今月19日、超久しぶりの谷岡先生のレッスンだった。
レッスンで見て頂かなければならない曲が、しこたまあった。モーツァルト、シューベルト、シューマン歌曲と、モーツァルト「ドン・ジョバンニ」ドンナ・エルヴィーラのアリア3曲。
今現在、病棟で横暴・暴言の限りを尽くしているバカ医者のお陰で、タダでさえ苛酷な労働にストレス倍増で病棟中が殺気立っているのに、一向に進展しない親父の借金問題で弁護士さんから連絡を待つのも疲れ切ってしまっているのに、この日のレッスンで私の精神的緊張は限界を超えた。
レッスン前に、谷岡先生からお話しがあった。
谷岡先生は、6月下旬に御自身が御指導されている合唱団の方々とウィーンに行かれていた。
そのウィーン滞在中に、私がウィーンのレッスンでお世話になったM先生と、何やらトラブルがあったとの事だった。私も谷岡先生に詳細をお尋ねする事は出来なかったのだけれど、谷岡先生から非常に厳しい内容の事を宣告されてしまった。
谷岡先生曰く、
「私はもうウィーンのMさんやN先生とはコンタクトを取らない事になりました。でも、あなたは私達の助けが無くても御自身でウィーンのMさんとのパイプも出来たようだし、私が協力してあげられなくても大丈夫だと思う。私は、ウィーンのMさんのレッスンをあなたが続けるからと言って、ウチに出入り禁止、なんて事は考えていないし、あなたは自分できちんと勉強できる人だから大丈夫だと思う。」
との事だった。
しかし、私がこれから始める新しい勉強に関して、ウィーンのM先生から、
「出来れば、ドイツ語会話の出来るネイティブの先生のレッスンを受ける事が望ましいと思います」
との御指摘を受けていた。でも私はそのようなドイツ語会話の出来るネイティブな先生なんて、知るワケが無い!!!だから、この日のレッスンで谷岡先生にご相談申し上げて、ドイツ語会話のネイティブ先生を探さなければならないと思ってレッスンに行ったのだが、谷岡先生からは、
「ごめんなさい。私も知っている、紹介してあげられるドイツ語会話の出来るネイティブの先生はいないから、ウィーンでMさんに紹介してもらった方がいいと思う」
との事だった。
谷岡先生とウィーンのM先生のトラブルに関しては、これは私が介入していない問題なのでもうどうしようも無い。私は谷岡先生に、今迄通り谷岡先生とハリセン先生のレッスンを受けたい事、ドイツ語のネイティブの先生はウィーンのM先生と御相談させて頂く事をお伝えした。
谷岡先生とハリセン先生のレッスンから離れたく無い。谷岡先生もハリセン先生も、私がレッスンを受けるようになってからもう5年になろうとしている。私の声がこの5年間でどのように成長したのか、ドイツ・リートやドイツ・オペラで私がどのような曲の勉強をするべきなのか、そして私の声が日本とウィーンとでどれ程の大きなギャップがあるのかを誰よりも一番理解して下さっているのは、谷岡先生とハリセン先生である事は疑いようが無い事だ。
でも今後、私が新しく始める勉強に関して余り協力を得られない可能性も否定出来ない。
特に、現代曲の勉強に関しては、恐らく新しいネイティブの先生を探して見つからない限りは、レッスンを受ける事は不可能かも知れない。
もう一つ、大きな心配があった。
今年のウィーンでのレッスンである。
それでなくとも、親父の入院騒動で一度ウィーンでのレッスン予定をキャンセルしているのだ。
谷岡先生がウィーンから帰国してから3週間余り、ウィーンのM先生から私の今年のウィーンでのレッスンに関するメールは頂いていないが、私は今年、本当にウィーンにレッスンに行く事が出来るのだろうか???
大きな不安がよぎった。
谷岡先生のレッスンは、モーツァルト、シューベルト、シューマンの歌曲を6曲レッスンして終了。ドンナ・エルヴィーラのアリア3曲は時間切れで、次回レッスンとなった。
足取りも重く、帰宅した。
谷岡先生からウィーンのお土産を頂いた。まだ手を付けられないでいる。
谷岡先生のレッスンが終わってから、ウィーンのM先生にメールを送った。来月から燃料サーチャージが値上げになるので今月中にウィーン行きの航空券を購入するので、詳細が決まり次第ご連絡申し上げる事。
後は、ウィーンからM先生の連絡待ちとなった。
余りのショックに、次の日喘息発作を起こした。
もう、泣くしかなかった。
何でこんなトラブルばかり起きるのか。
自分の努力全部報われて欲しいなどとフザケた事は言わないにしても、ここまでアンラッキーばっかり続くって、一体ど〜ゆ〜事なんだ!!!!!
生きてるのが、嫌になった。心底、さっさと生まれ変わって新しい人生を生きる方が余程マシな人生を送れると真剣に考えた。
後に残された人間の事?????私の知った事か!!!!!
そう思いながらも、周囲の方々に何とか励まされて慰められて叱咤激励されて、とにかくウィーンのM先生のレスポンスを待つ事にした。
更に不眠症が酷くなり、食欲も無い。ハードな夜勤が続いて疲労困憊の中、一昨日は患者さんの急変があって15時間休憩無しの夜勤だったのに、例のバカ医者に無能呼ばわりされて、初めて病棟課長の前にボールペンを投げつけて、
「こんなんじゃ、やってられっか!!!」
と怒鳴って、泣いた。
もう、散々な日々だった。
待つ事6日目。
昨日から今日の夜勤は手術もあったけれど比較的落ち着いた静かな夜勤だった。
非常に疲れていたので、ギャラリーカフェでアイスコーヒーを一杯飲んで帰宅した。
帰宅して、一杯酒呑んで一眠りして目が覚めてから、PCを開けて横目でオールスターを見ながら病棟の後輩にメールしていたら、すぐにレスが返って来た。
てっきり今日一緒に夜勤した後輩からだと思ったら、ウィーンのM先生からの返信メール!!!!!
恐る恐る、メールを開いた。ウィーンのM先生から、
「メールありがとう。出張の為に返信が遅れました。では出発と帰国日が決定したら、お知らせください。お目にかかれるのが楽しみです。
暑い日がつづきます、お健やかにおすごしくださいますように」
と書かれていた。
本当に久し振りに心の底から、ホッとして思わず涙が流れた。
どんなに苦しくて多少自棄になっても、我慢して諦めなくて本当に良かった。
これでまた今年もウィーンでレッスンが受けられる。
ミューズは私を見放したワケではなかった。
改めて、励ましてくださった方々に、少しではあるがお礼を申し上げた。
余りにしんどい日々で、このブログを書く気にもなれなかった。
でも、運命がどれ程私に冷たくても、私の周り全ての人が敵では無いのだから、不貞腐れてばかりいないで我慢しなければならないだろう。短気は損気。
尤も、私の事を傷つけて乏しめてくれた人間は、別だがな。
取り敢えず、今日からは少し眠れそうな気がする。
連続夜勤が明けたら、ウィーン行きの航空券を購入しに行こうと考えている。
まだ少し胃は痛いけど、負けていられない♪
ウィーン行きまで、ファイト。
レッスンで見て頂かなければならない曲が、しこたまあった。モーツァルト、シューベルト、シューマン歌曲と、モーツァルト「ドン・ジョバンニ」ドンナ・エルヴィーラのアリア3曲。
今現在、病棟で横暴・暴言の限りを尽くしているバカ医者のお陰で、タダでさえ苛酷な労働にストレス倍増で病棟中が殺気立っているのに、一向に進展しない親父の借金問題で弁護士さんから連絡を待つのも疲れ切ってしまっているのに、この日のレッスンで私の精神的緊張は限界を超えた。
レッスン前に、谷岡先生からお話しがあった。
谷岡先生は、6月下旬に御自身が御指導されている合唱団の方々とウィーンに行かれていた。
そのウィーン滞在中に、私がウィーンのレッスンでお世話になったM先生と、何やらトラブルがあったとの事だった。私も谷岡先生に詳細をお尋ねする事は出来なかったのだけれど、谷岡先生から非常に厳しい内容の事を宣告されてしまった。
谷岡先生曰く、
「私はもうウィーンのMさんやN先生とはコンタクトを取らない事になりました。でも、あなたは私達の助けが無くても御自身でウィーンのMさんとのパイプも出来たようだし、私が協力してあげられなくても大丈夫だと思う。私は、ウィーンのMさんのレッスンをあなたが続けるからと言って、ウチに出入り禁止、なんて事は考えていないし、あなたは自分できちんと勉強できる人だから大丈夫だと思う。」
との事だった。
しかし、私がこれから始める新しい勉強に関して、ウィーンのM先生から、
「出来れば、ドイツ語会話の出来るネイティブの先生のレッスンを受ける事が望ましいと思います」
との御指摘を受けていた。でも私はそのようなドイツ語会話の出来るネイティブな先生なんて、知るワケが無い!!!だから、この日のレッスンで谷岡先生にご相談申し上げて、ドイツ語会話のネイティブ先生を探さなければならないと思ってレッスンに行ったのだが、谷岡先生からは、
「ごめんなさい。私も知っている、紹介してあげられるドイツ語会話の出来るネイティブの先生はいないから、ウィーンでMさんに紹介してもらった方がいいと思う」
との事だった。
谷岡先生とウィーンのM先生のトラブルに関しては、これは私が介入していない問題なのでもうどうしようも無い。私は谷岡先生に、今迄通り谷岡先生とハリセン先生のレッスンを受けたい事、ドイツ語のネイティブの先生はウィーンのM先生と御相談させて頂く事をお伝えした。
谷岡先生とハリセン先生のレッスンから離れたく無い。谷岡先生もハリセン先生も、私がレッスンを受けるようになってからもう5年になろうとしている。私の声がこの5年間でどのように成長したのか、ドイツ・リートやドイツ・オペラで私がどのような曲の勉強をするべきなのか、そして私の声が日本とウィーンとでどれ程の大きなギャップがあるのかを誰よりも一番理解して下さっているのは、谷岡先生とハリセン先生である事は疑いようが無い事だ。
でも今後、私が新しく始める勉強に関して余り協力を得られない可能性も否定出来ない。
特に、現代曲の勉強に関しては、恐らく新しいネイティブの先生を探して見つからない限りは、レッスンを受ける事は不可能かも知れない。
もう一つ、大きな心配があった。
今年のウィーンでのレッスンである。
それでなくとも、親父の入院騒動で一度ウィーンでのレッスン予定をキャンセルしているのだ。
谷岡先生がウィーンから帰国してから3週間余り、ウィーンのM先生から私の今年のウィーンでのレッスンに関するメールは頂いていないが、私は今年、本当にウィーンにレッスンに行く事が出来るのだろうか???
大きな不安がよぎった。
谷岡先生のレッスンは、モーツァルト、シューベルト、シューマンの歌曲を6曲レッスンして終了。ドンナ・エルヴィーラのアリア3曲は時間切れで、次回レッスンとなった。
足取りも重く、帰宅した。
谷岡先生からウィーンのお土産を頂いた。まだ手を付けられないでいる。
谷岡先生のレッスンが終わってから、ウィーンのM先生にメールを送った。来月から燃料サーチャージが値上げになるので今月中にウィーン行きの航空券を購入するので、詳細が決まり次第ご連絡申し上げる事。
後は、ウィーンからM先生の連絡待ちとなった。
余りのショックに、次の日喘息発作を起こした。
もう、泣くしかなかった。
何でこんなトラブルばかり起きるのか。
自分の努力全部報われて欲しいなどとフザケた事は言わないにしても、ここまでアンラッキーばっかり続くって、一体ど〜ゆ〜事なんだ!!!!!
生きてるのが、嫌になった。心底、さっさと生まれ変わって新しい人生を生きる方が余程マシな人生を送れると真剣に考えた。
後に残された人間の事?????私の知った事か!!!!!
そう思いながらも、周囲の方々に何とか励まされて慰められて叱咤激励されて、とにかくウィーンのM先生のレスポンスを待つ事にした。
更に不眠症が酷くなり、食欲も無い。ハードな夜勤が続いて疲労困憊の中、一昨日は患者さんの急変があって15時間休憩無しの夜勤だったのに、例のバカ医者に無能呼ばわりされて、初めて病棟課長の前にボールペンを投げつけて、
「こんなんじゃ、やってられっか!!!」
と怒鳴って、泣いた。
もう、散々な日々だった。
待つ事6日目。
昨日から今日の夜勤は手術もあったけれど比較的落ち着いた静かな夜勤だった。
非常に疲れていたので、ギャラリーカフェでアイスコーヒーを一杯飲んで帰宅した。
帰宅して、一杯酒呑んで一眠りして目が覚めてから、PCを開けて横目でオールスターを見ながら病棟の後輩にメールしていたら、すぐにレスが返って来た。
てっきり今日一緒に夜勤した後輩からだと思ったら、ウィーンのM先生からの返信メール!!!!!
恐る恐る、メールを開いた。ウィーンのM先生から、
「メールありがとう。出張の為に返信が遅れました。では出発と帰国日が決定したら、お知らせください。お目にかかれるのが楽しみです。
暑い日がつづきます、お健やかにおすごしくださいますように」
と書かれていた。
本当に久し振りに心の底から、ホッとして思わず涙が流れた。
どんなに苦しくて多少自棄になっても、我慢して諦めなくて本当に良かった。
これでまた今年もウィーンでレッスンが受けられる。
ミューズは私を見放したワケではなかった。
改めて、励ましてくださった方々に、少しではあるがお礼を申し上げた。
余りにしんどい日々で、このブログを書く気にもなれなかった。
でも、運命がどれ程私に冷たくても、私の周り全ての人が敵では無いのだから、不貞腐れてばかりいないで我慢しなければならないだろう。短気は損気。
尤も、私の事を傷つけて乏しめてくれた人間は、別だがな。
取り敢えず、今日からは少し眠れそうな気がする。
連続夜勤が明けたら、ウィーン行きの航空券を購入しに行こうと考えている。
まだ少し胃は痛いけど、負けていられない♪
ウィーン行きまで、ファイト。
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