。親戚だろ〜が他人だろ〜が例え家族だろ〜が、一度私を怒らせたら一生涯怒り続け一生許さない。
私は滅多に本気では怒らないが、一度怒り出したら堪忍袋は、一瞬たりとも持たない♪

嗚呼、明日からまた連続勤務。
でも、この調子で無茶な勤務を続けていれば、間違い無く希望期間内に自分の生を終結させる事が出来るだろう。
それだけが、超♪楽しみっ!!!





ウィーン行き中止。

今日も夜勤の合間の休日で、スタジオレンタル時間ギリに起床して、スタジオ練習。

3月のウィーン行きを中止したので、もう焦って勉強・練習する必要も無いので、のんびり行った。

3月にピアニストのY先生のお教室演奏会で歌う、バッハ「Bist du bei mir」低声用。原調版の高声用では既に2度も演奏会本番に乗せているので暗譜も出来てるし、後は歌い込んで行くだけ。
最近、ヘンデルのリサイタルが終わった後もずっとグラインドボーン「エジプトのジュリアス・シーザー」の映像をヒマさえあれば観続けている。シーザー役サラ・コノリーとトロメーオ役クリストフ・デュモーの観察を超念入りに行って来たせいか、「Bist du bei mir」の低声用を歌っていても、低音域が非常に安定して響きがしっかり取れるようになって来た。サラ・コノリーもクリストフ・デュモーも、歌っている時の下顎の位置が肩よりも低い事が非常に多い。特に横顔が映像として映っている時には非常に確認しやすい。そのため、その映像をイメージしながら発声を心掛けている。これが一番の効果であると考えている。
バッハ「Bist du bei mir」はhが最低音である。これがきっちりしっかり響かないと、非常にみっともないバッハになってしまう。
但し、「Bist du bei mir」低声用の音域は、私にとって非常に楽な音域なので、却って声を響かせるのではなく出し過ぎてしまう傾向があるので、その点には非常に慎重に留意しなくてはならない。
今後の谷岡先生とのレッスンでの調整に力を入れなければならない。

今もグラインドボーン「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを観てるけど、兎に角、キルヒシュラーガーのセストが、酷い。音程が低い。響きが当たっていないので聴いていて気持ちが悪い。下降音型で音程が下がる。しかも、少年という役柄を全面に出そうとしたのかもしれないが、声量がピアノになると、イタリア語が聞き取れない。
サラ・コノリーもクリストフ・デュモーも、声量がピアノになったって音程が不安定になる事も無いし、イタリア語が不明瞭になる事も無いのにねえぇ(呆)
まだ、ダニエル・ド・ニースの方がイタリア語に関しては、かなりキッチリ歌っている。
本当に売れっ子なのかなあぁ・・・本当にワルター・ベリーに師事したのかなあぁ・・・・・・・・・・(汗)


掟破りのパミーナは、今日はテンポ調整と細部の確認作業。
結局、テンポは基本はLargo(60)、その時の調子や体調によってはAdagio(60〜66)で調整して行く事で決定した。声量は低音域〜中低音域はピアノ、中高音域〜高音域はピアニッシモで決定した。今の体調でも何とかギリの状態で自己決定した声量で歌えるなら、演奏会当日は余程不調でなければイケる。それでOK。
但し、パミーナのアリアは音域の高低差が激しいアリアなので、低音域をきっちり正確に発声出来ないと、これまた超みっともない御粗末なパミーナになってしまう。
特に、パミーナのアリア全体をピアノまたはピアニッシモで歌うし、特に高音域はピアニッシモで歌いたいので、中低音域〜低音域はしっかりと声を響かせる事が望ましい。
非常に時間を掛けて丁寧に一つ一つの音符をしっかりと発声練習していかなければならない。パミーナのアリアのような一見キャラで得するように見せかけられるようなアリアは、私の今回のようなイレギュラーな歌唱をしようと考えたら、非常にアラが目立つ。それだけに、これだけの緩やかなテンポで歌うのだとしたら、非常に慎重に注意深く重箱の隅をつつくような練習が必要である。
でもまあ、Largoでもブレスは足りるので、今後は響きのクオリティを如何に向上させるか、である。
暗譜もまだ完全では無いので、これから十分にゆっくり歌い込んでいかなければならない。
でもパミーナはもう自分の好きなよ〜に歌う事にしたので、余り考える事も無い。
強いて言えば、Y先生が何と仰るか(爆)


それにしても、練習2曲って、すんげえ超楽チン♪♪♪


Y先生からメールがあって、曲目をお知らせしたら「楽譜を送ってください」とゆ〜事で、Y先生ご自身もとても楽しみにして下さっていらっしゃるご様子なので、それがとっても嬉しい。去年のドイツリートのリサイタルから既に1年が経過している。超久しぶりなので、緊張もするけど(苦笑)

今日、スタジオ練習帰りに、ギャラリーカフェに寄ってお茶したのだが、丁度社長がヒマしてたみたいだったので、ちょっとお話しを聴いた。実は、12月のヘンデルのリサイタルの感想を伺っていなかった。ギャラリーカフェの社長は、去年のドイツリートのリサイタルもヘンデルのリサイタルも、両方聴いて頂いている。だから、ちょっと客観的に比較してみてどうだったかのかを聴いてみなきゃなあぁ〜と思っていた。
社長曰く、

「ちゃんと良くなってると思うよ〜」

との事(激爆)
でも、これで来月からのY先生とのピアノ合わせは、少し安心して頑張れそう(自爆)
ギャラリーカフェの社長曰く、

「プロでお金取ってて歌ってる人でも、ヒドい歌手は一杯いるからね〜」

との事だった。
経営者って、結構シビアだなあぁ。


ウィーンのM先生に、今年3月のウィーンでのレッスン中止のお願いをメールでご報告した。
M先生からの御返事待ち状態。

何だか、凄く悲しい。
本当に悲しい時って、静かに涙が流れるだけなんだなあぁ・・・と思った。



女王様がお好き。

昨日は、今年初めての谷岡先生のレッスン。友人が見学したいと希望されたので、友人を連れてレッスンへ行った。
谷岡先生は、まずウチの親父の事を非常に心配してくださった。親父の現状をお話しして、今私が親父の借金を返済する為に夜勤専門で働いてる事、3月に予定していたウィーンのレッスンはどうやら不可能である事を御説明申しあげた。


早速レッスン。
まずは、例えウィーンに行く事が出来なくても、ウィーンのB先生の宿題のシューベルト歌曲を2曲と、今年末予定のシューマンのリサイタル予定曲から3曲。
シューベルト「Fischerwise」「Du bist di Rhu」の2曲。
どうしても「Fischerwise」のような音域の低いリートは、メゾソプラノやコントラルトの録音を勉強してしまうので、私自身の発声が籠りがちになってしまう。私が持っている録音は、メゾソプラノはヴェッセリーナ・カサロヴァと、コントラルトはナタリー・シュトッツマン。この二人の歌手共に非常に小気味良いシューベルトの歌唱をしているだけに、単なる声真似にならないよう非常に慎重に勉強しなければならない。
谷岡先生からは、

「声が奥に籠ってしまうから、もっと外というか前に声を出して歌って」

と指摘された。
次の「Du bist di Ruh」は、元々ソプラノが歌う高声用の楽譜は最高音が2点Aである事から、自己判断で中声用の楽譜を持って行った。判断理由をお話ししたら、谷岡先生も容易に御納得してくださった。恐らく、この曲をウィーンのB先生のレッスンに持って行ったとしても、同じように中声用に声域を下げるよう指摘されるであろう事は容易く予測出来た。実際、谷岡先生からも中声用で良いのではないかとの御判断を頂いた。
音域的には問題は無い様子だったが、ドイツ語の表現で幾つか指摘を受けた。
それから、これは今迄谷岡先生から指摘された事がなかった事実なのだが、どうやら私はドイツ語の「sch」と語尾の「ch」の発音が非常に聞き取り辛いようだ。勿論、今まではもっと他のドイツ語の発音の方が不十分極まり無かったので今回改めて課題に上った事ではあるのだが。今後はこれらが重要な克服事項となる。


次は、今年リサイタル予定のシューマン歌曲から3曲。
「Mädchen-Schwermut」「Melancholie」「Widmung」の3曲。
「Mädchen-Schwermut」「Melancholie」の2曲は、流石に谷岡先生も御存知無い曲だったので、大まかな発声と曲の構成とドイツ語発音を見て頂いた。指摘された事は、出だしの歌い出しの音が中低音域なので低く籠りがちになりやすい事。以前というか、去年までも指摘され続けて来た事である事は確かなのだが、恐らく去年のドイツリートのリサイタルの時に比べて、ヘンデルのリサイタルを経過した事によって、歌唱レベルが少なからず向上したためなのか、殊更強調して歌い出しの音域の発声に関しての注意がなされるようになったように感じられる。
ソプラノでありながら音域が非常に広く豊かであるという要因によって、より広範囲の音域に対してより質の高い発声を求められるという現実は、非常に厳しくもあるが、非常に嬉しくもある。ドイツ語に関しては、やはり「sch」「ch」の発音を修正され続けた。
シューマンの終わりに「Widmung」を歌った。これは、以前5年位前に2回程演奏会本番に乗せた事がある。この曲に関してだけは、私が尊敬し愛して止まないジェシー・ノーマンの録音以外では勉強していない。
谷岡先生から指摘された事は非常に少なかった。お決まりのドイツ語の発音と、低音域のロングブレス継続に関してのみ。2回程通して、実にあっさり終了(爆)


最後に、今回の超目玉商品、モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアをレッスンして頂いた。
歌う前に、真っ先に谷岡先生にまずお断りした。

「えっと、私パミーナ歌います。3月に去年ドイツリートのリサイタルの伴奏してくださったY先生から、今年は出演しないかとお誘い頂いたので、バッハのBist du bei mirとパミーナのアリアを歌うつもりです。でも、パミーナは、ハリセン先生には絶対にレッスン受けません。ハリセン先生にレッスンを絶対に受けない前提で、私にしか歌えない出来ないパミーナを勉強して来ました。それと、楽譜の指示は一切無視して歌います。楽譜の指示にはAndanteと指示がありますけど、Adagio〜Largoで歌います。それと、声量はピアノかピアニッシモだけで歌います」

と谷岡先生に言い切った。でも、谷岡先生は私の覚悟を超サックリ流して早速伴奏を始めた(誤爆)
谷岡先生の伴奏出だしは遅いAndante位(約70)だったが、私は谷岡先生の伴奏に付いていかなかった。最初の「Ach!」から、曲のテンポの流れを自分で決めて促した。ソリストたる者、この程度の心意気と強さがなければソロは歌えない!!!!!
低音域はピアノで発声、高音域になればなる程ピアニッシモの発声を慎重に心掛けて歌った。テンポは、段々遅くなる事はあっても決して流されて早くする事は意地でもやらなかった。声量を最小限に抑える事によって、Adagio〜Largoでも充分にブレスは持ち堪える事が可能である。ピアニッシモでも2点hは私には十分イケる。留意すべき事はたった一つだけ。発声がピアニッシモでもドイツ語の発音が疎かにならないよう慎重に歌う事だけだった。
歌い終わって、谷岡先生が、

「結構いいんじゃない???いいよ!!!」

と仰ってくださった。
努力と執念の勝利。これをこのまま3月のY先生の演奏会で歌い、ウィーンのN先生のレッスンにも持って行く。但し、ハリセン先生のレッスンは受けない。
谷岡先生が、

「以前、プロのソプラノの人がハリセン先生にパミーナを見て欲しいって言って持ってきたんだけど、その時のプロのソプラノの人よりも今のあなたのほうが、全然細く綺麗な発声でパミーナを歌えている。テンポは問題にならない。ハリセン先生にあなたのパミーナを聴かせてみても良いのではないか???」

と言われたが、キッパリお断りした。
今日のこの私のパミーナの歌唱は、ハリセン先生には絶対に聴かせないという前提条件から生まれたパミーナである。モーツァルトを得意として、多くの合唱団で日本では演奏されないモーツァルトのミサ曲や小オペラを上演しているハリセン先生から見たら、私のパミーナは日本では「異端」である。ど〜せ私がどんなに努力してどんなに頭を酷使して発声を鍛えてパミーナを歌ったとしても、所詮日本では「異端」なのである。なのに何故、わざわざただ批判される為だけに、私がパミーナを歌わなければならない???歌う必要が何処にある???
答えは「否」である。
谷岡先生にも、ハッキリ申しあげた。

「ど〜せ私のパミーナはウィーンでしか通用しません。日本で評価なんかされません。ど〜せハリセン先生の前でパミーナ歌ったって、あ〜だこ〜だ言われるだけです。元々、ハリセン先生には絶対に聴かせない、他のどんなプロのパミーナ歌いのソプラノ歌手にも不可能な、私だけにしか歌えないパミーナを歌おうと思ったからこそ、今日の私のパミーナの歌唱があるワケです。ですから、谷岡先生に何を言われても絶対にハリセン先生には私のパミーナは聴かせません!!!!!!!!!!」

と断言した。
谷岡先生は、少しがっかりした様子で、

「じゃあ、ハリセン先生には内諸にしておきますね」

と言ってくださった。助かった♪
日本で私のパミーナを評価して下さる方は2人しか存在しない。
谷岡先生と、レッスンを見学に来て下さった友人だけである。
別に、萌系モーツァルトマニアの脂ぎったハゲオヤジの好評なんざ寒気がするから必要無いっす(爆死)
谷岡先生が、以前パミーナに関してハリセン先生と話し合った時に、
「ウィーンではそういう評価もありかもね」
というような事をハリセン先生が仰っていたらしい。
でも、そんな程度の曖昧な評価なら、無い方が宜しゅうおす。
私がわざわざ苦労して苦心して涙を流しながらも努力したパミーナ、聴くに値せず。
それが、私の意地と心意気。
要するに、幾らイジケても不貞腐れても開き直っていても、実際の歌唱がちゃんと先生やら聴き手やらを納得させられる歌唱であれば、問題なんざ無いのだよ。
谷岡先生、レッスンを聴きに来てくれた友人、超♪あっりがっとおおおおおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!!!


その後は、レッスンを見学に来てくれた友人と新宿のDisc Unionの中古センターに行って、一緒にヘンデルやらシューベルトやらシューマンやらブラームスの録音を探して、新宿で御飯を食べて(私は酒を呑んで♪)オペラ談義に花を咲かせて帰って来た。
嗚呼、楽しかった〜♪


今日は、親父関連の諸々の支払い作業で、午後は日本橋の銀行に詰めっぱなし。キャッシュカードが使えないばっかりに、通帳と印鑑を持って三越前〜水天宮前を走り回り、キャッシュディスペンサーの作業で、右肘が痛い。しかも、今日は音楽関連の勉強が全く出来なかった。
谷岡先生にもお話ししたが、親父の借金問題のせいで、今年3月に予定していたウィーンでのレッスンは、止む無く中止と決めた。
この恨み絶対に果たすべく、ウチの一族は絶家とする事を私が決めた。
私は、本家の長女(祖母)の長男(親父)の、長女。
兄弟に男はいない。
妹は3人の内、一人が死亡、一人は結婚して娘はいるが別れた旦那に預けている。残る一人の妹は、まだ独身。
私が、親父の全ての借金を一人で引き受けた事の見返りに、独身の妹には今後結婚して子供が生まれても、ウチの姓は名乗らせない約束を取り付ける事は、非常にカンタン♪
よって、当一族は、絶家確定。


一族の断絶を決めるなんて、まるで将軍家みた〜い♪
まさに、女王クレオパトラの気分〜〜〜♪♪♪

嗚呼、スッキリす〜〜〜〜〜(^^♪




開き直り不貞腐れチャレンジ。

今日も夜勤の合間の休日。午後から3時間スタジオ練習。

先日、去年ドイツリートのリサイタルの伴奏をして下さったY先生から、今年3月にY先生のお教室演奏会に出演しないか?と年賀状でお誘いを受けたので、取り敢えず今日は3月の演奏会の候補曲を探す事を念頭に置いて練習した。
声帯が疲労しやすいので、発声練習はごく短時間に。

バッハ「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」から「Bist du bei mir」低声用をまず最初にサラっと練習。実はこの曲、私はヘンレ版の楽譜を持っていて、ヘンレ版は高声用というか原調版の楽譜なのだけれど、昨年3月にウィーンにレッスンに行った時にN先生とM先生にレッスンで聴いて頂いたのだけれど、M先生から、
「私のリクエストで、Bist du bei mir を低声用で歌ってみてくれないかしら」
と言われて歌った所、M先生もN先生も、
「Bist du bei mir は、あなたは低声用で歌った方がいいし、合ってるわよ」
と指摘された。
とゆ〜訳で、ウィーンにいた時にウィーンの楽譜屋さんで「Bist du bei mir」の低声用の楽譜を探してベーレンライターのピース楽譜を購入して来たのだ。ところが、日本に帰国してから重大な事に気が付いたのだ。低声用の楽譜は、ピアノ伴奏が非常に違う!!!!!その事を谷岡先生に相談したら、谷岡先生から、
「Bist du bei mir の低声用、ウィーンで買ってきた楽譜じゃ駄目なのかしら?伴奏はヘンレ版で歌いたいんだ。だったら、移調がC-durなら、自分で移調楽譜を作ってみなさい。」
とゆ〜訳で、「Bist du bei mir」のC-durの移調楽譜を手書きで自分で作成してみたのだが、これが、キッタ無くてとってもぢゃあないっすケド、ピアニストにお渡しして伴奏して貰えるような楽譜には仕上げられなかったので、先日、移調楽譜専門業者に「Bist du bei mir」のC-dur移調楽譜の作成を依頼し、今日その移調楽譜が届いた。そこで、早速Bist du bei mirを低声用で練習♪声帯の疲労が激しかったのだが、悪くは無かった。
まずは、バッハの「Bist du bei mir」は、3月演奏会決定〜♪

その他もう1曲をどうするのか、慎重に考えながら練習を続けた。
シューベルト、シューマンの歌曲を練習して、最後にモーツァルトのオペラアリア2曲を練習した。最初は、ちょっち久しぶりに、今年ウィーンのレッスンに持って行く予定だったモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアを超久しぶりに歌った。もともとパミーナのアリアは、谷岡先生からは、
「あんまり歌い込まないように、でもいつでも歌えるようにしておいてね♪」
と、普通アマチュアにそんな事要求すっかあぁ???とゆ〜よ〜な御指摘を受けていた。そんで今日久しぶりに歌ってみて、ちょっち、とゆ〜か、相当な違和感があった。


何か変だ。自分は本当に今迄聴いたCDや観たDVDで歌ってる、所謂カワイイ系の可憐で可哀そうで弱々しいパミーナを歌いたいのか???まるで脂ぎったオヤジ好みのモーツァルトマニア萌系美少女パミーナを、本当にウィーンのレッスンに持って行くつもりか???持って行きたいか???大体にして、そんなパミーナ歌ってて楽しいか???
ウィーンのN先生は、私にそのようなパミーナを望んでレパートリーとして私にパミーナという役を下さっただろうか???
無論、否、である♪
ウィーンのN先生は私に、
「パミーナを勉強してみなさい」
とは言わなかった。
「あなたの声は、パミーナの声だ」
と仰られた。
私は、今日決めた。私自身のパミーナを歌う。私にしか歌う事が不可能なパミーナを歌う。レッジェロやコロラトゥーラやスーブレッドなんざ、糞喰らえ。
また、勢いとゆ〜ものは非常に重要且つ効果的で、思わぬ展開を齎すものなのだとマジで笑えた。全て思いつきの直感、楽譜の指示は無視。自分自身の持てる「声」だけに頼る。
パミーナのアリアは、ピアノ以上の声量は決して出さずにピアノかピアニッシモだけでの声量で歌う。
楽譜の指示はAndanteだが、私はLargo〜Adagioで歌う。なあぁ〜に、これでもロングブレスだけは自信がある。しかも、クレオパトラの太さの声で歌ってやる。絶対に死んでも細めの声なんざ、だ〜れが心掛けるかいな!!!それを決定事項として、改めてパミーナのアリアをおさらいした。
なんだ、結構良いカンジぢゃんかよ。
よっしゃ、これで行こう♪幸い、17日は谷岡先生の今年最初のレッスンがある。3月、Y先生のお教室演奏会は、バッハ「Bist du bei mir」低声用&モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアで決まりいいいいいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜!!!!!

最後にモーツァルト「ドン・ジョバンニ」ドンナ・エルヴィーラのアリアをちょこっとおさらいしたのだが、超つまらねえぇ!!!!!ってカンジで、止めた。

ど〜せ最初っから、日本に帰国した時から、谷岡先生以外の人間に、
「パミーナは違うんじゃない???」
と言われ続けて来た。今更怖いモンなんざ一つも無いからなあぁ〜♪
例えハリセン先生に、邪道だの違うだの言われても絶対にこの私自身のパミーナは、曲げない。
逆に、聴く誰もが批判して拒否反応を示すようなパミーナを歌って見せる(真面)
これなら、自信あるわあぁ(核爆)
ウィーンのN先生とM先生に、私だけのパミーナをお聞かせ出来る日がどうぞ来ますように♪
超楽しみ〜〜〜〜〜(激爆)


わざわざ、疲労困憊の体を引き摺りながら、毎日毎日来る日も来る日も夜勤をこなし、安くは無いレッスン料金を払いながら、なあぁ〜んでありふれた何処にでもある蹴飛ばせば石が当たるようなパミーナを歌う必要性がある?????
無いねえぇ。
だって、私、自分の歌でお金取らないアマチュアだもん♪
存分に、パミーナを楽しもう。
ああ、ワクワクするうぅ〜(猛爆)

せんねん灸「伊吹」

ここの所、勤務は夜勤続きだが中休日があるので、今日もスタジオ練習。
疲労が取れない。
夜勤の疲労というよりは、去年の親父脳出血事件〜ヘンデル・オペラアリア・リサイタル〜青森での処理作業〜連続夜勤、という一連の長期蓄積疲労なんだから、そうそう簡単に疲労が取れる筈も無し(凹)
今日は寝過ぎで、全身痛。意地になって薬を多量服用して、無理やり眠る。そうしないと疲労が取れない、体力が回復しない、イコール、歌えない。

先日、夜勤入りで夕方出勤したら、ちっとも音楽の話しなどした事の無かった病棟主任からいきなり訊かれた。

「澄んだ歌声って、どんな歌声なの〜???昨日、くしゃみ出なかった〜???(爆)」

誰だ、一体!!!と思ったら、同じ病棟でヘンデルのリサイタルを聴きに来てくれた、おたんこナース3人組のようだった。
ふ〜ん、澄んだ歌声に聴こえたのか。大体にして、澄んだ歌声って、どんな声だ???ホントに私の声か???
大体にしてヘンデルのオペラアリア9曲も歌ってたら、レッスン通りに歌えたかどうかは考えなくてはならないが、どんな声に聴こえるかどうかなんて、考えてるヒマなんざあるかいな。
ヘンデルのリサイタルを聴きに来てくれたおたんこナース3人組の一人で、高校からピアノを習っていて、現在自分の4歳になる息子にヴァイオリンを習わせている友達が、面白い話を聞かせてくれた。

「息子がね、あれ(ヘンデルのリサイタル)から、ずっと、はるこブラヴォ〜って言ってて(激爆)、テレビのCMでピアノの傍で歌ってるのがあるんだけど、ピアノの傍で歌ってる女性は皆あなただと思ってるみたいで、テレビでCM見る度に、あ、はるこだあぁ〜、って言うのよ〜(猛爆)」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
幼児教育には、非常に宜しくないのでは無いのだろうか・・・・・・・・・・(滝汗)
マトモに育ってくれる事を、願う(真面目)

昨日、去年ドイツリートのリサイタルでピアノ伴奏を引き受けてくださったY先生から年賀状が届いた。
お年賀に、先生方にちょっと高級なマロンパイをお送りした。
Y先生は、新年早々パソコンが壊れていたらしく、連絡が遅れてしまったと年賀状に書いていらっしゃった。
それと、Y先生の御教室演奏会が3月にあるらしいのだが、出演しないか?との依頼もあった。
Y先生はピアニストなので、基本的にピアノの生徒さんが大半である。幼児〜後期高齢者まで(笑)
歌は、私一人だけだろう。去年も実は誘って頂いたのだが、ロクでも無い人間に構っていた事や、ウィーンでのレッスンから帰って来たばかりで夜勤が多かった事で、出演出来なかった。
今年は、ウィーンにレッスンに行く可能性も低いから、幾つか演奏会を増やして勉強出来たらいいなあぁ。
歌うとしたら、ドイツリートになるけど。まず、バッハの「Bist du bei mir」は低声用で歌いたいな。日本ではまだ低声用で歌った事が無い。ウィーンのM先生からお墨付きを頂いたので、一度は演奏会本番に乗せたい。
でも、あと1曲どうしようか考え中。シューベルトにするかシューマンにするか、大変迷うトコロ。

取り敢えず、今日もベートーベン、シューベルト、シューマンの歌曲と、モーツァルトのドンナ・エルヴィーラのレチタティーヴォを中心に、3時間練習。
ベートーベンは大分慣れて来た。
シューベルトは・・・・・。大変な大馬鹿をやらかしていた事に気が付いた。「Fischerwise」の楽譜が、本当は3番までの有節歌曲なのに2番までしか楽譜を作ってなかった事に気が付いた。
駄目だ、過労でイッちゃってるなあぁ(自爆)
シューマンは・・・・・、何かもういい(超苦笑)
後は、谷岡先生の御判断にお任せしちゃいませう♪
疲れちゃった。

疲労と寝過ぎで、全身痛。
マッサージや整体に行ってるヒマも無い。
そこで、今日帰りに薬局で探したのが、せんねん灸。
それと、200ミリステラのジキバン。ピップエレキバンみたいなヤツの強力版。
流石に効きます、効きます、せんねん灸〜〜〜♪♪♪
今日もヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」グラインドボーン映像を流しっぱで、寝ます。
明日も夜勤だし(核爆)




ようやく歌い初め。

今日は夜勤の合間の休日。スタジオの正月休業も終ったのでスタジオ練習に出掛けた。


夜勤の合間の休日とは言っても、今月は日勤はたったの3日。後の勤務は全て夜勤である。
去年12月に脳出血で倒れ現在寝た切り状態の親父の入院治療費と、親父が残した借金と、青森の借家の処理費用を、親父の年金と私の給料から捻出しなければならなくなってしまった。そこでやむなく夜勤専門看護師に勤務形態を変更してもらった。
親父の年金は親父の入院治療費と、入院食費と、オムツ代と洗濯代にほぼ消える。親父の年金の僅かな残りの金額と、私の夜勤手当を全て借金返済と借家処理費用に充てなければならない。それでも完済までに3年はかかるであろう借金。
そういう訳で、暫く当分の間夜勤専門で働く。日勤業務に戻れる目途は立ってない。
夜勤で何が一番困るのかというと、睡眠不足は非常に声帯の調子を損なう大きな要因だという事である。しかも、病院で患者さんの急変や死亡は、何故か大抵夜勤帯が多い。睡眠不足の上に疲労も取れない。
当然、歌うには最低最悪の環境となる。
自宅にいる時間は、もはや休養を取る事に集中しないと、練習する事自体も難しい状態である。自宅で譜読みや楽譜作りに費やす体力は、今の私には欠片も存在しないのだ。
無論、先生方のレッスンを減らさざるを得ないであろう。
数ヵ月後、夜勤生活に慣れれば多少元通りの練習・レッスン形態に出来るかも知れないが。


真面目に、人生とは不当であり、人間とは不公平な生き物だと想う。


そういう訳で、今日からはドイツ・リートの練習とモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラの練習を再開した。
例えこのような事情でウィーンにレッスンに行く事が不可能だとしても、練習まで諦めてしまう事だけは絶対にしたくない。取り敢えず、ウィーンのB先生にレッスンを受ける予定のシューベルト、ウィーンのN先生にレッスンを受ける予定のベートーベンのイタリア語歌曲とモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラを練習始めた。
昼夜逆転の疲労困憊の割には、最近只管眠る事を心掛けているせいか、喉の調子は悪くは無かった。高音域も2点Hまで出たし♪でも、やはり歌い続けていると声帯の疲労は以前よりも早いな、と実感した。
ベートーベンのイタリア語の歌曲「In questa tomba oscura」「Liebesklage」は、曲に慣れて曲の流れを掴む所から始めた。ベートーベンの歌曲はとっても難しい。シューベルトよりも歌い辛い。オペラアリアに近い感覚もあるし、曲中の転調もあり、それがまたシューベルトの歌曲とも随分違う。2曲とも2ページの短い歌曲だが、恐らくシューベルトの歌曲よりも時間がかかると考えている。
シューベルトの歌曲は「Fischerweise」「Lied der Mignon」「Du bist die Ruh」の3曲をと思ったが、「Du bist die Ruh」の高声用は、ちょっと通して歌ってみたが結構音域が高い。最高音2点Aが2度出てくるので、これは中声用にキーを下げる事にした。恐らく、ウィーンのB先生はこの曲を中声用に下げるように言われる事だろう。去年ウィーンに行った時にレッスンを受けたシューベルト「トゥーレの王」と同じだと推測する。そういう訳で、今日は「Du bist die Ruh」は練習せずに、他の2曲だけ練習した。「Fischerweise」「Lied der Mignon」は、歌い込んで慣れればイケると想った。これから地道に練習を続けて行く。自分で望んでいるテンポで通して歌えるようになったら、谷岡先生のレッスンに持って行くつもり。

モーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラのアリア3曲は、非常に困ったというか驚いたというか(超苦笑)
まず驚いたというか良かった事は、アリアが非常に歌い易く感じたという事。「Ah! fuggi il traditor!」の複雑なリズムやテンポに躓かないで歌う事が出来た。これにはちょっとブッたまげた(笑)どう考えても、ヘンデルのリサイタルでオペラアリア9曲歌った事の賜物としか考えようが無いのだが、超久しぶりにこの曲を歌ったのに、こんなに歌い易くなっているのは本当に予測不可能な事である(滝汗)
ちょっと困った事は、ドンナ・エルヴィーラを歌う発声がクレオパトラを歌う発声と同じになっている、という事である。これは、ドンナ・エルヴィーラのオペラアリア3曲全てについて言える事である。これは、谷岡先生がどのように評価されるだろうか???結構不安(爆死)
ベートーベンやシューベルトの歌曲を練習している時には、殆ど感じなかったんだけど。
まあ、でもこれは仕方が無い事かも知れない。もし、谷岡先生に修正されるとしても、ギリギリの調整になるだろうと考えている。まあ、ドンナ・エルヴィーラ自体はコロラトゥーラやレジェロの役では無いから、多少発声の響きが太くなっても、太く重くなり過ぎなければ大丈夫だと思うけど(笑)果たして、谷岡先生の許容範囲がどの位であるのかに掛かっているような気がする(笑)


まあ、自分の声だから仕方が無いよねえぇ〜〜〜・・・。


明日も夜勤〜♪




年越しお年玉・・・(汗)

年末年始の連続夜勤で死にかけているのだが。

今日、夜勤明けで「ニューイヤー・オペラコンサート」の録画を観た。
お腹一杯、ごっそ〜さん。
期待出来る歌手とか、素晴らしいと思える歌手がいなかった。
木下美穂子は、発声が変わった???と感じた。
唯一記憶に残った歌手は、ウェーバー「魔弾の射手」を歌ったバス歌手だけ。
日本人はまだまだオペラ発展途上国か。
オペラの役柄を表現するために発声を戦略として歌う事の出来る歌手が、いないと強く感じた。
皆様、自分の声を聞かせるためにオペラアリアを声を張り上げて歌っている、というような印象。
曲の表現を、声の強弱だけにしか感じられない。
超高音域即テクニック、アジリダ即テクニック。
如何にプロと言えど、オペラアリア1場面だけ歌うのは、声を立派に張り上げてそれらしく歌う事は出来たように見せかけられても、オペラ全幕通して一つの役の表現を分析・解釈し身につけレパートリーとしない事には、ニューイヤー・オペラコンサートも、ただの「お祭り騒ぎ」だけ。
つまらない。
録画は、もう見なくていい。


兎に角、連続夜勤の超蓄積疲労で暫く歌えない。
でも、勉強はしなければならない、勉強したくてたまらない。
だから、昨日ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」でチェックして目を付けたアリアを全て楽譜をコピーして、今日の夜勤のヒマな時間に早速楽譜作りをしていた(爆)
主に、まだ勉強していないクレオパトラのアリア、シーザー、トロメーオ、コルネーリアのアリアを12曲程。
そして、帰宅してひと眠りしてから、楽譜を観ながらDVD鑑賞。
やはり、楽譜を観ながらオペラを観ると、非常に新たな発見が沢山沢山あるある!!!
まず、ヘンデルのオペラアリアは殆どがダ・カーポアリアなのだが、このダ・カーポ形式も歌手によってその扱い方や歌い方が非常に異なるし、それがまた歌手の個性を非常に強力に示している事に気付く。

まず、シーザー役のサラ・コノリー。ダ・カーポの1stは、楽譜通りほぼ完璧(核爆)ほぼ余計な装飾は付けずに私の持っているベーレンライター版の楽譜通りに歌っている。これにはブッたまげた。
ダ・カーポの2ndは、勿論御約束のアレンジが非常に技巧的で尚且つメゾ・ソプラノでありながら男性役としても不自然さが無い。
サラ・コノリーはダ・カーポの1stを楽譜通りに歌う事で、展開部とダ・カーポの2ndに大きな説得力を与えているのだと、非常に強く実感した。非常に丁寧な歌唱。ヘンデルの作品を再現芸術として大切に造り上げている素晴らしい歌手、サラ・コノリー。
正に、鳥肌が立った。
特に「Va tacito e nascosto」は余裕タップリ。
流石、グラインドボーン合唱団からの、叩き上げは違う。私もこのシーザーのアリアは勉強してみたいと非常に強く考えた。
それに比較すると、ダ・カーポの1stから装飾バリバリのクリストフ・デュモーは、若い(激爆)と感じた。でも、それでもやはり音符一つ一つ非常に丁寧に発声を心掛けており、どのような発声で歌う事がデュモー自身のトロメーオに「聴こえる」のかを十ニ分に熟知している。
ダニエル・ド・ニースは多少粗というか雑さが目立つが、サラ・コノリーのようなベテランと比較しても仕方が無いとは言え、クレオパトラ最初のアリア「Non disperar」では、アジリダの音が幾つか飛んでしまっている。明らかに発声への取り組みと丁寧さや慎重さに欠ける。

でも、それにしてもやはりサラ・コノリーは凄い。

で、このグラインドボーンのヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを購入したのは去年のヘンデルのリサイタル前だったのに、今日初めて気が付いた事があった。

特典映像。プロダクション・ドキュメンタリー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、阿呆(自爆)
指揮者のウィリアム・クリスティ、サラ・コノリー、ダニエル・ド・ニース、アンゲリカ・キルヒシュラーガー、演出のデヴィッド・マクヴィガーのインタビュー映像の存在に、今日初めて気が付いた。
とっても感動した事が幾つかあった。
指揮者のウィリアム・クリスティが、シーザー役のサラ・コノリーと、トロメーオ役のクリストフ・デュモーを非常に高く評価していた事。
指揮者ウィリアム・クリスティがヘンデルのオペラを「ヴァイオリンの声部と、舞台上の歌、バス声部がある、20曲に及ぶ壮大なトリオ・ソナタ集」であると位置付けていた事は、私自身のヘンデルのオペラへの見方を大きく変えた事。オーケストラには歌手と同じくらい歌う事を望み、歌手には時に楽器で弾くように歌う事を望む。私の声は、楽器に例えたら一体何の楽器だろうか・・・???ヴィオラかチェロかな???(笑)と考えさせられた。

演出家のデヴィッド・マクヴィカーは、ヘンデルのオペラ・アリアのダ・カーポ形式に関して実に興味深い思索を展開している。
ダ・カーポ形式ではまず感情や考えを表して、次に別の考えが提示され、それから最初の考えに対するより深い思索へと続く。これは実際の会話での思考方法と同じで、何かを主張しようと思う時にはダ・カーポ形式となる、という事。
レチタティーヴォ・セッコに関しては、取り組む事の困難さは感じるようだが、その瞬間の感情の深さを理解するために意欲と信念を持って取り組むならヘンデルのオペラが決して静的なものでは無く、難解なものでも無い事が解るだろう、と述べている。

また、シーザー役のサラ・コノリーは、ヘンデルのオペラの調性を原調で演奏する事について強調している。シーザーを移調して歌うと、クレオパトラやセストとの対話で音域が同じになってしまう事となり、それはヘンデルの意図に反するという事を主張している。
これは私がリサイタル前に読んだ本「ヘンデル・オペラセリアの世界」に書かれていた事と全く同じである。

最後に、指揮者ウィリアム・クリスティが、ヘンデルは「エジプトのジュリアス・シーザー」という作品が好きで大変に力を注いだ事は草稿や作品の書き直しを見れば分かる、あらゆる音楽作品の中でも最も精巧な作品である、と述べている事に涙が流れた。
私のような者でも、ヘンデルがこれ程に愛した作品からレパートリーを得て勉強出来る事が、何よりも幸福な事であると心から感じる事が出来た。
どんなにか夜勤で疲れようとも、歌えない時があっても、決して諦めないで頑張ってクレオパトラを全て勉強して行く事を、願い祈らずにはいられなかった。


嗚呼、ニューイヤー・オペラコンサートなんか見てないで、もっともっとDVDのメニュー画面をきちんと見れば良かったなああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(溜息)

明日も、夜勤(滝涙)


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