N先生は、
『確かに勉強してはいけない曲はありませんが、あなたはもっと小さくて美しい曲を沢山勉強して歌った方が良い。レオノーレを勉強するのは構わないが、勉強だけでコンサートは駄目です。』
はっきり言われた。私はウェーバー【魔弾の射手】のアガーテはどうか尋ねたら、
『勉強だけで、コンサートは駄目です』
N先生から同じ回答が返って来た。ここまで来たらもう後には引けなかった。私は最後と思いN先生に、自分はもともとワーグナーの勉強をしたいと考えていた、ワーグナーのオペラや楽劇は無理でもせめて歌曲【ヴェーゼンドンクの5つの歌】を勉強して歌いたいと考えているという事を話した。N先生は、
『Only study, concert No(勉強だけで、コンサートは駄目です)』
同じ答えが返って来た。
それ以降N先生に教えて頂いた事や指摘された事は余りはっきり覚えていない事が多い。何だか急に周りの世界が硝子越しに見える他人事のような気がしていた。仕方が無いな・・・とは思ったし、ショックといえばショックだったのだけれど、それでもまるで想定外の事でも無かったし。幾つかN先生が話された事を思い出すのには少し時間が掛かった。確か、非常に有名な世界的な歌手の話だった。
サザーランドは【トゥーランドット】の録音は残しているが実際に舞台で歌った事は無い事、録音技術の発展が大きい事、バルトリはかなり小さな声でテクニックに偏っていて声楽家というよりはパフォーマーに近い事、ベルガンサもかなり小さな声だった事など。私が何かの話題でジェシー・ノーマンが大好きである事を話したのだが、N先生からは、
『あなたはノーマンの声とは違うのだから、ノーマンが歌うような曲を歌うべきではない』
というような事を指摘されたのは覚えている。それ以外は、余り良く思い出せないでいる。
時間になったので、N先生が車でウィーン国際空港まで送って下さった。空港でワインを受け取ったのだが、輸送費用が200ユーロも掛かった。現金は\が殆どにしてしまったので、でもその時は英語もドイツ語も殆ど頭に入らず聞き取る事も出来ず、N先生に教えられた通りに何とか手続きした事を覚えている。ワインの輸送手続きにかなり時間が掛かってしまい、既に搭乗手続きは開始されていたので、N先生に何度も御礼を言ってお別れした。ロビーでかなり待ちながらN先生とお話した内容を何とか思い出そうとしたが殆ど集中出来なかった。何となく周りをボーッと眺めながら搭乗を待った。