最近随分と長い間、喘息のお陰もあり後ろ向きな考え方で過ごして来た。「もうワーグナーは歌えない」「モーツァルトはウィーンと日本では評価が全然違う」「ドイツオペラのレオノーレもアガーテも歌えない」etc・・・。でも最近、とある事が契機となり少し考え方を変えてみようかな、と思い立った。契機となったのは、モーツァルトのオペラ【ドン・ジョバンニ】のDVDを観た事だった。ドンナ・アンナ:キャロライン・ジェームス、ドンナ・エルヴィーラ:キャロル・ヴァネス、ツェルリーナ:アンドレア・ロストの映像だった。
自分自身で納得出来ない曲や役は、レッスンだけ受けて演奏会本番で歌わなけりゃいいじゃないか!ウィーンの先生方から駄目だと判断された曲や役は勉強だけして演奏会本番で歌わなけりゃいいじゃないか!どうしても演奏会本番で歌いたい曲や役は、ウィーンの先生方が譲歩して許可をくれる位歌えるようになるまでトコトン勉強してみるしか無いんじゃないか!ようやくここまで開き直る事が出来て来た。要するに、先生方や他人からどんなに私の声に合っているとか聴いてみたいとか言われても自分自身納得していない又は歌いたくない理由があるなら、勉強やレッスンだけで演奏会では絶対歌わない。


その代わり、例えウィーンの先生方が、
『勉強だけで、演奏会はNO!』
と言われた曲や役でも自分自身これだけは歌ってみたいと思うものは自分で勉強して声を鍛えて曲や役の解釈を考え技術を磨き暗譜してとにかくレッスンしてもらう。諦めずに演奏会本番で歌う事を許可して貰えるまで何が何でも頑張って行く。そういうやり方も大アリなんだ!と自信が出て来た。だから今後演奏会本番で歌う曲に関して余り外部の意見なり雑音なりは考慮しない方向で行きたいと考えている。モーツァルトのレパートリー一つ取ってみても、私に御意見を下さった方々は例え悪意は無い素直な御意見だったにしろ、結局私自身が振り回されて混乱して歌えなくなりかけてしまった。振り回されたのは私自身が不甲斐ないからだけれど、だったら尚更頑固で聞く耳持たないくらいの根性で行ったっていいんじゃないか?と思った。ある方がブログで書いていらっしゃったのだが、
『持ってないものを数えて下を向いて生きるより、持っているものを輝かせて胸を張って生きる事』
と書かれていた。私が持っているのは《根性と努力》くらいのものだ。もう今後は誰に何を言われても、演奏会本番で歌わないと決めた曲は、歌いたくない。