一昨日、約1年振りにヤンクミとのピアノ合わせに行って来た。
何しろ、片道約3時間弱時間がかかるので、非常に疲れた。ピアノ合わせの時間の3倍以上の時間、電車やらバスやらに揺られている。流石に電車の中で、寝た。
ヤンクミ宅に到着したら、大正浪漫風の和装姿で出迎えられた。和装のヘンデル、結構イケてるかも(笑)
ヤンクミ宅に到着して一息付いて、早速ピアノ合わせを行った。
まずは、楽譜の確認から。
今回、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」クレオパトラのアリア5曲に関しては、楽譜だけヤンクミに送って、録音は敢えて送らなかった。いつもなら音源も一緒に送るのだが、今回特に私が歌うクレオパトラに関しては、多くの録音の歌手の歌唱とは非常に大きく異なるクレオパトラだからである。
私の歌唱法や発声が特殊だという意味では無く、寧ろ、ミルヒー先生のオーダー通りの発声と私の解釈・分析したクレオパトラが、他のクレオパトラを歌っている歌手達とは、大きく異なる、という事である。
なので、今回特にミルヒー先生からは、
「ピアニストには予め、普通のクレオパトラの歌い方とは全く違う歌い方をするという事を、ちゃんと前もって言っておいた方が良いと思うから」
と指摘されていた。
まあ、ヤンクミの場合はその点に関しては余り大きく心配はしていなかったのだけれど。
楽譜の確認、テンポ、ブレスの箇所、ダ・カーポの装飾音、実際のべーレンライターの楽譜には指示記号が無くても私の歌い方について若干の補足を説明した。特に、レチタティーヴォに関しては、センテンス毎に内容が変わる度に、実際の休符よりも若干の「間」を取る。それが非常にオペラとしての「演技」を演奏者に意識付ける、または聴き手に感じ取って貰う効果的な方法だと、私自身考えたからである。
今回は初回のピアノ合わせという事もあり、まずは全体的な擦り合わせを行う所から始めた。
ヤンクミの伴奏と私の歌唱の最も大きな相違点は、ヘンデルのオーケストレーションのテンポであった。曲によって異なったが、ヤンクミの伴奏のテンポと私の歌唱のテンポが、曲によってほぼ真逆だった(苦笑)
「Non, disperar」「Tu la mia stella, sei」は全体的にヤンクミの伴奏のテンポが緩やかに捉えられており、「V'adoro pupille」「Venere bella」はヤンクミの伴奏のテンポが早めに捉えられていた。
これに関しては、私からヤンクミに、アリアの内容や場面の光景要素について若干の補足を行った。
「Non, disperar」は、トロメーオを嘲笑いからかいながら歌われるアリアである事、「Tu la mia stella, sei」は、クレオパトラがセストに対して、自分の代わりにトロメーオを殺しちゃってくれたら儲けもの、というような内容のアリアである事、これらの事から、軽めのダンスを踊りながら歌えるテンポやリズムで演奏したいという希望をヤンクミに伝えた。
「V'adoro pupille」は、クレオパトラがシーザーを誘惑してモノにしようという場面で、カーペットに包まれて魅惑的な香りとともにシーザーの前に登場するので、極めて落ち着いたテンポで、飽くまでも全体的な音楽としてメゾピアノ〜ピアニッシモの音量で演奏したい事、「Venere bella」は一見非常に音楽の流れが動的な音型になっているように思われるが、このアリアは実際のオペラの上演場面構成としてクレオパトラが入浴しながら肢体を磨きあげながら歌われている事が多いので、アジリダの場面も含めて音楽が停滞しない程度の落ち着いたテンポで歌いたい事を説明した。
ヤンクミ自身、音源が無い状態でアリアの楽譜だけ見て伴奏の練習をしていた時には、実際にどの程度のテンポで伴奏されるべきなのか非常に迷った、とのコメントを貰った。
勿論、私はヤンクミに、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のオペラの粗筋や楽曲解説や歌詞対訳を送ったのだが、ヤンクミ自身が今迄耳にした事のあるクレオパトラの歌唱や声質も含めて、やはり私の歌唱は結構想定外だったようである。
しかし、私自身の歌唱とは非常に掛け離れた音源をヤンクミに事前にお渡しするよりなら、実際のピアノ合わせの時間を増やしたり回数を増やしたりする方が、遥かに効果的であると私が判断した。
「Se, pieta」に関しては、特にレチタティーヴォに関して細かい打ち合わせを行った。レチタティーヴォの流れとして、前回のブログにも書いたが、センテンス毎に、メゾピアノ〜台詞の喋りの強調〜メゾフォルテ〜フォルテ〜フォルティッシモ〜スフォルツァンド〜ピアニッシモの流れで歌う事。
フォルテ以上の強さを以って歌う箇所のピアノ伴奏は、ヘンデルというよりも寧ろベートーベン程の力強さを以って伴奏して欲しいという、例外的な希望もお話しした(笑)アリアに関しては、非常に重厚に歌うし声量もセーブしない予定なので、ごく自然な流れで歌った。この「Se, pieta」に関しては、私自身とヤンクミの見解が割と自然に一致していたように考えられる。
ヤンクミから非常に面白い、というか貴重な御意見を頂く事が出来た。
ヤンクミが殊更お気に召して頂けたのが「V'adoro pupille」だった。しかも、ヤンクミ曰く、
「非常に、とっても女性らしい女らしい、妖艶なクレオパトラ。女性の武器を使ってシーザーを誘惑しようとするクレオパトラが見えてくる歌唱だと感じた。他のクレオパトラって、もっとコロコロあっさり歌ってる歌手が多いと思うけど。とてもしっとりとしたクレオパトラだと思う」
との事(核爆)
流石にここまで褒められると、相当に恥ずかしいしドン引き状態だったが(激爆)
ただ、私自身、クレオパトラを「絶世の美女」とは考えていないし、美しいクレオパトラを歌うつもりも毛頭無い。私はどちらかというと、化粧を剥いだクレオパトラは実はトンでも無い不細工だったかも知れない、とさえ考えている。
以前、某テレビでクレオパトラの特集が放映されているのを観たが、クレオパトラは幼い頃から、当時のエジプトの図書館に通い多くの書物を読み漁り、特にメイクや香水に関する研究を熱心に行っていたという史実があるのだそうだ。
シーザーやアントニウスを迎え入れる時、部屋中に薔薇の花弁を敷き詰めたという逸話もある。
これは、イチ女の意見だが、ほんっと〜に絶世の美女だったら、分厚い化粧するか?????スッピンで勝負しないか?????(爆死)クレオパトラのスッピンの素顔を見た事のある人間の記述って、存在するのだろうか?????(猛爆)
兎に角、私のクレオパトラ考察は隅に置いといたとしても、ヤンクミに、私のクレオパトラの意図を超えて歌唱でクレオパトラの美しさが伝わったのだとしたら、これはまさに「瓢箪から駒」である(苦笑)
ヤンクミから御感想を頂いた。
「去年よりも更に表現力が向上した。バロックをきちんとしっかり勉強する事によって、ここまで表現力がしっかりと身に付くのかと驚いた。でも、やっぱりバロックは音楽の基本だと思う」
との事だった。
私自身、殊更表現力に拘っているという訳でも無い。確かにクレオパトラを自分自身の表現で歌うという事は私にとって非常に重要な要素である事には変わりは無い。
しかし、一番重要な事は、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラに対する愛情、熱意、クレオパトラを始めとして、クレオパトラだけでは無くその他の全ての登場人物に関する分析、解釈。そして、今私が所有している4種類のCD全曲盤と3種類のDVD映像を暇さえあれば観たり聴いたりする事。その演奏の違いを実際に感じ取って、その中から自分の演奏や歌唱に非常に有効であると思われる要素を、セレクトして行く事。
総て「攻め」の要素がプラスに働いただけの事なのかも知れない、と考えている。
そもそもこの「エジプトのジュリアス・シーザー」という物語は、何が発端だったのか?
何故、シーザーはエジプトに来たのか?ポンペイウスを追って。
何故ポンペイウスはエジプトに来たのか?ローマで、シーザーvs元老院との戦いに敗れて、過去にプトレマイオス王(トロメーオの父王)の戴冠を行った事により、シーザーとの戦いの援軍を乞うため。
トロメーオは何故ポンペイウスを殺したのか?シーザーに着く方が政治的に有利とアキッラに唆されて。
クレオパトラは、弟であり夫である色恋にしか興味の無い幼い暴君トロメーオと仲が悪く、父親程の年上のシーザーを政治的後ろ盾にする事によりエジプトの王権獲得の希望と、幼稚な年下夫トロメーオにウンザリしていた所にシーザーの大人の男の魅力を見出す。
息子セストよりも年下の暴君トロメーオに夫ポンペイウスを殺されたコルネーリアは怒り狂い、自分よりも年下の暴君に父を殺されたセストは復讐を求めて、侍女リディアに化けたクレオパトラの策略に乗る。ローマでは政敵であるシーザーと相対し、同盟を組むはずだったエジプトのトロメーオの裏切りに合い、ポンペイウスを謀殺され孤立したコルネーリアとセストの心境とは、どのようなものであったのか???
コルネーリアの美しさにしか興味の無いアキッラは、暴君トロメーオにウンザリしながらもシーザー暗殺にも加担する。
恐らく役柄や従者としての位置関係や服装から、エジプトの神官レベルの従者であると私が推測するニレーノは、クレオパトラがシーザーの援助とローマの後ろ盾を得る事により、プトレマイオス朝の存続実現のために陰ながら暗躍している黒子。
執拗なトロメーオとアキッラの追求に合い、亡き夫ポンペイウスよりも身分が低いと考えているエジプト人男に翻弄され続けるコルネーリアは、徐々に正気を失っていく。
シーザーの政治的後ろ盾と愛情を得たクレオパトラと、クレオパトラからもコルネーリアからも愛情を得られないトロメーオの、血縁者一族同士の、エジプト王権を奪い合う愛憎と骨肉の争い。
一度はエジプト軍に敗走を喫したシーザーの、奇跡的生還。
コルネーリアをトロメーオに横取りされそうになり、怒りトロメーオを裏切ってクレオパトラに付いたアキッラの戦死。
父親ポンペイウスの復讐を果たしたセスト。
トロメーオの死によって、エジプトの王権を手にしたクレオパトラ。
シーザーの政治的後ろ盾と愛情を得るために、エジプトをローマの属州に乏しめたクレオパトラ。
エジプトをローマの属州とし、クレオパトラという愛人を得た、シーザー。
私が歌いたいのは、シーザーとクレオパトラのプライベートなラブストーリーでは無い。
政治的背景と同族の因縁と謀略と欲望に渦巻く、総大な歴史スペクタクルの中の一人の人間としてのクレオパトラを、歌いたい。特に、クレオパトラとトロメーオの、掴みあい髪の毛をむしり合い地べたを這いずり回る程の同族の骨肉の狂気の愛憎劇なんて、これ程までに素晴らしいシチュエーションは無いとすら感じる位に興味をそそられる。歌うのが楽しくって仕方が無い(笑)
シーザーがブルータスを始めとする部下に暗殺されてもクレオパトラは生き、アントニウスの愛人となり、ローマのアウグスティヌス帝の怒りを買い、闘いの最中、毒蛇に自らの腕を噛ませて自殺するクレオパトラの未来を、ヘンデルは、音楽としては描く事は無くとも見通しながら、このオペラを一個の珠玉の作品として書き上げた。
オペラを量産し続けながら、その忙殺されつつあった作曲家人生の中でも、多くの愛情を注ぎつつ。
ヘンデルの音楽は、憎しみと狂気であっても、まさに美しい天上の音楽である。
これ程までに、劇的なオペラが存在するのだろうか???と、本当に考えている。
先日、湯島天神で学業成就のお札とお守りを購入して来た!!!
音楽の、学業成就♪
さて、次のヤンクミとのピアノ合わせまで、勉強勉強♪
何しろ、片道約3時間弱時間がかかるので、非常に疲れた。ピアノ合わせの時間の3倍以上の時間、電車やらバスやらに揺られている。流石に電車の中で、寝た。
ヤンクミ宅に到着したら、大正浪漫風の和装姿で出迎えられた。和装のヘンデル、結構イケてるかも(笑)
ヤンクミ宅に到着して一息付いて、早速ピアノ合わせを行った。
まずは、楽譜の確認から。
今回、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」クレオパトラのアリア5曲に関しては、楽譜だけヤンクミに送って、録音は敢えて送らなかった。いつもなら音源も一緒に送るのだが、今回特に私が歌うクレオパトラに関しては、多くの録音の歌手の歌唱とは非常に大きく異なるクレオパトラだからである。
私の歌唱法や発声が特殊だという意味では無く、寧ろ、ミルヒー先生のオーダー通りの発声と私の解釈・分析したクレオパトラが、他のクレオパトラを歌っている歌手達とは、大きく異なる、という事である。
なので、今回特にミルヒー先生からは、
「ピアニストには予め、普通のクレオパトラの歌い方とは全く違う歌い方をするという事を、ちゃんと前もって言っておいた方が良いと思うから」
と指摘されていた。
まあ、ヤンクミの場合はその点に関しては余り大きく心配はしていなかったのだけれど。
楽譜の確認、テンポ、ブレスの箇所、ダ・カーポの装飾音、実際のべーレンライターの楽譜には指示記号が無くても私の歌い方について若干の補足を説明した。特に、レチタティーヴォに関しては、センテンス毎に内容が変わる度に、実際の休符よりも若干の「間」を取る。それが非常にオペラとしての「演技」を演奏者に意識付ける、または聴き手に感じ取って貰う効果的な方法だと、私自身考えたからである。
今回は初回のピアノ合わせという事もあり、まずは全体的な擦り合わせを行う所から始めた。
ヤンクミの伴奏と私の歌唱の最も大きな相違点は、ヘンデルのオーケストレーションのテンポであった。曲によって異なったが、ヤンクミの伴奏のテンポと私の歌唱のテンポが、曲によってほぼ真逆だった(苦笑)
「Non, disperar」「Tu la mia stella, sei」は全体的にヤンクミの伴奏のテンポが緩やかに捉えられており、「V'adoro pupille」「Venere bella」はヤンクミの伴奏のテンポが早めに捉えられていた。
これに関しては、私からヤンクミに、アリアの内容や場面の光景要素について若干の補足を行った。
「Non, disperar」は、トロメーオを嘲笑いからかいながら歌われるアリアである事、「Tu la mia stella, sei」は、クレオパトラがセストに対して、自分の代わりにトロメーオを殺しちゃってくれたら儲けもの、というような内容のアリアである事、これらの事から、軽めのダンスを踊りながら歌えるテンポやリズムで演奏したいという希望をヤンクミに伝えた。
「V'adoro pupille」は、クレオパトラがシーザーを誘惑してモノにしようという場面で、カーペットに包まれて魅惑的な香りとともにシーザーの前に登場するので、極めて落ち着いたテンポで、飽くまでも全体的な音楽としてメゾピアノ〜ピアニッシモの音量で演奏したい事、「Venere bella」は一見非常に音楽の流れが動的な音型になっているように思われるが、このアリアは実際のオペラの上演場面構成としてクレオパトラが入浴しながら肢体を磨きあげながら歌われている事が多いので、アジリダの場面も含めて音楽が停滞しない程度の落ち着いたテンポで歌いたい事を説明した。
ヤンクミ自身、音源が無い状態でアリアの楽譜だけ見て伴奏の練習をしていた時には、実際にどの程度のテンポで伴奏されるべきなのか非常に迷った、とのコメントを貰った。
勿論、私はヤンクミに、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のオペラの粗筋や楽曲解説や歌詞対訳を送ったのだが、ヤンクミ自身が今迄耳にした事のあるクレオパトラの歌唱や声質も含めて、やはり私の歌唱は結構想定外だったようである。
しかし、私自身の歌唱とは非常に掛け離れた音源をヤンクミに事前にお渡しするよりなら、実際のピアノ合わせの時間を増やしたり回数を増やしたりする方が、遥かに効果的であると私が判断した。
「Se, pieta」に関しては、特にレチタティーヴォに関して細かい打ち合わせを行った。レチタティーヴォの流れとして、前回のブログにも書いたが、センテンス毎に、メゾピアノ〜台詞の喋りの強調〜メゾフォルテ〜フォルテ〜フォルティッシモ〜スフォルツァンド〜ピアニッシモの流れで歌う事。
フォルテ以上の強さを以って歌う箇所のピアノ伴奏は、ヘンデルというよりも寧ろベートーベン程の力強さを以って伴奏して欲しいという、例外的な希望もお話しした(笑)アリアに関しては、非常に重厚に歌うし声量もセーブしない予定なので、ごく自然な流れで歌った。この「Se, pieta」に関しては、私自身とヤンクミの見解が割と自然に一致していたように考えられる。
ヤンクミから非常に面白い、というか貴重な御意見を頂く事が出来た。
ヤンクミが殊更お気に召して頂けたのが「V'adoro pupille」だった。しかも、ヤンクミ曰く、
「非常に、とっても女性らしい女らしい、妖艶なクレオパトラ。女性の武器を使ってシーザーを誘惑しようとするクレオパトラが見えてくる歌唱だと感じた。他のクレオパトラって、もっとコロコロあっさり歌ってる歌手が多いと思うけど。とてもしっとりとしたクレオパトラだと思う」
との事(核爆)
流石にここまで褒められると、相当に恥ずかしいしドン引き状態だったが(激爆)
ただ、私自身、クレオパトラを「絶世の美女」とは考えていないし、美しいクレオパトラを歌うつもりも毛頭無い。私はどちらかというと、化粧を剥いだクレオパトラは実はトンでも無い不細工だったかも知れない、とさえ考えている。
以前、某テレビでクレオパトラの特集が放映されているのを観たが、クレオパトラは幼い頃から、当時のエジプトの図書館に通い多くの書物を読み漁り、特にメイクや香水に関する研究を熱心に行っていたという史実があるのだそうだ。
シーザーやアントニウスを迎え入れる時、部屋中に薔薇の花弁を敷き詰めたという逸話もある。
これは、イチ女の意見だが、ほんっと〜に絶世の美女だったら、分厚い化粧するか?????スッピンで勝負しないか?????(爆死)クレオパトラのスッピンの素顔を見た事のある人間の記述って、存在するのだろうか?????(猛爆)
兎に角、私のクレオパトラ考察は隅に置いといたとしても、ヤンクミに、私のクレオパトラの意図を超えて歌唱でクレオパトラの美しさが伝わったのだとしたら、これはまさに「瓢箪から駒」である(苦笑)
ヤンクミから御感想を頂いた。
「去年よりも更に表現力が向上した。バロックをきちんとしっかり勉強する事によって、ここまで表現力がしっかりと身に付くのかと驚いた。でも、やっぱりバロックは音楽の基本だと思う」
との事だった。
私自身、殊更表現力に拘っているという訳でも無い。確かにクレオパトラを自分自身の表現で歌うという事は私にとって非常に重要な要素である事には変わりは無い。
しかし、一番重要な事は、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラに対する愛情、熱意、クレオパトラを始めとして、クレオパトラだけでは無くその他の全ての登場人物に関する分析、解釈。そして、今私が所有している4種類のCD全曲盤と3種類のDVD映像を暇さえあれば観たり聴いたりする事。その演奏の違いを実際に感じ取って、その中から自分の演奏や歌唱に非常に有効であると思われる要素を、セレクトして行く事。
総て「攻め」の要素がプラスに働いただけの事なのかも知れない、と考えている。
そもそもこの「エジプトのジュリアス・シーザー」という物語は、何が発端だったのか?
何故、シーザーはエジプトに来たのか?ポンペイウスを追って。
何故ポンペイウスはエジプトに来たのか?ローマで、シーザーvs元老院との戦いに敗れて、過去にプトレマイオス王(トロメーオの父王)の戴冠を行った事により、シーザーとの戦いの援軍を乞うため。
トロメーオは何故ポンペイウスを殺したのか?シーザーに着く方が政治的に有利とアキッラに唆されて。
クレオパトラは、弟であり夫である色恋にしか興味の無い幼い暴君トロメーオと仲が悪く、父親程の年上のシーザーを政治的後ろ盾にする事によりエジプトの王権獲得の希望と、幼稚な年下夫トロメーオにウンザリしていた所にシーザーの大人の男の魅力を見出す。
息子セストよりも年下の暴君トロメーオに夫ポンペイウスを殺されたコルネーリアは怒り狂い、自分よりも年下の暴君に父を殺されたセストは復讐を求めて、侍女リディアに化けたクレオパトラの策略に乗る。ローマでは政敵であるシーザーと相対し、同盟を組むはずだったエジプトのトロメーオの裏切りに合い、ポンペイウスを謀殺され孤立したコルネーリアとセストの心境とは、どのようなものであったのか???
コルネーリアの美しさにしか興味の無いアキッラは、暴君トロメーオにウンザリしながらもシーザー暗殺にも加担する。
恐らく役柄や従者としての位置関係や服装から、エジプトの神官レベルの従者であると私が推測するニレーノは、クレオパトラがシーザーの援助とローマの後ろ盾を得る事により、プトレマイオス朝の存続実現のために陰ながら暗躍している黒子。
執拗なトロメーオとアキッラの追求に合い、亡き夫ポンペイウスよりも身分が低いと考えているエジプト人男に翻弄され続けるコルネーリアは、徐々に正気を失っていく。
シーザーの政治的後ろ盾と愛情を得たクレオパトラと、クレオパトラからもコルネーリアからも愛情を得られないトロメーオの、血縁者一族同士の、エジプト王権を奪い合う愛憎と骨肉の争い。
一度はエジプト軍に敗走を喫したシーザーの、奇跡的生還。
コルネーリアをトロメーオに横取りされそうになり、怒りトロメーオを裏切ってクレオパトラに付いたアキッラの戦死。
父親ポンペイウスの復讐を果たしたセスト。
トロメーオの死によって、エジプトの王権を手にしたクレオパトラ。
シーザーの政治的後ろ盾と愛情を得るために、エジプトをローマの属州に乏しめたクレオパトラ。
エジプトをローマの属州とし、クレオパトラという愛人を得た、シーザー。
私が歌いたいのは、シーザーとクレオパトラのプライベートなラブストーリーでは無い。
政治的背景と同族の因縁と謀略と欲望に渦巻く、総大な歴史スペクタクルの中の一人の人間としてのクレオパトラを、歌いたい。特に、クレオパトラとトロメーオの、掴みあい髪の毛をむしり合い地べたを這いずり回る程の同族の骨肉の狂気の愛憎劇なんて、これ程までに素晴らしいシチュエーションは無いとすら感じる位に興味をそそられる。歌うのが楽しくって仕方が無い(笑)
シーザーがブルータスを始めとする部下に暗殺されてもクレオパトラは生き、アントニウスの愛人となり、ローマのアウグスティヌス帝の怒りを買い、闘いの最中、毒蛇に自らの腕を噛ませて自殺するクレオパトラの未来を、ヘンデルは、音楽としては描く事は無くとも見通しながら、このオペラを一個の珠玉の作品として書き上げた。
オペラを量産し続けながら、その忙殺されつつあった作曲家人生の中でも、多くの愛情を注ぎつつ。
ヘンデルの音楽は、憎しみと狂気であっても、まさに美しい天上の音楽である。
これ程までに、劇的なオペラが存在するのだろうか???と、本当に考えている。
先日、湯島天神で学業成就のお札とお守りを購入して来た!!!
音楽の、学業成就♪
さて、次のヤンクミとのピアノ合わせまで、勉強勉強♪