シューベルト【こびと】を歌う事以外は考えていなかった。ではどうしたら良いのか。発想を逆にしてみた。ではN先生に『No!』
と言われた【こびと】を歌うとする。しかし一つだけ希望もある。B先生のレッスンで実際に【こびと】を歌ってある程度は認めて貰う事が出来た。恐らく、N先生から
『No!』
と言われたレオノーレやアガーテやワーグナーを歌う勉強を始める決心をするのであれば、このシューベルト【こびと】は避けて通る事は出来ないだろう。この曲だけなら何とか演奏会本番に乗せる事が出来る。N先生には私が歌った【こびと】は聴いて頂いていないがB先生には実際にレッスンを受けている。しかし、このシューベルト【こびと】を歌うならば他のドラマティックなシューベルト歌曲【若い尼僧】【全能】【無限】【解消】などを含めレオノーレやアガーテやワーグナーを勉強して行く事になるだろう。ただし重要な事は《例え演奏会本番で歌う事が出来なくても勉強する》という但し書きが付くのだ。勉強したい、諦めたくない。そして何より谷岡先生が、
『あなたが諦めたり棄ててしまう事は、私は違うと思う』
と言って下さった。他でもない私にウィーンでの勉強を勧めて下さった方なのだ。
誰かに何かを言われたから、では無いのだろう。私自身が7月の演奏会で【こびと】を歌いたいのだ。恐らく、レオノーレやアガーテやワーグナーを勉強する足掛かりとなるのはこのシューベルト【こびと】しか無いだろう。今私が演奏会本番で歌える曲は、この1曲しかない。
そう考えた時、本当に自分自身にM先生の【こびと】の評価は私が勉強を続ける決心に必要不可欠なのだろうか、疑問に思った。いや、必要不可欠なのではなく私がM先生に頼ってしまっただけの話なのだと思い知った。例え演奏会本番で歌う事が出来ない辛さや苦しみを乗り越えて勉強する覚悟を持たなければならない時に、甘え頼るなど言語道断である。
そう考えたら何だか少しふっ切れた。例えM先生からどんな評価が返って来ようとも自分自身が歌いたい気持ちは一つも変わらない、自分自身でさえ変える事が出来ない。それに他でもないM先生がウィーンで私に、
『そんなにやりたいならレオノーレでもアガーテでもワーグナーでも勉強して歌ってみなさいよ』と仰っしゃったのだ。今まで勉強する事を決める事が出来なかったのは、演奏会本番で歌う事が出来ない事に対する自分自身の弱さだったと改めて思い知らされた。