電話はヤンクミからだった。私は映画を観た後落ち着いて考えられなくて渋谷で呑んでいた。その時早速ヤンクミから電話が来た。ただ単に私自身の勉強不足と言ってしまえばそれだけの事だろう。しかし、これから私が歌う予定のロベルト・シューマンの歌曲は全て宝石の如く美しく、眼の前のスクリーンに写っているロベルト・シューマンは麻薬中毒で狂って暴れもがき苦しみ治療の末死んで行く。私はただの努力凡人なので想像も付かない世界だが、モーツァルトも含めてこれが天才というものなのだろうか。映画を観てかなり体力的精神的に消耗が激しかった。かなり疲労困憊だったが、ヤンクミから電話を貰えて本当に多少なりとも正気を取り戻したカンジがした(苦笑)以前ヤンクミが私に、
『音大の頃はシューマンが嫌いだった。自分の最も嫌な部分を見せつけられているようでシューマンの曲は弾けなかった』と言っていた。ヤンクミの言葉を思い出した時、これはかなりシビアな問題で生易しい事では無いと実感した。例え映画であっても、それだけ大変な作品であったと思うし俳優も大変な実力派だったのだろう。だからこそ尚の事、あれだけ真に迫ったロベルト・シューマンであったのだろうと思う。
『音大の頃はシューマンが嫌いだった。自分の最も嫌な部分を見せつけられているようでシューマンの曲は弾けなかった』と言っていた。ヤンクミの言葉を思い出した時、これはかなりシビアな問題で生易しい事では無いと実感した。例え映画であっても、それだけ大変な作品であったと思うし俳優も大変な実力派だったのだろう。だからこそ尚の事、あれだけ真に迫ったロベルト・シューマンであったのだろうと思う。
電話でかなり冷静さを失くしていた私の話をヤンクミは非常に落ち着いて丁寧に話を聴いてくれた。とにかくパニック状態から早く落ち着くよう指摘された。本当に珍しくパニック状態だったのだろう。ロベルト・シューマンに関してはヤンクミの方が大先輩である。私自身、ロベルト・シューマンの歌曲は演奏会本番ではまだ1曲だけ、1度しか歌った事が無い。私が渋谷から自宅に帰る途中までヤンクミは長い時間丁寧に話してくれた。渋谷で映画を観た後にロベルト・シューマンの事を考えていたら呑んだ酒の味すら覚えていない。だからロベルトの音楽や人間に関して、ヤンクミになるべくメールをくれるようにお願い申し上げた。パニックになったとしてもメールなら残るのでヤンクミの大切な言葉を忘れないで済む。ヤンクミには徒然に思い付いた時にメールをお願いしたが、クラシック音楽を自らの魂をもって演奏するという事は、命懸けまたは命と引き換えなんだという事を改めて思い知らされた。
私自身、歌も命も歌曲もオペラもあれもこれも末永く誰を差し置いても永らえたいという欲張り飽食人間でなかったという事を心の底から感謝した。他人の事なぞ知りもしないが、私自身は歌う事だけを考えて生きたい。
私自身、歌も命も歌曲もオペラもあれもこれも末永く誰を差し置いても永らえたいという欲張り飽食人間でなかったという事を心の底から感謝した。他人の事なぞ知りもしないが、私自身は歌う事だけを考えて生きたい。
この映画でのシューマンの描かれ方は、彼の実像とは違うのではないかと思います。監督は伝記映画が嫌いと言っていたので、かなり脚色されて偏った描写になっていたのではないでしょうか。確かに晩年は精神の崩壊が進行しつつあったのは事実ですが、決定的に人間性を失うほど酷かった訳でなく、それは自殺未遂する頃からであって、それまではぎりぎり保っていたと思います。かなり不安定ではありましたが・・・
シューマンの人間的優しさ温かさ愛情、謙虚、純粋、無邪気、童心、子供好きで子煩悩、寡黙、頑固、熱血、虚脱、繊細、柔らかさ、鋭敏、強い使命感、等々彼の気質は多面的であって、映画の様に一面的ではないでしょう。歌曲を聴けば彼の性質が良くわかります。特に人間的温かさや童心は核だと思います。
若い頃は明朗活発な少年だったのに次第に寡黙を愛するほど物腰は静かになっていく。精神も不安定になっていき躁鬱を繰り返していく。その苦しみの中で自分の思いを曲に託して。しかし歌の年の歌曲は、幸福感の中で書かれています。