モーツァルトのツェルリーナ、スザンナ、パミーナは今はもう楽譜を開くのも嫌気がさしてしまう程になってしまった。逆に、ツェルリーナやスザンナやパミーナの勉強に力を使う位なら、ドンナ・エルヴィーラやコンテッサの勉強により力を注いだ方が余程有意義に思えてならない。先日購入したキャロル・ヴァネスがドンナ・エルヴィーラを歌っているモーツァルト歌劇【ドン・ジョバンニ】の映像を観ていて非常に痛感している。ツェルリーナやスザンナやパミーナの勉強を無期限先送りするならば、その代わりとして、演奏会では歌わないであろうがドンナ・アンナやフィオルディリージの勉強をしてみても良いのではないだろうか、と考えている。ウィーンのN先生の御指摘通り、勉強やレッスンだけで演奏会本番で歌わなければ良いだけである。その方が今の私の心理状態としては非常にストレスが少ない。モーツァルトのオペラのレパートリーに関しても希望が持てる。非常に逆説的だが仕方が無い。ウィーンでレパートリーになると勧められたツェルリーナやスザンナやパミーナは楽譜を開く事さえ躊躇われ、レパートリーにならないと指摘されたドンナ・アンナやフィオルデリージに希望が見える。皮肉なものである。
元々、日本とウィーンでのオペラのレパートリーに対する認識自体に多大な乖離が存在するのだから、私自身だけの責任や誤認では有り得ない。だからこそ開き直る事が出来る。
ただ、同じ《無いものねだり》でもワーグナーはかなり厳しい。今では、演奏会本番で歌うなどもっての他でレッスンは愚か練習する事すら考えられない。
もし、たった1曲でもワーグナーを歌う事が出来たならば、ツェルリーナでもスザンナでもパミーナでもどんなにか辛い勉強でもどんなにか厳しいレッスンでも、耐えられただろう。
そう考えると、早い所生まれ変わり直してワーグナーを歌える声になれたらなら、例え何度でも生まれ変わりたいと思うのに。
《無いものねだり》は良く無い。でも今はそう考えるだけで幾らでも涙が流れて止まらない。考えても悩んでも仕方が無い。今自分が持っている声、楽器で歌うしか他に方法は存在しないのである。声は楽器を交換するという訳にはいかない。我が儘と思う人がいるかも知れない。
でも熟慮してみるべきだ。ピアノならスタインウェイやベーゼンドルファー、ヴァイオリンならストラディバリやガダニーニで弾いて自分の理想の音を追求したいと考えるだろうに。声も同じなだけだ。