公開レッスンのシステムは、1曲が受講曲で1曲が自由曲。しかもピアニストは私に個人レッスンで教えている訳でも無い。ピアニストはハリセン先生や谷岡先生の事は知っているがレッスン内容まで知る訳で無し。私の歌うシューベルトに御不満はごもっともかも知れんが、一体何様のつもりなのか?自分で決めたシステムはさっぱり忘れて自分のやりたい演奏だけをしたいなら、自分の生徒だけを受講生にするべきだ。
しかも私にとって「本番1時間前」とは何をしなければいけない時か?ただひたすらリラックスを心掛け、今までレッスンして来た事や先生に教えて貰った事を思い出し、楽譜すら開かずにひたすら集中している時である。アマチュアだと思ってか、親切心で教えたつもりかは知らないが、プロの演奏家はここまでTPOを弁える事を知らんのか、それともただの個人の人間性の問題なのか。それを追及しようとは思わなかったが、私は状況判断も出来ない「のべつまくなしに喋りたがり屋・教えたがり屋」所謂KYはもう勘弁である。そんな本番1時間前にいきなり自分の好みに合わせた事をやりたければ、それはプロ同士でやってくれ。そう考えて、今年3月以降の演奏会のピアニストは全て変更した。
無論、シューベルト演奏の失敗の原因は私にある。例えピアニストにどんないちゃもんを付けられようが、本番直前にきちんと精神的な調整を行い、本番ではレッスン通りの演奏をこなす精神的な強さが必要だった。それが出来なかった以上、失敗は必然的だった。
今回私が得た教訓は、伴奏者との信頼関係が無いと演奏自体が成り立たない事、他人に突っ込まれて困るような半端な勉強ではいけないという事、演奏者としての精神的強さが必要不可欠だという事。
この後6月にベッリーニ歌曲とヴェルディ・オペラアリアの演奏会は今までの中で会心の出来と別のピアニストに言って貰う事は出来た。だって、余りに悔しくて腹が立ったから、二度とあんな演奏はしたくなかったから、死ぬ程頑張った。今度こそあのピアニストの前で、そのピアニストの力は一切介入無しに、次の勉強に繋がる演奏会を意地でもやってやると決めたから。そして、それは実現する事が出来た。
でも私は、二度とこんな「悔しい腹立たしい」気持ちで歌いたくない。もっと歌が好きで歌を愛する気持ちで大切に演奏会を歌いたい。そう思った。