晴れの日はANDANTE

私のライフワークである歌曲やオペラ、日々の練習やレッスンについて、気ままに綴っていきます。

声楽

渡る世間は、鬼だらけ。

今月、6日連続夜勤(3連続当直)×3クールという地獄の勤務がようやく終了。


しかも、その激務の真っただ中に、トンでも無い事態発生。
親父の借金問題が、ついに弁護士に依頼しなければならない事態に発展してしまった。
相談出来る人間なんか誰もいない。
自分自身のの迅速且つ適切な瞬時の判断能力で、今後が大きく左右されてしまう。
人間の欲とは、本当に、限りも終わりも無いらしい。
寒気がするし、反吐が出る。
人間嫌いになりそ〜だった。
ただ、ネットで探しまくった法律事務所の弁護士さんが、非常に良心的で誠実な方だった。
私の事情を長時間聴いて下さった上に、破格の弁護費用で依頼を受けて下さった。
捨てる神あれば、拾う神あり。
取り敢えず、もうこのウンザリするような自分の人生と世の中に未練のカケラも無いが、親父の借金問題がカタつくまでは何とか生きてるしか仕方が無いらしい。
無責任、自己中心的、欲の皮のつっぱった人間なんざ、大嫌いだ。
この借り、次生れて来た時に、み〜んな纏めて叩き返してやる!!!!!


そ〜ゆ〜ワケで、3連続当直の中休日も、スタジオ練習を行ったものの、全くと言っていい程練習にならなかった。
時間を無駄にしてしまった。
本当に本当に貴重な、練習時間を。
明後日には、ヤンクミとの、クレオパトラの初ピアノ合わせがあるのに。
演奏会本番までに、もう2ヵ月を切っている。
でも、もう焦ろうにも、焦る時間的余地すら無い。
だから、もうこれ以上無理しようにも出来ない。
今は、夜勤明けの日は、夜勤勤務終了後、出来る限り近くの日帰り温泉に出掛けて、とにかく身体的・精神的疲労を緩和出来るように努めている。

温泉のお陰で激務の割には体調不良を何とか免れ、これから新しく始める事のために、ようやく楽譜を購入しに行く事が出来た。
夜勤明けで本郷三丁目まで行くのは、遠かった・・・・・。
取り敢えず、まだ入手していない楽譜や録音に関しても、情報収集だけは出来た。
手元にある楽譜については、今コピーして楽譜を制作中。
録音も、なるべく時間のある時には、寝ながら睡眠学習を行っている。
明日から、本当に久しぶりの2連休。
久しぶりに、マトモに練習・勉強出来そうで、とっても嬉しい♪


考えてみると、自分は何だかんだ言いながらも、非常にエネルギー・ポテンシャルが飛びぬけて高いと思う。
私には、
「歌って、演奏して、燃え尽き症候群」
的な部分が、殆ど無い。
逆に、歌っていない時の方が多種多様な雑事に煩わされている事が多く、歌っている時・歌える時の方が、身体的にも精神的にも、問題が少なく余地がある状況である事が非常に多い。
よくもまあ、この状態で、新しい事に挑戦しようと思えるものだなと、つくづく自分自身を不思議に思う事もあるのだけれど。
でも、もし本当に自分自身がやらなければならない「使命」があるのだとしたら、きっとどのような困難があったとしても、必ず道は開けるものと確信している。


先日、同じ病棟の若い看護助手の女の子が、私の苦境を見かねてお守りを買って来て私にプレゼントしてくれた。
本当に、救われる思いがした。
今度何か美味しいスウィーツでもお礼に、同じ夜勤勤務の時に持って行ってあげようと思っている(笑)

本当に、久し振りに、パソコンを開く気にもならん日々が続いた。
でも、その方が良い時もあるな、と実感した。


さて、勉強勉強♪



リミット

昨日の夜、余りの疲労の限界と精神的ストレスから、プロデューサーに電話した。
泣きながら、電話した。
もう、これ以上の勉強を続けるのは無理なのではないか、と。
楽譜もCDも買いに行く体力も無い、時間が無駄に過ぎて行ってしまうのが、悔しくて悔しくて仕方が無い、と。
今以上の事は、自分にはもう何もかもが無理なのではないか、と。
プロデューサーは随分驚いていたのだが、

「明日来なさいよ。話しようよ」

と言って下さったので、泣きながらも少し気持ちが落ち着いたので、電話を終わった。
取り敢えずスタジオもレンタルしてしまったので練習を休む訳にもいかず、いつもの通り、しこたま睡眠薬を飲んで眠ろうと努力したが、やはりいつもの勤務時間の午前2時〜5時は、眠る事が出来なかった。


今日は午後1時まで寝て、午後2時にギャラリーカフェに行き、¥2000分の新しい楽譜のコピーの製本を行った。
プロデューサーに、午後4時からのスタジオ練習の後、午後7時過ぎにもう一度来店する事を伝えて、スタジオへ向かった。
6月のヤンクミ一座の演奏会のクレオパトラのアリア5曲の練習の他に、9月に予定しているウィーンでのレッスンに持って行く曲、今年12月のシューマンのリサイタル11曲、どれも殆ど中途半端な状態。それもこれも、親父の病気のお陰様で夜勤生活の不眠と疲労の賜物。だからと言って自分自身やると決めた以上は、何とか間に合うように調整していかなければならない。

まず、ウィーンのレッスンに持って行く曲を変更した。
ベートーベンのイタリア語のテキストの歌曲2曲は、中止。その代わり、以前レッスンを受けた事があったり演奏会本番に乗せた事のあるモーツァルトの歌曲を幾つか手直し練習する事に決めた。
その他には、今年12月リサイタル予定のシューマンの歌曲を幾つかウィーンでレッスンして頂く可能性も考慮する事とした。
これは、先日、谷岡先生と一緒に決定した重要事項に大きく由来する。


今日はまず、ヤンクミ一座で歌うクレオパトラのアリア5曲の練習から開始。
久しぶりのクレオパトラのアリアで、前回のミルヒー先生のレッスンで、すっかり体の重心のポジションが上がり気味になってしまっていたので、新しく歌うアリア1曲を最初から母音のみで発声練習からやり直した。前回のミルヒー先生のレッスンからは既に6日も経過してしまっているのだが、やはり、今迄積み重ねて来たものの蓄積があるのだろうか、身体的疲労のためかかなり発声は硬く細く響きがちだったが、体の重心の下と頭の上のポジションの感覚は意外にすぐに戻す事が出来た。非常に疲れているので、どちらかというと声を出してしまい気味だったが喉が疲れる事も痛む事も無く、程々に休憩しながらクレオパトラのアリアを練習する事が出来た。しかし、やはり最も難しかったのが「Se, pieta」のレチタティーヴォ部分。特に最初から中間にかけてのフォルテのバランスが悪かった。後半のピアニッシモは、パミーナの練習の影響もあってか非常に良いカンジに歌えていたと思われるのだが、今後の大きな課題である。

クレオパトラを一通り練習した後は、今年12月にリサイタル予定のシューマンの歌曲を4曲練習した。何故4曲かというと、時間が無かったから。
ドイツリートは、イタリアオペラ程の力強さやら声量は不必要なので、取り敢えずテンポとブレスの再確認を時間ギリまで行い、3時間のスタジオ練習を終えた。


スタジオ練習が終了してからその足で、ギャラリーカフェに向かった。
到着するとすぐに社長がプロデューサーを呼んで下さった。
珈琲を飲みながら、プロデューサーが一言、切り出した。

「親父さんの事も大変で、夜勤も多くて、普通の人よりも何倍も大変な事をやっているんだよ。でも、自分でやると決めた事だから、我慢するしか無いし、乗り越えるしか無いよ。多分、自分でもそれを承知で新しい事を始めようと思ったんでしょう。あなた位頑張って勉強するから、Y先生もピアノ伴奏してくださるんだし。確かに、今迄がギリギリの状態で歌って来たんだと思う。そこで新しい事を始めようとして、体が悲鳴を挙げたんじゃないの?もう少し、自分の体を労わってあげなきゃ。自分の心だけでなく、自分の体にも頑張った御褒美をあげないと、それでなくてももう若くないんだから、体が悲鳴を挙げても仕方が無いよ」

と、指摘された。
流石、芸術家であるプロデューサー。仰る通り。
今迄の勉強だって練習だってレッスンだって、演奏会本番だって、いつも自分ではMAXのギリ状態でいつも挑んで来たと思う。そして今回新たに始める勉強は、今迄の何倍もの勉強と練習を追加しなければならない事なのである。
しかも、親父のために、夜勤専門勤務。
これでは、体も悲鳴を挙げても当然だろうよ。
私は、プロデューサーに言った。

「今の事もこれからの事も、自分には出来る、という事は判っている。でも、体が動かない」

私の言葉を聞いたプロデューサーが、一言アドバイスしてくれた。

「銭湯か、近場の温泉に行っておいで。ど〜せ丸一日何もしないで休めって言ったって、あなたは無理でしょ?だったら、何にも持たないで広〜い御風呂に一人っきりでどっぷり浸かっていると、頭の中の沢山の考えなきゃならない事は、風呂入って帰った後にしようって思えるから。私もね、年に2〜3回そうするのよ。良く眠れるし、疲れも取れるわよ。家の風呂じゃ駄目なのよね。広〜いお風呂じゃなきゃね。お酒のんで、友達と騒いで、音楽で進歩して心に御褒美が幾らあったとしても、ちゃんと体にも御褒美あげないと駄目だよ。ちゃんと休んで自分の体を労わってあげなかったから、今回体が悲鳴を挙げたんだよ。一日とは言わないから、半日でもちゃんと自分の体にも御褒美あげないとね。自分の体に、今迄ゴメンなさいねって言いながらお風呂に浸かるとね、自分の体が本当に喜んでくれるのが判るわよ!!!兎に角、今の状況でどうしたら自分のやりたい事が出来るのか、可能なのか、対処していいく事しか無いのよね」

ああ、そうか、そういう事なのか、と妙に納得した。
そうだよな、もう大して若くも無いし。
去年親父が脳出血でぶっ倒れてから、ほぼ休んでいない。疲労困憊で練習出来ない事はあったけど。
自宅にいる時は、CDでもDVDでも、ほぼかけっ放しだし。
超人的なスケジュールで仕事してるし。普通、やらねえぇよな、6日連続夜勤、3当直。
しかも、秒等での業務は、病棟課長&病棟主任代理、リーダー業務、新人教育、事故防止委員会、そしてお腹一杯ごっそ〜さんの、連続夜勤。

例え、決して、それでも、どんな事があっても、休日は、絶対に練習やレッスンを休みたくない。
喘息発作を起こしていない限りは、何が何でも練習する。これは絶対に変えないし、譲らない。
演奏会本番の舞台の上で、練習不足を後悔するような、無様で恥ずかしい惨めな真似だけは、絶対に死んでもしたくない。

とゆ〜事で、明後日の夜勤明けで、近所の温泉に行く事にした。
効果は、後日プロデューサーに報告するという事になった(笑)


新しい、大きな事を始めるって、ホントに大変だわ。

苛酷な運命に涙を流し

本日、今月の6日連続夜勤(3連続当直)の1クール終了。
途中、夜勤中2日目の朝4時、仕事中に喘息発作勃発、多量の内服と規定量の3〜4倍の吸入薬を使用したため仕事中の副作用が激しかった。帰宅してからは、ステロイド剤の副作用で夜勤明けにも拘わらず、全く眠る事が出来なかった。

6日連続夜勤の合間に、せめて楽譜くらいは買いに行きたいと考えていた。
谷岡先生と決定した新しい重要事項の開始のために、山ほどの楽譜とCDを購入しに行かなければならない。今現在所有している楽譜のコピー代金、自分用と先生用の楽譜のコピーだけで¥2000を超えた。
これでもまだ、今後私が購入し揃えなければならない楽譜の1/3程しか無い。これから、この¥2000以上かかったコピー楽譜をきちんと製本して先生方にお渡しして、自分の楽譜はこれからは外国語辞書との格闘になる。楽譜もCDも、買いに出掛けられる時間も体力も精神力も、無い。

もう6日も声を出していない。今月25日には、ヤンクミとクレオパトラの初合わせがあるというのに。今月は看護師不足で、6日間連続夜勤が後3クールあり、しかも今月8日間の休日が1日減らされている。満足な練習も全く出来ていない。辛うじて、せんねん灸で、風邪だけはひかずに堪えているカンジ。

先月末に、脳出血で倒れた親父が青森市内の老人保健施設に転院した。転院の手続きやら事後処理で、夜勤明けで帰宅すると、連日連日、容赦無く電話が掛かって来る。
夜勤勤務は、相変わらず手術続き。先月の支払いにも、余りの疲労でまだ銀行に行けていない。
今月は、親父の年金が入金される月なので、日本橋の銀行を梯子しにまた夜勤明けで日本橋まで行かなければならない。それでなくても今月は休日が減らされている。貴重な休日は、全てスタジオ練習に充てなければならない。
明日は、昼頃起きられたら、ギャラリーカフェで楽譜作りをしてから、夕方3時間のスタジオ練習に出掛ける。この6日連続夜勤で、声が出るだろうか。
クレオパトラの練習が、出来るだろうか。

もう、本当に自分はこれ以上音楽の勉強を続けて行けるのだろうか、本当に苦しくて悲しくて仕方が無い。
いっその事、さっさと自殺でもしてしまった方が、余程楽なのではないかと呆れている。自殺なんて、超カンタン♪♪♪何せ、私はその道のプロだしいぃ、他人には教えないけど自分ではいつでも実行可能♪♪♪
どうせ、絶対に、今の私の苦しみを理解出来るような御大層な状況の「他人」なんか、存在しない。
しかも、これらを総て私一人の力で乗り切り、対処し、解決していかなければならない。
誰も助けてくれない。
私を助けられる人間なんざ、存在し無い。
無いものをアテにする程、そこまで愚かでは無い。

何だか、本当に疲れ果ててしまった。
クレオパトラですら「苛酷な運命に涙を流し」とヘンデルが作ってくれた歌を歌っているのだから、私だって少し位涙を流したって、別に構わないだろう。

人生、お気楽で能天気な人間には、この私のブログ、見て貰いたくない。
至極、非常に、反吐が出る程、不愉快だ。

久しぶりのレッスン

昨日は、約3ヵ月振りのミルヒー先生のレッスン。
昼12時に目覚ましを2つ掛けて、ようやく午後2時起床、スタバで2時間ウィーナーリートの楽譜を仕上げてから、18:30に都内スタジオに向かった。

ミルヒー先生に、去年12月のヘンデルのリサイタルを簡単に報告、親父の状況を簡単に報告。
レッスンに入って、発声は悪く無いと言われた。

まず、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリアのレッスンから。
重心と下のポジションが上がり過ぎていると指摘された。母音のみでメロディを歌い、修正。

次に、モーツァルト「コジ・ファン・トゥッティ」フィオルデリージのアリアのレッスン。
ミルヒー先生は御自身の楽譜をお持ちになったのだが、私がレチタティーヴォから勉強して来たと話すと、かなり驚かれていた。
私が一通りレチタティーヴォを歌って見たら、

「レチタティーヴォ、あった方が格好いいわね!!!」

との事(笑)早速アリアのレッスンに入ったら、やはり重心をもっと低く取る事と、ポジションをもっと下げるように指摘された。
私が最も神経質に練習した、アリアの後半部分のアジリダの部分は、一切修正されなくって、何だかちょっとビックリした(笑)

取り敢えず、フィオルデリージのアリアは「イケるわよ!!!」と評価されたので、取り敢えず演奏会本番で歌う予定は無いが、勉強は続けて行けそうだ。
今月25日には、ヤンクミとのクレオパトラ初合わせもあるので、今月のレッスンはもう無い。後は、6日連続夜勤が今月3回あるので、もう自己練習しか出来ない。



それと、先日、谷岡先生と決定した重要事項を実行開始する事になったので、今は一日48時間あっても間に合わない位、もっともっと時間が幾らあっても足りない位に、非常に忙しい。
くだらない事には、構っていられない。



多忙と激務

日勤と夜勤で連続勤務で疲れて、朝が起きられない。特に昨日もまた、夜勤への申し送りが終了した直後に急変患者が出た。内科の看護師だったのだが、まだ2年目の看護師では夜勤の看護は無理、という事で、整形外科と内科を併用で夜勤中看護しなければならなかった。夕方に、血圧60〜70台、意識レベルjは反応無し。流石にゲンナリした。
まともに休憩も取らず看護の甲斐あってか、急変患者さんは、夜中過ぎには意識を少しだけ回復し、血圧は非常に低かったのだが、どうにか日勤者に申し送りをして、夜勤を終える事が出来た。


新年度で人員の大幅な不足のため、病棟課長が4月のシフト表を作成し終えたのが3月29日(爆死)
夜勤の仕事の合間にミルヒーレッスンにメールを送り、何とか御都合を付けてくださったミルヒー先生から、2日にレッスンを受けられる事となった。本当に去年の年末のヘンデルのリサイタルから数えて、すでに3ヵ月以上も経過している。このような状況でも、レッスンを受けてくださるミルヒー先生には、どのような言葉であっても感謝は言い尽くせない位である。


今日は、昨日の夕方急変重症患者の熱や血圧や脈や酸素や尿量や・・・・・兎に角1時間おきに測定していたので、その重度の疲労もあり、午後2時起床。
スタジオは、今日は遅い時間しか取れなかったので、夜8時〜11時にスタジオ練習。
体中が痛い。特に、背中全体。いい加減、せんねん灸も効果が薄れて来たのか???それでも何とか無理やり起床して、楽譜と辞書を持ってギャラリーカフェに行くと、何と「臨時休業」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(激鬱)
取り敢えず、隣の駅のスタバで大好きなチャイ・ティー・ラテを呑みながら、ウィーン歌曲の楽譜作りに精を出す。あとちょっとで、去年のウィーンのB先生から私の声に合わせて選んで下さって、是非日本でウィーン歌曲を歌って欲しいと託された楽譜、もう半年近く経過してようやく出来上がりかけている。
別に、怠けていたワケでも無いんだけれどな。こういう状況が長く続く事は、非常に辛いし、心が痛む。


今日は、スタジオで明日ミルヒー先生からレッスンを受けさせて頂く予定のモーツァルト歌劇「コジ・ファン・トゥッティ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」とヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ最初のアリア「Non, disperar」を重点的に練習した。

当然、不完全。仕方が無い。練習に充てる時間が圧倒的に減っている上に、練習に使う体力は悲惨な程激減している。
ここで私のやらなければいけない事とは、
「自分が出来る事を精一杯、決して手を抜いたり気を抜いたりしないで、精一杯歌う事」
だけ。だから、今日も本当にその通りの練習をおこなった。
フィオレデリージは、まだまだ追いつかない。楽譜に付いて行くのが精一杯。3点Cは音は当たっているが、雑だし確率も良く無い。音域が1オクターブ以上開いた音を歌わなければならない場合、低音がどうしてブレてしまう。体の使い方が良く無いのか、上下どちらかのポジションが低いのか、頭部内部〜上顎〜下顎の開き方がまだまだ不足しているのか、その調整を明日のミルヒー先生とのレッスンで確実に行わなければならない。
クレオパトラのアリアは、流れと自分自身が歌いたいという方向性や指向性もあるものの、やはり重度の疲労のせいか歌唱の安定感に乏しい場合が多い。それに、これも疲労のため体の動きが悪くブレスが浅くなりがちなのだろう、おもったよりもブレスが続かない。
特に、クレオパトラのアリアに関しては、今年6月にヤンクミ一座との演奏会がある。しかも、ヤンクミとのクレオパトラの初ピアノ合わせが、今月末に決まった。
それまでには、もっともっとクレオパトラの完成度を上げなければならない。
クレオパトラのアリアは、歌唱の流れ的には大方掴みかけてはいるのだが、やはりバロック・オペラの丁寧さや軽やかさや、クレオパトラがトロメーオを小馬鹿にした尊大で明るい表情が、中々出せないでいる。

まあ、当然か・・・・・・・・・・(爆死)

特に今月から、6日間連続夜勤が3クールもある。
恐らく、ヤンクミとの初ピアノ合わせまでミルヒー先生とレッスンするのは明日しかない。
無論、9月のウィーンでのレッスン曲、12月のシューマン・リサイタル曲11曲、全て平均して練習・勉強・レッスンに
取り組んで行かなければならない。



しかも、先日バッハとパミーナを歌った演奏会直前のレッスンで、谷岡先生と長時間話し合い非常に重要な事を、私と谷岡先生の二人で決めた。本当に新しい私自身の、これからの本当に本当にとってもとっても高い、私自身だけの新たな目標。
演奏会直前であるにも拘わらず、谷岡先生に多くのお時間を費やさせてしまった、私の今後の大いなる課題。
そして、これから今の何倍も勉強して練習してレッスンして行かなければならない。
他人の事になんか、構っている余地は、もう今の私には、微塵も存在しない。
下らない、私の人生にとって大切であると思われる以外の余計な煩わしい人間関係は、大幅に削減して行く必要性がより高くなった。
自分自身に十分な時間とエネルギーを使うという事は、即ちそういう事である。
これからの、私の余りにも大きすぎる課題と目標に立ち向かい、努力、勉強、精進、歌い続けて行くために、より少ない私の持てる時間を、最大限有効に、最小限の労力で、頑張って行かなければならない。


最近は、余りにも疲労が強い時には、パソコンを開く事さえ億劫になる。
でも、きちんと自分の勉強・練習・レッスンの記録だけは、残して行かなければならい。それが私のブログの大切な目的だから。

では、明日のレッスンに備えて、寝る。

厳しい現実

休日に、午前中に起きられる事は有り得ない。大体にして、夜中眠れない。無理やり夜眠るために結構沢山薬を飲んではいるのだが、ほぼ毎日起きて仕事をしている時間に眠れる筈も無いんだよな、これが(鬱)

今日は、演奏会本番のために纏めて取った休日のツケで連続夜勤の中休み。
4月、5月の勤務なんか、もっともっとヒドい。新年度で退職者がいるのと新人が入職してくるので、夜勤勤務者が大幅不足しているので、私は6日間連続夜勤とゆ〜労働基準法ってなあぁにいいいいいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜・・・・・?????と絶叫したくなるシフトが数回組まれていた。しかも、日勤の人数が少なくリーダー業務が出来ないスタッフばかりの日は、日勤としても駆り出され・・・・・(滝涙)
親父の借金さえ無けりゃあ、こんな悲惨な状況なんざ、今頃ある筈も無かったのに。
もう、いい加減文句言うのも飽きて来たわ(超呆)

午後2時起床。
今の私の体調では午前中に起床は不可能なので、レッスン及びスタジオ練習は全て午後〜夜間。今日も午後6時〜9時にスタジオ練習。スタジオに行く前にギャラリーカフェに寄って、ウィーン歌曲の楽譜作りを行った。ようやく2曲目の途中まで仕上がった。今月中には3曲とも完成させたい。
所が、今日はギャラリーカフェの絵画教室が開かれていてちょっと場違いな時間に伺ってしまったらしく、凹んだ(自爆)
それでも社長の御厚意で、何とか楽譜作りを途中まで行い、スタジオ練習に向かった。


兎に角今日は、メッチャ寒い。をい、もうすぐ4月なんだけど(怒)今日のスタジオは近所なので多少楽チン♪
もう、バッハとパミーナの演奏会本番は終了したので、これからはヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲をメインに練習&レッスンして行く。
しかし、1曲だけミルヒー先生から出されている課題曲がある。モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」である。
本日のスタジオ練習は、クレオパトラのアリア「Non, disperar」と、フィオルデリージのアリア「Come scoglio」の2曲。たった2曲に、3時間の練習(笑)曲数が少ないのは嬉しい事なんだけど、何しろ、フィオルデリージのアリアは、至極半端でない超難曲なので、余程時間をかけて歌い込まなくてはならない。

まず、フォイオルデリージの「Come scoglio」に、2時間。レチタティーヴォに1時間、アリアに1時間。
先日から少しづつ音取りはしているので、今日は短いフレーズを細かく発声とイタリア語を丁寧に時間を掛けて行く。流石に、モーツァルトが嫌いなソプラノに書いたアリアだという定説がある程、本当に激しい難易度のアリア(爆死)
まず、レチタティーヴォの台詞の長い事・・・・・(汗)イタリア語を話せない自分には、無論当然の苦労なんであるが、それでも既にレチタティーヴォだけでも非常に凹む。兎に角、喋らなければならない、しかし、モーツァルトの旋律に即して、怒り、拒絶、侮辱、決意、愛情を、ぜえぇ〜〜〜〜〜んぶ、歌えないとイケないんですねえぇ。だっからモーツァルト、超苦手なんだっての!!!
しかも、レチタティーヴォから既に、1オクターブ以上も音域が動くフレーズが出て来る。これに、ほぼ1時間はゆうに練習時間が必要だ。マジで、早口でイタリア語を喋る事に慣れるだけでも疲労困憊モノ。

後半の1時間は、アリア(爆死)もう最初の出だしのフレーズから、殺人的古典伝統芸術♪♪♪
アリアの楽譜を観ていて思いついた事が、音符のバンジージャンプ(真面目)しかも、所々にアジリダは出て来るし、最高音は3点Cだし。あははははははははははははははははは。こんな時こそ、いっその事「アル中ハイマー」になってしまいたい気持ち的に意気込み満載〜♪
取り敢えず、ワンフレーズづつ丁寧に歌い込んで行く。重要ポイントは、発声、体の開き方、重心の取り方、1オクターブ以上音符が飛ぶ時の上と下のポジショニングを探す事、そしてアジリダの発声方法。これらをきっちり丁寧に一つ一つ確認しながら歌っていたら、ほぼ1時間声出しっ放し。
流石に声帯に疲労感が強くなってしまった。決して喉に力を入れた発声は絶対に出来ない。
幾ら私がアマチュアにしては声帯が強い方だと言ったとしても、喉を、本当に潰しかねない。
アジリダの音程は、不揃い。音域の高低が飛ぶ部分は、低音域の音程がブレる。ちなみにこのフィオルデリージのアリアには、5線の下の音域がバンバン出て来る。最も低い音が、5線の下のA・・・・・(滝汗)
今日は、1フレーズ細切れに歌いながら、発声とポジショニングの確認で練習終了。
最後には、特に重心の掛かる左膝関節が、痛い・・・・・・・・・・。

残りの1時間で、クレオパトラのアリア「Non, disperar」を練習した。クレオパトラのアリア8曲のうち5曲はリサイタル本番に乗せたので、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラへの理解や認識も随分自分自身の中で深く思索出来るようになっているし、何よりもクレオパトラに対する役柄やキャラクターの解釈、特に私独自の解釈も考えられて来ている。だからこのクレオパトラのアリアに関しては、確実で正確な音取りと、強弱のバランス、アジリダの歌い方という課題が既に御約束なので、そこに集中して練習を行った。去年のヘンデルのリサイタルで歌ったアリアとの違いが、やはりクレオパトラの一番最初のアリアで、弟であり夫であるトロメーオを小馬鹿にしているアリアという性格上、もう少し軽めに歌いたいと考えている。特に前半の部分とダ・カーポで装飾音を入れる時。
だが、これは飽くまでも、ミルヒー先生との御相談になってしまうので、レッスンを受けてみないと分からない。ただ今日の練習は、久しぶりのクレオパトラの練習という事もあり、多少力がはいっちゃったかなあぁ・・・というカンジ。ちょっち反省(凹)


今日、久しぶりにミルヒー先生系の練習をがっつりしてみて、改めて考えた事が幾つかあった。
まず、モーツァルト「コジ・ファン・トゥッティ」のフィオルデリージは、明らかにドラマティコやヘルデンに近いソプラノの役である。私自身、決して細い声では無く、ブレスも長く、体格も日本人にしては小さくは無い。だから、日本人の感覚として日本という限定された範囲の中で、ミルヒー先生が私に「Come, scoglio」を勉強するよう勧めてくださった事は大変光栄で大変嬉しく大変有難い事なのである。
第一、ウィーンのN先生は、

「あなたはリリック・ソプラノである。フィオルデリージはドラマティック、ドラべッラはメゾソプラノ、デスピーナはスーブレッド、貴方が歌う役は、ありません」

と、ハッキリバッサリ言われたんだよなあぁ(爆死)
それでも、ミルヒー先生が是非にと勧めてくれたので、私もウィーンから論外との釘を刺されたので、嬉しくて頑張って勉強して歌えるようになりたい、フィオルデリージを歌う機会は今しか無い!!!!!と思い、気張って練習してみたものの、ウィーンのN先生の仰った言葉の意味が、歌って練習してみて初めて、思い知らされたとゆ〜か、改めて自分の声質に於けるレパートリーというものを考えさせられた。
この「Come, scoglio」相当に慎重に歌わないと非常に大きく声帯に負担がかかる。喉を痛めてしまうだろう。
きちんとアリアとして形になるまで、勉強も練習もレッスンも行うが、演奏会本番で歌う事は今の所、全く考えていない。
ウィーンのN先生の仰った事は正しい。N先生の仰った通り、フィオルデリージは、ドラマティック・ソプラノが歌う役である。非常に厳しい現実がそこに存在するという事を、改めて思い知らされた。

さて、日本に本当にドラマティック・ソプラノが、果たしてどれ位存在するのだろうか。

実に楽しいですねえぇ♪
今度から、日本で上演される「コジ・ファン・トゥッティ」のキャスト検索作業でも初めてみようかなあぁ(核爆)

帰宅してから、モンセラ・カバリエの、コヴェント・ガーデン、コリン・デイビスの「コジ・ファン・トゥッティ」を聴いております。はい(笑)


明日は珍しく日勤・病棟課長代理・リーダー業務なので、流石にもう、寝る。

忙殺

この時期、季節の変わり目は、非常に喘息の状態が宜しく無い。


演奏会2日前、青森の親父が急遽、老人保健施設への転院が決まり、札幌の妹が青森へ駆け付けた。私は、演奏会の為に苦労して確保した休日だったが、スタジオ練習やレッスンは全て夜に回し、日中はギャラリーカフェで楽譜を作りながら親父の転院に付き添った妹の連絡待ちのため、常時スタンバイしていなければならなかった。転院の手順や段取り、必要書類や手続き、お役所関連の書類申請など、全て私が指示・確認しなければ事が運ばないからだ。演奏会直前の連続夜勤の後に、妹の電話で午前中に起きたが、体が動くまでに相当時間が掛かった。午後2時頃には何とか転院手続きは無事終了し、新しい転院先の老人保健施設の情報と、必要書類を受け取って夜の寝台で妹は札幌に帰った。

私は、妹が無事手続き等を完了した事を確認した後にようやくスタジオで2時間練習した後、夜7時過ぎから、演奏会直前の谷岡先生のレッスンへ向かった。非常に疲れていた。身体的にも勿論疲労が激しかったが、親父の転院騒動で精神的疲労が激しく、スタジオ練習でも声の響きが重かった。無論、無理に声を出すような事はしなかったが、演奏会直前練習に手を抜いたり気を抜いたりするような真似は絶対にしない。
スタジオ練習は、演奏会用のバッハとパミーナの他に、今年ウィーンのB先生のレッスンに持って行く予定のシューベルト歌曲を少し練習した。練習した曲数は少なかったが、声は多少しっかり出して行った。禁酒期間という事もあり、疲労のリスクを考えてもきちんと声を出しておく必要があると考えたからだ。
基本、ドイツリートを歌うのに、パミーナのアリアと同じ発声で歌えば、声帯への負荷は極力抑制出来る。

スタジオ練習後、谷岡先生のレッスン。
まずは、レッスン以外の話しを多くしなければならなかった。無論、親父の話しなどでは無い。
約30分以上、谷岡先生と非常に重要な話し合いを行ってから、レッスン開始。
谷岡先生に、ハリセン先生の御帰宅時間を恐る恐る尋ねたら、谷岡先生が、

「大丈夫、大丈夫。夜10時頃じゃないと帰って来ないから♪」

・・・・・・・・・。流石に苦笑。早速パミーナのレッスンを行った。声は出無いワケでは無かったが疲労のせいか体が重く、音楽の流れが停滞しがちで前に進んで行かない。最悪同じような体調で演奏会本番を迎えなければならない可能性も高かったので歌って慣れるしか無い。谷岡先生から、パミーナのアリアに関しては、どの個所でカンニングブレスを取るのかをきっちり再確認しておくようにとのアドバイスを受けた。シューベルト「子守唄」も同様で、声はまずまず響くが音楽の流れそのものが停滞しがちのため、ブレスが持たない状況が続いた。シューベルト「ミニヨン」をレッスンし始めた位から、ようやく声の響きに音楽の流れが付いて行くようになった。基本的に、シューベルト「子守唄」「ミニヨン」は私の声質にも良く合っていると谷岡先生が御判断されたのだが、私が予定しているウィーンのB先生のレッスンに持って行く曲の他に、シューベルト「ロザムンデ」「至福」も勉強してウィーンに持って行く事が望ましい、と指摘された。「ロザムンデ」は既にB先生から宿題として挙げられている。勉強していく曲が芋蔓式に増えて行くが、仕方が無い。
最後に、ウィーン歌曲を1曲サラっとレッスンして帰宅した。
自宅に到着したのは、午後10時を過ぎていた。帰宅して全身せんねん灸、速効寝た。


演奏会前日、スタジオ予約がなかなか取れず、本当は昼にスタジオ練習して夜はゆっくり休養したかったのだが、それが出来なかった。
まず、朝イチでクリニック定期受診、喘息治療薬の処方を貰いに行ったら、気管分岐部に若干の雑音が聴こえるとドクターに指摘され、結局内服を増やす事となった。
クリニック受診後、すぐに美容院でカット&カラー。カラーをしている最中に、爆睡。
美容院でカット&カラーが終了してからスタジオ練習まで3時間しか時間が無かったので、ギャラリーカフェで楽譜作りをしてからスタジオに向かった。ウィーンのB先生から去年送って頂いたウィーン歌曲の楽譜作りが相当遅れている。ようやく2曲目の楽譜作りに取りかかる事が出来たが、ギャラリーカフェでも疲労困憊で30分程、爆睡。携帯電話の目覚ましで起きて、急いでスタジオに向かった。

先日、アマゾンで購入したモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のマゼール指揮パリ・オペラ座のビデオが届いた。キリ・テ・カナワがドンナ・エルヴィーラを歌っているので購入した。映像はオペラ映画仕様だったのだが、きちんと歌手が演技してのキャスティングだったので、十分だと思った。特にキリ・テ・カナワのドンナ・エルヴィーラは非常に美しかった!!!!!勿論、声が。
谷岡先生からも、

「パミーナを歌っているその綺麗な同じラインでドンナ・エルヴィーラを歌わないとね。勢いで歌わないようにしないとね」

と指摘されていたので、キリ・テ・カナワは非常に良い教材になると思い、演奏会前日だったがまず最初にドンナ・エルヴィーラ登場のアリアを約20分程練習してみた。流石に、キリ・テ・カナワをイメージしながら極力パミーナを歌う時の発声を心掛けて歌うと、以前谷岡先生にレッスンを受けていた時のドンナ・エルヴィーラの歌い方と全く違う自分自身の「ドンナ・エルヴィーラ」が出来て来た。パミーナのアリアで身に付けた発声を維持するためにも、今後はドンナ・エルヴィーラの練習も積極的に行っていかなければならない。無論、ドンナ・エルヴィーラもウィーンのN先生のレッスンに持って行かなければならない。
最後、約30分バッハの練習、約1時間パミーナの練習を行い、帰宅。
非常に疲れていたが、演奏会本番直前リハーサルは実際に歌う時間の約2時間も前。当日、十分に発声練習出来る時間が確保出来るかどうか非常に微妙だったので、多少の声帯疲労は覚悟の上でかなりきっちりしっかり練習した。
帰りにスーパーに寄って買い物をした。演奏会本番前日は肉を食べるよう先生から勧められていたが、この日ばかりは肉売り場に行っただけで、胃がもたれるような感じがしたので、今回はシーフード。
やはり帰宅は夜9時過ぎ。自宅に着いて夕食を作って食べた後に、いつものように全身せんねん灸尽くしだったのだが、足の指にチアノーゼが出ていたので急遽長時間の入浴に切り替えた。
入浴後、何か気持ちが休まる音楽でも聴こうかな?と考えたけれど、折角今のバッハとパミーナのイメージを崩したく無いので、音楽を聴くのは止めにした。
代わりに、真央ちゃんのスケートを見る事にした。全日本選手権の時の真央ちゃんのショートプログラムとフリーのスケーティングを観た。
やっぱり、凄く元気を貰う事が出来た気がした。気持ちが、少し優しくなったように思えた。
何とか夜中0時前には就寝。


演奏会当日、朝10時にスタジオ予約し発声練習。初めて行くスタジオで会場近くだったのだが、当日、強風のため電車が遅れ、しかもスタジオの場所が非常に分かり辛く、スタジオ到着が10時20分を回っていた。しかし、とても親切なスタジオのスタッフの方で、スタジオが空いているので到着時間から1時間のレンタルにしてくださった。連日の疲労の上にスタジオを探しまわって歩き疲れていたので、本当に有難かった。
発声練習では中々声が出るまで時間が掛かったが、最終リハから実際の演奏まで2時間半はゆうにある事、今日は2曲と歌う曲数が少ないため、調子が出始めた頃に本番が終わってしまう事は十分に予測出来たので、いつもよりもかなりしっかりと発声練習を行った。
会場に到着して、案の定すぐに最終リハ。やはり体が硬くブレスが不足しがちだったのだが、しっかり発声してきたせいか、音域は高低しっかりと出ていたので、後は出番直前までのストレッチ、柔軟体操系でどれだけ緊張を解してリラックス出来るか、と判断した。
お子ちゃま&大人のピアノ発表会の合間に歌うので、子供が沢山いて会場がごった返していたので、早めに着替えとメイクを済ませて少しづつ体を動かし続けていた。

実は、ピアノの発表会なのだが、今回はプロのソプラノ歌手をお招きして1曲歌う事になっているらしい。
しかも、プロのソプラノ歌手が歌う曲は、ヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」からクレオパトラのアリア「苛酷な運命に涙を流し」だったので、期待も膨らむというもの(笑)

会場は約200〜300席くらい入る会場。一番後ろの席で軽く動きながら待機していたら、同じ病棟の看護師呑み仲間が息子を連れて、夜勤明けで寝ずに到着(爆)息子がヴァイオリンを聴きたくて連れて来た。まあ、私の歌の時は寝てていいよ〜(激爆)という事で、息子が飽きてしまわないか心配だった(苦笑)
友人と一緒にいたら、何と全然予想してなかったゲスト登場。
ジュリアード卒のヴァイオリニスト(絶句)
聞いてねえぇよおぉ〜〜〜〜〜・・・・・、と呆気に取られた。一気に緊張が高まった。一言御挨拶した。約1年振りの再会になるかな。そう言えば、私の去年のドイツリートの初リサイタルの時は御都合があっていらっしゃれなかったので、今回初めて私の歌を聴いて頂く事になる。
若干、鳥肌モノだった。
演奏会が始まり、看護師呑み仲間は夜勤明けで一睡もしていないのに非常に熱心に子供のピアノ演奏に聴き入っていた。特に小学校5年生のピアノとヴァイオリンのコンビの少女の上手さに非常に感動していた(笑)

「あのリスト弾いた女の子、すごい上手い!!!音大行くのかな???」

と、しきりに質問された。やっぱ、分かるんだな〜〜〜・・・と思った。まあ、まだ小学校5年生だし(爆)音大は・・・、きっと行くんだろうねえぇ(笑)でも、先の事考えるのには早くねえぇ???(激爆)
子供の部終了して休憩後の後半、トップバッターで私が歌う。
休憩時間開始とともに舞台袖にスタンバイした。
ピアニストのY先生と、少しお話しした。
まず、ヴァイオリニストの先生御来場の件。超驚いて緊張した事を話したら、Y先生は、

「今回のあなた、とっても素敵よ!!!って言っておいたから、彼女も期待してたから、頑張りましょうね♪」

と、一言。・・・・・・・・・・。まあ、もうここまで来たら逃げも隠れも出来ないもんな、と思い覚悟を決める。私の次にピアノを弾く御婦人2人が、しきりに緊張する緊張する〜とY先生に訴えていた。Y先生曰く、

「緊張を解す一番いい方法は、笑うのよ!!!」

と・・・・・・・・・(笑)ああ、そうか、と思い思わず私も笑ってしまった。結構、笑顔って緊張が解れるものだと思っていたら、名前を呼ばれた。
会場は、壇上だけが明るくて客席は暗いので、前列1〜2列位しか客席の表情は見えない。ちゅ〜か、私は余り100以上のキャパの会場で歌った事が無い(爆)しかし、ヴァイオリニストの先生の表情は、きっちり見えた。非常に注視されているのが分かった。それだけで上体に力が入り、息が上がってしまうのが分かった。


しかし、今日この演奏会本番まで、やれる事出来る事は、全てやって来た。


誰にどう評価されるかなんて、そんなの歌い終わって結果が出るまで、どれだけ歌えたか、分からないのだ。
私がやるべき事は、歌うだけ。今迄通りに。
流石にバッハの出だしは緊張した。ブレスもギリ。声量も、流石にメゾピアノよりもやや出てしまっているのが分かったが、リピート箇所までは何とか堪えなければならない。
バッハの後半に入ろうという所で、ちょっとした事件が起こった。
お子ちゃまが、思いっきりパイプ椅子を倒した!!!!!(核爆)
音は聴こえたのだが、演奏には差し支える事無く、それどころか私は多少冷静になれたような気がした。バッハ歌曲の後半の低音bが練習やレッスンでもなかなかきっちりと決まり辛かったのに、ちゃんとハマった声が出せたのが分かったから(苦笑)最後のリタルダンドも、いつもブレスが不足する事が多いのに、本番にはきちんとブレスが足りたので不思議で仕方が無かった。パイプ椅子を思いっきり倒してくれたお子ちゃまに感謝しなければならないだろう(爆)
アクシデントが必ずしもマイナスに働くとは、限らないのだ。
ここで多少冷静になれた事で、パミーナは予測していたよりも遥かに歌い易かった。しかし、やはりピアノの発表会なので、会場が非常に乾燥していて、緊張とも重なった事もあり、パミーナのアリアの前半は多少辛かった。ブレスはやはり結構なカンニングブレスが必要となったが、前半のアジリダを過ぎた頃から徐々に声量を搾ってピアニッシモで歌う事に慣れて来た。アリアの最後の方はブレスも十分に続いて、何とか終了。
やっぱり、2曲では丁度舞台に慣れた頃に演奏が終わってしまうものだと感じた。

私の歌が終わって、看護師呑み仲間はいい加減飽きてゴネていた息子を連れて帰った(笑)
いざ演奏が終わってみると、ホッとするやら寂しいやらで、いつもながら複雑な心境になる。嗚呼、演奏聴いてるだけって気楽でいいなあぁとか、もうウィーンに行くまでパミーナのアリアは歌う機会が無いのが寂しいなあぁ、とか。私は、演奏会本番が終わった後の方がより歌いたい気持ちが強くなる。


最後、プロのソプラノ歌手のクレオパトラのアリアを聴いた。
感想は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
余りに自分のクレオパトラと違うので、驚いた。
嗚呼、多分、日本のソプラノは、こうやってクレオパトラ歌うよなあぁ・・・・・と正直感じた。
それだけ。


最後に、ヴァイオリニストの先生に御挨拶に行った。一言、コメントを頂いた。

「とても真面目な方なんだと思って聴いていました。やっぱり、演奏は人間が出ますね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
どういう意味だろう?????これは演奏会後、呑みながらゆっくりと考える。
会場の後片付けをして、ピアニストのY先生に御挨拶をして、ダッシュで早速呑みに行く。流石に4日間禁酒して演奏会を無事終えた後の冷たいビールは、五臓六腑に染みわたった〜〜〜〜〜・・・・・(滝涙)
この本番終了後の、呑みながら考察が私にとっては非常に非常に重要な時間なのである。
取り敢えず、谷岡先生に御報告メール。勿論、ヴァイオリニストのコメント付きで。
演奏会本番のそのものの出来として、自己評価はレッスンの約7〜8割の歌唱だったと考えている。疲労度と、初めての大きなホールという事を考えると、演奏の出来としては悪くは無く、当然の事ながら課題は多いに決まっているが、次に繋がる要素の多い演奏会本番だったと思う事が出来た。
まず一番の要因は、パイプ椅子が倒れた事件。恐らく、過去、特に去年までの私だったらパイプ椅子の音に動揺して演奏が崩れてしまった事だろう。
去年からの2度のリサイタルで、相当胆が据わったと思われる。この集中力は、非常に大切にして行きたい。
パミーナのアリアは、何とかウィーンのN先生とM先生のレッスンに持って行ける目途が付いた。演奏会の次の日の夜勤で、演奏会に来てくれた看護師呑み仲間に感想を聴いたのだが、パミーナのアリア、後半のピアニッシモの声量でも十分に一番後ろの席まではっきり声は聴こえていた、との事。後は、如何にして発声の美しさを磨くかと、どこまでピアニッシモとロングブレスでこのアリアを引っ張って行けるか、が当面の目標と課題である。今回の本番で初めて歌うパミーナにしては自分自身としては、よくもまあ、あれだけ皆から「違う!!!」と言われていたのに良く歌ったよな〜と思う。人間の開き直りって、案外大切なのかも知れない。

次の演奏会本番は、6月、ヤンクミ一座の、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲。
プロのソプラノ歌手のクレオパトラのアリアを聴いて、自分は自分で歌うしか無いのだという事だけは、はっきりと確認した。


呑みながら考えている最中に、谷岡先生からメールが届いた。

「ヴァイオリニストの方が仰った事を表す、良い格言がありますよ。【芸は人なり】」

真面目に聴こえたという事は、余り面白みの無い演奏だったのかなあぁ、とか思った。マイナス思考だけれど、自分に甘いのは好きじゃない。


演奏会本番前に、非常に重要な事を谷岡先生と一緒に決定した。
そのため、今、というか今後非常に多忙を極める事となった。
頑張るしかない。


嗚呼、疲れた。

疲労MAX

昨日は、演奏会のリハーサルだった。
一昨日は一晩中手術後の患者と夜明かし。リハーサルの時間が午前中なので慌てて仕事を終わらせて、速効帰宅して、全身せんねん灸尽くしでさっさと寝た。
しかし、昨日の朝目が覚めると、まず全身の関節が痛い、喉が痛い、ダルい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、37.8℃。
今日無理してリハーサルに行って出演者に風邪を伝染し、疲労も取れずに、ボロボロの演奏会本番を迎える・・・とゆ〜シチュエーションは是が非でも避けたい、とゆ〜事で、Y先生に早速メールをして、本日のリハーサル欠席をお願いした。
一安心して目が覚めたら、夕方の4時だった・・・・・(絶句)

昨日の、抗生物質やら消炎剤やら解熱剤やら去痰剤やらが効いたせいか、今日も起きたのは昼過ぎだったが、昨日に比べりゃ、まずまず好調。余り無理しない程度にスタジオ練習に出掛けた。

最近、ミルヒー先生のレッスンを御無沙汰している。去年のヘンデルのリサイタル直前のレッスンが最終。最近少しづつ夜勤生活にも慣れて来て、少しづつ音楽の勉強の量やら質を元に戻そうと試みている。
実は、ミルヒー先生からヘンデル後の課題に出されていたのが、モーツァルト歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」である。このアリアの譜読みをようやく開始し始めている。勿論、今年6月のヤンクミ一座演奏会でのヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラの新しいアリア「Non, disperar」をレッスンして頂かなければならない。けれども、やはりフィオルデリージの「Come scoglio」は、ミルヒー先生もレパートリーとして御自身が歌っていらっしゃるアリアである。ウィーンのN先生には、声質上既に私のレパートリーとはならない事を指摘されているので、この曲のレッスンを受けられるとしたら、ミルヒー先生以外にいらっしゃらない。
数日前から、コヴェントガーデンのカバリエの録音を聴いたり、数年前に録画したグラインドボーンの「コジ・ファン・トゥッテ」の抜粋のビデオを見たりしていた。
「Come scoglio」はとても大きなアリアだ。レチタティーヴォも長いし高度な表現力が要求される。しかも、超高難度のアリア。1オクターブ以上も音域の変動が幾つもあり、最高音は3点Cである。アジリダの音程も微妙な正確さを求められる。そして何よりも、ドラマティック・ソプラノが歌うアリアなので、強靭で伸びのある声が求められる。今のこの疲労MAXの状態の自分に、しかもウィーンのN先生に私のレパートリーにはならないと指摘されているのに、例え気持ちだけで練習して歌う事が出来るのか。いや、歌えるかどうかは自分自身には良く分からない。でも、ミルヒー先生が以前私に、

「あなたならきっと歌えるわよ!!!だって、こんなに難しいヘンデルのアリア、リサイタルで歌えるじゃない!!!」

その、ミルヒー先生の言葉を信じて、ミルヒー先生のレッスンはとっても遅れてしまったけれども、これからフィオルデリージのアリアの勉強を続けて行こうと思う。誰に聴かせる事は無くとも、ミルヒー先生のためにだけでも歌いたいアリアだと思っている。

今日は、最初はベートーベンのイタリア語テキストの歌曲を2曲。大分フレーズが繋がるように歌えるようになって来た。次の谷岡先生のレッスンには、持って行きたい。ただ、低音域(5線の下)が、まだきちんとした綺麗な響きを出せていない。勿論練習も行うけれど、谷岡先生からテクニックを学ばなければならないだろう。
ベートーベンの歌曲は、意外と繊細な装飾音がある。これを軽過ぎず、しかし美しく歌えるようになりたい。きっと、モーツァルトの装飾音とは違う筈だ。これを、ウィーンで掴みたい。でも、その前にきちんとしっかり確実に曲を自分の解釈で歌えるようにならなければならない。
ベートーベンの歌曲を勉強していて私が感じる事は、ベートーベンは、いついかなる時も、死を意識していたのではないのか、という事。これは私がベートーベンの曲を歌っていて飽くまでも「直感」なのだけれど、今後ベートーベンの声楽曲を勉強して行くにつれ、この命題を熟考していく必要性がありそうだと確信している。

最後に、演奏会本番曲のバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアをざっと通して、本日は軽めの練習調整で終了♪


実は、先日超久しぶりに、千葉のヤンクミと電話で話しをした。
お互い、家族の健康上の理由で非常に余裕の無い生活をしてはいるのだが、私もヤンクミも、事、音楽に関してだけは絶対に手を緩めない性格で(爆)、私は去年末ヘンデルのリサイタルを開き、ヤンクミは去年末シューマンのリサイタルを開催したそうだ(激爆)
そこで、私のブログをたまに見てくれているヤンクミと、最近はピアニストのブログも非常に多いという話しになった。ヤンクミもまんざら興味が無いワケでもなさそうで、幾つかブログを見てみるようお勧めした。
そして、今日、あるブログを読んだヤンクミから、メールで感想が返って来た。

「ピアノ愛好家のブログですね。私も古き佳き時代のピアニストは好きだし、自分が修行中は苦しい(状況である)事もありましたから気持ちは分からなくもないけど、あまりにも自分勝手なブログですね。自分を反省しない人にレスしても無駄と思います。(このような状況では)密度の濃いピアノは弾けないでしょう。良い悪いはともかく、このブログの人にとってはピアノは食後のデザートのようなものと思います。私はそういった方には構いたくありません。(個人の)楽しみ方に水を差すのも嫌ですから。
ただ、取り組む以上は甘えてはいけないですね。私の愛するショパンやドビュッシーなどの作品は、それ相当の覚悟で挑むものです!
私は密度の濃いピアノを弾く方は応援しますが、某の言い訳をする方は無視します」

と、私のブログの文面など及びもつかないような超シビアな厳しいご意見が返信されて来た(核爆)
やはり、真の音楽家、演奏家たる者、これ位の覚悟、誠意、自律、自らに課す試練、当然あって然るべきでしょおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪と、思わず改めてヤンクミを大尊敬、拝んでしまった(人)(人)(人)
長く、ヤンクミと一緒に演奏活動を続けて来る事が出来て、本当に自分は幸福であると心から実感・認識した。
私もヤンクミも望むものは、上っ面の世辞や演奏内容の出来に関わらない拍手などでは無い。
自分自身が、たった一人の音楽家として強く深く音楽を愛し求めて、日々鍛錬と熟考に精進し、自分とともに自分自身の音楽を成長・昇華させて行く事なのだと、改めて知る事が出来て本当に幸せな気持ちになる事が出来た。
私はとてもこの長い間、どれ程ヤンクミに励まされ、引き上げられ、時には手を引かれ歩みを共にして貰って来た事が何度あった事だろうか。
心から、神とヤンクミに感謝した。
今年6月のヤンクミとの演奏会、今の私の最高のクレオパトラを歌いたい。


今日は、もう一つ大きな喜ぶべき事があった。
とある人間の憶病さと弱さから、私自身に長い間押しつけられ捨てる事も出来ず、保持していた物があった。
今日、ようやくそれを本来の持ち主の元へ、叩き返した。
これでようやく私は、解放される。
忌まわしい、不吉な、不敬な、憶病な、無責任な、低俗な、決して認めるべきでは無い人間に今後例え何百回輪廻転生したとしても、決して相まみえる事の無いよう、その負債を叩き返した。
これでもう、自由に歌える。
スザンナでも、ツェルリーナでも、ジルダでも、ヴィオレッタでも。

これから、夜勤の疲れが取れたら、少しづつ頑張って行こう♪


リハーサル。

朝起きて(昼?)から、風邪気味。天気良かったし多少暖かかったのに、クシャミが止まらず。最近は、ど〜しても、スタジオ予約時間30分前ギリでないと目が覚めないらしく、目覚まし時計も無意味(溜息)夕方から都内で今月の演奏会のリハーサルを、本番会場で希望者だけ募って行うという事で早速行く事にした。今回演奏会で歌うホールは、お初。去年Y先生のお教室演奏会聴きに来た事はあるのだが、自分が歌うのは初めてである。慣れないホールで歌うのに一番困るのが、響き方。私は新しい場所に慣れるのに時間のかかる方で、どうしても響きを確認しながら、自分の声の響きを聴きながら歌ってしまう。多少なりとも場馴れしておかなければならない。

先にスタジオで2時間半練習。今月の演奏会本番のバッハ歌曲とパミーナのアリアはもう暗譜出来ているので、今日はウィーンのN先生とM先生のレッスンに持って行く予定のバッハ「シュメッリ歌曲集」、ベートーベンのイタリア語のテキストの歌曲を2曲づつ練習してから、最近御無沙汰しているミルヒー先生のレッスンに次持って行く予定のモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」の音取りを行った。演奏会に歌うバッハとパミーナは、一番最後に軽く2回づつ通して歌った。クシャミが中々止まらないのと、少し寒気がしたので、余り気張って声を出せない。無理せずどの曲も軽めにレガートにブレスを繋げて歌うようにだけ練習する。風邪気味の時は、やはり中高音域が最初辛い。でも、不調の時の調整の仕方が本当に上達したなあぁ・・・と思った。去年の7月の千葉での演奏会で風邪で喉を痛めて本番に立った時から、調子の悪い時の練習方法に大分慣れて来た。ウィーンのM先生から指摘頂いたように、

「演奏中に体験なさったテクニックもあったのでは、と推察致します」

と、本当にM先生のお言葉通りになったなあぁ・・・と思った。まあ、私の場合は演奏会直前に、体調バッチリ絶好調!!!みたいな事はほぼ望めないので(超苦笑)、最低限度声帯に問題なけりゃ良しとするっきゃないとゆ〜所が落とし所か(汗)
バッハ「シュメッリ歌曲集」と、ベートーベンのイタリア語歌曲は、早く谷岡先生のレッスンに持って行きたいので、こちらは急いで曲に慣れなければならない。でも、バッハ「シュメッリ歌曲集」の私が選んだ2曲は、大分慣れてメロディやリズムも掴めて来た。初見曲なので大変だけれど、その分思い入れも十分にある。ベートーベンのイタリア語歌曲2曲は、私の好きな歌手、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターが歌っている録音で勉強している。日本ではぼ演奏されないであろう珍しい曲ではあろうが、ウィーンのN先生やM先生が知らない曲って事は無いので、ウィーンのレッスンに持って行くのが楽しみ♪ま、難しい曲だけどね。
今後、ミルヒー先生のレッスンで歌う予定のフィオルデリージのアリアは、ホントに音取りから始めた。曲自体は良く知っていて、モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」の全曲CDも持っているし、何よりも私の尊敬し敬愛するソプラノ歌手、レオンティン・プライスが得意として歌っているアリアである。が、最近はヘンデルとパミーナに入れ込みっ放しだったので、丁寧に音取りから始めなければならない。風邪気味もあって、多少音取りは辛かったが、地道に練習して行くしかない。でも、私は、地道な練習が大好きだし、大得意♪
最後にバッハとパミーナをザッと2回づつ通した。この2曲は、自分一人で歌い込むという段階では無いと自分自身考えているので、飽くまでもY先生とのリハーサルと本番で、ピアノ合わせ通り歌えればいいなあぁ、と考えているし、暗譜も確実なので、軽めの調整で行く。


リハーサルを行う本番会場に行く前に、薬屋さんで、カコナールとせんねん灸のビックサイズ(激爆)を購入して、青森の親父の病院に書類を郵送したり入院費を振り込んだりという煩雑な作業を行っていたら、本番会場でゆっくりあったかいコーヒーを飲んでいるヒマすらなかった(涙)

早速会場に到着。既に、2〜3人のお子ちゃまがピアノとヴァイオリンを弾いていた。お子ちゃまが終了してから、すぐ私に振られた(笑)
会場は結構な広さがある。300人位は入るのかな。お子ちゃまのピアノやヴァイオリンを聴いていて、割に響く会場だなあぁ〜〜〜とは思ったけれど、私の場合、天井の低さが若干気になった。だって、そんなに高くはないけれどステージの上で歌うので、天井はなるべく高い方が私は好きなのだが・・・と、我儘ぶっこいている場合でも無い。
一応、一人2回通し練習とゆ〜事で、1回目開始。お子ちゃま達の視線が集中する。御年配の方々の視線は職業上も相当慣れているのだが(激爆)、お子ちゃまの視線には、若干、引いた(自爆)
バッハ歌曲の最初の歌い出し「Bist du bei mir」と歌い始めた時に、予測していたよりも非常に響くので、超ビックリしてしまった(誤爆)とゆ〜訳で、1曲目のバッハは、ピアノと合わせてリハーサル、というよりは寧ろ、会場の声の響き確認作業に終始してしまった(滝汗)嗚呼、Y先生、ゴメンなさい(滝涙)
バッハ歌曲通した所で、自分って声出し過ぎぢゃね〜か???とかなり反省した。リハーサルはもう一回あるから、なるべく声量をセーブして行こう。
2曲目のパミーナのアリア、これもいつものレッスンやピアノ合わせに比べたら、会場の自分の声の響きを聴きながら歌ってしまっていたので、どうしてもテンポが段々遅くなってしまい、ブレスが続かなくなってしまった。しかも、この会場での自分のパミーナで歌う高音域を確認するのが初めてなので、アジリダの部分の声の響きで多少戸惑ってしまった。もっともっとピアニッシモでアジリダ歌えなきゃダメだなあぁ〜〜〜・・・と。やはり自分の声の響きを聴きながら、尚且つ緊張もしているし、初めての会場に戸惑ってもいるので、兎に角ブレスが持たない。休憩時間に少し対策を練る事にした。

お子ちゃまが2度目のリハーサルを行っている途中に、オバサマ軍団が御入場あそばした(笑)オジサマも少数いらっしゃった。う〜ん、このメンバーでどのよ〜なピアノ演奏が聴けるのか、ワクワクして来た(爆)いや、顔には出さなかったけどね。
お子ちゃまのリハーサルが終了してから、最初に私が2度目の通しを行った。何とな〜く、いつもの職場に沢山いらっしゃるお年頃の方々に囲まれると、妙にリラックスするとゆ〜怪現象(猛爆)

1曲目のバッハ「Bist du bei mir」も、落ち着いてY先生とのピアノ合わせくらいの声量に落としたら、途端に歌い易くなった。結構響くから声量は必要ない気がした。声量を必要最低限にして、その分前回Y先生とのピアノ合わせで指摘されたドイツ語の発音をはっきり発音する事、子音のアタックを確実に取って行く事の方に神経を集中させれば、それで良いのかな???と思った。当然の事ながら、ドイツ語の子音をはっきり発音すると歌詞を丁寧に歌っている印象を与える事にも寄与する効果がある。そして、無駄なブレスが減る、息漏れが少なくなる。ドイツ語の子音の発音は特に、横隔膜の働きと密接な関連があると考えている。2度目のリハーサルは、結構悪く無い♪
2回目のパミーナも、バッハと同じく声量を抑えてなるべくフレーズを前に進めるカンジで歌い始めた。曲の流れは1回目のリハーサルよりもかなり改善されたが、やっぱりど〜しても気になってしまう事が、一つ。折角、今迄高音域になればなるほどピアニッシモの発声で歌っていたのに、非常に響きの良い会場のため、自分の歌っている高音域の発声がピアニッシモに感じられないのだ。これには、チト困惑してしまった。しかし、2度目のリハーサルでは、最初に比較していつもの7〜8割方自分のパミーナに近づけていたので、後はもう本当に自分が会場の響きに慣れるしか無いんだなあぁ〜〜〜・・・と思った(溜息)まあ、初会場にしてはいつもの私としては、悪く無い出来だったと思う。
Y先生からは、

「あなたの好きな音量で歌っていいですよ」

と、一言だけコメント有り。もっと無いのかなあぁ??????????????????????

2回目のリハーサルを終えたので、早速帰って呑み行こう♪と思って帰り仕度をしていたら、私のリハーサルを聴いていたオバサマ方が、

「とっても素敵だわ〜〜♪何だかその世界に引き摺りこまれちゃいそう♪声量もあって羨ましいですね♪先生、いいですねよえぇ〜〜〜♪」

と、Y先生に話されていた。Y先生も、

「でしょうぅ〜〜〜♪」

と、Y先生は、お答えされていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一人、ドン引きしていた私(滝汗)
バッハもパミーナも、わざわざメゾピアノ〜ピアニッシモの声量で歌ってるのに、それでも声量があるって???まだ、声がデカいのか???そりゃあ、困った!!!!!!!!!!(核爆)
パミーナのアリアが素敵だって???そこのオバサマ、もしかして、今の私が歌った曲、何の曲か知らないのでは・・・ないかな・・・(滝汗)モーツァルトのオペラの、お姫様役ですよっっっ!!!ほんっと〜に素敵ですかあぁ???考え直した方がいいですよおおおぉぉぉ(誤爆)
とか思いつつ、御褒めの御言葉を下さったオバサマ方々に丁重にお礼して、折角だから、オバサマ方々のピアノのリハーサルも聴いて帰る事にした(爆)
う〜ん、去年と変わらず、時々、この曲、いつ先のフレーズに進む事が出来るのだろうか・・・(大汗)と心配しながら聴いていたのだけれど、でもやっぱし、オバサマやオジサマにとって、これ程素晴らしい認知症防止対策プログラム&リハビリテーションは、無いワケでして。
下手をすると、ピアノ演奏よりも舞台上への階段の上り降りの方が危なかったりして。まあいいか、私、看護師だし(自爆)とか思いながらピアノ演奏を聴いていた。

プログラムを見ていたら、最後にプロの声楽家も出演するらしいのだが、歌う曲が何と!!!ヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」からクレオパトラのアリア「苛酷な運命に涙を流し」だった・・・・・・・・・・(絶句)
Y先生、私もパミーナよりもクレオパトラの方がいいよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(雄叫び)
と、心の中で絶叫しながら、帰宅した。


最近、よ〜やくパミーナのアリアが吹っ切れて来たので、今年ウィーンのN先生とM先生のレッスンに持って行く予定のモーツァルト歌劇「ドン・ジョバンニ」の勉強を再開し始めた。もともとCDの全曲盤は4種類持っている。カラヤン・ベルリンフィル、バレンボイム・ベルリン・フィル、マゼール・パリオペラ、カラヤン・ウィーンフィル。でもDVDは1種類しか持っていなかった。ジェームス・コンロン指揮のDVDのみ。このDVDはドンナ・エルヴィーラ役のキャロル・ヴァネスが好きな歌手だったので購入したのだが、ウィーンのレッスンに正式にドンナ・エルヴィーラを持って行く以上はこれでは勉強が足りないので、カラヤン・ウィーンフィルのザルツブルグ音楽祭のDVDと、ルネ・ヤコープス・フライブルグのDVDを購入し、今はマゼール・パリオペラのVHSを注文中である。最近、夜勤明けで余り眠らずにCDやDVDばっか観てるから、風邪ひいちゃったかなあぁ・・・(涙)
CDのドンナ・エルヴィーラ役は、揃いも揃って強烈パーソナリティ♪アグネス・バルツァ、ワルトラウト・マイヤー、キリ・テ・カナワ、ヒルデ・ギューデン。
DVDのドンナ・エルヴィーラは、キャロル・ヴァネス、ユリア・ヴァラディ、アレクサンドラ・ペンダチャンスカ。
で、これからVHSのキリ・テ・カナワのドンナ・エルヴィーラが届く予定。
本当は、ドンナ・アンナを勉強して歌いたいんだけど、ウィーンのN先生から、

「ドンナ・アンナはドラマティックなので、あなたの役では無い」

と、ハリセンが飛んで来たので(爆死)仕方が無い。
そして、ツェルリーナは大嫌いなので仕方が無い。
ウィーンのN先生から課題を頂いた、ドンナ・エルヴィーラを頑張って勉強しなければならない。
アリアの譜読みは何とか出来てるんだけれど、自分自身の中のドンナ・エルヴィーラ像がまだ、インスピレーションとして湧きあがって来ていない。だから、今後は録音よりも映像を観るようにしていく事と、ドンナ・エルヴィーラというキャラクターに関しては、ウィーンのM先生や、谷岡先生と御相談したいと考えている。
キャラクター的には、ドンナ・アンナの方が大好きなんだけどなあぁ〜〜〜〜〜・・・・・くすん。

でもまあ、今はパミーナの方が先だし(誤爆)

ドン・ジョバンニのDVDを観比べて見て強く感じた事が一つだけあった。
勿論、どの映像の演奏も大変に美しく素晴らしいのだけれど、やっぱりカラヤンの演奏は他の追随を許さない位に群を抜いて美しい演奏だと感動して涙が流れた。
良くも悪くも、カラヤンなのだなあぁ・・・・・と思ってしまった。
特に、アンナ・トモワ・シントウのドンナ・アンナのあのド迫力。これは、中々に不可能だと思う。サミュエル・レイミーのドン・ジョバンニは、まあ、申し分無いのかなあぁ???(笑)フルラネットのレポレッロは、ジェームス・コンロンのDVDでも歌っているのだが、変わらず芸達者。もともと素晴らしい声だし、私のもっているバレンボイムのCDではドン・ジョバンニを歌っているし。

実は、カラヤン・ウィーンフィルのザルツブルグのDVDは相当感動してしまった。尤も、私は事前にカラヤンの最後のザルツブルグ「ドン・ジョバンニ」を含むドキュメンタリーDVDを所有していて観ているから、という理由もある。その映像の中で、特にマゼット役のアレクサンダー・マルタと、ツェルリーナ役のキャスリーン・バトルが、カラヤンからより多くの指摘と修正を受けていたのを見ているからなのかも知れないが、少なくとも、アンドレア・ロストやスンハエ・イムのツェルリーナには、全く皆無と言っていい位ツェルリーナというソプラノの役に対する共感が微塵も生まれてこなかった。どこが魅力なのかすら、理解出来なかった。
しかし、キャスリーン・バトルは我儘と素行不良でMETを干されたとは言え、やはりその声と歌唱力には卓越したものが存在する事、それと、やはり黒人がヨーロッパの主要歌劇場で歌う事に付きまとう様々な困難を思えば、キャスリーン・バトルのツェルリーナは、自己主張も可愛らしさも可憐さも正直さも兼ね備えた、素敵なツェルリーナであると、素直に感動する事が出来た。
これはひょっとしたら、私が再度ツェルリーナに取り組む可能性もゼロでは無いのかも知れない、と考える事が出来た。でも、まだまだ否定的ではある。
マゼール指揮、パり・オペラの「ドン・ジョバンニ」のVHSが届くまでは、その結論は保留とする。理由は、ツェルリーナは恐らくテレサ・ベルガンサだから。ベルガンサのツェルリーナの歌唱次第によっては、今迄私が大嫌いだったツェルリーナに敢えて取り組む可能性も、無きにしも非ずなので♪♪♪


では、これから夜勤に備えて、寝る。



久しぶりの演奏会。

3月5日、久しぶりに生の演奏会を聴きに行った。この日は夜勤明けで、2時間程自宅で仮眠を取ってから都内まで出掛けた。休日に演奏会を聴きに行く時間的余裕は殆ど無い。休日は、練習やレッスンに充てなければならないから。
やっぱり、生演奏はいい。それがどのような実力のレベルの人の演奏会であっても、生演奏は、やはり生物なだけあってそれだけで迫力がある。特に歌は、歌い手の息遣いが直に伝わってくるから。
私が聴きに行ったのは、とある学校の音楽科の発表会。
勿論学生さんなので、お若い方々ばかりだった。ピアノ、声楽、ポップス、オリジナルなど、小さい演奏会ではあったが、多彩なプログラムだった。疲れてはいたが、楽しむ事が出来た。

本当に、演奏というものは客観的な評価というものが非常に重要かつ必要不可欠なものだと実感した。
今回特に考えさせられたのが、曲の「表現力」について。
今回演奏会で聴いた声楽曲は、主にイタリア歌曲だった。
例えどれ程若い演奏者であっても、自分自身が歌い演奏する曲の「表現」について考える事が出来てそれを表現しようとする意志を持って演奏する人間と、自分自身の声の美しさに頼って演奏する曲の内容が見えない人間、これは非常に大きく明確に聴き手に伝わってしまうものなのだ、という事を改めて思い知らされた。
「菫」という歌曲、歌い手が歌いたい表現したい「菫」は一体何色の菫なのか、紫色なのかピンク色なのかブルーに近い色なのか?「菫」が咲いている場所は何処なのか、道端に咲いているのか、花壇に咲いているのか、草原に咲いているのか、岩山の間にひっそりと咲いているのか?
「私は心に感じる」という歌曲、歌い手自身が曲から一体どのような「心」を「感じ」ながら歌っているのか、悲しみなのか、苦しみなのか、憂鬱なのか、愛情なのか?
それを歌い手が自分自身で想像して方向性と意思を持って詩人の詩に曲を付けた作曲者の意図をくみ取るよう常に注意力と集中力を働かせながら自分自身が歌う曲に取り組む事、それが演奏者の大きな資質の一つである事が、客観的に見えた気がした。
まず、演奏者自身の感性と想像力。
それが感じられない演奏、見えて来ない演奏は、はっきり言って、つまらない。

私が去年ウィーンのレッスンでN先生とM先生のレッスンでモーツァルト歌曲「菫」を歌った時に、M先生に歌う前に尋ねられた事をはっきりと思い出した。

「このモーツァルトの菫って、誰の事???」

勿論私は菫の花だから女性だと思っていたのだが、それは違った。M先生から、詩の内容を良く考えて曲の情景を考える事、それが「アナリーゼ」だという事を教わった。音大の机の上だけが勉強の場ではないのだと。

今回の演奏会で、非常に強く実感させられた。
もう一つ、自分の声の質や、僅かな技術力の差に胡坐をかいている人間の演奏は、実際に見えてしまう、聴こえてしまうものなのだという事。
もう4〜5年前、私の演奏会を聴きに来た、全くクラシック音楽を知らない看護師の後輩が、

「歌って、その人の人間丸ごと見えちゃうものなんですね」

と言われた事があった。自分で歌っている時には勿論そんな事は気に留めている余地なぞ無いのだが、今回の演奏会を聴いてそれを本当に認識させられた。
確実に、演奏者の技術だけが聴き手を納得したり感動したりさせられる要素では無いな、という事を今回改めて強く感じた。
無論、必要最低限の技術が不可欠である事は今更私が言うに及ばない事ではあるのだが。


3月6日は休日で夕方からスタジオ練習。
前日の夜勤明け演奏会で多少疲労が強かったが、やっぱりどんなものでも生の演奏会から受ける刺激は大きい。仲間内の聴かせ合いでは無く、きちんと外部の人間に演奏を提供するという、自分自身の演奏、歌唱を不足ながらも一つの作品として公の場に提供するという事の緊張感と集中力。日頃の仕事の蓄積疲労から、随分と奮起を促されたカンジ(笑)
疲労感が強い割には、3時間しっかりみっちりスタジオ練習出来た。
今年ウィーンのレッスンで、コンチェルトハウスのB先生のレッスンに持って行く予定のシューベルト歌曲6曲。「漁師の秘訣」「子守唄」「ミニヨン」「君は我が憩い」「ある魂の声」「無限」
今一番の難関は、「子守唄」「君は我が憩い」のロングブレス。正直、シューベルトの「子守唄」が、こんなにも歌う事の困難な、非常に難曲であるという事を、ちっとも微塵も想像だにしていなかった。
ちなみにこのシューベルトの「子守唄」は、去年ウィーンのレッスンでB先生から出された「宿題」なのである(自爆)
久しぶりに深い集中力で練習出来たと思うし、いつもよりも練習後の疲労を感じなかった。
最後に、今月演奏会で歌うバッハ歌曲とパミーナのアリアを、ざっと通した。バッハの歌曲は子音のアタックに留意しながら、ブレスの位置でしっかりと息を吸うようにして、最後までブレスが切れないように。
パミーナのアリアは・・・・・もうただただパミーナのタミーノへの愛に対する、死と向き合う程の悲しみを、一本の細い絹糸のような流れで歌い紡ぐ事だけを考えている。
ピアニストのY先生の御指摘通り、余計な事は一切しない、総てモーツァルトにお預けする、良い事も悪い事も、全て。
自分的には、もっともっと練習に時間を割きたいが、今はこれが限界。
自分自身に与えられた時間を最大限有効に使って勉強、練習して行くしか無いのだから。


実は、先日夜勤中に、私のリサイタルを聴きに来てくれた仲良し看護師と、ある重要な話になった。
まだこの話は、他の誰にも話していない事である。先生方々にも。
今後の私自身の大きな課題、または目標になるかも知れないが、まだ自分自身決めかねているので、いずれ決心がついたらブログに綴って行きたいと思う。


連続夜勤の真っ最中なので、とても疲れている。
次の休日は、Y先生とのリハーサル。体調を整えないといけない。
これから、せんねん灸タイム。


「微妙」と「ハッタリ」

今日は、3月演奏会のためのY先生との2回目のピアノ合わせ。
もれなくスタジオ練習時間ギリに起床、慌ててスタジオで30分程発声練習。
発声練習と言っても、ほぼパミーナのアリアの練習。谷岡先生からも「パミーナのアリアは発声練習に丁度良いアリア」との事だったので、基本の発声練習はソコソコにして、殆どパミーナのアリアを歌って発声を整える。ドイツリートのレッスンの時には、もうこの方法で発声練習でも宜しいのでは無いのかと。
最近特にパミーナのアリアの練習や、Y先生とのピアノ合わせでパミーナを歌っている時に感じ始めた事が一つある。今自分が目指しているパミーナのアリアの歌唱、これが私が最も目指している「表現のためのアジリダ」なのではないかという事。これは、ほぼ確信に近いものがある。
次回、谷岡先生のレッスンで、この「表現のためのアジリダ」について話をしたいと考えている。

昼過ぎにY先生のお宅へ伺う。
いつもの通り、みっちりピアノ合わせキッカリ50分(笑)
バッハ20分、パミーナ30分。休憩無しで多少コメントを話されるのみ。今日はいつもよりも多少疲労が取れていなかったせいか体が重かった。前回のピアノ合わせの方が良かったかも。特にパミーナのアリアは、アジリダの後の後半部分が中々息が流れてこなくて、重いカンジ。パミーナのアリアを重点的に練習行った。
まあ、体調決して良い訳でも無いので、無理はしない。結局は演奏会本番にきちんと調整してベストの状態で自分の思った通りの歌唱が出来るように、十分な練習を行って行く事さえ出来れば良い。
真央ちゃんが言った通り。やれる事は総てやった、後は自分を信じるだけ、と私自身がそう言えるように。
Y先生も、

「私ももっと勉強するわ。まだね、こう何て言うか、頑張って和音を追って弾いてるカンジなのよ。もっともっとこう、いつもの道を歩いていて尚且つ、周りの景色を余裕を持って美しさを楽しめるような演奏が出来ないとね」

と仰った。やっぱり、目標高いなあぁ。肝心の私がもっともっと頑張らねば。私の方がY先生に付いて行くのが精一杯なので、兎に角私に出来る事は、練習。人一倍練習して、少しづつ積み重ねて行く事だけ。
今日は、パミーナのアリアに比べてバッハの歌曲のドイツ語の子音の発音がはっきりしていないのではないか?とY先生に指摘を受けた。今後は練習時に子音の発音に十二分に留意して練習を続ける。もっとディクションが必要のようだ。

ピアノ合わせが終わった後に、今年のシューマンのリサイタルのピアノ伴奏を正式にY先生にお願い申し上げた。Y先生は、喜んで受けて下さった。今日、もうシューマンの11曲の楽譜とMDの録音を持って行った(笑)日程も時間も決まり、9月ウィーンにレッスンに行って帰って来てから10月以降には少しづつピアノ合わせを開始したいと考えている事をお話しした。本当にホッとした。これで、シューマンが歌える!!!11曲もの暗譜、しかも今回選択した11曲は非常に難易度も高く表現力も要求される曲。
楽譜をパラパラめくって見ていたY先生が、

「何だか、楽譜を見てるだけで、綺麗ねえぇ〜〜〜♪」

と、喜んで下さった。Y先生もシューマンの歌曲に関しては大学時代に「リーダークライス」をお勉強されたとの事で、ジェシー・ノーマンの録音も好んで聴かれたとの事。今回シューマンのリサイタルで歌う「献呈」は、ノーマンの録音を長い間勉強して来た。是非是非Y先生に喜んで頂けるような歌唱が出来るように頑張って練習に励みたい!!!!!


今日、Y先生とのピアノ合わせが終わってから一杯呑んだ後に、いつものギャラリーカフェに行った。
まず、正式に「ロベルト・シューマン生誕200年リサイタル」の申し込みをした。詳細はまた予定日が近くなってから。
そこで、社長とプロデューサーが超忙しそうにDMの作成作業をしていたので、私もお手伝い(爆)
その時に、先日ギャラリーカフェの社長に送った例の「成分解析」の話題になった。社長は「成分解析」に、自分が内服している薬の名前などを入力していたらしく、もうその時点で皆で大爆笑!!!!!私が、
「人間の名前を入力するんですよ〜〜〜」
と話すと、早速プロデューサーが私に、
「ねえねえ、社長やってみてよ!!!」
と言われたので、社長を成分解析。私は既に社長もプロデューサーも成分解析済みだったので、心の中で爆笑しながらプロデューサーに、二人の成分解析をお見せした。
社長は75%が「微妙さ」で出来ていて、プロデューサーは71%が「ハッタリ」で出来ているとの結果が出た。
社長は、
「ええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、微妙??????????」
と、お気に召さなかった御様子(激爆)
しかし、プロデューサーは、
「あっ、私のハッタリ、合ってるかも!!!!!!!!!」
と、超お気に召されたご様子(猛爆)
しかも、プロデューサーが社長を見る度に、
「ビミョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・」
と言うようになってしまい、社長は無言で不服そう・・・・・(滝汗)
プロデューサー自ら、
「微妙とハッタリのギャラリーカフェですから♪」
と言ってしまわれる結果に(核爆)

くれぐれも、微妙とハッタリで喧嘩しないで下さいねえぇ〜〜〜〜〜・・・・・と言って、DMの作成を手伝い終えて、帰宅した(超苦笑)

明日は超久々の日勤なので、バンクーバーオリンピックのフィギアスケート、エキシビションの録画を観たら、寝る。
フィギアスケートのエキシビションの後の、選手たちのインタビューを観ていて強く感じた事が一つあった。
真央ちゃんが「演技の4時間前に海苔とお米を食べました」と言っていた。ちゃんと4時間前と決まっているのだという。
そこで一つ思い出した事があった。
男子フィギアスケートの織田信成選手の、フリー演技中にスケートの靴紐が切れてしまった事。
織田信成選手が言っていた。
「靴紐を新しいものに変えてしまうと、感覚が違ってしまうので、靴紐の切れた所を括って繋ぎ合わせて使っていた。行けると思ったが、途中で切れてしまった」
と悔しそうに悲しそうに述べていた。

普通の人なら、新しい靴紐に何故変えなかった???と憤慨しそうなものだが、私は絶対にそうは考えない。
何故なら、私自身、演奏会やリサイタル直前には、いつも決まった事しか行わない。普段と違う事は、絶対に行わない。
私は、演奏会やリサイタル本番前には、歌う曲数にもよるが3日〜7日は必ず禁酒する事、夜勤が多くても睡眠薬を一番弱い睡眠導入剤のみに減らす事、本番前日の夜だけは肉を食べる事、本番当日の朝からは水と栄養ドリンク以外は口に入れない事など、ずっとずっと長い間自分の中の御約束を続けて来た。
これは決して破らない。少しの生活のリズムの狂いによって生じる体調や精神的変化の結果、本番でどのような状態に陥るのか、全く予測不可能だからである。

だから、織田信成選手が靴紐を新しいものに変えなかった事、それには私には非常に共感を持つ事が出来る。
織田選手は、ちょっとだけ運が無かったのだと思う。
それが、とても心が痛んだ。

アマチュアの誇り

去年7月から、ウチの病院に新しいドクターが勤務になった。同い年の循環器・透析・消化器内科を担当する男性のドクター。これがまた、超デッカい体格で、スウィーツとコーヒーが大好きで、音楽が大好きなドクター。
最初は、ウチの病棟課長が、
「音楽やってる看護師がいるんですよ〜」
って話を振った事から、K先生が、
「その看護婦さん、誰???」
と話が始まった。そのドクター、K先生としよう。
ある日、ちょっちお昼の勤務中に少し時間に余裕があったので、私からK先生に音楽の話を振った(笑)
「先生、音楽やってるんですか???何やってるんですか???」
と、詳しく話を聴いてみたら、何とK先生、フォークでギターを弾きながらコーラスを歌っているという。ちゃんとヴォイス・トレーニングも受けた事があるようで、オマケにギターはマーティンを2本、オべーションを2本持っていて、ウチの病院に就職する以前は、フォークのグループバンドを組んで、各地をドサ回りしていたとの事である!!!!!
こりゃあぁ〜スンゲぇなあぁ〜〜〜♪と感心した。

しかも、K先生の娘さんは中学生なんだけど音楽を勉強していて、メインはピアノ、最近はヴァイオリンも始めたとの事。私が、自宅で娘さんが使っているピアノは何かを尋ねたら、
「べヒシュタインのアップライトと、ヤマハのグランド」
と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(激汗)更にK先生は続けて爆裂マシンガン・トーク。
「やっぱさあぁ、べヒとかベーゼンとか、すっげえぇイイ音するよねえぇ!!!そのうちさあぁ、べヒのアップライトとヤマハのグランド売っ払って、べヒのグランド買おうと思っててさあぁ!!!」
・・・・・・・・・・。べヒのグランド?????600〜800万円はするぞおぉ(爆死)

K先生に良く良く話を聴いてみたら、10代の頃はクラシック音楽ばっか聴いていたらしんだけれど、大学に入学してからフォークに目覚めて、今は無きポプコンに出場しようと目論んでいたとの事。でも、先生が育英会の奨学金を受けながら大学に入学した年に、ポプコンは終了してしまった。そこで、フォークのバンドを組んで、医師の仕事をしながら地道にライブ活動をして来たという事だった。
私も、元旦那がギタリストだったし、お茶の水の楽器店でバイトしていた事もあったので、ギターの話は結構付いてイケる♪♪♪

K先生とは、同い年で音楽好きという事もあって、楽しく一緒に仕事している。K先生が当直勤務の時に私の夜勤が重なった日は、私はいつもK先生の分も夜勤のスウィーツ(夜勤おやつ)を購入して、消灯が終了した時点で時間が空いたらK先生を病棟にお呼びして、看護師2人と看護助手1人とK先生と一緒にスウィーツを食べながら談笑するのが楽しみである。
K先生は、大変な急変患者や重症患者でもいつもとっても良く診てくれる。偉そうな態度も取らないし、的確な指示をくれるので、私はいつも勤務で疲労困憊のK先生を励ましながら一緒に仕事して、少し時間のある時は音楽の話に花を咲かせているのだ。
K先生は10代の頃は、ドヴォルザークなどが好きだったみたいで良く聴いていたらしい。今は専らフォークでギターとコーラス専門で、しかもウチの病院に勤務し始めてからは超多忙で、音楽の事は殆ど出来ないと嘆いていたのだ。


先日の夜勤で一緒になった時、少し時間に余裕があったので、音楽の話になった。K先生は、かなり過激とも思える発言をしていた。
「俺にとっては、音楽が命よりも大事なんだよね。大体にして、音楽出来ないんだったらこんな医者なんて苛酷な労働している意味無いんだよね。そう思うでしょ???俺なんかさ、女房子供がさ、音楽ばっかりやっててもう付き合い切れませんって言うなら、どおぉ〜ぞ出て行って下さいって言うもん(笑)音楽は、家族よりも命よりも大事だよ、ね!!!そう思うでしょ!!!」
と私に話してくれた。
私も全く寸分の違い無く、K先生と全く同じ気持ち。私も、
「ウチの親父のせいでウィーンに行く事が出来なかったら、親父の葬式になんか絶対に出無いっすよ!!!」
と話したら、K先生は頷きながら納得してくれていた。
凄く嬉しかった。共感を共有出来る音楽仲間、同志。ジャンルは違えども、志は同じ。涙が出る程嬉しい。
K先生が、
「あなた位音楽の勉強してたらさ、演奏する会場とかさ、関係無いよね。真剣に自分の演奏を聴いてくれる人達なら、数なんか関係無いでしょ。俺が昔、地方のドサ回りに行ってた時も、演奏中に無駄話こいてる輩、必ずいたんだよね。」
と、K先生なりに沢山沢山やり切れない思いをして来たんだなあぁ・・・(涙)と切なくなった。

だから、私の演奏会やリサイタルは、全て入場無料、宣伝は極必要最低限度で積極的に告知しない。多く観客を集客しようとすればそれだけ、演奏を真剣に聴かないどころか、無駄話や携帯着信音や居眠りなど、興味が無いならさっさと帰れ!!!何なら私が会場から引き摺り出してやろうか???と思うような下衆が来る可能性もある。だから、宣伝は極力無し、希望者に個別に演奏会の連絡をして、観客は最終的に1桁台で十分だと決めている。観客の数の多さよりも、邪魔者を排除する手間などに労力を無駄に徒労したくない。それが私の中で演奏会やリサイタルを行うための、絶対的変更不可能必要不可欠な「御約束」である。


先週、K先生と夜勤が一緒だった時に、クラシックやフォークソングだけでなく、シャンソンの話題になった。「枯葉」「愛の賛歌」「黒い鷲」の話題になった。とっても楽しかった。
この時に、K先生がポプコンの話を詳しく聴かせてくれた。吉田美和が予選落ちしたポプコンで優勝した「マリオン」は、結局プロデビューを総て断って、現在北海道で養護教諭を退職した後にバリアフリーの喫茶店を開いているという。ポプコンの優秀入賞曲を録音したCDを、K先生は私にわざわざ持って来てくれた。
そして、私はクラシックを歌うんだから、シャンソンも歌えるのでは無いかという話になった。
私自身、エディト・ピアフの「愛の賛歌」は是非是非フランス語で歌いたいとずっとずっと考えていて、楽譜を物色中なのである。K先生も割りとシャンソンも好きみたいで、今度はシャンソンを勉強してみようという話になった。本当に楽しみだ。


夜勤の休憩最後に、私はK先生に尋ねてみた。
「先生さあぁ、プロになりたいと思った事ありますかあぁ???」
K先生曰く、
「無いね♪」
私は超嬉しくって、夜勤なのに大きな声で、
「でっすよねええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!」
と笑顔満面で答えた。
私やK先生のように、歌う事、演奏する事だけが幸福で、歌や演奏以外の事は、例え命でさえもいつでも音楽以外は全て捨てる覚悟が既に出来上がっている人間には、プロとしての位置なぞ不必要、無用の長物でしかない。

近いうち、お互いのライブを聴きたいよねえぇ〜〜〜と、急変ドクター&急変看護師の談笑終了♪

これが私とK先生の「アマチュアとしての誇り」である。
素敵なドクターに知り合えたなあぁ・・・と、本当に嬉しい♪♪♪

まだ冬眠。

昨日はブログを更新し終わってから、セストとコルネーリアのアリア(ドレスデン)をDVDかけっ放しで寝てしまった。せんねん灸で左肩を低温火傷するし、散々だったので今日は愉快な気分、とゆ〜訳にも行かなかった。

午後3時に目が覚めた。マジ、幾らでも寝れるわ。
今日はスタジオが午後8時〜11時までしか取れなかったので、夕方は隣駅のドトールで、やっとこさウィーナーリートの楽譜作り作業に取り掛かる。
でも、体調が悪い。頭は痛いし、左肩の低温火傷は痛いし、胃の調子も良く無いし、ダルダルだし(キレ気味)
それでもミラノサンドを朝飯兼昼飯代わりにして、休み休み楽譜を作成した。まだ1曲完成していない。

時間になって、スタジオへ。
今日は、今年リサイタル予定のシューマン歌曲11曲を通して歌う事、今年9月にウィーンのB先生のレッスンに持って行く予定のシューベルト歌曲9曲通して歌う事、最後に3月演奏会のバッハ歌曲とパミーナのアリアを歌う事。
これで、きっちり3時間終了。
時間が無いとか、疲労困憊とか、言っていられない。
いつまで経っても練習が進まない。楽譜作りも進まない。
これでは、歌えない。
ウィーンのレッスンには、まだまだ曲を持って行かなくてはならないのだよ。ウィーンのN先生のレッスン用のバッハやベートーベンの歌曲や、ドンナ・エルヴィーラのアリア3曲。これらの曲の練習もそろそろ再開しなくてはならない。間に合わなくなってしまう。

もっと時間が欲しい、もっと休みたい、もっと歌いたい。
でも、無理。出来る範囲内で頑張って行くしかない。
嗚呼、人生とは不当なものだ。byスネイプ先生♪

今日の練習、流石に3時間で20曲ドイツリートを歌ったら、声帯疲労を感じた。
でも、声帯疲労を感じたら、パミーナのアリアの出番。スタジオ練習最後10分で、パミーナのアリアを2回程通して歌う。声帯リハビリ完了。声帯の疲労感が軽くなるなる♪

歌っていない時は、生きる事が誠に非常に大いに、つまらない。

まあ、明日は夜勤なんだけど、バンクーバーオリンピックのフィギアスケート女子フリーなので、頑張って働いて明後日帰宅したら、ゆっくり焼酎でも呑みながら録画を観る事にする。
スポーツニュースは、真央ちゃんvs キム・ヨナの話題で持ち切りだなあぁ。
マスコミは、金メダル金メダルと五月蠅いけど、真央ちゃんが最高のスケーティングが出来ればそれでいいんじゃん???と思う。
何事も、比較論でしか物事を考えられない人間は、心の貧しさがモロ見えだと思う。他人の事は散々これ見よがしに比較する人間に限って自分自身を適性に比較分析せずにマイノリティというカテゴリーに自分自身だけ特別扱いする。そういう人間の戯言は、慎重に注意深く避けなければならない。

28日は、またピアノ合わせがある。
まあ、余り心配していない。それだけが楽しい事だ。

使命

今日は久しぶりの2連休。
午後ゆっくりとスタジオ練習に出掛けた。

今日は疲労も大きく、発声練習から殆ど声が出無かった。
でも、折角の2連休なので、今日は演奏会用のバッハやパミーナのアリアでは無く、今年年末に予定しているシューマンのリサイタル用の歌曲の練習一本に絞った。シューマンの歌曲、「リーダークライス」「女の愛と生涯」などの有名な大曲を選曲していない。11曲のうちの殆どがシューマン歌曲の小品集から選択した。比較的知られている曲は「献呈」「胡桃の木」の2曲だけ。
去年、ヘンデル没後250年記念のリサイタルを終えた後、すぐにシューマンのリサイタル曲11曲の練習と、ウィーンでのレッスン曲を勉強開始する予定が、親父の脳出血で練習が大幅に遅滞してしまった。しかも、親父の入院管理と借金の返済のための夜勤専門勤務のせいで、練習やレッスンが大幅に遅れざるを得ない状況に陥ってしまった。幾ら録音を聴いていても、実際に曲を歌う練習をしなければ演奏会本番には全く結び付かない。
本来の予定からは大幅に遅れて、ヘンデルのリサイタルを過ぎて2ヵ月も経過してから、ようやくシューマンのリサイタルの練習を開始出来る状態になった。

親って、子供の足を引っ張り負担になりながらも、のうのうと長生きして子供に自分の面倒見させるのが親なんだろうか。そんな親、不要。

それでも、睡眠中もシューマンのCDをかけ続けて眠り、睡眠学習の効果もあってか、11曲の譜読みは何とか通して歌う事が出来た。今日はようやくシューマン11曲通しての練習が出来て少しホッとした。
無論、疲労困憊なので、5線の上の声は殆ど届かない。無理に声を出しても声帯に負担が掛かるので、スタジオ練習で無理に声を出すような真似はしない。発声はメゾピアノで11曲を歌う。兎に角、練習が遅れに遅れているので、通して11曲練習する事が大切。特に今回シューマンのリサイタル用に選曲した11曲は、小品から選択したとは言え非常に難易度が高い曲を11曲選択した。選択した基準は、録音を聴いてみて自分が歌ってみたいと思った曲や自分なら歌えると思った曲である。
このシューマンのリサイタルで演奏した曲から、来年のウィーンでのレッスン曲を選ぶ。要するにシューマンのリサイタルで歌う11曲は、ただ単にリサイタルで歌って友人に褒められればそれで終了などという極甘いものでは無く、リサイタルで一旦形に仕上げてからそれをウィーンでのレッスンに持って行って再度叩き上げる、というプロセスがもう既に去年から道筋が出来あがっているのだ。
勿論、来月の演奏会で歌うバッハとパミーナのアリアも、6月千葉でのヤンクミ一座で歌うヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」クレオパトラのアリア5曲も大変重要だが、シューマンのリサイタル11曲は、まだ1曲しか暗譜出来ていない。暗譜は、出来るなら出来るだけ早い方が良い。11曲のリサイタル曲は、決して多い曲数では無いが、決して少ない曲数でも無い。
今後は、私の生活を圧迫し生活負担を強要し私の足を引っ張り努力から引き摺り下ろそうとする親父の存在に負けずめげず諦める事無く、根気強く我慢強く諦めずに、只管地道に練習とレッスンに取り組み向き合って行く事だけである。


今日、スタジオ練習が終わって午後9時過ぎに帰宅した。
スタジオでも気になって携帯でチェックしていたのだが、今日のバンクーバーオリンピック、フィギアスケート女子ショートプログラム、真央ちゃんが2位に付けていて、本当に嬉しかった。
まだ録画は観ていないのだけれど、ニュースステーションの映像やインタビューを観て、本当にホッとしたし嬉しかった。
確かに、キム・ヨナと5点近い点差はある。
でも、私は、真央ちゃんが一番取り組み向き合い闘って来た、苦手と言われ続けたショートプログラムでノーミスの演技が出来た事、トリプルアクセルジャンプを成功出来た事、そして何よりも、

「金メダルは欲しいです。でも、明日のフリーでも、今迄練習はして来たので、自分のやるべき事が出来ればいいと思っています」

と、笑顔で語った真央ちゃんが、とってもとっても嬉しかった。
本当に真央ちゃんがインタビューで言った通りで、金メダルは誰だって欲しい、練習は十二分にやって来た、後は自分の最善を尽くすだけ、という、ただそれだけの事なのだ。
ただただ、オリンピックの金メダルだけを目当てにして来たのなら、キム・ヨナに5点近くの点差を付けられて真央ちゃんが笑ってインタビューに答えるだろうか。
真央ちゃんが目指して進化し続けているその先にあるものは、本当に「オリンピックの金メダル」ただそれだけなのだろうか。
私は、今日の真央ちゃんのインタビューでの笑顔を観る事が出来て、もう何の不安も感じていない。
金メダルが取れなくて悔し涙を流した真央ちゃんでも、いや、そんな真央ちゃんだからこそ今迄よりももっともっと大好きになれる。
本当に真央ちゃんは練習し続けたのだと思う。トリプルアクセルジャンプを100%決められる程に。その練習量は、凡人には計り知れないと思う。天才と言われている真央ちゃんでさえ、これ程の練習が無ければオリンピックの舞台に上がって来る事が出来なかったのだ。
凡人の中でも最低の位置にいる私達アマチュアの演奏者が、練習をしないでどのような戯言を垂れ流した所で、作曲者に恥じよ、という所が関の山である。
私も、真央ちゃんに倣いたい。

練習は十二分にやった。やれるべき事は全てやった。後は、本番で自分のやるべき事をやるだけ。

いつもそのように自分を保ち続けたい。
いつも、そのように演奏会本番を迎えたい。
改めて思う。練習をしないで能書き垂れ流しの演奏者は、真央ちゃんの爪の垢でも飲んだらどうだ???
私も、例えどんなに疲労困憊でも体中痛くても喘息発作に悩まされても、絶対に休日にはスタジオのピアノの前に楽譜と共に向かっていよう、そう強く願った。


今の生活体系なら、間違い無く2017年までには、過労死出来そうだ。
金輪際、一生顔を見たくない、今後何百回人間に生まれ変ったとしても、絶対に出会いたくない人間、私には3人存在する。両親と、もう一人。私を苦しめ侮辱し蔑ろにした3人。
こんな状況で、長生きは真っ平御免被る。
歌って笑って太く短く人生を終えたい。

本当の闘い。

昨日は、超トンでも無い夜勤だった。
申し送り終了15分後、突然患者さんが呼吸停止&心停止。即心臓マッサージと人工呼吸を施したが、20分後に死亡確認。そして、朝9:30に出棟した手術患者さんが11時間掛かって手術終了、約5000cc出血して帰室、その後は朝まで1時間毎に観察・測定を繰り返し、ようやく落ち着いて夜勤終了。16時間の夜勤勤務で休憩は1時間弱しかなかった。昨日の朝は夜勤後帰宅してすぐに、気絶。一眠りしてから、待ちに待っていたバンクバーオリンピック男子フィギアスケートのフリーの録画を観て、織田のアクシデントに涙を誘われ、ライサチェックにベタ惚れし(はぁと)、高橋の銅メダルに感動した。全身、せんねん灸尽くしで♪

今日は朝目が覚めてからクシャミが止まらなかった。完璧に昼夜逆転傾向のため、今月から睡眠薬を倍量に増やした。無理やりにでも夜眠らないと、休日に歌の練習が出来ない。危機的状況。多忙を極める勤務の上に夜間殆ど眠れないため、鼻風邪程度はやむを得ない。風邪薬を飲んでスタジオ練習に行く。
本当は、来月の演奏会本番のために谷岡先生のレッスンを受けたかったのだが、今疲労困憊で殆ど進行が止まっている、今年リサイタル予定のシューマンの勉強がどうしてもしたかったので、今日はスタジオ練習にした。今日はいつものスタジオがどこも取れなかったので、新しいスタジオへ。午前11時から、十分な睡眠と休養が取れなかったが文句を言っている場合では無い。自宅からちょっと遠いけど割と広くて響きが良い。ピアノは無いけどクラビノーバがあるので、まずまず。

発声練習をしてから早速シューマンの歌曲の練習に入る。しかし、クシャミが止まらない状態で鼻水をかみっ放しの上、疲労のせいで体も声帯も半分眠っている状態には、シューマンの歌曲の音域は些か高すぎる。いつもなら何て事は無い2点Gや2点Aでさえ届かない。体も筋肉も硬い。横隔膜さえ自由に動かない。声が硬く息が流れない。重心が上ずったような感じ。発声練習だけならいつもと然程変わらない程度の声は出たけれど、これでは話にならない。特に中高音域が続くシューマンは流石に辛い、と言っても、じゃあパミーナのアリアは何故辛く無い?????とゆ〜話になってしまうのだが、シューマン歌曲2曲練習したトコロで流石に声帯に負担を感じて、急遽練習曲を変更した。
ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」セストとコルネーリアの2重唱のコルネーリアのパートを練習。中高音域がキツいならいっその事低音域の発声練習に切り替えようと。音域を低音域に切り替えたら途端に発声が楽になった。
無論、私はコントラルトでは無いので、コルネーリアの歌唱自体は不釣り合いであろうが、それでも最近は身体的・精神的疲労やストレスが常人の何十倍も高いので、その時々によって自分の声帯に最も負荷が少ないと私自身の声帯が判断した曲を練習として使う事にしている。恐らくそれが最も声帯を無難な方向で調整する一つの智慧だと考えている。残念ながら、練習には遅滞を来す結果にはなるのだが。
結局。多少コルネーリアの練習を行った事で、声帯や体の筋肉が解れたカンジになった。練習が少ないとついつい短い時間に歌い込んでしまいがちなのだが、極力休み休み騙し騙し、水分摂取を心掛け、食事も摂らずに自宅を出て来ているのでチョコレートをつまみながら、努めてゆっくり楽譜に向かう。疲労や不眠に負けずめげず諦めず、休日も全て休まず何とかスタジオで楽譜に向き合っていられる事を良しとしなければならない。

コルネーリアの練習を終わらせた後は、3月演奏会のバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアの練習。流石に前回ピアニストのY先生とのピアノ合わせで指摘された事を修正して次回のピアノ合わせに臨まなければならない。と言っても、そんなに力を込めて練習するつもりは無い。飽くまでも今の状態を最善に保った上で、Y先生や谷岡先生の御指導を取り入れて行くだけ。暗譜も殆ど出来ているので、後は苦手な箇所や下降音型のポジションが下がらないようにブレスが不足しないように、それだけを調整して行く。他にも修正の要因は多々あるだろうが、それらはもう次回の課題と割り切る。今は自分の発声や表現の最も良い所を伸ばして行く方向で練習をして行くと決めた。
バッハもパミーナも、前回初ピアノ合わせのY先生の指摘を踏まえて練習出来たと思う。バッハに関しては発声の基本はメゾピアノで。身体的疲労が強いためか、下降音型はどうしても音程が低くなりがちだったが、演奏会本番も必ずしも疲労が全て取れて体調的にベスト、などというフザケた状況は残念ながら望める筈は無い。4小節ブレスが持たなくても、発声の音量をメゾピアノにレガートに中低音域にポイントを置く歌唱を丁寧に心掛ける練習を、何度も何度も確認を繰り返した。
パミーナのアリアは、再度メトロノームを使用してのテンポ調整を行った。飽くまでも6/8拍子に聴こえるようにフレーズを繋げて最小限度の声量とブレスで歌うテンポ。でもやはりテンポ64〜66になってしまう。少し早めにテンポ66に設定して調整を行った。テンポの再調整で一番苦労するのが、アジリダのテンポ。ブレス箇所も変えたので、本当に後は谷岡先生とのレッスンで上手く調整していかなければならないだろう。
もともとパミーナは、ウィーンでのレッスンでN先生に、

「あなたの声はパミーナの声」

と指摘されたから勉強を始めただけである。それまでは、というか、去年のウィーンでのレッスン以前は、CDやDVDさえマトモに聴いたり観たりしてなぞいなかった。ウィーンから帰国して暫くの間、足掻いて悩んで不貞腐れてからようやく、ルチア・ポップのパミーナのDVDを購入して観ている位である。
CDも、エディト・マティスやバーバラ・ボニーのパミーナの録音は持ってはいるが、殆ど聴いた覚えすら無い。
せめてパミーナのアリアのアジリダの部分だけは、ポップやマティスやボニーがどのようにブレス処理を行っているのかを聴いたり観たりする必要性は若干くらいは要るだろうな、とは思った。

好きでも無い歌手の録音や映像を観聴きするのは、はっきり言って苦痛以外の何物でも無い。増して、私はヒマを持て余したナンちゃってオペラファンのような時間的余地は皆無である。まあ、仕方が無い。これも勉強のウチである。善哉善哉。


練習を終えて、いつものギャラリーカフェへ。
今日は、友人と一緒にDVD観賞会、いや、観「聴」会(笑)
私が持っているヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを3種類、聴き比べてみようと思って友人をお呼びした。
友人はこれからセストの勉強をする予定なので、セストのアリアや2重唱を中心に。コペンハーゲンのセミングセン、ドレスデンのハント、グラインドボーンのキルヒシュラーガーを中心に、どの歌手の歌唱かは教えずに聴かせた。
本当に興味深い反応が返って来た。
私がブログに書いた事と、ほぼ変わらない感想が返って来た。これには流石に私も笑った(爆)
歌手の、容姿や評判などの先入観に惑わされない人間の意見とは、実に貴重なものである。それを真に痛感した。逆に言えば、どれ程多くの知識を持ち世界的に有名な歌手の高額な演奏会を数多く鑑賞している人間であっても、狭量な趣向と偏見に満ちた人間の意見は、非常に慎重に細心の注意を払って除外していかなければ、ただただ他人に振り回される歌い手に成り下がってしまうという危機感を改めて強くした。
特に、自分が今後勉強して行く曲やオペラの役に関しては、歌い手も自分の好みや趣向に偏狭になっている余地は欠片も存在しない。
私ですら、幾らジェシー・ノーマンを崇め讃えていたとしても、ヴェルディ「アイーダ」の録音はノーマンを参考にする事は絶対に有り得ない。ノーマンの「アイーダ」の録音を持っているが、飽くまでも基本はレオンティン・プライスで、それに続くのがマリア・カラスやレナータ・テバルディやアプリーレ・ミッロやモンセラ・カバリエである。
歌い手にとって、自分が実際に勉強し歌いレパートリーにするという事は、至極シビアな問題である事を付け加えておく。
最後に、グラインドボーンのサラ・コノリーと、私の「コンセルヴァトアールのヘンデルの至宝」クリストフ・デュモーを聴いて貰った。この時私も改めて驚いたのだが、このグラインドボーンのウィリアム・クリスティ指揮ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のトロメーオを歌っていたクリストフ・デュモーは、弱冠26歳だった。思わず溜息が出た。26歳でこれだけの歌唱力と演技力。デュモーは、私は天才だと感じる。
セストのアリアはコペンハーゲンのセミングセンを、コルネーリアとセストの2重唱はドレスデンのハントを目標とする事で友人と私の目標は、一致した。ちなみに、友人は私のヘンデル・リサイタルを聴きに来ているのだが、ダニエル・ド・ニースの「Se pieta」を聴いてみるかと勧めたが、不要だったようだ(苦笑)
非常に有意義な、観「聴」会だった(笑)


帰宅してから、今日録画しておいた「浅田真央・金メダルへの闘い」を観た。
私としては、真央ちゃんがグランプリシリーズと世界選手権後、マスコミから姿を消した2ヵ月間を集中的に放送してくれるものとして期待していたのだが、その問題の2ヵ月間の録画は殆ど無かったのでちょっちガッカリはしたものの、やっぱり大いなる真央ちゃん超特大ファンの私としては、正に大泣きものの放送だった(滝涙)
勿論、競技会でのスケーティングの評価が一番重要なのだろうが、真央ちゃんがどのようにこのラフマニノフ「鐘」と悩み、苦しみ、向き合い、取り組んで来たのかを知る事が出来た事は1ファンとしてとても嬉しい事だった。
今季最初は、明らかにラフマニノフ「鐘」を演技しきれていなかった、滑りこなせていなかった、迷いながら滑っていた、真央ちゃん。
フィギアスケートはスポーツである事は良く理解しているのだが、私はどうしても歌う人間なので、スケーターのキャラクターと曲のスケールや相性やプログラムの適性、即ちレパートリーという事を考えながらスケーティングを見てしまう。
最初はやはり、ラフマニノフ「鐘」は、真央ちゃんには重すぎるのではないかと私も感じていた。
歌い手で言うなれば、今迄モーツァルトやドニゼッティなどのカワイイ系の役を歌っていた歌手が、いきなりワーグナーを歌うようなものだなあぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と(溜息)
その上、トリプルアクセルジャンプという大技を決めるという、真央ちゃんの年齢なら、まだ19歳なのだから、そんなに成長を急がなくても・・・・・と私も思ってしまっていた。
でも、私が真央ちゃんを大好きな理由は、勝てるスケーターだからでは無い!!!!!
真央ちゃんの「闘志」と「強靭な意志」と「ひたむきさ」である!!!!!
飽くまでも、トリプルアクセルを飛ぶと、ラフマニノフ「鐘」を演じ滑りこなしてみせるという、失敗とも孤独とも苦難とも全て向き合い乗り越えようとする、あのひたむきな強さ。
採点で言ったら、トリプルアクセルよりも、3回転&3回転のコンビネーションジャンプの方が点数が高いのに・・・・・・・・・・と私の看護師呑み仲間がぼやいていた。
私は、真央ちゃんのそんな強さが、とってもとっても大好きなのだ。
だから、タチアナ・タラソワコーチが真央ちゃんのスケーティングの映像を観ながら、
「あなたは一番強い人間よ」
とロシア語で言っていた場面は、見ていて思わず涙が流れた。
本当に、真央ちゃんは、オリンピックを含めてメダルへと戦っているのだろうか?????
真央ちゃんは、もっともっと別な何かと闘っているのではないだろうか。
全日本選手権も、1位になってバンクバーオリンピック行きが決まった事で確かに喜んだだろう。でも、真央ちゃんはいつも言っている。200点超え、という事を。
全日本選手権だって、1位になってバンクバーオリンピック行きが確定したとしても、真央ちゃん本来の最低限度の条件である200点超えが出来なかったら、真央ちゃんの反応は果たしてどのようなものであっただろうか??????????
そう考えると、非常に考えさせられる。
私は真央ちゃんの大大大ファンなので、自分の偏狭な物差しだけで真央ちゃんを測るような下世話な真似はしたくないと本当に思う。
オリンピックへの出場やメダルを喜ばない人間はいないだろう。真央ちゃんだって、嬉しいだろうと思う。
でも、以前このブログにも書いたけれども、真央ちゃんが本当に納得出来るスケーティング、真央ちゃん自身が本当に目指すやりたい事をやって欲しいと、心からそれだけを願う。
真央ちゃんなら、バンクーバーオリンピックでもきっと多くの事を出来ると思うし、メダルの有無やメダルの色に関わらず真央ちゃんらしいスケーティングとスマイルを希望している。
2ヵ月待っていたのだ。これからも幾らでも待てる(笑)
笑顔でも涙でも、ずっとずっと真央ちゃんを応援し続けたい。
24日は休日なんだけど、26日は夜勤(爆死!!!!!)
夜勤の仕事、手に付くかなあぁ・・・・・・・・・・(自爆)
頑張れ、真央ちゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっ♪♪♪♪♪

さて、明日の夜勤に備えて、寝ます。BGMはヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」で(死)














魂が「パミーナ」

今日は、3月の演奏会のY先生との初ピアノ合わせ。
約1年振りになる。去年、ドイツリートの初リサイタルを行ってから、Y先生とは連絡を取らせては頂いていたものの、一緒の演奏は無かった。今回は初リサイタルの時の9曲と違い、バッハとモーツァルト2曲だけという事もあり、ちょっと気分的に違う(笑)変な緊張とゆ〜か、気負いが少ないとゆ〜か。

まず、疲労困憊で起き上がるのがやっとこさだったのだが、午前10時に起きて2時間スタジオ練習。
と言っても、最初の1時間はヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」セストのアリア「Cara speme」から。今日はきちんと楽譜を持って来た(爆)
今日は本当に疲れていて、朝起きて背中が痛くて、痰も出て喉がいがらっぽかった。調子悪っ・・・てゆ〜カンジ。折角、1年振りにY先生とのピアノ合わせだっていうのに、こんな調子じゃあ先が思いやられるなあぁ・・・と思っていたんだけど。
セストのアリアは比較的軽く歌い易いかな〜・・・と思ったんだけど、寝覚めと疲労で体の動きが悪く声の響きが硬い。仕方が無いので、休み休み細切れにセストのアリアを歌う。少しずつポジションを上げて重心を下に下げるようにセストのアリアを歌う。これだけ体が固まっていると、流石に2点Aは出ないが、それでも何とかこの疲労でも息の流れを掴まないと、少なくともバッハ「Bist du bei mir」は歌えない。
後半1時間、少し体が起き始めた事でバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアをざっと通して練習した。本当に調子が悪かったので、流し程度。それでも、バッハもモーツァルトも歌い始めると余り体調や喉の不調を感じないくらいの声は出た。多少フレーズの流れは悪いけれど、去年ドイツリートの初リサイタルの時の不調に比べれば、成長した分だけ調子が悪いなりにも何とかそこそこ歌えるようになっているかも知れない(苦笑)

時間に余裕があったので、Y先生自宅近くの駅のスタバで大好きなチャイティー・ラテをゆっくり飲んでからY先生の自宅に向かった。今日は雨でとっても寒かったので、いつもよりも美味しく感じた。

Y先生の御自宅に着いた。約1年振り。Y先生は何と風邪をひいていた(汗)顔色が悪く咳をしていて顔が少し浮腫んでいた(滝汗)
一日遅れのバレンタインのチョコレートをお土産に持って行った。
到着してもう速効ピアノ合わせ開始(爆)幾ら風邪をひいて体調が悪くても、音楽に関してだけは相当違うんだなあぁ・・・(溜息)尊敬♪
早速バッハから。一通り通して歌ってみて、Y先生が、

「上手くなったわねえぇ!!!去年よりも、自然に楽に声が出てるカンジ」

と一言コメントあり。流石の私も顔がニヤけた(自爆)
最初はテンポ調整。何度か歌った後にY先生から、

「この曲に対する確固たる解釈と信念があるためなのかな、そんなに声を出して歌わなくても大丈夫のように思えるんだけど。あんまり声を大きく出して歌う曲じゃあ無いわよね、きっと」

と早速チェックが入った。確かに。発声の基本は、メゾピアノ。そこで何度か歌い直し通し直して、何とか自然な形の発声で柔らかい響きで歌い通せるように何度も何度も繰り返す。特に曲の前半が歌い辛そうに聴こえると指摘され何度も合わせ直す。曲の前半は音域が低いためだろうか。体調も今一つだし。ようやく形になりそうになって来た時に、即休憩無しで、モーツァルトへ。
「魔笛」パミーナのアリア、歌い始めのY先生の伴奏のテンポを私がつられる事無く抑えて歌い続けた。なるべくゆっくり、ゆっくりに。なるべくピアニッシモに。
パミーナのアリアを一通り通して歌ってY先生が、

「いいんじゃないですか???」

と、ニッコリ。私もこれでようやく一息付く事が出来た(爆死)アジリダの部分が伴奏と中々合わずにちょっと苦しんだが、これは次回谷岡先生とのレッスンで再調整しなければならない。何よりも私がパミーナのアリアの伴奏に慣れていない事だと認識した。
ここで、一つY先生にウィーンでのレッスンの話をした。
「今回のバッハは去年ウィーンでレッスンを受けて来た曲で、モーツァルトのパミーナは去年ウィーンで、あなたはパミーナの声だと先生に言われたので、暗に勉強して来なさいよ、みたいな(笑)でも、日本に帰って来たら皆に、あなたはパミーナの声じゃあ無いだろうって言われて・・・」
と私が苦笑しながら話していたら、Y先生が、

「あなたの感性や魂が、パミーナなんじゃない???」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。これには私もかなりブッたまげた(核爆)
驚きながらも続けてパミーナを合わせる。何度やり直しても、アジリダの部分が伴奏と中々合わない。アジリダの部分だけ何度も何度も歌い直し、合わせ直しが続いた。
発声練習正味1時間、Y先生とのピアノ合わせも1時間近く歌いっ放し。それでもY先生からアジリダに関しては自然な流れで歌って構わないのではと指摘頂いた。でも、折角この状態で合わせて何とか歌えているので、何としてもピッタリバッチリカッキリ、ピアノと合わせたい。それでも約1時間のピアノ合わせがあっちゅ〜間に終了してしまった。きっちりみっちり1時間歌いっ放し。
Y先生がパミーナのアリアの伴奏を終えて、

「この曲は、本当にモーツァルトって感じよね。どこを切ってもモーツァルト。どうしてこんな音や音楽になるのかしらねえぇ・・・・・・・・・・。あなたは、夜の女王だっけ?、あれ歌うの???モーツァルトって、どうしてこんな音楽を書けたのかしらねえぇ・・・。ホント、天才よねえぇ・・・・・・・・・・」

と言いながらアリアの最初の伴奏を弾き始めた。流石に私は夜の女王は無理なので(激汗)でも、やはりモーツァルトは余り好きでは無いのだが、やはり天才の音楽である事には何等違い無い。余計な事をする必要が一つも無い。本当にモーツァルトの音楽とおりに奏でれば良いだけなのだろうと思う。Y先生が、

「私、今日ちょっとエクササイズに行って来たんだけど、自分の姿勢を整えたり保持したりっていうのは、違うみたいなのよ。立っている時は大地に両足を預けて、椅子に座っている時は椅子に体を預ける。だから、モーツァルトに全て預けてお任せして歌うといいんじゃないかしら。私達のせいじゃ無いのよ。良い事も悪い事も全てモーツァルトのせいだから(笑)」

笑いながら語るY先生。Y先生の言葉を頼りに何となくモーツァルトにお任せして(爆)もう一度通して歌ったら非常に楽に歌えた。Y先生も、さっきよりもとても良いし、何よりもちゃんと6/8拍子に聴こえると指摘された。作らないで歌う事。これは非常に難しい。最初に、マティスやポップやボニーのパミーナのイメージがありそれを覆すために自分自身のパミーナを作り上げようとする自分が確かに存在する。これを取っ払って自然に歌うという事が非常に難しい。しかし、客観的にY先生が私の歌を聴いてモーツァルトに預けて自然に解放して歌う、というイメージを持たれた事で、ほんのちょっとの契機で、音楽はこんなにも変わり、より少しずつ作曲家に近づいて行く事が出来る。そして、作曲家本来の意思に近づけば近づく程、本当に演奏する事の不自然な力や枠が取り外されて行くのだと実感せざるを得なかった。

1時間みっちりピアノ合わせで歌い終わったトコロでY先生にもう一つお話しした。
「このパミーナのアリアは、1時間歌いっ放しでもちっとも喉が疲れないんですよ。結構な高音も多いんですけどね」
するとY先生が一言、

「じゃあ、まるであなたのために在るアリアなのね」

これには流石に固まって返答に詰まってしまった(滝汗)
歌に先入観や偏見の無い音楽家は、先入観や偏見を持たないという理由だけで、このような事をサラっと言えてしまうのか??????????と本当に心底驚いた。
ウィーンのN先生やM先生や、谷岡先生が、何故私がパミーナの声だと仰ったのか、今更ながらようやく少しだけ道標が見えて来たような気がした。
もの凄く、嬉しかった。
また今年もY先生と御一緒させて頂く事が出来て、本当に不幸に疲れて不貞腐れて荒れかけていた心が少しだけ優しさを取り戻す事が出来そうな気がした。Y先生が、

「今年は、いい演奏が出来そうね!!!楽しみよね!!!!!」

と仰った。その「いい演奏」という言葉が何故か私の心に突き刺さった。
「いい演奏」というY先生の言葉を聴いた時に、自分がこれ程までに「いい演奏」に飢えていた事、渇望していた事を改めて思い知らされた気がした。
アマチュアには本当に難しい「いい演奏」無論、他人の評価では無く、自分自身がきちんと「いい演奏」が出来たという事を認識出来るような演奏会本番。それを、伴奏者であるピアニストと共有出来るという事。ここまで来るのに、10年かかった。
今度は28日と、会場リハーサルが来月11日にある。出来るだけ練習して、体調を整えて演奏会本番に臨みたい。


昨日は、夜勤明けでバレンタインのチョコレートを買いに行く予定だったのだけれど、夜勤で私の受け持ち患者さん2人、プチ具合悪い人がいて超忙しかったので、一回自宅に戻って一眠りしてから改めてバレンタインのチョコレートを購入しに、三越へ♪
今年のチョコレートは「PRESTAT」のピンクシャンパントリュフ♪♪♪
大切な人にはより良い贈り物を、がモットーの私としてはまずまずの選択かなあぁ。とってもじゃあ無いけど、手作りなんてしてるヒマ無いしぃ・・・・・。でも、流石に真っピンクの箱のチョコレートを2個も買うのは若干恥ずかしい年齢になって来たなあぁ・・・・・(大汗)と実感。
ピンクシャンパントリュフを差し上げた方は、どうやらまだ食べていないらしく味の感想を未確認。もし美味しかったら私も食べてみたいよおおおおおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜・・・・・(涙)

ホワイトデーに期待しよう・・・・・。

不思議と毒物と信念と希望の飲み会♪

今日は、っちゅ〜か、今日も連続夜勤の中休み。

15日はピアニストY先生との初ピアノ合わせがある。昨日はバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアのピアノ合わせ前の最終チェックと、6月ヤンクミ一座の演奏会で歌うヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲のうち新しく追加で歌うアリアとレチタティーヴォの練習と確認作業。
いつもの如く、スタジオ練習ギリ直前まで寝て、慌てて起きてスタジオへ直行。
今日は、いつも通り3時間スタジオが取れたので「エジプトのジュリアス・シーザー」のセストのアリア「Cara speme」とセストとコルネーリアの2重唱の譜読みもしようと思って来たのだが、例の如くこれまたセストのアリアの楽譜を忘れて来た(超苦笑)とゆ〜か、クレオパトラの他のアリアの楽譜と取り違えて来た。
まあ、仕方が無い。
最近、また疲労マックス状態だなあぁ・・・・・・・・・・。

とか思いながらも、セストとコルネーリアの2重唱から譜読み。もうDVDで相当観てるし聴いてるので、音取りはほぼ苦労せず。
但し、やっぱコルネーリアはコントラルトの役なので、音域が低い。
でも、これは本当に昨年のクレオパトラのアリアの勉強のお陰か、中低音域〜低音域がクリティカルに響きが当たるようになって来た。無論、私はソプラノだから、低音域を無理くり張り上げようとして声を出しても、響くワケが無い。だから、声量は飽くまで無理無く声を響かせる事の出来る範囲内に限られるのだが、それでも5線の下の音域が、非常に響くようになったという実感はあった。まあ、2重唱なんだから、それ程声量も必要無いと考えているので、これは良いカンジ♪
結構以前からアンサンブルの勉強はやりたかった。数年前に、モーツァルトの「フィガロの結婚」のスザンナや「ドン・ジョバンニ」のツェルリーナの2重唱は勉強して演奏会で歌った事はあるけれども、飽くまでも「お勉強のため」だったので、ちっとも楽しくなかったし、逆に苦痛だった。
けど、勿論今回私が友人の練習に付き合う(便乗とも言う)事とは言え、ソプラノの私がコントラルトのコルネーリアの曲を歌うとゆ〜事は、相当にイレギュラーな事だし恐らくウィーンに行ったらまたN先生から、

「Only study, concert No!!!」

と、ハリセンが飛んで来るであろう事は全く想像に難く無い(死)
でも、もともと私がヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ役を全幕通して勉強しようと考えてDVDを購入して観た時に、
「私はクレオパトラよりもコルネーリアの方が歌いたいよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・」
と、真剣に考えたものだ。毎日DVDを観る度に、
「なあぁ〜〜〜んで私はコントラルトに生まれてこなかったんだっっっ!!!!!?????」
と、一人部屋でぶつくさ文句を繰り返していた。だから、今回は友人の練習の便乗とは言え、コルネーリアを歌える事は、超嬉すぃ♪クレオパトラよりもコルネーリアの方がキャラ的に好き♪

で、2重唱のコルネーリアの譜読みをざっと終わらせてから、今度はクレオパトラのアリア「Non,disperar」と「Se pieta」のレチタティーヴォの練習。「Non,disperar」は基本的にallegro ma non troppoなのだが、速度をどの程度に設定するかの調整に時間がかかった。allegroの基本120で始めてから徐々に速度を少しづつ下げて行った。最低でもメトロノーム100位で調整したかったのだが、私の声質がそれ程細く軽い訳では無いので、結果的に現在はメトロノーム94〜96で調整となった。歌い慣れて発声でもう少し軽めに調整出来れば、もう少しテンポアップ出来るかも知れない。アジリダの部分を、なるべく少ないブレスで歌い切りたいので、その程度のテンポに落ち着きたいと考えている。今後は歌い込んで慣れて行く事が一番。
「Se pieta」のレチタティーヴォは、これはちょっち大変(苦笑)この曲は、曲自体が本当にドラマティックな曲だし、中高音域のロングブレスは続くし、全く抜けるトコロの無いアリアの上に、レチタティーヴォからドラマティックな表現が必要。しかも、クレオパトラの数少ないシーザーへの愛が語られるレチタティーヴォなので、ドラマティックなフォルテと柔軟なピアニッシモと、声の緩急が表現として必要不可欠。今日はフォルテとピアニッシモのバランス配分を主に行った。こ〜ゆ〜表現を自分自身の解釈で脳味噌をフル叩きで考えて無い知恵絞って歌う事は非常に大変なのだが、全幕通して勉強するなら、もはや避けて通れない。まあ、このような勉強を自主的に行えるようになったという事自体は、成長の証なのだから喜ばしい事ではあるのだが。


ヘンデルの練習を約半分の時間で終わらせた後は、ようやくバッハとモーツァルトの練習。
と言っても、後は確実な暗譜と最終確認作業だけなので、余り歌い込み過ぎない程度に留める。15日のY先生とのピアノ合わせが終わってから最終的に固める調整を行った方が良い。
今日はバッハ「Bist du bei mir」はざっと通しただけ。前回の谷岡先生のレッスンで指摘された、中低音域に照準を合わせて声の響きのポジションを取る事をチェックした。4小節ブレスに関しては余り拘らない事にした。まず、バッハの声楽曲の発声の確立から慎重に勉強して行こうと考えている。前回の谷岡先生のレッスンで初めて歌ったバッハ「シュメッリ歌曲集」も視野に入れた勉強を行って行かなければならない。でも「Bist du bei mir」は歌い慣れてはいるので、今日は本当に通しだけ。

モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアは、アジリダの部分のブレス箇所の確認作業を主に行った。今迄この曲はメトロノーム60でテンポ調整して来たが、アジリダのブレス箇所の問題が持ち上がったため、テンポの再確認作業を行わざるを得なかった。基本的にアジリダ部分はノンブレスで行く。でも、普通のAndanteでこのアリアを歌うという野暮な真似だけはしたくない。ダサッ(古っ)
一応、メトロノーム76の普通のAndanteからパミーナのアリアを歌い直してみた。テンポ76。こんなお急ぎの悲しみがあっていいのか???あるワケないだろ!!!有り得ない!!!ちゅ〜こって、やっぱりテンポ70以下で再調整(爆)よくもまあ、みんな世のパミーナ歌うソプラノ歌手は、こんな早いテンポで愛と死の悲しみの表現が出来るなんざ、お上手な歌手が多いんだなあぁ(爆)まあ、私はモーツァルトあんまし好きぢゃあないしぃ、あんまし向いてないしぃ、オペラ全幕通して歌う事も無いしぃ、好きなよ〜に歌うさあぁ♪とゆ〜事でテンポ調整を行い徐々に遅くして行ったトコロ、テンポ64〜68ならばパミーナのアリアのアジリダ部分はノンブレスで歌える事が分かった。
もともと前回の谷岡先生のレッスンでも、

「やっぱり、あなたのパミーナのアリアのテンポはちょっと遅いのよ。アジリダをノンブレスで歌う事はあなたなら十分可能だと思うから、もう少しテンポ上げてみる気は無い???」

と指摘されていた。勿論テンポアップの状況は十分に想定内だが、あくまでもメトロノーム70以下というのが最低限度の譲歩条件。でも、テンポ64〜68でアジリダがノンブレスで歌えるなら、この程度は許容範囲内だろうな。とゆ〜事で、メトロノーム64のテンポ調整でざっとパミーナのアリアを通して、本日の練習は終了、きっちり3時間でした♪
しかし本当に不思議なのだが、パミーナのアリア、スタジオ練習の一番最後に歌っても、ちっとも喉に疲労を感じない。逆に、ヘンデルやバッハを散々歌った後にパミーナのアリアを歌うと喉の調子が良くなる気がするくらいだ。結構な高音域、2点hとか、ガンガン出して歌ってるのに。
この事に関して前回のレッスンで谷岡先生に相談してみたら、谷岡先生が、

「ああ、このパミーナのアリアはねえぇ、ヨーロッパなんかで歌ってる一流の歌手達が、朝イチで自分の発声を整えるために良くパミーナのアリアを歌うっていうくらい発声にはとっても良いアリアなんだって私の先生が言っていた事があるのよ。だから、あなたがパミーナのアリアの練習は長時間平気で声帯に疲労が感じないと思う事は、きっと正しい事だと思うから、それで良いと思うわ」

との事だった。ふ〜ん・・・ど〜りで1時間歌いっぱなしでも声帯に疲労を感じない筈だわ。


スタジオ練習が終わった後は、病棟の看護師飲み仲間と、宴会!!!!!
本日のメンバーは「不思議」な私と「毒物」と「信念」と「希望」な3名、4人で大騒ぎ(自爆)
成分解析は今日も話題になった(爆)
やっぱ、たまにはストレス解消しないとねえぇ〜♪

さて、寝るか。

成分解析。。。

昨日、今日と久しぶりの2連休だったので、連続夜勤で疲労困憊も忘れて色んな事やりまくったら、DVDも観られない程クタクタヘトヘト。ドツボ。

昨日は、スタジオが混んでいて結局2時間しか取れなかった。バッハ「Bist du bei mir」モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアを練習していたら、あっちゅ〜ま。
ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラの最初のアリア「Non Disperar」と「Se pieta」のレチタティーヴォを練習し終わったら、スタジオ時間残り10分(悲鳴)結局、セストの「Cara speme questo core」は、たった1回流して歌ったとゆ〜か、音取りしただけ。超凹んだ。
やっぱりせめてスタジオ練習は最低3時間は欲しい。きっぱり。だって元々はスタジオ練習4時間やってたんだから、2時間じゃあ足りねえぇの何のってハナシ。

スタジオ練習が終わってからギャラリーカフェで、楽譜作り。
クレオパトラのアリアは全部で8曲。残りの2曲の楽譜作りを途中までと、セスト&コルネーリアの2重唱「Son nata a lagrimar~Son nato a sospirar」のイタリア語訳と楽譜指示記号のチェックをよ〜やっと終了。友人のセストの勉強にお付き合い、とゆ〜か便乗(爆)させて頂くのに2重唱でコルネーリアを私が歌うつもり(ほぼ確定)なのだが、実は自分がコルネーリア歌いたかったりして(自爆)
コルネーリア、低っ!!!コントラルトの役だから、当然か(苦笑)
そして、今年6月、毎年恒例千葉のヤンクミ一座のコンサートに、今年はクレオパトラのアリア5曲歌う事にしたので、自己紹介文やら、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のあらすじやら、クレオパトラのアリアの楽曲解説や日本語訳をまとめてディスクに保存。あとはプリントアウトだけして楽譜と一緒にヤンクミに送るだけ。
最後にギャラリーカフェ閉店時間まで、セストのアリア「Cara speme quesuto core」のダ・カーポ部分の装飾音のチェックをして楽譜に書き込む作業。勿論御手本は、Concert CopenhagenのDVDのセスト役Tuva Semmingsenの歌唱♪
ここまで終って気が付いたら、夜8時。外は超寒かった(涙)

その後帰宅して酒呑んで少し食べたら、胃の動きが良くないのかすぐ眠くなってしまい、ちょっとウトウトしたら、夜中1時〜朝6時まで眠れず、ゴロゴロウダウダ(自爆)
仕方無いわな、いつもならお仕事真っ最中の時間。
それでも今日は谷岡先生のレッスンがあったので、無理やり眠ろうと羊を数えまくったが、結局よ〜やっと眠りにつけたのは夜が明けてから。


今日は11時からスタジオで発声練習してから14時から谷岡先生のレッスンに行くはずだったが、目が覚めたのが10時40分(爆死)
飛び起きて泡食ってシャワー浴びて自宅を飛び出た(超苦笑)
結局、発声練習時間は約30分弱。しかも、楽譜を忘れて来た(誤爆)
私は、例の赤と白のカワイ楽器の袋に、レッスンを受ける先生毎に楽譜を小分けして持ち歩いている。
ミルヒー先生用イタリア歌曲&イタリアオペラの楽譜、ウィーンのN先生レッスン用の楽譜、ウィーンのB先生レッスン用の楽譜、シューマン等のリサイタル用楽譜etc・・・・・。
今日持ってった楽譜は、ウィーンのN先生用の楽譜オンリー(凹)バッハやモーツァルトやベートーベンの楽譜しか、私の「のだめバック」に入っていなかった・・・・・・・・・・(死)

そ〜ゆ〜ワケで、本日のレッスンはバッハとモーツァルト。
谷岡先生のお宅に到着して、まずはハリセン先生の御在宅を確認。谷岡先生も、

「今日もハリセン先生はいないよ〜♪パミーナ練習する???」

・・・・・・・・・・・・・・・(核爆)谷岡先生も、やるなあぁ。。。
先日、ウィーンのM先生からメールを頂いて、今年のウィーン行きは9月くらいなら可能との旨御報告した。
本当は、ハリセン先生と谷岡先生が希望者を募って今年6月に数人でウィーンに行く予定らしいのだが、私はゆっくりレッスンを受けたいし、今の勉強ペースでは6月にウィーンに行ってもレッスン曲数が限られるし、6月には千葉でヤンクミとの演奏会もあるとゆ〜事で、6月のウィーン行きはちょっと無理。9月にゆっくりウィーンに行ってレッスンしたいとお話しした。ハリセン先生や谷岡先生と一緒にウィーンに行ったりしたら、きっとレッスンよりも、毎日夜のホイリゲがメインになっちまうううううぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜・・・・・(滝汗)
と、谷岡先生と爆笑しながら談笑。
先日ウィーンのM先生から頂いたメールにも書かれていたのだが、

「あなたのメールを読んでいると、まるで直接お話ししているかのように感じてしまいますが、違うのは、酒が無い事です!!!ひひひ♪」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(沈黙)私の先生方って、一体・・・(蒼白)
そ〜ゆ〜事で、今日は早速バッハのレッスンから。「Bist du bei mir」低声用は谷岡先生には初めて見て頂く。以前は原調版の高声用だったのだが、今回低声用で歌ってみて谷岡先生から指摘されたのが、

「あなたは、せっかく高音もかなり出るし、中音域も豊かに響く声を持っているんだから、高音だけ飛び出しているように聴こえないように、もっと自然に声を出してみたら???中低音域にポイントを合わせたら、もっと楽に声を出せるようになると思う。高音域で少し流れが止まっているように思う」

との事。やっぱ、ヘンデルのリサイタルでクレオパトラのアリアをしこたま歌って勉強してから、中低音域が自分でもかなりしっかり響くようになって来た実感があった。ようやく中低音もモノになるようになって来たかあぁ(滝涙)
次は、初レッスンにお目見えのバッハ「シュメッリ歌曲集」から2曲。何しろ、私も録音は一切聴かずに譜読みして、谷岡先生も「シュメッリ歌曲集」は歌った事が無いとの事で、手さぐり状態のレッスンとなった。
バッハ、シュメッリ歌曲集、短い曲と言っても音域も広いしメロディラインがバッハ独特。同じバロックでも、ヘンデルとはエラく違う。
ただ、歌詞がキリスト教の聖書に基づく内容なので、意味的には私にとって結構親しみ易いとゆ〜か分かり易いとゆ〜か理解し易いとゆ〜か。録音を聴かずに勉強して来たが、何とか谷岡先生の伴奏にくっついて歌う程度は出来た。少しホッとした(汗)
たった1ページの有節歌曲なのにテンポの変化があったり、カンマが無いのにフレーズを切る箇所があったりと、今までのドイツリートの勉強には無かった要素が多い。谷岡先生からもアドバイスされたが、バッハの器楽曲を聴いて勉強した方が良いのではないか、との事。イギリス組曲やフランス組曲など。
私が持っているのは、オルガン曲と、チェンバロ曲だけかも(苦笑)マタイ受難曲やh-mollはあるけど、バッハを歌うのならば今後は声楽曲だけではなく器楽曲も含めた「バッハの勉強」が必要になりそう(自爆)嗚呼、また読む本が増えそう・・・・・・・・・(疲)
ど〜してもバッハの声楽曲とゆ〜と「天使の声」的なイメージが大きいので、私が歌うには結構躊躇する事が多い。先日もアーリーン・オジェーのバッハ&ヘンデルのCDを購入したのだが、あんなカンジ。
しかし、谷岡先生が仰る事には、

「日本人とヨーロッパ人の、天使の声に対する認識がそもそも違うのよ。日本人は、ウィーン少年合唱団みたいな声を天使の声だと思ってるでしょ???ヨーロッパでは、ウィーン少年合唱団は、単なる子供の声なのよ。ヨーロッパの天使の声っていうのは日本と違って、もっと大人の声なのよね」

う〜ん・・・。確かに何度か谷岡先生から同じ事を指摘されて来たけれど。
まあ、どっちみちウィーンのレッスンにバッハの「シュメッリ歌曲集」は持って行くので、天使だろ〜が悪魔だろ〜が、気合入れて勉強しなきゃいけない事は確かなのだ。

最後に、パミーナのアリアをレッスン。結構歌い込んでいるので殆ど問題無しと言われたが、アジリダの部分で、どの個所でブレスするかが問題になった。ドイツ語の言葉は繋げなければならないので、ブレスするにしてもカンニング、結構な高音でブレスする事になる可能性が高い。でも、今私がスタジオで自分で練習している時はメトロノーム60で練習している。Largoの扱いである。それでも、パミーナのアリアの後半でのロングブレスは持つので、一応演奏会本番ではメトロノーム66〜68で調整する予定でいる。70以上のテンポでは歌いたくない。最低でもAdagioで行きたい、とゆ〜事で、アジリダの部分のブレス箇所の調整が課題となった。
もう一つは、谷岡先生から、

「どういうリズムで歌いたいのかが、ちょっと見えて来ない。テンポもまだ少し迷っているように聴こえる。それと、8分音符が少し長く聴こえる」

と指摘された。6/8拍子が3/4拍子に聴こえてしまいがちである、という事に自分自身気が付いた。これは、少し微調整が必要。下手にブレスが長いと、なるべく途中でカンニングブレスをしたくない!!!とゆ〜欲も出て来る。
まさかここまでパミーナに力が入るとは思っていなかったのだが(苦笑)
で、本日のレッスン終了。

次は、15日にピアニストのY先生と、初ピアノ合わせがある。
それまで、少ない時間を大切に練習しなければならない。
先日ウィーンのM先生から頂いたメールの中に、パミーナに対するM先生の考えが述べられていた。

「パミーナは、オペラの中で私はとても好ましく感じる人物です。最初のパパゲーノとの2重唱での彼女の優しさ、母である夜の女王との会話で彼女が示す正義を愛する力など、どれも生きて悩んでいる人間がいます。そして、時に戸惑ってしまう人間性など・・・いいですね」

日本から単身ウィーンに渡り、長年ウィーンで音楽を学び、今はウィーンで音楽を教えて演奏されているM先生からこのようなお話しを伺うと、本当に私は幸運な人間なんだなあぁ・・・と嬉しくなる。
何だよ、パミーナも結構イイ役じゃん♪とか思ったりして(自爆)


先日、連続夜勤の真っ最中、私の夜勤にしては珍しく静かな夜勤だった。
ヒマだったので、ブログ友人のブログを見ていたら、面白いモノ発見!!!
「成分解析 on WEB」

ワタシの解析結果は、
60%は不思議で出来ています。
17%は玉露で出来ています。
9%はマイナスイオンで出来ています。
8%は濃硫酸で出来ています。
6%はミスリルで出来ています。

とゆ〜解析結果だった。
真夜中ヒマこいていたワタシは、一緒に夜勤をしていた仲良しの看護助手さんと一緒に、病棟の勤務表の一番上から、片っぱしから成分解析して、真夜中のナースステーションで2人で大爆笑していた。
休憩に入っていた後輩看護師に解析結果をコピーしてあげたら、超複雑な表情をされた(核爆)
仲の良い飲み友看護師の中には、毒物で出来てたり、下心で出来てたり、カルシウムで出来てたり、純金で出来てたり・・・色々あったので、病棟でちょっと流行らせようと考えている。
ヒマ潰しと目覚ましには丁度良かった。
歌とか音楽で成分構成されてると思っていたのにいぃ〜〜〜・・・。
それにしても、玉露って、濃硫酸って・・・・・(謎)

Evangelist

昨日は連続夜勤の中休み。
スタジオの予約が丁度良い時間に取れなくて、21時〜0時にスタジオをようやく予約出来た。
昼過ぎに起きて、スタジオ練習までの時間は、久しぶりにギャラリーカフェで本当に久々の楽譜作り!!!
ホント、嬉しかった〜〜〜\(^o^)/

ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」で友人と一緒にデュエットする予定のコルネーリアとセストのアリアの楽譜を自分用に作成し直し。
クレオパトラのアリアで、今迄歌っていなかったレチタティーヴォを日本語訳&楽譜指示記号チェックしてから、今年ウィーンでレッスンを受けたいと考えているバッハ「シュメッリ歌曲集」から2曲を楽譜作成♪
ギャラリーカフェで楽譜作成に掛けた時間だけでも5時間。
その後、スタジオ練習を夜中まで3時間行った。
やはり、連続夜勤の中休みでもたった1日なので、少し歌っただけでもすぐ声帯に疲労を感じた。
でも、練習しない訳にはいかない。
喉を壊さないように、潰さないように、慎重に少しづつ練習していくしか他に術は無い。
最初にバッハ「シュメッリ歌曲集」から2曲を音取り&譜読み。
バッハの高声用楽譜は、音域が割に高い。せっかくウィーンから買って来た楽譜だが、これは低声用楽譜も購入した方が良いかも知れない、とマジで考えた。
バッハ「シュメッリ歌曲集」は、ウィーンのM先生と一つ大きな約束をして日本に帰国した。それは、ウィーンのM先生から、

「あなたくらい歌の勉強をしようという人なら、いい加減もう曲の録音を聴いて譜読みをするのではなくて、まず楽譜に向き合い、どんな曲でどんな歌詞なのかを、きちんと自分で考えながら勉強するべき。あなたなら出来るはずよ!!!」

と、去年のウィーンのレッスン時にM先生に指摘されて日本に戻って来た。
だから、バッハ「シュメッリ歌曲集」だけは、何としても、どんな事があっても、決して録音は一切聴かずに譜読みをしなければならないという自分自身の中の厳守項目が存在する。
「シュメッリ歌曲集」の中でも、比較的音取りし易い曲を選択したが、やはり初見などやった事も無い私にとっては、困難な作業である事には違い無いが、それでもフレーズ毎の和音をピアノで弾きながら、少しづつ音取りして譜読みを行った。


その後は、3月演奏会で歌うバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアの練習。
バッハ「Bist du bei mir」低声用は、どうしても楽な音域であるために、声を出し過ぎてしまう。少しづつ音量を絞りながら練習するものの、身体的疲労の激しい今はどうしても声帯の疲労を感じてしまう。もう少しコンパクトに歌う事を考えて行かなければならない。理由としては、まずブレスが4小節持たないのは、ドイツリートを勉強し歌う者としては、非常にみっともないし聞き苦しい。一体何を勉強しているのか???という事である。少なくとも、この「Bist du bei mir」を勉強し何度か演奏会に乗せているのだから、いい加減本当のドイツリートの必要最低限の御約束に乗っ取った歌唱を目指さなければならない。でなければ、歌っている意味が無いのだ。この課題に関しては、演奏会本番ギリまで苦心する事になるだろう。

その後は、モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアの練習。
不思議な事に、本当に不思議な事に、自分で考えた自分のやりたい自分しかやらないパミーナを歌うようになってからというもの、パミーナのアリアは、1時間歌いっぱなしでも喉に疲労や負担を感じる事が一度も無い。実際に昨日も、バッハを3曲練習してから一番最後にパミーナのアリアを1時間練習したのだが、声帯の疲労を感じるどころか寧ろ、パミーナのアリアの練習をした後は、喉が楽になり声帯の負担を忘れるくらいだった。
一体、ど〜ゆ〜現象なのだろうか(超激爆)
パミーナのアリアも、バッハの歌曲と同じく只管ブレスを長く繋ぎレガートにピアニッシモに歌う事だけに集中した。それでもやはり、下降音型では音程が低くなる事があり、それを一つ一つ厳密に洗い出して行く作業を入念に行った。恐らく、3月の演奏会本番まではこの作業との戦いになるであろう事は、まず間違い無い。


夜中過ぎに帰宅して、今日は非常に貴重な、日勤業務(猛爆)
何だか全身倦怠感&頭痛&耳鳴りが酷くて、でも仕事は山積み(爆死)
ようやく夜7時頃帰宅した。
今月は、3月演奏会のピアノ合わせの日程をY先生と調整するので、まずは谷岡先生とのレッスン日程を相談しなければならなかった。勤務シフトと睨めっこしながらワインを1本空けた所で、メール着信があった。

ウィーンのM先生からのメールだった。
先日、ウィーンのM先生に、今年の7〜9月は病棟で夏休みが取れるので、夏期間にウィーンの先生方々のスケジュールが大丈夫であれば、夏にウィーンにどうしてもレッスンに行きたい事をメールでお伝えしていた。その返信が、返って来た。
M先生から、9月以降であればN先生もB先生もレッスンが可能かもしれませんとのお返事だった。
9月なら、多少苦しくても日程的にウィーン行きが調整可能である可能性が高い!!!本当に嬉しかった。
それともう一つ、M先生からのメールに、一つメッセージが書かれていた。

「沢山の素敵な曲目を練習しておられるのですね。あなたのパミーナはきっと、とてもぴったりですね。私も聞かせて頂きたいです。音楽はあなたにとって、大事な事なのですね。お体もしかし大切です。どうか無理のないようにお過ごしくださいね」

このメールの文章を読んだ時に、本当に涙が流れた。
日本では、誰もが私がパミーナを歌う前から、
「パミーナは違うんじゃない???」
と、否定され続けて来た。悔しくて悔しくて悲しくて腹が立って、仕方が無かった。
私がやっとの事で練習したパミーナのアリアを、谷岡先生と友人だけが、認めてくれた。
でも、ウィーンのM先生は、去年のまだまだ今よりももっと未熟な声でしか歌えなかった私の声の状態しか記憶にお持ちでなくとも、私のパミーナのアリアを楽しみに待っていて下さっているのだと思ったら、もう外野の雑音なんかどうでも良くなった。
ちゃんと、3月にパミーナを歌えるようになろうと、決心した。
日本で誰もが歌を聴く以前に否定した私のパミーナのアリア。
ウィーンにレッスンに行くまでに、例え誰にどんな事を言われたとしても、絶対に自分だけのパミーナを少しでも成長させて今年のウィーンのレッスンに持って行きたい。
どんなに足掻いて苦しんで怒り不貞腐れても、試行錯誤しながら諦めずに勉強する事は、決して無駄では無いのだと、私自身が決して無駄にしてはならないのだと、身に染みた。
いっその事、日本なんかで私がパミーナを歌わなくとも良いではないか。
ウィーンにレッスンに持って行く事が出来るのならば、それでいい。


M先生の「良い知らせ」のお陰で、また今月の夜勤漬けの生活も何とか乗り切って行けそうな気がする。

パミーナのアリア、頑張らなきゃ♪



夜勤漬け生活

1ヵ月ほぼ夜勤漬けの生活が過ぎた。多少体は慣れて来たが、疲労は取れない。スタジオ練習に行くのが精一杯。
一番困った事は、楽譜作りが進まない事。ミルヒー先生や谷岡先生のレッスンが殆ど受けられない事。
楽譜作りが滞ると、来年以降の歌曲やオペラアリアの勉強に遅滞が生じる。イタリア語やドイツ語の辞書を開いて歌詞を一つ一つ丁寧に訳し発音記号や指示記号を調べて楽譜に書き込んで行く作業。
これは私が声楽のレッスンを始めた時から自分自身の御約束としてずっと続けて来ている事であり、この作業無くして声楽の勉強は有り得ない。
来月になったら、少しは夜勤生活に体も慣れて、楽譜作りの作業を再開出来るだろうか。
バッハ「シュメッリ歌曲集」や、ウィーナーリートの楽譜作りが全く進んでおらず、手付かずのままである。
明日から、少しでも楽譜作り作業に着手したい。


今月は、夜勤明けで自宅にいても寝て過ごす事が多かった。
ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを2種類、CDを4種類購入、更にサラ・コノリーのヘンデル・オペラアリア集とシューマン歌曲集を購入した。
まだ殆どきちんと聴けていないのだが、DVDは全て見比べてみた。
このブログで御大層なディスクレビューはしないので、簡単に歌手の比較と感想を書くに留めたい。

Dresden StaatskapelleのCraing Smithの盤、
Concerto CopenhagenのLars Ulrik Mortensenの盤、
それといつものグラインドボーンのウィリアム・クリスティの盤。

シーザー役に関して思う所は、アジリダの表現や音の正確さに於いては、サラ・コノリーがやはり抜きん出ていると感じた。但し、グラインドボーン以外の盤はどちらもシーザー役がカウンター・テナーである。Jeffery Gall、Andreas Schollというカウンター・テナーだが、どちらも非常に伸びのある声の持ち主でシーザー役としては楽しむ事が出来た。シーザー役に関しては、メゾ・ソプラノやコントラルトも良いが、演奏としては男性のシーザーの方が50歳代軍人の男臭さというか好色振りが出ていて良い部分も多いのかも知れないと感じた。そういう意味では、サラ・コノリーのシーザーは非常に清潔感や華麗さが漂うシーザーで、やはり男声が演じるのと女声が演じる事の大きな違いが際立つ事に、多少の驚きを覚えた。サラ・コノリーは女声だけあって非常に緻密な表現を徹底して歌唱に取り入れているという事を強く感じた。

クレオパトラ役に関しては、Susan Larson、Inger Dam-Jensen、ダニエル・ド・ニースだが、私が一番参考にするであろう声質のクレオパトラはInger Dam-Jensenになる。Susan Larsonは不思議ちゃん系のソプラノでこれはちょっと私が参考に勉強するのは苦しい(爆)但し、このSusan Larsonの「敬愛する瞳よ」のアリアは恐らく3人のクレオパトラの中では最も美しい美声で歌われているのだろうという事は感じた。まあ、日本人好みのクレオパトラだろう。ド・ニースも確かにヘンデル歌手としてウィリアム・クリスティに認められてはいるし、「苛酷な運命に涙を流し」のアジリダはインテンポに歌いこなしているので、その辺くらいは参考にして行こうと考えているが、ド・ニースのクレオパトラには政治的要素や中年軍人をおとすといういやらしさが余りにも欠けていて非常に面白みが少ない。小娘的なクレオパトラを声で表現する事は私には必要無い。
Inger Dam-Jensenは、声質がやや太めな事もありクレオパトラのアジリダの表現に於いては多少重くなりがちであるという私が抱えている課題とリンクする歌手であると感じたが、しっかりした強い声のクレオパトラで、実に野心的なクレオパトラを歌っているので大いに参考に勉強して行きたい。流石にクレオパトラが多少強めの声質であれば、カウンター・テナーとの2重唱の相性というかバランスが非常に良いと感じた。
でも、今後は自分自身がクレオパトラをどう歌いたいか、どう歌って行くのかをほぼ掴みつつあるので、それ程録音や映像を手本に勉強するという事は減少傾向になるだろうと思っている。

最も差が出たのは、トロメーオ役。
Drew Minter、Christopher Robson、クリストフ・デュモーの3人の中では、圧倒的にクリストフ・デュモーの一人勝ち(爆笑)と私は判断した。クリストフ・デュモーは若いのでChristopher Robson程のいやらしさは無いのだが、歌唱力という点では抜きん出ている。追随を許さない、というカンジ(笑)カウンター・テナーとしても相当にしっかりした強い声質の持ち主であり、テクニックも非常に高度であると感じた。トロメーオは非常に若いエジプト王だが、タダのクソガキやセクハラ王では無く、狂気という表現が加わるとこれ程までに貫禄が違うものなのか、と圧倒される。特に古代エジプトは、王権は基本的に女王主権移譲で近親結婚であるので、政治的才能が無い(特に外交政策や国防戦略)王は、古代数千年のエジプト王朝を滅亡される危機と他国(ローマ)との戦争に発展するという歴史的現実が存在し得る。そういう意味で、ただの幼稚さと好色さだけでなく、それに加えて暴力的で狂気を持ち合わせる(歌唱として表現出来る)実力を兼ね備えたクリストフ・デュモーはまさに当り役と評価されて然るべきであろう。
特に、ド・ニースとの兄弟姉妹による近親結婚の末のエジプト王権争奪戦という、血で血を洗うグロテスクな血縁因縁と歪んだ愛情を、あそこまで表現しているトロメーオは、今の所クリストフ・デュモーの他私は見つけられていない。そのような素晴らしいトロメーオの録音なり映像が存在するのであれば是非教えて頂きたい。
何故ならば、トロメーオの解釈がクレオパトラという役柄の理解と解釈と表現に、絶対に切り離す事の出来ない絶対的要素なのだからである。

コルネーリア役も、この役を歌うコントラルト歌手自身のレパートリーによって非常に差が出ると感じた。
Mary Westbrook-Geha、Randi Stene、パトリシア・バードンの3人の中では、やはりワーグナーも歌うパトリシア・バードンの声の迫力や厚みは群を抜いていると感じた。低音域の発声の安定感という観点からしても、やはりパトリシア・バードンが圧倒的であると考える。
余談なんだけど、Randi Steneが誰かに似てるなあぁ〜〜〜・・・と良く良く考えてみたら、ヒラリー・クリントンに似ていた(爆)

セスト役に関しては、非常に面白い事が解った。
Lorrain Hunt、Tuva Semmingsen、アンゲリカ・キルヒシュラーガーの3人の中で、最もセストとして素晴らしいと感じた歌手について、では無く寧ろ、最もセストとして疑問視せざるを得ない歌手が、キルヒシュラーガーであると非常に強く感じた。
セストとしての歌唱で最も差がはっきり認識出来る曲が2曲存在すると私は非常に注意深く考えてる。「Cara Speme」と、コルネーリアとの2重唱である。この「Cara Speme」で音程が低いという荒業をやってのけたのはキルヒシュラーガー一人だけ(超苦笑)しかも、キルヒシュラーガーはコルネーリアとの2重唱でパトリシア・バードンと音程が合っていない。他の2人のセスト役歌手は、コルネーリアとの2重唱で非常に美しいアンサンブルを聴かせてくれている。特に、Lorrainn Huntのセストは非常に美しい2重唱で、思わず涙が流れる程だった。Lorrain HuntやTuva Semminsenは非常に伸びのあるしっかりした歌唱で音程もポンとピッタリ当てている。この二人のセストの歌唱は何の不安感も違和感も無く聴ける。しかも、Lorrain HuntもTuva Semmingsenも、殊更セストが少年である事や若さを強調しなくとも自然な歌唱でセストを充分に表現出来ていると非常に強く感じた。特に、Tuva Semmingsenのセストはイタリア語も曖昧さが無く非常に安定感のある歌唱で、セストをレパートリーとしているという事が歌唱から十二分に感じ取る事が出来る。
要するに、キルヒシュラーガーは、グラインドボーンのミス・キャストと私は評価する。

3つの盤で最も大きく違ったのが、アキッラとニレーノの解釈。
Dresden Staatskapelleでは、コルネーリアを天使のように崇める優しいアキッラと、女声がニレーナとして歌っていた。
Concert Copenhagenでは、トロメーオの部下として、コルネーリアへの欲望との間で悩めるアキッラと、まるで僧侶のような影武者のカウンター・テナーのニレーノが歌われていた。
グラインドボーンのアキッラは、トロメーオにまんまと騙される悪役で、ニレーノはユーモアたっぷりのチャップリン・タイプのように感じていた。
3つの盤とも、ここまで違うと比較出来ない(笑)それぞれの演奏や演出を楽しむのが最も良いかな〜と思う。



最近、ようやく少し状況が動いて来た。

まず、3月の演奏会で歌うバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアを、去年のドイツリート・リサイタルのピアノ伴奏をしてくださったY先生と、ピアノ合わせの日程の調整に入る事になった。Y先生とのピアノ合わせまでには、少なくとも谷岡先生のレッスンを受けておきたい。来月2月も、日勤はたったの2日で、後は全て夜勤になっている。体調と喉の管理に集中しなければならなくなるだろう。ただ、3月のウィーン行きは無くなったので、練習時間は何とか確保出来るだろう。取り敢えず、出来る事をやるしか今は他に方法が無い。バッハもパミーナも歌唱の方向性は既に出来上がっているのだから、後は演奏会本番に乗せられるレベルを如何に向上させて行く事が出来るか、に尽きる。

それと、先日ウィーンのM先生からメールを頂いた。
親父の病気のために3月のウィーンでのレッスンを中止したい旨のメールを送ったが、M先生は非常に心配してくださって、ウィーンのN先生やB先生にも私の事情を詳しく説明して下さるとの事だった。そしてM先生からは、

「状況が落ち着いてあなたがウィーンに来られる時に、いらして下さい」

と、非常に有難い言葉を頂いた。
今年のウィーンでのレッスン、まだ諦めてしまわなくても良いのか、と思ったら胸がいっぱいになった。
メールを頂いて、涙が流れた。
現在、今年の夏頃ウィーン行きが可能かどうか調整中である。
希望が持てるという事は、本当に嬉しい有難い事だ。
絶対にウィーンでのレッスンは、決して諦めない。


残念な事に、連続夜勤の蓄積疲労で、昨日のフィギアスケート四大陸選手権の録画を忘れて夜勤に出勤してしまった。
真央ちゃんの「鐘」が観られなかった、トリプルアクセルジャンプ2回成功が、観られなかった・・・(滝涙)
でも、逆転優勝出来て良かったです。真央ちゃん。
バンクーバー・オリンピックでも、どうぞ真央ちゃんが演じたいスケーティングが出来ますように。



さっき、某ブログで非常にショックを受けた。
チェリビダッケが、ジェシー・ノーマンの歌う、R.シェトラウス「4つの最後の歌」を、

「ゴビ砂漠の春」

と批評した、という事。

私も、パミーナのアリアを歌う時には、聴き手と歌う場所を相当に厳選しなければ相当に野次られるのかも知れないな、と苦笑いしてしまった。
演奏する側が聴き手を選別したとしても、別に悪くは無い。
私はアマチュアなんだし。



私の堪忍袋のサイズはSサイズ♪

今日も夜勤の中休み。
明日からまた連続夜勤になるので、次の休日は31日。それまで声を出す事が出来ない。

今年3月のウィーン行きをようやく諦めてウィーンのM先生にレッスン中止のメールを送ってから、酒量が倍に膨れ上がった。
親戚一同が親父の入院費用等について色々言って来たが、一喝一蹴。
憂さ晴らしに、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のCDを4種類、DVDを2種類、買い漁り。金額合計約4万円也( ^^) _旦~~
嗚呼、すっきりした♪♪♪
これから届くのが楽しみだわあぁ〜\(^o^)/

今日は夕方からスタジオ3時間練習。
昼過ぎに起きて、まずは3月のお教室演奏会用のバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアの楽譜をY先生に速達で郵送。
それと、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のセストのアリア5曲とセスト&コルネーリアの二重唱の楽譜を点訳依頼。
それからギャラリーカフェに行ってコーヒーを飲みながら、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア1曲目「Non disperar」の楽譜作りをしてから、スタジオに向かった。

今日から暫くは連続勤務・連続夜勤が続くので、5日間は声が出せない。
今日は何の練習をしようか、結構迷った。
3月Y先生のお教室演奏会で歌うバッハとパミーナの他は、本当は、今年リサイタル予定のシューマンを練習しようと思って楽譜を持って行ったのだけれど、ギャラリーカフェでヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア、まだ歌っていない「Non disperar」の楽譜作りをしていたら、やっぱクレオパトラを歌いたくなってしまった。
クレオパトラのアリア「Non disperar」は、実際歌ってみたらクレオパトラの他のアリア「Tu la mia stella sei」「Vennelle bella」よりも余程歌い易く、何でヘンデルのリサイタルにこっちの方を選んで歌わなかったのかあぁ〜〜!!!と、超後悔した(爆死)でもまあいいか(超苦笑)
一つ感じた事なのだが、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のグラインドボーンの映像を購入してから、ヒマさえあれば毎日のようにDVDを観ているせいか、クレオパトラだけでなく、ヘンデルの「エジプトのジュリアス・シーザー」という音楽全体がもう体の中に叩き込まれているため、クレオパトラの新しいアリアを初めて譜読みしても、困難さも難しさも違和感も全く感じない。
当然私の頭の中にはダニエル・ド・ニースのクレオパトラの声や歌唱がおぼろげながら残ってはいるのだが、一番印象的な事は、ダニエル・ド・ニースの歌唱よりも、ウィリアム・クリスティのヘンデルの音楽構造の枠組みというか感性というか方向性というか趣向だったので、クレオパトラの新しいアリアを自分の声質と解釈と歌唱をベースに練習する事に、全く唯の一つも違和感を感じなかった。
強いて言えば、後はAllegro ma non troppoのテンポの創出に頭を搾るだけだった♪
要するに、自分自身にとっての真のレパートリーとは、即ちこういう事なのだろう(笑)という事が、ようやく得心が行くようになって来た。他の歌手、録音歌手に惑わされない、引き摺られない、自分の歌唱が最初の1フレーズで即座に掴み取る事が出来る。
それが即ち真の「レパートリー」という事になるのだという事。

その後は、バッハ「Bist du bei mir」とパミーナのアリアの練習。

バッハ「Bist du bei mir」は、低声用なので、まずは声を押さない響きを高く保つ練習。この低音ながら響きを高く保つ練習には非常に慎重に注意深く神経を使い果たす。
その上、このバッハの歌曲は原調版の高声用とはいえ、既に2回演奏会本番に乗せている。そのため、今回例え低声用で演奏会本番に歌うと言っても、今迄の演奏会本番よりもより質の高いレベルを目指さなければならない。今回の目標は、4小節ブレスを徹底する事。
世界的一流歌手の録音ですらブレスしている箇所でも、本来ならばブレスするべきではないフレーズは、ノンブレスで歌う事を目指す。それが、真の意味でのレパートリーという事なのだ。
ちなみに今のレッスン状況では、ギリセーフ(自爆)後は本番までに如何にしてノンブレスで4小節歌いきる事が出来るかを最終目標にする。
幸い、バッハも声の響きに関しては、特にミルヒー先生のレッスンで教えて頂いた事、ブレスは地面の下から深く、発声は地面の下から背後を通って頭蓋骨全体を響かせて、その練習の繰り返しで何とか方向性が見えて来た。3月の演奏会本番まで集中していかなければならない。

モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアは、ほぼ問題が無い。はっきり言って、私が歌いたい目指したいパミーナの歌唱というものについては、という飽くまで前提条件付き。
最近、でもそれの何がいけないんだあぁ???一体???外野は構うな!!!放っとけ!!!と相当にえげつなく開き直るようになったので、痛くも痒くも無い。
今日の練習も、ピアノで歌う低音域〜中低音域のテンポと正しい音程の確認作業に集中した。特に低音域のF♯と中低音域のC♯の音程が不安定で低めになりがち。これは、許せない、有り得ない、存在価値無し♪
メトロノーム60テンポで、ゆっくりじっくり1時間かけて集中練習。この音程の不安定さは、演奏会本番までに何とか克服しなければならない。我慢忍耐継続は力也。
でも、2点AだのHだのは一向問題無しなので、やっぱり後は如何にピアノやピアニッシモの発声で美しい歌唱に向かって到達出来るか、しか無い。演奏会本番に向かって日々精進邁進あるのみ。
不思議な事に、このパミーナのアリアは、1時間でも2時間でも、練習してもちっとも喉に負担がかからない。ずっとずうぅ〜っと練習してても、喉に変化無し(核爆)

早く注文した「エジプトのジュリアス・シーザー」のCD4枚、DVD2枚、届かないかなあぁ〜〜〜(滝涙)超楽しみ♪


去年の、無責任臆病者にしろ、今回の親父脳出血事件の親戚一同にしろ、一旦私が怒ったら歯止めが効かないし、誰も止められない。
私は、庚辰の金性魁罡で西の白虎、つまり怒りはドラゴン&タイガーの情け無用の破壊と破滅の怒りである。親戚だろ〜が他人だろ〜が例え家族だろ〜が、一度私を怒らせたら一生涯怒り続け一生許さない。
私は滅多に本気では怒らないが、一度怒り出したら堪忍袋は、一瞬たりとも持たない♪

嗚呼、明日からまた連続勤務。
でも、この調子で無茶な勤務を続けていれば、間違い無く希望期間内に自分の生を終結させる事が出来るだろう。
それだけが、超♪楽しみっ!!!





ウィーン行き中止。

今日も夜勤の合間の休日で、スタジオレンタル時間ギリに起床して、スタジオ練習。

3月のウィーン行きを中止したので、もう焦って勉強・練習する必要も無いので、のんびり行った。

3月にピアニストのY先生のお教室演奏会で歌う、バッハ「Bist du bei mir」低声用。原調版の高声用では既に2度も演奏会本番に乗せているので暗譜も出来てるし、後は歌い込んで行くだけ。
最近、ヘンデルのリサイタルが終わった後もずっとグラインドボーン「エジプトのジュリアス・シーザー」の映像をヒマさえあれば観続けている。シーザー役サラ・コノリーとトロメーオ役クリストフ・デュモーの観察を超念入りに行って来たせいか、「Bist du bei mir」の低声用を歌っていても、低音域が非常に安定して響きがしっかり取れるようになって来た。サラ・コノリーもクリストフ・デュモーも、歌っている時の下顎の位置が肩よりも低い事が非常に多い。特に横顔が映像として映っている時には非常に確認しやすい。そのため、その映像をイメージしながら発声を心掛けている。これが一番の効果であると考えている。
バッハ「Bist du bei mir」はhが最低音である。これがきっちりしっかり響かないと、非常にみっともないバッハになってしまう。
但し、「Bist du bei mir」低声用の音域は、私にとって非常に楽な音域なので、却って声を響かせるのではなく出し過ぎてしまう傾向があるので、その点には非常に慎重に留意しなくてはならない。
今後の谷岡先生とのレッスンでの調整に力を入れなければならない。

今もグラインドボーン「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを観てるけど、兎に角、キルヒシュラーガーのセストが、酷い。音程が低い。響きが当たっていないので聴いていて気持ちが悪い。下降音型で音程が下がる。しかも、少年という役柄を全面に出そうとしたのかもしれないが、声量がピアノになると、イタリア語が聞き取れない。
サラ・コノリーもクリストフ・デュモーも、声量がピアノになったって音程が不安定になる事も無いし、イタリア語が不明瞭になる事も無いのにねえぇ(呆)
まだ、ダニエル・ド・ニースの方がイタリア語に関しては、かなりキッチリ歌っている。
本当に売れっ子なのかなあぁ・・・本当にワルター・ベリーに師事したのかなあぁ・・・・・・・・・・(汗)


掟破りのパミーナは、今日はテンポ調整と細部の確認作業。
結局、テンポは基本はLargo(60)、その時の調子や体調によってはAdagio(60〜66)で調整して行く事で決定した。声量は低音域〜中低音域はピアノ、中高音域〜高音域はピアニッシモで決定した。今の体調でも何とかギリの状態で自己決定した声量で歌えるなら、演奏会当日は余程不調でなければイケる。それでOK。
但し、パミーナのアリアは音域の高低差が激しいアリアなので、低音域をきっちり正確に発声出来ないと、これまた超みっともない御粗末なパミーナになってしまう。
特に、パミーナのアリア全体をピアノまたはピアニッシモで歌うし、特に高音域はピアニッシモで歌いたいので、中低音域〜低音域はしっかりと声を響かせる事が望ましい。
非常に時間を掛けて丁寧に一つ一つの音符をしっかりと発声練習していかなければならない。パミーナのアリアのような一見キャラで得するように見せかけられるようなアリアは、私の今回のようなイレギュラーな歌唱をしようと考えたら、非常にアラが目立つ。それだけに、これだけの緩やかなテンポで歌うのだとしたら、非常に慎重に注意深く重箱の隅をつつくような練習が必要である。
でもまあ、Largoでもブレスは足りるので、今後は響きのクオリティを如何に向上させるか、である。
暗譜もまだ完全では無いので、これから十分にゆっくり歌い込んでいかなければならない。
でもパミーナはもう自分の好きなよ〜に歌う事にしたので、余り考える事も無い。
強いて言えば、Y先生が何と仰るか(爆)


それにしても、練習2曲って、すんげえ超楽チン♪♪♪


Y先生からメールがあって、曲目をお知らせしたら「楽譜を送ってください」とゆ〜事で、Y先生ご自身もとても楽しみにして下さっていらっしゃるご様子なので、それがとっても嬉しい。去年のドイツリートのリサイタルから既に1年が経過している。超久しぶりなので、緊張もするけど(苦笑)

今日、スタジオ練習帰りに、ギャラリーカフェに寄ってお茶したのだが、丁度社長がヒマしてたみたいだったので、ちょっとお話しを聴いた。実は、12月のヘンデルのリサイタルの感想を伺っていなかった。ギャラリーカフェの社長は、去年のドイツリートのリサイタルもヘンデルのリサイタルも、両方聴いて頂いている。だから、ちょっと客観的に比較してみてどうだったかのかを聴いてみなきゃなあぁ〜と思っていた。
社長曰く、

「ちゃんと良くなってると思うよ〜」

との事(激爆)
でも、これで来月からのY先生とのピアノ合わせは、少し安心して頑張れそう(自爆)
ギャラリーカフェの社長曰く、

「プロでお金取ってて歌ってる人でも、ヒドい歌手は一杯いるからね〜」

との事だった。
経営者って、結構シビアだなあぁ。


ウィーンのM先生に、今年3月のウィーンでのレッスン中止のお願いをメールでご報告した。
M先生からの御返事待ち状態。

何だか、凄く悲しい。
本当に悲しい時って、静かに涙が流れるだけなんだなあぁ・・・と思った。



女王様がお好き。

昨日は、今年初めての谷岡先生のレッスン。友人が見学したいと希望されたので、友人を連れてレッスンへ行った。
谷岡先生は、まずウチの親父の事を非常に心配してくださった。親父の現状をお話しして、今私が親父の借金を返済する為に夜勤専門で働いてる事、3月に予定していたウィーンのレッスンはどうやら不可能である事を御説明申しあげた。


早速レッスン。
まずは、例えウィーンに行く事が出来なくても、ウィーンのB先生の宿題のシューベルト歌曲を2曲と、今年末予定のシューマンのリサイタル予定曲から3曲。
シューベルト「Fischerwise」「Du bist di Rhu」の2曲。
どうしても「Fischerwise」のような音域の低いリートは、メゾソプラノやコントラルトの録音を勉強してしまうので、私自身の発声が籠りがちになってしまう。私が持っている録音は、メゾソプラノはヴェッセリーナ・カサロヴァと、コントラルトはナタリー・シュトッツマン。この二人の歌手共に非常に小気味良いシューベルトの歌唱をしているだけに、単なる声真似にならないよう非常に慎重に勉強しなければならない。
谷岡先生からは、

「声が奥に籠ってしまうから、もっと外というか前に声を出して歌って」

と指摘された。
次の「Du bist di Ruh」は、元々ソプラノが歌う高声用の楽譜は最高音が2点Aである事から、自己判断で中声用の楽譜を持って行った。判断理由をお話ししたら、谷岡先生も容易に御納得してくださった。恐らく、この曲をウィーンのB先生のレッスンに持って行ったとしても、同じように中声用に声域を下げるよう指摘されるであろう事は容易く予測出来た。実際、谷岡先生からも中声用で良いのではないかとの御判断を頂いた。
音域的には問題は無い様子だったが、ドイツ語の表現で幾つか指摘を受けた。
それから、これは今迄谷岡先生から指摘された事がなかった事実なのだが、どうやら私はドイツ語の「sch」と語尾の「ch」の発音が非常に聞き取り辛いようだ。勿論、今まではもっと他のドイツ語の発音の方が不十分極まり無かったので今回改めて課題に上った事ではあるのだが。今後はこれらが重要な克服事項となる。


次は、今年リサイタル予定のシューマン歌曲から3曲。
「Mädchen-Schwermut」「Melancholie」「Widmung」の3曲。
「Mädchen-Schwermut」「Melancholie」の2曲は、流石に谷岡先生も御存知無い曲だったので、大まかな発声と曲の構成とドイツ語発音を見て頂いた。指摘された事は、出だしの歌い出しの音が中低音域なので低く籠りがちになりやすい事。以前というか、去年までも指摘され続けて来た事である事は確かなのだが、恐らく去年のドイツリートのリサイタルの時に比べて、ヘンデルのリサイタルを経過した事によって、歌唱レベルが少なからず向上したためなのか、殊更強調して歌い出しの音域の発声に関しての注意がなされるようになったように感じられる。
ソプラノでありながら音域が非常に広く豊かであるという要因によって、より広範囲の音域に対してより質の高い発声を求められるという現実は、非常に厳しくもあるが、非常に嬉しくもある。ドイツ語に関しては、やはり「sch」「ch」の発音を修正され続けた。
シューマンの終わりに「Widmung」を歌った。これは、以前5年位前に2回程演奏会本番に乗せた事がある。この曲に関してだけは、私が尊敬し愛して止まないジェシー・ノーマンの録音以外では勉強していない。
谷岡先生から指摘された事は非常に少なかった。お決まりのドイツ語の発音と、低音域のロングブレス継続に関してのみ。2回程通して、実にあっさり終了(爆)


最後に、今回の超目玉商品、モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアをレッスンして頂いた。
歌う前に、真っ先に谷岡先生にまずお断りした。

「えっと、私パミーナ歌います。3月に去年ドイツリートのリサイタルの伴奏してくださったY先生から、今年は出演しないかとお誘い頂いたので、バッハのBist du bei mirとパミーナのアリアを歌うつもりです。でも、パミーナは、ハリセン先生には絶対にレッスン受けません。ハリセン先生にレッスンを絶対に受けない前提で、私にしか歌えない出来ないパミーナを勉強して来ました。それと、楽譜の指示は一切無視して歌います。楽譜の指示にはAndanteと指示がありますけど、Adagio〜Largoで歌います。それと、声量はピアノかピアニッシモだけで歌います」

と谷岡先生に言い切った。でも、谷岡先生は私の覚悟を超サックリ流して早速伴奏を始めた(誤爆)
谷岡先生の伴奏出だしは遅いAndante位(約70)だったが、私は谷岡先生の伴奏に付いていかなかった。最初の「Ach!」から、曲のテンポの流れを自分で決めて促した。ソリストたる者、この程度の心意気と強さがなければソロは歌えない!!!!!
低音域はピアノで発声、高音域になればなる程ピアニッシモの発声を慎重に心掛けて歌った。テンポは、段々遅くなる事はあっても決して流されて早くする事は意地でもやらなかった。声量を最小限に抑える事によって、Adagio〜Largoでも充分にブレスは持ち堪える事が可能である。ピアニッシモでも2点hは私には十分イケる。留意すべき事はたった一つだけ。発声がピアニッシモでもドイツ語の発音が疎かにならないよう慎重に歌う事だけだった。
歌い終わって、谷岡先生が、

「結構いいんじゃない???いいよ!!!」

と仰ってくださった。
努力と執念の勝利。これをこのまま3月のY先生の演奏会で歌い、ウィーンのN先生のレッスンにも持って行く。但し、ハリセン先生のレッスンは受けない。
谷岡先生が、

「以前、プロのソプラノの人がハリセン先生にパミーナを見て欲しいって言って持ってきたんだけど、その時のプロのソプラノの人よりも今のあなたのほうが、全然細く綺麗な発声でパミーナを歌えている。テンポは問題にならない。ハリセン先生にあなたのパミーナを聴かせてみても良いのではないか???」

と言われたが、キッパリお断りした。
今日のこの私のパミーナの歌唱は、ハリセン先生には絶対に聴かせないという前提条件から生まれたパミーナである。モーツァルトを得意として、多くの合唱団で日本では演奏されないモーツァルトのミサ曲や小オペラを上演しているハリセン先生から見たら、私のパミーナは日本では「異端」である。ど〜せ私がどんなに努力してどんなに頭を酷使して発声を鍛えてパミーナを歌ったとしても、所詮日本では「異端」なのである。なのに何故、わざわざただ批判される為だけに、私がパミーナを歌わなければならない???歌う必要が何処にある???
答えは「否」である。
谷岡先生にも、ハッキリ申しあげた。

「ど〜せ私のパミーナはウィーンでしか通用しません。日本で評価なんかされません。ど〜せハリセン先生の前でパミーナ歌ったって、あ〜だこ〜だ言われるだけです。元々、ハリセン先生には絶対に聴かせない、他のどんなプロのパミーナ歌いのソプラノ歌手にも不可能な、私だけにしか歌えないパミーナを歌おうと思ったからこそ、今日の私のパミーナの歌唱があるワケです。ですから、谷岡先生に何を言われても絶対にハリセン先生には私のパミーナは聴かせません!!!!!!!!!!」

と断言した。
谷岡先生は、少しがっかりした様子で、

「じゃあ、ハリセン先生には内諸にしておきますね」

と言ってくださった。助かった♪
日本で私のパミーナを評価して下さる方は2人しか存在しない。
谷岡先生と、レッスンを見学に来て下さった友人だけである。
別に、萌系モーツァルトマニアの脂ぎったハゲオヤジの好評なんざ寒気がするから必要無いっす(爆死)
谷岡先生が、以前パミーナに関してハリセン先生と話し合った時に、
「ウィーンではそういう評価もありかもね」
というような事をハリセン先生が仰っていたらしい。
でも、そんな程度の曖昧な評価なら、無い方が宜しゅうおす。
私がわざわざ苦労して苦心して涙を流しながらも努力したパミーナ、聴くに値せず。
それが、私の意地と心意気。
要するに、幾らイジケても不貞腐れても開き直っていても、実際の歌唱がちゃんと先生やら聴き手やらを納得させられる歌唱であれば、問題なんざ無いのだよ。
谷岡先生、レッスンを聴きに来てくれた友人、超♪あっりがっとおおおおおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!!!


その後は、レッスンを見学に来てくれた友人と新宿のDisc Unionの中古センターに行って、一緒にヘンデルやらシューベルトやらシューマンやらブラームスの録音を探して、新宿で御飯を食べて(私は酒を呑んで♪)オペラ談義に花を咲かせて帰って来た。
嗚呼、楽しかった〜♪


今日は、親父関連の諸々の支払い作業で、午後は日本橋の銀行に詰めっぱなし。キャッシュカードが使えないばっかりに、通帳と印鑑を持って三越前〜水天宮前を走り回り、キャッシュディスペンサーの作業で、右肘が痛い。しかも、今日は音楽関連の勉強が全く出来なかった。
谷岡先生にもお話ししたが、親父の借金問題のせいで、今年3月に予定していたウィーンでのレッスンは、止む無く中止と決めた。
この恨み絶対に果たすべく、ウチの一族は絶家とする事を私が決めた。
私は、本家の長女(祖母)の長男(親父)の、長女。
兄弟に男はいない。
妹は3人の内、一人が死亡、一人は結婚して娘はいるが別れた旦那に預けている。残る一人の妹は、まだ独身。
私が、親父の全ての借金を一人で引き受けた事の見返りに、独身の妹には今後結婚して子供が生まれても、ウチの姓は名乗らせない約束を取り付ける事は、非常にカンタン♪
よって、当一族は、絶家確定。


一族の断絶を決めるなんて、まるで将軍家みた〜い♪
まさに、女王クレオパトラの気分〜〜〜♪♪♪

嗚呼、スッキリす〜〜〜〜〜(^^♪




開き直り不貞腐れチャレンジ。

今日も夜勤の合間の休日。午後から3時間スタジオ練習。

先日、去年ドイツリートのリサイタルの伴奏をして下さったY先生から、今年3月にY先生のお教室演奏会に出演しないか?と年賀状でお誘いを受けたので、取り敢えず今日は3月の演奏会の候補曲を探す事を念頭に置いて練習した。
声帯が疲労しやすいので、発声練習はごく短時間に。

バッハ「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」から「Bist du bei mir」低声用をまず最初にサラっと練習。実はこの曲、私はヘンレ版の楽譜を持っていて、ヘンレ版は高声用というか原調版の楽譜なのだけれど、昨年3月にウィーンにレッスンに行った時にN先生とM先生にレッスンで聴いて頂いたのだけれど、M先生から、
「私のリクエストで、Bist du bei mir を低声用で歌ってみてくれないかしら」
と言われて歌った所、M先生もN先生も、
「Bist du bei mir は、あなたは低声用で歌った方がいいし、合ってるわよ」
と指摘された。
とゆ〜訳で、ウィーンにいた時にウィーンの楽譜屋さんで「Bist du bei mir」の低声用の楽譜を探してベーレンライターのピース楽譜を購入して来たのだ。ところが、日本に帰国してから重大な事に気が付いたのだ。低声用の楽譜は、ピアノ伴奏が非常に違う!!!!!その事を谷岡先生に相談したら、谷岡先生から、
「Bist du bei mir の低声用、ウィーンで買ってきた楽譜じゃ駄目なのかしら?伴奏はヘンレ版で歌いたいんだ。だったら、移調がC-durなら、自分で移調楽譜を作ってみなさい。」
とゆ〜訳で、「Bist du bei mir」のC-durの移調楽譜を手書きで自分で作成してみたのだが、これが、キッタ無くてとってもぢゃあないっすケド、ピアニストにお渡しして伴奏して貰えるような楽譜には仕上げられなかったので、先日、移調楽譜専門業者に「Bist du bei mir」のC-dur移調楽譜の作成を依頼し、今日その移調楽譜が届いた。そこで、早速Bist du bei mirを低声用で練習♪声帯の疲労が激しかったのだが、悪くは無かった。
まずは、バッハの「Bist du bei mir」は、3月演奏会決定〜♪

その他もう1曲をどうするのか、慎重に考えながら練習を続けた。
シューベルト、シューマンの歌曲を練習して、最後にモーツァルトのオペラアリア2曲を練習した。最初は、ちょっち久しぶりに、今年ウィーンのレッスンに持って行く予定だったモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアを超久しぶりに歌った。もともとパミーナのアリアは、谷岡先生からは、
「あんまり歌い込まないように、でもいつでも歌えるようにしておいてね♪」
と、普通アマチュアにそんな事要求すっかあぁ???とゆ〜よ〜な御指摘を受けていた。そんで今日久しぶりに歌ってみて、ちょっち、とゆ〜か、相当な違和感があった。


何か変だ。自分は本当に今迄聴いたCDや観たDVDで歌ってる、所謂カワイイ系の可憐で可哀そうで弱々しいパミーナを歌いたいのか???まるで脂ぎったオヤジ好みのモーツァルトマニア萌系美少女パミーナを、本当にウィーンのレッスンに持って行くつもりか???持って行きたいか???大体にして、そんなパミーナ歌ってて楽しいか???
ウィーンのN先生は、私にそのようなパミーナを望んでレパートリーとして私にパミーナという役を下さっただろうか???
無論、否、である♪
ウィーンのN先生は私に、
「パミーナを勉強してみなさい」
とは言わなかった。
「あなたの声は、パミーナの声だ」
と仰られた。
私は、今日決めた。私自身のパミーナを歌う。私にしか歌う事が不可能なパミーナを歌う。レッジェロやコロラトゥーラやスーブレッドなんざ、糞喰らえ。
また、勢いとゆ〜ものは非常に重要且つ効果的で、思わぬ展開を齎すものなのだとマジで笑えた。全て思いつきの直感、楽譜の指示は無視。自分自身の持てる「声」だけに頼る。
パミーナのアリアは、ピアノ以上の声量は決して出さずにピアノかピアニッシモだけでの声量で歌う。
楽譜の指示はAndanteだが、私はLargo〜Adagioで歌う。なあぁ〜に、これでもロングブレスだけは自信がある。しかも、クレオパトラの太さの声で歌ってやる。絶対に死んでも細めの声なんざ、だ〜れが心掛けるかいな!!!それを決定事項として、改めてパミーナのアリアをおさらいした。
なんだ、結構良いカンジぢゃんかよ。
よっしゃ、これで行こう♪幸い、17日は谷岡先生の今年最初のレッスンがある。3月、Y先生のお教室演奏会は、バッハ「Bist du bei mir」低声用&モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアで決まりいいいいいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜!!!!!

最後にモーツァルト「ドン・ジョバンニ」ドンナ・エルヴィーラのアリアをちょこっとおさらいしたのだが、超つまらねえぇ!!!!!ってカンジで、止めた。

ど〜せ最初っから、日本に帰国した時から、谷岡先生以外の人間に、
「パミーナは違うんじゃない???」
と言われ続けて来た。今更怖いモンなんざ一つも無いからなあぁ〜♪
例えハリセン先生に、邪道だの違うだの言われても絶対にこの私自身のパミーナは、曲げない。
逆に、聴く誰もが批判して拒否反応を示すようなパミーナを歌って見せる(真面)
これなら、自信あるわあぁ(核爆)
ウィーンのN先生とM先生に、私だけのパミーナをお聞かせ出来る日がどうぞ来ますように♪
超楽しみ〜〜〜〜〜(激爆)


わざわざ、疲労困憊の体を引き摺りながら、毎日毎日来る日も来る日も夜勤をこなし、安くは無いレッスン料金を払いながら、なあぁ〜んでありふれた何処にでもある蹴飛ばせば石が当たるようなパミーナを歌う必要性がある?????
無いねえぇ。
だって、私、自分の歌でお金取らないアマチュアだもん♪
存分に、パミーナを楽しもう。
ああ、ワクワクするうぅ〜(猛爆)

せんねん灸「伊吹」

ここの所、勤務は夜勤続きだが中休日があるので、今日もスタジオ練習。
疲労が取れない。
夜勤の疲労というよりは、去年の親父脳出血事件〜ヘンデル・オペラアリア・リサイタル〜青森での処理作業〜連続夜勤、という一連の長期蓄積疲労なんだから、そうそう簡単に疲労が取れる筈も無し(凹)
今日は寝過ぎで、全身痛。意地になって薬を多量服用して、無理やり眠る。そうしないと疲労が取れない、体力が回復しない、イコール、歌えない。

先日、夜勤入りで夕方出勤したら、ちっとも音楽の話しなどした事の無かった病棟主任からいきなり訊かれた。

「澄んだ歌声って、どんな歌声なの〜???昨日、くしゃみ出なかった〜???(爆)」

誰だ、一体!!!と思ったら、同じ病棟でヘンデルのリサイタルを聴きに来てくれた、おたんこナース3人組のようだった。
ふ〜ん、澄んだ歌声に聴こえたのか。大体にして、澄んだ歌声って、どんな声だ???ホントに私の声か???
大体にしてヘンデルのオペラアリア9曲も歌ってたら、レッスン通りに歌えたかどうかは考えなくてはならないが、どんな声に聴こえるかどうかなんて、考えてるヒマなんざあるかいな。
ヘンデルのリサイタルを聴きに来てくれたおたんこナース3人組の一人で、高校からピアノを習っていて、現在自分の4歳になる息子にヴァイオリンを習わせている友達が、面白い話を聞かせてくれた。

「息子がね、あれ(ヘンデルのリサイタル)から、ずっと、はるこブラヴォ〜って言ってて(激爆)、テレビのCMでピアノの傍で歌ってるのがあるんだけど、ピアノの傍で歌ってる女性は皆あなただと思ってるみたいで、テレビでCM見る度に、あ、はるこだあぁ〜、って言うのよ〜(猛爆)」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
幼児教育には、非常に宜しくないのでは無いのだろうか・・・・・・・・・・(滝汗)
マトモに育ってくれる事を、願う(真面目)

昨日、去年ドイツリートのリサイタルでピアノ伴奏を引き受けてくださったY先生から年賀状が届いた。
お年賀に、先生方にちょっと高級なマロンパイをお送りした。
Y先生は、新年早々パソコンが壊れていたらしく、連絡が遅れてしまったと年賀状に書いていらっしゃった。
それと、Y先生の御教室演奏会が3月にあるらしいのだが、出演しないか?との依頼もあった。
Y先生はピアニストなので、基本的にピアノの生徒さんが大半である。幼児〜後期高齢者まで(笑)
歌は、私一人だけだろう。去年も実は誘って頂いたのだが、ロクでも無い人間に構っていた事や、ウィーンでのレッスンから帰って来たばかりで夜勤が多かった事で、出演出来なかった。
今年は、ウィーンにレッスンに行く可能性も低いから、幾つか演奏会を増やして勉強出来たらいいなあぁ。
歌うとしたら、ドイツリートになるけど。まず、バッハの「Bist du bei mir」は低声用で歌いたいな。日本ではまだ低声用で歌った事が無い。ウィーンのM先生からお墨付きを頂いたので、一度は演奏会本番に乗せたい。
でも、あと1曲どうしようか考え中。シューベルトにするかシューマンにするか、大変迷うトコロ。

取り敢えず、今日もベートーベン、シューベルト、シューマンの歌曲と、モーツァルトのドンナ・エルヴィーラのレチタティーヴォを中心に、3時間練習。
ベートーベンは大分慣れて来た。
シューベルトは・・・・・。大変な大馬鹿をやらかしていた事に気が付いた。「Fischerwise」の楽譜が、本当は3番までの有節歌曲なのに2番までしか楽譜を作ってなかった事に気が付いた。
駄目だ、過労でイッちゃってるなあぁ(自爆)
シューマンは・・・・・、何かもういい(超苦笑)
後は、谷岡先生の御判断にお任せしちゃいませう♪
疲れちゃった。

疲労と寝過ぎで、全身痛。
マッサージや整体に行ってるヒマも無い。
そこで、今日帰りに薬局で探したのが、せんねん灸。
それと、200ミリステラのジキバン。ピップエレキバンみたいなヤツの強力版。
流石に効きます、効きます、せんねん灸〜〜〜♪♪♪
今日もヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」グラインドボーン映像を流しっぱで、寝ます。
明日も夜勤だし(核爆)




年越しお年玉・・・(汗)

年末年始の連続夜勤で死にかけているのだが。

今日、夜勤明けで「ニューイヤー・オペラコンサート」の録画を観た。
お腹一杯、ごっそ〜さん。
期待出来る歌手とか、素晴らしいと思える歌手がいなかった。
木下美穂子は、発声が変わった???と感じた。
唯一記憶に残った歌手は、ウェーバー「魔弾の射手」を歌ったバス歌手だけ。
日本人はまだまだオペラ発展途上国か。
オペラの役柄を表現するために発声を戦略として歌う事の出来る歌手が、いないと強く感じた。
皆様、自分の声を聞かせるためにオペラアリアを声を張り上げて歌っている、というような印象。
曲の表現を、声の強弱だけにしか感じられない。
超高音域即テクニック、アジリダ即テクニック。
如何にプロと言えど、オペラアリア1場面だけ歌うのは、声を立派に張り上げてそれらしく歌う事は出来たように見せかけられても、オペラ全幕通して一つの役の表現を分析・解釈し身につけレパートリーとしない事には、ニューイヤー・オペラコンサートも、ただの「お祭り騒ぎ」だけ。
つまらない。
録画は、もう見なくていい。


兎に角、連続夜勤の超蓄積疲労で暫く歌えない。
でも、勉強はしなければならない、勉強したくてたまらない。
だから、昨日ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」でチェックして目を付けたアリアを全て楽譜をコピーして、今日の夜勤のヒマな時間に早速楽譜作りをしていた(爆)
主に、まだ勉強していないクレオパトラのアリア、シーザー、トロメーオ、コルネーリアのアリアを12曲程。
そして、帰宅してひと眠りしてから、楽譜を観ながらDVD鑑賞。
やはり、楽譜を観ながらオペラを観ると、非常に新たな発見が沢山沢山あるある!!!
まず、ヘンデルのオペラアリアは殆どがダ・カーポアリアなのだが、このダ・カーポ形式も歌手によってその扱い方や歌い方が非常に異なるし、それがまた歌手の個性を非常に強力に示している事に気付く。

まず、シーザー役のサラ・コノリー。ダ・カーポの1stは、楽譜通りほぼ完璧(核爆)ほぼ余計な装飾は付けずに私の持っているベーレンライター版の楽譜通りに歌っている。これにはブッたまげた。
ダ・カーポの2ndは、勿論御約束のアレンジが非常に技巧的で尚且つメゾ・ソプラノでありながら男性役としても不自然さが無い。
サラ・コノリーはダ・カーポの1stを楽譜通りに歌う事で、展開部とダ・カーポの2ndに大きな説得力を与えているのだと、非常に強く実感した。非常に丁寧な歌唱。ヘンデルの作品を再現芸術として大切に造り上げている素晴らしい歌手、サラ・コノリー。
正に、鳥肌が立った。
特に「Va tacito e nascosto」は余裕タップリ。
流石、グラインドボーン合唱団からの、叩き上げは違う。私もこのシーザーのアリアは勉強してみたいと非常に強く考えた。
それに比較すると、ダ・カーポの1stから装飾バリバリのクリストフ・デュモーは、若い(激爆)と感じた。でも、それでもやはり音符一つ一つ非常に丁寧に発声を心掛けており、どのような発声で歌う事がデュモー自身のトロメーオに「聴こえる」のかを十ニ分に熟知している。
ダニエル・ド・ニースは多少粗というか雑さが目立つが、サラ・コノリーのようなベテランと比較しても仕方が無いとは言え、クレオパトラ最初のアリア「Non disperar」では、アジリダの音が幾つか飛んでしまっている。明らかに発声への取り組みと丁寧さや慎重さに欠ける。

でも、それにしてもやはりサラ・コノリーは凄い。

で、このグラインドボーンのヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを購入したのは去年のヘンデルのリサイタル前だったのに、今日初めて気が付いた事があった。

特典映像。プロダクション・ドキュメンタリー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、阿呆(自爆)
指揮者のウィリアム・クリスティ、サラ・コノリー、ダニエル・ド・ニース、アンゲリカ・キルヒシュラーガー、演出のデヴィッド・マクヴィガーのインタビュー映像の存在に、今日初めて気が付いた。
とっても感動した事が幾つかあった。
指揮者のウィリアム・クリスティが、シーザー役のサラ・コノリーと、トロメーオ役のクリストフ・デュモーを非常に高く評価していた事。
指揮者ウィリアム・クリスティがヘンデルのオペラを「ヴァイオリンの声部と、舞台上の歌、バス声部がある、20曲に及ぶ壮大なトリオ・ソナタ集」であると位置付けていた事は、私自身のヘンデルのオペラへの見方を大きく変えた事。オーケストラには歌手と同じくらい歌う事を望み、歌手には時に楽器で弾くように歌う事を望む。私の声は、楽器に例えたら一体何の楽器だろうか・・・???ヴィオラかチェロかな???(笑)と考えさせられた。

演出家のデヴィッド・マクヴィカーは、ヘンデルのオペラ・アリアのダ・カーポ形式に関して実に興味深い思索を展開している。
ダ・カーポ形式ではまず感情や考えを表して、次に別の考えが提示され、それから最初の考えに対するより深い思索へと続く。これは実際の会話での思考方法と同じで、何かを主張しようと思う時にはダ・カーポ形式となる、という事。
レチタティーヴォ・セッコに関しては、取り組む事の困難さは感じるようだが、その瞬間の感情の深さを理解するために意欲と信念を持って取り組むならヘンデルのオペラが決して静的なものでは無く、難解なものでも無い事が解るだろう、と述べている。

また、シーザー役のサラ・コノリーは、ヘンデルのオペラの調性を原調で演奏する事について強調している。シーザーを移調して歌うと、クレオパトラやセストとの対話で音域が同じになってしまう事となり、それはヘンデルの意図に反するという事を主張している。
これは私がリサイタル前に読んだ本「ヘンデル・オペラセリアの世界」に書かれていた事と全く同じである。

最後に、指揮者ウィリアム・クリスティが、ヘンデルは「エジプトのジュリアス・シーザー」という作品が好きで大変に力を注いだ事は草稿や作品の書き直しを見れば分かる、あらゆる音楽作品の中でも最も精巧な作品である、と述べている事に涙が流れた。
私のような者でも、ヘンデルがこれ程に愛した作品からレパートリーを得て勉強出来る事が、何よりも幸福な事であると心から感じる事が出来た。
どんなにか夜勤で疲れようとも、歌えない時があっても、決して諦めないで頑張ってクレオパトラを全て勉強して行く事を、願い祈らずにはいられなかった。


嗚呼、ニューイヤー・オペラコンサートなんか見てないで、もっともっとDVDのメニュー画面をきちんと見れば良かったなああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(溜息)

明日も、夜勤(滝涙)


Chage Year

今年一番の大きな出来事は、ウィーンでレッスンを受けられた事。
生まれて初めての海外旅行が、観光では無く声楽のレッスンでウィーンだった事。
これは私の人生に大きな衝撃と豊かな変革をもたらした出来事だった。私自身、非常に変化したと実感している。勿論、現実と向き合わなければならなかったので、色々と辛い事や悲しい事はあったけれど、それでも余りある「幸運」だったと実感している。

ウィーンの空、ウィーンの風、ウィーンの雪、ウィーンの雨、ウィーンの大気、そしてウィーンの音楽。

モーツァルトが、ベートーベンが、シューベルトが、永い音楽の歴史の中で今も生き続け息づいている街。
今迄、日本しか知らなかった私にとって、歌う事の厳しさを最も教えてくれた街、ウィーン。
私が持っているもの、私に足りないもの、私に出来る事、私がやらなければならない事、それをとってもとってもたくさん教えてくれた、ウィーン。
私のウィーンへの挑戦は、永遠に続く。
私が歌い続ける限り、永遠に。


もう一つの大きな出来事は、年に2回もリサイタルを開いた事(笑)
今年の2月、初リサイタルなんて言っていたけれど、リサイタルを2回歌い切った事はとても大きかった。
看護師の仕事をこなしながら、ウィーンへレッスンに行き、年に2度のリサイタル開催。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、流石にハードだったなあぁ(爆死)と、自分自身でも結構呆れているカンジ(苦笑)
2月のドイツリートのリサイタルでは、シューベルトがある程度の形になった事とドイツオペラの勉強に着手出来た事。
今月のヘンデルのリサイタルでは、クレオパトラという大きなレパートリーを獲得出来た事。
何れも、私自身の声楽人生にとって大きな転換期となった事はもはや言うに及ば無い。
バロック音楽の中に一つでも自分自身のレパートリーが存在するという事が、これ程の大きな自信と希望に繋がるものなのか、と喜びで胸が躍る。オペラ全幕通して一つの作品、一つの役柄と向き合い学び歌うという事は、本当のオペラ歌手になるために必須であり、これ程に大きく重要な事であったのだと心から感激し実感した。
リサイタルで歌っていた私は、正にクレオパトラだったと、断言出来る。
ヘンデルのリサイタルは本当に本当に勉強になったし、非常に良い経験になったと思う。
改めて、ヘンデルの音楽の素晴らしさと美しさを実感している。ヘンデルはやはり「音楽の母」であり音楽史上に残る大天才だったんだなあぁ、と思う。
ヘンデルの音楽に出逢い向き合い学び歌う事が出来た事、本当に私自身にとって大きな変革と豊かな実りをもたらしてくれた年だったと、改めて想う。

人との出逢いも大きかった。
私の声と歌の理解者と初めて出逢えた事は、これからの私の声楽人生の中で大きな心の支えとなるだろう。
私の歌声から、青空を感じてくれたこと。
これからも私の歌声を聴いてくれる人に、ずっとずっと心に青空が見えるように歌い続けて行きたい。
いつまでも、私の歌声を聴いてくれるそこに座っている唯一人のために、心から歌える歌手でありたい。
私が伝えられる事を、一つでも多く受け取って欲しい。
そして、一緒に歌い続けて行く事が出来たなら、私の声楽人生にとって、これ以上の幸福は無いと想う。
歌を愛する者同士、共に在る事が出来ますように。

思い起こすと、歌って歌って歌いまくって、それでも目の前には大きな課題ばかり。勉強しても勉強しても、すぐに大きな壁が幾つも立ちはだかり、でもその度にまた勉強出来る事が嬉しくて、歌う事が楽しくて、どんなに辛い事や悲しい事や苦しい事ばかりで心無い人間に出会っても、またいつものスタジオのアップライトピアノの前に座って、泣きながらでも歌い始める自分がいつもそこに有った。
ウィーンのレッスンで歌える事、リサイタルや演奏会で悔い無く歌える事だけを目指しそれを心から望み、たくさんたくさん辛く苦しく悲しい事を乗り越えて来た。
もう、あんまし怖い事は無いのかも知れない。
私は、一人でもちゃんと歌って行ける人間なんだよなあぁって、ちょっとだけ気持ちを強く持つ事が出来るようになった。
それは、きっと私が持っている大きな宝物の一つなんだと思う事が出来るようになった。

来年の目標?????
シューマンのリサイタルを歌い切る事。
クレオパトラを全て勉強する事。
表現のためのコロラトゥーラを勉強する事。

希望としては、来年またウィーンの国立歌劇場前の焼きソーセージ屋さんで、チーズ入りフランクフルトとチョリソーを食べたい。
ウィーン国立歌劇場のラウンジで、キャビアと生ハムのバケットが食べたい。
勿論、シャンパン付きで(笑)

では、このブログを御覧くださった皆様、今年1年大変お世話になりました。
来年もまた、御付き合いくだされば大変嬉しいです。
どうぞ、良い御年を(^^♪

今日は病院で、年越し・・・・・・・・(核爆)

夢は止められない。

今日は、今年最後の自己練習。
来年リサイタル予定のシューマン歌曲11曲の速度の確認。メトロノームを使用して曲の速度を調整する。ピアニストにどの程度の速度で歌うのかを伝えるために、それと、作曲者指定の速度で歌えるようになるための調整と、調整可能範囲での速度をある程度セレクトしておかなければならない。シューマンの指定速度通り歌う事が出来ればベストだが、ブレスが続かない場合や、曲の表現の幅による最低限度の微調整が必要である。
11曲と言っても、シューマンのリサイタルの選曲は今年春にはもう済ませてあったし、過去に谷岡先生からレッスンを受けた曲もあるし演奏会で歌った事のある「献呈」もある。だから、それ程声をしっかり出す必要も無い。今日は、先日の練習時よりは多少疲労も取れて体力も回復したが、それでも少しきっちり声を出そうとすると、すぐ声帯の疲労を感じてしまう程度の調子だった。だから、飽くまでも鼻歌程度の自己練習に留めた。
今日もシューマンを歌っていて一番感じた事は、シューマンが非常に歌い易くなったというか、表現がしやすくなったというか。これはやはり、クレオパトラを含めてヘンデルのリサイタル9曲を歌い切る事が出来たという結果に大きく起因していると考えている。今迄は、ドイツリートを歌う時には比較的軽めの発声を心掛けて来たのだが、今は今年のドイツリートのリサイタルの時に比べてかなり声の響きが太くなってはいるのだが、自分の声の響やふくよかさや丸さを考えると、これ以上声の響きを細くしたり軽くしたりは、したくないし出来ないな、という感覚を強く感じた。来年の谷岡先生のレッスンでどのように評価されるのかは分からないが、取り敢えず今はこのままの発声で歌う予定である。
特に、シューマンは楽譜に速度指定が多い。きちんと歌えるようにしておかなければならない。

それと、来年ウィーンに行けない場合も想定して練習をしなければならない。ウィーンに行く事が出来ても行く事が出来なくても、シューマンのリサイタルを行う事は既に変えようが無い現実である。但し、そうすると来年夏の千葉でのヤンクミとの演奏会で何を歌うのかを考えなければならない。シューマンはウィーンでレッスンを受けてきてから歌いたいと考えている。しかし、シューベルトのバラードやバッハやベートーベンなどのような難易度の高いリートは、日本でのレッスンだけでは演奏会では歌えない。そう考えると、日本である程度のレベルに持って行けるのは、ハリセン先生&谷岡先生のお家芸、モーツァルトとなる。それも考慮しながら今後の練習やレッスンを行っていかなければならない。

クレオパトラを含めたヘンデルのアリア9曲を歌った結果、非常に声帯を鍛える事が出来たし、声も強さを増したと今日の練習で認識出来た。今後喉を壊さない痛めないように慎重に練習を重ねて行く事が出来れば、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラはイケる、と考えている。今の私の声ならドンナ・エルヴィーラをウィーンに持って行く事が出来なくても、何とか演奏会本番に乗せられるレベルに持って行く事は出来る。そういう意味では、やはり夏のヤンクミの演奏会は、モーツァルトか。

自己練習の最後、少し余った時間でシューベルトの歌曲を3曲歌った。「Fischerweise」「Dem Unendlichen」「Thekla」の3曲。どれも来年のウィーンのコンチェルトハウスのB先生のレッスンに持って行こうと考えている曲である。「Dem Unendlichen」は以前バリトンの先生のレッスンの時に持って行った事のある曲である。ジェシー・ノーマンの録音をもう何年も何年も聴いてずっと練習して来た。今の自分の発声ならばきっと演奏会で歌えると考えているが、これも出来ればウィーンでレッスンを受けてから演奏会本番で歌いたい。そういう意味ではシューベルト「Der Zwerg」と同じであるのだ。

取り敢えず、来年に入ったらイタリアオペラの勉強や譜読みや音取りも始めなくてはならない。当面、ミルヒー先生のレッスンはモーツァルト「コジ・ファン・トッテ」フィオルデリージのアリア「Come scoglio」になるが、同時にヘンデルの勉強も行う。まずクレオパトラの残りのアリアとレチタティーヴォの勉強と、件の「輝かしいコロラトゥーラでは無く、表現のためのコロラトゥーラ」を目指すべく、まずはヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のシーザーやトロメーオやニレーノのアリアも勉強の視界に入れている。ヴェルディ「La traviata」ヴィオレッタのアリアを、そこいら辺のソプラノ歌手のような輝かしい見世物紛いのコロラトゥーラで歌うという愚を犯さないためには、まずコロラトゥーラを表現として十分に歌えるような技術と実力を自分自身のものにしなければならない。そのためにヘンデルの勉強を続ける。
今迄は、ヴィオレッタの勉強に関しては色々な歌手を聴いたり観たりしていた。マリア・カラス、モンセラ・カバリエ、エヴァ・メイ、レナータ・スコット、マリエッラ・デヴィーアなど。でも、ミルヒー先生の御指定はマリア・カラスである。私は、マリア・カラスは非常に素晴らしい歌手だとは思うのだが、はっきり言って好みの歌手では無い。しかもヴィオレッタともなると余り参考にしようとは考えていなかったというのが正直な所である。カラスの声は、所謂典型的なヴィオレッタ歌いの美声とは異なるというのが私の認識である。
しかし、この私自身の認識に非常に大きな落とし穴があった事にようやく気が付いた。ヘンデルのリサイタルの勉強で読んだ、ウィントン・ディーン著「ヘンデル・オペラセリアの世界」での著者の言葉、

「コロラトゥーラの目的は表現であり、輝かしさのためのものではない」

という記述で認識を新たにした。何故、美声では無いマリア・カラスが稀代のヴィオレッタ歌いとして世界の高い評価を受けたのか。今更言うまでも無い。カラスのヴィオレッタに於けるコロラトゥーラの技術は、輝かしい声自慢のための技術の手段では無く、適切な表現に適ったコロラトゥーラであったからである。それが今だからこそ分かる。何故ミルヒー先生がカラスを勉強するよう私に言ったのか。私は決して世の中の多くのありふれたヴィオレッタ歌いのような美声のソプラノでは無い。だから、敢えてカラスを勉強する価値は大いに存在する。
今後、ヴィオレッタの勉強に関してはカラスに絞って行こうと考えている。その他は、せいぜいカバリエに留めるつもりである。自分の表現したい歌いたい演奏を作り上げるためには必要最低限のものがあれば良い。その他大勢の他人と同じ事を努力してまでやる必要はどこにも存在しない。私は私自身にしか出来ない事をやりたい。カラスの真似でも何百回もやれば、決してカラスと同じにはなり得ない。それが勉強と研究という事の真の意味に於いての結果と結論であるというのが私自身の持論である。

単に聴き手を喜ばせるような美声も歌唱も技術も、ただ歌を勉強し歌う事をのみを望みとする私にとっては、何等不必要な事である。

今日、練習から帰って来た時、丁度フィギアスケート全日本選手権フリーの真央ちゃんの出番だった。ちゃんとビデオ録画して行ったのだけれど、ちゃんと真央ちゃんの出番で帰宅出来る辺り、いいカンジ(笑)
真央ちゃん、優勝おめでとう!!!4連覇おめでとう!!!バンクーバー・オリンピック代表選出おめでとう!!!
やっと真央ちゃんが戻って来ました。嬉しいです。
試練を乗り越えると、人の美しさは何十倍にも大きくなるものなんだなあぁ・・・と改めて思った。
私も、来年ウィーンに行く事が出来なくても、頑張らなければならない。その元気と勇気を真央ちゃんから頂いた。

これから年明けまで連続勤務。今年1年の振り返りは、また後日年末に。

のりこえること。

23日、休日でスタジオ練習に行った。
風邪はひいていなかったが、青森行きからの蓄積疲労と精神的緊張とストレスで、声がガラガラだった。
殆ど声を出す事が出来なかった。こんな事は、久しぶりだった。それでも、レッスンや演奏会が無いせいか圧迫感が無く、今日は声は出なくても別にいいや、という気楽さがあった。これも久しぶりだった。
その代わり、ベートーベン、シューベルト、シューマンの歌曲16曲の譜読みをした。きちんとした発声で歌うのでは無く、音取り・譜読み程度で良いからゆっくり休みながら、無理しないで練習した。疲労やストレスは、こんなにも声がでなくなってしまうものなんだと、本当に久しぶりに実感した。想えば、去年ウィーンでのレッスンを決めた時から全速力で走り続けて来た。体調や喉が不調な事などあってはならない事だった。しかも、今回の親父の事で相当参っている自分を改めて自覚した。

シューベルトは、歌っていてとても楽しかった。こんなに緊張無く楽しく歌うのは本当に久しぶりだった。こんなに気楽に歌ったのは、最後いつの事だったのか忘れてしまった。
シューマンは歌っていて懐かしかった。特に「献呈」は5年くらい前演奏会で歌った事もあり、久しぶりに歌える喜びが大きかった。去年、谷岡先生にシューマン「リーダークライス」を数曲レッスンを受けた時よりも、自然な感じでシューマンを歌えているような気がした。今年「クララ・シューマン〜愛の協奏曲」の映画を観に行った時には、シューマンの歌曲をどう演奏したら良いのかすっかり分からなくなってしまっていた。でも、その大きな迷いすら思い出せないくらい、何となくしっくりシューマンが身に染みるように譜読み出来た。

頑張らなくても良い事に少しだけホッとする。

明日も休日だ。本当は、明日は今年最後の休日なので谷岡先生のレッスンを受けたかったのだが、それももう余り無理したくない。
親父の件で、来年はウィーンには行けないかも知れない。ウィーンに行けないのなら、無理して突っ走って我武者羅に練習しなくたって、いいだろう。たまには諦めなきゃならない事だってあるんだよな、と思ったら、今までただただ只管に頑張って突っ走って来た自分自身が、とても愚かで哀れに思えて来て何だか悲しかった。

苦しみや悲しみは、自分にしか分からない。他人が理解出来る筈が無い。だから、もういい。



今日、フィギアスケート日本選手権を観た。
真央ちゃんが、帰って来た。
真央ちゃんがショートプログラムでリンクに滑り出て来たその瞬間から、ずっと手を合わせて祈っていた。
神様、
真央ちゃんが、トリプルアクセルジャンプを跳ぶ事が出来ますように。
真央ちゃんが、バンクーバー・オリンピックに行けますように。
グランプリ・ファイナルに出場出来なくて、この2ヵ月間、本当にどんな想いだっただろう。
ショートプログラムを滑り終わって、真央ちゃんから笑顔が見えた時、私にも涙が零れた。
苦しみは、やっぱり乗り越えるためにあるものなんだなあぁ、と思う事が出来た。
今、自分が苦しい中で喜ぶ事が出来て良かった。
真央ちゃんから、ほんの少しだけ、元気と勇気を頂いた。


私も、来年は駄目でも、その次の年はまたウィーンに行く事が出来るだろうか。
ウィーンで撮った写真、コンチェルトハウスと市民公園のベートーベンの像を見ながら、涙が止まらない。

明日も、練習に行こうと思う。


終ってしまってガッカリしていたのに「のだめカンタービレ」が再スタート!!!オペラ編、しかもモーツァルトのオペラ「魔笛」を、千秋がライジング☆スターオケで指揮して、峰が演出家、高橋君がコンマス、清良や黒木君(ターニャ連れ)真澄ちゃんやや菊池や沙悟浄や萌・薫姉妹も集まり、でも「魔笛」のパミーナ役がブー子こと菅沼沙耶・・・(笑)
楽しみが一つ増えた♪





リサイタル終了、その後雑感

リサイタルが終了してから急遽青森に飛び、急ぎ東京に戻り連続勤務と夜勤、疲労困憊。10日も歌っていないのだが、今私自身にとって一番必要且つ重要な事は、休養と休息と睡眠である。

明日は休日なので、ようやく10日振りに声を出せる。スタジオが何処も空いていなかったので、新しいスタジオを予約する事が出来た。音楽スタジオの入会カードと、クレジットカードの数が同じ位になってしまった(笑)明日は、何の曲の練習をしようか、それだけがとっても楽しみ♪でも迷ってしまう。シューベルトにしようか、シューマンにしようか、モーツァルトにしょうか、ベートーベンにしようか、バッハにしようか・・・・・・・・・・(自爆)

リサイタルが終わって、最近お知り合いになった方と夕食を御一緒させて頂いた。一緒に新宿でご飯を食べながら(私は酒を呑みながら)沢山お話をさせて頂いた。目が見えない方なのに、私のセルセのアリアで「綺麗な青空が見えた」と仰ってくださった。目の見えない方が私の「Ombra mai fu」を聴かれて心の中に描かれた青空はどれ程の綺麗な青空だったのだろうか?彼女は必死に、
「私も歌えるようになるでしょうか???」
と心配そうに尋ねられていたが、私でも10年かけてここまで歌えるようになれたんだから、絶対に大丈夫。私自身がその証明の論拠ですよ♪とお伝えした。無論、誰でも10年真面目に地道に勉強・練習を「怠りなく」努め励めば、少なくとも私程度には、御本人の努力と資質があればそれ以上になられる事が十分可能だと、私は自信を持ってお勧めする(笑)それに、彼女とは今後アンサンブルを歌いたいと考えており、今選曲中である。第一の候補はA.Vivaldi「GLORIA」RV.589から「Laudamus te」という二重唱がある。ソプラノ2人のアンサンブルである。7ページ程の短いミサ曲で、音域も中低音〜中高音で、複雑なテクニックも余り無い。しかし、長くソロで歌うとアンサンブルの感覚が鈍ってしまうので、是非彼女と一緒に歌いたいと考えている。これから点字楽譜に依頼しようかと考えている。
まだ、彼女の声を聴いた事がないので、早く聴いてみたいしとっても楽しみである。

青森に帰っている最中に、ミルヒー先生に無事リサイタルを「何とか歌い切りました」と御報告申しあげた。すると、ミルヒー先生からメールが返信されて来た。ミルヒー先生は風邪をこじらせて咳が酷かったらしく、リサイタル本番には御越し頂けなかった。でも、ミルヒー先生、あんまし心配してないみたいだったんだけど(激爆)それで、ミルヒー先生から、

「コンサートお疲れ様でした。あのプログラムを歌い切ったとは凄いです
あなたの歌にもの凄いプラスになったと思いますこれからが楽しみです

とメールを頂いた・・・(滝汗)そうかあぁ・・・、私ってミルヒー先生にとって今後とっても楽しみな弟子なのかあぁ・・・。とシンプルに考えたら、青森で涙が流れた。リサイタルを中止せず諦めずにヘンデルのオペラアリア9曲歌って来て本当に良かったと、やはり辛く苦しい時こそ感謝の涙が流れた。ミルヒー先生にはまだウチの親父の事は話していないのだが。

東京に帰って来て、リサイタルを聴きに来てくれた友人やお客様のアンケートやメールから、
「(クレオパトラの衣装が)今迄で一番似合っていましたそれよりも歌の方に気持ちが引き込まれてました。来年が楽しみです
「スゴイ迫力で感動しました」
「苛酷な運命に涙を流しの曲、最高です。感動しました。声も素敵です」
「夜勤明けだったから眠たくなるかなと思ったけど全然でしたやっぱり高音が綺麗ですね。ピアノの音をなぞるところも綺麗にピアノと合わさって凄いなと思いましたまた来年楽しみにしてます。素敵な一時ありがとうございました。夜勤の疲れも取れますね」
などの御感想を頂いた。
そして、ブログのコメントも頂く事が出来た。
無論、皆様お褒めの言葉を沢山下さったのだが、これらの御意見と自己評価考察から、これからの課題を熟慮して結果を出し新たな課題と目標を作って行かなければならない。ここから自分の弱点の捻出に躍起にならなければならない。要するに弱点や欠点を克服して行かなければ、進歩向上は無い。後日疲労が少し取れて考えられるようになったらゆっくり考察したいと考えている。少し疲労が取れてからイタリアオペラに関してはレパートリーの再考をしなければならないであろうと考えている。

リサイタルを歌い終わってみると、何だかまだまだ無性にヘンデルを歌いたくなってしまい、連日グラインドボーンの「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを観ている(激爆)特にシーザー役のサラ・コノリー、コルネーリア役のパトリシア・バートン、トロメーオ役のクリストフ・デュモー、ニレーノ役のラシッド・ベン・アブデズラムのアリアを頭出しで観ている。この4人の歌手は本当に素晴らしい。連日ヒマさえあればDVDを観ているので、一つ気が付いた事がある。それぞれの歌手が歌っている時の、下顎が上に浮いているか首に埋まっているのかで、どのような発声を行っているのかの区別が若干分かるようになって来た。
ミルヒー先生のベルカント発声法では、

「下顎は極力首や肩に埋めるように深くブレスを取り下半身で支える」

事が基本なのである。DVDの映像上これに最も近いのが、シーザー役のサラ・コノリーとトロメーオ役のクリストフ・デュモーである。クレオパトラのダニエル・ド・ニースやセストのアンゲリカ・キルヒシュラーガーは、歌う時下顎が若干上昇傾向である。これは発声方法の違いであろうから特にコメントするべきでもないのかもしれないが、私は今後はサラ・コノリーやクリストフ・デュモーの歌唱も参考に勉強して行きたいと考えている。これは、やはり毎日DVDを見続けている賜物であろう(自爆)
改めて、クリストフ・デュモーが学んだパリ国立高等音楽院、コンセルヴァトアールは凄い、と思った。国際的に有名な学校だから凄いと私が考えている訳では無い。私がコンセルヴァトアールの凄さを一番に認識する理由は、クリストフ・デュモーのような演奏家を、世界のクラシック音楽界に貢献するべき神から与えられた才能を世に輩出する教育を行い演奏家を育て、現実にこのような素晴らしい声楽家を世に輩出しているという「凄さ」である。鳥肌が立つ。

特に、ウィントン・ディーン著「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」にも書かれていた事であるが、

「コロラトゥーラの目的は表現であり、輝かしさのためのものではない」

との記述通り、今後はサラ・コノリーやクリストフ・デュモーの録音なども探して行きたいと考えている。それが今後の私の大きな課題の一つになる事はまず間違いないと言っても過言では無いだろう。

そういう意味から考えると、今後のイタリア・オペラの選曲や勉強に関して、一つの非常に有名なオペラの役柄が浮かび上がって来る。無論、G.Verdiのオペラ「La Traviata」(椿姫)のヴィオレッタである。
私は、以前非常に心無い人間の無責任な言動や態度により非常に激怒し、二度とこのヴィオレッタは一生死ぬまで歌わないと心に誓ったのだが、やはりミューズはどうしても私にヴィオレッタを勉強させたいと見える(超苦笑)
ミルヒー先生のレッスンでも、次はモーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージのアリア「Come, scoglio」であるが、その後の予定はヴェルディのオペラ「リゴレット」のジルダ「Caro nome」だったのだが、これも以前非常に心無い人間の無責任な言動により、

「ジルダは違うと思うよ」

の放言で、勉強する事が嫌になってしまった。
しかし、このヴェルディの2つのオペラの勉強に関しては、今回のヘンデルのオペラアリアのリサイタルを何とか歌い切る事が出来た事によって、再考の余地あり、と考えている。
この件に関しては、また暫く考えてブログにアップしたいと考えている。
今、この私の太い響きの声でミルヒー先生が、私にどのようにジルダやヴィオレッタを歌わせようと考えていらっしゃるのか、それは私自身にとっても非常に興味深い事項である(笑)

今日はそろそろ休む♪

リサイタル評価考察

リサイタル当日は、前日の不調に比べて喉の調子が良かった。痛みも無かった。ただ空気の乾燥が相当厳しかったため、水分摂取に努めた。
リサイタル前の発声練習は、リサイタル本番のために10分程に留めオクレール先生を待った。
オクレール先生がリサイタル会場のギャラリーカフェに到着してから、本当は前日の不調のためGPはヘンデルのアリアの前半4曲だけを通して歌う予定だったが、調子が良いのでやはり全曲9曲通して歌う事にした。GPは多少マズいトコロがあっても構わず通して歌うだけに留めた。声はリサイタル本番に大事に取っておかなければならない。しかし、会場のギャラリーカフェで一通り通して流れを掴みたいという気持ちが強かった。
リサイタル本番1時間前にはGP終了。後はメイクや着替え。会場のギャラリーカフェ内も非常に乾燥が激しく、水を飲み続けていた。
リサイタル本番は私の友人の到着が遅れたため20分程遅れて開始した。しかし、その分声帯を休める時間が出来た。

リサイタル開始。まずヘンデルについて、今日歌うオペラの概説のMC。

1曲目「アルチーナ」のオベルトのアリア「一体誰が知っているのか、愛する父が何処にいるのか」は、やはり緊張のため前半は体が硬くなりブレスが続かなかった。長年超スロースターターであるため(爆死)今回の経過も想定内の事ではあったので、後半とダ・カーポの部分から持ち直した。最近は他人も出る演奏会などでは1曲目でもそれ程酷い緊張は無くなって来たのだが、流石にやはり自分一人で行うリサイタルはそう簡単には行かない。この「スロースターター問題」は一生の課題になる。今回のリサイタルでの成長は、立て直しが若干速くなったという事か(超苦笑)
2曲目「リナルド」のリナルドのアリア「愛しい花嫁よ」は、恐れていた事が起きた。この曲は長く伸ばす音と休符が複雑なのだが、拍のカウント間違いとブレスの機会を逃してしまった所が2ヵ所あった。これはピアノ合わせの時点から度々あった事だった。ピアノ合わせ時には発声に気を取られて拍のカウントを間違う事が多かった。リサイタル本番では緊張していたので集中力を欠いてしまった可能性が高い。しかし、ピアノ合わせの時点から起こっていた事だったので、オクレール先生が上手くフォローしてくださり大崩壊は免れた。失敗は無いに越した事は無いのだが、やはり本番は何が起こるか分からない(苦笑)練習を多く積み重ねる事によって自分がどのような失敗を起こしやすいのかをきちんと把握しておく必要性は非常に高い。特に私はテンポやリズムに対する感覚が低いように思う。今後、更に勉強と努力と練習が必要だと超反省した。
3曲目「リナルド」のアルミレーナのアリア「私を泣かせてください」は、ほぼレッスン通りに歌う事が出来た。目立った失敗も無く、アルトのキーで何とかここまで歌う事が出来たか、とここでようやく一安心。
4曲目「セルセ」のセルセのアリア「懐かしい木蔭よ」も、ほぼレッスン通りに歌う事が出来た。しかし、レチタティーヴォを歌っていてブレスがやや前に出てしまっていたように感じた。ミルヒー先生の発声のオーダーは、

「ブレスは前に出すのでは無く、下を通って後ろから上に」

という事である。アリアに入ってこれをやや修正出来た。アリアは最初と最後が最も難易度の高い曲である。この修正が良い契機となり、レッスン時と同じく歌う事が出来た。

ここで15分の休憩。メイクをクレオパトラ用に直し、アクセサリーを変え、黒のレースの大きなショールをドレスにくっつけて・・・。休憩時間とは思えない程忙しかった。

後半「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲。
まず、私のクレオパトラという人物についての解釈を話し、オペラの概要を説明した。私のクレオパトラ像は「絶世の美女ではなく、才智に長け野心的で時に冷酷な策略家であり情熱家」である。

5曲目「貴方は私の希望の星」は、レチタティーヴォからアリアまで、いつものテンションでレッスン通りに歌う事が出来た。この後半のクレオパトラのアリアは高音2点Aが連発で来る。ただ、発声練習やGPで声をケチったのが効を奏したのか(激爆)、高音域は思っていたよりも楽に出せた。
6曲目「敬愛する瞳よ」は、いつものレッスン通りに歌う事は出来たが、飽くまでもレッスン通りでしかなかったので、相当に気落ちした。この曲は「エジプトのジュリアス・シーザー」の中でも最も美しいアリアと言われている曲なのである。このアリアをどれだけ美しく妖艶に歌う事が出来るかにより、コルネーリアとの対比やコルネーリアの悲劇性とのコントラスト、最後の2曲のクレオパトラのアリアのドラマ性と高慢とも言える自尊心の高さとがクローズアップされるか決まって来る非常に重要なアリアなのである。まあ、結果として、いつものレッスン通りの歌唱である。流石に自分自身の勉強不足と練習不足を嫌でも思い知らされる事になった。今後、より自分の発声を磨き、より美しくこのアリアを歌う事が希求の課題である事がより明確となった。いささかがっかりした。
7曲目「美しいヴィーナスよ」は、これもレチタティーヴォからアリアまでレッスン通りに歌う事が出来た。この曲も最高音2点Aが頻繁に出てくる。そろそろ疲労が出始める頃なのだが、ここで踏ん張って発声を整えて歌わなければ残り2曲をドラマティックに歌えない。その調整が非常に難しかったが、この曲は私にとって相性が良いらしく(笑)ほぼ予定通りに歌う事が出来たと考えている。
8曲目「公正な天よ、もしも私に慈悲を感じないなら」は、ロングブレスと中高音域がラルゴで延々と続くという殺人的なアリアである。例外無く、2点Aが頻繁に出て来る。このアリアは2年前の演奏会にも歌った事があるので、慣れという意味から言えば本当にいつものレッスン通りに歌う事が出来た。しかしこのアリア、声をセーブして歌う事が出来る曲では無い。ロングブレスと中高音域の連続の上に力強さの必要なアリアなので、非常に声帯を疲労させやすい。緩める場所が一つも無い曲である。しかも、オペラの後半で歌われるアリアである。実際のオペラとしては、勿論シーザーやコルネーリアやトロメーオやセストのアリアの間に歌われるのだが、リサイタル形式で休憩無しで歌うとすればこれ程厳しい曲も存在しない、と思わせるような体力&声帯消耗度の激しいアリアである。しかし、このハードな演奏環境を乗り切りこなす事によって、自分自身の声帯筋肉の強化と歌唱に必要な体力の増強という事で、このプログラムを組んだ。しかし、流石に自覚する程の声帯疲労が感じられて来たが、音程やブレスには影響を出さずに歌う事が出来た。
最後の曲9曲目「苛酷な運命に涙を流し」は、やはり相当に疲労していたのでレチタティーヴォで渾身の力を使い果たしてしまったカンジ(凹)アリアの前半はほぼレッスン通りに歌う事が出来たが、後半のアジリダはやはり声の回りが良くなかった。しかし最後の全身の力を振り絞って高音域やロングブレスは何とか歌う事が出来た。後半のアジリダがレッスン通りに歌う事が出来なかったがここで気を抜いたらリサイタルそのものが崩壊してしまう。アリアのダ・カーポは自分自身可能な限り、ピアノで歌わなければならない。この時の集中力は非常に高かったと思う。きちんとレッスン通りの弱声で歌う事が出来た。

リサイタルが終ってからの観客の方々への御挨拶で、オクレール先生に一言お願いした。ビックリ仰天大慌てしていたオクレール先生は、

「本当に、プロでも大変なプログラムで、忙しい仕事をしてるのに、良く勉強してるなあぁと思います」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(爆)オクレール先生精一杯の褒め言葉を言って下さったのだと思った。
本当に、涙が出そうになった。

2度目のリサイタル、しかも今回は初リサイタルよりも非常にハードなプログラム、しかもこの上無い厳しい精神的ストレス。その中でも当然不十分な演奏である事には間違い無いが、歌い切った事、そして諦めずにリサイタルを開催出来た事が嬉しかった。
恐らくこれだけのプログラムを歌い切る事が出来れば、今後はもっともっとハードな難曲に取り組む事の出来る可能性も出てくる。今回のリサイタルで相当声帯を鍛える事が出来たと考えている。
勿論、最も大切な事はほぼ1年前から今回のリサイタルに関しての準備を行い練習を続けて来たという事である。選曲は1年以上前に済ませ、練習は今年の3月ウィーンから帰って来てからすぐに開始した。10月に入り暗譜も終了する事が出来た。

勉強と練習に勝るものは無い。
資質も才能も感性も意欲も音楽に対する愛情も、地道な勉強と練習が全てを進化・昇華させて行く。
練習しない怠惰な人間は例えどのような言を弄したとしても、資質も才能も音楽に対する愛情も、側溝に放り投げているのと同じである。それを実感した。
尤も、天才は別であろうが(笑)

今後のイタリア・オペラのプログラムに関して、再考を要すると認識を改めた。

青森の親父の病状は変化は無かったが、積極的治療を望まないという事で、治療を点滴ではなく鼻からの経管栄養に切り替えたためか高カロリーの栄養が行く事になり、顔の褥創がかなり改善していた。
高度な治療だけが必ずしも人間の回復に繋がるとは言い切れない。

来年のウィーン行きは非常に厳しいが、出来る限りウィーンを目指す。

リサイタル本番へ

一週間前、田舎の青森の親父が脳出血で倒れた。
12月2日頃自宅の玄関手前で倒れたらしく、警察に発見されたのが12月5日だった。
左側を下にして3日間倒れていたので、左半身が褥瘡、血圧200以上、30℃の低体温、意識不明で、1晩持たないと搬送先の病院の主治医に言われた。
独居だったので、発見が遅れた。

北海道にいる、音信不通だった妹2人が青森に賭けつけて、親父は多少状態が改善し、現在は小康状態。

リサイタルを中止するべきかどうか、かなり悩んだ。
何故、今この大切な時に倒れるんだよ??????????

3日間考えて、リサイタルは行う事に決めた。
私が看護師の仕事をしながら、親の力を借りずに音楽の勉強を続けている事、
ウチの一族で、初めてウィーンへ行って音楽の勉強をしたのは、私だけであること、
それを一番喜んでくれたのが、親父だったから。

それにウチの親父なら、

「ちゃんとリサイタルをやって、自分のやるべき事をやってから来い」

と言うだろうと思った(苦笑)
リサイタル本番までの間、高額療養手当や介護認定、年金や銀行口座の処理など、私の病院の医療相談員と連日相談し、青森の妹と毎日連絡を取り、妹が出来る事を先に手続きしてもらったり、書類を探してもらったりしていた。
今日、リサイタルが終ったら、その足で青森に帰省する。
1週間、全ての処理を行ってから、東京に戻って来る。
親父の入院費の捻出のため、来月からは夜勤専門の勤務に変更してもらった。
来年は、ウィーンには行けないかも知れない。

暫く、ブログの更新は出来ない。
でも、青森にはシューマンのリサイタル用楽譜、ウィーンのB先生とN先生の宿題の楽譜を持って行く。
勉強する事だけは、諦めたくないし止めたくない。

人間、自分が本当に成すべき事をきちんと理解・認識・自覚してさえいれば、強く在る事が出来るものだ、と思った。

ラストスパート

今日は、11時から発声練習、美容院へ行ってカット&カラー(クレオパトラ風)、諸々用事を済ませてからオクレール先生との最終ピアノ合わせ、で、今帰宅。

今日は外気の乾燥が酷いのと疲労困憊で、声が普段の半分くらいしか出なかった。
喉が掠れて少し痛む。でも、歌い過ぎで痛い訳では無いので、調整可能だろう。
今日はヘンデルのアリア9曲通して、その後細かい所を微調整した。
本番でどのくらい歌えるかは解らないけど、出来る事しかやれないのは確か(笑)
オクレール先生は、今日は発声の事に関しては殆ど触れなかった。
前回のミルヒー先生とのピアノ合わせで、私の今後の方向性を御理解頂けたのか・・・。
一つオクレール先生に言われた事は、

「(ミルヒー)先生は、あなたを太く重い声の方向で育てたいんだねえぇ〜」

とだけ(超苦笑)
先生によっても御意見は様々だろうけれど、私自身が納得していればそれで十分だ。

今日もヘトヘト(爆死)
ここの所、連続勤務と不眠で休む時間も余り無かった。
良くも風邪をひかなかったものだ、と思う(苦笑)

泣いても笑っても、あと僅か。
今日はもう風呂入ってゆっくり休む。

リサイタルが終わったら、今度は新たな課題や問題が山積みだし(核爆)

サバイバル・カウントダウン

リサイタル本番直前に、非常に深刻な事態に巻き込まれた。
リサイタル中止を考えた。3日間、迷った。

でも、今リサイタルを中止するならば、それは私自身を失う事でもある。
私自身にとって逃げる事は、立ち向かって倒れる事よりも遥かに屈辱的であり、それは私の生き方では無い。
ベターよりもべストを選択する事に決めた。

リサイタルのための休日が1日減り、休日を2日にしなければならなくなった。
リサイタル直前のピアノ合わせは、予定変更によりミルヒー先生は来られなくなった。
この3日間喘息症状も不安定で、今日勤務の合間に強いステロイド剤の点滴治療を受けた。
全ての状況は芳しく無く、私に味方してくれないが、私自身の力と意思で切り抜け乗り越えなければならない。

不眠・不休で勤務が続いてのリサイタルまで、私に与えられた時間は僅かしか無い。
でも、リサイタルで歌うと決めた以上、例え最悪リハーサル無しでも歌う覚悟は出来ている。
それだけの準備はして来たつもりだ。
今の私が持っているものは、決断力と強固な意志だけ。

でも、以前このブログにも書いたけど、
「神様は、その試練を乗り越えられる人にしか、与えない」
そう信じるしかない。

ついさっき、ミルヒー先生からメールが届いた。

「お仕事大変ですね。予定が入っているため(最終ピアノ合わせに)伺う事は出来ませんが、先日のレッスンであなたの歌はバッチリでしたので、自信を持って伴奏合わせをしてください。(リサイタル本番)楽しみにしています。」

今の私には、祈る事と歌う事しか、出来る事が無い。
でも、ミルヒー先生のメールで、やっぱり歌う事だけは何があっても絶対に諦めない、そう誓った。

不眠と疲労と神経衰弱との戦いの、ラスト・スパート。

クレオパトラの「お婆さん」

昨日の夜調子が悪く、いつもならボトル1本半は空ける赤ワインが1本も呑めず、早々に休んだ。てっきりリサイタルが近いのに発声が今イチ安定していない不安のせいかと思っていたら、発熱、37.7℃(怒)しかし、先日久しぶりの喘息発作で最近非常に痰が増えてしまい、解熱剤を使用すると喘息発作の副作用の誘因となってしまうので、熱に耐えるために早々に休んだ。

今日は、ヘンデルのリサイタルの直前のミルヒー先生の最終レッスン。今日目が覚めたら熱は下がっていたが全身倦怠感が非常に強く、昼まで寝ていた。流石に、幾らレッスンが夕方からだと言ってもいい加減起床しなければ体も声帯も目覚めない。昼過ぎにのそのそと起きて、目覚ましにギャラリーカフェに行ってお茶した。
今日は、ミルヒー先生のレッスン前に敢えて発声練習を行わなかった。
自分自身、昨日の自己練習でミルヒー先生に指摘された「元の以前の発声」の状態に戻っているのかどうか非常に不安が強かった。何しろ、リサイタル本番まで日が無い。昨日の練習で自分の発声が元に戻っていないのだとしたら、自己練習を重ねるのは無意味な徒労。それならいっその事何もせずミルヒー先生のレッスンで全て修正して頂く事の方が余程賢明な選択と言える。無論、リサイタル本番まで間に合わない可能性が高いが、自分の声帯を無駄に浪費しないという至上命題も含めて、ミルヒー先生にお任せする覚悟でレッスンに行く事にした。
ギャラリーカフェでも非常に体がだるく、リサイタル用楽曲解説の原稿すら受け付けなかった。ギャラリーカフェの社長とプロデューサーがいつもと変わりなく笑顔で元気付けてくれた事が嬉しくて、とても感謝した。

早速世田谷のスタジオに向かった。ミルヒー先生が少し心配そうにされた。私の喉の調子を非常に心配されていたのだが、私自身は自分の発声が元の状態に戻ったのかどうかが一番不安で、昨日も自己練習したけれど本当に元に戻ったのかどうか解らなくて不安がある、今日は発声練習もしないで来たので、発声を再確認して欲しいという事を正直にミルヒー先生に話した。
ミルヒー先生は了解された。そして、

「ピアニストだけど、歌を習った人ではないので、もう言う事は聴かない方がいいと思う。これは結構誰でもぶち当たる事なのよ。特に音大なんかでは、それまでは自分の先生の言う事だけ聞いていれば良かったけど、音大なんかでは色んな人に色々言われるから、混乱するのよ。だから、あなたも今同じだと思うから。」

と言われた。成程、そういう事も十二分に有り得る。特に私の場合、元々声も太いし響きが纏まりづらかった事もあり、オクレール先生から見たら正に「ツッコミ所満載」的生徒だったのだろうと思う。でも、ミルヒー先生曰く、

「今迄プロ相手の仕事だったけど、プロじゃないあなたの伴奏をする事で、あなたを対等には見なかった、あなたを下に見た結果こういう事になってしまったのかもね」

まあ、学歴も無い自分相手にプロのピアニストが歌い手として対等な立場で伴奏してくださるとも期待はしていなかったので、別段驚きもしなかったのだが。まあ・・・これを機に、日本のクラシックで生計を立てている「プロフェッショナル」な方々に対しては、益々以って警戒を強める事にさせて頂くという事で、決着♪
まず、視るべきは、人間性♪こういう所で、人間そのものの本性が出る(笑)

取り敢えず発声練習から。基本的には、前回のピアノ合わせの時と比べてちゃんと元の発声に戻りつつある、とミルヒー先生から言われた。少しホッとした。そして時間も無いので、早速ヘンデルのアリアのレッスンへ。自分的に、非常に重要と思われるアリア4曲をレッスンして頂いた。
まずは、1曲目に歌う「アルチーナ」オベルトのアリア。これは前回のピアノ合わせも含めて以前よりも良い状態に仕上がっているとの事で、問題無し\(^o^)/
次は、前回のピアノ合わせでレチタティーヴォで声が当たっていないと指摘されたアルミレーナのアリア。これも、発声を修正する努力の甲斐が多少あり、かなり改善されたとミルヒー先生に言って貰えた♪ただし、楽譜の強弱記号を意識し過ぎだと注意を受けた。ミルヒー先生曰く、

「わざわざピアノやフォルテにしようと思わなくても、発声がきちんと出来ていれば自然に楽譜通りに聴こえるようになるから」

と諭された。これは、歌っていても未だ自分自身実感が得られない部分ではある。リサイタル本番直前までの集中力に依るしかないだろう。
次は、クレオパトラのアリア「敬愛する瞳よ」「苛酷な運命に涙を流し」の2曲。クレオパトラのアリアに関しては、恐らくこの2曲がリサイタル本番前にある程度の完成度を以って歌う事が出来れば、他のクレオパトラのアリアにも相当な割合で自然に応用出来るアリア2曲である。クレオパトラのアリアの中でも最も有名で美しく難易度の高いこの2曲のアリアだけは、何が何でも今日のうちに元の「太くて深い発声」に戻しておかなければならなかった。この2曲のアリアに共通して言えた事は、高音域で細めの発声に移行しそうになってしまい息の流れが前に出てしまう事で逆に声の響きが失われてしまう事で、特に「苛酷な運命に涙を流し」のレチタティーヴォに顕著に現れていた。丁度2点Fの近辺の音域は、私の声のチェンジ部分であり、余計に発声を押してしまいがちになってしまい、トータルの発声の流れから言っても力で押し出してしまいがちになる。ここを今日は集中的にミルヒー先生に修正して頂いた。
ポイントは、吸気時に下顎と下腿のポジションの流れを繋げる事。これでかなり修正する事が出来た。特に、クレオパトラの最後に歌うアリア「苛酷な運命に涙を流し」に関しては、オクレール先生から、

「そんなに太く歌うの???それじゃ、クレオパトラのお婆さんの声みたいになっちゃうよ。(ミルヒー)先生からは何も言われないの???」

と指摘され割と凹んだ(超爆死)その事を、極秘とゆ〜事でミルヒー先生にお話ししたら、

「失礼しちゃうわねええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・。もう、新しいピアニスト、探してあげるわねえぇっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!」

と、超お怒りモード(サゲ)
でもまあ、自分としては元々発声も太すぎたし頭のポジションも低かったし開き方も足りなかったので、オクレール先生の指摘は勉強になったという事はミルヒー先生にもお話したのだが・・・(汗)
兎に角、昨日の自己練習でミルヒー先生のオーダー通りに修正の方向に向かえたという事で、今日は心の底からホッと一安心。後は、リサイタル本番当日まで今よりも少しでもミルヒー先生のオーダーに近づけるように調整を行って行く事に尽きる。するとミルヒー先生が、

「本番前最終のピアノ合わせ、私も行くわ!!!!!!!!!!」

とのお申し出を頂いた(超苦笑)
いい先生に巡り逢えたなあぁ・・・・・と思った。まだオクレール先生から最終的な日程の御連絡を頂いていなかったので、スタジオが確保出来たらすぐにミルヒー先生にもご連絡する事になった。
最後に、私が参考にしている「エジプトのジュリアス・シーザー」のダニエル・ド・ニースについて少しミルヒー先生に話した。モーツァルトのバルバリーナやスザンナを歌っているアメリカ人のソプラノで、でもキャスリーン・バトル程は声は細く軽くは無いと思うのだけど・・・という話をしたら、ミルヒー先生も、

「もっとドラマティックでもいいのにねえぇ〜・・・」

と言われた。私が「やっぱ、日本人のソプラノって、細くて軽くて綺麗な声の、幸田浩子みたいなソプラノじゃないとダメなんでしょうねえぇ・・・(溜息)」と言った途端、ミルヒー先生が・・・・・、

「そうよ!!!そうなのよ!!!日本人って、ああいう細くて軽くてキーンと張った綺麗な声、好きなのよ!!!ああいう声、好きなんだよねえええええぇぇぇぇぇっ!!!日本人。でもね、イタリア人ってね、凄く若い女の子でも、ボン・ジョルノって結構低い声で言うけど、日本だったら低い太い声で挨拶したら、怖いっていうふうになるじゃない!!!だから、ホント、日本人は仕方が無いのよ!!!etc・・・・・」

と、爆裂マシンガントーク勃発(超核爆)何だか、自分が日本人じゃないよ〜な気がしてきた(サゲ)でもま、ミルヒー先生は私の声の最も重要な数少ない理解者の一人で、日本の既成概念に捕われないで私を育てようとしてくれている事は疑いが無い。それだけでも、本当に涙が出そうなくらい嬉しかった。まあ、幸田浩子が日本の典型的美声ソプラノだったら、私は別に「綺麗なソプラノ」には全く属しない「美しく無い」種類のソプラノと判別されても、別にど〜でもいいや〜♪

今迄声楽の勉強を始めて10年以上の間、頑張って続けて来てこれて本当に良かったと思った。
普通は、賞とか順位とか序列とか、自身が評価の対象となった途端に「自分のやって来た事は間違っていなかった」みたいな事をほざく輩が多いが私はそうは考えない。今回のような試行錯誤や紆余曲折を繰り返し、時には先生から破門を喰らうような間違いを犯しながら、自らの進む道を軌道修正して来たからこそ今の自分自身が存在するのだ。私は、いつも迷い他人の甘言に左右されながら来てしまったが、今は幸せだと実感している。

レッスンが終わって帰宅したら、フィギアスケートのグランプリファイナルの女子ショート・プログラムの最終滑走に間に合った。今回のグランプリ・ファイナルは真央ちゃんが出ていなかったので録画していなかった。でも、キム・ヨナがミスして現在安藤美姫がトップ。やはり、本番は何が起きるか分からない(笑)今シリーズでショートプログラム史上歴代最高得点を叩き出したキム・ヨナがミスで2位。人生は航海の如し。
年齢を重ねるという事は、智慧を獲得する事と同義でありたいと思う。新しいものは常に誕生している。古いものが良い、という価値観は人類史上常に使い古された手法であり、かのエジプトのピラミッドにも「今時の若い者は!」という落書きがされていたと高校の歴史で学んだ。新しい価値の感じられない煩雑で雑多な者の中から至宝を発掘するかも知れない。そしてそれは、歴史の転換期に立ち会う千載一隅の機会であるかも知れないのである。尤も、それは後の歴史の判断に委ねられる事ではあるのだが。
新しいものに目を向けず古いものに固執する事は、謙虚な老化では無く「偏狭な退化」と私は位置付けている。
年を取らない人間も死なない人間も、存在しない。
少なくとも、自分の不足な脳味噌だけで物事に固執しないよう老体に鞭打って短い生を生きなけれればならいと切に思う(苦笑)

それにしても、真央ちゃんがいないのが、寂しいねえぇ・・・(涙)

ヘンデルのオペラを想う

明日は、ヘンデルのリサイタル直前のミルヒー先生の最終レッスン。今日は、ミルヒー先生に指摘された以前の発声に戻すべくスタジオ3時間練習。今日は少し声を出し過ぎた。少し焦ってしまった。以前の発声を戻そうとする余り、声量をコントロールし誤った。スタジオ練習の後、話声が掠れた。寧ろ、以前の発声に戻すコントロールの間合いが取り辛くなってしまった可能性が高い。リサイタル本番まで時間が無い事に焦ってしまうのは仕方が無い。この問題に関しては、明日のミルヒー先生のリサイタル直前の最終レッスンでギリギリ可能な範囲まで戻す事に努め、後は体調コントロールを徹底する以外に方法は無いだろうと考えている。
考えて見れば、ミルヒー先生からレッスンを受けているベルカント発声で、オペラ・アリア9曲も歌う事は生まれて初めてである。長い曲は1曲7〜8分にも及ぶ。リサイタルそのものも、15分の休憩を含めて1時間30分以上に及ぶ。

これは今現在の私自身の声の基礎体力の限界だと考えている。

間違い無く、リサイタル本番まで調整との戦いになる事は既に百も承知の事であるので、これに失敗したら全て自己責任となる。仕事上の疲労などのハイリスクは織り込み済みなので、一種我慢大会と似ている。7月に歌った風邪をひいてのシューベルト4曲のように、ラッキーを期待する事は出来ない。リサイタル直前の調整を構成する要素どれ一つとっても失敗したら、恐らくリサイタル本番で待っているのは「破綻」である。特に、後半5曲歌わなければならない「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア。よくよく胆に銘じなくてはならないだろう。リサイタル本番までの練習回数も限られている。

本当に、演奏会本番までの道程は、私達アマチュアの歌い手にとっては正に「ナーバス・ブレイクダウン」の連続である。向き合い続ける以外に、他に手は無い。

今日ようやく「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」を読み終えた。このリサイタル直前に読み終えるとは、相当に遅いのだけれど、私的には「リサイタル本番前に読み終わって超ホッとしたあああぁぁぁ〜〜〜♪」とゆ〜カンジ(爆)勿論、本の内容的には私が今回のリサイタルで歌わないヘンデルのオペラに関する記述も非常に多いので、この短期間に読み終える事は体力的にも精神的にもかなりキッつかった(苦笑)
ただ、この著書は今回私がメインで歌う「エジプトのジュリアス・シーザー」についての記述も非常に多く、読み終わってみたらペンで線を引いて折り目を付けたページも結構多かった。この著書を、2005年グラインドボーンの同映像を観聴きしながら並行作業で読んで来た事は、非常に集中力の必要な作業ではあったが良いシチュエーションだったと思えなくも無い。
特に、ヘンデルのオペラの特性や様式や調性の幅広さ、選択楽器のオリジナリティー、アリアの形式の展開の多彩さ、レチタティーヴォの重要性、歌手の声質的特性の使い分けなど、まるで近・現代にも通じるかそれ以上に有り余って尚語り尽くせ無い音楽的創造性の深さを、いっちばん端っこながらも触れられた事には鳥肌が立つ程の驚きと喜びを感じた。

私がずっと観ている「エジプトのジュリアス・シーザー」の2005年グラインドボーンの映像に話は尽きてしまいそうになる(笑)
以前もこのブログで述べたが、シーザー役のサラ・コノリーは声は言うに及ばず、その姿もカウンターテナーに勝るとも劣らない声と容貌で、クレオパトラ役のダニエル・ド・ニースやセスト役のアンゲリカ・キルヒシュラーガーに比べたら、まるで「男性」に見えなくもない位に非常に凛々しいシーザーである(爆死)これ程の説得力を持つ適役というものは、正に「神様からの贈り物」と思う以外に無い(笑)ソロ・デビューは30歳を過ぎてからで長くグラインドボーンの合唱で歌っていたとは、もの凄い逸材だと素直に驚いた。しかも、コロラトゥーラの軽やかさといい美しさといい歌唱の表現の激しさといい、マジで惚れちゃうくらいのメッゾ・ソプラノである(自爆)ベーレンライターの楽譜上のシーザーの指定されている声質は、Alt Castratoである。メッゾ・ソプラノのコノリーは彼女自身の持つ身体的なポテンシャルも全て活かしてのシーザー役である事はDVDを観て納得するしかない。
最近、この2005年グラインドボーン「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDをほぼ毎日観ているのだが、私が観聴きするのは限られている。シーザーのサラ・コノリー、コルネーリアのパトリシア・バートン、トロメーオのクリストフ・デュモー、ニレーノのラシッド・ベン・アブデズラムの歌うアリアばかりを頭出しで観ているのである(激爆)現段階では、クレオパトラに関しては既に自分自身の解釈実現の段階に入っていると考えているので、録音や映像を参考にするよりも寧ろ、自身の歌唱を反芻・見直す事の方が重要な時期であると考えている。それでも「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ以外の映像を観聴きする事は、このオペラの作品そのものに関する理解や解釈をより深めるために、非常に重要な事であると考えている。特に、シーザー・コルネーリア・トロメーオに関しては、クレオパトラとの人物像の対比や音楽的対比や効果という点に於いては非常に重要である事は間違いない。
コルネーリアを観察する事は、以前私がブログで述べたように、ベーレンライター社の楽譜で指定されている声質としてはコルネーリアはContraltoでありクレオパトラはSoparoである。女声の声質としては対極に位置するが、役柄の存在感としては対等でなくてはならない、という私自身の解釈にも依拠する。
ちなみに、ポンペイウスとコルネーリアの息子セストは、ベーレンライター社の声質の部分にはSopranoとの記載がなされていた(笑)

そして、エジプト王トロメーオ役のフランス人カウンターテナーのクリストフ・デュモーは「のだめカンタービレ」でも超お馴染みのパリ国立高等音楽院、即ちコンセルヴァトワール出身である。デュモーはこの2005年グラインドボーンの公演からトロメーオ役を当たり役とし、若い世代のカウンターテナーの期待の星となったとある。声はややハイ・カウンターテナーで、若き好色な狂気のエジプト王を非常に高度なテクニックでドラマティックに歌い上げている。このクリストフ・デュモーのトロメーオ役の歌唱を聴いて、改めてコンセルヴァトアールの凄さを目の当たりにしたように思う。

私はクリストフ・デュモーは、コンセルヴァトワールのヘンデルの至宝、とも言えると思いながら聴いている。

以前もこのブログに書いたが、ダニエル・ド・ニースのクレオパトラに関しては殆ど興味を持つ気持ちには到底なれない。これは「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」にも度々表現されていた内容であると私自身解釈しているのだが、アリアの曲の調性やテンポと、キャラクターそのものが混同されてはならいと考えている。つまり、明るい陽気な長調の軽いテンポのアリアだからと言って、クレオパトラが陽気なお転婆キャバ嬢では困る。誇り高いのと高慢ちきを混同してはならない。そこには次元の違いが存在する。それが、歌い手の知能レベルの解釈的能力に依拠するのか、年齢や経験に依存するのかは私の伺い知る所では無い事は確かだが、私自身の判断能力が過ちを看過しない事をより自己に求める以外に方法は存在しないと考えている。
表現は、既にヘンデルが楽譜上の音楽を通して非常に確実な指針を与えてくれている。歌い手の役割は、再現芸術としての作品の実現とヘンデルの創造力や構想力の美的展開と推進力に尽きる、と私は考えている。

無論、この点に於いて自分自身はヘンデルの音楽の末席にも存在する事は許されないかも知れない。

一つ、今後あらゆるオペラを歌い勉強して行くに当たって、一つ大いに重要な指針とも言える言葉を見つけた。「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」の著者、ウィントン・ディーン氏は、

「コロラトゥーラの目的は表現であり、輝かしさのためのものではない」

と述べている。
クレオパトラのアリアにもコロラトゥーラは在る。しかし、歌い手の声の誇示に繋がるパッセージとは決してならないような作りになっていると私自身考えている。特に、クレオパトラのアリア「苛酷な運命に涙を流し」のような、またシーザーのアリア「立ち去れ、邪悪な者め」のように、コロラトゥーラそのものがその役柄やアリアの感情表現に正に直結している事が、何よりの実証となっていると考えるのは、私だけであろうか。

コロラトゥーラを美声の目的と終着点のように誤認して持て囃す聴衆と歌手の「愚」を嗤う。

イタリアの偉大なオペラ作曲家、ジュゼッぺ・ヴェルディが「La Traviata」(椿姫)の最終幕で、ヴィオレッタにコロラトゥーラのパッセージを楽譜に残さなかった事と大きな乖離が存在しないであろう事は、オペラに於ける表現の世界という視点から考えればヘンデルのオペラアリアの創造性は、私の想像力を非常に掻き立てるという意味に於いては何等変わりないという事が言える。これは、飽くまで私の発展的想像の域を出ない事ではあるのだが。

多少辛辣ではあろうが、少なくとも例えアマチュアであってもソプラノの端くれであるならば、是非とも胆に銘じておこうと留意すべき事項である。

今日は、もう休む。


今日の練習〜♪

亀田興毅選手、世界フライ級新チャンピオン誕生。

「のだめカンタービレ」の最終巻、まだ購入していない・・・・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/
今日、何度も本屋の前を通り過ぎたのに・・・・・(凹)
明日、購入しなきゃ・・・・・(汗)

今日は、3時間のスタジオ練習だった。スタジオは夕方からだったので、昼過ぎまで腐る程、寝た(爆)
スタジオに行く前にカフェに寄って少し読書。先日慌てて表参道のカワイ楽器で購入した「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」をまだ読み終わっていない・・・(自爆)リサイタル本番近いのに、一体ど〜すんだあああぁぁぁ〜〜〜!!!とゆ〜事で、元々読書は苦手なんだけど、電車の中とかなるべく読むようにしている。後100ページ位で読み終わる。
今日は少し寒かったので、カフェで本を読みながらくしゃみをしていたら、ギャラリーカフェの社長が、

「どうしたの?また風邪ひいちゃった???」

と心配してくださった。う〜ん、本番近いからなあぁ・・・。でも、普段超頑丈なので、たまに心配して貰えると結構嬉しいもんだなあぁ〜♪流石にアラフォーになると、オバサンはそういった心遣いの対象から早々に消去される運命にあるんだあぁ〜と実感する今日この頃。

で、少しお茶しながら読書して、スタジオへ練習に行った。
今日は兎に角、以前のようにミルヒー先生に指摘された「太くて深い声」のポジションを取り戻す事だけに集中した。
実は昨日、ピアノ合わせレッスンが終わってから、ミルヒー先生と電話で話した。ミルヒー先生は、私を「太くて深い声」に育てようと考えてくださっているのだとはっきり仰られた。だから、今後はオクレール先生も含めて色々な事を外部から指摘されても、一切気にしないようにと、言われたのだ。これは、結構自分的にも想定外だった。元々頭部のポジションの低さや頭部の開き方が不足している事はミルヒー先生も含めて色々な先生に指摘され続けて来た事である。今回、オクレール先生との2度のピアノ合わせで、もっと声の響きを集めて細くする事も、同様に指摘され続けて来た事である。それでも私の場合、昨日もブログに書いたけれども少なくとも声の響きを集めて細く発声する事を心掛けたトコロで、私の声の太さにはあんまし変わりが無い(苦笑)だから、昨日のピアノ合わせレッスンでミルヒー先生に衝撃の指摘をされるまでは、自分でも結構良いカンジに発声が纏まって来たかな〜?と考えていたのは間違いが無いんだな、これが。
でも、私が自分自身想像していた以上に、遥かにミルヒー先生は私の声を「太く深く」イメージされていたという現実に相当驚きを隠せない。

はっきり言って、超が100個付くほど、嬉しいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(滝涙)
人生、酷い事や悪い事や悲しい事や辛い事や、裏切られたり欺かれるような事ばっかりでも無いんだなあぁ。

とゆ〜事で、今日のスタジオ練習3時間は、ヘンデル・オペラアリア・リサイタルの9曲すべて、ミルヒー先生のオーダーの発声に戻すべく練習を行った。
ブレスは全て地面の下から吸い上げる気持ちで、下顎と下腿を繋ぎ合わせる気持ちで声を自分の背後から天に向かって響かせる(意味不?)
それを、9曲全て一通り歌い直した。流石に、この発声方法は慣れないと全身に力が入りやすいし、声の勢いも非常に付いてしまうので、声量・音量は自己MAXに近くなる。でも、それ以上に全身を使うので、特に下腿の筋肉を最大限に使うので、声帯の疲労で多少話声は掠れ気味にはなるが、喉の痛みは全く無い。
従って、ミルヒー先生の言う通り、下腿の支えを中心に深くブレスを取れるよう勘を取り戻せれば、もう少し太く深くても軽く発声する事は可能だ。今日のように、最大音量で練習しなくとも大丈夫だろう。相当勘は取り戻せたと思うので、次回ミルヒー先生の直前レッスンで、後は自分の発声を確認・微調整して行くという事でどうにか行けそうなカンジだ。

今の私がどんな声なのか、それは私の歌を聴きに来て下さる人にしか解らない事なので、リサイタル当日が楽しみになるようにラスト・スパートで頑張るしかない。
でも、やっぱりクレオパトラは歌っていて、とっても楽しい(苦笑)特にここ最近は、特にレチタティーヴォで私自身が考える「クレオパトラ」の表情を付ける事に力を入れている。無論、私が持っているダニエル・ド・ニースのクレオパトラとはエラく違うが(爆)
絶対に、私だけの「クレオパトラ」を歌いたいと心から願っている。

私が最も目指す至高のクレオパトラとは、キャバ嬢でも美しき悲劇の女王でも媚売るジュリアス・シザーの奴隷でも無い。策略と知略に長けた狡猾で妖艶な、誇り高き激情のエジプト王女、クレオパトラである。

もうリサイタル本番まで秒読み段階だが、例年と違って差し迫った緊迫感とゆ〜か脅迫感みたいなものが無い。まあ、今回のヘンデルのリサイタルは随分以前から準備を重ねて来た事もあるし、クレオパトラにチャレンジ出来る嬉しさが大きかったからなのかも知れない。

リサイタル本番、自分の演奏が出来るように後少し頑張って最後の調整をして行けるよう頑張りたい。

クレオパトラの小姓役、ニレーノのアリアが歌いたいんだけど、ベーレンライターの楽譜は削除されていてアリアの楽譜は掲載されていなかった!!!その上、カール・リヒター指揮「エジプトのジュリアス・シーザー」のCDにもニレーノのアリアは録音されておらず、超ガッカリいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(絶句)
これから、ニレーノの楽譜を意地でも探し、絶対に譜読みして歌えるようになってやるううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(涙)

その前に、本番本番(誤爆)

ミルヒー先生VSオクレール先生

ここ最近、病棟業務が無謀とも言える多忙を極めた。患者さんの急変・重症化・死亡が多く、勤務時間12時間以上という事態だった。流石にブログを更新する余力は何処にも存在しなかった。

今日は、ヘンデル・オペラアリア・リサイタル前の初のミルヒー先生&オクレール先生との3人でのピアノ合わせレッスンだった。ミルヒー先生とは中々スケジュールが合わず、ヘンデルのリサイタルの曲をレッスンして頂くのは超久しぶりだったし、オクレール先生とのピアノ合わせをチェックして頂くのは今日が初めで最後である。それなのに、土曜日の午後はスタジオの確保が非常に困難を極めた。オクレール先生のお仕事の都合で都内23区内のスタジオを探したのだが、何処も既に空きが無く、昨日の夜ようやく高円寺のスタジオを2時間確保出来た。ミルヒー先生もオクレール先生も私自身も、スタジオ到着までかなりの時間を要したが、兎に角今日ミルヒー先生にヘンデルのアリア、特にクレオパトラのアリアをチェックして頂かなくては、本番まで機会が無いので、先生方も私もギリの時間調整となった。
私は、ピアノ合わせ前に発声練習のためにいつものスタジオを予約したのだが、蓄積疲労で寝坊してスタジオに15分遅れで到着。発声練習を約40分行ってから高円寺に向かった。

スタジオは初めて使用する所だった。4畳にアップライトピアノだったのが、結構綺麗な新しいスタジオだった。

今日は主にヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリアを重点的にミルヒー先生にチェックして頂かなくてはならない。早速、クレオパトラのアリア5曲歌った。最初は、スタジオまで焦って駆け付けた事もあり息が上がってしまってブレスが不足がちだったのだが、疲労の割には声も響いていたし声の伸びも悪くなかった。暗譜も出来ていたし、何とか行けるかな?というくらいのコンディションではあった。しかし、クレオパトラのアリア5曲歌い終わった時に、ミルヒー先生から衝撃的な言葉が発せられた。

「あのね、暫くあなたの声を聴いてなかったんだけど、今、わざと細くしようとしていない???ヘンデルを歌おうとすると、こういう細さになっちゃうのかしら???それとも歌う曲が多いからわざと細く軽く歌おうとしているのかしら???以前のあなたはね、もっと太くて深い声が出ていたのよ。今のあなたの声を聴いていると、こんな声の人だったかしら???と思ってしまったのよ。今は、上のポジションだけで歌っているような気がするのよね。もう一度、以前の発声に戻してくれる???」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一瞬、4畳の狭いスタジオが緊張し凍りついた。

確かに、オクレール先生との2度のピアノ合わせで声の響きの太さとポジションの低さと頭部の開き方の不足を指摘されたので、努めてこれらを重点的に改善すべく努力して来た事は間違い無い。ただ、私の声は少なくとも自分自身細く軽く努めて歌ったとしても、決して細い声の響きとは言えない声質である。増してヘンデルのオペラアリアを9曲歌うともなれば喉の疲労も考慮しなくてはならない。しかも、9曲の最後のクレオパトラのアリア2曲が最もドラマティックに歌われなければならない曲なので、どうしてもエネルギー配分は考慮せざるを得ない。そこに来て、オクレール先生から、もう少し声の響きを集めて細く当てるようにとの指摘を受けて来たので、ミルヒー先生に指摘された事はマジで逃れようも無い現実だった。
オクレール先生は、無言というか、ノーリアクション。
私は、10分休憩を頂き、リサイタルの前半で歌うアリア、オベルト・リナルド・アルミレーナ・セルセのアリアを歌った。勿論、発声は声の太さは考えず、整った声を出そうとはせず、凡そ2ヵ月位前のまだミルヒー先生のレッスンで歌っていた時の体勢に戻って声を出す事に集中し務めた。すると、ミルヒー先生から、

「そうそう♪大分戻って来たわね。その声よ。でもまだ中途半端だから、もっともっと下(のポジション)を使って声を出して。今のあなたが歌った声の太さがあなたの声なのよ。その太さと深さが必要なのよ」

と指摘された。少なからずこのような状況だと混乱はする。しかし、私が今までレッスンを3年以上受けて来て私の声を最も知っているのは、他の誰でも無いミルヒー先生なのである。オクレール先生は、無言。勿論私も敢えて何も言わない。兎に角、ミルヒー先生が私に要求している発声に戻す事が緊急の課題となった。しかし、ミルヒー先生に指摘されてからすぐに元の太くて深い強い発声に戻りつつあったので、それ以上ミルヒー先生からは疑問の声は挙がらなかった。
最後、アルミレーナのアリアは低声用のキーなのでレチタティーヴォが今一つ声の響きが当たっていないという事で、リサイタル本番前にもう一度ミルヒー先生とレッスンをして調整する事になった。
オクレール先生からは、少しだけ指摘があった。

「その太さの声だと、ダ・カーポの装飾音やアジリダは声が回らなくて厳しいんじゃないかな?」

と言われたが、決して譲らないミルヒー先生(超苦笑)

「今はまだ以前の発声に戻りきってないから、下の(ポジション)支えが不十分だけど、きちんと下の深い所で支えられるように戻れば、それから(声を)軽くする事は十分可能だから、大丈夫!!!」

私は一人凍りついていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(爆死)

最も言える事は、ミルヒー先生が私の声を「太く深い」声に育てようとしているのだ、という事である。ミルヒー先生曰く、

「それがあなたの声だから」

という事である。ミルヒー先生の教育方針で私自身喉を痛めたり疲弊させているワケでは無い。確実に私の声は成長しているのだから。
最も、今回はミルヒー先生とオクレール先生とのピアノ合わせレッスンが遅すぎた事は良くなかった。でも、やはりミルヒー先生とオクレール先生とのレッスンの擦り合わせは非常に重要事項であった事は言うまでも無い。恐らく今日のピアノ合わせレッスンで、オクレール先生にもミルヒー先生の私に対する方針を御理解頂けた事は言うまでも無い。しかも、リサイタル本番はミルヒー先生が御来場予定だ。
明日からの自己練習では、今までとは違い、自分の声をより深くより太く(笑)。以前の調整に戻す事に努めなければならない。でも、以前は出来ていた事なので、然程難しい事では無い。
恐らく、オクレール先生には多少の異論もお持ちの事とは推察されるが、ミルヒー先生に軍配が上がった以上、私がやらなければならない事は、ミルヒー先生に要求された「太く深い声」でヘンデルを歌う事に尽きる。これは変更の余地無し。
しかし、オクレール先生の指摘によって頭部のポジションを高くする事や頭部を開く事が以前よりも遥かに可能になった。これはやはり非常に感謝している重要項目でもある。

複雑な一日だった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(苦笑)
でも、ミルヒー先生の言葉によって今後の方向性が一つ見出せて確定した事は、非常に喜ぶべき事で私自身とても安心している。
自分の声を細くしようとした事はオクレール先生の責任では無いと思う。
今迄の、何の責任も負わないくせに無責任な感想ばかり垂れ流され向けられて来た事による、くだらないコンプレックスだったと反省している。
何の関係も無い人間の戯言よりも、ミルヒー先生の言葉を信じるのは至極当然の事であるのだから。

明日から、また修正&調整の日々だ。

結果を出すという事

私は、声楽を勉強し始めてから、他人と比較されるというシチュエーションが極めて少ない。
ミルヒー先生や、谷岡先生&ハリセン先生、その他以前にレッスンを受けていた先生方でも、同じような年齢のアマチュアは殆どいなかった。年配か、年下が圧倒的。しかも、声の質も同じようなアマチュアには会った事が無い。
かなり以前にはコンクールやオーディションなどの雑誌を調べてみたりもしたが、興味も湧かず、モチベーションも無かったので考えていない。アマチュアのコンクールは、ただ単に「出ただけ」的なコンクールが殆どだし、酷いコンクールになると、年齢制限は当たり前、演奏時間制限まであり、演奏時間の長いオペラアリアなどは「曲のカット可」などという全く訳の解らないコンクールまで存在する。歌う曲をカットして、一体何を審査するというのだ???摩訶不思議。
だから、自分が他人の歌唱と比較される、というシチュエーションが非常に少ない。元々アマチュアなのだし、他人と比較される事によるメリットもデメリットも存在しない。アマチュアの訳の解らないコンクールに出て歌う勉強なぞするよりも、自分が歌いたい曲を歌えるようになるような勉強をした方が余程マシで、特にウィーンでレッスンを受けてからはコンクールの必要性は私の中ではゼロ。コンクールで賞を取るイコール海外留学、みたいな構図は撤廃された。無論、ただのラッキーだった事には何等変わりが無いのだが。

でも、例え他人に評価される機会が存在しないからと言って、私が結果を出すという事に丸っきり関心が無いなどという事は有り得ない。他人からの評価が無い、または他人からの評価をアテにしないが、進歩成長だけは重ね続けて行かなければならない。そうでなければ、勉強したりレッスンしたりする曲の難易度も上げる事は不可能だし、増してリサイタル開催なぞ出来る事では無いからだ。私にとって一つ一つの演奏会本番を自分なりに結果を分析・評価する事を地道に細々と続けて来たからこそ、今の自分が存在するのだから。
私にとって「結果を出す」という事の条件が存在する。

先生方からレッスンで教わった事や自分で勉強・練習した事が、演奏会本番でも同じ演奏が出来る事。
自分自身が実現したいと考えている歌唱が、演奏会本番で実現可能である事。
自己分析・自己評価を他者に依存しない事。
自分自身の演奏に責任を持つ事の出来るレパートリーが存在する事。
極めて適切な自己分析・自己評価が可能であり、レッスンを受けている先生方の分析・評価と極端な乖離が存在しない事。
これらが必用条件となる。

結果とは、飽くまでも後からしか付いて来ない。評価を見越した計算上の努力の結果というものは、存在しない。結果を得るという事は数字では表わされないので、それ程甘いものでは無い。数字で表わされる結果というのは理解に苦しむ必要性が低いという点では利便性が高いが、私は自分自身の声質も含めて自分自身の歌唱を、全く知りもしない連中に数字上の評価をされる事には、全く良い気分にはなれない。そんなもので判断される事は、心外。
何度も書くが、結果は後からしか付いて来ない。即ち、結果が目標になってしまったら成長は結果止まりになってしまう。目の前の結果の先には、遠い大きな目標が無ければならない。そうしてこそ、進歩と成長が出来るのだと私は確信している。自身が望む結果の焦点を何処に置くか、という問題は成長の課題に直結しているというのが、私の持論である。
数値的結果は見た目に解りやすいので脳味噌を酷使する必要が無い分、非常に人間は怠惰になりやすい。結果が他人から与えられるべきものであるという認識で結果を追求した場合、人間的進歩や成長に遅滞が生じるという事は、私自身がアマチュアであるという条件によってより一層明確な現実であるという事を認識する。
数値や順位などに依拠しない結果、というものは、他人から貰うものでは無く自分自身の力だけで掴み取るしか無いものであると考えている。それが私自身の信念であり道である。その道が、ウィーンへと続いていた事は、何物にも替え難い幸福である。

どのような結果にせよ、私自身が最も悔しい評価は、

「練習不足だ」

という評価をされる事である。無論、他者評価だけでは無く自己評価もまた然り、である。
他者評価以上に自己評価の基準を厳しく設定するという事は、一見無謀なように思えるが成長の方法論としては非常に有効であると私は考えている。評価の基準と認識の設定を自分自身の都合と他者の言動の変化によって、変動させるなどという馬鹿げた事さえしなければ、一貫して自分自身に厳しいスタンスを維持する事は決して間違った方法とはならないと考えている。

私自身の「結果」とは、ウィーンへ続く道の一つとなった。
私が追い求める結果は、数値や順位では無いし、決して終わりが無い。そして、自分自身の努力によって続ける事が出来る、失われないものである。

7月、風邪で喉を痛めて満足に歌えなかった悔しさ、悲しさ、辛さは、全てヘンデルのリサイタルで纏めて倍返ししてやろうと思っている(笑)
私は、結果の先にまた新たな結果が延々と続いて行く。
私が歌い続ける限りは。

モーツァルト、はっきり言ってヘンですよ!

昨日で今月4日連続夜勤×2回の超ハードワークが一旦落ち着いた。病棟課長、拷問か?早期退職勧告か?(爆)

一昨日の夜勤は、新入院の患者さんが何人かいたのだが、私のチームに一人の某大学准教授の男性の方が、発熱で入院されて来ていた。インフルエンザでは無いとゆ〜事だった。ただ、結構インテリジェンスの高い患者さんは、若い看護師がドン引きする、または苦手とする(笑)別に私も得意ではナイけど、そ〜ゆ〜患者さんはボロが出る前に、丁寧な対応を心掛けなるべく早めに病室を離れる(爆死)医療の専門知識はあっても、インテリジェンスが低いと、看護師は結構ナメられるしバカにされる。これは治療上非常にやりにくい。また、そのような患者さんは大概個室で気楽に静かに過ごしたがる。

某大学准教授の患者さんは、熱が高かったので24時間点滴を行っていたので、夜中に2回点滴を新しいものに繋ぎ変えなければならなかった。夜中の0時頃、私が真っ暗な病室に新しい次の点滴を持って、ペンライトでこっそり抜き足差し足忍び足で病室に入った。患者さんを起こさないよ〜につま先歩きをしながらペンライトで点滴台を照らそうと思ったその時・・・・・・・・・・。
点滴台の傍のテーブルに、見慣れたモノ発見・・・・・(驚愕)
白地に赤のビニール袋。私も何枚も持っているビニール袋。これは・・・もしや・・・カワイ楽器のビニール袋・・・・・?????
と、そのテーブルの上に、これも見慣れたブルーの本。このブルーは、もしや・・・・・。と思い、ペンライトでテーブルの上を照らした。そこには、見慣れたブルーのドイツ製高級楽譜♪
ベーレンライター社、バッハ、クリスマス・オラトリオの、横長の楽譜。横長の楽譜、という事は、即ちオルガン譜?????
と思ったが、患者さんが寝てる側で楽譜をコッソリ開くワケにはいかない(猛爆)とゆ〜事で、疑惑を持ちながらも病室から退散。
休憩時間2時間も、気になって眠れなかった(爆死)

次の朝、起床時間より少し早めに、大学准教授の患者さんの病室に検温に行った(超苦笑)熱を測ったり血圧を測ったりしながら、勇気を出して質問!!!!!

(私)「あの〜・・・、一つ質問しても宜しいでしょうか???」
(患者さん)「どうぞ???」
(私)「あの〜・・・、テーブルの上のベーレンライターのバッハのクリスマス・オラトリオの楽譜なんですけど・・・・・、何か演奏されていらっしゃるんですか???」
(患者さん)「!!!お詳しいですね〜!!!」

とゆ〜事で、よくよくお話を伺ったら、芸大の声楽科を卒業したテノールの方で、その後ドイツに留学して宗教音楽&教会音楽を勉強されて、現在某大学で指揮とオルガンを演奏されていらっしゃるという事だった。ど〜りでベーレンライターだし・・・・・・(核爆)
特に、この時期はミサ曲関連の演奏会が多く、はっきり言って入院している場合では無いらしい。しかも、今休んでいると、大学での書類関係の仕事が溜まりまくるそうだ(苦笑)先日、日本では珍しいハイドンのミサ曲を演奏されたとの事。バッハはかなり難しいので、私も2曲くらいしか歌った事が無い事など、朝も早く5時半から、クラシック音楽談義(核爆)
その大学准教授の先生が仰っていた事。私が、日本人はモーツァルトが好きな人多いですよね〜と話すと・・・、

「あのね!!!モーツァルト、はっきり言ってヘンですよ!!!私が教会音楽や宗教音楽を勉強していて、モーツァルトの初期のミサ曲なんて、何でこんなトンでも無い曲作ったんだあぁ???という曲が実に多いです!!!しかも、モーツァルトのアマデウスっていう映画知ってます???モーツァルトって、あの映画はちょっとエゲツ無いですけど、ほぼあの映画に近い人物なんですよ!!!ああいう下品な人間だったっていう証拠は、手紙や書簡に非常に多く残されているんです!!!モーツァルト、絶対ヘンですよ!!!!!」
力説する先生に私は、
「私、モーツァルトすっごい苦手なんですよおぉ〜〜〜〜〜!!!!!日本人ってモーツァルト大好きだから、ホント肩身狭いんですよねえぇ〜〜〜・・・。お話伺えて、ホント良かったですうぅ〜〜〜(滝涙)」

朝イチ、モーツァルトの人間性について大いに語る、高熱の大学准教の先生約1名・・・・・・・・・・(笑)

こ〜ゆ〜シチュエーションがあると、このクソ忙しい看護師とゆ〜仕事も、案外悪く無いかも♪と思える。
殆ど休めなかったけど、結構楽しい夜勤だったなあぁ♪

5線の上。

私は、ソプラノである。でも、高音域を歌うのが好きでは無い。好きでは無いとゆ〜よりも、嫌いに近い。
では、高音域が出無いのか?と聞かれると、意外とそうでも無い。今年3月のウィーンでのN先生とM先生のレッスンでの発声練習では、3点Esまで出たらしい。M先生は、

「まだまだ上は出そうよね〜。あと3〜4音は出そう。魔笛の夜の女王と同じ音域は出せるようになるわよ♪」

と言われた。実は、3年くらい前に、ハリセン先生にも同じ事を指摘された事があったのだが、その時はちっとも本気にしてなかった。無論、ウィーンでM先生に上記のように指摘された時も、ドン引き終了。

では、何故高音域を歌うのが好きでは無いのか。
一つは、声楽を始めた当初は、自分の声の性質上自分はメゾソプラノかアルトだと考えていたからである。実際に、低音域も結構出る。Dまでは、出る。ウィーンのレッスンでの発声練習でも下のDまで出て、N先生が多少ビックリしていた。それに、高音域を歌う練習をするよりも低音域を歌う練習をした方が、喉の疲労が少ないと感じていたからだ。無論、声楽の勉強を始めたばかりの頃は発声が出来ていなかったのでそう感じただけという事なのではあるが。それと、これは演奏会に来てくれた友人から言われた事なのだけど、

「そんなに高い音を歌っているようには聴こえない」

と言われた事がある。私の声質では、私よりも声質が細いソプラノが歌う方が高音を出しているように聴こえるらしい。でも、これは実際問題自分自身でも錯覚してしまう部分でもある。特にこの問題に関して強く感じるのはモーツァルトの曲を歌っている時だ。高音域を歌っている自分の声が「美しいソプラノの高音域」というイメージから非常に掛け離れていると感じてしまう。ソプラノの場合、日本人は民族的に声帯が細い割合が高い。とあるオペラ演奏団体のソプラノの声質を、ネットで表記されているものを基準にしてデータを取った事があるのだが、イタリア式分類で出演ソプラノの約7割がコロラトゥーラ、レジェロ、リリコ・レジェロだった。日本人ソプラノは概して細めのソプラノが多い人種的傾向性は否定出来ない。つまり、理想的な綺麗な美しい声のソプラノに対する概念が上記の3種のソプラノとしてインプットされている傾向にある。だから、私自身ど〜も自分の声が「美しいソプラノの高音域」とは思えないのである。これは、今も変わらない認識である。実際に「美しい声」だの「綺麗な声」だのと言って貰った事は殆ど無い。ミルヒー先生ですら、

「あなたねえぇ、いい声してるのよ!!!」

と言われた事はあるのだが(超苦笑)これは、日本人のソプラノとして非常に厳しい現実である。自分で歌っていて美しいとも綺麗だとも思えない高音域なら、無理して歌いたくなんざ無い。しかも、声楽を勉強し始めの頃なんか、高音域がきちんと出せる筈も無い。大概「叫び声」「悲鳴」に近いものがある。だからと言って長時間高音域の練習は出来ないし、毎日声楽の勉強やら練習が出来る訳でも無いので、自然と高音域の曲は避ける傾向となってしまう。そうすると、高音域を歌う事が恐怖になってしまう。イタリア古典歌曲だってオペラアリアだって、無理して高音域の多い華やかな曲なんざ、わざわざ私が歌わなくたっていいじゃないか、高音域出すのが得意なソプラノが歌えばいいじゃないか、と考えるようになった。実際、声楽を始めて1年目はモーツァルト「フィガロの結婚」のケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」を非常に熱心に楽しく勉強した。特に、テレサ・ベルガンサの録音は何百回聴いたか解らないくらいだ。
中低音域の発声だって、決して正しい発声では無いのにも拘わらず、高音域を歌うよりは自分で歌っていて歌い易いし自然に聴こえる。でも、幾ら頑張って練習してもレッスンしても、叫び声や悲鳴にしか思えない自分の高音域の声を段々好きになれなくなって来る、出るだけは出るが歌っていても気分不快、そして歌いたく無くなるし躊躇する。そんな悪循環を繰り返して来た。実際、私はレッスンを受ける先生を替わる度に、

「私は本当は、メゾソプラノかアルトじゃないんでしょうか?」

と先生方に尋ね回って来た。今年ウィーンでM先生に、

「あなた、ホントはメゾソプラノなんじゃないの?だって、シューベルトを中声用で歌ってるし」

と言われた時には、一縷の望みに賭けたのだが、N先生から、

「あなたはソプラノです」

と言われた時は、死刑宣告のように超ガッカリした。嗚呼、私の憧れのジェシー・ノーマンだってメゾソプラノからソプラノに転向したのに。大体にして、日本人なんざ、ヴィオレッタは少女性だの蝶々夫人は可憐だの言いたい放題。しかも、コロラトゥーラやレジェロやスーブレッドが、ベートーベンやらウェーバーやらワーグナーやらヴェルディやらプッチーニのドラマティックな役を散々歌いまくり、異論を唱えると「悪口を言うな!」と怒鳴られる始末(超呆)スーブレッドがワーグナー歌ってる国は、日本だけじゃあ無いのか???呆れ果ててグウの根も出無い。

ドイツのソプラノ歌手、クリスティーネ・シェーファーが数年前に来日して飯田橋のトッパン・ホールでリサイタルを開いた。シェーファーはフィッシャー・ディースカウやオジェーに師事した、今現在ヨーロッパでも売れ筋の「スーブレッド」ソプラノだが、飯田橋のトッパン・ホールのリサイタルで、ワーグナー「ヴェーゼンドンクの5つの歌」をこっそり歌ってドイツに帰って行った。当時トッパン・ホールに問い合わせたが、録音も映像も残されていない、という回答だった。シェーファーはザルツブルグ音楽祭でもモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナを一度歌っているが、暫くシーズン中ヨーロッパの歌劇場に姿を見せないなと思っていたら、シェーファーはヴェルディ「リゴレット」のジルダや、ドニゼッティ「ルチア」を引っ提げて欧州の歌劇場に舞い戻っていた。シェーファーは自身のDVDで「ワーグナーの音楽に非常に興味がある」と述べていたのだが、シェーファーが日本という東洋の島国の片隅でスーブレッドでありながら、こっそりとひっそりとワーグナーを歌わなければならなかった無念さが少しだけ理解できるような気がする。

私が高音域を歌うまでのプロセスを相当に限定せざるを得なかった事は非常に大きな発声的成長の阻害要因となった。まず、声楽の勉強を始めてから、5線の上の音を歌わなければならない曲を演奏会に選ぶようになったのは、声楽の勉強を始めてから2年以上経過してからだった。「みっともない声」を自己認識しているにも拘わらず、高音域が出るというだけで音域の高い曲を自慢気に歌うような事を間違ってもしたいとは思わない程度の「恥」は知っている。声楽の勉強を始めてからの約2年は、最高音が5線の中に納まる曲を選んで歌っていた。でも、勿論レッスンでは高音域を歌わなければならない曲も練習・レッスンしていた事は確かだ。でも、自分自身が納得出来る高音域を絶対に出せない事が解っているのに、知らないフリして歌うなどという詐欺紛いの歌唱は、有り得ない話だった。

高音域を歌う事は、資質的問題よりも遥かに方法論的技術を内包しているように考える。そして、高音域をより美しく歌うという事は、声質の占める問題が非常に重要な「オプション」となるように考える。特に日本に於いては。だからこそ、私はソプラノとしての高音域の高さそのものには余り重点を置かない。
方法論とは、高音域を歌うために高音域の曲を練習し歌うのか、高音域を出せるようになるまでレッスンだけで歌い演奏会本番曲は発声可能音域内の曲を歌うに留めるのか、という選択肢がメジャーと考える。無論、アマチュアであればそのどちらを選択する余地は大いに存在すると考えている。
恐怖心の克服方法と似ている。徐々に慣れるか、荒療治をするか。それは、高音域を歌わなくてはならない状況の、ソプラノ歌手個人の性格や性質や声質や特性に依拠する事柄であり、非常に個別性が高い事項であると考えられるため、一慨にインスタントな方法は存在しない。
ソプラノに拘わらず、「声」は人間の体の諸器官の運動資質と運動機能の差にも非常に左右される事は、今更言うまでも無い。身長、体重、身長に対する胸郭の割合、横隔膜・内肋間筋・外肋間筋・腓腹筋・下腿筋肉・骨格に非常に左右されるし、やはり声帯のサイズに左右される可能性は否めない。

しかし、これだけははっきり言っておくが、逆は存在しない。
「あなたの声帯のサイズは●●で、横隔膜や肋間筋の可動域は××だから、あなたはこういう声質ですよ」
的な勘違い路線に関しては、常識や知性を疑わざるを得ない。

方法論の選択は自由。後は自分自身が何を選ぶか、による。恐怖心を克服する事・声を出す事に集中する事。先に出せる高音域を設定して曲を選択するのか・高音域の曲を決めて自分自身の高音域を鍛えて行くのか。

アマチュアの皆様、自分の自由な意思選択による自己決定という責任に於いて、声楽の勉強をしていかれる事を私は望みます♪

どう歌う?クレオパトラ。

今日は、連続夜勤の中休み。
休日の割に午前中から忙しく、ゆっくり寝呆けているヒマも無かった(怒)
郵便局に行ったり、注文していたメモリースティックのアダプタを取りに行ったり。

その後は午後から3時間のスタジオ練習。今日は前回のオクレール先生とのピアノ合わせで苦言を呈された部分を重点的に練習しなければならなかった。「リナルド」アルミレーナのアリアから。レチタティーヴォを丁寧にお浚いする。イタリア語のアクセントの通りにレチタティーヴォを歌う事に慣れるのは、結構難しい。この曲は、イタリア古典歌曲にも分類されているので、どうしても歌曲としての認識で歌ってしまいがちで、録音もイタリア古典歌曲として録音されたものを聴く事が殆どだった。「リナルド」を全幕通してオペラの映像を観たり全幕通しての録音を聴く事は、まず無い。私が所有している録音の他に、不本意に押しつけられた全曲録音のCDはあるにはあるが、全く聴く気も無いので、結局イタリア古典歌曲集の録音しか聴いていない。しかし、この曲を勉強し始めてから既に10年経過しているので、自分自身の努力で譜読みを丁寧に行って行こうと決心した。録音は、また後から探せば良い。取り敢えず、オクレール先生に指摘されたフレーズ、ピアノからクレッシェンドしてスフォルツァンドで歌うフレーズに時間を掛けて繰り返し練習。たった2小節に30分以上掛けてようやく少しだけ掴んだようなカンジ。小節の歌い出しを極力ピアノで歌う事と、クレッシェンドを急激にしないでフォルテの度合いを緩やかに取る事。このやり方で良いのかどうか、次のピアノ合わせでミルヒー先生やオクレール先生に確認する以外に方法は無い。

その他は、クレオパトラのレチタティーヴォをメインに練習を行った。
先日、2005年グラインドボーンのDVDを観てからは、クレオパトラの歌い方・演じ方に関して、非常に脳味噌を酷使しなければならなくなってしまった。ダニエル・ド・ニースという個人の歌手はど〜でも良いし問題では無い。ド・ニースがクレオパトラをどう解釈しどう歌おうが、私には全く関わりが無い事だ。問題は、全く参考にならないダニエル・ド・ニースのクレオパトラを観た後で、自分自身がクレオパトラをどのように歌って行くのかというベクトルなりスタンスなりを、自分自身どう決断し確立して行くのか、という事である。有名歌手の歌唱に惑わされたり引き摺られたり感化されないためには、自分自身の歌う役柄に対する徹底的且つ厳密な分析が絶対必要不可欠であり、尚且つ簡単に安易に他人に耳を委ねない厳しい姿勢が必要である。
先日オクレール先生とのピアノ合わせでオクレール先生から最も指摘されたレチタティーヴォ。喋っていないと散々注意された。何故レチタティーヴォで喋れないのか。散々考えて、ようやく見つけた答え。私がクレオパトラになって歌っていなかったからだと、ようやく気が付いた。これは、3年近く前に、川崎市内のとある小さなホールの20分枠の一般募集コンサートで、ヘンデルのオペラアリアを5曲歌った時の事だった。ミルヒー先生のレッスン中、良く怒られた事・繰り返し指摘された事が一つあった。ミルヒー先生いわく、

「このアリアは、クレオパトラのアリアなのよ!!!いい???クレオパトラよ!!!エジプトの女王なのよ!!!普段のあなたのまんまで歌っちゃ駄目なのよ!!!」

と、耳にタコが10コ位出来る程散々指摘され続けたのであった。今回も要するにそういう事だ。じっくり考えた結果、レッスンや練習で自分自身をクレオパトラだと思って歌った事は無かった(自爆)どのフレーズをどう歌うか、とか低音をどう出すか、高音をどう出すか、ロングブレスをどう凌ぐか、とかいう問題には血道を上げ発声には非常に神経を使ったが、自分はクレオパトラなんだからこう歌うのよ〜♪みたいな歌唱は、皆無だった。
ヤバい(爆死)これは、超ヤバい(核爆)早速今日から、自分はクレオパトラなんだとゆ〜自覚と認識を持って歌う事を念頭に置く練習を開始した(遅っ)
ただ、ここで問題になるのは、先にも述べた通り自分がクレオパトラをどう捉えどう歌うのか、という事。これに関しては私自身の持論もある。
まず、クレオパトラがキャバ嬢では、困る。おキャンなクレオパトラを歌うつもりもそのように解釈するつもりも、毛頭無い。クレオパトラは、一人の女性である遥か以前に、女王であり策略・知略・謀略に長けた野心家であり、男を手玉に取る妖艶さを持った、エジプト随一の誇り高き女王なのである。とゆ〜事で、ダニエル・ド・ニースの小娘的キャバ嬢路線は、却下。そう考えると、私が演じ歌うべきクレオパトラ像が少しづつ見えて来る。しかも、ただ単に、クレオパトラのオペラアリア集を歌うべきでは無く「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラ全曲の中のクレオパトラという役を歌い演じるという視点に立てば、おのずと見えてくる一つの非常に重要な問題点が浮き彫りにされる。このヘンデルの「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラは、タイトルロールはシーザーという男役だが、ヒロインが二人存在する。一人は、ポンペイウスの妻でセストの母で夫をエジプト王トロメーオに殺されエジプト将軍アキッラに情婦同然に差し出されそうになりエジプト王トロメーオにも慰み者の愛人と扱われそうになるコルネーリア。そして、エジプト王トロメーオの姉であり妻であるが、腑甲斐無いトロメーオに嫌気がさして不仲のため、自分自身がエジプト女王に君臨する事を野望するクレオパトラである。2005年のグラインドボーンのコルネーリア役パトリシア・バートンと、クレオパトラ役ダニエル・ド・ニースには、余りにも明らかな声の資質とキャリアに多大な差が在り過ぎた。しかし、このオペラの根源的且つ基本的な概念としては、コルネーリアとクレオパトラは、声質としては乖離的分類はあるものの、役柄の存在的意義としては、対極に存在しながらも対等である筈なのである。それを示すのが、ウィントン・ディーン著「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」春秋社出版の中で、非常に慎重かつ丁寧に著者によって分析・供述されている。
つまり、私自身は、ウィーン基準ではリリコ・ソプラノだが、メゾソプラノやコントラルトのコルネーリアに決して勝るとも劣らないクレオパトラを歌わなければならない。これは、至難の業だ。美人のキャバ嬢のセンは、有り得ない。どこぞのソプラノ歌手とも違うし(笑)
自分自身の声の太さを最大限に活かしながらも決して重くならず、尚且つドラマティックさを失わず余裕の軽やかさと自尊心丸出しの狡猾さ。これが私の考えるクレオパトラ(超苦笑)
リサイタル本番までカウントダウンとなったが、今自分が考えるクレオパトラ像を全て演じる事は可能では無いだろう。しかし、一歩でも、半歩でも、近づく努力と野望は捨てるべきでは無い。

最も大切な事は、コルネーリアと対極を成しながらも対等の、声の太さを最大限に活かしたドラマティックさと余裕の軽やかな声の響きでプライドの塊の狡猾で魅惑的なエジプト女王クレオパトラ、をダイエットの体型と化粧の濃さと親から貰った容姿では無く、自分の持てる「声」だけで演じなくてはならいという事である(核爆)

さあ、大変だあぁ。

明日も休日なので、自己練習、自己練習♪

今日は何の日。

昨日は結構多忙な夜勤明け。重度の認知症で骨折の患者さんが夜一睡もせずに大騒ぎ&整形手術の患者さん&内科で夜中から急激に重症になった患者さんetc。一休みしてから、よ〜やっとHMVに注文したヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを観た。2005年グラインドボーン音楽祭の演奏。最近、欧米で人気のソプラノ歌手、ダニエル・ド・ニースがクレオパトラを歌ってる。去年くらいだったか、ダニエル・ド・ニースが日本でモーツァルト「フィガロの結婚」のスザンナを歌ってた。今日はミルヒー先生&オクレール先生合同ピアノ合わせだったので、何としてもレッスン前にDVDを観ておかなければならない、と思い眠気でボケた頭にワインで喝を入れながら観た。
感想。ジュリオ・チェーザレ役のサラ・コノリー(MS)と、コルネーリア役のパトリシア・バートン(MS)の圧巻的歌唱と演技力が余りにも卓越していた。感動して、部屋で一人で大喝采のブラヴォ〜〜〜!!!連発(爆)サラ・コノリーはイギリスを代表するヘンデル・メゾ。その双璧にあるパトリシア・バートンは、何とワーグナーの「ニーベルングの指環」でフロースヒルデやエルダを歌う、ひょっとしてコントラルト???系メゾ。二人とも深く温かい声と重厚なバロックを軽やかなテクニックで、熱演するまさに「バロックの至宝」そこに、二人のカウンターテナー、トロメーオ役のクリストフ・デュモーとニレーノ役のラシッド・ベン・アブデスラムが、非常に伸びやかなカウンターテナーの美声とハイ・テクニックを聴かせてくれている。やはり、カウンターテナーが登場すると、バロックとしての実感が湧く演奏になるものなのかと思わせるくらい、二人とも素晴らしいカウンターテナーだった。
で、一番物足りなく浅く聴こえたのが、セスト役のアンゲリカ・キルヒシュラーガーとクレオパトラ役のダニエル・ド・ニース。
でも、これはある意味仕方が無いとゆ〜か、想定内事項だろうな。だって、ワーグナー歌手のバートンと一緒に歌ったら、幾ら今大人気のキルヒシュラーガーと言えど色褪せて聴こえてしまう。セストの怒りや復讐心を感情的に表現してはいたが、何にせよコノリーやバートンと一緒に歌ったら、やっぱ子役なのは言うに及ばず。
しかも、クレオパトラのド・ニースに関して言えば、クレオパトラの威厳とか妖艶さとか狡猾さとか策略家とか、そ〜いった面はお世辞にも感じる事は不可能だった。ド・ニースに対しての私の感想は「キャバ嬢」(核爆)しかもド・ニースの声は軽めのリリコだが多少太めだから、クレオパトラ役に合っていないという事も無い筈なのだが。ド・ニースのクレオパトラは、クレオパトラをどう歌いどう表現するかというよりも、ド・ニースのキャラクターのミニマムワールドのクレオパトラだったとしか思えないとゆ〜か、聴こえなかったとゆ〜か。
とゆ〜事で、クレオパトラの勉強は、今まで通りタチアナ・トロヤノスで勉強する事にした。
しかし、考えてみれば、コノリーとバートンの重量級の声とデュモーとアブデスラムの伸びやかでテクニカルなカウンターテナーのキャステングでは、ド・ニースとキルヒシュラーガーの軽めの配役でなければ、随分と重苦しい暑苦しいヘンデルになってしまうので、キャスティングのバランスとしては宜しいのでは無いのでしょうか。

で、今日朝一番で寝呆けている時にミルヒー先生からメールがあった。
「風邪をひいてしまったので、今日のレッスンはお休みさせてください」
!!!!!こりゃ大変だ〜〜〜(苦笑)取り敢えずオクレール先生に急いでメールしてこの件を伝えた。最初、今日のレッスン場所は世田谷区内だったのだがミルヒー先生が来られなくなったので、急遽オクレール先生のお仕事の御都合に合わせてスタジオを渋谷区内に変更。慌ててネットでスタジオを検索、ど〜にかこ〜にかピアノが置いてあるスタジオを見つけた。オクレール先生にメールでスタジオの場所をお知らせしようと思ったのだが、途中で手に携帯持ったまま、爆睡(自爆)目が覚めたら、近くのスタジオに発声練習に行く30分前に、慌てて覚醒。泡食って自宅を飛び出した。近くのスタジオでは、ホントに発声練習だけ。だって、オクレール先生とのピアノ合わせは、マジで休憩無しで2時間ぶっ通しで歌わなければならないから(爆死)まあ、ヘンデル9曲歌うのだから、仕方が無い。

渋谷のスタジオに到着して、すぐピアノ合わせ開始。やっぱ、私はスロースターターなもんで最初の一声は結構重めになってしまう。それでも1曲目の「アルチーナ」のアリアは前回よりはそこそこ。2曲目「リナルド」のリナルドのアリアも、以前よりもスピードアップしてテンポに乗って何とか歌う事が出来た。しかし、オクレール先生的には、
「もう少しテンポが前に進んでもいいと思うんだけど、これが限界???」
と言われた。この曲、楽譜の指示がLargoなのだが、ヘンデル9曲も歌うし、プログラム自体がマニアックなのでオクレール先生から指摘されたオーダーは早めのAndante(苦笑)それでも今回は普通のAndanteくらいに歌えるようには練習して来たが、やはりもう少し早いテンポに出来るならその方が良いのでは、というオクレール先生の御判断だった。テンポが速いと、ダ・カーポで繰り返し歌う時の装飾音の入れ方が困難になって来る。私にはまだそこまでのテクニックは無い・・・・・と・・・思う(爆死)でも、次回のピアノ合わせまでには善処して来るとゆ〜事で。
今日一番躓いたのがアルミレーナのアリア「私を泣かせてください」中間部の下降音形をピアノからクレッシェンドで最後スフォルツァンドで歌う所。スフォルツァンドで歌うF♯が声が当たっていない事と、ブレスが続かず声がブレてしまう事で、フレーズが尻切れトンボに聴こえてしまうとの指摘を受けた。オクレール先生から指摘されたが、具体的に何処をどのように変えれば良いのか自分ではさっぱりチンプンカンプンだった。
「解らないなら、今の通りでいいよ」
とオクレール先生も半ば諦め気味に言われたが、ここで私は諦める程落ちぶれてはいない。私は指摘されてもそれを修正して自分の歌唱に確実に活かせるようになるのに、他人よりも時間がかかる。要するに、もの覚えが悪い。だから、この部分は一度持ちかえって少し時間を掛けて練習しないと歌えないので、今日は保留にして貰った。改めて「私を泣かせてください」という曲の難しさを思い知った。尤も、アルトの低声用のキーで歌っているので、余計に歌う事に難儀しているのは間違い無い(凹)

逆に「セルセ」のアリアは、コメント無し(爆死)

とゆ〜事で、早速クレオパトラのアリアへ。
オクレール先生曰く、クレオパトラに限らず、アルミレーナのアリアもそうなのだが、
「レチタティーヴォは、もっと喋って。自由に歌っても良いけど、きちんと楽譜のインテンポの中で自由に歌って。イタリア語のアクセントで言葉のリズムをきちんと取って歌う事。でないと、平坦に聴こえるし、レチタティーヴォに聴こえない」
・・・・・・・・・・。自分でも解ってるつもりなんだけど、出来て無いって事は解って無いって事か(溜息)
もう一つ細かく指摘された事が、やはりアジリダの音程。特に半音下がったり上がったりする音が若干低めに聴こえてしまう。もともと下降音形でポジションが下がりやすい事もあるので、テンポの速いアジリダは特に慎重に確実に一つ一つ音を取っていかなければならい事は、解ってるんだけど(超苦笑)オクレール先生から、
「歌いだしの音が中低音だとポジションが低いから、高音に移行する時に苦しいんだよ。それに頭部の開き方がまだまだ足りない。それで良く喉を壊さないでこんな難しい曲歌ってるよねえぇ〜〜〜〜〜・・・・・(呆)」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
褒められているのか、貶されているのか・・・・・(笑)
でも、クレオパトラのアリア最後の2曲は、殆どお小言を頂く事無く、無事2度目のピアノ合わせ終了♪正味2時間、歌いっぱなし〜(爆死)
流石に疲れたが、こんな物覚えの悪い私に付きあって下さっているオクレール先生の方が余程大変なんだよなあぁ・・・・・(滝涙)オクレール先生から、
「いつも休日って夜勤の次の日なの???普通の休みって取れないの???」
と聞かれたが、夜勤が多い私の場合、休日は大概夜勤の次の日が殆どだ。運良く2連休があったとしても、先生方のスケジュールに合うとは限らない。
取り敢えず、帰宅したら今月中にもう一度ピアノ合わせが出来るようにメールする事で、渋谷駅でお別れした。

今日は、渋谷のスタジオに行く前に、ビミョ〜に少し時間があったので、表参道のカワイに行った。本当は、フンメルの声楽曲の楽譜を探す目的だったのだが結局見つからず。
でも、ひっじょ〜〜〜に大きな掘り出し物にありつく事が出来た!!!!!(号泣)
まず新刊だと思うのだが「フィッシャー=ディースカウ シューマンの歌曲をたどって」白水社出版。来年はシューマンのメモリアル・イヤーなのでシューマンの歌曲のリサイタルを計画、既に選曲も全て済ませている。だが、以前にこのブログに書いたが、シューマンの歌曲の専門的学術書が日本に存在しない。そこいら辺のありふれたドイツ歌曲の解説書には、来年私が歌うシューマンの歌曲の殆ど、解説は載ってやしない。今日たまたま表参道のカワイに足を伸ばしてこの本を見つけた。曲目検索のページを見たら私が歌うシューマンの歌曲で、他のどの本にもCDの解説書にも載っていない曲の解説が、短いながらもあった!!!!!当然、お買い上げえぇ〜〜〜〜〜・・・・・〆て¥6600・・・・・・・・・・(滝汗)・・・・・・・・・・無言。
それと、私が必ず購読しているオペラ雑誌がある。
ONTOMO MOOK「GRAND OPERA」である。この雑誌は季刊誌なので年に4回くらいしか発行されない。見つけたらすぐに購入する。大概、世界の注目の音楽祭とか、今が旬で人気のオペラ歌手とかの特集記事が多いのだが、私がこの雑誌を購入するのには、全く別の理由が存在する。
この雑誌の巻末に「世界の歌劇場シーズン・プログラム」という項目があるのだ。これは、今現在シーズンの世界各地の歌劇場の演目と指揮・演出・配役がざっと書かれている。私は、まるで競馬新聞を読むオヤジのように蛍光ペンを持ちながらこの雑誌を読み耽る。
理由は、まず現シーズンで、どの歌手がどの演目のどの役を演じているのかをチェックする為だ。特に、私が好きな歌手・注目している歌手・好きでは無いが人気のある歌手・ベテランの名歌手、これらのオペラ歌手達の現在の動向を知る上で、非常に有効に活用出来るからだ。
例えば、ネトレプコが、キルヒシュラーガーが、ド・ニースが、デセイが、チョーフィが、ゲオルギューが、メイが、今どの歌劇場でどの役を歌っているのかに興味は無い(きっぱり)
ここで一番私が重要視している事は、オペラ歌手達の動向である。この雑誌を続けて読んでいると、歌手の動向が顕著に解る。
あらゆる有名大歌劇場で出ずっぱりの歌手、大劇場で声質に関係なく手当たり次第ヒロイン役を歌いまくる歌手、持ち役だけを地道に歌う歌手、近・現代曲に取り組む歌手、暫く見かけないと思ったら新しい持ち役を歌っている歌手、大劇場でしか歌わない歌手、劇場の大小は無関係に持ち役を歌い続ける歌手、etc。
これは、歌手の人間性や歌手としてのストラテジー、歌手の勤勉さや開拓精神の有無を判断する上での非常に貴重な指針にもなり得る。
まあ、例に挙げたのはソプラノ歌手だけだが、無論もっと私が大好きで注目・期待する歌手の動向を主にチェックしている。
それに、来年3月にウィーンにレッスンに再渡欧する事がほぼ確実になったので、時期的にウィーンの幾つかの歌劇場でどのオペラを観るか、の判断材料にもなる。

それと、もう一つ雑誌を購入したのだが、これはまた後日ブログにアップしようと思う。



そして、夜23時に帰宅。
41歳の誕生日に気が付いたのは、夜中過ぎてからだった・・・・・・・・・・(核爆)


私のやらなければならないこと。

最近、とあるアマチュアのソプラノの方とメールのやりとりをしている。彼女はまだ声楽の勉強を始めてから短いが、私のブログを良く参考にしてくださっているとの事。やはり、私と同じく声楽の他にやらなければならない事がある方で、月に数度のレッスンを受けられている。

アマチュアの歌い手は、迷う。先生に教わった事をどのようにして自分の歌に活かして行って良いのか。
先生方の言っている事は、頭では解るがどう実践して良いのか最初は殆どピンと来ない。きちんと体を支えようと思えば余計な部分にまで力が入り、余分な力を抜こうとすれば肝心な体の支えが抜けてしまう。
慣れないイタリア語やドイツ語を辞書を調べながら発音記号を読み、CDで聴いた録音で耳で覚えた曲を頼りに楽譜を読む作業に神経を使い果たす。楽譜に書かれた指示記号を、メトロノームで幾通りも変えながら譜読みを繰り返す。
何度も何度も先生から指摘や注意、たまにはお叱りも受けるが、自分が出したいと思う声の程に、自分の体は全く言う事を聞いてはくれない。たまにレッスンで少し上手く歌えたと思っても、演奏会本番では緊張で震えて力が入らない。歌い出しで失敗すると、どんどん立ち直る事が出来なくなり、あっと言う間に本番は終わってしまう。歌えなかった事と不十分な練習の後悔だけが残る。
でも、歌だけ勉強している時間はそうそうは無い。でも、歌いたい曲だけは、どんどん増えて行く。
そうこうしていると、音大生が4年でやる事を倍以上の時間をかけてやっとの事で一つ、二つ学び取る。

私が、アマチュアであるにも拘わらず、ヴェルディのオペラアリアやシューベルトのバラードに着手する事が出来、尚且つウィーンでのレッスンを受けられる事になったのは、本当にただの幸運だったと思う。歌が好きでずっとクラシックの声楽の勉強を続けて来てウィーンに行くまでに、合唱を始めた頃から数えたら、16年が経過した。何人も先生を替わり、何度も同じ曲を勉強し、途中本当に辛い事もあったが、それでも決して歌う事を諦めない幸運もあった。
一つが、ジェシー・ノーマンと身近で握手出来た事だった。絶対に歌う事は諦めない辞めないと、誓った。

私が今、声楽の勉強を始められた方とこうして交流出来て、本当に嬉しく思う。
私が声楽を始めた時に、プロや先生方に教えられても理解出来ず実践出来ずに苦しんで迷って出来なかった事を、少しでも伝えられたらと思う。
プロ独特の「音楽用語」では無く、アマチュアにも理解出来る言葉で、困った時にどうしたら良いか、声が出ない時にどのように体を使ったら良いのか、何が足りなくて声が出ないのか、どういう練習が効果的なのか、短い歌曲1曲を歌うために何に留意してどのような事に配慮するべきなのか、大曲を歌う事のためにはどのような事を心掛けて勉強するべきなのか。
アマチュアに解る言語で、私と同じアマチュアに伝えて行きたいと思う。

歌い手は単に曲を歌うだけでは無い。
作曲家の生命と足跡を歌うのだと思う。
曲を通して楽譜を通して、
バッハやヘンデルやモーツァルトやベートーベンやシューマンやブラームスやワーグナーや、
ベッリーニやヴェルディやプッチーニの、生命と足跡を、歌う。
多くの作曲家の生命と足跡を伝えるために歌い手に必要なものは、たった一つ「声」だけ。
歌いたいと欲する声、伝えたいと思う声。
何処で歌うのか、何を歌うのか、どんな声なのか、はそれ程重要では無いのだとも、思う。
歌いたいと思うあなたの声を聴きたいと思う人が、そこに一人でもいれば、ただ一人のために喜んで歌う。
それが、歌を愛して歌う人間にとって、最も大切で幸福な事であるという事を、歌を始められたばかりの方に伝えられたら、そしてそのお手伝いが出来たら、それで私の「歌う人生」は十二分に幸福なものであったと思う事が出来ると思っている。

今、私が伝えたり遺したり出来る事は何なのか、一生懸命考えている。


声の出し過ぎ

今日は久々の連休2日目。今日はスタジオ3時間取れた。しかし、日頃の蓄積疲労か、2度寝してしまいスタジオのレンタル時間ギリに目が覚めてしまい大慌て。大急ぎでスタジオに駆け付けた。
天気が変だったせいか、矢鱈と痰が増えた。でも、6日のピアノ合わせまで時間が無いので、練習練習♪

スタジオに到着して、いつものように発声練習をして、いつものようにヘンデルのオペラアリア9曲歌った。9曲歌い終わって・・・・・声が掠れ始めた。ヤバい。マジで声の出し過ぎだ。練習直前まで寝てたせいか、発声練習してもまだ体が寝ているカンジ。声を押して出していたようだ。
スタジオは音響も良くない。アップライトのピアノがあるから良く利用しているのだが、基本的に響きは良くない。自分の声の響きの確認の目安が、20畳程あるスタジオのピアノの反対側にあるドラムセットのドラムの表面が私の声の響きで振動する音。でも、これでは本当に声の出し過ぎになってしまうと、反省した。
クレオパトラだけでなく、1曲目「アルチーナ」のオベルトのアリアの声量から考え直さなければならないなあぁ・・・。やっぱり、多少疲労で体が動かないか、喉の不調で無理は避けてる時の方が、発声としては良いのかも知れない。もともと声量はある方なので、声は出せば出すだけ出てしまう。しかも、やっぱりクレオパトラは気持ち的に力が入り過ぎてしまう。良くない癖だな、と不安になる。

それでも、前半4曲のオベルト・リナルド・アルミレーナ・セルセのアリアは大分余計な力が入らなくなって来た。クレオパトラもこれ位の慎重さと冷静さが必要不可欠だなあぁ・・・(溜息)
ギャラリーカフェが空いてる時には、なるべく本番会場のギャラリーカフェで声出ししないと。声帯に余計な負荷をかけてしまっては、リサイタル本番もそうだが、ウィーンでのレッスンにもひびく。今日、ウィーンのM先生からメールがあった。来年のウィーン行きは3月初旬になる事が決まった。ヘンデルのリサイタルが終わってもウィーンでのレッスンのために相当練習しなければならない。休んでダラけている余裕は一刻も有り得ない。
今日は結構凹んで帰って来た。6日のピアノ合わせは、きちんとミルヒー先生と打ち合わせして来ないといけない。曲自体はほぼ暗譜も出来ているので、残すはこの声量のコントロールの問題。やはり、きちんとした音響の会場で歌い慣れていない事、自分の声の響きを把握していない事は非常に不利な事だと実感。本当にリサイタル本番直前ギリまで努力しなければ追いつかない。
でも、私は2年前にも一度、20分枠の一般募集の演奏会で、ヘンデルのオペラアリアを5曲歌った事があったのだが、2年前はゲネプロの段階でヘトヘトだった。その時の演奏会では、オベルト2曲・セルセ1曲・クレオパトラ2曲。この事を考えれば、今は9曲歌っているワケだから成長してると言えなくもない。でも、やはりこの現状は決して宜しいものでは無い。ここで妥協したトコロで良い事は一つも無いどころか、弊害しか無い。

リサイタルも2度目になる。ウィーンへの渡欧も2度目になる。勉強しなければならない曲は芋蔓式に増えて行くし、常時30曲近く抱えている。
それでも歌いたければ、勉強したければ、無い頭から智慧を絞って行くしか方法は存在しない。

忍耐忍耐。善哉善哉。

今日、ギャラリーカフェの社長とリサイタルの打ち合わせしている夢を見た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
結構キテるかも(爆死)

久しぶりの・・・

2連休〜〜〜〜〜っ!!!(号泣)

昨日は日勤が終わった後に、ヘンデルのリサイタルの楽曲解説や歌詞対訳を作成してギャラリーカフェのプロデューサーにお渡ししなければならないので、メモリースティックを購入しに出掛けた。何だかんだ買い物をしていたら夜21時近かったので、さっさと帰宅した。

今日は日曜だったのでスタジオが混んでいたので2時間しかスタジオを借りる事が出来なかったのだけど、こ〜ゆ〜時は無理せず休め、とゆ〜事なのだと解釈して2時間練習。ヘンデルのアリア9曲一通り通し練習してから一時帰宅して、パソコンや本やCDを持参してギャラリーカフェに出勤(苦笑)
今日は、プログラムやらネット掲載記事や調律や会場の配置など、プロデューサーとヘンデルのリサイタルの詳細打ち合わせ。私が夜勤が多くて中々伺えないので、今日一気に沢山の打ち合わせをする事になった(笑)
今日から11月、そろそろ真剣に気合いを入れてリサイタルの準備を始めないと間に合わん。特に、楽曲解説や歌詞対訳を作成して、リサイタルのMCで何を喋るのかきちんと整理しないといけない。ヘンデルの4作のオペラのあらすじ、作曲年代や作曲された背景、自分がンデルの曲を選択して歌う契機や、アリアに纏わるエピソードなどを、原稿を作成しないまでも頭の中に纏めておかなければならない。ギャラリーカフェに到着してから、プロデューサーと話しながらパソコンのキーを叩きながら本を読みながら、と超忙しかった(滝汗)

私が一所懸命にパソコンと格闘している間に、ギャラリーカフェの社長&プロデューサーがトンでもナイ事をして下さっていた。
何と、ギャラリーカフェの店先にある掲示板に、私のリサイタルの写真入りポスターを作っていた!!!(絶句)
前回、今年2月のベートーベン&シューベルトの初リサイタルの時に、社長がこ〜〜〜っそり撮影していて後で私に渡してくれた写真。ちょっと前にプロデューサーが、

「あなたも、他の演奏者みたいにお店の前にポスター作って貼ろうよ〜♪」

と言われたのだが丁重に御辞退申し上げた。それなのに・・・・・(爆死)
こんなの恥ずかしくて友達や知り合いに言えないよおおおおおぉぉぉぉぉ・・・・・。
しかも、早速貼られてしまった。
いいや、自分は見ないようにしよう。そして、友達には、ナイショ(爆)
こんなの、こっ恥ずかしくて。
大体にして、自宅も職場も近いんだぞおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!
社長&プロデューサーは、2人ともとっても楽しそうだった(凹)
私は、ビジュアル系では無いのに・・・・・(超不服)
嗚呼、どうしよう。いやいや、見ないフリ見ないフリ。
現実逃避に決定。

体調は全快、とゆ〜程でも無いのだけれど、もうリサイタル本番までカウントダウンに入ったので、上手く調整しながらやって行くしかない。
6日には、ミルヒー先生のレッスンにオクレール先生も一緒に行って頂いて、主にクレオパトラのレッスンをする予定だし。ダ・カーポの曲が多いので1曲の演奏時間が結構長い。今日はエネルギー配分に一番重点を置いて練習した。やっぱり、ど〜やって歌ってもクレオパトラのアリアの後半4曲は、かな〜りドラマティックに歌う形になってしまう。その為、やはり前半4曲は軽めとゆ〜か柔らかい歌唱を心がけないとキツい。ここの所の調整は、6日にミルヒー先生&オクレール先生と御相談事項になるだろう。
やっぱり、クレオパトラのアリア5曲はかなりタイヘン(苦笑)それでも、きちんとブレスの位置を確認して行けば自分の想定通りに歌えると思うが、それでもなるべくブレスを長めに取ろうと思って無理すると中途半端になってしまうので、カンニングブレスの位置確認は直前まできっちりみっちり行っていかなければならいだろうなあぁ・・・と実感した。特にアジリダの部分は相当に要注意(滝汗)
それと、最近ヘンデルのアリア9曲通して歌うようになってから目立って来た事が、低音域(主に5線の下の方)の頭部や体幹の開き方がまだまだ不十分な事。もともと下降音形でポジションが下がりやすいので、非常に集中力を持って低音域を歌わないと喉が絞まりがちになって息の流れが悪くなる上にイタリア語の子音のアタックが弱くなり音程が悪くなってしまう。

音程の悪いバロックなんて、超最低(誤爆)

とゆ〜事で、やはり低音域はまだまだ不十分。相当集中して練習&確認を行っていかなければならない。しかも、クレオパトラは相当低音域をしっかりきっちり歌っていかないと、クレオパトラらしく聴こえない。ドラマティックに聴こえない。迫力が無くなってしまう。これは、流石に避けたい(笑)
私はプロでは無いので、通り一辺倒の歌い方をしたくない。自分の「クレオパトラ」を歌いたい。自分で自分を「型」に嵌め込みたくない。クレオパトラは今後全てのアリアを勉強して自分自身のレパートリーにしたいので、きっちりと自分の歌い方を掴んで確固たる声を作り上げて行きたい。そうなると、私の声質のポイントになるのは、やはり中低音域になる。この中低音域で勝負出来るソプラノ。これを目指している。
ストレートでは無く、スライダーやチェンジアップでストライクを取りに行くピッチャーみたいなカンジかな(日本シリーズ観戦中)
取り敢えず、6日のピアノ合わせまで頑張らなきゃね〜。

明日は月曜日だから、スタジオ3時間練習取れると思う♪

ヘンデル全曲通し練習。

今日は今月最後の休日。台風20号通過時は、多少痰が増えたものの夜勤は無事こなした。昨日、新入院の認知症の患者さんに一晩中振り回されて多少疲労困憊だったが(爆)、喘息発作も咳もひとまず落ち着いたカンジ。

今日は、12月のヘンデルのリサイタルで歌う9曲を通し練習開始。本当は今月初めに9曲通し練習を始める予定だったのだが、台風18号の上陸による喘息発作&風邪で、予定がかなり遅れてしまった。もうダラダラ休養してる無駄な時間は一刻も存在しない。
3時間のスタジオ練習で、15分発声練習してからヘンデルのオペラアリア9曲、前半4曲・休憩15分・後半5曲、と本番の予定に沿って歌った。占めて、1時間30分。
改めてヘンデルのアリア9曲歌ってみて、殺人プログラム・・・(爆死)と思った(滝汗)
以前、ミルヒー先生にも指摘された事なのだが、

「リサイタルの前半は、発声練習程度にしておかないとね〜・・・」

あははははは。さっすがミルヒ〜先生♪
しかも、ピアニストのオクレール先生が、先月の初ピアノ合わせで、

「僕って、すごく大変かも」

あっははははは。さっすがオクレ〜ル先生♪
・・・・・・・・・・。笑っている場合でも無い。
リサイタル前半は有名な曲があり、リサイタル後半は5曲ともドラマティックなクレオパトラの壮大なアリアが続く。今日一番考えさせられた事が、リサイタル後半「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲のエネルギー配分。これを間違うと、最後2曲が最もドラマティックな曲なのに、最後で息切れしてしまう事は避けられない。余程頭を使ってエネルギー配分をしないと、非常にみっともない御粗末なリサイタルになってしまう。今日9曲歌ってみて改めて認識させられた。勢いだけでは最後まで歌い切れない。
でも、私がこのかなりシビアなプログラムを断行した理由には、自分の声を鍛えて育てる、という目的が非常に大きなウェイトを占める。今後、ミルヒー先生からヴェルディとプッチーニを、谷岡先生&ハリセン先生とウィーンのM先生・N先生・B先生からバッハからワーグナーまでのドイツ歌曲とドイツオペラを学んで行くためには現状の自分の声だけでは非常に不十分であり、ウィーンのB先生に指摘されたのだが、

「シューベルトの魔王や、ベートーベンのフィデリオのレオノーレなどは、今後声が育って行けば可能性としてはあるかも知れないが・・・」

との事だった。だから、今現状自分が出せる声で可能な曲を歌うだけでは無く、将来的に自分が歌いたいと思う曲を歌うために可能な限り自分自身で自らの声を成長させるべく鍛えなければならない。
今後、喘息発作がこれ以増悪するようであれば長生きは不可能。せめて死ぬ前に一度だけでもワーグナーは歌いたい。ミルヒー先生からヴェルディのオペラアリアに関しては全て勉強の許可が出ており、プッチーニはトゥーランドット姫の勉強も許可されている。これらの曲を歌うためにも、是非とも自分の声を今以上に鍛え上げなければならない。
取り敢えず。ヘンデルのアリア9曲1時間30分歌い終わって、喉が死にかけた。そこで30分程休憩してから、最も歌えていなかったクレオパトラのアリア2曲をもう一度お浚いしてからスタジオ練習を終わった。
まあ、後はもう暫く本番まで努力を続けるしかない。後は丁寧に歌い込んで行くだけだから。それと体調管理。今後は、ヘンデルのリサイタルが終わったらすぐに2度目のウィーン渡欧レッスンの準備をしなければならない。シューベルト歌曲は最低7曲以上、ベートーベン歌曲2曲、モーツァルトのオペラアリアは最低4曲以上、これだけは最低限来年のウィーンでのレッスンに準備していかなければならない。この他に出来ればバッハの歌曲、モーツァルトの歌曲、下手をするとモーツァルトのスザンナやツェルリーナ、ヘンデルのアリアをレッスンする可能性も皆無では無い。マジで、ヘンデルのリサイタルが終わっても休むヒマも無いどころか、ウィーンに行くまでもっともっとハードでシビアな日々になる事間違い無し♪
嗚呼、体がもう1個欲しい、または、1日48時間欲しい・・・(爆死)


昨日、夜勤明けで朝ホールで患者さんの食事介助をしていた時の話。
テレビのニュースで、のりぴーの初公判のニュースをやっていた。そこで、のりぴーが「介護の仕事を勉強したい」との報道。
・・・・・・・・・・・・・・・・。介護の仕事も、よくよくナメられたものだなあぁ〜〜〜・・・、と呆れ果てた。幾ら裁判対策とはいえ・・・・・(絶句)
私よりも、ウチの病棟の看護助手さん達が大激怒していた。

「あんな派手な芸能人生活してた人間が、介護の仕事なんか出来るワケ無いじゃん。介護の仕事をナメるのもいい加減にしろ!!!」

と、介護福祉士の資格を持つ看護助手さんも含めて、皆ブーイングの大合唱♪私は、食事介助をしながら一人冷やかにニュースを観ながら鼻で笑ってただけだけどね〜。
第一、覚せい剤に手を出すような、薬にだらしが無い人間に介護や看護などの医療業界の仕事なんざ死んでもやって欲しく無い。のりぴーが勤務した病院やら施設から、麻薬や劇薬や睡眠薬や向精神薬が原因不明で紛失したら、一体誰が責任取ると思ってるんだあぁ???バカが!!!誰が雇うかいな。アホらしい。


昨日のスポーツニュースでは、浅田真央選手の会見がほぼどの局でもやっていた。
私も最初は、真央ちゃんがトリプルアクセルジャンプを失敗するのは、真央ちゃんの精神的な問題やら課題やらが大きい、と思っていたのだが、ここ最近は実はそれはかなり大きな考え違いなのではないのか???と思うようになった。
練習ではトリプルアクセルが飛べる、でも本番ではトリプルアクセルが飛べない。精神的緊張が原因ならば、その精神的緊張に対応した対策が取られて然るべきで、あれだけのコーチやらフォロー体制が整備されているのだから、テクニカル・メンテナンスは完ぺきかと思ったのだが、見ている限りどうも不思議。メンタル面が問題ならトリプルアクセルジャンプのどの部分に最も気おくれなり躊躇いが出るのか映像も含めて解析可能だと思うのだが、メンタル面のフォローだけではトリプルアクセルの成功率が上がらないという事は、即ちテクニカル面での問題が存在するという見かたが妥当では無いのか、と私は考える。要するに、メンタル的に弱い部分を補うテクニックに不足している、という事。
歌も似ていると思うのだけれど、苦手な部分、例えば高音域、低音域、アジリダ、ロングブレス、レガートなどはテクニックが苦手なら気力でカバーする部分も大きいし、逆に気持ち的に逃げてしまうなら、苦手な曲やフレーズをカバーする為の技術なりテクニックなりを考えるものである。だから、メンタル的なフォローアップで解決しないならば、それはもう一度テクニカルな基本に戻るべき、というのが常道だと考えるんだけどね。
でも、一番大切な事は、浅田真央選手本人の最優先事項、もっともやりたい事は何なのか、という事だと思う。トリプルアクセルジャンプを成功させる事なのか、今年も世界女王になる事なのか、オリンピックで金メダルを取る事なのか。全ては繋がっているけれども、人間そんなに欲張る事が出来ない事がある。オイシイとこ取りだけでは人生は済まされない。真央ちゃんが一番やりたい事が出来るのが一番いいなあぁ・・・と思う。

そろそろ、リサイタルのプログラムや楽曲解説や歌詞対訳などの制作準備しなくちゃ〜・・・。
来年は、2月末〜3月初めにかけてウィーンに行く予定。早くウィーンのM先生に御連絡しなければっ。




通常練習へ

今日は連続夜勤の中休み。
まだまだ咳と痰は続いているんだけど、咳が減って来たせいか喉の痛みが取れた事や、もういい加減歌いたくてウズウズしている事(笑)、余り無理をしないで飽くまでヘンデルのリサイタル本番に向けて調整を行って行く事を決めたので、今日からスタジオ練習を3時間に戻した。
スタジオに行く前に、ヘンデルのリサイタルを行うギャラリーカフェに行き、会場費用とピアノの調律代金〆て¥35000(!!!)を社長にお支払いして来た。

アマチュアで歌い続けるには、ホントにマジでお金がかかる。

来月11月に入ったら、もうピアニストのオクレール先生との合わせ中心の練習にシフトして行かなければならないので、自分自身で細かい練習を行えるのは、今月まで。その事もあって、今日は難しい曲3曲に絞って練習を行った。とは言うものの、ヘンデルのオペラアリア、難しく無い曲なんざ無いんですけど(苦笑)
リナルドのアリア1曲とクレオパトラのアリア2曲。この3曲は結構なハイレベルのテクニックを必要とされるので、やはり丁寧に練習して歌い込んでおかなければならない。しかも今日集中的に練習した3曲は、今まで演奏会本番に乗せた事が無い曲だから。
ただ、時間をかけて勉強して練習して来ただけあって、全体的な流れとしてはそれ程不安は無い。咳が無くなればもう少し本調子で歌えるようになるし。細かい音符を一つ一つ丁寧に歌って行く事がバロックでは本当に重要なんだなあぁ・・・と改めて実感する、この3曲。タダでさえ、バロックを歌える「天使の声」的ソプラノでは無いのだから、こ〜ゆ〜細かいトコロは外せない。ちょっと、やっぱり自分って声質的に損してるのかなあぁ〜〜〜???と凹んでしまうトコロも無くは無いのだが、もう歌うっきゃ無いんだから後は努力あるのみ。
それでも、咳のために喉が本調子ではないからなのか、却って体に余分な力が入らないような気がした。以前先生に言われた事なのだが、

「調子の悪い時には悪いなりに調整しておけば、調子の良い時にはきちんと歌える」

との事で、やはり看護師という職業柄、調子悪の時の方が圧倒的に多いとゆ〜ハイリスクは承知千万なのだからして、調子悪いから練習しない、とゆ〜のは実に誤った考えだと思う。
調子の悪い時こそ、練習練習♪
本当〜〜〜に、私は練習は大大大好きなのだが、本番は大大大嫌い。本番なんて、すぐ終わっちゃうし、レッスン通りにいかなくてもやり直し効かないし、緊張するから楽しくないし、普段履かないハイヒールは履かなきゃならんし、好きでも無い化粧は厚塗りしなきゃならんし。これでも、未だに朝寝てる時間が惜しくて職場に化粧をして行った事が無い。幸い、現在の病棟課長は、スッピンでも文句を言わない!!!(激爆)
で、多少声は掠れる時もあったけれど、取り敢えず苦手なフレーズやアジリダを丁寧におさらいした。4小節以上ノンブレスで歌わなければならないフレーズもあるので、兎に角ブレスを取る体の準備のタイミングを測って自分の体に覚え込ませる作業に終始した。やはり、喘息発作と風邪のミックス状態をようやく抜け出した後なので、呼吸機能全体が多少低下しているせいか、普段よりもロングブレスが続かないが、もともと声量はある方なので、声量を多少落としてその分ロングブレスにエネルギーを回す。有難い事に、会場のギャラリーカフェは非常に響きが良い、音響的には有難い会場だから。
特に、クレオパトラのアリアでは、ミルヒー先生のオーダーもあり、ピアノになっても決して声の響きや体のポジショニングを「抜く」事が出来ない。飽くまでも「ドラマティック」に歌われなければならない。オクレール先生的には、もう少し細く軽く響きだけで歌うように指摘された事もあるのだが、兎に角ミルヒー先生が現状の発声で歌うようにとの御指示なので、多少太かろ〜が重かろ〜が、取り敢えずは今の発声でヘンデル9曲何とか歌い切りたいと考えている。
特にクレオパトラはドラマティックな曲が多い。だから、ついつい力が入ってしまいがちなのでそこが非常に宜しく無いトコだ。私がクレオパトラを歌うなら、もっと自然に軽く細くを心がけて歌っても十分ドラマティックになるのだろうが、これがやっぱりどうも余分な力が入っちゃう。ヘンデルにしては結構暑苦しく聴こえてしまうかなあぁ・・・と思うので、もう少し歌う時に冷静さが必要なんだな、これが。とか思いつつ、結局演奏会本番はなるようにしかならないので、ベストを尽くすしかないんだけど。

今日はヘンデルの練習の後、ちょっとしたキッカケでもの凄く超久しぶりに、イタリア古典歌曲を練習した。特に演奏会で歌う予定は無いのだが、もう3年位はイタリア古典歌曲を歌っていなかった。久しぶりに歌ってみると実に色々な発見があって、とっても面白いし楽しい!!!大概、イタリア古典歌曲は声楽のレッスン初期に課題に出されるものなのだが、私もオペラアリアの勉強の比重が高くなるにつれイタリア古典歌曲を歌う機会は激減した。もっとも、ミルヒー先生はイタリア古典歌曲よりもベッリーニ歌曲の方がお好みなので、レッスンや演奏会の課題になるイタリア歌曲はここの所ベッリーニがメインだった事もあるのだけれど。
でも、以前は歌うだけでいっぱいいっぱいだったイタリア古典歌曲、今歌ってみると、自分がやりたかった事が以前に比べて出来るようになっている!!!という事に気が付いた。ああ、あの頃はこんな風に歌いたかったんだよなあぁ〜〜〜・・・と思う事に少し近づいている。そう思ってイタリア古典歌曲で自分が良く歌っていた曲を4〜5曲軽く歌ってみた。本っ当に、歌い易かったし歌っていて楽しかった!!!これは、いいかも〜〜〜(猛爆)と思った。同じ曲を何度も時間を掛けて勉強する楽しさを、今回改めて教えて頂いなあぁ・・・と感動した。機会があったら、またイタリア古典歌曲を演奏会で歌ってみたいなあぁ♪

とゆ〜事で、これからフィギアスケートのロシア大会フリーを観ます(笑)



我慢の限界

昨日は夜勤明けだったのだが、咳と痰がだいぶ落ち着いて来たので昨日スタジオを予約した。それでも、久しぶりの声出しなのでいつもよりは短めに2時間。少し発声練習をしてみて、いつからオクレール先生とのピアノ合わせを再開するのかを決めなければならなかったし、そろそろウィーンのM先生にも来年のウィーンでのレッスンについてメールをしたかった。何よりも、ヘンデルのリサイタルまで後2ヵ月を切ってしまった。

多少の焦りはあるのだが、今無理に声を出したら元も子もない。しかし黙って寝ているのにはもう飽き飽きした。良い加減、勘弁亀吉。

そう思いつつ今日は昼まで寝て起きてみたら、寒気はするわ頭痛はするわ吐き気はするわ、熱を測ったら、37.9度・・・・・・・・・・。頭に来て思わず体温計を投げつけた。

血液検査をしてもレントゲン検査をしても異常は見つからなかった。オマケにインフルエンザでも無い。異常が見つかれば治療もするかも知れないが、異常が見つからないものは治療のしようも無い。でも熱は出る。体温計が壊れているか、通常の検査では発見されないヤバい病気か、もうどっちでも構わん。ウンザリだ。知るか!!!とにかく喉さえ無事ならもう沢山だ。

そういうワケでスタジオに出かけた。勿論薬は飲んで。安静にして休養を取っても治らないなら、安静にしている必要も意味も無い。だからと言って余り無理も出来ないので、今日はフルに声を出さないよう考えた。2時間のスタジオ練習のうち1時間は来年ウィーンの教会で歌う予定のバッハ「シュメッリ歌曲集」から選曲する事に、残りの1時間はヘンデルのアリアのチェックに充てる事にした。発声練習では、長い間の咳のための声帯疲労で多少声はかすれ気味だったが、2点Aまで普通に出たのでそのまま予定通り練習をした。バッハ「シュメッリ歌曲集」は曲数が多い。しかもウィーンのM先生から、

「CDとか録音を聴かないで、最初から自分で音取りするように」

と、初見でとの指摘があったのでやむなく楽譜のコピーだけで音取りをした。初見なんてやった事が無い。それでも20曲余りの中から3曲選んだ。バッハの「シュメッリ歌曲集」は曲数は多いけど曲は短いので、音取りはそれ程苦労せずに済んだ。日本の全音の「ドイツ歌曲集?」にも1曲だけ掲載されていたので、最初はその曲にしようと思っていたのだが、出来ないながらも何とか楽譜でリズムを確認して音取りしてみると、自分で歌ってみたい曲が少しだけ見つかった。「シュメッリ歌曲集」も日本では殆ど演奏されないが、とてもバッハらしい素敵な小品が沢山あるんだなあぁ、と感動した。ヘンデルのリサイタルが終わったら、早めに谷岡先生にもバッハを見てもらわなければならない。今日は3曲音取りをしたので、後は楽譜作りをしなければならない。
ヘンデルも、余り音域の高く無いアリアを3〜4曲、オクレール先生にピアノ合わせの時に指摘された事を中心に軽くおさらいした。練習時間が2時間ではその位が関の山だが、まだ喉が本調子では無いので仕方が無い。それでも、高音も声量も声の響きも自分が考えていた程には落ちていなかったのでいささかホッとした。薬の飲み過ぎで胃の調子も余り思わしくなかったので、早めに切り上げて帰宅した。

幾ら待っても完全に回復しないので、もう様子を見ながら練習を再開して行くしか無い。
今日帰宅してから、ウィーンのM先生に来年のウィーン行きの事についてメールを差し上げた。
近日中に、ギャラリーカフェとも正式に演奏会の事を詰める予定だ。

ダラダラ休んでいるのは、もう嫌だ。

忘れかけていたこと。

今月初めの台風から風邪と喘息発作を併発して、連日38度近い発熱と咳と大量の痰と喉の痛みで、また10日以上歌う事の出来ない日々が続いている。連日の発熱で喘息発作の副作用の強い解熱剤を使用せざるを得なく、また高熱では無いにしても連日の発熱で、インフルエンザの可能性もあると病棟の医師から指摘されて検査を受けた。採血もレントゲンもインフルエンザ検査も、全て問題無かった。逆に、きちんと内服治療を行っているのに発熱と咳と痰が改善しないのか、医師からも疑問視されてしまった。無論、私も非常に疑問視せざるを得ない。毎日内服している1日の薬の量、喘息の薬2種3錠、咳止め6錠、去痰剤6錠、抗生物質2錠、消炎剤3錠、総合感冒薬2錠、その他胃薬、下剤、安定剤etc・・・。本当に、胃に穴が開くか胃液を吐くような薬の量を毎日内服し続けていて、それでも咳は止まらず痰の量は減らず、もう今年は歌う事は愚か声を出す事すら不可能とも思えるような毎日を過ごしている。自分でも、いっそインフルエンザだったらもう今年の演奏会は全て中止できるのに、と思うくらいここの所暗い気持ちで、それでも休む事の出来ない仕事と夜勤をこなしながら生活していた。もう休日を2日も休養に充てている。音楽から少し離れる事にしていた。CDを聴いてもDVDを観ても、気持ちばかりが焦ってしまって休養出来ないと考えたからだった。楽譜も開いていない。ちょっと辛かった。今年のヘンデルのリサイタルを中止する事を考え始めた。来年のウィーンでのレッスンも、まだM先生に御連絡出来ない状態でウィーン行きを見送る事さえ考え始めた。

今日は休日だったのだが余り体調も良くなかった。咳が止まらない。でも、病棟の仲良し看護師仲間と呑みに行った。最近、酒も殆ど呑んでいなかったので少しストレス蓄積気味だった。でも、歌えない、声を出せない苦痛と焦りから少し気分転換が必要だと考えたから。友達とは4時間位呑んで喋って楽しく帰って来た。

今日は、フィギアスケートのグランプリシリーズのフランス大会だったのでビデオに録画して出掛けた。帰宅してから録画を観た。
私は、浅田真央選手の大大大ファン。浅田真央が登場した当初は天才と騒がれていたので余り興味は無かったのだが、浅田真央がキム・ヨナと熾烈な争いを繰り広げてから非常に興味を持ってフィギアスケートを観て来た。私が今録画しても観る番組はフィギアスケートくらいなのだが(笑)私が浅田真央の大大大ファンである理由は、彼女の試行錯誤と紆余曲折と苦しみから逃げない苦しみに真っ向から飛び込んで行き躓きでも何度でも立ち上がるその「意地」と「度胸」だ。フィギアスケートも世界的な大会では、ノーミスかつクオリティの高い演技が期待され注目されて当然だろうが、音楽も勿論そうなのだが結果論だけでは無く「プロセス」というものが存在する。但し、プロセスは注目されるべきものではないのかもしれないが、自分が好きな選手ならデビュー当時からトータルで「見守りたい」と思うものである。金メダルや優勝した選手をやれ加点を貰えるジャンプだの表現力が卓越しているだのという専門家紛いの評価は部外者はメディアから仕入れていかにもらしい事は言えるかも知れないが、私は実際に大会本番でトリプルアクセルジャンプを何度も何度も失敗しながらそれでも飛び続ける浅田真央の、彼女の試行錯誤と紆余曲折と苦しみと悔しさと苛立ちが大好きなのだ。人間って、こういうもので、そんな浅田真央の失敗を何度繰り返し見ても、それでもトリプルアクセルを飛んで欲しい、いや絶対飛べるはずなんだ、いつか確実にいつでも飛ぶ事の出来るスケーターになって欲しいというある意味「希望」を持つ事が出来る。出来あがった仕上がったものに満足して失敗に批評するだけでなく、私にとっては「希望」を持ちたいと思える浅田真央、それくらい彼女のジレンマと感情がスケーティングから伝わってくる選手。

今日、自宅に戻って来てグランプリファイナルのフランス大会の録画を観て、何だか涙が流れた。
私が苦しんでいるのは病気ではなく、何が何でも病気を克服して「歌う気力」を失いかけていた事なのだと、気が付いた。スポーツ選手に怪我はつきもの、歌手に喉のトラブルもつきもの。今までは若さと体力で強引に捩じ伏せて来たものが、もうすぐ41歳になろうとしている体には徐々に負担が大きくなって来たのだろう。特にこの2年間は今まで以上の体調不良となりコンディション調整も非常に難しくなって来た。今年7月千葉でのヤンクミとの演奏会を風邪で喉を痛めながらギリギリの演奏会だっただけに、今回の風邪と喘息の併発は私自身にとって非常に厳しいものである事は間違いが無い。
ただ、今回は止まらない咳と止まらない喉の痛みと歌えない苦しさに、非常にネガティブになっていた。無論、7月の演奏会が非常に苦しかった記憶があるからという事は間違い無い。しかも、ここのところ、非常に不愉快な事や理不尽な事や怒りが続いていた事もあり、疲れ果ててしまった事を自分自身の言い訳にしかけていた感は否めない。
今年7月千葉でのヤンクミとの演奏会をウィーンのM先生に御報告した折にM先生から、

「演奏会中で体験なさったテクニックもあったのでは、と推察致します」

この言葉をすっかり忘れていたような気がする。
7月の千葉でのヤンクミとの演奏会は本当に喉を痛めて大変だったのだが、私には「使命」があった。ウィーンでコンチェルトハウスのB先生にレッスンを受けて来たシューベルト歌曲4曲、特に「こびと」だけは何が何でも歌わなければならない、という「使命」があった。恐らくは日本では歌われないシューベルト歌曲。本来ならば私自身の声質とは違うもっとドラマティックな歌手が歌う歌曲、それでも私が歌う「こびと」を認めてくださったB先生への感謝は言葉ではなく私が演奏会で「こびと」を歌う事だった。本番で「こびと」を歌う前にヤンクミに少しだけ「間」を頂いた。ウィーンのB先生、M先生、N先生、そして谷岡先生とハリセン先生に、祈った。喉が千切れてもいいから「こびと」を最後まで歌えるよう、力を貸してください、と。

今の私には、この気持ちが欠けていた。自ら弱気に逃げてしまっていた。今と同じ状態の喉で、7月千葉でのヤンクミとの演奏会では「こびと」を何とか歌い切った。モーツァルトの演奏会では評価してくださった観客は一人もいなかったが、喉を痛めて歌っても「こびと」を評価してくださった方々は存在した。私のようなアマチュアがシューベルト「こびと」のような大曲・難曲を歌う事は、フィギアスケートではトリプルジャンプのコンビネーション程に困難な事である。十分では無いにせよ、ノーミスで歌う事が出来て尚且つ少ないながら聴き手の方々の耳に残った事こそを、今回の体調不良や喉の不調の「教訓」とするべきではないのか。決して諦めて逃げる時ではないだろうに。

また今日も夜勤だが、声を出せない事に焦り落ち込み後ろ向きになるのではなく、声を出せなくても出来る事に戻りたいと思う。
たかが風邪。されど風邪。でも神様は乗り越えられる人にしか試練は与えない。
私は、ヘンデルを、必ず歌う。

真央ちゃんに、感謝♪

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