確かにミルヒー先生もイタリアで【椿姫】のセミナー&レッスンを受けているし、イタリアで《トスティ記念コンサート》に出演して歌っている経験者である。今でも十二分に可愛らしいとはお世辞にも言えない私の声なんだが、ウィーンで《リリック・ソプラノ》と指摘された現実とはかなりの落差がある気がするのは私だけだろうか。
私自身すっかり困惑してしまった。どちらが正しいかとかそういう問題では無い。少なくとも、イタリア歌曲&イタリアオペラにしろ、ドイツ歌曲&ドイツオペラにしろ、恐らくどちらも間違った方向性に進んでいる訳ではなさそうなのにも拘わらず、この乖離現象が私自身理解不能な状態である。ミルヒー先生のあのまるで先が見えているかのような、
『あなたはもっと太くて恐い声が出るはず』
発言は、私も恐い(笑)しかし、本当にミルヒーの言う通り、今よりもっともっと太くて恐い声を私が出す事が出来るのだろうか?何よりも、私自身ミルヒーが指摘するような《太くて恐い声》を持っているのだろうか?ウィーンから帰って来たばかりの私にはどう理解して良いのやらさっぱり理解不能なんだけれど、取り敢えずミルヒーの言う方向でクレオパトラが歌えるなら素晴らしい事だ。
ただ、ウィーンでリリック・ソプラノと評価された今、私自身ミルヒー先生が指摘するような声を本当に持っているのかどうか、本当に自信が無いし不安だ。それはそのまま、クレオパトラを歌う事への不安にも即繋がる。ウィーンから帰国したばかりの時には、イタリアオペラでさえ、もう少し軽目の声の役柄にシフトすべきなのではないのだろうか、と真剣に考えていた。そのウィーンからの帰国直後にミルヒーからのこの指摘は、かなり混乱を招くリスクも高い。イタリア系・ドイツ系とも発声も歌い方も分けているのだが、その現状が将来的にどのような結果を招くのか今の私には予測しがたい方向性になって来たような気がする。私自身、自分自身の声が段々と少しづつ解らなくなって来てしまったというか、どうして行くべきなのか。無論、自分自身で暗中模索・試行錯誤して行く以外方法は無いのだけれど、これ程の不安材料を抱える事になるとは正直考えてはいなかった所もある。
ちなみに、私が所有しているヘンデル【エジプトのジュリアス・シーザー】の録音でクレオパトラを歌っているのは、タチアナ・トロヤノスというメゾソプラノだ。ワーグナー【タンホイザー】でヴェーヌスを歌ったオペラ歌手である。