夜勤が終わって帰宅後、殆ど眠らずにMETのワーグナー「ニーベルングの指環」のワルキューレと神々の黄昏を観た。途中、眠さで何度か気絶していたが(苦笑)取り敢えずベーレンスのブリュンヒルデを久しぶりに観た。
涙が溢れた。止まらなかった。去年、草津国際音楽アカデミーでお会いしたベーレンスは白髪だったが、ブリュンヒルデを歌うベーレンスは茶色の髪で若々しかった。草津でのマスタークラスでは、ベーレンスは指導は行ったが歌わなかった。それでも、ベーレンスの指導は的確かつ明瞭で、ベーレンス御自身が知らないと思われた曲であっても丁寧に御指導されていた。穏やかな物腰でにこやかで、聴講に訪れていたのは私一人だけだったのだが、何度か笑いかけて下さったのが嬉しかった。言葉は交わしていないが、ベーレンスの指導を通訳していたピアニストの言葉を、なるべく漏らすことのないようにマスタークラスの講義中に、ずっとメモを取っていた。

私が残念な事は、ベーレンスのレッスンを受けられなかった事では無いのだ。昨日のブログにも書いたが、たった一日だけ、夜勤明けの疲労困憊の体を引き摺って長い時間電車を乗り継いで、ベーレンスのマスタークラスを聴講に行った事の真の意味や意義を、私自身いまだに理解・認識出来ていない事が腹立たしい。去年を逃していたら私がベーレンスに会う事は永久に不可能だった。
とても重要な意義の一つは、ベーレンスのマスタークラスのレッスンを聴講してウィーンでレッスンを受ける事を自分自身の意思で決定した事。もう一つは、ベーレンスのマスタークラスを受講していた生徒が、ヘンデルの「エジプトのジュリアス・シーザー」からクレオパトラのアリアを歌っていた事。クレオパトラのアリアの1曲「苛酷な運命に涙を流し」は既に私も勉強・レッスンして演奏会で歌った事のある曲だったのだが、もう1曲「敬愛する瞳よ」は、曲自体知らなかった。マスタークラスの受講生がレッスンでベーレンスの指導を受けているのを聴いて、不遜かも知れないが「私にもこの曲が歌えるんじゃないか?」と思い、東京に戻ってから早速録音を探した。結果、今年の12月のヘンデル没後250年リサイタルで歌う事に決定した。最初、早い段階でミルヒー先生に「敬愛する瞳よ」のアリアをレッスンに持って行った時にミルヒー先生から、
「随分難しいアリアだね。これ、本当に歌うの?」
と確認された位だった(笑)そして、この「敬愛する瞳よ」をレッスンしていてミルヒー先生が、
「あなたならクレオパトラらしいもっと怖い声で歌える筈。目指すなら、世界の基準を目標にしましょうよ」
と言われたアリアだった。
勿論、これだけでも十二分にベーレンスのマスタークラス聴講に草津まで出かけた意義は存在する。

ただ、私の疑問というか希望は、やはりワーグナーに関してなのである。
ベーレンスに直接会うという千載一隅の奇跡の意味の中に、ワーグナーは含まれていないのだろうか?

本当に今日は顔が腫れ上がるくらい泣きながらベーレンスのブリュンヒルデを観た。
まだ、ベーレンスのベートーベン「フィデリオ」とウェーバー「魔弾の射手」のCDが残っている。早く聴かないと(笑)それに、これから追悼盤や特集記事など多数出ると思うので、出来る限り観たり聴いたりしたいと考えている。

ヒルデガルド・ベーレンスのあの穏やかな風貌の一体何処から力強いブリュンヒルデが生まれたのだろうか、草津で本当に不思議な気持ちになった事が、今でも強く忘れる事が出来ないでいる。