晴れの日はANDANTE

私のライフワークである歌曲やオペラ、日々の練習やレッスンについて、気ままに綴っていきます。

2010年10月

一番嬉しかった、ウィーンのレッスン5日目vol.2

N先生のレッスン後、私の滞在するアパートでピアニストEさんに、たぬき蕎麦を作って食べて頂いて、それからちょっとしたハプニングがあったのだけれど、何とかB先生のレッスンに間に合った。

昨日の日曜日1日開いてのB先生のレッスン。まず、先週のおさらい「Du bist die Ruh」から。指摘・修正される事はもう決まっている。ウムラウトの発音。それと、所々下腹部から下の支えを発声で指摘されたが、これは一度通してB先生からOKが出た。
次に「Fischerweise」この曲は、初日のレッスンでボロボロだったのでこの曲もB先生のレッスンの度に歌っているが、苦手な曲なりにもようやく慣れて来たという所か。この曲も指摘・修正される事はもう決まっている。中低音域できちんと下腹部から下の支えで発声する事、自由な漁師なので伸び伸び歌う事、ウムラウトの発音と幾つかのドイツ語を丁寧に発音する事。それでもB先生から「大分良くなった」と言って頂けた。それでもこの「Fischerweise」に関してはまだまだ私に苦手意識があるので、もっともっと勉強・練習を継続してきちんと演奏会本番に乗せられるレベルになりたいという意識を強く持っている。こういう曲を丁寧に表現力豊かにきちんとしたドイツ語で歌う事が出来るようになる事が、シューベルト歌曲の勉強では非常に基礎的な重要な勉強だと、私は考えている。

次に、一昨日からの続き「Dem Unendlichen」をレッスンするとの事。今日は先にてっきり新曲だと思っていたのだが。昨日のピアニストEさんとの合わせ練習で、この曲のレチタティーヴォのリズムとテンポの合わせを行なったので、ピアニストEさんが伴奏をされるのかと思いきや、B先生がピアノの前に座られる。他の曲は、ピアニストEさんにも弾いて頂いているのだが。
レチタティーヴォの細かいテンポのチェックから。ドイツ語の歌詞でも重要な言葉は相当にマルカートに歌われるように指摘された。ちなみに、これはシューベルトの楽譜にマルカートの指示は無い。いつも通り御約束にウムラウトと幾つかのドイツ語の発音を修正されながら2〜3度通して歌って、B先生からOKが出た。でも、折角昨日ピアニストEさんと伴奏合わせをしたのに、B先生の伴奏で歌ってこの曲は本日終了。

B先生から、
「他にレッスンしていない曲はあるか?」
と尋ねられたので、去年のウィーンでの初めてのレッスン前におこなった初リサイタルで歌った、ゲーテ詩の「An den Mond」をレッスン曲に出した。本当は「Die Forelle」にしようかとも考えたのだが、止めた(苦笑)このゲーテ詩の「An den Mond」は、ドイツ語の詩の朗読CDを購入した中にも入っていたので、去年のドイツリート&ドイツオペラのリサイタル前にかなりドイツ語の詩のディクションを気合いを入れて行なった曲でもある。去年のウィーンでのレッスンは正味3日間だけだったのでB先生のレッスン曲からは漏れたのだけれど、この曲が何故かとても気に入っていた事、シューベルトのこのような小さな有節歌曲をきっちりと表現力豊かに歌えるようになる事が非常に大切な勉強だと私が強く考えているので(FischerweiseやWiegenliedなども含めて)この曲を是非B先生のレッスンを受けたかった。
最初一通り通して歌って、御約束のウムラウトの発音を修正された後に、テキストのディクションを行なった。ただこの曲は、流石にドイツ語の詩の朗読CDを聞きながらテキストの朗読の勉強をしただけあって、然程ドイツ語の修正は少なくて済んだ(ウムラウトの発音は別だけど)
その後再度歌のレッスンに戻る。今度はピアニストEさんが伴奏をして、B先生は譜面台斜め45度の位置、約50CMの距離でがっつりレッスン。歌詞を自分が考えている以上にもっともっとはっきり発音して歌う事、音符の動くフレーズや装飾音符のフレーズは柔らかく発声する事、同じドイツ語の歌詞が続く時、そしてこの曲は有節歌曲なので必ずコントラストを明確にして歌う事等々を指摘されたが、これも2〜3度通して歌ってB先生からOKが出た。

明日は、ウィーン滞在のB先生の最後のレッスン。明日はM先生もレッスンにいらっしゃる予定。そこでB先生から、
「明日は今日までやったレッスン曲を全て通して、コンサート形式で歌いましょう。Mさんにコンサートを聴かせるつもりで」
との仰せ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(滝汗)
マジですか?????(核爆)
大きく不安に駆られる(死)

帰り際、一つどうしても気になる事があったので、ピアニストのEさんにお願いして一つB先生に質問して貰った。それは、今回B先生にレッスンを受けた「Dem Unendlichen」を自分のレパートリーとして日本の演奏会で歌っても良いかどうか、という事。
これは去年B先生にレッスンを受けたシューベルトのバラード「Der Zwerg」と同じ意味合いがある。要するに、殆どドイツ・リート歌手の録音も少ないし、歌っている歌手が揃ってドラマティックな歌手またはワーグナーを歌うようなヘルデン歌手なので、これをウィーンでリリコの私がきちんと自信を持ってレパートリーとして歌う事が出来るかどうかは、B先生の御判断にお任せする事にしている。
去年のウィーンでのレッスン帰国直前に、B先生ともN先生とも、私のレパートリーに関しての御相談をしたが、相当に厳しい御意見が返って来た事に起因する。このウィーンでのレパートリーに関しては、極めてデリケートな問題であると言わなければならない。
ピアニストのEさんがB先生に「このDem Unendlichenをレパートリーとして日本の演奏会で歌っても良いですか?と彼女が聞いています」と質問して貰ったら、B先生から、

「勿論OKだ!とても良く歌えているし、あなたに合っている曲だ!!!」

との返答を戴いた!!!!!!!!!!!
これは、流石に涙が零れ落ちそうになった。
7年間、諦めずに勉強してあたため続けて来て、本当に良かった。
ジェシー・ノーマンのこの曲の録音を初めて聴いた時から、いつかこの曲を自分のレパートリーに出来るように、演奏会本番で歌えるようにと、ひたすら諦めずに自分の気持ちを大切に持ち続けて来た事が今、本当に報われた。これでまた、ジェシー・ノーマンに1歩、いや、半歩近づく事が出来たかもしれないと思えるだけで本当に幸せだった。
谷岡先生、ハリセン先生、ウィーンで私のマネジメントをして下さっているM先生、そして何よりも私のような人間のレッスンを2度も受け入れて下さっているB先生、皆さんのお力によるものだと思う。
私一人だけの努力なんて、本当にちっぽけなものだ。
どんなに褒められる事よりも、このジェシー・ノーマンがレパートリーとする曲と同じ曲を自分自身がレパートリーとして歌う事を、このウィーンで認めて頂く事が出来た事が何よりも嬉しい。
私の歌う事の目標は、ジェシー・ノーマンのような美しい歌唱が出来るようになる事が一番なのだから。
感無量。
今日のB先生のレッスンが終わって御挨拶して帰ろうとした時に、B先生が「Dem Unendlichen」のメロディを鼻歌で歌っていた。ピアニストEさん曰く、
「B先生、この曲相当気に入ってますよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(笑)

帰りに、ピアニストEさんと一緒にウィーンの路面電車に初めて乗って帰った。私はひたすら嬉しい、嬉しいの連発で、時々万歳しながら道を歩いていた(苦笑)
ピアニストEさんも、
「Dem Unendlichenはあなたに合っている曲だと思う。気持ちが前に向いてちゃんと歌えている。私もこの曲の伴奏をしてみたい」
と言って下さった。明日は、ピアニストのEさんの伴奏でこの曲を歌ってみたいなあぁ、と思いながら帰宅した。

今日は、ウィーン国立歌劇場でチャイコフスキー「スペードの女王」を立ち観する事にした。
ドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」は観られなかったが「スペードの女王」のキャストを見たら、ワーグナーも歌うアンゲラ・デノケがリーザ役で出演する!!!
ワーグナー歌手の生の声を聴く事の出来るチャンス!!!これは、非常にラッキーな誤算だった。「スペードの女王」非常に楽しみだ。
オペラの感想は、また後日。

軌道修正、ウィーンのレッスン5日目vol.1

今日は午後1時からN先生のレッスン。シューマン歌曲。今日も通訳のソプラノYさんがレッスンに通訳に来るとの事だったが、もう気にならなくなった。別にYさんに好印象を持ったとかそういう事では無く、自分自身のペースを取り戻した、という事。昨日の夜、ウィーン楽友協会にツィンマン指揮ブラームス交響曲第1番とブラームスピアノ協奏曲第1番のコンサートを観に行った。余りにも素晴らしい美しい演奏会だったので、楽友協会で非常にに大きなパワーとエネルギーを頂いたような感じ。美しい音楽というものは、本当に魂の栄養になるものである。

シューマン歌曲「Requiem」から。N先生から「Requiemとはどういう曲ですか?」と尋ねられた。私は、
「死者の魂を慰めるためのミサ曲です」
とお答えした。N先生から、その通りです、との御答が返ってきた。亡くなった妹の為に歌う曲だ。間違える筈も無い(苦笑)
発声も、大分体全体の力を抜く事が早く出来るようになって来たのか、時々体の力の抜き具合が足りない事と口を縦に下に開く事を指摘はされたが、スムーズに進んだ。
シューマン「Requiem」は、前回のレッスンは相当に酷かったとは言え2回目のレッスンである事と、昨日ピアノ合わせとテキストのディクションを行なった事で、レッスンでの歌唱の流れとしては悪く無かった。相変わらずウムラウトの発音と、フレージングをもっともっと大きく取る事と、曲の中間部分の速度をもっともっと前に進める事を指摘されたけれど、あっさり終了(誤爆)N先生、ちょっとあっさり進み過ぎでないですか???と疑問に思うくらいにすぐレッスンが終わってしまった。

次の曲は、N先生的には私の12月のシューマン・リサイタルの曲順通りにレッスンするおつもりの様子だったけれど、私とピアニストEさんの強い希望(爆)で、シューマン「Widmung」のレッスンを見て頂いた。でもこの「Widmung」も指摘された事は意外と少なかった。中間部の曲調がレガートに変化するメロディでは、いきなりテンポをゆっくりにするのでは無く飽くまでもインテンポで歌う事を強調された。多くの有名歌手がこのフレーズを相当なLangsamで歌っているのだが、N先生の指摘は大きく違うものだった。
「ピアノ伴奏で、きちんと音楽がレガートに聴こえるような曲の造りになっているのに、わざわざテンポをゆっくりにする必要性が無い。音楽はゆったりと聴こえるように既にシューマンが造り上げているのだから、そこはインテンポで歌われるべきだ」
とのN先生の御指摘。確かに、仰る通り。楽譜に書いていない事をわざわざ歌手のモノマネをしてまでやる必要性は無い。クラシック音楽という再現芸術は本来そのように在るべきなのだろうと改めて実感させられた。
フレージングを長めに取る事は必用だが、ブレスはしっかりきちんと取るようにブレス箇所を増やしブレスの位置の確認を行う。インテンポできっちりと歌う代わりに、楽譜にritの指示があるフレーズは、充分にたっぷりとritを行なうようにとの御指摘。その他はドイツ語の発音を若干修正されて、この曲も終了。余りに早すぎないか???名曲だよ????と、些か不審に思う(爆)

今度はN先生の御希望で「女の愛と生涯」から「Er der Herrlichste von allen」をレッスンする事になった。もう、この曲はリサイタルの最後に歌う予定で、昨日もピアニストEさんとピアノ合わせ練習してないんだけど・・・(汗)あっちゃ〜・・・。
この曲は、まずN先生から「どのようなテンポで歌いますか?」と尋ねられた。谷岡先生とのレッスンで、ジェシー・ノーマンのように少しゆったりめのテンポで歌った時に、
「この曲だけならいいんだけれど、女の愛と生涯という全曲を考えたら、今のテンポは少しゆっくり過ぎる」
と指摘された事があるので、谷岡先生のレッスンでは慣れないながらも務めて早めのテンポで歌うようにしていたので、N先生にも、
「私は少しゆったりめのテンポで歌っていたんですけど、この女の愛と生涯という曲全体から考えると、私の歌うテンポでは少し遅すぎて他の曲がもっともっと緩やかなテンポで歌わなければならなくなるという事だったので、少し早めのテンポで歌うように心掛けています」
とお答えした。それに対してN先生も同じ御意見だったので、早速歌唱に入る。自分にしては少し早めのテンポで歌う。
音符が動くフレーズもきちんとインテンポで歌う事、楽譜にritと書かれている箇所以外は全てインテンポで歌う事、幾つかドイツ語の発音を修正された。
しかし、この曲で最もN先生から一番に指摘された事は、
「もっと気持ちを前に、ドキドキしながら、恋をしているそのもので歌って下さい。あなたの歌い方では、普通過ぎる!!!」
と仰りながら、N先生ご自身で歌詞を読み始めた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(滝汗)
「Er! der Herrlichste von allen! wie so milde! wie so gut!!! Holde Lippen! klares Auge! heller Sinn! und fester Mut!!!」
と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ア然)N先生、若過ぎ(爆死)私はN先生を見て大爆笑だったのだけれど、「20年位前の事を思い出して頑張って歌ってみます・・・」とだけお答えした。するとN先生が、
「僕もほんの少し前の事だけど、ちゃんと思い出しながら歌っているよ♪」
との事(無言)これも、もう一度一通り通して歌って、N先生からまずまずのOKが出た。マジですか???これ、すんげえ難曲ですよ???と思いつつ、次の曲へ。
しかし、ピアニストEさん、この「女の愛と生涯」は一度全曲通して伴奏を弾いているとの事で、ブレスの位置からritのタイミングから何から何まで、私が何もお願いしなくても、完璧。本当に25歳とは、思えない。

次は、予定通り昨日ピアニストEさんと合わせた「Nussbaum」取り敢えず一通り通して歌って、N先生から「もっと自然に穏やかに。ピアノと歌がデュエットで歌うように。少し歌に力が入ってしまっているように思う」と指摘された。歌のメロディは穏やかで繰り返しが多いけれど、ピアノ伴奏はとても動きがある。歌詞のためか歌のリズムが多少不規則なためもっと正確にリズムを取るように指摘された。ウムラウトの発声はもう、どの曲でも繰り返し修正、これは仕方が無い。兎に角、ritと書かれている箇所以外はきっちりとインテンポで歌う事を何度も指摘される。これがシューマンの音楽の御約束という事なのだろうか。この曲で一つとても重要な事をN先生から御指摘頂いた。3ページ目最後の方の歌詞、
「flustem von Braut'gam und nachstem Jahr というのはどういう意味だと思いますか?」
と尋ねられた。私は素直に歌詞の和訳通り、来年の事と、花婿からの囁きと・・・と答えた所、N先生から、
「これは、来年赤ちゃんが出来ますよ、という意味です」
と教えて頂いた。これにはかなり驚いた。しかし、私が購入したディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ著「シューマンの歌曲をたどって」にも確かに、この曲「Nussbaum」は、ロベルト・シューマンがクララとの結婚をクララの父ヴィークとの裁判で争っている間に書かれた曲で演奏旅行中のクララに宛てた書簡に一緒に添えられて「そっと、きみ自身のように素直に、歌ってみてください」とクララへの手紙に書かれていた、という記述があったので、私が、
「つまり、この曲はクララとの結婚前に既に作曲されていた曲なので、ロベルトがクララに、来年自分達が結婚して赤ちゃんが生まれる、という事をクララに伝えたという事ですか?」
質問したら、N先生から、そういう事です、と答えられた。この時代は結婚したら1年後には普通に女性は子供を産んで、家庭を守るのが当たり前の時代だった、だから、この歌詞、このフレーズはとても大切に歌って欲しいとN先生から教えられた。
やはり、こういう事はウィーンでなければ勉強出来なかっただろうなあぁ・・・と実感する。

今日のN先生のレッスンは、ここまで。
今日のレッスンは結構難しい曲のレッスンの割に、至極スムーズに進んだ。勿論、まだまだ勉強して改善して修正していかなければならない部分は沢山あるが、今の私の勉強の方向性としては継続して頑張って行くように、という事なのだろうと考えた。
N先生に「シューマン、行けそうでしょうか?」と尋ねたら、「大丈夫でしょう」という事だった。これは、今年のシューマン・リサイタルに大きな弾みになるN先生からの一言だった。何とか、行けそうなシューマン歌曲。

これから、ピアニストEさんとお昼を食べてからすぐにB先生のレッスンに向かう。



ピアニストEさんとのピアノ合わせ、ウィーンのレッスン4日目vol.2

午後はピアニストEさんと、通訳をして下さったソプラノのYさんとのシェアルーム自宅でのピアノ合わせ練習。
地下鉄に乗って行かなければならなかった。去年はウィーンで地下鉄に乗る事は無かったので、今回初めてウィーンで地下鉄に乗る事になった。でも、地下鉄の乗り方はガイドブックにもきちんと掲載されていたし、チケットの購入方法はピアニストのEさんからも少し教えて頂けたので、初めての券売機でチケットの購入に少し手間取ったけれど、地下鉄の乗り換えはスムーズに行く事が出来た。
ウィーンの地下鉄は、日本の地下鉄に比べて物凄くスムーズ。1.8ユーロでウィーン市内なら乗り放題だし、改札口も日本の地下鉄のように矢鱈と多く無いし、営団線や都営線などという区別も無い。ホームからホームへは改札無しで通過出来るので、基本的に乗り換え駅さえ間違えなければ、とても便利である。

途中、ウィーン西駅のパン屋さんで、ピアニストEさんと通訳のソプラノYさんに、チョコバナナケーキをお土産に買って、ピアニストEさんのお宅に向かった。

ピアニストEさんと、通訳のソプラノYさんのお宅に着いた。二人ともお土産をとても喜んでくれた。
通訳のソプラノYさんが、「N先生から、明日のレッスンで歌う予定のシューマン歌曲のテキストを一緒に読み合わせしてはどうか?と提案されたので、ピアノ合わせが終わったらテキストの読み合わせをしませんか?」と聞かれたので、お願いした。N先生の門下という事もあり、割と熱心にドイツ語に関しては協力してくれているので、余り私自身が神経質にならないように気を付けなければならないな、とも考えた。何しろ、私よりも17歳程も年下だし全く知らない人だったし、連日の苛酷なレッスンスケジュールと焦りから、少し自分も大人げ無かったように考えた。まあ、職場の新人みたいなカンジに考えていれば然程ストレスにもならないかも知れない。

早速ピアノ合わせ開始。シューマン歌曲3曲「Requiem」「Nussbaum」「Widmung」の3曲と、レッスンをうけられるかどうかは解らないけれど一応可能性も考えて、モーツァルト歌劇「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラ登場のアリア「Ah! chimi dice mai」を合わせて見る事になった。
それと、B先生のレッスンでのシューベルト「Dem Unendlichen」のレチタテーヴォのテンポ・リズム調整の確認作業を行う事になった。B先生のレッスンではピアニストEさんはまだ「Dem Unendlichen」の伴奏は行なっていない。明日のB先生のレッスンで弾くかもしれないから。

主に、ブレスの位置の確認、曲のテンポと、フレーズの歌い出しで合わせ辛い箇所を相談しながら練習を行った。私は楽典やソルフェージュを勉強していない事からテンポやリズム感が悪いと自分でも認識している。伴奏付きで歌う事にも慣れていない曲が多いので、ついついピアノ伴奏を聴きながら歌ってしまう事も非常に多い。この事に関しては、ピアニストEさんにも非常にお手数をかけてしまっているな、と痛感している。
ただ、ピアニストEさんは、私の音楽の作り方というか表現に興味を持って下さっている。それに、今日の午前中のN先生の発声練習で大分発声も改善されて息の流れもスムーズになって来たので、Eさんからも「大分良くなってきてますね」と言って貰えた。兎に角、声の細い太いは余り気にせず、全身の力をなるべく抜く事と、下腹部の支えと、口の縦と下への開きだけに注意して後は余り他の事は気にせず、ピアノ合わせで歌った。
シューマン「Requiem」に関しては、最初私がテンポを進めて音楽を動かして行きたいと考えていた箇所を、N先生から修正されたので、その練習を主に行なった。シューマン「Widmung」は、ritのテンポの確認とブレスの取り方や箇所の確認を主に行なったが、中間部の曲調がレガートに変る部分は珍しく私がロングブレスで歌えるテンポとEさんの伴奏がピッタリ一致(驚)余り問題にならずに楽に歌う事が出来た。これは嬉しかった。シューマン「Nussbaum」は最初遅れないようにテンポを勧めるよう心掛けたが、少し前に走り気味になってしまったので、もう少し落ち着いてゆったりと歌うように修正。
最後、「ドン・ジョバンニ」ドンナエルヴィーラのアリアは、軽くざっと通した。高音域もきちんと発声出来ていたし、アジリダもまずまず声が回っていたので、余り無理しないように軽く済ませた。尤も、ドンナ・エルヴィーラのアリアのレッスンの余裕は無い可能性が大きい。まだブラームス歌曲のレッスンも1曲も行なっていないからだ。
最後に、B先生のレッスン曲シューベルト「Dem Unendlichen」のレチタティーヴォのテンポ、リズムの確認作業だけ行なった。若干、私のリズムが不正確な部分があったので修正して、レチタティーヴォだけを通してピアノ合わせ終了。これでも約1時間はみっちり掛かった。

次に、通訳のソプラノYさんと一緒にお茶を頂きながら、シューマン「Requiem」「Widmung」「Nussbaum」のテキストのディクションを行なった。やはり問題は、ウムラウトの発音に集中した。その他は「ざじずぜぞ」に当たる子音の発音が私は弱いと先生から指摘される事が多かったため、歌い出しの子音の発音の修正を行なった。ただ、この3曲は日本で練習していた時から、比較的歌い込んで来た曲だった事や、「Widmung」に関しては約7年ほど前に一度演奏会本番に乗せている事から、テキストのディクションは比較的スムーズに行った。と言っても、またN先生やB先生のレッスンになったら、ウムラウトの発音に関しては修正の嵐になる事は容易に想像できるのではあるが。

正味1時間半、ピアニストEさんとのピアノ合わせと、通訳のソプラノYさんとのシューマン歌曲のテキストのディクションを終えた。二人にお礼を言って、アパートに戻った。
今日は比較的ストレスも緩和していたので、疲労度は昨日に比べたら随分楽だった。
幾分、初対面の人に慣れる事も必要だと実感、反省した。
看護師の仕事としてならば、プライベートとは比較にならないほど穏やかににこやかに和やかに笑顔で対応するだが、それはサラリーを得てプロフェッショナルとして国家資格で仕事をしている以上至極当然の事である。
案外プライベートでは、その反動作用があるのかも知れない。


今日は、これから、ウィーン楽友協会で、ツィンマン指揮ブラームス交響曲第1番と、ブラームスピアノ協奏曲第1番のコンサートを立ち観の予定。とっても楽しみ。コンサートについては、レッスン記録が終わった後にこのブログに掲載しようと考えている。

少し落ち着いた、ウィーンのレッスン4日目vol.1

昨日の疲れはB先生のレッスンで精神的に多少取り戻した事と、ウィーン国立歌劇場のグルベローヴァのドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」を諦めて休養に徹した事で、大分回復出来た。
でも天気も悪く寒い。喉の調子も余り良く無い。

10時にN先生のオフィスでレッスン。今日はピアニストのEさんはいない。N先生と通訳のソプラノYさんと私の3人で行う。今日は主に発声練習という事だった。
先に私がN先生のオフィスに到着したため、早速発声練習開始。その直後、通訳Yさん登場。

発声練習の主な課題は、全身の力を抜く事。去年から、今年も、何度も何度も同じ事を指摘され続けている。逆に言うと、発声はそれだけ良い状態を保持するのが非常に難しい事であるのだという認識が非常に重要だという事になる。これは以前レッスンを受けていた先生にも言われた事がある。
「発声は、我々にとっても永遠の課題です」
本当にその通りだと、痛感させられるウィーンでのレッスン。
発声は、主に頚部〜下顎〜前胸部の力を抜く事。何度もN先生の指摘・修正されるが中々N先生のオーダー通りに出来ない。日々少しづつ体の余分な力は抜けて来てはいるものの、ウィーンの先生方の要求と理想はアマチュアの私の考えを遥かに上回る。
頚部〜鼻腔の奥〜頬骨と、下肢〜下腹部の支えを意識して口を縦に開ける事。最初の中低音域は口を開き過ぎず、高音域に上がるに連れて口を縦に開けて行く事。声を出そうとするのでは無く、ただ体という楽器が鳴っているのだと考える。息を押すのでは無く頭の後ろ〜上から通すように。
N先生から指摘されている事は通訳のYさんを通して言われている事は頭では理解出来る。同じ事を連日指摘されているのだから。問題はそれをどのように自分の体で体現して行くのかと、という事。慎重に考えながら発声を行っていたが、時々考え込んでしまう事も多くなって来た。

通訳のYさんに関しては、余り気にせず、なるべくジェスチャーも含めてN先生の仰っている事を自分が通訳のYさんよりも先にキャッチしようと努めた。それによってまず自分自身が意欲的にN先生の仰る事を理解しようと努める事によって、他人の介入による精神的ストレスを緩和するという、多少前向きな方向性を選択する事が出来た。ドイツ語そのものの理解よりも、ジェスチャーなども踏まえて私がきちんとN先生の指摘を理解して修正出来れば、それだけ通訳のYさんに依存する割合も減少する。それも、ストレス減少に正比例する。

立ったままの発声である程度声が少し響くようになったが高音域になると声が掠れたり出無かったりする事も出て来た。今日は恐らく2点Aくらいから上の高音域が、出づらい。椅子に座ってリラックスして体の力を抜きながら発声を行うようN先生から提案された。色々とN先生から指摘されるが、中々進まない事も多く、私が英語でN先生に、
「Very difficult」
と一言お伝えすると、一瞬、通訳のYさんがN先生のドイツ語を日本語に訳そうとするのを中断する場面も見られた。自分自身のレッスンなのだ。こうでなくては、ならない。
N先生は、
「誰にとっても大変難しい事ですが、出来るようになれば容易にやれるようになりますから」
と仰った。
私は、何か新しい事を習得する場合、普通の人の3〜4倍は時間がかかると自分自身考えている。だから、他人と同じ事を同じ習得速度でやろうとする場合、必然的に他人の3〜4倍の努力が必要となる。だからウィーンでのレッスンも指摘・修正された事を総てその場でクリア出来るなどとは考えていない。ただ、出来る限りその場でウィーンの先生方の指摘に対応して修正出来るような努力を行うだけの事である。日本でも継続してウィーンで指摘された課題を忘れずに取り組むために、こうしてわざわざウィーンのレッスン記録を行っているのだから。
N先生より、下腹部のポジション、ブレスのタイミング、口の開き方を一度に指摘されながら発声を行っていくという緊張感もあるし、考えると時間も掛かる。N先生から、
「何も考えないで、やってごらんなさい」
と仰られると、却って出来なくなってしまう場面も何度かあった。途中色々とN先生から指摘や質問をされる事も多かったが、私は解らない事、実感出来ない事、理解出来ない事は、必ずはっきりと、
「今の自分には理解出来ません。掴む事が困難です。少しは出来たという実感はあります。確実ではありません。少しだけ掴めたと思う」
など、かなり出来る事出来ない事を正直にはっきりと先生に申し上げる。この事については日本の先生でもウィーンの先生でも、同じ対応をさせて頂いている。知ったかぶりは論外、実際に出来なければ何もならない。それは本末転倒だからだ。
N先生から、椅子に座ったまま、複数の母音の種類で少しづつ音程を上げたり下げたりする発声練習に切り替えられた。異なる母音を交えて発声する時であっても、高音域に移行する場合には必ず口を縦に下に開く事。
ここくらい辺りから、ようやく発声が楽になって来たかな?と思えるようになった。喉の調子も大分回復して来た。良い発声、適切な発声は、声帯にも良い影響を与えるという事か。

最後に、椅子に座ったまま今の体に余分な力の入らない状況で口を縦に下に開ける状態で、モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアの最初のフレーズを歌ってみるように言われた。非常に声が出やすくなった。2点Aや2点Hも別に苦しくも辛くも何ともなかった。N先生からウムラウトの発音だけもう少し口を狭くするように修正された。自分の声がこんなにも少ない力でこれだけ響くものか???と思うような声が流れた。決して細く無く太く無く。N先生も思わず日本語で、
「そうです。その通りです!!!」
と仰っていた。ここで本日の発声練習でN先生からOKが出た。N先生から、
「あなたがこのレッスンで、こんなにも上達してくれた事を、私は大変嬉しく思います」
と仰られた。ああ、こういうふうに発声するものなのか・・・という事を幾分か掴む事が出来たような気がした。問題は、この発声を、パミーナのアリアの他にも、シューベルトやシューマンやブラームスの歌曲で活かされなければならない、という事である。
しかし、N先生からのこの言葉は、非常に嬉しかったが、反面非常に重くもあった。

レッスンが終わり、少しだけN先生の要求に近づける事が出来たためか、少しだけ精神的にも穏やかになっていた。少しだけストレスフルな状態から解放されつつあるかな、と思えた。しかし、ここで終わった訳でも何でも無い。まだレッスンは続くし、日本に帰国してまずシューマンのリサイタルでこのN先生のレッスンで受けた発声を少しでも活かさなければならないからである。
最後に通訳のYさんが随分ニコニコ笑いながら「とっても綺麗な声ですね」と何度も話しかけて来た。
この人、どうしてこんなにもハイテンションなのか?それとも私がローテンション且つナーバスなのか?と考えたけれど、もともとピアニストEさんのように日本にいる時からコミュニケーションを取っていた人では無いのだから仕方が無いかも、と思った。第一私は、もの凄く人見知りが激しい方だ。私が複雑な表情をしていたら、通訳のYさんから「大丈夫ですか?」と聞かれた。私は、
「今まで、日本でも綺麗な声と言われた事は無かったので、かなり不思議に思ったものですから」
と答えた。通訳のYさんは、不思議そうな顔をしていたが、兎に角今日の通訳のお礼を申し上げて帰宅した。午後には、通訳のYさんとシェアルームに住んでいるピアニストYさんとのピアノ合わせがある。また、通訳のYさんとも顔を合わせるが、自分のペースを掴めて来た事もあるし、他人や部外者の介入に精神的に左右されないという忍耐力もある程度培われなければならないので、これはこれで少し慣れて来た。
通訳のYさんも別に悪い人では無く、寧ろN先生に頼まれてわざわざ見知らぬ日本人オバサンのアマチュアのレッスンの通訳に来てくださっているので、感謝しなければならないのが筋だろうとも考えた。
ただ、私自身、自分のレッスンに部外者を介入させる事に非常に慣れていない事と、人見知りの強さが災いしたのだろうと、反省もした。


昨日のウィーン国立歌劇場のドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」のグルベローヴァを観に行く事が出来なかった事が、残念でならなかった。

久々のミルヒー先生のレッスン

今日は久し振りにミルヒー先生のイタリア・オペラのレッスン。
最近、ウィーンのレッスンのためにずっとドイツ・リート漬けの生活だった。
今年の7月くらいからの猛烈な酷暑で体力消耗、喘息発作が増え、8月は休日の3分の1は自己練習も出来なかった。9月は急に寒くなり、連続夜勤の蓄積疲労も重なり鼻水バリバリの鼻風邪をひきっぱなし。連続黄色のベンザブロックのお世話になっていた。
3ヶ月程レッスンを受けていなかった。これではイタリア系の発声を忘れてしまうし、曲も全然進まない!それでなくとも、12月のシューマン・リサイタルまではまだまだドイツ・リート漬けの日々になってしまう。
そこで先日急遽、意を決してミルヒー先生に御連絡して久し振りのレッスンをお願いしたら、快く承諾して下さった。こんなにも期間が開いてしまってもちゃんとレッスンをして下さる。本当に有難い。

ここの所イタリア・オペラで自己練習していた曲は、モーツァルト歌劇「Cosi Fan Tutti」フィオルデリージのアリア「Come scoglio」と、ヴェルディ歌劇「La Travita」ヴィオレッタのアリア「E strano〜Sempre libera」の2曲。6月に千葉のヤンクミ一座でのヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲の演奏会以来は、この2曲に集中している。でも、どちらもレチタティーヴォも合わせて非常に大曲だし、高度な歌唱テクニックを要する曲であり、中々練習も進まなかった。
まず、ミルヒー先生の場合、どんなに高度なアジリダでも3点C以上の高音域でも、私がちょっとでも軽く抜いて発声しようものならすぐにNGが出る。ミルヒー先生のレッスン通り、非常に全身を使った深くて力強い発声で高度なアジリダも超高音域も全て歌われなければならない。この練習に非常に体力・集中力・忍耐力を要する。要するにフィオルデリージもヴィオレッタも、ヴェルディ「運命の力」のレオノーラのアリア「Pace, pace mio Dio」並みの発声で歌われなければならないのである。

本日のレッスン。発声練習は何とかOK。
早速フィオルデリージのアリアから。
レチタティーヴォはOKだった。但し、このアリアに入った最初の部分からいきなりオクターブ跳躍が続く。その音符の飛躍する箇所の低音の処理、これに指摘・修正が集中した。流石にモーツァルトが嫌いなソプラノ歌手のために作ったアリアと逸話が残っている、非常に難易度の高いアリア。特に真ん中のC以下の低音域の発声は体や頭部のポジションが下がり易く、これを何度も修正された。
それと、中高音域もミルヒー先生曰く「ちょっと声の響きが纏まっていない」という事で、ミルヒー先生曰くの所謂スピントな発声に何度も修正される。もっと下顎を下げて前胸部を広げて上げて、体幹を伸ばして、息の流れを下から後ろへ。それを何度も繰り返しレッスンした。
この曲のアジリダの部分は修正無しでクリア。やはり極端な音符の跳躍が難関。
それでもこのアリアは大分以前のレッスンよりもかなり良くなっているとの事。少しホッとした。

2曲目のヴィオレッタのアリア。
全体を通して、大分コロラトゥーラやレジェロの声真似では無く、私自身の深くて強い発声で歌う事に慣れて来たと言って貰えた。アジリダはまだまだ慣れていないけれど、3点C以上の超高音域もきちんと発声出来ているし、これもかなり良くなって来た、悪く無いとの事。但し、やはりもっともっと深くて重い声が出せるはず、とミルヒー先生はレッスンの力を緩める事は無い(笑)フィオルデリージのアリアと同じ指摘、下顎をもっともっと下げて、前胸部を上げて体幹を伸ばしてブレスを思いっきり地面の下から取って後ろから頭の上に響かせて深くて強い声を要求される。
そしてやはり、低音の処理を何度も修正された。どうしても5線の下の音域は体全体のポジションが下がってしまう傾向にある。今後の大きな課題の一つである。
それでも、クレオパトラのアリアを何度か歌ってから、ヴィオレッタを軽やかな俗に言う綺麗な声で歌おうとは思わなくなったので、アリア全体の流れと発声の作りとしてはこの曲も私自身の歌唱になって来た。


1時間みっちりこの2曲をレッスンして結構ヘトヘトだったが、ミルヒー先生からレッスン後に、フィオルデリージのアリアは今後小さな演奏会でいいから一度本番に上げてみるように勧めて頂けた!!!!!これはとっても嬉しかった♪

そして、来年の末辺りにはイタリア歌曲とイタリア・オペラでリサイタルを行いたい事をお話ししたら、ミルヒー先生からも是非頑張ってやってみましょう!という話になった。
問題は、選曲。
私は、今までミルヒー先生にレッスンを受けて来たベッリーニ歌曲を数曲と、今までに歌っていないヴェルディのオペラアリア、特に「Il Trovatore」のレオノーラのアリアや、「Don Carlo」のエリザベッタのアリアなど。そしてプッチーニのオペラアリアも新しく勉強して歌いたい事、以前からミルヒー先生から勉強の御許可は頂いていたのだけれど、「トゥーランドット」のリューでは無くトゥーランドット姫のアリア「In questa Reggia」を先に勉強しておきたい事、そして「蝶々夫人」の蝶々さん登場のアリアなどを考えている事をお話しした。
ミルヒー先生からは、
「あなたは、椿姫よりはトロヴァトーレだわね」
との事で、その方向性でヴェルディは進めて行く事になった。その他にも歌曲はベッリーニもいいけど、ヴェルディの歌曲の勉強を新しく勧めて頂いた。今後はヴェルディ歌曲の勉強も始める事になった。
私としてはヴェルディ「マクベス」のレディ・マクベスのアリアも念頭に置いているが、これはまだミルヒー先生にお話ししていない。まだ勉強に取り掛かった事が無いので、いずれレオノーラやエリザべッタと比較検討して頂く機会があればレッスンに持って行こうと考えている。
そしてプッチーニのオペラアリアについては、ミルヒー先生からも是非トゥーランドット姫のアリアの勉強をするように勧められた。
但し、私が、トゥーランドットのリューやボエームのミミなどはミルヒー先生のレパートリーなので、一度来年のリサイタルでヴェルディとプッチーニの勉強をして演奏会本番を行った後でゆっくり時間を少しかけてリューやミミの勉強をしたい、とお話ししたら、ミルヒー先生からトンでも無い言葉が発せられた。

「ミミは、別に今歌わなくていいんじゃない?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
これにはビックリ仰天。
しかも、リューの勉強に関してもミルヒー先生は首を縦に振らなかった。

ミルヒー先生は、御自身で「自分はリリコ・ソプラノ」と仰っている。
ミルヒー先生は、私をスピント・ソプラノと御判断されている。
そのためだろうか?????
それにしても、非常に意外だった。ミルヒー先生、一体どんだけ私をスピントに育てるおつもりなのか・・・・・。
まあ、でも私はミルヒー先生が私を育てたいと考えていらっしゃる方向性で成長したいと考えている。
もし私が声帯を壊すのだとしたら、それは私の発声方法が悪い、という事だと考えている。
現実、一昨年の演奏会で、ヴェルディ「椿姫」の「Addio, del passato」と、「オテロ」の「Ave Maria」と、「運命の力」の「Pace, pace mio Dio」を含む5曲演奏会に乗せた事があったが、声帯には何の問題も無かった。
ミルヒー先生は、レオノーラもエリザべッタも蝶々さんもトゥーランドット姫も、私に歌う事が可能だとお考えなのであれば、それは非常に光栄な事だし嬉しい以上の言葉は無い。
実際に、今日のレッスンでも何度も、
「あなたはもっともっと深くて強い大きな声が出るはず!!!」
と指摘された。流石、ミルヒー先生とお呼びしているだけの事がある。一切妥協ナシ(笑)


さあ、これからが面白くなって来た。
途中の紆余曲折や修正はあるかも知れないが、イタリア歌曲&イタリア・オペラは今後この方向性で頑張って勉強して行きたいと、意欲満々(笑)


今日のレッスンの疲れが出たのか、寝過ごして「相棒」を見逃してしまった・・・・・(爆)

立て直し、ウィーンのレッスン3日目vol.2

すぐにB先生のオフィスへ、ピアニストEさんと二人で向かった。私は非常にストレスが蓄積していたので余り喋らなかった。第一、ピアニストEさんのルームメイトの事をあれこれ私が言っても始まらない。Eさんには責任の無い事だし、Eさんは精一杯ピアノ伴奏をしてくれている。

B先生のオフィスに到着。早速レッスン開始。
まずは、昨日レッスンを受けたシューベルト歌曲「Du bist die Ruh」のおさらいから。
B先生のレッスンは、B先生と私とピアニストのEさんの3人だけなので、本当に何も気に病む事も無く何の気兼ねも無く歌う事が出来る。さっきのN先生のレッスンでのストレスMAX状態の反動か、非常に調子がいい(激爆)声も響くし前向きに歌える。本当に心からリラックスして歌う事が出来た。多少のストレスはあって当然だし、全くストレスの無い人間はいないが、ストレスフルというのは非常に宜しく無い状態なのだな、と実感。
「Du bist die Ruh」も、ウムラウトの修正は当然の如く指摘されたけれども、曲そのものとしては、昨日B先生からレッスンを受けた事はかなり実行出来ていたと思う。そのため、この「Du bist die Ruh」のおさらいは、一通り通して終了。でも、恐らく来週の月曜日のレッスンでも繰り返しレッスンして歌う事になりそうだ。B先生はどうやら私がこの曲を歌う事に感心を示して下さっている御様子。私としても、この曲を中声用で勉強して来た事で音域的にも非常に歌う事が楽だし、B先生のレッスン通りに歌うなら、いつでも日本の演奏会に乗せられそうだと感じた。
この曲は、ピアニストEさんの伴奏。相変わらず、B先生は譜面台の真正面約50cmの近距離でがっつり構えている・・・・・(滝汗)

本日の1曲目はシューベルト歌曲「Thekla」から。
昨日B先生のレッスン終了後に本日のレッスン曲を尋ねられた時に2曲「Thekla」「Dem unendlichen」の2曲の楽譜をお見せした時にB先生からニヤリと笑って「Ja!ja!ja!ja!ja!」と歓声にも似た声が挙がった(苦笑)これは、B先生がかなり驚いている、若しくは、臨戦態勢(超苦笑)しかも、全く目だけは笑っていない笑顔で、「簡単な曲では無いね」と一言。
今日もこの「Thekla」のレッスンを開始する前にB先生から、
「どこでこの曲を見つけたのか?」
と質問された。キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ^^;
やっぱり、絶対にB先生から聞かれると思っていた。こんな余りにも超マイナーな曲、私が考えただけでも恐らくオーストリア人でも、ドイツリート専門歌手でもそうそう歌わないだろう・・・・・(笑)B先生のこの質問からも、如何にこの曲が珍しい曲か頷けるというものだ。
私がピアニストEさんにお願いして「ビルギッテ・ファスベンダーのCDで見つけました」とB先生に伝えて貰った。B先生は何度か頷いていらっしゃった。
但しこの「Thekla」に関しては、日本で私が見つけたファスベンダーの録音以外は何も見つける事が出来なかった。シューベルト歌曲に関する本にも曲の解説を見つける事は出来なかったし、増して日本人で歌っている歌手などいない。CDも輸入版のため日本語訳は無し。自分でドイツ語の辞書で調べて大体の大雑把な歌詞の流れは掴めたものの、一体どんな内容のテキストなのか全く解らない。
唯一の手掛かりは、Peters版の楽譜の「Thekla」の副題にドイツ語で「Eine Geisterstimme」と書かれている事、そして詩はSehillerの作であるという事。私がこの曲に惹かれた最大の理由は、副題。日本語に直訳すれば「ある魂の声」である。
私は、どうしても、このような曲に魅かれる傾向がある。

B先生から歌い始める前に一言テキストについてのコメントを頂いた!!!!!
「ヴァィシュタインの魂とその娘のティークラとの対話のテキストによる曲だという事を良く頭に入れて歌うように」
と、ピアニストEさんから。そしてEさんが楽譜を指して、「moll部分が幽霊の部分で、durの部分がティークラさんの部分です」と、教えて下さった。
ようやくこの曲の概要が掴めて来た。要するに、亡くなった魂のヴァィシュタインと、生きている娘ティークラとの対話の曲、という事なのだろう。mollとdurが同じメロディで繰り返されるのである種の対話的要素のある曲だという事だけは理解出来た。
やはり、こういうレッスンはウィーンでなければ受けられない。本当に貴重な経験、貴重なレッスン。
これで私のやる気は倍増!!!!!!!!!!
まず、テキストの朗読から始まった。この「Thekla」のレッスンに関しては曲の細部の修正は行なわれずに、まず通して歌った。B先生的に、私がこの曲をどの程度勉強して来てどのように歌うのかに、関心がおありだったのだろうと考えた。
修正された事は、ウムラウトの発音、幾つかのドイツ語の発音、ピアノ伴奏に合わせた声の強弱の付け方と、GeisterとTheklaのパートのコントラストを付ける事。
B先生から「悪く無い」とのお言葉。これは非常に驚いた(驚愕)このような非常に珍しい曲をテキストの内容も充分な勉強が出来ずにそれでも出来る限りの僅かな練習で、B先生から「悪く無い」という事は、今後きちんとテキストの勉強を行い、曲に対する理解を深めて行く事が出来れば、充分に私自身のレパートリーになり得る、私のシューベルト歌曲の歌唱にはまだまだ伸び代がある、という事にも受け取れる。
この曲に関しては、B先生の最終レッスンでテキストに関しての文献など、幾つかお聞きして帰国しなければならないと決意した。


本日2曲目「Dem Unendlichen」のレッスン。
この曲も結構マイナーな曲である。私が7年程前に、ジェシー・ノーマンのCDを購入した中に入っていた曲。数年前にワルトラウト・マイアーが来日公演でドイツ・リートのリサイタルを行なった時のビデオ映像を持っているが、その時マイアーも歌っていた。が、それ以外の録音は見つけられなかった。ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウならば録音を行っているだろうけれど、女声の録音はこれくらいだった。
シューベルト歌曲の中では非常に珍しい、かなりドラマティックなレチタティーヴォから始まり、流れるような壮大なメロディーへと移って行く。ドイツ・リートというよりも寧ろ、オペラ・アリアに近い。日本で一度だけ谷岡先生にレッスンして頂いた時にも、「この曲ってどういう風に造られたのかしら?オペラ・アリアなのかカンタータなのか、そんな感じの曲よね」と仰っていた。
この「Dem Unendlichen」に関しては、まず「Geistliche Lieder」と記されている。そして、日本のシューベルト歌曲に関する本に若干の説明書きはあったものの、テキストの詳細は一切記されていない。
ただ、7年前にジェシー・ノーマンの録音を聴いてから、ずっとず〜っとず〜〜っと、この曲を歌えるようになる事を目標にして来た。谷岡先生とハリセン先生にレッスンを受ける以前のドイツ・リートの先生にも一度だけレッスンを受けた事がある。
しかし、やはりシューベルトの歌曲でこれだけドラマティックなオペラ・アリアのような、しかも非常に難しいレチタティーヴォがある曲をそうそう簡単に演奏会本番に乗せられるような歌唱力は私には無かった。
去年初めてウィーンでB先生にレッスンを受けて、「来年こそはこの曲のレッスンをB先生に受けたい!!!」と強く願っていた曲でもある。このような曲は、やはりB先生にレッスンをして頂きたかった。念願が叶った。
最初のレチタティーヴォは正確なリズム、それもかなり細部に渡ってリズムやテンポの修正をされた。
それと、私自身ず〜〜〜っとジェシー・ノーマンの歌唱を参考に勉強、練習して来たのだけれど、B先生からは私が考えていた以上に、大切な歌詞を強調して、相当なマルカート、アクセントを付けて歌うように指摘を受けた。レチタテーィヴォで私が考えていた以上に、多めにタップリとブレスを取り、決して歌い急がないように自由に歌わせて頂く事が出来た。
私自身、自分に出来得る限りドラマティックに歌った。遠慮無し!!!まるで、ヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア並みに、自分の持てる全ての声で歌った、という感じ。
アリア部分は、ドイツ語の母音をかなり長めに取る事、8分音符のリズムを若干修正された事、フレーズの流れに遅れないように歌い出しをインテンポでしっかりと入る事、ウムラウトの修正は指摘されたが、これもB先生から一言、「悪く無い」と言って頂けた!!!!!!!!!!これには流石に心の中で、ガッツポーズ\(^o^)/

7年間、ひたすらジェシー・ノーマンを目標にして諦めずにこの曲に取り組み続けて来て、本当に良かった。
ピアニストのEさんに、B先生に「7年前からこの曲のレッスンをきちんと受けたいと思い続けて来て、今日レッスンを受けられて本当に嬉しい」とお伝えしてほしいとお願いした。EさんがB先生に伝えてくれると、B先生も喜んで下さった。
これからも、諦めずに地道にジェシー・ノーマンを目標に、色々な曲に取り組んで行きたい。
諦めない事って、本当に大切な事なんだな、と実感する事が出来た。本当に充実した幸福なレッスンだった。
流石にこの2曲は非常にマイナーな曲のためか、B先生が全て伴奏された。
しかし、やはりB先生は凄い。流石にシューベルト歌曲の専門家の中の専門家。
私がレッスンに持って来た曲は全てきちんと伴奏される。弾き損じ、無し。私はレッスン時に楽譜のコピーをB先生にお渡しするが、レッスンが終わると楽譜は全て返される。
シューベルトの名曲なら当然の事であろうが、今日レッスンした「Thekla」「Dem Umendlichen」などの曲もきちんと知り尽くされていらっしゃる。
日本でこのようなレッスンは、望んでも不可能だろうと考える。


今年、B先生のお土産に、ウィーンの人にも好まれそうな日本のブランドの上品なお菓子を!!!と思い、上野・風月堂のゴーフルを差し上げたのだけれど、B先生が「とても美味しいお菓子だった」と仰ってくださった!!!流石、上野の老舗、風月堂〜〜〜♪


今日の最初のN先生のレッスンでの極度のストレス状態と、B先生のレッスンでの目一杯限界以上の歌唱とで、レッスンが終って帰宅した時には食事を取る事も出来ない程疲労困憊だった。
本当なら、今日はウィーン国立歌劇場でドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」のプレミエを立ち観に行く予定でいた。グルべローヴァの生の声を聴いてみたいと思っていたのだが、止めた。
こんなに疲れきっていたのでは明日のレッスンに差し支える。
明日は日曜日だが、午前中にN先生のレッスン、午後からはピアニストEさんとのピアノ合わせを予定している。疲労のため声に支障を来すのは御免だ。
私は、ウィーンにオペラ鑑賞に来た訳では無い。
レッスンを受けに来たのだから。
オペラは時間があれば別の演目を観る事にした。
レッスンから帰宅してから一眠りしてしまった。目が覚めたら、夜10時を過ぎていた。
軽く食事をしながら、今日のレッスン日記を書いて、早々に休んだ。
今回、まだ一度も外のレストランで食事していないし、酒を飲みにも行けていない。
ちょっと寂しいが、今年のウィーンでのレッスンは去年に比べて格段にハードだという事と思い、休養を心掛ける事にした。

甘かった、ウィーンのレッスン3日目vo.1

本日午後1時からN先生のレッスン。引き続きシューマン歌曲。ピアニストEさんとN先生のオフィスの前で待ち合わせた。すると、ピアニストEさんからあるお知らせがあった。
「今日は、私の、声楽の勉強をしているルームメイトが通訳がてら聞きに来る事になった。N先生の門下生なので、発声や声楽の事に関する通訳は彼女の方がいいだろうと、N先生からの要請があったので。但し、この事はM先生には内緒でお願いします」
との事。まあ、N先生がそう言ったのならいいけど・・・と思いつつ、待ち合わせ。
すると若干サイズ大きめの関西弁の若い女性登場(笑)Yさんとしておく。
しかし、その後にもう一人若い女性が来た。は???と思っていたら、その若い女性も、先日ウィーンに留学して来たソプラノ歌手だという。
何だよ!!!今日は、公開レッスンかあぁ??????????聞いてねえぇ!!!!!!!!!!
と、ゆ〜事らしい(溜息)
それなら、事前に、せめて前日に一言報告が欲しかった。私は、自分のレッスンを、同じアマチュアならまだしも、音大で勉強して留学に来てるような連中に聞かせなきゃならない筋合いも義理も、全く無い。そんな事は、留学生同士でやればいいじゃないか・・・・・・・・・・(不満)
大体にして、親に勉強の金出して貰ってる分際で、アマチュアのレッスンなんかアテにするんじゃあね〜よ。音大出てて若くて下手に出れば、誰でも何でも許して貰えると思ってやがるのか???思い上がるのもいい加減にしろ!!!!!この甘ったれ連中が!!!!!
差し出された厚意を有難く受け取る事と、厚意にかこつけてちゃっかり土足で入り込む事の区別も付かない青臭いガキの分際で。ど〜せレッスン聴講するなら、プロのレッスンを金払って聴講しやがれ。アマチュアのレッスンならN先生の御厚意で、ダダ観出来るっていうそのミエミエの、アマチュアを見下す下世話な根性が全く気に入らない。何もいらないから、帰ってくれ!!!!!!!!!!!(呪)
とは思ったが、ここでお断りする訳にもいかず、兎に角皆でN先生のオフィスの中へ。

オフィスに入ると、にこやかなN先生登場。
早速私は発声練習から始まる。
非っ常〜〜〜〜〜に、ストレスフル。プレッシャーならまだ撥ね退けられるのだけれど、こう酷いストレスはホントにマジで、想定外。
余計な緊張ばかりが体中を走る。幾ら力を抜こうと思っても、余計に力が入るばっかり。特に高音域になると声が詰まってしまったように、出無い。同じバリエーションの発声を繰り返し繰り返しやり直しされるが、ある一定の音域になると、パタリと声が出無くなってしまう。多分、2点Gくらいから上。
N先生は「出来るはずだ!」と何度も仰るが、繰り返しているうちにどんどん私の表情が困惑してきた。溜息も出て来た。声帯に余計な負荷がかかる気がしてしまい、余計に声が出無くなる。
発声練習の最後、ようやく2点Aくらいが掠って届いた。いつもなら寝起きの発声練習だけでも3点Cまでは発声出来るのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(頭痛)
N先生は頷かれていたけれど、私は心の中では、
「もういい加減にしてくれ」
状態だった。にこやかに満面の笑顔でN先生のドイツ語を訳してくれるのはいいが、通訳に集中するのでは無く途中で自分の話をしだす事もある。通訳に来たんなら通訳に集中しやがれ!!!!!このKY野郎・・・・・。
もう一人の若い留学生は何度も頷きながらN先生の話を聞いている。お前、聴講料払ってんのか?????
一体、誰のレッスンで、誰がレッスン料払ってると思ってやがるんだあぁ!!!!!!!!!!(激怒)

シューマン歌曲1曲目「Mignon」から。
歌い出しの小節の歌詞は、問いかけの台詞なので問いかけるように歌うように、と指摘される。有節歌曲なので、3度ともこの問いかけの歌い方で歌い始めるように、とN先生より。歌い直しするとN先生から「もっとはっきりとしっかり声を出してうたうように」と指摘された。
本来なら、何も言わずに先生に指摘されたようにやってみようと試みるのだが、今日の私はストレスフルで非常に機嫌が悪い!そこでN先生に、
「ここの小節には楽譜にpの指示がありますが?」
と、珍しく反抗してみせた。N先生は「幾らpと言っても、きちんと聞こえないような声ではダメだ。小さな声で歌うのではなく、問いかけるように歌う事で充分出来る」との御指摘。仰せの通り。溜息が出る。
ドイツ語の発音は上のポジションで口を開き過ぎないように発音する事、そしていつものウムラウトの発音の修正。ドイツ語の母音は長めに取る事、繰り返されるドイツ語の歌詞は違いを分かるようにコントラストをつけて、高音域は下で支えて頭の上のポジションを高く取る事。多少細かいテンポを数か所修正され、曲の最後はpでゆっくり問いかけるように充分ブレスとritを取るように指摘された。N先生から、「もっとオペラアリアのように歌う事」との事。
私はひたすら他は無視して、ピアニストEさんに「伴奏付きで歌う事に慣れていないので、ごめんなさい」と謝り続けた。

2曲目「Requiem」
最悪。この最低のシチュエーションの中で、私にとってこんなにも大切な曲をレッスンしなければならないなんざ、不本意極まりない。どんどんイライラして来て溜息が増える。表情もどんどん険しくなる。気がつくと、N先生の顔を見ないで下ばかり向いているようになっていた。笑顔は既に、無い。
おいこら、そこの外野2人、いい加減空気読め!!!!!!!!!!(激怒)
この曲もピアノ伴奏に慣れていない事を、ピアニストEさんに予めお断りしておいた。ピアニストEさんは、殆ど喋らずに伴奏に集中している。この外野達とEさんの違いは、一体何なんだ?????
歌い出しのテンポからもう少し前に進んで歌うように、と指摘された。ブレスの箇所をもう少し増やしてもっともっとレガートに歌うように、と。
私は最初は、2ページ目辺りからテンポアップして曲に動きをつけて行きたかったのだけれど、N先生から3ページ目の頭辺りからもっともっと早く前に進んで歌うように、との修正を受けた。テンポを速く前に進める代わりに4小節フレーズを繋げて歌うように、と。
曲の歌詞「darein die schone Engelshalfe singt」は徐々にritしてピア二ッシモに歌いたかったのだけれど、N先生からは「Erstes Tempo」まではしっかりfで歌うようにとの修正をされた。もっと体を開いてたっぷりの声量で広げて歌うように、と。
この曲は、亡くなった妹のために私が選んで歌う曲だ。
今日は本当にストレスMax状態で、表情も硬い、溜息も多い、声も硬くて全く伸びない、イライラする。この状況の中でレッスンを受けなければならない事に本当に腹が立って悔しくて仕方が無かった。
私がほぼ仏頂面になり顔が引き攣ってきた時、N先生が、
「今日のレッスンはここまでにしましょう。次のレッスンはまたRequiemからやりましょう」
という事になった。

私の横で、空気の読めない通訳兼ソプラノのYさんが、
「Requiem、とってもいい曲ですねえぇ〜〜〜!!!」
と何度も繰り返していた。
私は無言で「だったらアンタが歌えよ!!!歌手だろ???」と心の中でぶつくさ捨て台詞を吐いて、無視・無言で次のB先生のレッスンに行く準備を始めた。
ピアニストEさんも、ルームメイトとお喋りするでも無く素早く準備してくださったので、助かった。
やっと苦痛なレッスンから解放された。
幾らN先生の教えを少しでも受けたい、という気持ちは分からなくも無いが、これだけの思いをしてようやくウィーンにレッスンに来ている私にとっては、たまったモンじゃない。
ピアニストEさんとの約束なので、どんなに腹が立ってもM先生には内緒にしておく。
明日の日曜日の午前中にN先生と2人のレッスンがあるのだが、そのレッスンに通訳兼のYさんがまた来るとの事。もう好きにしてくれよ・・・・・(呆)と思いながらも、明日はピアニストEさんに今日のように御迷惑を掛ける事も無いだろうと、それだけは多少ストレス緩和傾向。

大体にして、全てのドイツ語を理解出来なくても、N先生はスコットランド人なので英語も美しい発音で聴きとり易いし、奥様の影響で日本語も少し話してくださる。
その他、ジェスチャーも交えればレッスンとしてはちゃんと成立する。去年がそうだった。
私は自分のレッスンに完全に集中したい。
今回の事は「注意力散漫」では無い。それは私の看護師という職業上、有り得ない。
但し、看護師は、一度に非常に多くの患者さんに多くの注意を払わなくてはならない。手術患者さんと、重症患者さんと、末期患者さんと、認知症で不穏行動の患者さんと、全て一度に注意力を適切なバランスで「分散」するという作業が中枢神経反射的反応になっている。それは職業病とも言えるので、仕方が無い。
こういう所で裏目に出るのは、不本意不愉快極まりないが、仕方が無い。
あわよくば便乗という根性で、日本のアマチュアのオバサンのレッスンなんざわざわざ聞きにくるんじゃね〜よ、このタコ連中!!!!!(怒)
最後に、いきなり現れた留学生のソプラノは、私にレッスン聴講のお礼の言葉一つ無かった。当たり前だと思っているのか。やはり、アマチュアは何処でも相当下に見られている現実。反面教師〜♪くらいのノリだ。だったら二度と私のレッスンは見に来るな。全く呆れて、本当に親の顔を見て見たいもんだ。ロクな躾や教育がされていない事位、容易に察しが付くわな(呆)


ピアニストEさんと、急いでコンチェルトハウスに向かった。
今日のB先生のレッスンは、今回のウィーンでのレッスンの、最大の山場だ!!!!!

ウィーンのレッスン2日目vol.2

夜19時からB先生のシューベルト歌曲のレッスン。
ちょっと張り切ってデジカメ撮影に周り過ぎたかな???とも思ったけれど、日本での連続夜勤に比べたら、全然平気。

まずは昨日のおさらい「Fischerweise」から。
昨日に比べたら多少疲労も取れたし、今日は昼間にN先生のレッスンを先に受けてシューマン歌曲3曲目一杯歌って来たので、発声も充分に出来たので、昨日に比べれば苦手な曲とは言え、日本で練習している時の少し不調、くらいのコンディションにはなれた。でも、相変わらずウムラウトは修正の嵐。まだまだだけれども、昨日に比べたら大分良くなったと、B先生より。今年は、毎日この「Fischerweise」を歌うのだろ〜か・・・???と思ったら、最初のレッスン曲の選択を間違えてしまったよ〜な気分に、若干鬱気味(自爆)

本日は1曲目。まず「Du bist die Ruh」
この曲、日本にいる時に谷岡先生のレッスン時から中声用でレッスンを受けた。音域に関しては見事にビンゴ〜♪
まず、いつものよ〜に静かにピアニッシモでロングブレスに最大限の注意を払いながら歌った途端に、B先生からストップ!!!を喰らう。B先生から大きな声で、
「下の支えが足りない!!!」
と・・・・・。ブレスの箇所はカンマ通りとの指摘は無かったけれども、フレーズを大きく取って繋げて歌うように指摘されたけれど、一番大きく修正されたのは下腹部〜下肢のしっかりとした支えによる深く豊かな響きの声を求められた。まるでメゾソプラノかコントラルト並みの深い声。日本でシューベルト歌曲のレッスンを受けた時にこんな声を要求された事は恐らく、無い。
まるで、ヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ並みの深い発声。
これで本当にこの「Du bist die Ruh」という曲に聴こえるのか?????と思うくらいだった。
日本とウィーンとの、大きな違いを実感させられる。
私がこの曲の録音で持ってるCDが、バーバラ・ボニー(死)
仕方が無い。本当に、音取りのためだけだから構わないと思ってボニーの録音を聴いていたのだが、このような事態になるという事は私自身の認識が甘い!!!という事。
今後は、本当に購入する録音に関して歌手のセレクトを厳密に行う必要性を痛感した。耳から録音技術を駆使して調整された「綺麗さ」で自分の耳を慣れさせる事から、何としても脱却する必要性を認識せざるを得ない。本当なら、録音を聞かずに自分で譜読み、音取り出来ればそれに越した事は無いけれど、日本にいる間の連続夜勤では、その時間も体力も、無い。ならば、方法論から変える必要性がある。
でも、これはこれで良しとしようと考えた。逆に、自分の間違った認識を改めるために今このウィーンのレッスンに来ているのだと。例え誰の録音を聴いたとしても、ちゃんと自分自身の声、発声で、自分自身の音楽を美しく創り上げて行くために、今自分はこの場に立っているのだと考える事にした。
ドイツ語の発音では、子音で終わる言葉と母音で始まる言葉のフレーズをレガートに繋げて歌うという指摘を数か所に渡って繰り返し指摘された。
歌詞の内容、ドイツ語の言葉の意味によって、声量を落としてピアニッシモに聴かせようとするのではなく逆に音楽をレガートに繋げて創る事によって緩やかな表現に聴こえるように歌う、というテクニックの方向に向かうように何度も何か所も指摘された。
フレーズの繋がりとレガートを最も重要視されたが、ブレス箇所の細かい指摘は殆ど無かった。日本でレッスンを受けていた時は、カンマから次のカンマまでは出来ればノンブレスで歌う、等の指摘が多く私自身もそのような事に留意して発声から注意して練習して来た。
声量に関しても、ピアノ伴奏に合わせた声量ではあったが、決して控えめにならないように、逆に私自身が考えていた何倍もたっぷりと大きな声量で豊かに歌うようにB先生から何度も指摘・修正を受けた。
コントラストは必要だけれど、それは声量を絞るという意味では決して有り得ない。飽くまでも「音楽的に」
ロングブレスが必要なフレーズは、声量を絞らずにフレーズを前に進めるように、という指摘だった。
B先生の御指摘通り歌ってもちゃんと「Du bist die Ruh」に聴こえるのだから、本当に不思議だ。
これでは余りに声が大き過ぎやしないか???と心配しているのは、ど〜やら私一人だけらしい(苦笑)
B先生はこの「Du bist die Ruh」に関してはかなりの力が入っていた。一通り通してレッスンした後は、ピアニストEさんが伴奏を行った。
B先生が譜面台の真正面に立っている。その距離、50cm足らず。物凄い迫力。B先生、近過ぎ(自爆)

本日2曲目「Wiegenlied」
まず最初の1小節で止められる。B先生から大きな声で、
「テンポが遅すぎる!!!!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
B先生、今年はスパルタ度500%増。気合い入り過ぎでないかなあぁ・・・・・?????
ドン引きしながらストップ。矢継ぎ早にB先生から指摘が飛んで来る。Schlafeの2回繰り返される歌詞は、2回とも違うアクセントとコントラストを明確にして歌われる事。「ざじずぜぞ」の発音が弱い事。冠詞の発音は余り長く発音しないけれどもはっきりと聞こえるように(違う意味の言葉に聴こえる事多し!)
そして、子守唄だからと言って決してピアニッシモで声量を絞って歌うのでは無く、飽くまでもレガートに豊かに膨らませて「音楽的」に子守唄に聴こえるように歌われなければならない、とB先生より。
有節歌曲にバリエーションが必須項目である事は、昨日の「Fischerweise」で既に指摘済みの事項。B先生曰く、
「小さな声で子供を寝かしつけるのでは無く、豊かな声で子供に語りかける」のが「Wiegenlied」なのだ。
という事。
相変わらず、日本で慎重に指摘されたブレス箇所には殆ど触れられず、フレーズの繋がりをレガートに歌う事が重視された。特に音符の動くフレーズのレガートな発声に指摘が集中する。レガートにフレーズを丁寧に繋げながら、はっきりとドイツ語を発音し、尚且つウムラウトの発音に最大の神経を使う。
恐るべし、シューベルトの名曲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(滝汗)
この曲も、最後はピアニストEさんの伴奏で歌って、譜面台左斜め45度の角度の位置に約50cm程の距離でB先生ががっぷり構えて凝視されながらのレッスン、1時間が終了した・・・・・(爆死)

ヘろへろになりながら、本日のレッスン終了。
B先生から「明日は何の曲を歌うのか?」と聞かれて、2曲の楽譜をお渡しした。
はい、今回のB先生のシューベルト歌曲のレッスンの、メイン・イベント〜♪
「Thekla」「Dem Unendlichen」
この2曲の楽譜をB先生にお渡しした時、B先生がニヤリと笑いながら、
「Ja,ja,ja,ja,ja!!!!!」
と、Jaを5回連発。このB先生のJa!の連発は、要注意(核爆)
去年のB先生のレッスンの最終日に、シューベルト「Der Konig in Thule(トゥーレの王)」と「Der Zwerg(こびと)」を持って行った時は、B先生の連続Ja!は3回だったと記憶している。
今回は、Ja!が5回。しかも、ニヤリと顔は笑っているが、目は全く笑っていない(大汗)
楽譜を見たB先生が何度も頷きながら、
「確かに、簡単な曲ではないね」
と仰った・・・・・・・・・・と、ピアニストEさんの直訳(笑)

とゆ〜ワケで、明日は大変な事になりそう・・・・・(無言)


帰りに、ピアニストのEさんとカールスプラッツまで歩いて来た。
私が、日曜日にウィーン楽友協会のコンサートに行くつもりで、今日B先生のレッスン前に楽友協会のチケット販売場所をウロウロ探していた事を話したら、親切にチケット売り場を案内して下さった(涙)
ツィンマン指揮の「ブラ1」と、ピアコン1番を聴きに行く予定。
明日は、ウィーン国立歌劇場に、グルベローヴァのドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」のプレミエを立ち観鑑賞予定。恐らく、立ち観でも相当の混雑が予測されるので、今日は早めに休むつもり。
ピアニストEさんも、毎日私のレッスンに良く付き合って下さる。1回の伴奏で、10ユーロお礼を差し上げているが、通訳も兼ねてくださっているので本当に有難い限りである。それでもピアニストEさんは、
「自分もとても勉強になっている。音楽の造り方が、いいと思う」
と何度も言って下さった。本当かなあぁ・・・・・とイマイチ不思議だが、ここは素直に喜ぶ事にした。
普段、日本では超捻くれ曲がった根性で日々生活しているので、せめてウィーンにいる時くらいは素直な心で♪

カールスプラッツ駅で別れて、私はゆっくり歩いて帰った。
帰り道20分程、プラプラ歩きながら考えた事。
「明日のレッスン、ど〜しよ〜・・・・・」
夕食は、白ワインと、スモークサーモンと、スライスハムと、ブルーチーズ。
帰宅後、ほぼ気絶状態でソファで眠った。

ウィーンのレッスン2日目vol.1

本日13時から、N先生のシューマン歌曲のレッスン開始。今年12月に予定しているシューマン・メモリアルのリサイタル用歌曲9曲を全部、ウィーン滞在中にレッスンするとのN先生のお達し。しかも、昨日のレッスン終了後に、ピアニストのEさんの御都合を踏まえて、今日のシューマンのレッスン曲をピアニストEさんとN先生がピックアップしていたのにも拘わらず、N先生が、私のリサイタルでの歌う曲順にレッスンをすると仰り始めた。これにはピアニストEさん、N先生が解らないように、日本語で大ブーイング!!!!!
「昨日やるって言った曲と、違うじゃん!!!!!!!!!!」ByピアニストEさん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(苦笑)

シューマン歌曲のレッスン開始。
「Madchen Schwermut」から。
8分の3のリズムを再確認。飽くまで8分の3のリズムでレガートに繋げて歌う事。
Seh(ゼー)の発音が非常に弱く聞こえるとの事で、日本語の「ぜ」とほぼ同じ発音で良いとN先生より指摘される。普段、日本語で「ざじずぜぞ」の発音のつく単語なんて、確かに余り多くは無いように思う。
音符が動く音型やフレーズは上昇音型でも下降音型でも、兎に角レガートに修正される。これは、難しい事なのだろうか?それとも単に私が苦手、または不得意なだけなのだろうか、分からなくなって来る。
ウムラウトはどの発音でもほぼ100%の確率で、修正される。これはもう、仕方が無い。
諦めて、当然の事と考えるしか、無い。
逆に、ウムラウトの正確な発音を習う為にウィーンにレッスンに来ている、と発想の転換を余儀なくされた。
シューマン歌曲は、ロングブレスというか、ロングフレーズというか、そのような歌曲が非常に多いのだけれど、基本的に4小節ブレスに修正される事は多くは無いけれど、カンニングブレスを行ったとしてもフレーズの切れ目が絶対に分からないようなテクニックを要求される(実際、要求されている)その代わり、ブレスを取れる箇所では相当にきっちりとブレスをたっぷりと取る事も指摘された。
主な理由としては、シューマン歌曲は、必要不可欠なブレスの後に沢山のritが存在する。これをクリアして尚且つ充分なブレスを以ってritを保ち、尚且つクレッシェンド〜ディミネンドのコントラストを明確に保持するためには、当然の必要不可欠なテクニックとなる。

「Melancholie」へ。
シューマン歌曲であっても、オペラアリア並みにドラマティックに歌い表現するようにN先生から修正が入る。
たった1音2拍でf(フォルテ)とp(ピアノ)を歌い分けなければならない。そのコントラストを何度か歌い直し修正。
幾らドラマティックに歌うとは言っても、歌詞の内容から静かで平穏なレガートとのコントラストを多く要求される曲。
こういう曲を歌っていていつも思い出すのが、映画「クララ・シューマン〜愛の協奏曲」でのロベルト・シューマンの人物像である。激しさと静けさ。これがシューマンの個別的な特徴、言うなれば「シューマン節」として確実に表現出来てこそ、のロベルト・シューマンなのだろう。
1か所、繰り返される歌詞で、私の解釈とN先生の指摘が異なる部分があった。
Schmerzを2度繰り返すのだけれど、私は1回目の方を強調して歌ったがN先生の指摘は2回目のSchmerzの方を強く強調するように指摘される。詩人ギーベルの文脈としては、Schmerzの繰り返しの前のフレーズでWundeの繰り返しがあり、その音型は繰り返される2回目の言葉の方が音として強調される作りになっているので、そのシューマンの作った音楽に忠実に、という事なのだと考えた。
ついつい憂鬱さを強調しようと考えて、レガートにピアノで歌おうとしていたのだが、私の声でも最後のフレーズは例えfの指示が無くてもマルカート気味に歌うように、とN先生から修正される。
録音を歌ってるのは、クリスティーネ・シェーファー。スーブレッドの真似事は、やはり良く無い影響しか齎さないのだと、強く実感した。
ピアニストEさんからも「声量の強弱よりも、音楽的対比を」と指摘を受けた。

本日最後の曲「Ihre Stimme」
この曲は緩やかなレガートで通して歌われる曲。主にフレーズを大きく流れるように取るように何度も何度もどの個所でも指摘され修正を受ける。自分自身としては、もう目一杯レガートに歌っているつもりでも、まだまだ相当に不足、という事である。N先生は指摘・修正の手を決して緩めない。N先生の要求通りのレガートさに限り無く近づくまで、何度も何度も繰り返しフレーズを歌う。
そして、このようなレガートで優しいイメージの曲は、私は声量を抑えめにして歌う「癖」が身についてしまったらしく、これはかなり修正・指摘の的となった。N先生から、喜びや情熱を表わす歌詞は、決してpで歌い表わすのでは無く、深く温かい声の響きが必要であると、耳にタコが出来る程要求された。

ピアニストEさんも、本当に25歳か?????と思う程の指摘をされる。
やはり、伊達にウィーンで7年間勉強して主席卒業をして来た訳では無いのだと実感させられた。
こんな、本業看護師の、日本のオバサンのアマチュア相手に、これ程の音楽性を要求して来る辺りは、日本の同じ位の年齢のピアニストとは比べ物にならないのでは、と思われた。
N先生から、途中、前奏・間奏・後奏の部分で多少の指摘は受けていたものの、私が歌うと日本からのメールを見てから非常に良く弾かれているな、と感じた。
シューマン歌曲9曲、この短期間ではかなり大変だったろうと思う。本当に、有難いと感じた。

シューマン歌曲レッスンの1日目としては、N先生、意外にアッサリ終ったんじゃあないかなあぁ・・・(不解)とも思ったが、まあいい。多分、これからN先生の本領発揮、パワー全開になるだろう。
それに、これからコンチェルトハウスでB先生のシューベルト歌曲のレッスンもある事なので、余り飛ばされても後が持たない(爆)


流石に、ピアニストEさんは明日のレッスン曲の予定の相談をN先生とはしなかった。
多分、私のプログラム通りにレッスンするだろうから、N先生に聞いても無駄だろうとの事(超苦笑)
「スコットランド人なのに、そ〜ゆ〜トコロはオーストリア人みたいなんだから!!!」
と、ピアニストEさん談(笑)


B先生のレッスンは今日は夜19時から。一度ピアニストEさんと別れて、ウィーン中心部を北海道の妹の御希望の写真をデジカメで撮りながら、少し散歩した。
結構歩き回って疲れたけれど、少しだけ観光っぽいカンジを満喫してから、少し早めにコンチェルトハウスに向かった。






ウィーンのレッスン1日目vol.2

コンチェルトハウスでのB先生のシューベルト歌曲のレッスンを終えてから、ゆっくり歩いて約20分。
N先生とM先生ご夫妻のオフィスに到着。本日2回目のレッスン。
B先生のシューベルト歌曲のレッスンでは殆ど声が出無かったので、これからN先生とM先生に何の曲をレッスンして頂くのか、歩きながら非常に迷っていた。
まず、12月リサイタル予定のシューマン歌曲9曲のうち、少しでも多くの曲のレッスンを受けたかった。
でも、今年から、しかも約1ヶ月半前から始めたブラームス歌曲もレッスンを受ける必要がある。
しかし、去年N先生から、
「あなたは、パミーナの声だ」
と指摘された事から、本当に私がモーツァルト歌劇「魔笛」のパミーナをレパートリーとして歌って行けるのかどうかは、今回のウィーンのレッスンで必ず確認してから帰国しなければならない。
でも、今日の発声と声帯の調子から言って、パミーナのアリアはちょっと音域的に高いかも知れないetc。

途中、M先生がN先生とピアニストEさんと私の分も含めて、ケーキを買って下さった。私はショコラムースを御馳走になった。やはりウィーンのケーキは、とっても美味しい。

ケーキを頂いてからすぐに、発声練習が始まった。
発声練習も去年とほぼ同じ指摘。構え過ぎ。もっともっと全身の力、特に前胸部〜頚部の力を抜くように何度も指摘される。N先生とM先生からは、
「声を出そうとしないで。声はちゃんとあなたにあるんだから、黙っていても声は出る。もっと預けなさい」
ただ、去年よりも幾分力を抜けるようになるのに時間は掛からなかった。大分前胸部〜頚部の力が抜け始めて息が流れ始めると、今度はまた別の指摘がN先生から飛び出す。
「高音域でもっと下の支え(下肢〜下腹部)をしっかりと行うように。声をもう少しまとまった響きにして、自分の立ち位置よりももっともっと向こう側の遠くに自分の声を届けるように。例え発声でも、もっと喜びを以って声を出すように。」
先ほどのB先生のレッスンよりも、かなり声の伸びが良くなった事を実感した。調子が良くなったワケでは無いが、日本での練習でちょっと疲労気味、くらいのコンディションにはなって来た。
N先生からも、時々日本語で、
「そうです。それでいいです」
など、随分修正して頂けた(笑)
それでも、声帯の調子が今一つの時はどうしても高音域の発声を怖がってしまう。すると折角体から抜けた力がまた戻ってしまう。
N先生とM先生が交互に指摘される。
「口を開け過ぎないように。低音域〜高音域の発声で、低音域から口や体を開きすぎると、結局高音域で口や体が開き過ぎになってしまうので、良くバランスを考えて口や体を開くように。声をコントロールしようとしない、自分で自分の声の心配をしなくていい。ただ自然に声が出るに任せれば良い。声の心配をするのは歌っているあなたではなく、聞いている私達の方の役目だから」
ここ位まで発声練習を行って、大分声が響くようになった。先ほどのB先生のレッスンでの不調が本当に不思議になる位声が響き始めた。ただ、まだ少し高音域には怖気づいていたのだが。

今日のレッスンは何を歌うのか、という話になった。
シューマンのリサイタル用歌曲9曲、ブラームス歌曲6曲、モーツァルトのオペラアリア「魔笛」のパミーナと「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラを用意して来た事を説明した。中でも、パミーナのアリアは去年のN先生のレッスンでパミーナの勉強をするように御指摘頂いた事をお話しした。するとM先生が、
「シューマンやブラームスのレッスンを始めてしまうとパミーナのアリアをレッスンする時間が無くなってしまうかも知れないから、今日はパミーナのアリアをやりましょう」
という話になった。伴奏は、ピアニストEさんが行ってくれる事になった。
とても緊張していたし、今日は声帯の調子も良く無かったので、幾つかピアニストのEさんにお願いをした。まず、Andanteと楽譜にあるけれどもAdagioくらいのテンポで歌う事、なるべく声量を抑えてピアニッシモで歌いたい事、僭越ながらお願いした。するとM先生が、
「大丈夫よ。このコはそんなに注文しなくてもちゃんと合わせられる、ちゃんと弾けるから」
そりゃ、そうだよな。ウィーンで勉強してるんだし。私がゴチャゴチャ言う事の方が、おこがましいか。
一通りパミーナのアリアを歌った。するとN先生から、矢継ぎ早に指摘が飛ぶ。

「幾らピアニッシモで歌いたいと言っても、最初の歌い出しの声や言葉がきちんと聴こえなければダメ。ウィーンでパミーナのアリアをメトロノームのAndanteで歌う歌手はいない。今の歌唱だって決してゆっくりには聴こえない。逆にもっともっとゆっくり歌う歌手もいる。もっと声のボリューム出して歌う事。♯の音にかなりの注意を払って歌う事。ドイツ語で(ア)になる発音をもっとはっきりと聞こえるように歌う事。アジリダの部分は、時計の振子が揺れるように一つの音を支えて歌う事。きちんとブレスを取り途中カンマの無い箇所でも充分なブレスを取り、その代わりアジリダのブレス後の歌い出しは落ち着いて丁寧に慎重に緊張感が伝わるように歌い出す事」
兎に角ウィーンの先生方は、実にいっぺんに多くの事を指摘される(超苦笑)
何度かアジリダの部分を繰り返し歌い直し(高音域なのに!!!)するが、
「アジリダは一音を通して繋げて歌うように、音階が声で音程を取っているように聞こえないようにレガートに歌われなければならない。」
と、兎に角M先生はさっきのB先生のシューベルト歌曲のレッスンの私の不調を忘れてしまわれたのか???と思う程繰り返された。
ようやく先に進んで、アリアの最後の部分。M先生から、
「Todeというドイツ語は、俗に言う綺麗な声ではダメ!!!もっともっと暗く悲しい深い声が必要。16分音符はもっと前に進み、8分音符はゆったりと死の悲しみを歌うように。パミーナは、タミーノもパパゲーノも一言も話してくれない事に絶望して自分には死しかない!!!と死の決意を歌っているのよ!!!パミーナはねえぇ、そんなに弱い女性じゃないのよ!!!ザラストロに剣も持って立ち向かって言ったり、母親の夜の女王と対峙したり、本当はとても芯の強い女性なのよ!!!!!」
と、激を飛ばされた。
そこで私がやった事は、去年と今年の演奏会で歌ったヘンデルの歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア「Se, pieta」で歌ったのと同じ様な音色。これで、N先生とM先生からパミーナのアリアのOKが出た!!!そして、伴奏をして下さったピアニストEさんから、ドイツ語で、

「美しい」

と、私のパミーナを評価して頂く事が出来た。
非常に目一杯の体力を使ったけれど、何とか1時間かけてパミーナのアリアのレッスンを終えた。

N先生からは、
「パミーナはあなたのレパートリーとして何の問題も無い。是非勉強するべきだ」
と御指摘を受けた。M先生とピアニストのEさんも、賛同下さった。
私が、日本のパミーナと言えば、エディト・マティスやバーバラ・ボニーやルチア・ポップが相場で私はほぼ誰にも日本ではパミーナの声では無いと否定された事を改めて説明した。人によっては、バーバラ・ボニーがパミーナのグローバル・スタンダードとまで言われて本当に悔しい腹の立つ思いをした事を話したら、M先生が、

「マティスのパミーナをシュタット・オパーで観たけれど、マティスのパミーナは本当に素晴らしかった。でも、ボニーはパミーナじゃなくて、パパゲーナの声だろう!!!」

と、いとも簡単にはっきり仰った。これには私も非常に驚いた。ここまではっきり言われると何だか悔しい思いをしていた自分が妙にバカらしくなった(笑)
今回のパミーナのアリアのレッスンを受けた事に於いての一番の教訓は、私は歌を綺麗に聞こえる風に歌うのではダメなのだという事。綺麗に歌うのでは無く、美しい音楽を作り上げて行くという発想の転換を自らが主体的に行っていかなければ、去年のパミーナの件のように今後も振り回され混乱する事がまた起きるであろう、という事。
今後は、歌曲にしろアリアにしろ、レジェロやスーブレッドの歌手の録音は極力慎重に、選択肢から外す方向で行きたいと身に染みて実感した。


今後のN先生とM先生のレッスンスケジュールの話をした。
まず、M先生は今後は私が日本に帰国する前日にしかレッスンに来られないとの事だったが、何かあればいつでも電話で連絡して構わないという事。
N先生のレッスンは、今日から日曜日も含めて私が日本に帰国する日の午前中までの計7回!!!!!のレッスンとなった。明日からは、12月にリサイタル予定のシューマン歌曲9曲と、私が緊急に勉強して来たブラームス歌曲6曲、全てレッスンを行う事となった。
これは、ピアニストのEさんが、私が日本にいる時から、ウィーンでのレッスンに持ってくる予定の曲目リストを教えて欲しいとメールを下さった時に私が送った、シューマンとブラームスの歌曲のリストをパソコンでプリントして来て下さった。それを、N先生が御覧になって、

「全部レッスンしましょう」

と仰った。さあ、トンでも無い事になりそうだ・・・・・・・・・・(滝汗)
明日は、まずシューマン歌曲から。


ここで、ピアニストのEさんの事を少し御紹介しておこうと思う。
25歳で、日本の公立高校の音楽科を経てウィーンに留学して7年。小柄な日本人女性。若く見える(笑)
勿論ウィーンの音楽院で勉強して主席で卒業、現在は大学院に在籍。
ソリストとしての勉強もされているのだけれど、伴奏ピアニストも志望されていて今回の私のウィーンでのレッスンの話をM先生より聞いて、伴奏を希望されたとの事。
私の声の事も、
「でも、N先生の所で発声をしてから随分声が良くなった。音楽の作り方が、いい」
と話して下さった。これは、意外(爆)

今日も、ヘトヘト。外に行って食事したり酒を飲みに行く元気はカケラも無かった。
結局、アパートの帰りにスーパーで買い物して自炊する事にした。
今年のアパートはカールスプリッツから歩いて20分くらいはかかるし、去年よりもレッスン内容が格段にハードなのでなるべく休養を心掛ける事にした。
オペラやコンサート、今年は観に行けるだろうか・・・・・・・・・・(凹)

但し、去年ドレスを購入したブティックで、今年はゴールドのドレスをオーダーメイドでお願いした。
それでも500ユーロで作って下さるとの事で、喜んでお願いした。
日本でオーダーメイドしたら、倍額は取られるだろう♪
出来あがるのが、超楽しみ〜(笑)

ウィーンのレッスン1日目vol.1

去年なら朝7時には目が覚めて、市立公園を少し散歩した後でそのまま楽譜を持ってカフェでコーヒーを飲みながらレッスン曲のチェックをしていたのに・・・・・。
今年は、日頃の連続夜勤の蓄積疲労からなのか、朝7時に目は覚めるのだが体が動かない。従って、レッスンのギリまでベットでウダウダしていた。勿論、昨日の迷子騒動もあったのだとは思うが。

9月30日、14時からコンチェルトハウスのB先生のシューベルト歌曲のレッスンが入った。10分前にはコンチェルトハウス前で待ち合わせ。
今回のウィーンでのレッスンで特筆するべきは、若いピアニストと一緒にレッスンを行うという事。
本当なら、本日2つめのレッスン、N先生とM先生のレッスンで初顔合わせとなるはずだったのが、ピアニストのEさんもB先生のレッスンを聴講したいという事で、お見えになった。
疲労が酷くて喉の調子は最悪。朝にちょっとアパートで声を出して見たら、声が掠れていた。でも、ここで頑張って張り切って声を張り上げてた所で、ど〜しょ〜も無い。レッスンはまだ6日間も続くのだから。コンチェルトハウスの前で待ち合わせたM先生とピアニストEさんに、正直に今日の喉の調子は最悪である事を話した。M先生は、
「調子の悪い時に無理して押して声を出さない方がいいわよ」
と仰って下さったので、遠慮無く軽めの発声で歌う事に努めた。そして、この喉の調子の悪い時に比較的得意とまでは言わないが歌い込んでしまいがちな曲を選曲すると、後に響くし辛くなるばかりだと踏んだので、今日は敢えてウィーンにレッスンに持ってきたシューベルト歌曲の中でも一番不得意で苦手な「Fischerwise」を選択した。この曲は中低音域も多いので、無理して声を出そうと張り上げたりさえしなければ、ある意味高音域を出さなければならないような曲よりも声帯の負担が軽いだろうと考えたからだ。
日本人ピアニストEさんは、まだ25歳で、日本の公立高校の音楽科を経てウィーンに留学して今は大学院生だという。とてもお若かったが、ハキハキしたカンジの方。

約1年半振りのB先生は、全くお変わり無く陽気なウィーンのジェントルマンだった。今回の御土産は、B先生と奥様が甘いもの好きという事で、日本の代表的なお上品なお菓子、これならウィーンの方にも好まれるのではと思い散々悩んで選んだ「風月堂ゴーフル」♪
御挨拶も程々に、早速シューベルト歌曲のレッスン開始。
案の定、全く声は響かないしブレスも続かない。しかし、なるべく押さない、押さない、と頭の中で念じつつ丁寧に楽譜を読み歌う事だけを心掛ける。変則的な有節歌曲のため演奏時間もちょっと長め。一度歌い終わってから早速B先生から矢継ぎ早にドイツ語での指摘が大きな声で話される。
「テキストの読み方が足りない。ウムラウトの発音が違う。最初はもっとゆっくりのテンポから練習するように。明るく楽しく陽気な漁師の歌なのでもっと曲に表情を付けて。ドイツ語はもっとレガートな発音で母音を長めに取る事。」
そして、テキストの朗読から再開始。テキストを読む時もきちんと漁師を演じながら読むように指摘された。これを数回繰り返して行った。その後、再度歌唱に戻る。
こういう所で難曲はボロが出る。練習不足はテキメンに表れる。ウィーンにレッスンに来る大分以前から今年の自分の練習不足は嫌という程認識していた。
だからこそ、ここで凹んでイジケてはいられない。私はウィーンのレッスンに完成品を持って来たワケでは無い。一からのレッスンに来たのだ。それで余りにも不足過ぎだからレッスンを断られるならば、それはそれで仕方が無いのだ。
私は、日本で出来る限りの事は、やって来たのだから。
何度かドイツ語の発音を修正されながら歌い続けて、B先生から更なる指摘が飛ぶ。
「ドイツ語の歌詞の言葉の内容によって音色を変えなければならない。有節歌曲はバリエーションが必要である。音符の動くフレーズは音程が下がらないように音程を高めに取る事を心掛ける事。ピアノ伴奏に留意して特にピアノ伴奏の和音と半音でハモる音はきっちりと合わせるように。テキストがちゃんと頭や体に入っていないと音楽の表現まで行きつかない。ドイツ語の語尾まできちんと聴こえるように発音する事」
兎に角、多くの事を一度に指摘される。しかし、もしB先生がこれらの指摘が私にとって不可能な指摘なら、敢えてここまで多くの指摘はしないだろう、そうポジティブに考える事にした。何しろ、これからまだまだレッスンは続く予定なのだから。
何度か歌って行き、B先生から、
「これから良くなって行くだろう」
と何とかお許し頂けた。私がホッと胸を撫で下ろしていると、M先生が今日の私の状態を説明して下さった。日本での仕事の疲労と長旅で喉の調子が良く無い、という事。するとB先生が、
「去年、あなたは随分大きな声で歌っていたのにどうしたのかと思ったら、調子が悪かったのか!!!」
と(笑)言い訳にはならないけれど、この6日間のレッスン中に何とかいつもの調子に近い状態にだけでも持って行く事が出来たらと思った。

レッスンが終了して、今後のレッスン予定の話し合いを行った。最初の予定ではB先生のレッスンは3回程という事だったのだが、ウィーン滞在中に後4回レッスンをして下さるとの事。B先生のレッスンは計5回となった。これはちょっと想定外だったが、レッスン予定の曲を多めに持って来ておいた事はラッキーだった。最初は3回のレッスンなら6曲と考えていたのだが合計10曲レッスン予定の曲を準備だけはしておいた。無論、練習不足ではあったが、何とか楽譜を読みこめている曲から順番にレッスンに挙げて行ければ良い。去年のリサイタル本番に乗せて歌ったシューベルト歌曲でまだB先生にレッスンを受けていない曲もある。取り敢えず、次の日のレッスン曲を決めてB先生のオフィスを後にした。

M先生は、
「こんなに調子が悪いのだったら、先に少し発声練習をしてくれば良かった。御免なさいね」
と仰って下さった。大変有難かったが、これが今の自分の実力なのだから、体調管理も含めて当然の状況と考えていたので、それ程凹んではいなかった。却ってM先生に気を使って頂いて申し訳無いくらいだった。それに、聴講に来ていたピアニストにも私の最悪の状況をまず聴いて頂けて良かったと考えた。これでもまだ私と一緒にレッスンを受けて頂けるのならそれは大変有難い事だし、逆に今日の調子の悪さで私とのレッスンを中止するのもアリな事だと考えたからだ。これはピアニストの自由。私もピアニストのEさんに、
「調子が悪いとこんな状態ですから、一緒にレッスンして頂くのは却って申し訳ないと思っている」
と正直にお伝えしたが、ピアニストは然程問題にしていないようだった。逆に、私が声帯の調子が最悪の状態でレッスンに持ってきた曲の中で一番苦手な曲を歌った、という事に大変驚かれていた様子だった。M先生もピアニストのEさんも、
「普通調子悪い時に苦手な曲は持って来ない。どちらかと言えば、得意な曲を持ってくる。それはスゴいと思う」
と一様に驚いていた。でも、私にしてみれば、比較的歌い込んでいる曲は折角ウィーンでのレッスンでみて頂くのなら、調子の良い時にこそ歌いたいというのが正直な心情だったから(苦笑)
今日歌った「Fischerwise」は「Die Forelle」と同じくらい苦手な歌曲。
魚を食べるのは大好物なのだが、歌うのは苦手。


コンチェルトハウスを出てゆっくり歩いて、少し時間をおいてからN先生とM先生のオフィスで今日2回目のレッスンを行う。
まだまだ、これから。始まったばかり。

ウィーンレッスン日記「ウィーン到着!!!」

9月29日、朝3時間半睡眠でヘロへロになりながら重いスーツケースを引き摺りながら、駅までの登り坂を汗だくになって駅に到着。
本当なら始発電車で行きたかったけれども、始発に乗り遅れてしまたっけれども成田エキスプレスには充分間に合う時間だった。

成田空港に着いてセキュリティを通って、免税店でウィンドーショッピングをした後に、先にトイレに行こうと思ってバックの中身をハンカチを探していたら、携帯電話とMDプレーヤーが無い事に気がついた。急いでインフォーメーションにお願いして、セキュリティに連絡して貰ったら、スタッフが出国審査の場所まで持って来てくださった。私の携帯電話のストラップは、非常に特徴的♪阪神タイガースの黒と黄色のスワロフスキービーズを使って手作りしているので、超目立つ。すぐに見つかって良かった。

成田空港、南ウイングのオーストリア航空のゲート近くの寿司屋で朝飯を食べていて(呑んでいて)、少し落ち着いて、友人や先生や友達に行って来ま〜すメールを送って、時間にはオーストリア航空に搭乗して、一路ウィーンへ向かった。

ランチを持って来てくれた、オーストリア人(多分)のキャビンアテンダントの女性がドリンクを配りに回っていた。私はドイツ語で「赤ワイン」と頼んだら、その綺麗なキャビンアテンダントさんが、

「CoKe?」

と聴いてきた。
私は子供ぢゃあねええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!
と心の中で絶叫、内心穏やかでは無かったのだけれど、隣の席に座っていた若いヨーロッパ人(国は不明)が、キャビンアテンダントさんに小声で、
「ワイン」
と言ってくださった。
その他、私は窓際の席だったので、トイレに行こうと思って席を経ったら、彼も一緒に席を立ってしかも私に先にトイレを勧めて下さるという、ジェントルマンっぷり〜\(◎o◎)/
惚れた♪
でも、オーストリア空港のランチが、シーフードかチキンだったのだけれど、魚好きの私がシーフードを頼んだら、ちょっぴしのエビとイカの入った焼きソバが出て来た。余りのショックで、チキンにすれば良かったと後悔先に立たず。フツ〜、シーフードって言ったら、焼き魚とかムニエルじゃあないのか?????

とゆ〜事でウィーンに到着したのが1時間も早かった。
私はN先生とM先生がお迎えに来てくださるのを待っている最中に、自分の携帯を海外仕様にセッティングしていたら、先生方が迎えに来てくださった。御土産の日本酒と御蕎麦と茶蕎麦とお醤油を差し上げた。やはり、ウィーンでは日本食は非常に高価のようである。先生方も大変喜んでくださった。

アパートに案内された。去年は聖シュテファンの目と鼻の先だったのだが、今年はかールス・プラッツまで歩いて約20分程かかる所にアパートがある。とても綺麗なアパートだった。
荷持を運んで、M先生にウィーン滞在中にかかる費用をお支払いして、先生と別れた。

まず、ウィーン国立歌劇場まで一人で行った。ほぼ一本道だから分かりやすい。カールスプラッツ駅まで歩いて約20分。そこから右にまっすぐ行くと、レッスン会場になるB先生のオフィスがある、コンチェルトハウスもある。ウィーン国立歌劇場で演目を見たら、ドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」のプレミエが数日後にある。これを是非観て見たいと思った。グルべローヴァを生で聴くのも初めてだし。その他は、チャイコフスキー「スペードの女王」だったが、やはりイタリアオペラを久し振りに観たいと考えた。


帰り道、スーパーに寄って買い物をした。M先生が野菜やおにぎりを持って来てくださったので、少し自分で料理して食べようと思って、調味料やハムなどを購入した。朝も、ウィーン市内中心部から少し離れているので、毎日カフェで過ごすのではなく、スープなどを購入して少し自炊しなければならいだろうと考え、ノンビリ買い物していたら、外は既に真っ暗!!!!!
ケルントナー通りから真っ直ぐカールスプラッツを過ぎて真っ直ぐ進んで行くだけだから、と思いアパートへの道を真っ直ぐ進んでいったのだが、これは大きな誤算だった。
初めて来た場所や土地は、明るい昼の景色と暗い夜の景色とが、かなり違うものなのだという事に今更気がついた。あちこちぐるぐる1時間程歩き回ったけれども結局見つからず、疲れ果てて困り果てて、M先生に電話で連絡した。M先生とM先生の御友達の御協力を得て、やっとの事でアパートを発見したのが夜8時過ぎ(凹)

この日は、シャワーを浴びて、M先生が持って来て下さった野菜炒めとおにぎりとワインで夕食を取り、この日記を書いてすぐ、気絶(爆死)
長旅と迷子で、疲労困憊。ワインも殆ど呑めなかった。

明日は、コンチェルトハウスのB先生のレッスンが午後2時から。
今年ウィーンでの初レッスン。

zzzzz

先程ウィーンから帰国5

今、成田空港の寿司屋。
何しろとんでもないウィーンレッスン日程だった。

最初の予定では、スコットランド人と日本人の先生が毎日交互にレッスンして、オーストリア人の先生は全部で3回くらいのレッスンと言われていた。
大きな大誤算。

結局レッスンをしなかったのはウィーンに到着した日だけ。
その他は毎日1日2レッスン。日曜日も無し。
今日も、ウィーン国際空港の搭乗手続き直前まで最後のレッスン。
話ちげ〜よ(爆死)
キリスト教でも週イチ安息日があるはずなのに、ウィーンで私には安息日は、無かった(死)

取り敢えずウィーンで大変な事になったので、ウィーンでのレッスン記録はまた後日。

今日は帰って、寝る。
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