今日は11時から谷岡先生のレッスンだった。ここの所夜勤が多く、ギリまで寝ていて遅刻寸前、谷岡先生のレッスンは1時間半に及んだ。9曲全部通すには時間もかかるが体力もかなり使う。谷岡先生も最低限度の指摘やチェックに押さえてくれているのが解るが、それでも通常レッスンに比べれば並大抵では無い。もうリサイタルも目前なので大分暗譜も出来て来て9曲の音楽が体に入って来た。そこで谷岡先生が一言笑顔で仰せの事、
『大分音楽も入って来たんだけど、あなたの事だから今回のリサイタルの目的は、9曲きちんと歌う事なんだとは思うのね。でも、きちんと歌えて来てはいるけど、きちんと歌えるようになったんだから次は曲の意味を表現しないといけないと思うの。多分あなたは曲の意味や内容はきちんと解っていると思うけど、ラブソングは愛を歌っているように聞こえないといけないし、悲しい歌は悲しく、楽しい歌は楽しく聞こえないといけない。あなたの場合、解っているはずなのにそのように聞こえない時がある。だから、次のレッスンの時にリサイタルの曲目紹介の原稿を書いて来て。今より成長したいと思うなら、そこを頑張らないといけないから』
と言われた。要するに表現を磨けという事だ。
当然の事だが、リサイタルをやるならただ楽譜通りにきちんと歌うだけでは不足に決まっている。自分の曲に対する解釈やその曲をどのように歌いたいのか明確な意思や方向性が見えなければ、聞き手に伝わらなければならない。ただ自分の声を聞かせるだけ、レッスンの成果を聞かせるだけではリサイタルの意味が無い。谷岡先生の言いたい事は良く理解出来た。自分自身痛い程認識している。それでも谷岡先生に指摘された事は、言われて心が痛かった。今の私はMAX状態だから。笑ってごまかすしかなかった。それでも「私にはそこまで出来ません、無理です」とは口が裂けても言えない。谷岡先生は、私に出来ると考えて言っているのだろうか、出来ない事は承知でダメもとで言っているのだろうか?どちらにせよ、本番直前までその努力は必然だ。可能でも不可能でもやらなければならない事には何等変わりが無い。ホントは自分的には、リサイタルの9曲の細かい表現に関してはウィーンでの課題にして欲しい旨を谷岡先生に以前からお願いしていたのだが、谷岡先生が一言、
『あなたは多分出来そうだから』
であっさり変更されてしまった。本来なら手放しで喜ぶべき評価なんだが、今の私には「十字架」である。