晴れの日はANDANTE

私のライフワークである歌曲やオペラ、日々の練習やレッスンについて、気ままに綴っていきます。

オペラ

オペラ歌手のレパートリー

最近、あるサイトにハマっている。

「オペラ配役プロジェクト」

オペラ歌手のレパートリーをオペラファンが直接書き込みして、オペラ歌手のレパートリーWiki版を作るという試みのようだ。
但し、オペラ歌手のレパートリーとして書き込むのは、オペラ全曲盤のDVDやCDの存在が明らかなもので、オペラ・アリア集で1曲だけ歌っているものは、含まないらしい。
ここの管理人様は、非常にオペラを愛し、賢明な方と推察した。
そこで、私の大好きな尊敬するオペラ歌手から順番に、寝る間も惜しんで書き込んでいる(爆)
今迄、頑張って書き込んだオペラ歌手は、Leontyne Price, Jessye Norman, Luciana D'intino, Monserrat Caballe, Karita Mattila, Angera Denoke, Jane Eaglen, Barbara Frittori, Olga Bolodina, Tuva Semmingsen, Patricia Bardon等々。
これらの歌手のレパートリーを、丹念に調べ上げた。
まず、自分の所有しているCDやDVD、オペラ歌手の所属会社のサイト(殆どが国外のサイト)、日本版Wikipedia、英語版Wikipedia、AmazonやTowerRecord等の録音探しを行ない、丁寧に情報を集めた。

これらの歌手のレパートリーを丁寧に調べて、一つ大きく認識した重要な事が存在する。
殆どの歌手が、例えヴェルディやプッチーニやワーグナーなどを主にレパートリーとしていたとしても、バロックや古典の作曲家のレパートリーとしてきちんと録音として残されているオペラが意外にも多かった事、である。
これは、Youtubeでも充分に検索可能な事である。
如何に、バロックや古典の勉強がオペラに於いて大切で重要な事であるのか。
これは、一昨年に私がヘンデル没後250年リサイタルを行なった時に、非常に痛感させられた事でもある。
無論、レパートリーであるという事は、オペラ全幕レチタティーヴォもアンサンブルも含めて全て歌える事が、当然の事ながら最低条件である。
オペラ・アリア数曲歌えて「これが私のレパートリー」なんて、浅はかな勘違いは存在しない。
という事は、私にもまだ、本当のレパートリーになるオペラの役は無い、という事になる。
極めて近いのが、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ役。
まず、バロックである事に非常に感謝した。
このクレオパトラの勉強を私に勧めて下さった、ミルヒー先生に非常に感謝申し上げている。

要するに、声質にだけ拘ってヴェルディやプッチーニやワーグナーを歌える可能性に一喜一憂しているのは、単なる「お門違い」であるという事。
自分自身の声質や声域に併せて、多くのバロックや古典の勉強も並行して同時に進めていかなければ、片手落ち以外の何物でも無い、という事。
以前、ヤンクミにも何度か言われた事がある。
「バロックはクラシック音楽の基本」
これを、オペラ歌手のレパートリーが何よりも証明していた、という事である。
ヴェルディ、プッチーニ、ワーグナー、シェトラウスなどの根底に、パーセル、ラモー、ヘンデル、グルック、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、ロッシーニ等の作曲家の底力の重要性を改めて再認識させられた。
これだけでも「オペラ配役プロジェクト」の書き込みに血道を上げた事の最大の効果であり、報酬であると嬉しく思う。
今後は更にヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ役の全曲習得に地道に根気強く取り組んで行きたいと考えている。残っているのは、アリア2曲と、短いレチタティーヴォ5か所、2重唱1曲である。
特に、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ役は、Leontyne PriceやMonserrat Caballeなどの映像がYoutubeで多数確認出来た。このヘンデルのクレオパトラ役を丹念に習得する事により、これらのオペラ歌手のレパートリーに少しでも近づけるよう、そして更にバロックや古典のレパートリーを常にアンテナを張り巡らして探す、新たな突破口としたいと考えている。

きちんとした音楽的「土台」が無ければ、幾ら近代・現代の大作曲家のオペラ作品を勉強出来る声質だと自己過信し思い込んだ所で、所詮は「砂の山」であるというのが、私の今回の大きな認識的変化である。

今回の「オペラ配役プロジェクト」から勉強したお陰で、新たに注文したバロックや古典のCDやDVD等幾つかある。早く届くのが待ち遠しい。
来月に、声楽の知人の主宰する音楽会で歌う曲も、ヘンデルとモーツァルトのオペラ・アリア1曲づつに決めた。
4月には、この事を予測だにしていなかったがグッドタイミングで、声楽仲間とヤンクミとで、イタリア古典歌曲の勉強会も開く事が決まっている。
これだけタイミングが揃うと、今ヴェルディやプッチーニを主に勉強を始めて行こうとしている時だからこそ、基本に立ち返るように自分自身の音楽人生に、ミューズから指針を頂いたのではないか???と感謝したくなるくらい、嬉しい。

特に、私が尊敬して止まないJessye Normanのバロックや古典のオペラのレパートリーの広さには、ただただ感嘆するばかりである。

私が所有しているCDやDVDのある、オペラ歌手のレパートリーはほぼ「オペラ配役プロジェクト」に書き尽くした。
今後は、新しくオペラ歌手のレパートリーとしているオペラを、他の書き込みから色々と多くの情報を得ながらオペラの勉強をして行きたいと考えている。

最近、去年からお世話になり始めてレッスンを受けている、教授のレッスンのお陰で非常に中低音域の声量がアップして来て、尚且つ低音域の音域も広がって来た。バロックや古典の曲も、ソプラノと言えども中低音域を必要とされる曲は多い。何もヴェルディやプッチーニやワーグナーだけでは無い。これは、今後の勉強がとっても楽しくなりそうである。
自分の自己満足だけで「自分の声域は広い」と思い込むような独断にならないような今後の状況も大変有難い。
来月、知人の音楽会で歌う2曲のうちの1曲のヘンデルのオペラ・アリアは、コントラルトの役のオペラ・アリアである。
是非、教授のレッスンの成果と「オペラ配役プロジェクト」の恩恵を実際の歌唱の成果に少しでも繋げられるように、勉強し続けて行きたい。

やっぱり、バロックや古典って、いいですよね〜\(^-^)/

トゥーランドット姫とイリア姫

昨日、次のリサイタルで歌う予定の、以前からネット注文していたプッチーニ歌劇「トゥーランドット」のDVDが3種類ようやく届いた。
元々はMET「トゥーランドット」のVHSは所有していたんだけど、最近ビデオの調子が悪くて、DVDにダビングしていないVHSは全て観られない状態だったので、元々所有していたMETのレヴァィン指揮エヴァ・マルトンのDVDと、新しくメータ指揮マリア・グレギーナのDVDと、リセウ歌劇場のカレッラ指揮ルアナ・デヴォルでリューがバルバラ・フリットリ(実はこの映像に関してはフリットリがお目当て)を購入した。

昨日は夜勤明けで親父の入院関連の雑事処理のために朝から日本橋へ行き、帰りに秋葉原の石丸電気ソフト館に行った。ヴェルディ歌曲のCDを探しに行くのが目的。でカバリエのヴェルディ歌曲を含むイタリア歌曲集のCDと、次のリサイタルで歌う予定のプッチーニ「蝶々夫人」のレナータ・テバルディのCDと、一昨年ウィーンのN先生から、モーツァルトのオペラのレパートリーとして勉強するよう指摘されていた「イドメネオ」のDVDを購入して帰宅、約25時間不眠でフル稼働した。帰宅後にプッチーニ「トゥーランドット」のDVD3種類が届き、余りのハイテンションで眠れずに、昨日は取り敢えず抜粋で「トゥーランドット」のDVDを一通り目を通してから休んだ。
そして、今日は休日だとゆ〜のに午後3時まで体が動かなかった。やはり、寄る年波には勝てない(自爆)

元々、トゥーランドット姫のアリアを勉強する事になったのには幾つか理由がある。
ちなみに、私はトゥーランドット姫をレパートリーとして長く続けて歌おうという気は、サラサラ無い。私は、元々はミルヒー先生が御得意としているリューを、ミルヒー先生から伝授して頂きたいというのが希望である。
理由は、まずミルヒー先生からトゥーランドット姫の勉強の許可が出た事が一番。
そして、自分の声に合った声質のオペラのレパートリーだけを勉強して歌うのでは無く、自分の「声」や「声帯」を鍛える、強くする事が目的である事、但しこれには師事している先生の許可が必要不可欠である事。
そして、今まで私が演奏会本番で使い物になった最高音は2点h、bだったけれど、今後は演奏会本番で3点c以上の高音域も使えるような勉強を始めなければならい事を、認識した事である。

演奏会で本当に使える高音域は、発声練習で出せる高音の約2〜3音下くらいであると、以前師事していたソプラノの先生から指摘された事がある。
それと、一昨年と去年のウィーンでのレッスンで、N先生とM先生の発声練習では確か3点dくらいまで発声出来たのだが、N先生とM先生は、
「あと4〜5音上まで出せる筈」
と、物凄い勢いで高音域の発声練習を行なわれたという現実がある。
私自身は、そんな無茶な・・・・・と思うものの、ウィーンの先生方が仰るのだから兎に角努力してみなければならない、いや、努力してみたい。
とゆ〜ワケで、総合的に自分の声質とは随分と違っているのは承知の上でも、ミルヒー先生の御許可のお陰で晴れてトゥーランドット姫の勉強を開始する事と相成りました、とさ♪
Youtubeで探したトゥーランドット姫の歌手は、マリア・カラス、モンセラ・カバリエ、ビルギット・二ルソン、エヴァ・マルトン、ギネス・ジョーンズ、ゲーナ・ディミトローヴァ、ジェーン・イーグレン、レオニー・リザネク、等々早々たる歌手陣。私が参考に出来るのかよおぉ・・・(溜息)と思われるドラマティックやヘルデン・ソプラノばっかし(ア然)
でも、一度勉強して歌うと決めて、ミルヒー先生から許可も戴いた以上は何が何でも勉強・練習して一度は演奏会本番に乗せなければならない。これには溜息ばかりだし、本当に相当性根の座った覚悟が必要。
勉強するアリア「In questa Reggia」の楽譜は既に作り終えているので、もう自己練習には入っている。入ってはいるのだが・・・・・高音は多いし、低音の鋭さと力強さは必用不可欠だし、しかも圧倒的な声量が必要、とゆ〜事で、練習するだけでも相当に疲労困憊してしまう。教授の呼吸練習が開始になってから、低音域もかなり強い響きで発声出来るようになって来たし、高音域も普通の自己練習の発声練習でも3点cis〜3点dまでは声になるようになって来た。以前の、掠る程度、からは結構な進歩と言わざるを得ない。何しろ、元々は「5線の上恐怖症」だったのだから。

今回購入したDVDの中で、一番強力なトゥーランドットは、エヴァ・マルトン。演技も伴い非常に迫力ある冷酷なトゥーランドット姫である。演技の面で少し惜しいのが、マリア・グレギーナ。声は申し分無い。
しかし、私が今回購入したDVDで最も注目したのは、60歳を過ぎてリセウ劇場でトゥーランドット姫を歌った、ルアナ・デヴォル。スピントで体も大きいが、年齢の為か若干力強さに欠ける。高音も多少ブレて聴こえる箇所があった。トゥーランドットの謎を歌う場面でも低音域では歌わず、同じ音域で歌っていた。
しかし、しかしです。ルアナ・デヴォルの非常に巧みな表現力。これはやはり若手には中々却って不可能な事なのかも知れない、と実感させられた。まず、語りの部分は比較的レガートにナチュラルに歌われている。が、イタリア語の言葉の意味の表現によって、歌詞のイタリア語も含めて、少しづつ少しづつ、巧みににじり寄るようにクレッシェンドして行く歌い方、表現は、デヴォルの表情や演技も併せて非常に、怖い(激爆)忍び寄る恐怖とでもいうか・・・・・(大汗)この歌唱には、唸らせられた。
私も、日本ではリリコ・スピント若しくはスピントかも知れないが、ウィーンではリリコなのである。だから、マルトンやグレギーナのような強い声で圧倒する歌い方では声帯を疲弊させてしまうだけだし、高音域を演奏会本番できちんと使い物になるような発声にするという目標から離れてしまわざるを得ない状況になってしまう可能性もある。
今後は発声の強さよりも、音楽的な表現でよりトゥーランドット姫に近づける歌唱を模索しながらも、自分自身の発声や声帯の強化を図って行く、とゆ〜トンでもないハードワークになりそ〜だ・・・・・(滝汗)
特に私にとって一番注意が必要なのは、低音域の発声の強さと鋭さ。これを何処まで追求し自分のテクニックとして獲得して行く事が出来るか・・・・・期待は薄いが・・・・・・・・・・頑張るしか無い(爆死)

いずれは、やっぱりリューを全幕通して勉強したい。何よりも、私の敬愛してやまないレオンティン・プライスがリューをレパートリーとして多くの録音が残されている。これが私の声楽の勉強を始めた時からの大きな目標の一つ。レオンティン・プライスのような美しい声の響きで歌えるようになる事。
リューという役柄も大好きだ。いつもDVDを見ると、リューのアリアの直後自殺する場面では大泣きしてしまうのだ(超苦笑)リューのアリアは非常に難易度が高い。高音をピアニッシモで美しく発声出来なければならない。しかも、トゥーランドット姫の心の底に訴えかけ優るものが存在する。その表現力が必要不可欠。声の表現力、演技の表現力。
「ナルシストも多い業界の、こんなに表現しているビバ自分」
なんて、フザケた戯言を垂れ流している場合では無い。
特にトゥーランドット姫に関しては、強さと鋭利さと情熱と冷酷さと、それらを自在に表現のテクニックとして駆使する事の出来る柔軟性が絶対必要不可欠になる事は間違いが無い。
これを課題として許可され自分で選択した以上は、どのような結果になろうとも取り組まなければならない。
非常に疲弊するが、これが今の私に与えられ回って来た「お鉢」である。
取り敢えず、頑張る。

ちなみに、私は「トゥーランドット」の映像はリューが死んだ所までしか観ない。プッチーニ亡き後補筆したアルファーノの草稿をトスカニーニが大幅に削除したという逸話がある。私も2〜3度リューの死後からラストまで観たが、何とも味気ない詰まらないと感じたので、それ以降はどの映像もリューが死ぬ場面までしか観ない事に決めている。


秋葉原の石丸電気のソフト館のクラシック音楽のフロアに行って、超ビックリこいた!!!
何と、3月で閉店!!!現在2〜3割引きセール中・・・・・(ア然)確かに去年12月に友人のプレゼント用ににCDを購入しに行った時よりも在庫が大幅に減っていた。都内でも結構クラシック音楽のソフトを取りそろえてくれている店舗がこれでまた減るのかあぁ〜〜〜・・・と思うと、寂しいやら悲しいやら。
とか言いながら、2〜3割引きの表示に夜勤明けのフル活動の眠気もぶっ飛び、約1時間は声楽・オペラのコーナーをウロウロと歩き回っていた。本来なら、次のリサイタルで歌う予定のヴェルディ歌曲のCDだけ購入出来れば良かったのだけれど、2〜3割引きならいつもはすぐに買わなくてもいいかなあぁ・・・と諦めている物にもついつい手が出てしまう。
そこで、モンセラ・カバリエのイタリア歌曲のCDを手にして、次のリサイタルで歌う予定のプッチーニ「蝶々夫人」のミレッラ・フレーニかレナータ・テバルディのCDが欲しかったのだが、フレーニは抜粋盤しか無かったのでテバルディ盤を手にした。

で、こういう割引のチャンスだからこそ、多少御高いDVDを購入したいなあぁ・・・と思い、結構ウロウロ探し回ったが、余り目ぼしいDVDは残っていないなあぁ・・・(溜息)と思った。が!!!その時私の目に留ったオペラが一つ。それは、モーツァルト歌劇「イドメネオ」。一昨年ウィーンでのレッスンでの最終日のレッスンを私のオペラのレパートリーの話し合いにわざわざお願いして変更して頂いて、N先生とじっくり1時間相談して来た時にN先生から挙げられたモーツァルトのオペラの私のレパートリーになるオペラだった。
「スザンナ、ツェルリーナ、コンテッサ、ドンナ・エルヴィーラ、パミーナ、イリア」
で、私が天地が引っくり返る程ビックリしたうちの一つ、「魔笛」のパミーナの他が、「イドメネオ」のイリア役。「クレタの王イドメネオ」の荒筋くらいは多少知っていたが、実際にオペラの映像を観た事も無かった。一昨年ウィーンのレッスンから帰国して、Ricordi版モーツァルトのオペラアリア集を購入して「イドメネオ」のイリアのアリアの楽譜を見てみたが、長いし難しいし、こりゃ堪らん〜〜〜・・・(爆死)とゆ〜事で暫く放置しておいた。恐らく時機が訪れれば必ず勉強しようと思える時が来るだろうから、今焦る必要性も無いだろうと踏んでいたからだ。
流石に石丸電気のクラシック音楽スペースのオペラのDVDでは、モーツァルトの中では結構多数売れ残されていた「イドメネオ」。モーツァルトの歌劇の中のダ・ポンテ3作よりは日本ではかなりマイナーだから仕方がないかもなあぁ・・・と想いながら幾つか手に取って見ていた。
すると、何と私が一昨年ウィーンのレッスンに行った時にレッスンして頂いたベートーベン歌劇「フィデリオ」のザルツブルグ音楽祭でマルツェリーネを歌っていたソプラノ、そして去年ウィーンにレッスンに行った時にブラームス歌曲のレッスンのために持って行った1曲「Madchenlied」を歌っていた、ユリアーネ・バンゼがイリアを歌っているDVD発見!!!!!\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
ユリアーネ・バンゼはリリック・ソプラノだが若干声質が太めというか寧ろ「深い」声だと私は評価している。そして何よりも、ユリアーネ・バンゼで勉強していったベートーベン歌劇「フィデリオ」のマルツェリーネ、ブラームス歌曲「Madchenlied」は、ウィーンのN先生から、
「あなたはこの歌を勉強しなければならない。これはあなたの歌だ」
と仰って戴いた経緯が存在する。そのユリアーネ・バンゼがウィーンのN先生が私のレパートリーにと推したモーツァルト「イドメネオ」のイリアを歌っているDVDを見つけたのだ!!!ケント・ナガノ指揮バイエルンのDVDだった。これはもう、Getしかないぃ〜〜〜〜〜!!!!!(激爆)

ちなみに、一昨年ウィーンのN先生からもう一つだけ、私が考えもしなかったオペラのレパートリーが一つ挙げられた。
そのオペラの役柄は、何とベルリオーズ「ファウストの劫罰」のマルガレーテ役。
しかも、ウィーンのN先生から一言念押しの御言葉付き。
「But, Not Gounod's Marguerite!!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(滝汗)
ベルリオーズって・・・・・(驚愕)それ、ワタシ本っ当〜に、歌えるんですかねえぇ・・・・・(ア然)
とゆ〜事で、今のトコロ、ベルリオーズ「ファウストの劫罰」は、思考停止の真っ最中。
何しろ、フランス語まで、手が回らないし・・・・・(言い訳)

とゆ〜事で無事に2割引きで荒遣い、お買い上げ〜〜〜・・・^^;
3月閉店なので、次またいつ来られるか分からないけれど、出来るだけ来てCDやDVDを探そうと思う。残り物に、福があるやも知れん。
本当は、貯金がカラになるくらい、あれもこれもおおおおおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜・・・・・!!!!!と思う程色んな欲しいCDやDVDが沢山あったのだけれど、流石に今年のウィーン渡航費用、レッスン費用だけは確保しておかねばならぬ・・・・・↓

その後、本郷の「アカデミア」でRicordi版ヴェルディ歌曲集の楽譜を購入しに向かう。本当なら、朝夜勤明けですぐ電車に乗り日本橋への移動中に、銀座のヤマハに在庫確認の電話をしたのだが「在庫無し」との事で、急遽本郷の「アカデミア」に在庫確認の電話をしたら、Ricordi社のヴェルディ歌曲集の楽譜を取り置きしてくれるという事で、秋葉原でCDを探した後に、本郷まで向かった。もうヘトヘト(死)
アカデミアに到着して、これまたやっぱり声楽やオペラの棚の前をウロチョロしてしまう(苦笑)もう大概必要な楽譜は購入したというのに、それでも楽譜を見てしまうと、あれもこれもついつい欲しくなってしまう・・・(滝涙)
オペラの棚を見たら、ヘンデルやモーツァルトのオペラの全曲版ヴォーカルスコアでBarenreiterのハードカバー版が新しく入荷していた。いいなあぁ・・・欲しいなあぁ・・・と思い、値段を見て両目が飛び出た(核爆)
もう石丸電気で既に荒遣いしてしまったので、仕方がない・・・・・(号泣)
レジの脇のテーブルに、ヘンレ版仕様の5線紙ミニメモ帳&ポストイットがあって、余りにカワイかったので思わず購入♪ど〜せ勿体無くて使わないくせにいぃ〜〜〜・・・と思いながらも、ついつい・・・・・^^;
すると、アカデミアのレジのお兄さんが、スタンプを1コ多く付けてくれました(>_<)
自宅に着いたのは、午後5時。それからも興奮気味で眠れなくて、取り敢えず一通り「トゥーランドット」のDVDを抜粋で観てから休んだ。
しかし、このハイテンションは、一体何だったんだろう・・・・・・・・・・・・(謎)


今日は前日の無理が祟ってようやく体が動いたのが午後3時だったのだが、その後3時間のスタジオ練習に出掛けて、呼吸練習と発声練習に1時間、今年ウィーンで歌う予定のシューベルト歌曲3曲の暗譜作業を行なって帰宅した。
勿論帰宅後はすぐにモーツァルト「イドメネオ」のDVD鑑賞!(^^)!非常に驚いたのは、歌手陣のレベルの高さ。ケント・ナガノもクオリティの高い仕事してるんだなあぁ・・・と思わず感激してしまった。
今回、歌手に外れが無かった。イリア役のユリアーネ・バンゼは、数年前のザルツブルグよりも更に勢いが増している。ザルツブルグでヤッキーノ役だったライナー・トロストは最初はあれ?どうしちゃったのかな??こんな声だったかな???と感じたけれど、3幕では良く取り戻していたので、緊張していたのか、多少調子が良く無かったのか、少しホッとした。それにしてもトロストは声がリリックになって来た。今後が楽しみなテノール歌手の一人に名前が挙がった。
そして、今回の「イドメネオ」で一番の注目株は、エレットラ役を歌ったアンネッテ・ダッシュ。まだ30代の若さで、高音域〜低音域までのスムーズな発声の推移に加えて、迫力と鋭さのある声質、大きく響く声量、そしてエレットラの怒りと憎しみと呪いを「声」で表現出来るという天賦の才の持ち主とも思われる、ドラマティックともメゾとも判断し難い声。これには、新しい期待の新星発見〜〜〜〜〜(^^♪
しかも、「イドメネオ」のオペラの荒筋だけを読むと、トロイとの戦争の戦利品としてトロイの姫イリアを連れ帰国するとあるが、この舞台の演出にもよるとは思うのだが、イリアに手をつけようとする好色な王なんかでは全っ然無くて、愛する息子イダマンテの命を案じ苦悩し悲しむ、イイお父さん王なんだなあぁ〜〜〜・・・(滝涙)とゆ〜事で、3幕は観ながら泣きっ放しでしたわな(爆死)

それにしてもモーツァルト「イドメネオ」3時間は長い!!!しかも今回は日本語の字幕が無かった。でもまあ、ストーリーは知っているので然程問題は無いのだが。
モーツァルトの音楽は場面毎によって非常に変化に富んでいるので、流石に3時間ぶっ続けで聴くと多少脳味噌が疲れて来る。
三輪明宏氏のサイトにも書かれていたのだが、
「モーツァルトの音楽を聴くとIQが高くなる事が証明されている」のだそうだ。この3時間の脳味噌酷使状況の疲弊さ加減から推察すると、何気に分かる気がする・・・・・(核爆)
これからも時間のある時にはまたこの「イドメネオ」のDVDを観ようと思う。
しっかし、この「イドメネオ」というオペラ、本当に難しいオペラである。レチタティーヴォは長い、アリアも長い、アジリダも多い。ダ・ポンテ3作で作曲されているような短いアリア、例えば「フィガロの結婚」のケルビーノやバルバリーナのアリア、「ドン・ジョバンニ」のツェルリーナのアリア、「コジ・ファン・トゥッテ」のデスピーナのアリアのような、割と短くて取り組む事に負荷を感じないで済む、というアリアが無い・・・・・(死)
ウィーンのN先生、良く私にイリアをレパートリーに選んで下さったなあぁ・・・空耳だったかなあぁ・・・んなワケないんですけどねえぇ〜〜〜・・・(鬱)
兎に角、今日「イドメネオ」のDVDを初めて観て、イリアが難役だっちゅ〜事だけは、理解できた(誤爆)特に3幕最後のイダマンテを庇って「人質の私こそ生贄に相応しい!!!!!」と剣をかざして強い意思を以って歌う場面なんか、私に歌えるかなあぁ・・・(弱気)
いやいや、折角ウィーンのN先生がレパートリーに選んで下さった大きな役である。少しづつ、蟻の一歩だけれど頑張って勉強していきたいと心に染みた。


ここで一つだけ、蛇足。
プッチーニ「トゥーランドット」のアリア「In questa Reggia」をYoutubで探していた時に、トンでも無い歌手の映像を発見した。
そのソプラノは、アンジェラ・ゲオルギュー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(虚)
やりたい放題もここまで来ると大したものかもしれない。
当然、ライブ映像では無い。ゲオルギュー本人のモデル・ポーズ写真に流されている、バリバリ録音調整の効いた声が流れていた。
正直、こんな録音が流れている事自体、思考停止に陥る。
そのうち、アンナ・ネトレプコがトゥーランドット姫を歌い出さない事を只管祈るばかりである(超苦笑)
嗚呼、世も末だ・・・・・・・・・・(-_-)zzz


明日は、カバリエのヴェルディ歌曲と、テバルディの「蝶々夫人」を聴かなければ!!!!!

歌い初め

ようやく一週間振りに、スタジオ練習する事が出来た。
年末年始の6日連続夜勤の疲労から、本当なら今日は午前中には起床するはずだったのに、ようやく体を起せたのは14時。折角、近所の市民センターの音楽室が空いていたので借りようと思っていたのに、この時間に起きたのでは2時間も練習出来ない。歌い初めでこれでは困る。そこで、急遽スタジオに連絡して、ようやく3時間の練習時間を確保。

スタジオ練習に向かう前に、師事している先生やピアニストの先生に、近くのデパートでお年賀を送ってから急いでスタジオへ。

今日は、イタリア歌曲&イタリアオペラの練習初めにする事にした。
今年末〜来年初頭にはイタリア歌曲&イタリアオペラのリサイタルを行なう予定である。
それに、声楽仲間と近々ちょっと面白いイベントを行なう予定もあるから。

まず、ベッリーニ歌曲2曲から。「La Farfalletta」「Il fervido desiderio」を、教授のレッスンの呼吸法とミルヒー先生の発声を折り合わせながらゆっくり丁寧に音取り、譜読みから開始。この2曲は約2年程前に一度ミルヒー先生からレッスンを受けた事はあったのだが、その頃の自分が歌ってはみたものの難しすぎて少しお蔵入りさせておいた。今日本当に久し振りに歌って見て一番大きく感じた事は、2曲とも中低音域が非常に楽にしっかり響かせる事が出来るようになって来た事、音符の高低の大きなフレーズや音符の動くフレーズがワンブレスでレガートに歌えるようになって来た事。
これは、教授の呼吸法レッスンの賜物以外の何物でも無いと改めて実感した。教授にも本当に感謝しているが、教授を御紹介下さったウィーンのM先生に心より感謝申し上げた。
今日は約2年振りくらいに歌うという事もあり、曲の全体的な流れや方向性や表現というよりも、最初の音取りのようにゆっくりと丁寧に呼吸法と発声をワンフレーズ毎に確認しながら時間をかけて練習した。


少し休憩して、オペラアリアの練習へ。
本来なら、今年末〜来年初頭に予定しているイタリア歌曲&イタリアオペラのリサイタルの選曲として、ベルディ歌曲&ベルディ・オペラアリア&プッチーニ・オペラアリアにする予定だったのだが、急遽変更。
今の自分の親父の問題を含むプライベートに関するシビアな状況、看護師でほぼ夜勤勤務というハードワーク、更にウィーンでのレッスンを併せて熟慮した結果、歌曲は今迄歌い慣れて来たベッリーニ歌曲と新しくミルヒー先生に勧めて頂いたヴェルディ歌曲、オペラアリアはプッチーニのみとする事に決めた。
ヴェルディに関してはもうすぐヴェルディのメモリアル・イヤーが訪れる。その時に存分にヴェルディのオペラアリアを歌えば良いだけの事である。オペラアリアで4〜5曲、ヴェルディやプッチーニのグランドオペラのアリアを並べて歌うとすれば、今の自分の状況や環境、決して歌だけ歌っていれば良いという御身分には無い私にとって幾ら高度な呼吸法や発声法のレッスンを受けて練習してそれを実践出来たとしても、声帯を壊すハイリスク状態である事はまず間違いが無い。だから、オペラアリアは非常に慎重にセレクトされなければならない。
特に、プッチーニ「トゥーランドット」からトゥーランドット姫のアリア「In questa Reggia」を歌う予定であり、プログラムの構成としてはリサイタルの最後に歌うであろう事から、ミルヒー先生が私に勉強するべきと御指摘頂いているヴェルディのオペラアリアとプッチーニのオペラアリアを同時に歌う事は、ほぼ自殺行為に等しいと私が熟慮した結果である。
そこで、今日は本当に久し振り、いや約10年振り位にプッチーニ「蝶々夫人」からアリア「Un bel di,vedremo」を歌ってみた。年末年始にかけて、木下美穂子氏の二期会「蝶々夫人」の抜粋の録画ビデオを繰り返し繰り返し見ていたためか、アリア全体の曲の流れとしては今後地道に練習を積み重ねて行く事、教授の呼吸法とミルヒー先生の発声法を丁寧に実践して行く事が出来れば何とか歌える、という感触は得る事が出来た。が、どうも最後の2点hが自分のイメージ通りの声が出無い。ちょっと硬い発声になってしまっていた。教授の呼吸法も丁寧に行なっているし、細く声を当てようとしている訳でも無かったのだが、どうも上手くいかなかった。そこで、このプッチーニ「Un bel di,vedremo」は早々に切り上げて、ちょっと他のオペラアリアを歌う事にした。

以前からミルヒー先生に課題として頂いているモーツァルト「Cosi fan tutte」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」を練習してみた。レチタティーヴォから歌い始め、アリアのアジリダのフレーズを歌い始めた所から、大分声帯が柔軟になってきて高音も無理なくいつもの太さの声で響かせる事が可能になって来た。
勿論全身の疲労もあるだろうし、1週間振りにようやく声を出す事が出来たという要因もあるけれど、何よりもミルヒー先生の仰る通り、このモーツァルトのアリアは非常に発声練習としては格別の素材となるアリアであるという事を改めて認識させられた。
「モーツァルトは声楽の基本」と仰られた事、本当に実感させられた。

ここで少し長めの休憩を取ってから、少し声帯も動いて来た事だし、プッチーニ「トゥーランドット」のアリア「In questa Reggia」を練習した。
この曲の勉強をミルヒー先生から御許可頂いて練習するようになってから少し不思議な事がある。勉強する以前にかなりこの難曲に対して怖気づいていたのだが、自分が考えて恐れていたよりも歌っていて辛く無いのだ。
無論、カラスやカバリエやニルソンやマルトンのような声は私には出せないし、第一そのような声は持ち合わせてはいないのだが、丸っきりどう歌ったら良いのやら皆目見当も付かないという事が無い。これは、本当に不可解な事だと思わざるを得ない。強いて言えば、蝶々夫人の「Un bel di,vedremo」の方が私にとっては余程歌い辛い、という言い方が適当というか。このトゥーランドット姫という役を長く勉強して自分のレパートリーにしたいなどとは露ほども考えてはいない。飽くまで自分自身の声帯や発声を鍛える、強化するために、ミルヒー先生の御許可される範囲内で勉強して一度は演奏会本番の板の上に乗せる、という事である。
それでもこれ程歌い辛さを感じないという事に関しては、自分自身がドラマティコやヘルデン・ソプラノでは無かった事を残念に思う以外他は、無いだろうと思う。
それでも、モーツァルトのフィオルデリージ「Come scoglio」の練習の後に、中低音域の発声も含めて練習としてはまずまず声も整って来たし、高音域は問題は感じない程度に発声する事も出来た。音程が低い事も無く、全身疲労の割にはこの曲を丁寧に練習する事が出来たと思った。強いて言えば、やはりもっともっと発声の強さというか鋭さが欲しい所だが、今の自分の疲労度も含めてもともと自分の声質とは違う役を勉強という事で歌っているのだから、仕方がないだろう。


1週間振りの疲労困憊の今年歌い初めとしては、呼吸法と発声を丁寧に確認しながらの練習が出来た。今年の勉強と練習の方向性が非常に良く見えた、という事だと考えている。
ドイツ・リートに関しては、また別の日に新しく歌い初めという事になる。ドイツ・リート、特にシューベルト3曲に関しては、イタリア歌曲&イタリアオペラとは全く違う勉強をしなければならない。3曲とも、曲自体は既に形としては出来あがっているので、後は細かい音楽性や表現、ドイツ語のウムラウトの修正などより細かい丁寧な暗譜作業と共により完成に近づけていかなければならない。
イタリア系とドイツ系、日によって別々に練習する事にまたしなければならない。


取り敢えず、今年の歌い初めは無事終了。
帰宅してせんねん灸で喉のケアを行ったら、喉の疲労感も無くなった♪
去年のシューマンのリサイタルについて、北海道の妹から、
「録音は無いの?」
と聞かれてしまった(苦笑)去年ウィーンにレッスンに行った時に妹から、
「外国に行った事が無いからウィーンの写真が見たい」
と言われたのでレッスン通学路のウィーン市内の写真にコメントを書いて妹に送った事からだろうと思う。
近いうちに、北海道の妹に聴かせても恥ずかしく無いような、自主録音が制作出来るように頑張らなければならないと考えている。
ヴォイス・レコーダーだと、私の声の録音の音が割れてしまうので、流石にヴォイス・レコーダーの録音を北海道の妹に聴かせる気には、ならない(爆)

ウィーンから頂いたM先生とピアニストEさんからのお年賀メールでは、ウィーンは−10℃の樹氷の世界だそうだ。

今年も、何とか精一杯頑張ろうと思う。

歌い納め

今日は今年最後の休日。
そして、来年1月4日までは、明日から連続夜勤。

今日は体調は今一つだったけれど、スタジオ練習3時間を行なって来た。
最近、スタジオ練習のメニューが変化した。
まず最初の30分間は教授の呼吸練習メニューから。
次の10分くらいで発声練習。
これで曲の練習の下地が充分出来て、声帯にも負荷がかからないのだから、超驚き(笑)

今日は、まず来年ウィーンで演奏する予定のシューベルト歌曲「Der Konig in Thule」「Dem Unendlichen」「Du bist die Ruh」の3曲の発声と音程の調整を行なった。
この3曲に関しては、昨年〜今年のウィーンのレッスンでB先生に御指導頂いている曲なので、今後は暗譜とドイツ語のウムラウトの発音が最大の課題である。

その他に、来年末〜再来年初頭にかけて予定している、イタリア歌曲&イタリア・オペラのリサイタルで選曲予定のプッチーニのオペラ・アリア2曲、「蝶々夫人」から蝶々夫人登場のアリアと、歌劇「トゥーランドット」からトゥーランドット姫のアリア「In questa Reggia」の2曲のリズムとテンポと正確な音程の確認作業を主に行なった。
プッチーニのオペラ・アリアに関しては、オペラのストーリーや全体の音楽の流れは頭に入っているので、今後は発声と表現が一番大きな課題。
いずれも、焦らずに急がずに地道に確実にこれらの曲をレパートリーにして演奏会で歌う事が出来るようにコツコツ練習を積み重ねて行く以外に、他に方法は存在しない。

今日の今年最後のスタジオ練習で一番手応えを感じたのが、シューベルト歌曲「Dem Unendlichen」と、プッチーニ「トゥーランドット」から「In questa Reggia」だった。
シューベルト「Dem Unendlichen」はウィーンのB先生から今年のレッスンでお墨付きを頂いたけれど、シューベルト歌曲にしては珍しいレチタティーヴォの部分の表現はまだまだ大いに改善の余地があり、もっともっと表現豊かに歌う事が出来る可能性が大いに存在するので、今後はレチタティーヴォをどのように歌い込んで行く事が出来るかという方向性が掴めて来た事。
そして、プッチーニ「トゥーランドット」のトゥーランドット姫のアリアは、私の声質ではかなり厳しいアリアだとずっとずっと覚悟はしていたのだが、今日歌ってみた感触では自分が危惧していたよりも「行けるかも知れない!」という程に声の勢いが出始めていた。

これは、総て教授の2時間MAXの呼吸法レッスンの賜物であり、これが私の歌唱を今よりももう一段パワーアップ、レベルアップする事の出来る可能性を大いに広げて頂いた賜物であると、心から感謝している。


今年は、辛い事苦しい事悲しい事ばっかりの1年だったけれど、年末になってようやく今年も少し、ウィーンでのレッスンを最大の幸福として改めて感謝出来る年にする事が出来た。
来年はどうなるのか私には想像も付かないが、声楽に関してはほぼ休んでいる余地など欠片も無い。
新しい目標も出来たし、大舞台もある(予定)
そして何よりも、先日、千葉のヤンクミ御夫妻との忘年会で、私の人生に関わる非常に重要な約束、委託をお願い申し上げた。
この事は絶対に無駄には出来ない。

今は専ら、来年末〜再来年初旬のリサイタル予定のプッチーニのオペラ・アリアを物色中。
これから年末年始の連続夜勤の合間に、ヴェルディ歌曲や、プッチーニのオペラ・アリアや、シューベルト歌曲や、ブラームス歌曲の曲探しと楽譜作りに専念しなければならない。
まあ、いつも通りの年末年始という事だ。

では、皆様良いお年を(^^)/~~~

ピアニストEさんとのピアノ合わせ、ウィーンのレッスン4日目vol.2

午後はピアニストEさんと、通訳をして下さったソプラノのYさんとのシェアルーム自宅でのピアノ合わせ練習。
地下鉄に乗って行かなければならなかった。去年はウィーンで地下鉄に乗る事は無かったので、今回初めてウィーンで地下鉄に乗る事になった。でも、地下鉄の乗り方はガイドブックにもきちんと掲載されていたし、チケットの購入方法はピアニストのEさんからも少し教えて頂けたので、初めての券売機でチケットの購入に少し手間取ったけれど、地下鉄の乗り換えはスムーズに行く事が出来た。
ウィーンの地下鉄は、日本の地下鉄に比べて物凄くスムーズ。1.8ユーロでウィーン市内なら乗り放題だし、改札口も日本の地下鉄のように矢鱈と多く無いし、営団線や都営線などという区別も無い。ホームからホームへは改札無しで通過出来るので、基本的に乗り換え駅さえ間違えなければ、とても便利である。

途中、ウィーン西駅のパン屋さんで、ピアニストEさんと通訳のソプラノYさんに、チョコバナナケーキをお土産に買って、ピアニストEさんのお宅に向かった。

ピアニストEさんと、通訳のソプラノYさんのお宅に着いた。二人ともお土産をとても喜んでくれた。
通訳のソプラノYさんが、「N先生から、明日のレッスンで歌う予定のシューマン歌曲のテキストを一緒に読み合わせしてはどうか?と提案されたので、ピアノ合わせが終わったらテキストの読み合わせをしませんか?」と聞かれたので、お願いした。N先生の門下という事もあり、割と熱心にドイツ語に関しては協力してくれているので、余り私自身が神経質にならないように気を付けなければならないな、とも考えた。何しろ、私よりも17歳程も年下だし全く知らない人だったし、連日の苛酷なレッスンスケジュールと焦りから、少し自分も大人げ無かったように考えた。まあ、職場の新人みたいなカンジに考えていれば然程ストレスにもならないかも知れない。

早速ピアノ合わせ開始。シューマン歌曲3曲「Requiem」「Nussbaum」「Widmung」の3曲と、レッスンをうけられるかどうかは解らないけれど一応可能性も考えて、モーツァルト歌劇「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラ登場のアリア「Ah! chimi dice mai」を合わせて見る事になった。
それと、B先生のレッスンでのシューベルト「Dem Unendlichen」のレチタテーヴォのテンポ・リズム調整の確認作業を行う事になった。B先生のレッスンではピアニストEさんはまだ「Dem Unendlichen」の伴奏は行なっていない。明日のB先生のレッスンで弾くかもしれないから。

主に、ブレスの位置の確認、曲のテンポと、フレーズの歌い出しで合わせ辛い箇所を相談しながら練習を行った。私は楽典やソルフェージュを勉強していない事からテンポやリズム感が悪いと自分でも認識している。伴奏付きで歌う事にも慣れていない曲が多いので、ついついピアノ伴奏を聴きながら歌ってしまう事も非常に多い。この事に関しては、ピアニストEさんにも非常にお手数をかけてしまっているな、と痛感している。
ただ、ピアニストEさんは、私の音楽の作り方というか表現に興味を持って下さっている。それに、今日の午前中のN先生の発声練習で大分発声も改善されて息の流れもスムーズになって来たので、Eさんからも「大分良くなってきてますね」と言って貰えた。兎に角、声の細い太いは余り気にせず、全身の力をなるべく抜く事と、下腹部の支えと、口の縦と下への開きだけに注意して後は余り他の事は気にせず、ピアノ合わせで歌った。
シューマン「Requiem」に関しては、最初私がテンポを進めて音楽を動かして行きたいと考えていた箇所を、N先生から修正されたので、その練習を主に行なった。シューマン「Widmung」は、ritのテンポの確認とブレスの取り方や箇所の確認を主に行なったが、中間部の曲調がレガートに変る部分は珍しく私がロングブレスで歌えるテンポとEさんの伴奏がピッタリ一致(驚)余り問題にならずに楽に歌う事が出来た。これは嬉しかった。シューマン「Nussbaum」は最初遅れないようにテンポを勧めるよう心掛けたが、少し前に走り気味になってしまったので、もう少し落ち着いてゆったりと歌うように修正。
最後、「ドン・ジョバンニ」ドンナエルヴィーラのアリアは、軽くざっと通した。高音域もきちんと発声出来ていたし、アジリダもまずまず声が回っていたので、余り無理しないように軽く済ませた。尤も、ドンナ・エルヴィーラのアリアのレッスンの余裕は無い可能性が大きい。まだブラームス歌曲のレッスンも1曲も行なっていないからだ。
最後に、B先生のレッスン曲シューベルト「Dem Unendlichen」のレチタティーヴォのテンポ、リズムの確認作業だけ行なった。若干、私のリズムが不正確な部分があったので修正して、レチタティーヴォだけを通してピアノ合わせ終了。これでも約1時間はみっちり掛かった。

次に、通訳のソプラノYさんと一緒にお茶を頂きながら、シューマン「Requiem」「Widmung」「Nussbaum」のテキストのディクションを行なった。やはり問題は、ウムラウトの発音に集中した。その他は「ざじずぜぞ」に当たる子音の発音が私は弱いと先生から指摘される事が多かったため、歌い出しの子音の発音の修正を行なった。ただ、この3曲は日本で練習していた時から、比較的歌い込んで来た曲だった事や、「Widmung」に関しては約7年ほど前に一度演奏会本番に乗せている事から、テキストのディクションは比較的スムーズに行った。と言っても、またN先生やB先生のレッスンになったら、ウムラウトの発音に関しては修正の嵐になる事は容易に想像できるのではあるが。

正味1時間半、ピアニストEさんとのピアノ合わせと、通訳のソプラノYさんとのシューマン歌曲のテキストのディクションを終えた。二人にお礼を言って、アパートに戻った。
今日は比較的ストレスも緩和していたので、疲労度は昨日に比べたら随分楽だった。
幾分、初対面の人に慣れる事も必要だと実感、反省した。
看護師の仕事としてならば、プライベートとは比較にならないほど穏やかににこやかに和やかに笑顔で対応するだが、それはサラリーを得てプロフェッショナルとして国家資格で仕事をしている以上至極当然の事である。
案外プライベートでは、その反動作用があるのかも知れない。


今日は、これから、ウィーン楽友協会で、ツィンマン指揮ブラームス交響曲第1番と、ブラームスピアノ協奏曲第1番のコンサートを立ち観の予定。とっても楽しみ。コンサートについては、レッスン記録が終わった後にこのブログに掲載しようと考えている。

少し落ち着いた、ウィーンのレッスン4日目vol.1

昨日の疲れはB先生のレッスンで精神的に多少取り戻した事と、ウィーン国立歌劇場のグルベローヴァのドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」を諦めて休養に徹した事で、大分回復出来た。
でも天気も悪く寒い。喉の調子も余り良く無い。

10時にN先生のオフィスでレッスン。今日はピアニストのEさんはいない。N先生と通訳のソプラノYさんと私の3人で行う。今日は主に発声練習という事だった。
先に私がN先生のオフィスに到着したため、早速発声練習開始。その直後、通訳Yさん登場。

発声練習の主な課題は、全身の力を抜く事。去年から、今年も、何度も何度も同じ事を指摘され続けている。逆に言うと、発声はそれだけ良い状態を保持するのが非常に難しい事であるのだという認識が非常に重要だという事になる。これは以前レッスンを受けていた先生にも言われた事がある。
「発声は、我々にとっても永遠の課題です」
本当にその通りだと、痛感させられるウィーンでのレッスン。
発声は、主に頚部〜下顎〜前胸部の力を抜く事。何度もN先生の指摘・修正されるが中々N先生のオーダー通りに出来ない。日々少しづつ体の余分な力は抜けて来てはいるものの、ウィーンの先生方の要求と理想はアマチュアの私の考えを遥かに上回る。
頚部〜鼻腔の奥〜頬骨と、下肢〜下腹部の支えを意識して口を縦に開ける事。最初の中低音域は口を開き過ぎず、高音域に上がるに連れて口を縦に開けて行く事。声を出そうとするのでは無く、ただ体という楽器が鳴っているのだと考える。息を押すのでは無く頭の後ろ〜上から通すように。
N先生から指摘されている事は通訳のYさんを通して言われている事は頭では理解出来る。同じ事を連日指摘されているのだから。問題はそれをどのように自分の体で体現して行くのかと、という事。慎重に考えながら発声を行っていたが、時々考え込んでしまう事も多くなって来た。

通訳のYさんに関しては、余り気にせず、なるべくジェスチャーも含めてN先生の仰っている事を自分が通訳のYさんよりも先にキャッチしようと努めた。それによってまず自分自身が意欲的にN先生の仰る事を理解しようと努める事によって、他人の介入による精神的ストレスを緩和するという、多少前向きな方向性を選択する事が出来た。ドイツ語そのものの理解よりも、ジェスチャーなども踏まえて私がきちんとN先生の指摘を理解して修正出来れば、それだけ通訳のYさんに依存する割合も減少する。それも、ストレス減少に正比例する。

立ったままの発声である程度声が少し響くようになったが高音域になると声が掠れたり出無かったりする事も出て来た。今日は恐らく2点Aくらいから上の高音域が、出づらい。椅子に座ってリラックスして体の力を抜きながら発声を行うようN先生から提案された。色々とN先生から指摘されるが、中々進まない事も多く、私が英語でN先生に、
「Very difficult」
と一言お伝えすると、一瞬、通訳のYさんがN先生のドイツ語を日本語に訳そうとするのを中断する場面も見られた。自分自身のレッスンなのだ。こうでなくては、ならない。
N先生は、
「誰にとっても大変難しい事ですが、出来るようになれば容易にやれるようになりますから」
と仰った。
私は、何か新しい事を習得する場合、普通の人の3〜4倍は時間がかかると自分自身考えている。だから、他人と同じ事を同じ習得速度でやろうとする場合、必然的に他人の3〜4倍の努力が必要となる。だからウィーンでのレッスンも指摘・修正された事を総てその場でクリア出来るなどとは考えていない。ただ、出来る限りその場でウィーンの先生方の指摘に対応して修正出来るような努力を行うだけの事である。日本でも継続してウィーンで指摘された課題を忘れずに取り組むために、こうしてわざわざウィーンのレッスン記録を行っているのだから。
N先生より、下腹部のポジション、ブレスのタイミング、口の開き方を一度に指摘されながら発声を行っていくという緊張感もあるし、考えると時間も掛かる。N先生から、
「何も考えないで、やってごらんなさい」
と仰られると、却って出来なくなってしまう場面も何度かあった。途中色々とN先生から指摘や質問をされる事も多かったが、私は解らない事、実感出来ない事、理解出来ない事は、必ずはっきりと、
「今の自分には理解出来ません。掴む事が困難です。少しは出来たという実感はあります。確実ではありません。少しだけ掴めたと思う」
など、かなり出来る事出来ない事を正直にはっきりと先生に申し上げる。この事については日本の先生でもウィーンの先生でも、同じ対応をさせて頂いている。知ったかぶりは論外、実際に出来なければ何もならない。それは本末転倒だからだ。
N先生から、椅子に座ったまま、複数の母音の種類で少しづつ音程を上げたり下げたりする発声練習に切り替えられた。異なる母音を交えて発声する時であっても、高音域に移行する場合には必ず口を縦に下に開く事。
ここくらい辺りから、ようやく発声が楽になって来たかな?と思えるようになった。喉の調子も大分回復して来た。良い発声、適切な発声は、声帯にも良い影響を与えるという事か。

最後に、椅子に座ったまま今の体に余分な力の入らない状況で口を縦に下に開ける状態で、モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアの最初のフレーズを歌ってみるように言われた。非常に声が出やすくなった。2点Aや2点Hも別に苦しくも辛くも何ともなかった。N先生からウムラウトの発音だけもう少し口を狭くするように修正された。自分の声がこんなにも少ない力でこれだけ響くものか???と思うような声が流れた。決して細く無く太く無く。N先生も思わず日本語で、
「そうです。その通りです!!!」
と仰っていた。ここで本日の発声練習でN先生からOKが出た。N先生から、
「あなたがこのレッスンで、こんなにも上達してくれた事を、私は大変嬉しく思います」
と仰られた。ああ、こういうふうに発声するものなのか・・・という事を幾分か掴む事が出来たような気がした。問題は、この発声を、パミーナのアリアの他にも、シューベルトやシューマンやブラームスの歌曲で活かされなければならない、という事である。
しかし、N先生からのこの言葉は、非常に嬉しかったが、反面非常に重くもあった。

レッスンが終わり、少しだけN先生の要求に近づける事が出来たためか、少しだけ精神的にも穏やかになっていた。少しだけストレスフルな状態から解放されつつあるかな、と思えた。しかし、ここで終わった訳でも何でも無い。まだレッスンは続くし、日本に帰国してまずシューマンのリサイタルでこのN先生のレッスンで受けた発声を少しでも活かさなければならないからである。
最後に通訳のYさんが随分ニコニコ笑いながら「とっても綺麗な声ですね」と何度も話しかけて来た。
この人、どうしてこんなにもハイテンションなのか?それとも私がローテンション且つナーバスなのか?と考えたけれど、もともとピアニストEさんのように日本にいる時からコミュニケーションを取っていた人では無いのだから仕方が無いかも、と思った。第一私は、もの凄く人見知りが激しい方だ。私が複雑な表情をしていたら、通訳のYさんから「大丈夫ですか?」と聞かれた。私は、
「今まで、日本でも綺麗な声と言われた事は無かったので、かなり不思議に思ったものですから」
と答えた。通訳のYさんは、不思議そうな顔をしていたが、兎に角今日の通訳のお礼を申し上げて帰宅した。午後には、通訳のYさんとシェアルームに住んでいるピアニストYさんとのピアノ合わせがある。また、通訳のYさんとも顔を合わせるが、自分のペースを掴めて来た事もあるし、他人や部外者の介入に精神的に左右されないという忍耐力もある程度培われなければならないので、これはこれで少し慣れて来た。
通訳のYさんも別に悪い人では無く、寧ろN先生に頼まれてわざわざ見知らぬ日本人オバサンのアマチュアのレッスンの通訳に来てくださっているので、感謝しなければならないのが筋だろうとも考えた。
ただ、私自身、自分のレッスンに部外者を介入させる事に非常に慣れていない事と、人見知りの強さが災いしたのだろうと、反省もした。


昨日のウィーン国立歌劇場のドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」のグルベローヴァを観に行く事が出来なかった事が、残念でならなかった。

久々のミルヒー先生のレッスン

今日は久し振りにミルヒー先生のイタリア・オペラのレッスン。
最近、ウィーンのレッスンのためにずっとドイツ・リート漬けの生活だった。
今年の7月くらいからの猛烈な酷暑で体力消耗、喘息発作が増え、8月は休日の3分の1は自己練習も出来なかった。9月は急に寒くなり、連続夜勤の蓄積疲労も重なり鼻水バリバリの鼻風邪をひきっぱなし。連続黄色のベンザブロックのお世話になっていた。
3ヶ月程レッスンを受けていなかった。これではイタリア系の発声を忘れてしまうし、曲も全然進まない!それでなくとも、12月のシューマン・リサイタルまではまだまだドイツ・リート漬けの日々になってしまう。
そこで先日急遽、意を決してミルヒー先生に御連絡して久し振りのレッスンをお願いしたら、快く承諾して下さった。こんなにも期間が開いてしまってもちゃんとレッスンをして下さる。本当に有難い。

ここの所イタリア・オペラで自己練習していた曲は、モーツァルト歌劇「Cosi Fan Tutti」フィオルデリージのアリア「Come scoglio」と、ヴェルディ歌劇「La Travita」ヴィオレッタのアリア「E strano〜Sempre libera」の2曲。6月に千葉のヤンクミ一座でのヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲の演奏会以来は、この2曲に集中している。でも、どちらもレチタティーヴォも合わせて非常に大曲だし、高度な歌唱テクニックを要する曲であり、中々練習も進まなかった。
まず、ミルヒー先生の場合、どんなに高度なアジリダでも3点C以上の高音域でも、私がちょっとでも軽く抜いて発声しようものならすぐにNGが出る。ミルヒー先生のレッスン通り、非常に全身を使った深くて力強い発声で高度なアジリダも超高音域も全て歌われなければならない。この練習に非常に体力・集中力・忍耐力を要する。要するにフィオルデリージもヴィオレッタも、ヴェルディ「運命の力」のレオノーラのアリア「Pace, pace mio Dio」並みの発声で歌われなければならないのである。

本日のレッスン。発声練習は何とかOK。
早速フィオルデリージのアリアから。
レチタティーヴォはOKだった。但し、このアリアに入った最初の部分からいきなりオクターブ跳躍が続く。その音符の飛躍する箇所の低音の処理、これに指摘・修正が集中した。流石にモーツァルトが嫌いなソプラノ歌手のために作ったアリアと逸話が残っている、非常に難易度の高いアリア。特に真ん中のC以下の低音域の発声は体や頭部のポジションが下がり易く、これを何度も修正された。
それと、中高音域もミルヒー先生曰く「ちょっと声の響きが纏まっていない」という事で、ミルヒー先生曰くの所謂スピントな発声に何度も修正される。もっと下顎を下げて前胸部を広げて上げて、体幹を伸ばして、息の流れを下から後ろへ。それを何度も繰り返しレッスンした。
この曲のアジリダの部分は修正無しでクリア。やはり極端な音符の跳躍が難関。
それでもこのアリアは大分以前のレッスンよりもかなり良くなっているとの事。少しホッとした。

2曲目のヴィオレッタのアリア。
全体を通して、大分コロラトゥーラやレジェロの声真似では無く、私自身の深くて強い発声で歌う事に慣れて来たと言って貰えた。アジリダはまだまだ慣れていないけれど、3点C以上の超高音域もきちんと発声出来ているし、これもかなり良くなって来た、悪く無いとの事。但し、やはりもっともっと深くて重い声が出せるはず、とミルヒー先生はレッスンの力を緩める事は無い(笑)フィオルデリージのアリアと同じ指摘、下顎をもっともっと下げて、前胸部を上げて体幹を伸ばしてブレスを思いっきり地面の下から取って後ろから頭の上に響かせて深くて強い声を要求される。
そしてやはり、低音の処理を何度も修正された。どうしても5線の下の音域は体全体のポジションが下がってしまう傾向にある。今後の大きな課題の一つである。
それでも、クレオパトラのアリアを何度か歌ってから、ヴィオレッタを軽やかな俗に言う綺麗な声で歌おうとは思わなくなったので、アリア全体の流れと発声の作りとしてはこの曲も私自身の歌唱になって来た。


1時間みっちりこの2曲をレッスンして結構ヘトヘトだったが、ミルヒー先生からレッスン後に、フィオルデリージのアリアは今後小さな演奏会でいいから一度本番に上げてみるように勧めて頂けた!!!!!これはとっても嬉しかった♪

そして、来年の末辺りにはイタリア歌曲とイタリア・オペラでリサイタルを行いたい事をお話ししたら、ミルヒー先生からも是非頑張ってやってみましょう!という話になった。
問題は、選曲。
私は、今までミルヒー先生にレッスンを受けて来たベッリーニ歌曲を数曲と、今までに歌っていないヴェルディのオペラアリア、特に「Il Trovatore」のレオノーラのアリアや、「Don Carlo」のエリザベッタのアリアなど。そしてプッチーニのオペラアリアも新しく勉強して歌いたい事、以前からミルヒー先生から勉強の御許可は頂いていたのだけれど、「トゥーランドット」のリューでは無くトゥーランドット姫のアリア「In questa Reggia」を先に勉強しておきたい事、そして「蝶々夫人」の蝶々さん登場のアリアなどを考えている事をお話しした。
ミルヒー先生からは、
「あなたは、椿姫よりはトロヴァトーレだわね」
との事で、その方向性でヴェルディは進めて行く事になった。その他にも歌曲はベッリーニもいいけど、ヴェルディの歌曲の勉強を新しく勧めて頂いた。今後はヴェルディ歌曲の勉強も始める事になった。
私としてはヴェルディ「マクベス」のレディ・マクベスのアリアも念頭に置いているが、これはまだミルヒー先生にお話ししていない。まだ勉強に取り掛かった事が無いので、いずれレオノーラやエリザべッタと比較検討して頂く機会があればレッスンに持って行こうと考えている。
そしてプッチーニのオペラアリアについては、ミルヒー先生からも是非トゥーランドット姫のアリアの勉強をするように勧められた。
但し、私が、トゥーランドットのリューやボエームのミミなどはミルヒー先生のレパートリーなので、一度来年のリサイタルでヴェルディとプッチーニの勉強をして演奏会本番を行った後でゆっくり時間を少しかけてリューやミミの勉強をしたい、とお話ししたら、ミルヒー先生からトンでも無い言葉が発せられた。

「ミミは、別に今歌わなくていいんじゃない?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
これにはビックリ仰天。
しかも、リューの勉強に関してもミルヒー先生は首を縦に振らなかった。

ミルヒー先生は、御自身で「自分はリリコ・ソプラノ」と仰っている。
ミルヒー先生は、私をスピント・ソプラノと御判断されている。
そのためだろうか?????
それにしても、非常に意外だった。ミルヒー先生、一体どんだけ私をスピントに育てるおつもりなのか・・・・・。
まあ、でも私はミルヒー先生が私を育てたいと考えていらっしゃる方向性で成長したいと考えている。
もし私が声帯を壊すのだとしたら、それは私の発声方法が悪い、という事だと考えている。
現実、一昨年の演奏会で、ヴェルディ「椿姫」の「Addio, del passato」と、「オテロ」の「Ave Maria」と、「運命の力」の「Pace, pace mio Dio」を含む5曲演奏会に乗せた事があったが、声帯には何の問題も無かった。
ミルヒー先生は、レオノーラもエリザべッタも蝶々さんもトゥーランドット姫も、私に歌う事が可能だとお考えなのであれば、それは非常に光栄な事だし嬉しい以上の言葉は無い。
実際に、今日のレッスンでも何度も、
「あなたはもっともっと深くて強い大きな声が出るはず!!!」
と指摘された。流石、ミルヒー先生とお呼びしているだけの事がある。一切妥協ナシ(笑)


さあ、これからが面白くなって来た。
途中の紆余曲折や修正はあるかも知れないが、イタリア歌曲&イタリア・オペラは今後この方向性で頑張って勉強して行きたいと、意欲満々(笑)


今日のレッスンの疲れが出たのか、寝過ごして「相棒」を見逃してしまった・・・・・(爆)

ウィーンのレッスン1日目vol.2

コンチェルトハウスでのB先生のシューベルト歌曲のレッスンを終えてから、ゆっくり歩いて約20分。
N先生とM先生ご夫妻のオフィスに到着。本日2回目のレッスン。
B先生のシューベルト歌曲のレッスンでは殆ど声が出無かったので、これからN先生とM先生に何の曲をレッスンして頂くのか、歩きながら非常に迷っていた。
まず、12月リサイタル予定のシューマン歌曲9曲のうち、少しでも多くの曲のレッスンを受けたかった。
でも、今年から、しかも約1ヶ月半前から始めたブラームス歌曲もレッスンを受ける必要がある。
しかし、去年N先生から、
「あなたは、パミーナの声だ」
と指摘された事から、本当に私がモーツァルト歌劇「魔笛」のパミーナをレパートリーとして歌って行けるのかどうかは、今回のウィーンのレッスンで必ず確認してから帰国しなければならない。
でも、今日の発声と声帯の調子から言って、パミーナのアリアはちょっと音域的に高いかも知れないetc。

途中、M先生がN先生とピアニストEさんと私の分も含めて、ケーキを買って下さった。私はショコラムースを御馳走になった。やはりウィーンのケーキは、とっても美味しい。

ケーキを頂いてからすぐに、発声練習が始まった。
発声練習も去年とほぼ同じ指摘。構え過ぎ。もっともっと全身の力、特に前胸部〜頚部の力を抜くように何度も指摘される。N先生とM先生からは、
「声を出そうとしないで。声はちゃんとあなたにあるんだから、黙っていても声は出る。もっと預けなさい」
ただ、去年よりも幾分力を抜けるようになるのに時間は掛からなかった。大分前胸部〜頚部の力が抜け始めて息が流れ始めると、今度はまた別の指摘がN先生から飛び出す。
「高音域でもっと下の支え(下肢〜下腹部)をしっかりと行うように。声をもう少しまとまった響きにして、自分の立ち位置よりももっともっと向こう側の遠くに自分の声を届けるように。例え発声でも、もっと喜びを以って声を出すように。」
先ほどのB先生のレッスンよりも、かなり声の伸びが良くなった事を実感した。調子が良くなったワケでは無いが、日本での練習でちょっと疲労気味、くらいのコンディションにはなって来た。
N先生からも、時々日本語で、
「そうです。それでいいです」
など、随分修正して頂けた(笑)
それでも、声帯の調子が今一つの時はどうしても高音域の発声を怖がってしまう。すると折角体から抜けた力がまた戻ってしまう。
N先生とM先生が交互に指摘される。
「口を開け過ぎないように。低音域〜高音域の発声で、低音域から口や体を開きすぎると、結局高音域で口や体が開き過ぎになってしまうので、良くバランスを考えて口や体を開くように。声をコントロールしようとしない、自分で自分の声の心配をしなくていい。ただ自然に声が出るに任せれば良い。声の心配をするのは歌っているあなたではなく、聞いている私達の方の役目だから」
ここ位まで発声練習を行って、大分声が響くようになった。先ほどのB先生のレッスンでの不調が本当に不思議になる位声が響き始めた。ただ、まだ少し高音域には怖気づいていたのだが。

今日のレッスンは何を歌うのか、という話になった。
シューマンのリサイタル用歌曲9曲、ブラームス歌曲6曲、モーツァルトのオペラアリア「魔笛」のパミーナと「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラを用意して来た事を説明した。中でも、パミーナのアリアは去年のN先生のレッスンでパミーナの勉強をするように御指摘頂いた事をお話しした。するとM先生が、
「シューマンやブラームスのレッスンを始めてしまうとパミーナのアリアをレッスンする時間が無くなってしまうかも知れないから、今日はパミーナのアリアをやりましょう」
という話になった。伴奏は、ピアニストEさんが行ってくれる事になった。
とても緊張していたし、今日は声帯の調子も良く無かったので、幾つかピアニストのEさんにお願いをした。まず、Andanteと楽譜にあるけれどもAdagioくらいのテンポで歌う事、なるべく声量を抑えてピアニッシモで歌いたい事、僭越ながらお願いした。するとM先生が、
「大丈夫よ。このコはそんなに注文しなくてもちゃんと合わせられる、ちゃんと弾けるから」
そりゃ、そうだよな。ウィーンで勉強してるんだし。私がゴチャゴチャ言う事の方が、おこがましいか。
一通りパミーナのアリアを歌った。するとN先生から、矢継ぎ早に指摘が飛ぶ。

「幾らピアニッシモで歌いたいと言っても、最初の歌い出しの声や言葉がきちんと聴こえなければダメ。ウィーンでパミーナのアリアをメトロノームのAndanteで歌う歌手はいない。今の歌唱だって決してゆっくりには聴こえない。逆にもっともっとゆっくり歌う歌手もいる。もっと声のボリューム出して歌う事。♯の音にかなりの注意を払って歌う事。ドイツ語で(ア)になる発音をもっとはっきりと聞こえるように歌う事。アジリダの部分は、時計の振子が揺れるように一つの音を支えて歌う事。きちんとブレスを取り途中カンマの無い箇所でも充分なブレスを取り、その代わりアジリダのブレス後の歌い出しは落ち着いて丁寧に慎重に緊張感が伝わるように歌い出す事」
兎に角ウィーンの先生方は、実にいっぺんに多くの事を指摘される(超苦笑)
何度かアジリダの部分を繰り返し歌い直し(高音域なのに!!!)するが、
「アジリダは一音を通して繋げて歌うように、音階が声で音程を取っているように聞こえないようにレガートに歌われなければならない。」
と、兎に角M先生はさっきのB先生のシューベルト歌曲のレッスンの私の不調を忘れてしまわれたのか???と思う程繰り返された。
ようやく先に進んで、アリアの最後の部分。M先生から、
「Todeというドイツ語は、俗に言う綺麗な声ではダメ!!!もっともっと暗く悲しい深い声が必要。16分音符はもっと前に進み、8分音符はゆったりと死の悲しみを歌うように。パミーナは、タミーノもパパゲーノも一言も話してくれない事に絶望して自分には死しかない!!!と死の決意を歌っているのよ!!!パミーナはねえぇ、そんなに弱い女性じゃないのよ!!!ザラストロに剣も持って立ち向かって言ったり、母親の夜の女王と対峙したり、本当はとても芯の強い女性なのよ!!!!!」
と、激を飛ばされた。
そこで私がやった事は、去年と今年の演奏会で歌ったヘンデルの歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア「Se, pieta」で歌ったのと同じ様な音色。これで、N先生とM先生からパミーナのアリアのOKが出た!!!そして、伴奏をして下さったピアニストEさんから、ドイツ語で、

「美しい」

と、私のパミーナを評価して頂く事が出来た。
非常に目一杯の体力を使ったけれど、何とか1時間かけてパミーナのアリアのレッスンを終えた。

N先生からは、
「パミーナはあなたのレパートリーとして何の問題も無い。是非勉強するべきだ」
と御指摘を受けた。M先生とピアニストのEさんも、賛同下さった。
私が、日本のパミーナと言えば、エディト・マティスやバーバラ・ボニーやルチア・ポップが相場で私はほぼ誰にも日本ではパミーナの声では無いと否定された事を改めて説明した。人によっては、バーバラ・ボニーがパミーナのグローバル・スタンダードとまで言われて本当に悔しい腹の立つ思いをした事を話したら、M先生が、

「マティスのパミーナをシュタット・オパーで観たけれど、マティスのパミーナは本当に素晴らしかった。でも、ボニーはパミーナじゃなくて、パパゲーナの声だろう!!!」

と、いとも簡単にはっきり仰った。これには私も非常に驚いた。ここまではっきり言われると何だか悔しい思いをしていた自分が妙にバカらしくなった(笑)
今回のパミーナのアリアのレッスンを受けた事に於いての一番の教訓は、私は歌を綺麗に聞こえる風に歌うのではダメなのだという事。綺麗に歌うのでは無く、美しい音楽を作り上げて行くという発想の転換を自らが主体的に行っていかなければ、去年のパミーナの件のように今後も振り回され混乱する事がまた起きるであろう、という事。
今後は、歌曲にしろアリアにしろ、レジェロやスーブレッドの歌手の録音は極力慎重に、選択肢から外す方向で行きたいと身に染みて実感した。


今後のN先生とM先生のレッスンスケジュールの話をした。
まず、M先生は今後は私が日本に帰国する前日にしかレッスンに来られないとの事だったが、何かあればいつでも電話で連絡して構わないという事。
N先生のレッスンは、今日から日曜日も含めて私が日本に帰国する日の午前中までの計7回!!!!!のレッスンとなった。明日からは、12月にリサイタル予定のシューマン歌曲9曲と、私が緊急に勉強して来たブラームス歌曲6曲、全てレッスンを行う事となった。
これは、ピアニストのEさんが、私が日本にいる時から、ウィーンでのレッスンに持ってくる予定の曲目リストを教えて欲しいとメールを下さった時に私が送った、シューマンとブラームスの歌曲のリストをパソコンでプリントして来て下さった。それを、N先生が御覧になって、

「全部レッスンしましょう」

と仰った。さあ、トンでも無い事になりそうだ・・・・・・・・・・(滝汗)
明日は、まずシューマン歌曲から。


ここで、ピアニストのEさんの事を少し御紹介しておこうと思う。
25歳で、日本の公立高校の音楽科を経てウィーンに留学して7年。小柄な日本人女性。若く見える(笑)
勿論ウィーンの音楽院で勉強して主席で卒業、現在は大学院に在籍。
ソリストとしての勉強もされているのだけれど、伴奏ピアニストも志望されていて今回の私のウィーンでのレッスンの話をM先生より聞いて、伴奏を希望されたとの事。
私の声の事も、
「でも、N先生の所で発声をしてから随分声が良くなった。音楽の作り方が、いい」
と話して下さった。これは、意外(爆)

今日も、ヘトヘト。外に行って食事したり酒を飲みに行く元気はカケラも無かった。
結局、アパートの帰りにスーパーで買い物して自炊する事にした。
今年のアパートはカールスプリッツから歩いて20分くらいはかかるし、去年よりもレッスン内容が格段にハードなのでなるべく休養を心掛ける事にした。
オペラやコンサート、今年は観に行けるだろうか・・・・・・・・・・(凹)

但し、去年ドレスを購入したブティックで、今年はゴールドのドレスをオーダーメイドでお願いした。
それでも500ユーロで作って下さるとの事で、喜んでお願いした。
日本でオーダーメイドしたら、倍額は取られるだろう♪
出来あがるのが、超楽しみ〜(笑)

ポンちゃんのお言葉

ヤンクミ一座演奏会のため前日19日に1時間程軽く発声練習を終わらせて午後千葉入りした時は、梅雨は一体何処に消えたんだあぁ???と思う程の晴天で、千葉駅前には、管総理大臣と福島大臣が駅前演説を行っていた。当然、厳戒態勢。

ホテルにチェックインだけして、早々にヤンクミ宅に最後のピアノ合わせに向かった。体調のため、非常に声帯が充血していて炎症を起こしやすい状態で、そうそう目一杯の声は出せなかったので、ヤンクミとのピアノ合わせは本当に気になる箇所をピンポイントで合わせるだけに留めた。風邪では無い。それは去年の教訓と毎日の「せんねん灸タイム」で風邪対策は万全だった。が、体調とは自己管理だけではど〜にもならんモノもある。
ヤンクミ宅に到着して自分のコンディション状況を説明したらすぐに納得了解して頂けた♪とゆ〜事で、前回の演奏会会場での通し練習の時に気になった箇所と、今回初めて歌う1曲目「Non, disperar」だけを通して練習を行った。
「Non, disperar」は、ダ・カーポ部分で途中楽譜の正規の音よりも1オクターブ上げて歌う音を、楽譜通りにトリルだけ付けて歌う可能性を説明して、実際にその練習を行った。特に問題も無く、また自分の今のコンディションではテンポ的には多少ゆっくりめの方がしっかりブレスを取り易いので、コンディションの悪さから余り焦らないように気持ちを切り替えて、それをヤンクミにもお伝えした。今迄の練習よりもブレスを小まめに行う事により、きちんと声帯〜頭部を体全体で支えた低く深いポジションでの発声を心掛けた。これが、今の私としては大曲を歌っても極力声帯の負荷を減ずる方法であるからである。
フィギアスケートの高橋大輔選手と同じ。ミスした場合を十二分に想定した練習を繰り返し行う事。どのようなミスが考えられるのか、ブレスが切れやすい部分はどのフレーズか、もしブレスが持たなかったとしたらどのように立て直すのか。それらを入念に検討して事故の被害を最小限度に抑えるためには、ヤンクミの協力が勿論必要だが、何よりも自分自身がリスクを想定した練習を継続的に集中的に行わなければならない。当然ヤンクミにはブレスの箇所が増えるであろう事、そして頻回なブレスに構わずヤンクミ自身のペースでの切れない伴奏を行って頂く事で合意した。

ヤンクミとの最終ピアノ合わせが終了した後、幾つかの用事を済ませて千葉そごうでお粥を夕食にしたのは夜6時過ぎていた。その後ホテルへ戻り演奏会本番のための全身ケア。まずは「せんねん灸タイム」から。全身せんねん灸尽くし。全身のお灸が終了するまでに30分以上かかった。その後入浴。疲労を除いて出来る限り全身の代謝能力を上げなければならなかった。入浴に30分以上。その後、そこらの入院患者の4〜5倍はある内服薬を腹一杯に飲んで、演奏会当日朝の発声練習を行うスタジオに電話を掛けたのが夜10時。大変な事に、毎年使用しているスタジオに空きが無い!!!!!困って携帯で千葉市内のスタジオを検索、何とか午前中に予約を取る事が出来た。考え付く限りの準備を済ませてようやく寝ようと思ったら、夜11時を過ぎていた。


演奏会当日、朝5時。
呼吸困難とともに覚醒。外は薄明るかったが、今にも雨が降りそうな雲行き。
喘息発作とともに迎えた、演奏会当日。前日夜、こんな事もあろうかと思い普段の倍量のステロイドホルモン剤を内服して眠ったにも関わらず、この始末。だが凹んでいるヒマも諦めるような鷹揚さも私は持ち合わせてはいなかった。すぐに朝の内服薬を飲んで早速追加の「せんねん灸タイム」を施行。喘息の吸入薬をいつもの3倍はたいて、副作用が落ち着いた頃に再びうたた寝した。このためか、スタジオでの発声練習は時間的にギリになってしまった。例年なら演奏会本番会場入りしてから飲むユンケルやリポDを朝から飲みまくり。
例え、喘息の重積発作を起こして呼吸が止まったって、歌う前に敵前逃亡するぐらいなら、堂々と呼吸停止してやる!!!との心意気で、演奏会本番会場入り。早速ヤンクミに喘息発作の状態を報告した。最終通し練習の30分間のうち、私が練習可能な体力は半分の15分だけだった。
喘息発作の特徴は、上手く息を吐く事が出来ない。まるで強力なサポートストッキングで絞めつけられるような胸部不快症状が強い。上手く息を吐けないという事は即ち、上手く息を吸えないという事に繋がる。無論、4小節ものロングブレスはほぼ不可能。
恐らくは、1日分のステロイドホルモン剤を1度に内服して、4〜5日分の吸入薬の規定量を僅か3時間で吸入して、演奏会本番直前まで4〜5リットルの水分を摂取した。心拍数は100以上が5時間は続いた。
これは流石に、結構キっつかった。
会場入りしてからもずっと、どんなに呼吸が苦しくても黙って休んでいる訳にはいかない。そんな事をしていたら体が固まってしまう。楽屋入りしてからはずっと柔軟体操、ストレッチを続けた。この体力と精神力に関して言えば、看護師という職業柄、本当に自分は鍛えられていたと考えている。
期待に違わず色々と困難試練のオンパレード♪

午後2時、演奏会開始。
まずは2台8手のピアノ演奏から始まった。開場してから比較的余裕を持ってメイクを行った。
何しろ、クレオパトラなのでメイクが濃い(笑)アクセサリーも派手(爆)
しかも1曲目の「Non, disperar」では、ドレスを太腿ギリまで捲り上げて網タイツとハイヒールを見せながら踊りながら歌う、という私自身としては前代未聞の歌唱(超苦笑)
この喘息発作で息もロクに吸えない吐けない時だったが、出来る限り大きな変更はしたくなかった。

何故なら、今迄、去年のヘンデルのリサイタルも含めて、出来る事は総てやって来た。
私が出来る限りの最大限の練習はもう充分にやっている。
後は、自分自身のやる気と意思と貫き通す強さだけが自分自身を支え、私だけの「クレオパトラ」の演奏が出来るし、それしか私には残された方法は無かった。だから、迷う事は一つも無かった。
途中でブレスが切れようが、途中で呼吸停止しようが、私は私の「クレオパトラ」を5曲歌いきる。
そう考えていたら、ヤンクミからいつもの言葉が出て来た。

「さあ、楽しい音楽の時間にしましょう」

その言葉に押されて、総てを押し切って押しのけて、舞台に立つ事が出来た。
練習とは何も変えない、変えたくない。
自分にはきっと出来るはず。
そう信じて、ヤンクミに目で合図を送った。


歌い出し、全くブレスが足りない、持たない。但し、約1時間近く断続的に行っていたストレッチのお陰か、いつもの演奏会1曲目よりも体のポジションの重心を比較的下に取る事は出来ていた。最も顕著に表れていたのが、中高音域の音程。過去の演奏会では、緊張の余りにブレスが浅くなりブレス不足に陥る事が大半を占めていたのだが、今回は喘息発作による換気障害のためのブレス不足という事態を十分に予測し対処したのだろうと考えている。もう一つの要因は、2度のリサイタルの経験から長丁場に慣れた事、力配分のバランスが成長したというふうに考えている。
どんなに呼吸が苦しくて、いや、実際には大量の吸入薬で随分と呼吸困難は改善されてはいたのだけれど、やはり喘息発作を起こしていない時に比べて遥かに呼吸機能が低下している事には変わり無かったので、外した部分は幾つかはあったのだが、去年のヘンデルのリサイタルでも歌った2曲目以降「Tu la mia stella sei」から「Venere, bella」までは比較的、去年のリサイタル時よりも表現する意志を感じ取って貰う事の出来る歌唱が出来たと考えている。
アジリダを極力押さないで発声出来た事が、そして、緩急を付ける事が表現としてのテクニックに繋がると同時に、目いっぱいの力技で押して出す発声よりも遥かに体力的消耗を抑える事が出来るという事を実際に体感出来たという事が、一番の成果であったと考えている。
まず、声帯が炎症を起こしやすい体調であり、喘息発作による呼吸機能低下状態である事から、なるべくコンパクトにエコで、しかしミルヒー先生が「あなたの声」と指摘した、太くて深い発声を決して犠牲にせず疎かにせず、体の支えの不足による息漏れから来るブレス不足を、上手くフレーズ毎にコントロールするという一つの最悪のギリギリの選択肢として実際に演奏に活かす事が出来たという事は、一つの大きな成果だったと確信している。こうして実感した経験として、アジリダが多くてもそれが決して声帯疲労に即繋がるとは必ずしも言い切れないという新たな認識を持つに至った。
そして、余分な力の抜けたアジリダは、ちゃんと表現に繋げる事が出来る、という事も。

全身汗だくで4曲のクレオパトラのアリアを歌った。
もう、メイクは総て流れ落ちているのではないのかと思う程の、汗。
そして、ピアノに合わせた空調のため、1曲歌う毎に乾燥する喉。本来の打ち合わせでは、2曲に1度は水で喉の乾燥を緩和させる予定が、1曲毎に水を口に含んでいた。
でも、一番最後に残された、クレオパトラの一番ドラマティックなアリア「Se, pieta」
今回は、レチタティーヴォから歌う。この「Se, pieta」のレチタティーヴォの後半のピアニッシモで歌う部分の出だしのピアノ伴奏は、私がヤンクミに、

「もっと自由に音を増やして欲しい」

と、特注を出した部分でもある。しかも、非常に音程が取り辛い部分である。ゲネプロでも何度も何度もヤンクミと確認作業を行った。去年のヘンデルのリサイタルで歌ったアリアの練習の3〜4倍は自己練習を行った部分である。ヤンクミも、非常に工夫を凝らして技巧的にドラマティックに、しかし決して私が歌い辛く無いように配慮してくれていた。
それでも全身汗だらけで、喘息発作で、既にこの「Se, pieta」を歌う体力を何処から捻り出せば良いのだろうか、と正直苦笑せざるを得ないコンディションではあった。
でも、この「Se, pieta」は、私が尊敬して止まないレオンティン・プライスを手本として勉強し、その他のどの歌手の演奏も一切参考にはしなかった、今の私が歌う事の出来るドラマティックなアリアの限界である。この曲を歌わずして、クレオパトラを歌ったとは言えない曲である。
去年、風邪で喉を痛めながらも喉が千切れてもいいから最後まで歌わせて欲しいと舞台上で祈った、シューベルト「こびと」と同じように、舞台上で祈った。ヤンクミは、私に十分な祈りの時間を与えてくれた。

結果、神様はギリギリ耐え得る声帯を私に用意して下さった。
静かに左手を高く振りかざして、観客の顔は全く見る事無く天だけを見据えて歌う事が出来た。
流石に喘息発作を起こしての5曲目、しかも自分自身の限界のドラマティックなアリア。音程が崩壊しそうになるのを、一つ一つ丁寧にギリの段階で持ち堪え、一歩づつ一歩づつ、私自身のクレオパトラを歌った。
ヤンクミの伴奏は、凄かった。完全と言える程に私のブレスを読んでくれていた。
恐らく、ヤンクミ程私のブレスを的確に読んでくれるピアニストは、稀であると思う。


私のクレオパトラを一時休止とする事が出来る。ヤンクミのピアノ無しには出来ない演奏だったと、深く深く心から感謝している。
全身汗だくで、メイクもほぼ落ちてしまっていて、絶世の美女クレオパトラも何処へやら(笑)
歌い終わってホッとして、腹が減って疲労困憊で、喘息発作も丁度良く(???)落ち着きを見せた。
演奏会は2台8手のエルガー「威風堂々」で幕を下ろした。
ヤンクミ一座、15周年記念コンサート、度重なる会員の不測の事態により、元の会員数の半分近くまで減少し、来年は活動を一時休止する。それでも、初期メンバーから私のような途中参加メンバーまで、皆で15周年記念という意気込みが確かに存在した。モーツァルトが得意だった病院長の奥様がラフマニノフに挑戦し去年の雪辱を果たし、フランス・エスプリのショパン@仲間由紀江であるヤンクミがガーシュインをパンツルックで演奏し、音大には行っていないにも拘わらずモーツァルト「2台のためのピアノのためのソナタ」の1stピアノを弾いたピアニストは、今私の新しい挑戦のための大きな勇気を提供してくれた。今年、多々の事情により参加出来ない方々も聴きに来てくださって、本当に小さいけれど充実した、次のステップに繋がるヤンクミ一座の演奏会になったと思う。
皆会員は、家庭の主婦で、夫の面倒と子供の世話と仕事と、舅の介護をしながらの勉強、練習、参加である。途中メンバーが入れ替わる事があったとしても、15年間継続するという事は並み大抵の事では無いと考えている。私が参加したのは15年の内の僅か半分に過ぎないが、それでもこのヤンクミ一座が私自身の成長の大いなる手助けをしてくださった事には何等変わりが無い。
改めて心から感謝の意を申し上げたい。


演奏会が終了してからドレスを着替える間も無く記念撮影、会場の片づけに入った。
私がパイプ椅子を畳んで片づけていると、数名のオバサマ方々から声を掛けられた。
「毎年、素敵な歌声を有難う」
「今年は参加されないのかと思っていましたんですけれど、パンフレットの最後にお名前があったので嬉しかったです」
「有難うございます。これからもまた歌を聴かせてください」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
まさか、まさか私のファンがいたとは、思ってもみなかった(爆)
本当に驚いた。4年前私がヤンクミ一座に復帰した時から、聴いて下さっているようだった。
皆様、上品な御婦人方だった・・・・・(滝汗)
ヤンクミに後日、お目障りな私の太腿を見せてしまい大変恐縮です、とお伝え下さるようお願いした(爆死)


演奏会が終了して東京に直帰の私を、ヤンクミと、ヤンクミの旦那様通称「ポンちゃん」がわざわざ千葉駅まで車で送ってくださった。私は9月末からウィーンでのレッスンが決定しているので、後日行われる打ち上げ会には出席出来ない。なので、ポンちゃんのお勧めで、私がウィーンのレッスンから帰国したら、ヤンクミ、ポンちゃん、私の3人で改めて飲み会を開きましょうという話しになった。もうすぐ千葉駅に到着、というトコロで車を運転中のポンちゃんに私はいっこ質問をした。

(私)「ポンちゃん、いっこ聴きたいんですけど、私、クレオパトラに見えましたか?」

と尋ねると、ポンちゃんはこっくりと頷いて、

(ポンちゃん)「完璧です」

と、答えられた。
男性から「完璧なクレオパトラ」と言われて、嬉しく無い女性はいないのでは???と思うのは、私一人だけだろうか。無論、お世辞も入ってのプラスアルファは当然であろうが、少なくとも容姿では無く、音楽や歌声であってこその「私のクレオパトラ」なのである。
ポンちゃんの一言だけで、このヤンクミ一座の演奏会は十分だったと、今だからこそ思う事が出来る。
ちなみに、演奏会には約30〜40名の方が聴きに来てくださっていたのだが、今回最も最も重要である演奏会のアンケートを書き置きして下さった方は、たったの3名しかいなかった!!!!!
ヤンクミに後日、出来る限りのアンケート回収をお願い申し上げた(気絶)



電車に乗っていた私を待ち受けていたのは、次の新しい挑戦とウィーンでのレッスンの事だった。
既に、ヤンクミ一座演奏会の感慨に耽っている余裕は、カケラも存在しなかった。
何故なら、自宅に到着する少し手前の駅での電車待ちの時間に私は泣きながらヤンクミに電話していたからである。
一昨日夜中に帰宅してから、昨日は夜勤入り。
今日は、夜勤中朝5時に喘息発作がまたも勃発。天気は演奏会当日と同じ様な、曇り空。
そして、明日もまた夜勤。
取り敢えず今の目標は、今年9月のウィーンでのレッスンに、生きて行く事かな♪
今は、ポンちゃんオススメ「麦とホップ」堪能中。出演は田村正和と「仲間由紀江」♪

ラストスパート

ヤンクミ一座演奏会まで、大詰め。
ヤンクミも何とか解熱して体調は回復したとの事。ホッ。

1週間の禁酒期間開始当日から、いきなり喘息発作が勃発して久し振りに死にかけた。結局吸入薬の薬量を倍増されて、副腎皮質ステロイドホルモン剤の内服が開始されてしまった。
まあ、演奏会に穴を空ける訳にはいかんし、喘息発作が改善しないとどのみち歌えないので仕方が無い。
兎に角、薬漬けの毎日なのだが、今年は「せんねん灸」のお陰様で、喉の方は疲労の割には、元気♪
今日も午前中色々な雑用を済ませてから、スタジオで3時間練習。と言っても、もう本番直前なのでがっつり3時間歌うような事は無く、どっちかって〜と、ブラブラしながらチェックの必要なレチタティーヴォや、アリアの1曲目「Non, disperar」を細かく丁寧にお浚いした程度。休憩時間の方が長いくらいのペースで練習をおこなった。
基本的に、私の場合演奏会本番前は纏めて休日を取るので、演奏会本番前後の勤務は大抵が連続夜勤(死)
休日初日よりも、休日2日目の方が蓄積していた疲労が出やすく、何だか体調が悪くてスッキリしないカンジが強いのだが、これは仕方が無いしいい加減慣れて来た。

午後3時間のスタジオ練習が終わってから、予約していた美容院に行ってカット&カラー♪
今日は、指名している訳ではないんだけれど、いつも私を担当してくれる美容師さんがいなかったのだけれど、オーナーの美容師さん(おばちゃん)が担当してくれたのだが・・・・・。何と、去年12月のヘンデル・リサイタルの時のヘアスタイルよりも、今回の方が髪型もヘアカラーも、私の超イメージ通り〜〜〜(はぁと)これくらいバッチリとヘアスタイルがドンピシャだと、演奏会本番への気合いも入るというもの(爆)
明日、ヤンクミが見たら、ビックリするかな〜(笑)

全体的なクレオパトラの歌唱については、5曲中4曲が去年の12月にリサイタルで演奏しているだけあって、全体的には安定している。
一番の問題は、やはり1曲目「Non, disperar」をどこまで丁寧に表情豊かにアリアの内容を考えながら、最後のアリア「Se, pieta」と大きく顕著なコントラストを付ける事の出来る歌唱が出来るか、という事である。
それと、5曲全曲で40分弱歌うので、相当な体力が必要である。躍動感溢れるアリアであり、しかも体の柔軟性が無いと総て声帯に負荷が掛かってしまい、喉を壊してしまうので、全身汗だくで歌う程に全身の筋肉から骨格から全て総動員で歌う事になる。
体力勝負。まるで、我慢大会の様相を呈している。
嗚呼、年とったなあぁ・・・・・と身に染みる(凹)

取り敢えず、荷物の準備は総て出来あがったので、明日は朝イチ病院を受診してからスタジオで発声練習を行って、千葉へ向かう。
毎年の事だけれども、自分が今迄勉強した事を演奏会本番のステージで出せるように、準備を整えている。
楽しいクレオパトラ、妖艶なクレオパトラ、怒りのクレオパトラ、悲しみのクレオパトラ、愛のクレオパトラ。
たった5曲のアリアではあるけれども、自分がこれら全てのクレオパトラになって、聴いている人にそう伝わったら、嬉しいなと思う。
今回は、

「右手にエジプトの旗、左手にローマの旗を掲げた、闘いの女神、女王クレオパトラ」

って雰囲気で♪



この2〜3日、ほんっと〜に心の底から実感したとゆ〜か身に染みた事がある。

「余りにも狭すぎる我執の世界の硬化した偏執的思考に凝り固まったイイ年の大人が、上から目線で偉そうに大威張りで、常識のカケラも無い暴言をアカの他人に押しつける、そんな激馬鹿、大大大っ嫌い」

ホント、ウンザリ。社会の迷惑。存在価値無し。一言で言うと、

「ウザい」

ですわ。マジで。
このブログ読んで、気付いてくんないもんかな。
そんで、二度と私と関わり合いにならないで欲しい。
どっか消えてくれえぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(エコー)


さて、明日は頑張ろう!!!
早く、冷たいビールが呑みたいっっっ!!!!!




落ち着いてクレオパトラの練習

ゴールデンウィーク中、6日連続夜勤(3連当直)だったので、今日までの3連休がワタシのゴールデンウィークなのである。


今日は、午後3時までゆっくり寝て、午後5時からスタジオ練習。
昨日、谷岡先生とのレッスンで、新しく始める事に関して大方の荒筋が出来たので、今日の練習はゆっくりクレオパトラ。今回初めて歌う1曲目「Non, disperar」の練習を丁寧に入念に行った。
ヤンクミのピアノ伴奏のテンポを合わせるために、メトロノームでテンポ♪84〜88まで少しづつ微調整を行いながらアリアを歌い続けた。
このアリア「Non, disperar」は、歌いながら非常に体が動く、というか動かさざるを得ない。しかも軽やかに歌われなければならず、但しミルヒー先生のオーダー通りに声や体の支えを抜いて歌う事は絶対に出来ないので、早めのテンポで音楽自体を前に進めると同時に可能な限り軽めの発声を行って行く事が最重要課題である。
結局、メトロノーム♪86でテンポ設定する事に決めた。
ダンスに近い状態でかなり体を動かすので、場合によっては扇子を使用する事も念頭に置いている。その方が動きに気を取られずに体の動きと発声のバランスを取りやすいかも知れない、と考えた。これは、真央ちゃんのエキシビションのスケーティングを観てアイディアを頂いた(笑)
クレオパトラがトロメーオをからかっている情景をうたでも演技でも、きちんと表現出来なければならない。
但し、ダンスに近い体の動きで軽快に歌うとなると、一番の問題はブレス箇所の変更を余儀なくされる部分が発生してしまうという問題である。
これに関しては、上手く調整を行って行く事が非常に重要である。
グラインドボーンの映像のダニエル・ド・ニース程までのダンスなど踊らないが、体全身でトロメーオをからかい嘲笑うと言う事にチャレンジしてみたい。
とゆ〜事で、本日3時間のスタジオ練習の内の半分の時間をこの「Non, disperar」の練習に費やした。
練習終了後にヤンクミに、このアリアのテンポ86のオーダーをメールで知らせて御了承頂いた。

残りの時間、まずは「Se, pieta」のレチタティーヴォの練習。声量的には大分バランスが取れて来たのだが、フォルテ〜スフォルツァンドまでの部分、余り感情的になってしまうと、中低音域の音程が崩れてしまう。
ドラマティックに歌われなければならないアリア程、中低音〜低音域に鋭く深い発声が必要不可欠であるというのが、私の持論である。
特に、ソプラノは。
という事で、中低音域は、多少、休符以上の「間」を取りながら、落ち着いて歌う事を心掛けた。感情的になり冷静さを失い力任せに歌ってしまわないように、細心の慎重さが最重要課題である。


最後、少し余った時間で、昨日谷岡先生のレッスンで、

「何か、違う」

と指摘されたシューマン「ミニヨン」の練習を行った。
やはり、最大の失敗は、クリスティーネ・シェーファーの録音を長く聴いて勉強してしまった点にあるのだと、相当に反省した。レジェロ〜スープレッドのシェーファーの歌唱は、発声的には私の参考や勉強にはならない。自分自身の発声で曲の練習を始めるという事を、谷岡先生のレッスンに持って行く前段階でもっともっと早く行わなければならなかった。
昨日谷岡先生のレッスンで歌ったシューマン「レクイエム」を想定しながら「ミニヨン」を、ゆっくりと発声、特に自分の声の太さや深さや響きのアタックをフレーズ毎に確認しながら、ゆっくり短時間だけ練習を行なった。地道に練習を続けて行けば、リサイタル本番までには何とか調整出来ると考えている。


買い物をして帰宅して、今日もヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを観ている。

最近は、グラインドボーンの映像よりも、コペンハーゲンの映像を観る事が増えた。
理由としては、インガー・ダム・イェンセンのクレオパトラの方がダニエル・ド・ニースよりも私にとっては発声的にも演技的にも、学ぶ事が近くて多い、という事がある。
それと、やはりセスト役に関しては、テューバ・セミングセンの方が圧倒的に歌唱がハイレベルであるという事。
シーザー役のアンドレアス・ショルも非常に素晴らしいカウンター・テナーである。
コルネーリア役は、やはりカーディフ優勝経験のあるパトリシア・バードンの方が非常に素晴らしいので大変捨て難いのだが、コペンハーゲンのランディ・シュテーネも多少音程ではパトリシア・バードンに及ばないが、声は素晴らしいコントラルトである。
ただ、コペンハーゲンとグラインドボーンの映像の大きな相違点としては、シーザーとセストの関係性が挙げられる。
グラインドボーンでは飽くまでシーザーとセストはローマでの政敵としての関係性を随所に表わしているのだが、コペンハーゲンではシーザーはポンペイウスの首が運ばれて来た時点で、シーザーがポンペイウスの代わりにセストの父親的な要素が多少見えて来る演出となっている。

政治的因果関係と謀略と陰謀の国際ドラマ支持派のワタシとしては、コペンハーゲンの映像はちょっと良心的過ぎるような気もしなくは無い(爆)
しかし、コペンハーゲンの歌手も皆素晴らしいので、暫くの間ヤンクミ一座の演奏会本番までは、コペンハーゲンの映像を中心に鑑賞して行こうと考えている。
コペンハーゲンの、アキッラ、ニレーノも素晴らしい歌手揃いである。
グラインドボーン程のコミカルな要素には多少欠けているとも言えるが、私自身、「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ役を全幕通して歌う訳では無いので、臨機応変に映像や録音を選択して行く事が最も望ましい勉強方法であろう事はまず間違いが無いだろう。



明日からまた悪夢の6日連続夜勤。
そして、その合間を縫って、動き始めた「新しく始めた事」のための、残りの30曲分の楽譜をコピーして谷岡先生とウィーンの先生方々に造らなくてはいけない。
まだ、シューマンの本も放りっ放しである。
リサイタル用の原稿、シューマン歌曲の歌詞対訳や楽曲解説も、まだ手付かずである。
嗚呼、やる事が山ほどある・・・・・・・・・・・・・・・・・(滝涙)

ヤンクミ一座、始動。

一昨日、約1年振りにヤンクミとのピアノ合わせに行って来た。
何しろ、片道約3時間弱時間がかかるので、非常に疲れた。ピアノ合わせの時間の3倍以上の時間、電車やらバスやらに揺られている。流石に電車の中で、寝た。


ヤンクミ宅に到着したら、大正浪漫風の和装姿で出迎えられた。和装のヘンデル、結構イケてるかも(笑)
ヤンクミ宅に到着して一息付いて、早速ピアノ合わせを行った。
まずは、楽譜の確認から。
今回、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」クレオパトラのアリア5曲に関しては、楽譜だけヤンクミに送って、録音は敢えて送らなかった。いつもなら音源も一緒に送るのだが、今回特に私が歌うクレオパトラに関しては、多くの録音の歌手の歌唱とは非常に大きく異なるクレオパトラだからである。
私の歌唱法や発声が特殊だという意味では無く、寧ろ、ミルヒー先生のオーダー通りの発声と私の解釈・分析したクレオパトラが、他のクレオパトラを歌っている歌手達とは、大きく異なる、という事である。
なので、今回特にミルヒー先生からは、

「ピアニストには予め、普通のクレオパトラの歌い方とは全く違う歌い方をするという事を、ちゃんと前もって言っておいた方が良いと思うから」

と指摘されていた。
まあ、ヤンクミの場合はその点に関しては余り大きく心配はしていなかったのだけれど。
楽譜の確認、テンポ、ブレスの箇所、ダ・カーポの装飾音、実際のべーレンライターの楽譜には指示記号が無くても私の歌い方について若干の補足を説明した。特に、レチタティーヴォに関しては、センテンス毎に内容が変わる度に、実際の休符よりも若干の「間」を取る。それが非常にオペラとしての「演技」を演奏者に意識付ける、または聴き手に感じ取って貰う効果的な方法だと、私自身考えたからである。


今回は初回のピアノ合わせという事もあり、まずは全体的な擦り合わせを行う所から始めた。
ヤンクミの伴奏と私の歌唱の最も大きな相違点は、ヘンデルのオーケストレーションのテンポであった。曲によって異なったが、ヤンクミの伴奏のテンポと私の歌唱のテンポが、曲によってほぼ真逆だった(苦笑)

「Non, disperar」「Tu la mia stella, sei」は全体的にヤンクミの伴奏のテンポが緩やかに捉えられており、「V'adoro pupille」「Venere bella」はヤンクミの伴奏のテンポが早めに捉えられていた。
これに関しては、私からヤンクミに、アリアの内容や場面の光景要素について若干の補足を行った。
「Non, disperar」は、トロメーオを嘲笑いからかいながら歌われるアリアである事、「Tu la mia stella, sei」は、クレオパトラがセストに対して、自分の代わりにトロメーオを殺しちゃってくれたら儲けもの、というような内容のアリアである事、これらの事から、軽めのダンスを踊りながら歌えるテンポやリズムで演奏したいという希望をヤンクミに伝えた。
「V'adoro pupille」は、クレオパトラがシーザーを誘惑してモノにしようという場面で、カーペットに包まれて魅惑的な香りとともにシーザーの前に登場するので、極めて落ち着いたテンポで、飽くまでも全体的な音楽としてメゾピアノ〜ピアニッシモの音量で演奏したい事、「Venere bella」は一見非常に音楽の流れが動的な音型になっているように思われるが、このアリアは実際のオペラの上演場面構成としてクレオパトラが入浴しながら肢体を磨きあげながら歌われている事が多いので、アジリダの場面も含めて音楽が停滞しない程度の落ち着いたテンポで歌いたい事を説明した。
ヤンクミ自身、音源が無い状態でアリアの楽譜だけ見て伴奏の練習をしていた時には、実際にどの程度のテンポで伴奏されるべきなのか非常に迷った、とのコメントを貰った。
勿論、私はヤンクミに、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のオペラの粗筋や楽曲解説や歌詞対訳を送ったのだが、ヤンクミ自身が今迄耳にした事のあるクレオパトラの歌唱や声質も含めて、やはり私の歌唱は結構想定外だったようである。
しかし、私自身の歌唱とは非常に掛け離れた音源をヤンクミに事前にお渡しするよりなら、実際のピアノ合わせの時間を増やしたり回数を増やしたりする方が、遥かに効果的であると私が判断した。
「Se, pieta」に関しては、特にレチタティーヴォに関して細かい打ち合わせを行った。レチタティーヴォの流れとして、前回のブログにも書いたが、センテンス毎に、メゾピアノ〜台詞の喋りの強調〜メゾフォルテ〜フォルテ〜フォルティッシモ〜スフォルツァンド〜ピアニッシモの流れで歌う事。
フォルテ以上の強さを以って歌う箇所のピアノ伴奏は、ヘンデルというよりも寧ろベートーベン程の力強さを以って伴奏して欲しいという、例外的な希望もお話しした(笑)アリアに関しては、非常に重厚に歌うし声量もセーブしない予定なので、ごく自然な流れで歌った。この「Se, pieta」に関しては、私自身とヤンクミの見解が割と自然に一致していたように考えられる。


ヤンクミから非常に面白い、というか貴重な御意見を頂く事が出来た。
ヤンクミが殊更お気に召して頂けたのが「V'adoro pupille」だった。しかも、ヤンクミ曰く、

「非常に、とっても女性らしい女らしい、妖艶なクレオパトラ。女性の武器を使ってシーザーを誘惑しようとするクレオパトラが見えてくる歌唱だと感じた。他のクレオパトラって、もっとコロコロあっさり歌ってる歌手が多いと思うけど。とてもしっとりとしたクレオパトラだと思う」

との事(核爆)
流石にここまで褒められると、相当に恥ずかしいしドン引き状態だったが(激爆)


ただ、私自身、クレオパトラを「絶世の美女」とは考えていないし、美しいクレオパトラを歌うつもりも毛頭無い。私はどちらかというと、化粧を剥いだクレオパトラは実はトンでも無い不細工だったかも知れない、とさえ考えている。
以前、某テレビでクレオパトラの特集が放映されているのを観たが、クレオパトラは幼い頃から、当時のエジプトの図書館に通い多くの書物を読み漁り、特にメイクや香水に関する研究を熱心に行っていたという史実があるのだそうだ。
シーザーやアントニウスを迎え入れる時、部屋中に薔薇の花弁を敷き詰めたという逸話もある。
これは、イチ女の意見だが、ほんっと〜に絶世の美女だったら、分厚い化粧するか?????スッピンで勝負しないか?????(爆死)クレオパトラのスッピンの素顔を見た事のある人間の記述って、存在するのだろうか?????(猛爆)
兎に角、私のクレオパトラ考察は隅に置いといたとしても、ヤンクミに、私のクレオパトラの意図を超えて歌唱でクレオパトラの美しさが伝わったのだとしたら、これはまさに「瓢箪から駒」である(苦笑)


ヤンクミから御感想を頂いた。

「去年よりも更に表現力が向上した。バロックをきちんとしっかり勉強する事によって、ここまで表現力がしっかりと身に付くのかと驚いた。でも、やっぱりバロックは音楽の基本だと思う」

との事だった。
私自身、殊更表現力に拘っているという訳でも無い。確かにクレオパトラを自分自身の表現で歌うという事は私にとって非常に重要な要素である事には変わりは無い。
しかし、一番重要な事は、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラに対する愛情、熱意、クレオパトラを始めとして、クレオパトラだけでは無くその他の全ての登場人物に関する分析、解釈。そして、今私が所有している4種類のCD全曲盤と3種類のDVD映像を暇さえあれば観たり聴いたりする事。その演奏の違いを実際に感じ取って、その中から自分の演奏や歌唱に非常に有効であると思われる要素を、セレクトして行く事。
総て「攻め」の要素がプラスに働いただけの事なのかも知れない、と考えている。


そもそもこの「エジプトのジュリアス・シーザー」という物語は、何が発端だったのか?

何故、シーザーはエジプトに来たのか?ポンペイウスを追って。
何故ポンペイウスはエジプトに来たのか?ローマで、シーザーvs元老院との戦いに敗れて、過去にプトレマイオス王(トロメーオの父王)の戴冠を行った事により、シーザーとの戦いの援軍を乞うため。
トロメーオは何故ポンペイウスを殺したのか?シーザーに着く方が政治的に有利とアキッラに唆されて。
クレオパトラは、弟であり夫である色恋にしか興味の無い幼い暴君トロメーオと仲が悪く、父親程の年上のシーザーを政治的後ろ盾にする事によりエジプトの王権獲得の希望と、幼稚な年下夫トロメーオにウンザリしていた所にシーザーの大人の男の魅力を見出す。
息子セストよりも年下の暴君トロメーオに夫ポンペイウスを殺されたコルネーリアは怒り狂い、自分よりも年下の暴君に父を殺されたセストは復讐を求めて、侍女リディアに化けたクレオパトラの策略に乗る。ローマでは政敵であるシーザーと相対し、同盟を組むはずだったエジプトのトロメーオの裏切りに合い、ポンペイウスを謀殺され孤立したコルネーリアとセストの心境とは、どのようなものであったのか???
コルネーリアの美しさにしか興味の無いアキッラは、暴君トロメーオにウンザリしながらもシーザー暗殺にも加担する。
恐らく役柄や従者としての位置関係や服装から、エジプトの神官レベルの従者であると私が推測するニレーノは、クレオパトラがシーザーの援助とローマの後ろ盾を得る事により、プトレマイオス朝の存続実現のために陰ながら暗躍している黒子。
執拗なトロメーオとアキッラの追求に合い、亡き夫ポンペイウスよりも身分が低いと考えているエジプト人男に翻弄され続けるコルネーリアは、徐々に正気を失っていく。
シーザーの政治的後ろ盾と愛情を得たクレオパトラと、クレオパトラからもコルネーリアからも愛情を得られないトロメーオの、血縁者一族同士の、エジプト王権を奪い合う愛憎と骨肉の争い。
一度はエジプト軍に敗走を喫したシーザーの、奇跡的生還。
コルネーリアをトロメーオに横取りされそうになり、怒りトロメーオを裏切ってクレオパトラに付いたアキッラの戦死。
父親ポンペイウスの復讐を果たしたセスト。
トロメーオの死によって、エジプトの王権を手にしたクレオパトラ。
シーザーの政治的後ろ盾と愛情を得るために、エジプトをローマの属州に乏しめたクレオパトラ。
エジプトをローマの属州とし、クレオパトラという愛人を得た、シーザー。


私が歌いたいのは、シーザーとクレオパトラのプライベートなラブストーリーでは無い。
政治的背景と同族の因縁と謀略と欲望に渦巻く、総大な歴史スペクタクルの中の一人の人間としてのクレオパトラを、歌いたい。特に、クレオパトラとトロメーオの、掴みあい髪の毛をむしり合い地べたを這いずり回る程の同族の骨肉の狂気の愛憎劇なんて、これ程までに素晴らしいシチュエーションは無いとすら感じる位に興味をそそられる。歌うのが楽しくって仕方が無い(笑)


シーザーがブルータスを始めとする部下に暗殺されてもクレオパトラは生き、アントニウスの愛人となり、ローマのアウグスティヌス帝の怒りを買い、闘いの最中、毒蛇に自らの腕を噛ませて自殺するクレオパトラの未来を、ヘンデルは、音楽としては描く事は無くとも見通しながら、このオペラを一個の珠玉の作品として書き上げた。
オペラを量産し続けながら、その忙殺されつつあった作曲家人生の中でも、多くの愛情を注ぎつつ。
ヘンデルの音楽は、憎しみと狂気であっても、まさに美しい天上の音楽である。

これ程までに、劇的なオペラが存在するのだろうか???と、本当に考えている。


先日、湯島天神で学業成就のお札とお守りを購入して来た!!!
音楽の、学業成就♪


さて、次のヤンクミとのピアノ合わせまで、勉強勉強♪

まともな練習

6日連続夜勤(3連続当直)×3クール終了と、親父の借金弁護士依頼問題の、相当な過労の蓄積により、本日17時にようやく覚醒。体がダルくて重くて、動きゃしない。

スタジオ練習は、19時〜22時。幸い、今日は近所のスタジオ。
ゆっくり起きて、まずはミルヒー先生のお誕生日プレゼントのブーケを注文・発送するために、花屋さんへ行った。薔薇入りの淡いピンク色でコーディネイトしたブーケを注文。無事、ミルヒー先生のお誕生日には到着予定。


で、スタジオに向かった。
流石に体が超ダルダル&超重いので、発声練習では殆ど声も響かない。当然だ。
クレオパトラのアリア5曲歌っているうちに何とか発声を調整出来れば、と考えて、発声練習は早々に切り上げた。
明日の、ヤンクミとの初ピアノ合わせで、まずまずの調子で合わせる事が出来れば、大体の方向性が調整出来て擦り合わせが出来れば、後は6月までヤンクミとの調整を入念に行う事で、お互い練習して行く事が出来る。
そ〜ゆ〜意味では、ヤンクミに対しては殆ど心配していない。何しろ、もう10年近くの付き合いにもなるし、私の歌の良き理解者の一人である。
何よりも、私が曲をどう表現したいか、曲をどう歌いたいのかを察知し感じ取る能力に関して言えば、ヤンクミは非常に卓越した感性を持っていると、私は確信している。


今日は、クレオパトラのアリア5曲を通して練習。
「Non, disperar」はまだ慣れていないせいか、どうしても上下のポジションが上手く取れない事が多い。しかも、もっとレガートに柔らかく軽快に歌いたいのだが、下手をすると、ミルヒー先生曰く「抜いて」歌ってしまいがちなので、注意深く出来るだけ今のうちはしっかり声を出して歌う事を心掛ける。今一つ音程が不安定な部分もあるので、今後演奏会本番までの一番の課題になるのはこの曲である。
「Tu la mia stella sei」は、去年のヘンデル・リサイタルで非常に苦労した曲だっただけあって、今回は非常に自然に歌えていると考えている。但しこの曲は、符点のリズムをかなり硬めにきっちりと取って歌わないとピアノ伴奏とずれてしまう箇所が幾つもあるので、リズムを正確に歌い込む必要性はまだまだ非常に大きい。
「V'adoro pupille」に関しては、去年のヘンデル・リサイタルの時よりも大幅に歌唱を変える事にした。まず曲全体をメゾピアノ〜ピアニッシモで歌う事に決めた。これはミルヒー先生には相談していない。自分の判断で歌唱を変える事を決めた。幾ら尊大で策略家で不遜な女王クレオパトラであっても、このアリアだけは非常に美しく歌われなければならない。去年のヘンデル・リサイタルではこの事に関する入念な解釈・分析・配慮がなされていなかったまま、リサイタルで歌ってしまった。これを、どうしても変えていかなければならない。演奏会本番までの間でどこまで出来るのかは不透明だが、後2ヵ月弱、出来る限りの努力をしてみる所存である。
「Venere bella」に関しては、レチタティーヴォも含んだ全体的な歌唱としては、去年のリサイタルでも比較的相性の良かった曲なので、今度の演奏会でもこの流れで曲全体のフォルムを整えてクレオパトラらしく丁寧に歌って行く事で良いと考えている。但し、この曲の後半のアジリダの音程が非常に複雑なので、音程、特に半音の高低に非常に慎重に注意深く練習を入念に続けて行く必要性が高い。特に5線の上の音で、若干音程が低く聴こえる事が多い。これは非常に避けたい。アジリダはロングブレスだし非常に楽な事とは決して言えないのだが、このような非常に難易度の高いフレーズを丁寧に練習して、一歩一歩実力や技術力を向上させていく練習を自分自身に課して行って行く事、これが私にとっての歌う楽しみ、醍醐味でもあるのだから。
「Se pieta」に関しては、今回新しくレチタティーヴォを付加える事にした。これがまた非常に歌唱力・表現力が必要なレチタティーヴォ。何度も何度もDVDを観て、只管考え続けていた。バランスの取り方。感情的になって歌う、又は感情移入のみで歌ってしまうと、全く平坦で面白みが無く聴こえてしまい非常につまらないレチタティーヴォになってしまう。これを避けるためにも、クレオパトラの歌詞のセンテンス毎に、テンポや強弱を細かく駆使しなければならない。基本的にレチタティーヴォのバランスとしては、メゾピアノ&レガート-台詞の強調-メゾフォルテ-フォルテ-フォルティッシモ-スフォルツァンド-ピアニッシモ&レガート、という構成にした。この歌唱を演奏会本番までに徹底的に練習して確実にこなせるようにならなければならない。でなければ、このアリアが、活きてこないと私自身が分析・解釈しているからだ。今後の練習に非常に力を入れなければならない。アリアに関しては、余り続けて頻回に練習し過ぎてしまうと、声帯にかかる疲労や負荷は計り知れないので一度だけ通して歌ったが、恐らくこのまま下手に弄り回さない方が良いと判断したので、サラッと終らせた。


今日は、とっても疲れていて体力的にも厳しい3時間スタジオ練習だったけど、あっという間に3時間が過ぎてしまった。久しぶりにマトモに声を出して歌ったので、多少の声帯疲労もあるのだけれど、ここ最近では一番精神的に充実した練習だった。
こういうふうに、自分で納得できるくらい歌う事が出来ると、何よりも精神的に心理的に、非常に安定する。歌う事によって多少疲れたとしても、今の私にとっては、歌う事以外の生活状況が、酷く理不尽で受け入れ難い状況ばかりが続いているので、歌う事による多少の疲れなんか、ちっとも苦にならない。


今日は久しぶりにマトモに歌えて、本当に嬉しかった。
明日の、ヤンクミとのピアノ合わせのため、もうそろそろ休む。
今日は、ぐっすり眠れそうだ。


久しぶりのレッスン

昨日は、約3ヵ月振りのミルヒー先生のレッスン。
昼12時に目覚ましを2つ掛けて、ようやく午後2時起床、スタバで2時間ウィーナーリートの楽譜を仕上げてから、18:30に都内スタジオに向かった。

ミルヒー先生に、去年12月のヘンデルのリサイタルを簡単に報告、親父の状況を簡単に報告。
レッスンに入って、発声は悪く無いと言われた。

まず、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリアのレッスンから。
重心と下のポジションが上がり過ぎていると指摘された。母音のみでメロディを歌い、修正。

次に、モーツァルト「コジ・ファン・トゥッティ」フィオルデリージのアリアのレッスン。
ミルヒー先生は御自身の楽譜をお持ちになったのだが、私がレチタティーヴォから勉強して来たと話すと、かなり驚かれていた。
私が一通りレチタティーヴォを歌って見たら、

「レチタティーヴォ、あった方が格好いいわね!!!」

との事(笑)早速アリアのレッスンに入ったら、やはり重心をもっと低く取る事と、ポジションをもっと下げるように指摘された。
私が最も神経質に練習した、アリアの後半部分のアジリダの部分は、一切修正されなくって、何だかちょっとビックリした(笑)

取り敢えず、フィオルデリージのアリアは「イケるわよ!!!」と評価されたので、取り敢えず演奏会本番で歌う予定は無いが、勉強は続けて行けそうだ。
今月25日には、ヤンクミとのクレオパトラ初合わせもあるので、今月のレッスンはもう無い。後は、6日連続夜勤が今月3回あるので、もう自己練習しか出来ない。



それと、先日、谷岡先生と決定した重要事項を実行開始する事になったので、今は一日48時間あっても間に合わない位、もっともっと時間が幾らあっても足りない位に、非常に忙しい。
くだらない事には、構っていられない。



多忙と激務

日勤と夜勤で連続勤務で疲れて、朝が起きられない。特に昨日もまた、夜勤への申し送りが終了した直後に急変患者が出た。内科の看護師だったのだが、まだ2年目の看護師では夜勤の看護は無理、という事で、整形外科と内科を併用で夜勤中看護しなければならなかった。夕方に、血圧60〜70台、意識レベルjは反応無し。流石にゲンナリした。
まともに休憩も取らず看護の甲斐あってか、急変患者さんは、夜中過ぎには意識を少しだけ回復し、血圧は非常に低かったのだが、どうにか日勤者に申し送りをして、夜勤を終える事が出来た。


新年度で人員の大幅な不足のため、病棟課長が4月のシフト表を作成し終えたのが3月29日(爆死)
夜勤の仕事の合間にミルヒーレッスンにメールを送り、何とか御都合を付けてくださったミルヒー先生から、2日にレッスンを受けられる事となった。本当に去年の年末のヘンデルのリサイタルから数えて、すでに3ヵ月以上も経過している。このような状況でも、レッスンを受けてくださるミルヒー先生には、どのような言葉であっても感謝は言い尽くせない位である。


今日は、昨日の夕方急変重症患者の熱や血圧や脈や酸素や尿量や・・・・・兎に角1時間おきに測定していたので、その重度の疲労もあり、午後2時起床。
スタジオは、今日は遅い時間しか取れなかったので、夜8時〜11時にスタジオ練習。
体中が痛い。特に、背中全体。いい加減、せんねん灸も効果が薄れて来たのか???それでも何とか無理やり起床して、楽譜と辞書を持ってギャラリーカフェに行くと、何と「臨時休業」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(激鬱)
取り敢えず、隣の駅のスタバで大好きなチャイ・ティー・ラテを呑みながら、ウィーン歌曲の楽譜作りに精を出す。あとちょっとで、去年のウィーンのB先生から私の声に合わせて選んで下さって、是非日本でウィーン歌曲を歌って欲しいと託された楽譜、もう半年近く経過してようやく出来上がりかけている。
別に、怠けていたワケでも無いんだけれどな。こういう状況が長く続く事は、非常に辛いし、心が痛む。


今日は、スタジオで明日ミルヒー先生からレッスンを受けさせて頂く予定のモーツァルト歌劇「コジ・ファン・トゥッティ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」とヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ最初のアリア「Non, disperar」を重点的に練習した。

当然、不完全。仕方が無い。練習に充てる時間が圧倒的に減っている上に、練習に使う体力は悲惨な程激減している。
ここで私のやらなければいけない事とは、
「自分が出来る事を精一杯、決して手を抜いたり気を抜いたりしないで、精一杯歌う事」
だけ。だから、今日も本当にその通りの練習をおこなった。
フィオレデリージは、まだまだ追いつかない。楽譜に付いて行くのが精一杯。3点Cは音は当たっているが、雑だし確率も良く無い。音域が1オクターブ以上開いた音を歌わなければならない場合、低音がどうしてブレてしまう。体の使い方が良く無いのか、上下どちらかのポジションが低いのか、頭部内部〜上顎〜下顎の開き方がまだまだ不足しているのか、その調整を明日のミルヒー先生とのレッスンで確実に行わなければならない。
クレオパトラのアリアは、流れと自分自身が歌いたいという方向性や指向性もあるものの、やはり重度の疲労のせいか歌唱の安定感に乏しい場合が多い。それに、これも疲労のため体の動きが悪くブレスが浅くなりがちなのだろう、おもったよりもブレスが続かない。
特に、クレオパトラのアリアに関しては、今年6月にヤンクミ一座との演奏会がある。しかも、ヤンクミとのクレオパトラの初ピアノ合わせが、今月末に決まった。
それまでには、もっともっとクレオパトラの完成度を上げなければならない。
クレオパトラのアリアは、歌唱の流れ的には大方掴みかけてはいるのだが、やはりバロック・オペラの丁寧さや軽やかさや、クレオパトラがトロメーオを小馬鹿にした尊大で明るい表情が、中々出せないでいる。

まあ、当然か・・・・・・・・・・(爆死)

特に今月から、6日間連続夜勤が3クールもある。
恐らく、ヤンクミとの初ピアノ合わせまでミルヒー先生とレッスンするのは明日しかない。
無論、9月のウィーンでのレッスン曲、12月のシューマン・リサイタル曲11曲、全て平均して練習・勉強・レッスンに
取り組んで行かなければならない。



しかも、先日バッハとパミーナを歌った演奏会直前のレッスンで、谷岡先生と長時間話し合い非常に重要な事を、私と谷岡先生の二人で決めた。本当に新しい私自身の、これからの本当に本当にとってもとっても高い、私自身だけの新たな目標。
演奏会直前であるにも拘わらず、谷岡先生に多くのお時間を費やさせてしまった、私の今後の大いなる課題。
そして、これから今の何倍も勉強して練習してレッスンして行かなければならない。
他人の事になんか、構っている余地は、もう今の私には、微塵も存在しない。
下らない、私の人生にとって大切であると思われる以外の余計な煩わしい人間関係は、大幅に削減して行く必要性がより高くなった。
自分自身に十分な時間とエネルギーを使うという事は、即ちそういう事である。
これからの、私の余りにも大きすぎる課題と目標に立ち向かい、努力、勉強、精進、歌い続けて行くために、より少ない私の持てる時間を、最大限有効に、最小限の労力で、頑張って行かなければならない。


最近は、余りにも疲労が強い時には、パソコンを開く事さえ億劫になる。
でも、きちんと自分の勉強・練習・レッスンの記録だけは、残して行かなければならい。それが私のブログの大切な目的だから。

では、明日のレッスンに備えて、寝る。

厳しい現実

休日に、午前中に起きられる事は有り得ない。大体にして、夜中眠れない。無理やり夜眠るために結構沢山薬を飲んではいるのだが、ほぼ毎日起きて仕事をしている時間に眠れる筈も無いんだよな、これが(鬱)

今日は、演奏会本番のために纏めて取った休日のツケで連続夜勤の中休み。
4月、5月の勤務なんか、もっともっとヒドい。新年度で退職者がいるのと新人が入職してくるので、夜勤勤務者が大幅不足しているので、私は6日間連続夜勤とゆ〜労働基準法ってなあぁにいいいいいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜・・・・・?????と絶叫したくなるシフトが数回組まれていた。しかも、日勤の人数が少なくリーダー業務が出来ないスタッフばかりの日は、日勤としても駆り出され・・・・・(滝涙)
親父の借金さえ無けりゃあ、こんな悲惨な状況なんざ、今頃ある筈も無かったのに。
もう、いい加減文句言うのも飽きて来たわ(超呆)

午後2時起床。
今の私の体調では午前中に起床は不可能なので、レッスン及びスタジオ練習は全て午後〜夜間。今日も午後6時〜9時にスタジオ練習。スタジオに行く前にギャラリーカフェに寄って、ウィーン歌曲の楽譜作りを行った。ようやく2曲目の途中まで仕上がった。今月中には3曲とも完成させたい。
所が、今日はギャラリーカフェの絵画教室が開かれていてちょっと場違いな時間に伺ってしまったらしく、凹んだ(自爆)
それでも社長の御厚意で、何とか楽譜作りを途中まで行い、スタジオ練習に向かった。


兎に角今日は、メッチャ寒い。をい、もうすぐ4月なんだけど(怒)今日のスタジオは近所なので多少楽チン♪
もう、バッハとパミーナの演奏会本番は終了したので、これからはヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲をメインに練習&レッスンして行く。
しかし、1曲だけミルヒー先生から出されている課題曲がある。モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」である。
本日のスタジオ練習は、クレオパトラのアリア「Non, disperar」と、フィオルデリージのアリア「Come scoglio」の2曲。たった2曲に、3時間の練習(笑)曲数が少ないのは嬉しい事なんだけど、何しろ、フィオルデリージのアリアは、至極半端でない超難曲なので、余程時間をかけて歌い込まなくてはならない。

まず、フォイオルデリージの「Come scoglio」に、2時間。レチタティーヴォに1時間、アリアに1時間。
先日から少しづつ音取りはしているので、今日は短いフレーズを細かく発声とイタリア語を丁寧に時間を掛けて行く。流石に、モーツァルトが嫌いなソプラノに書いたアリアだという定説がある程、本当に激しい難易度のアリア(爆死)
まず、レチタティーヴォの台詞の長い事・・・・・(汗)イタリア語を話せない自分には、無論当然の苦労なんであるが、それでも既にレチタティーヴォだけでも非常に凹む。兎に角、喋らなければならない、しかし、モーツァルトの旋律に即して、怒り、拒絶、侮辱、決意、愛情を、ぜえぇ〜〜〜〜〜んぶ、歌えないとイケないんですねえぇ。だっからモーツァルト、超苦手なんだっての!!!
しかも、レチタティーヴォから既に、1オクターブ以上も音域が動くフレーズが出て来る。これに、ほぼ1時間はゆうに練習時間が必要だ。マジで、早口でイタリア語を喋る事に慣れるだけでも疲労困憊モノ。

後半の1時間は、アリア(爆死)もう最初の出だしのフレーズから、殺人的古典伝統芸術♪♪♪
アリアの楽譜を観ていて思いついた事が、音符のバンジージャンプ(真面目)しかも、所々にアジリダは出て来るし、最高音は3点Cだし。あははははははははははははははははは。こんな時こそ、いっその事「アル中ハイマー」になってしまいたい気持ち的に意気込み満載〜♪
取り敢えず、ワンフレーズづつ丁寧に歌い込んで行く。重要ポイントは、発声、体の開き方、重心の取り方、1オクターブ以上音符が飛ぶ時の上と下のポジショニングを探す事、そしてアジリダの発声方法。これらをきっちり丁寧に一つ一つ確認しながら歌っていたら、ほぼ1時間声出しっ放し。
流石に声帯に疲労感が強くなってしまった。決して喉に力を入れた発声は絶対に出来ない。
幾ら私がアマチュアにしては声帯が強い方だと言ったとしても、喉を、本当に潰しかねない。
アジリダの音程は、不揃い。音域の高低が飛ぶ部分は、低音域の音程がブレる。ちなみにこのフィオルデリージのアリアには、5線の下の音域がバンバン出て来る。最も低い音が、5線の下のA・・・・・(滝汗)
今日は、1フレーズ細切れに歌いながら、発声とポジショニングの確認で練習終了。
最後には、特に重心の掛かる左膝関節が、痛い・・・・・・・・・・。

残りの1時間で、クレオパトラのアリア「Non, disperar」を練習した。クレオパトラのアリア8曲のうち5曲はリサイタル本番に乗せたので、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラへの理解や認識も随分自分自身の中で深く思索出来るようになっているし、何よりもクレオパトラに対する役柄やキャラクターの解釈、特に私独自の解釈も考えられて来ている。だからこのクレオパトラのアリアに関しては、確実で正確な音取りと、強弱のバランス、アジリダの歌い方という課題が既に御約束なので、そこに集中して練習を行った。去年のヘンデルのリサイタルで歌ったアリアとの違いが、やはりクレオパトラの一番最初のアリアで、弟であり夫であるトロメーオを小馬鹿にしているアリアという性格上、もう少し軽めに歌いたいと考えている。特に前半の部分とダ・カーポで装飾音を入れる時。
だが、これは飽くまでも、ミルヒー先生との御相談になってしまうので、レッスンを受けてみないと分からない。ただ今日の練習は、久しぶりのクレオパトラの練習という事もあり、多少力がはいっちゃったかなあぁ・・・というカンジ。ちょっち反省(凹)


今日、久しぶりにミルヒー先生系の練習をがっつりしてみて、改めて考えた事が幾つかあった。
まず、モーツァルト「コジ・ファン・トゥッティ」のフィオルデリージは、明らかにドラマティコやヘルデンに近いソプラノの役である。私自身、決して細い声では無く、ブレスも長く、体格も日本人にしては小さくは無い。だから、日本人の感覚として日本という限定された範囲の中で、ミルヒー先生が私に「Come, scoglio」を勉強するよう勧めてくださった事は大変光栄で大変嬉しく大変有難い事なのである。
第一、ウィーンのN先生は、

「あなたはリリック・ソプラノである。フィオルデリージはドラマティック、ドラべッラはメゾソプラノ、デスピーナはスーブレッド、貴方が歌う役は、ありません」

と、ハッキリバッサリ言われたんだよなあぁ(爆死)
それでも、ミルヒー先生が是非にと勧めてくれたので、私もウィーンから論外との釘を刺されたので、嬉しくて頑張って勉強して歌えるようになりたい、フィオルデリージを歌う機会は今しか無い!!!!!と思い、気張って練習してみたものの、ウィーンのN先生の仰った言葉の意味が、歌って練習してみて初めて、思い知らされたとゆ〜か、改めて自分の声質に於けるレパートリーというものを考えさせられた。
この「Come, scoglio」相当に慎重に歌わないと非常に大きく声帯に負担がかかる。喉を痛めてしまうだろう。
きちんとアリアとして形になるまで、勉強も練習もレッスンも行うが、演奏会本番で歌う事は今の所、全く考えていない。
ウィーンのN先生の仰った事は正しい。N先生の仰った通り、フィオルデリージは、ドラマティック・ソプラノが歌う役である。非常に厳しい現実がそこに存在するという事を、改めて思い知らされた。

さて、日本に本当にドラマティック・ソプラノが、果たしてどれ位存在するのだろうか。

実に楽しいですねえぇ♪
今度から、日本で上演される「コジ・ファン・トゥッティ」のキャスト検索作業でも初めてみようかなあぁ(核爆)

帰宅してから、モンセラ・カバリエの、コヴェント・ガーデン、コリン・デイビスの「コジ・ファン・トゥッティ」を聴いております。はい(笑)


明日は珍しく日勤・病棟課長代理・リーダー業務なので、流石にもう、寝る。

忙殺

この時期、季節の変わり目は、非常に喘息の状態が宜しく無い。


演奏会2日前、青森の親父が急遽、老人保健施設への転院が決まり、札幌の妹が青森へ駆け付けた。私は、演奏会の為に苦労して確保した休日だったが、スタジオ練習やレッスンは全て夜に回し、日中はギャラリーカフェで楽譜を作りながら親父の転院に付き添った妹の連絡待ちのため、常時スタンバイしていなければならなかった。転院の手順や段取り、必要書類や手続き、お役所関連の書類申請など、全て私が指示・確認しなければ事が運ばないからだ。演奏会直前の連続夜勤の後に、妹の電話で午前中に起きたが、体が動くまでに相当時間が掛かった。午後2時頃には何とか転院手続きは無事終了し、新しい転院先の老人保健施設の情報と、必要書類を受け取って夜の寝台で妹は札幌に帰った。

私は、妹が無事手続き等を完了した事を確認した後にようやくスタジオで2時間練習した後、夜7時過ぎから、演奏会直前の谷岡先生のレッスンへ向かった。非常に疲れていた。身体的にも勿論疲労が激しかったが、親父の転院騒動で精神的疲労が激しく、スタジオ練習でも声の響きが重かった。無論、無理に声を出すような事はしなかったが、演奏会直前練習に手を抜いたり気を抜いたりするような真似は絶対にしない。
スタジオ練習は、演奏会用のバッハとパミーナの他に、今年ウィーンのB先生のレッスンに持って行く予定のシューベルト歌曲を少し練習した。練習した曲数は少なかったが、声は多少しっかり出して行った。禁酒期間という事もあり、疲労のリスクを考えてもきちんと声を出しておく必要があると考えたからだ。
基本、ドイツリートを歌うのに、パミーナのアリアと同じ発声で歌えば、声帯への負荷は極力抑制出来る。

スタジオ練習後、谷岡先生のレッスン。
まずは、レッスン以外の話しを多くしなければならなかった。無論、親父の話しなどでは無い。
約30分以上、谷岡先生と非常に重要な話し合いを行ってから、レッスン開始。
谷岡先生に、ハリセン先生の御帰宅時間を恐る恐る尋ねたら、谷岡先生が、

「大丈夫、大丈夫。夜10時頃じゃないと帰って来ないから♪」

・・・・・・・・・。流石に苦笑。早速パミーナのレッスンを行った。声は出無いワケでは無かったが疲労のせいか体が重く、音楽の流れが停滞しがちで前に進んで行かない。最悪同じような体調で演奏会本番を迎えなければならない可能性も高かったので歌って慣れるしか無い。谷岡先生から、パミーナのアリアに関しては、どの個所でカンニングブレスを取るのかをきっちり再確認しておくようにとのアドバイスを受けた。シューベルト「子守唄」も同様で、声はまずまず響くが音楽の流れそのものが停滞しがちのため、ブレスが持たない状況が続いた。シューベルト「ミニヨン」をレッスンし始めた位から、ようやく声の響きに音楽の流れが付いて行くようになった。基本的に、シューベルト「子守唄」「ミニヨン」は私の声質にも良く合っていると谷岡先生が御判断されたのだが、私が予定しているウィーンのB先生のレッスンに持って行く曲の他に、シューベルト「ロザムンデ」「至福」も勉強してウィーンに持って行く事が望ましい、と指摘された。「ロザムンデ」は既にB先生から宿題として挙げられている。勉強していく曲が芋蔓式に増えて行くが、仕方が無い。
最後に、ウィーン歌曲を1曲サラっとレッスンして帰宅した。
自宅に到着したのは、午後10時を過ぎていた。帰宅して全身せんねん灸、速効寝た。


演奏会前日、スタジオ予約がなかなか取れず、本当は昼にスタジオ練習して夜はゆっくり休養したかったのだが、それが出来なかった。
まず、朝イチでクリニック定期受診、喘息治療薬の処方を貰いに行ったら、気管分岐部に若干の雑音が聴こえるとドクターに指摘され、結局内服を増やす事となった。
クリニック受診後、すぐに美容院でカット&カラー。カラーをしている最中に、爆睡。
美容院でカット&カラーが終了してからスタジオ練習まで3時間しか時間が無かったので、ギャラリーカフェで楽譜作りをしてからスタジオに向かった。ウィーンのB先生から去年送って頂いたウィーン歌曲の楽譜作りが相当遅れている。ようやく2曲目の楽譜作りに取りかかる事が出来たが、ギャラリーカフェでも疲労困憊で30分程、爆睡。携帯電話の目覚ましで起きて、急いでスタジオに向かった。

先日、アマゾンで購入したモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のマゼール指揮パリ・オペラ座のビデオが届いた。キリ・テ・カナワがドンナ・エルヴィーラを歌っているので購入した。映像はオペラ映画仕様だったのだが、きちんと歌手が演技してのキャスティングだったので、十分だと思った。特にキリ・テ・カナワのドンナ・エルヴィーラは非常に美しかった!!!!!勿論、声が。
谷岡先生からも、

「パミーナを歌っているその綺麗な同じラインでドンナ・エルヴィーラを歌わないとね。勢いで歌わないようにしないとね」

と指摘されていたので、キリ・テ・カナワは非常に良い教材になると思い、演奏会前日だったがまず最初にドンナ・エルヴィーラ登場のアリアを約20分程練習してみた。流石に、キリ・テ・カナワをイメージしながら極力パミーナを歌う時の発声を心掛けて歌うと、以前谷岡先生にレッスンを受けていた時のドンナ・エルヴィーラの歌い方と全く違う自分自身の「ドンナ・エルヴィーラ」が出来て来た。パミーナのアリアで身に付けた発声を維持するためにも、今後はドンナ・エルヴィーラの練習も積極的に行っていかなければならない。無論、ドンナ・エルヴィーラもウィーンのN先生のレッスンに持って行かなければならない。
最後、約30分バッハの練習、約1時間パミーナの練習を行い、帰宅。
非常に疲れていたが、演奏会本番直前リハーサルは実際に歌う時間の約2時間も前。当日、十分に発声練習出来る時間が確保出来るかどうか非常に微妙だったので、多少の声帯疲労は覚悟の上でかなりきっちりしっかり練習した。
帰りにスーパーに寄って買い物をした。演奏会本番前日は肉を食べるよう先生から勧められていたが、この日ばかりは肉売り場に行っただけで、胃がもたれるような感じがしたので、今回はシーフード。
やはり帰宅は夜9時過ぎ。自宅に着いて夕食を作って食べた後に、いつものように全身せんねん灸尽くしだったのだが、足の指にチアノーゼが出ていたので急遽長時間の入浴に切り替えた。
入浴後、何か気持ちが休まる音楽でも聴こうかな?と考えたけれど、折角今のバッハとパミーナのイメージを崩したく無いので、音楽を聴くのは止めにした。
代わりに、真央ちゃんのスケートを見る事にした。全日本選手権の時の真央ちゃんのショートプログラムとフリーのスケーティングを観た。
やっぱり、凄く元気を貰う事が出来た気がした。気持ちが、少し優しくなったように思えた。
何とか夜中0時前には就寝。


演奏会当日、朝10時にスタジオ予約し発声練習。初めて行くスタジオで会場近くだったのだが、当日、強風のため電車が遅れ、しかもスタジオの場所が非常に分かり辛く、スタジオ到着が10時20分を回っていた。しかし、とても親切なスタジオのスタッフの方で、スタジオが空いているので到着時間から1時間のレンタルにしてくださった。連日の疲労の上にスタジオを探しまわって歩き疲れていたので、本当に有難かった。
発声練習では中々声が出るまで時間が掛かったが、最終リハから実際の演奏まで2時間半はゆうにある事、今日は2曲と歌う曲数が少ないため、調子が出始めた頃に本番が終わってしまう事は十分に予測出来たので、いつもよりもかなりしっかりと発声練習を行った。
会場に到着して、案の定すぐに最終リハ。やはり体が硬くブレスが不足しがちだったのだが、しっかり発声してきたせいか、音域は高低しっかりと出ていたので、後は出番直前までのストレッチ、柔軟体操系でどれだけ緊張を解してリラックス出来るか、と判断した。
お子ちゃま&大人のピアノ発表会の合間に歌うので、子供が沢山いて会場がごった返していたので、早めに着替えとメイクを済ませて少しづつ体を動かし続けていた。

実は、ピアノの発表会なのだが、今回はプロのソプラノ歌手をお招きして1曲歌う事になっているらしい。
しかも、プロのソプラノ歌手が歌う曲は、ヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」からクレオパトラのアリア「苛酷な運命に涙を流し」だったので、期待も膨らむというもの(笑)

会場は約200〜300席くらい入る会場。一番後ろの席で軽く動きながら待機していたら、同じ病棟の看護師呑み仲間が息子を連れて、夜勤明けで寝ずに到着(爆)息子がヴァイオリンを聴きたくて連れて来た。まあ、私の歌の時は寝てていいよ〜(激爆)という事で、息子が飽きてしまわないか心配だった(苦笑)
友人と一緒にいたら、何と全然予想してなかったゲスト登場。
ジュリアード卒のヴァイオリニスト(絶句)
聞いてねえぇよおぉ〜〜〜〜〜・・・・・、と呆気に取られた。一気に緊張が高まった。一言御挨拶した。約1年振りの再会になるかな。そう言えば、私の去年のドイツリートの初リサイタルの時は御都合があっていらっしゃれなかったので、今回初めて私の歌を聴いて頂く事になる。
若干、鳥肌モノだった。
演奏会が始まり、看護師呑み仲間は夜勤明けで一睡もしていないのに非常に熱心に子供のピアノ演奏に聴き入っていた。特に小学校5年生のピアノとヴァイオリンのコンビの少女の上手さに非常に感動していた(笑)

「あのリスト弾いた女の子、すごい上手い!!!音大行くのかな???」

と、しきりに質問された。やっぱ、分かるんだな〜〜〜・・・と思った。まあ、まだ小学校5年生だし(爆)音大は・・・、きっと行くんだろうねえぇ(笑)でも、先の事考えるのには早くねえぇ???(激爆)
子供の部終了して休憩後の後半、トップバッターで私が歌う。
休憩時間開始とともに舞台袖にスタンバイした。
ピアニストのY先生と、少しお話しした。
まず、ヴァイオリニストの先生御来場の件。超驚いて緊張した事を話したら、Y先生は、

「今回のあなた、とっても素敵よ!!!って言っておいたから、彼女も期待してたから、頑張りましょうね♪」

と、一言。・・・・・・・・・・。まあ、もうここまで来たら逃げも隠れも出来ないもんな、と思い覚悟を決める。私の次にピアノを弾く御婦人2人が、しきりに緊張する緊張する〜とY先生に訴えていた。Y先生曰く、

「緊張を解す一番いい方法は、笑うのよ!!!」

と・・・・・・・・・(笑)ああ、そうか、と思い思わず私も笑ってしまった。結構、笑顔って緊張が解れるものだと思っていたら、名前を呼ばれた。
会場は、壇上だけが明るくて客席は暗いので、前列1〜2列位しか客席の表情は見えない。ちゅ〜か、私は余り100以上のキャパの会場で歌った事が無い(爆)しかし、ヴァイオリニストの先生の表情は、きっちり見えた。非常に注視されているのが分かった。それだけで上体に力が入り、息が上がってしまうのが分かった。


しかし、今日この演奏会本番まで、やれる事出来る事は、全てやって来た。


誰にどう評価されるかなんて、そんなの歌い終わって結果が出るまで、どれだけ歌えたか、分からないのだ。
私がやるべき事は、歌うだけ。今迄通りに。
流石にバッハの出だしは緊張した。ブレスもギリ。声量も、流石にメゾピアノよりもやや出てしまっているのが分かったが、リピート箇所までは何とか堪えなければならない。
バッハの後半に入ろうという所で、ちょっとした事件が起こった。
お子ちゃまが、思いっきりパイプ椅子を倒した!!!!!(核爆)
音は聴こえたのだが、演奏には差し支える事無く、それどころか私は多少冷静になれたような気がした。バッハ歌曲の後半の低音bが練習やレッスンでもなかなかきっちりと決まり辛かったのに、ちゃんとハマった声が出せたのが分かったから(苦笑)最後のリタルダンドも、いつもブレスが不足する事が多いのに、本番にはきちんとブレスが足りたので不思議で仕方が無かった。パイプ椅子を思いっきり倒してくれたお子ちゃまに感謝しなければならないだろう(爆)
アクシデントが必ずしもマイナスに働くとは、限らないのだ。
ここで多少冷静になれた事で、パミーナは予測していたよりも遥かに歌い易かった。しかし、やはりピアノの発表会なので、会場が非常に乾燥していて、緊張とも重なった事もあり、パミーナのアリアの前半は多少辛かった。ブレスはやはり結構なカンニングブレスが必要となったが、前半のアジリダを過ぎた頃から徐々に声量を搾ってピアニッシモで歌う事に慣れて来た。アリアの最後の方はブレスも十分に続いて、何とか終了。
やっぱり、2曲では丁度舞台に慣れた頃に演奏が終わってしまうものだと感じた。

私の歌が終わって、看護師呑み仲間はいい加減飽きてゴネていた息子を連れて帰った(笑)
いざ演奏が終わってみると、ホッとするやら寂しいやらで、いつもながら複雑な心境になる。嗚呼、演奏聴いてるだけって気楽でいいなあぁとか、もうウィーンに行くまでパミーナのアリアは歌う機会が無いのが寂しいなあぁ、とか。私は、演奏会本番が終わった後の方がより歌いたい気持ちが強くなる。


最後、プロのソプラノ歌手のクレオパトラのアリアを聴いた。
感想は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
余りに自分のクレオパトラと違うので、驚いた。
嗚呼、多分、日本のソプラノは、こうやってクレオパトラ歌うよなあぁ・・・・・と正直感じた。
それだけ。


最後に、ヴァイオリニストの先生に御挨拶に行った。一言、コメントを頂いた。

「とても真面目な方なんだと思って聴いていました。やっぱり、演奏は人間が出ますね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
どういう意味だろう?????これは演奏会後、呑みながらゆっくりと考える。
会場の後片付けをして、ピアニストのY先生に御挨拶をして、ダッシュで早速呑みに行く。流石に4日間禁酒して演奏会を無事終えた後の冷たいビールは、五臓六腑に染みわたった〜〜〜〜〜・・・・・(滝涙)
この本番終了後の、呑みながら考察が私にとっては非常に非常に重要な時間なのである。
取り敢えず、谷岡先生に御報告メール。勿論、ヴァイオリニストのコメント付きで。
演奏会本番のそのものの出来として、自己評価はレッスンの約7〜8割の歌唱だったと考えている。疲労度と、初めての大きなホールという事を考えると、演奏の出来としては悪くは無く、当然の事ながら課題は多いに決まっているが、次に繋がる要素の多い演奏会本番だったと思う事が出来た。
まず一番の要因は、パイプ椅子が倒れた事件。恐らく、過去、特に去年までの私だったらパイプ椅子の音に動揺して演奏が崩れてしまった事だろう。
去年からの2度のリサイタルで、相当胆が据わったと思われる。この集中力は、非常に大切にして行きたい。
パミーナのアリアは、何とかウィーンのN先生とM先生のレッスンに持って行ける目途が付いた。演奏会の次の日の夜勤で、演奏会に来てくれた看護師呑み仲間に感想を聴いたのだが、パミーナのアリア、後半のピアニッシモの声量でも十分に一番後ろの席まではっきり声は聴こえていた、との事。後は、如何にして発声の美しさを磨くかと、どこまでピアニッシモとロングブレスでこのアリアを引っ張って行けるか、が当面の目標と課題である。今回の本番で初めて歌うパミーナにしては自分自身としては、よくもまあ、あれだけ皆から「違う!!!」と言われていたのに良く歌ったよな〜と思う。人間の開き直りって、案外大切なのかも知れない。

次の演奏会本番は、6月、ヤンクミ一座の、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲。
プロのソプラノ歌手のクレオパトラのアリアを聴いて、自分は自分で歌うしか無いのだという事だけは、はっきりと確認した。


呑みながら考えている最中に、谷岡先生からメールが届いた。

「ヴァイオリニストの方が仰った事を表す、良い格言がありますよ。【芸は人なり】」

真面目に聴こえたという事は、余り面白みの無い演奏だったのかなあぁ、とか思った。マイナス思考だけれど、自分に甘いのは好きじゃない。


演奏会本番前に、非常に重要な事を谷岡先生と一緒に決定した。
そのため、今、というか今後非常に多忙を極める事となった。
頑張るしかない。


嗚呼、疲れた。

リハーサル。

朝起きて(昼?)から、風邪気味。天気良かったし多少暖かかったのに、クシャミが止まらず。最近は、ど〜しても、スタジオ予約時間30分前ギリでないと目が覚めないらしく、目覚まし時計も無意味(溜息)夕方から都内で今月の演奏会のリハーサルを、本番会場で希望者だけ募って行うという事で早速行く事にした。今回演奏会で歌うホールは、お初。去年Y先生のお教室演奏会聴きに来た事はあるのだが、自分が歌うのは初めてである。慣れないホールで歌うのに一番困るのが、響き方。私は新しい場所に慣れるのに時間のかかる方で、どうしても響きを確認しながら、自分の声の響きを聴きながら歌ってしまう。多少なりとも場馴れしておかなければならない。

先にスタジオで2時間半練習。今月の演奏会本番のバッハ歌曲とパミーナのアリアはもう暗譜出来ているので、今日はウィーンのN先生とM先生のレッスンに持って行く予定のバッハ「シュメッリ歌曲集」、ベートーベンのイタリア語のテキストの歌曲を2曲づつ練習してから、最近御無沙汰しているミルヒー先生のレッスンに次持って行く予定のモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」の音取りを行った。演奏会に歌うバッハとパミーナは、一番最後に軽く2回づつ通して歌った。クシャミが中々止まらないのと、少し寒気がしたので、余り気張って声を出せない。無理せずどの曲も軽めにレガートにブレスを繋げて歌うようにだけ練習する。風邪気味の時は、やはり中高音域が最初辛い。でも、不調の時の調整の仕方が本当に上達したなあぁ・・・と思った。去年の7月の千葉での演奏会で風邪で喉を痛めて本番に立った時から、調子の悪い時の練習方法に大分慣れて来た。ウィーンのM先生から指摘頂いたように、

「演奏中に体験なさったテクニックもあったのでは、と推察致します」

と、本当にM先生のお言葉通りになったなあぁ・・・と思った。まあ、私の場合は演奏会直前に、体調バッチリ絶好調!!!みたいな事はほぼ望めないので(超苦笑)、最低限度声帯に問題なけりゃ良しとするっきゃないとゆ〜所が落とし所か(汗)
バッハ「シュメッリ歌曲集」と、ベートーベンのイタリア語歌曲は、早く谷岡先生のレッスンに持って行きたいので、こちらは急いで曲に慣れなければならない。でも、バッハ「シュメッリ歌曲集」の私が選んだ2曲は、大分慣れてメロディやリズムも掴めて来た。初見曲なので大変だけれど、その分思い入れも十分にある。ベートーベンのイタリア語歌曲2曲は、私の好きな歌手、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターが歌っている録音で勉強している。日本ではぼ演奏されないであろう珍しい曲ではあろうが、ウィーンのN先生やM先生が知らない曲って事は無いので、ウィーンのレッスンに持って行くのが楽しみ♪ま、難しい曲だけどね。
今後、ミルヒー先生のレッスンで歌う予定のフィオルデリージのアリアは、ホントに音取りから始めた。曲自体は良く知っていて、モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」の全曲CDも持っているし、何よりも私の尊敬し敬愛するソプラノ歌手、レオンティン・プライスが得意として歌っているアリアである。が、最近はヘンデルとパミーナに入れ込みっ放しだったので、丁寧に音取りから始めなければならない。風邪気味もあって、多少音取りは辛かったが、地道に練習して行くしかない。でも、私は、地道な練習が大好きだし、大得意♪
最後にバッハとパミーナをザッと2回づつ通した。この2曲は、自分一人で歌い込むという段階では無いと自分自身考えているので、飽くまでもY先生とのリハーサルと本番で、ピアノ合わせ通り歌えればいいなあぁ、と考えているし、暗譜も確実なので、軽めの調整で行く。


リハーサルを行う本番会場に行く前に、薬屋さんで、カコナールとせんねん灸のビックサイズ(激爆)を購入して、青森の親父の病院に書類を郵送したり入院費を振り込んだりという煩雑な作業を行っていたら、本番会場でゆっくりあったかいコーヒーを飲んでいるヒマすらなかった(涙)

早速会場に到着。既に、2〜3人のお子ちゃまがピアノとヴァイオリンを弾いていた。お子ちゃまが終了してから、すぐ私に振られた(笑)
会場は結構な広さがある。300人位は入るのかな。お子ちゃまのピアノやヴァイオリンを聴いていて、割に響く会場だなあぁ〜〜〜とは思ったけれど、私の場合、天井の低さが若干気になった。だって、そんなに高くはないけれどステージの上で歌うので、天井はなるべく高い方が私は好きなのだが・・・と、我儘ぶっこいている場合でも無い。
一応、一人2回通し練習とゆ〜事で、1回目開始。お子ちゃま達の視線が集中する。御年配の方々の視線は職業上も相当慣れているのだが(激爆)、お子ちゃまの視線には、若干、引いた(自爆)
バッハ歌曲の最初の歌い出し「Bist du bei mir」と歌い始めた時に、予測していたよりも非常に響くので、超ビックリしてしまった(誤爆)とゆ〜訳で、1曲目のバッハは、ピアノと合わせてリハーサル、というよりは寧ろ、会場の声の響き確認作業に終始してしまった(滝汗)嗚呼、Y先生、ゴメンなさい(滝涙)
バッハ歌曲通した所で、自分って声出し過ぎぢゃね〜か???とかなり反省した。リハーサルはもう一回あるから、なるべく声量をセーブして行こう。
2曲目のパミーナのアリア、これもいつものレッスンやピアノ合わせに比べたら、会場の自分の声の響きを聴きながら歌ってしまっていたので、どうしてもテンポが段々遅くなってしまい、ブレスが続かなくなってしまった。しかも、この会場での自分のパミーナで歌う高音域を確認するのが初めてなので、アジリダの部分の声の響きで多少戸惑ってしまった。もっともっとピアニッシモでアジリダ歌えなきゃダメだなあぁ〜〜〜・・・と。やはり自分の声の響きを聴きながら、尚且つ緊張もしているし、初めての会場に戸惑ってもいるので、兎に角ブレスが持たない。休憩時間に少し対策を練る事にした。

お子ちゃまが2度目のリハーサルを行っている途中に、オバサマ軍団が御入場あそばした(笑)オジサマも少数いらっしゃった。う〜ん、このメンバーでどのよ〜なピアノ演奏が聴けるのか、ワクワクして来た(爆)いや、顔には出さなかったけどね。
お子ちゃまのリハーサルが終了してから、最初に私が2度目の通しを行った。何とな〜く、いつもの職場に沢山いらっしゃるお年頃の方々に囲まれると、妙にリラックスするとゆ〜怪現象(猛爆)

1曲目のバッハ「Bist du bei mir」も、落ち着いてY先生とのピアノ合わせくらいの声量に落としたら、途端に歌い易くなった。結構響くから声量は必要ない気がした。声量を必要最低限にして、その分前回Y先生とのピアノ合わせで指摘されたドイツ語の発音をはっきり発音する事、子音のアタックを確実に取って行く事の方に神経を集中させれば、それで良いのかな???と思った。当然の事ながら、ドイツ語の子音をはっきり発音すると歌詞を丁寧に歌っている印象を与える事にも寄与する効果がある。そして、無駄なブレスが減る、息漏れが少なくなる。ドイツ語の子音の発音は特に、横隔膜の働きと密接な関連があると考えている。2度目のリハーサルは、結構悪く無い♪
2回目のパミーナも、バッハと同じく声量を抑えてなるべくフレーズを前に進めるカンジで歌い始めた。曲の流れは1回目のリハーサルよりもかなり改善されたが、やっぱりど〜しても気になってしまう事が、一つ。折角、今迄高音域になればなるほどピアニッシモの発声で歌っていたのに、非常に響きの良い会場のため、自分の歌っている高音域の発声がピアニッシモに感じられないのだ。これには、チト困惑してしまった。しかし、2度目のリハーサルでは、最初に比較していつもの7〜8割方自分のパミーナに近づけていたので、後はもう本当に自分が会場の響きに慣れるしか無いんだなあぁ〜〜〜・・・と思った(溜息)まあ、初会場にしてはいつもの私としては、悪く無い出来だったと思う。
Y先生からは、

「あなたの好きな音量で歌っていいですよ」

と、一言だけコメント有り。もっと無いのかなあぁ??????????????????????

2回目のリハーサルを終えたので、早速帰って呑み行こう♪と思って帰り仕度をしていたら、私のリハーサルを聴いていたオバサマ方が、

「とっても素敵だわ〜〜♪何だかその世界に引き摺りこまれちゃいそう♪声量もあって羨ましいですね♪先生、いいですねよえぇ〜〜〜♪」

と、Y先生に話されていた。Y先生も、

「でしょうぅ〜〜〜♪」

と、Y先生は、お答えされていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一人、ドン引きしていた私(滝汗)
バッハもパミーナも、わざわざメゾピアノ〜ピアニッシモの声量で歌ってるのに、それでも声量があるって???まだ、声がデカいのか???そりゃあ、困った!!!!!!!!!!(核爆)
パミーナのアリアが素敵だって???そこのオバサマ、もしかして、今の私が歌った曲、何の曲か知らないのでは・・・ないかな・・・(滝汗)モーツァルトのオペラの、お姫様役ですよっっっ!!!ほんっと〜に素敵ですかあぁ???考え直した方がいいですよおおおぉぉぉ(誤爆)
とか思いつつ、御褒めの御言葉を下さったオバサマ方々に丁重にお礼して、折角だから、オバサマ方々のピアノのリハーサルも聴いて帰る事にした(爆)
う〜ん、去年と変わらず、時々、この曲、いつ先のフレーズに進む事が出来るのだろうか・・・(大汗)と心配しながら聴いていたのだけれど、でもやっぱし、オバサマやオジサマにとって、これ程素晴らしい認知症防止対策プログラム&リハビリテーションは、無いワケでして。
下手をすると、ピアノ演奏よりも舞台上への階段の上り降りの方が危なかったりして。まあいいか、私、看護師だし(自爆)とか思いながらピアノ演奏を聴いていた。

プログラムを見ていたら、最後にプロの声楽家も出演するらしいのだが、歌う曲が何と!!!ヘンデル歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」からクレオパトラのアリア「苛酷な運命に涙を流し」だった・・・・・・・・・・(絶句)
Y先生、私もパミーナよりもクレオパトラの方がいいよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(雄叫び)
と、心の中で絶叫しながら、帰宅した。


最近、よ〜やくパミーナのアリアが吹っ切れて来たので、今年ウィーンのN先生とM先生のレッスンに持って行く予定のモーツァルト歌劇「ドン・ジョバンニ」の勉強を再開し始めた。もともとCDの全曲盤は4種類持っている。カラヤン・ベルリンフィル、バレンボイム・ベルリン・フィル、マゼール・パリオペラ、カラヤン・ウィーンフィル。でもDVDは1種類しか持っていなかった。ジェームス・コンロン指揮のDVDのみ。このDVDはドンナ・エルヴィーラ役のキャロル・ヴァネスが好きな歌手だったので購入したのだが、ウィーンのレッスンに正式にドンナ・エルヴィーラを持って行く以上はこれでは勉強が足りないので、カラヤン・ウィーンフィルのザルツブルグ音楽祭のDVDと、ルネ・ヤコープス・フライブルグのDVDを購入し、今はマゼール・パリオペラのVHSを注文中である。最近、夜勤明けで余り眠らずにCDやDVDばっか観てるから、風邪ひいちゃったかなあぁ・・・(涙)
CDのドンナ・エルヴィーラ役は、揃いも揃って強烈パーソナリティ♪アグネス・バルツァ、ワルトラウト・マイヤー、キリ・テ・カナワ、ヒルデ・ギューデン。
DVDのドンナ・エルヴィーラは、キャロル・ヴァネス、ユリア・ヴァラディ、アレクサンドラ・ペンダチャンスカ。
で、これからVHSのキリ・テ・カナワのドンナ・エルヴィーラが届く予定。
本当は、ドンナ・アンナを勉強して歌いたいんだけど、ウィーンのN先生から、

「ドンナ・アンナはドラマティックなので、あなたの役では無い」

と、ハリセンが飛んで来たので(爆死)仕方が無い。
そして、ツェルリーナは大嫌いなので仕方が無い。
ウィーンのN先生から課題を頂いた、ドンナ・エルヴィーラを頑張って勉強しなければならない。
アリアの譜読みは何とか出来てるんだけれど、自分自身の中のドンナ・エルヴィーラ像がまだ、インスピレーションとして湧きあがって来ていない。だから、今後は録音よりも映像を観るようにしていく事と、ドンナ・エルヴィーラというキャラクターに関しては、ウィーンのM先生や、谷岡先生と御相談したいと考えている。
キャラクター的には、ドンナ・アンナの方が大好きなんだけどなあぁ〜〜〜〜〜・・・・・くすん。

でもまあ、今はパミーナの方が先だし(誤爆)

ドン・ジョバンニのDVDを観比べて見て強く感じた事が一つだけあった。
勿論、どの映像の演奏も大変に美しく素晴らしいのだけれど、やっぱりカラヤンの演奏は他の追随を許さない位に群を抜いて美しい演奏だと感動して涙が流れた。
良くも悪くも、カラヤンなのだなあぁ・・・・・と思ってしまった。
特に、アンナ・トモワ・シントウのドンナ・アンナのあのド迫力。これは、中々に不可能だと思う。サミュエル・レイミーのドン・ジョバンニは、まあ、申し分無いのかなあぁ???(笑)フルラネットのレポレッロは、ジェームス・コンロンのDVDでも歌っているのだが、変わらず芸達者。もともと素晴らしい声だし、私のもっているバレンボイムのCDではドン・ジョバンニを歌っているし。

実は、カラヤン・ウィーンフィルのザルツブルグのDVDは相当感動してしまった。尤も、私は事前にカラヤンの最後のザルツブルグ「ドン・ジョバンニ」を含むドキュメンタリーDVDを所有していて観ているから、という理由もある。その映像の中で、特にマゼット役のアレクサンダー・マルタと、ツェルリーナ役のキャスリーン・バトルが、カラヤンからより多くの指摘と修正を受けていたのを見ているからなのかも知れないが、少なくとも、アンドレア・ロストやスンハエ・イムのツェルリーナには、全く皆無と言っていい位ツェルリーナというソプラノの役に対する共感が微塵も生まれてこなかった。どこが魅力なのかすら、理解出来なかった。
しかし、キャスリーン・バトルは我儘と素行不良でMETを干されたとは言え、やはりその声と歌唱力には卓越したものが存在する事、それと、やはり黒人がヨーロッパの主要歌劇場で歌う事に付きまとう様々な困難を思えば、キャスリーン・バトルのツェルリーナは、自己主張も可愛らしさも可憐さも正直さも兼ね備えた、素敵なツェルリーナであると、素直に感動する事が出来た。
これはひょっとしたら、私が再度ツェルリーナに取り組む可能性もゼロでは無いのかも知れない、と考える事が出来た。でも、まだまだ否定的ではある。
マゼール指揮、パり・オペラの「ドン・ジョバンニ」のVHSが届くまでは、その結論は保留とする。理由は、ツェルリーナは恐らくテレサ・ベルガンサだから。ベルガンサのツェルリーナの歌唱次第によっては、今迄私が大嫌いだったツェルリーナに敢えて取り組む可能性も、無きにしも非ずなので♪♪♪


では、これから夜勤に備えて、寝る。



まだ冬眠。

昨日はブログを更新し終わってから、セストとコルネーリアのアリア(ドレスデン)をDVDかけっ放しで寝てしまった。せんねん灸で左肩を低温火傷するし、散々だったので今日は愉快な気分、とゆ〜訳にも行かなかった。

午後3時に目が覚めた。マジ、幾らでも寝れるわ。
今日はスタジオが午後8時〜11時までしか取れなかったので、夕方は隣駅のドトールで、やっとこさウィーナーリートの楽譜作り作業に取り掛かる。
でも、体調が悪い。頭は痛いし、左肩の低温火傷は痛いし、胃の調子も良く無いし、ダルダルだし(キレ気味)
それでもミラノサンドを朝飯兼昼飯代わりにして、休み休み楽譜を作成した。まだ1曲完成していない。

時間になって、スタジオへ。
今日は、今年リサイタル予定のシューマン歌曲11曲を通して歌う事、今年9月にウィーンのB先生のレッスンに持って行く予定のシューベルト歌曲9曲通して歌う事、最後に3月演奏会のバッハ歌曲とパミーナのアリアを歌う事。
これで、きっちり3時間終了。
時間が無いとか、疲労困憊とか、言っていられない。
いつまで経っても練習が進まない。楽譜作りも進まない。
これでは、歌えない。
ウィーンのレッスンには、まだまだ曲を持って行かなくてはならないのだよ。ウィーンのN先生のレッスン用のバッハやベートーベンの歌曲や、ドンナ・エルヴィーラのアリア3曲。これらの曲の練習もそろそろ再開しなくてはならない。間に合わなくなってしまう。

もっと時間が欲しい、もっと休みたい、もっと歌いたい。
でも、無理。出来る範囲内で頑張って行くしかない。
嗚呼、人生とは不当なものだ。byスネイプ先生♪

今日の練習、流石に3時間で20曲ドイツリートを歌ったら、声帯疲労を感じた。
でも、声帯疲労を感じたら、パミーナのアリアの出番。スタジオ練習最後10分で、パミーナのアリアを2回程通して歌う。声帯リハビリ完了。声帯の疲労感が軽くなるなる♪

歌っていない時は、生きる事が誠に非常に大いに、つまらない。

まあ、明日は夜勤なんだけど、バンクーバーオリンピックのフィギアスケート女子フリーなので、頑張って働いて明後日帰宅したら、ゆっくり焼酎でも呑みながら録画を観る事にする。
スポーツニュースは、真央ちゃんvs キム・ヨナの話題で持ち切りだなあぁ。
マスコミは、金メダル金メダルと五月蠅いけど、真央ちゃんが最高のスケーティングが出来ればそれでいいんじゃん???と思う。
何事も、比較論でしか物事を考えられない人間は、心の貧しさがモロ見えだと思う。他人の事は散々これ見よがしに比較する人間に限って自分自身を適性に比較分析せずにマイノリティというカテゴリーに自分自身だけ特別扱いする。そういう人間の戯言は、慎重に注意深く避けなければならない。

28日は、またピアノ合わせがある。
まあ、余り心配していない。それだけが楽しい事だ。

本当の闘い。

昨日は、超トンでも無い夜勤だった。
申し送り終了15分後、突然患者さんが呼吸停止&心停止。即心臓マッサージと人工呼吸を施したが、20分後に死亡確認。そして、朝9:30に出棟した手術患者さんが11時間掛かって手術終了、約5000cc出血して帰室、その後は朝まで1時間毎に観察・測定を繰り返し、ようやく落ち着いて夜勤終了。16時間の夜勤勤務で休憩は1時間弱しかなかった。昨日の朝は夜勤後帰宅してすぐに、気絶。一眠りしてから、待ちに待っていたバンクバーオリンピック男子フィギアスケートのフリーの録画を観て、織田のアクシデントに涙を誘われ、ライサチェックにベタ惚れし(はぁと)、高橋の銅メダルに感動した。全身、せんねん灸尽くしで♪

今日は朝目が覚めてからクシャミが止まらなかった。完璧に昼夜逆転傾向のため、今月から睡眠薬を倍量に増やした。無理やりにでも夜眠らないと、休日に歌の練習が出来ない。危機的状況。多忙を極める勤務の上に夜間殆ど眠れないため、鼻風邪程度はやむを得ない。風邪薬を飲んでスタジオ練習に行く。
本当は、来月の演奏会本番のために谷岡先生のレッスンを受けたかったのだが、今疲労困憊で殆ど進行が止まっている、今年リサイタル予定のシューマンの勉強がどうしてもしたかったので、今日はスタジオ練習にした。今日はいつものスタジオがどこも取れなかったので、新しいスタジオへ。午前11時から、十分な睡眠と休養が取れなかったが文句を言っている場合では無い。自宅からちょっと遠いけど割と広くて響きが良い。ピアノは無いけどクラビノーバがあるので、まずまず。

発声練習をしてから早速シューマンの歌曲の練習に入る。しかし、クシャミが止まらない状態で鼻水をかみっ放しの上、疲労のせいで体も声帯も半分眠っている状態には、シューマンの歌曲の音域は些か高すぎる。いつもなら何て事は無い2点Gや2点Aでさえ届かない。体も筋肉も硬い。横隔膜さえ自由に動かない。声が硬く息が流れない。重心が上ずったような感じ。発声練習だけならいつもと然程変わらない程度の声は出たけれど、これでは話にならない。特に中高音域が続くシューマンは流石に辛い、と言っても、じゃあパミーナのアリアは何故辛く無い?????とゆ〜話になってしまうのだが、シューマン歌曲2曲練習したトコロで流石に声帯に負担を感じて、急遽練習曲を変更した。
ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」セストとコルネーリアの2重唱のコルネーリアのパートを練習。中高音域がキツいならいっその事低音域の発声練習に切り替えようと。音域を低音域に切り替えたら途端に発声が楽になった。
無論、私はコントラルトでは無いので、コルネーリアの歌唱自体は不釣り合いであろうが、それでも最近は身体的・精神的疲労やストレスが常人の何十倍も高いので、その時々によって自分の声帯に最も負荷が少ないと私自身の声帯が判断した曲を練習として使う事にしている。恐らくそれが最も声帯を無難な方向で調整する一つの智慧だと考えている。残念ながら、練習には遅滞を来す結果にはなるのだが。
結局。多少コルネーリアの練習を行った事で、声帯や体の筋肉が解れたカンジになった。練習が少ないとついつい短い時間に歌い込んでしまいがちなのだが、極力休み休み騙し騙し、水分摂取を心掛け、食事も摂らずに自宅を出て来ているのでチョコレートをつまみながら、努めてゆっくり楽譜に向かう。疲労や不眠に負けずめげず諦めず、休日も全て休まず何とかスタジオで楽譜に向き合っていられる事を良しとしなければならない。

コルネーリアの練習を終わらせた後は、3月演奏会のバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアの練習。流石に前回ピアニストのY先生とのピアノ合わせで指摘された事を修正して次回のピアノ合わせに臨まなければならない。と言っても、そんなに力を込めて練習するつもりは無い。飽くまでも今の状態を最善に保った上で、Y先生や谷岡先生の御指導を取り入れて行くだけ。暗譜も殆ど出来ているので、後は苦手な箇所や下降音型のポジションが下がらないようにブレスが不足しないように、それだけを調整して行く。他にも修正の要因は多々あるだろうが、それらはもう次回の課題と割り切る。今は自分の発声や表現の最も良い所を伸ばして行く方向で練習をして行くと決めた。
バッハもパミーナも、前回初ピアノ合わせのY先生の指摘を踏まえて練習出来たと思う。バッハに関しては発声の基本はメゾピアノで。身体的疲労が強いためか、下降音型はどうしても音程が低くなりがちだったが、演奏会本番も必ずしも疲労が全て取れて体調的にベスト、などというフザケた状況は残念ながら望める筈は無い。4小節ブレスが持たなくても、発声の音量をメゾピアノにレガートに中低音域にポイントを置く歌唱を丁寧に心掛ける練習を、何度も何度も確認を繰り返した。
パミーナのアリアは、再度メトロノームを使用してのテンポ調整を行った。飽くまでも6/8拍子に聴こえるようにフレーズを繋げて最小限度の声量とブレスで歌うテンポ。でもやはりテンポ64〜66になってしまう。少し早めにテンポ66に設定して調整を行った。テンポの再調整で一番苦労するのが、アジリダのテンポ。ブレス箇所も変えたので、本当に後は谷岡先生とのレッスンで上手く調整していかなければならないだろう。
もともとパミーナは、ウィーンでのレッスンでN先生に、

「あなたの声はパミーナの声」

と指摘されたから勉強を始めただけである。それまでは、というか、去年のウィーンでのレッスン以前は、CDやDVDさえマトモに聴いたり観たりしてなぞいなかった。ウィーンから帰国して暫くの間、足掻いて悩んで不貞腐れてからようやく、ルチア・ポップのパミーナのDVDを購入して観ている位である。
CDも、エディト・マティスやバーバラ・ボニーのパミーナの録音は持ってはいるが、殆ど聴いた覚えすら無い。
せめてパミーナのアリアのアジリダの部分だけは、ポップやマティスやボニーがどのようにブレス処理を行っているのかを聴いたり観たりする必要性は若干くらいは要るだろうな、とは思った。

好きでも無い歌手の録音や映像を観聴きするのは、はっきり言って苦痛以外の何物でも無い。増して、私はヒマを持て余したナンちゃってオペラファンのような時間的余地は皆無である。まあ、仕方が無い。これも勉強のウチである。善哉善哉。


練習を終えて、いつものギャラリーカフェへ。
今日は、友人と一緒にDVD観賞会、いや、観「聴」会(笑)
私が持っているヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを3種類、聴き比べてみようと思って友人をお呼びした。
友人はこれからセストの勉強をする予定なので、セストのアリアや2重唱を中心に。コペンハーゲンのセミングセン、ドレスデンのハント、グラインドボーンのキルヒシュラーガーを中心に、どの歌手の歌唱かは教えずに聴かせた。
本当に興味深い反応が返って来た。
私がブログに書いた事と、ほぼ変わらない感想が返って来た。これには流石に私も笑った(爆)
歌手の、容姿や評判などの先入観に惑わされない人間の意見とは、実に貴重なものである。それを真に痛感した。逆に言えば、どれ程多くの知識を持ち世界的に有名な歌手の高額な演奏会を数多く鑑賞している人間であっても、狭量な趣向と偏見に満ちた人間の意見は、非常に慎重に細心の注意を払って除外していかなければ、ただただ他人に振り回される歌い手に成り下がってしまうという危機感を改めて強くした。
特に、自分が今後勉強して行く曲やオペラの役に関しては、歌い手も自分の好みや趣向に偏狭になっている余地は欠片も存在しない。
私ですら、幾らジェシー・ノーマンを崇め讃えていたとしても、ヴェルディ「アイーダ」の録音はノーマンを参考にする事は絶対に有り得ない。ノーマンの「アイーダ」の録音を持っているが、飽くまでも基本はレオンティン・プライスで、それに続くのがマリア・カラスやレナータ・テバルディやアプリーレ・ミッロやモンセラ・カバリエである。
歌い手にとって、自分が実際に勉強し歌いレパートリーにするという事は、至極シビアな問題である事を付け加えておく。
最後に、グラインドボーンのサラ・コノリーと、私の「コンセルヴァトアールのヘンデルの至宝」クリストフ・デュモーを聴いて貰った。この時私も改めて驚いたのだが、このグラインドボーンのウィリアム・クリスティ指揮ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のトロメーオを歌っていたクリストフ・デュモーは、弱冠26歳だった。思わず溜息が出た。26歳でこれだけの歌唱力と演技力。デュモーは、私は天才だと感じる。
セストのアリアはコペンハーゲンのセミングセンを、コルネーリアとセストの2重唱はドレスデンのハントを目標とする事で友人と私の目標は、一致した。ちなみに、友人は私のヘンデル・リサイタルを聴きに来ているのだが、ダニエル・ド・ニースの「Se pieta」を聴いてみるかと勧めたが、不要だったようだ(苦笑)
非常に有意義な、観「聴」会だった(笑)


帰宅してから、今日録画しておいた「浅田真央・金メダルへの闘い」を観た。
私としては、真央ちゃんがグランプリシリーズと世界選手権後、マスコミから姿を消した2ヵ月間を集中的に放送してくれるものとして期待していたのだが、その問題の2ヵ月間の録画は殆ど無かったのでちょっちガッカリはしたものの、やっぱり大いなる真央ちゃん超特大ファンの私としては、正に大泣きものの放送だった(滝涙)
勿論、競技会でのスケーティングの評価が一番重要なのだろうが、真央ちゃんがどのようにこのラフマニノフ「鐘」と悩み、苦しみ、向き合い、取り組んで来たのかを知る事が出来た事は1ファンとしてとても嬉しい事だった。
今季最初は、明らかにラフマニノフ「鐘」を演技しきれていなかった、滑りこなせていなかった、迷いながら滑っていた、真央ちゃん。
フィギアスケートはスポーツである事は良く理解しているのだが、私はどうしても歌う人間なので、スケーターのキャラクターと曲のスケールや相性やプログラムの適性、即ちレパートリーという事を考えながらスケーティングを見てしまう。
最初はやはり、ラフマニノフ「鐘」は、真央ちゃんには重すぎるのではないかと私も感じていた。
歌い手で言うなれば、今迄モーツァルトやドニゼッティなどのカワイイ系の役を歌っていた歌手が、いきなりワーグナーを歌うようなものだなあぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と(溜息)
その上、トリプルアクセルジャンプという大技を決めるという、真央ちゃんの年齢なら、まだ19歳なのだから、そんなに成長を急がなくても・・・・・と私も思ってしまっていた。
でも、私が真央ちゃんを大好きな理由は、勝てるスケーターだからでは無い!!!!!
真央ちゃんの「闘志」と「強靭な意志」と「ひたむきさ」である!!!!!
飽くまでも、トリプルアクセルを飛ぶと、ラフマニノフ「鐘」を演じ滑りこなしてみせるという、失敗とも孤独とも苦難とも全て向き合い乗り越えようとする、あのひたむきな強さ。
採点で言ったら、トリプルアクセルよりも、3回転&3回転のコンビネーションジャンプの方が点数が高いのに・・・・・・・・・・と私の看護師呑み仲間がぼやいていた。
私は、真央ちゃんのそんな強さが、とってもとっても大好きなのだ。
だから、タチアナ・タラソワコーチが真央ちゃんのスケーティングの映像を観ながら、
「あなたは一番強い人間よ」
とロシア語で言っていた場面は、見ていて思わず涙が流れた。
本当に、真央ちゃんは、オリンピックを含めてメダルへと戦っているのだろうか?????
真央ちゃんは、もっともっと別な何かと闘っているのではないだろうか。
全日本選手権も、1位になってバンクバーオリンピック行きが決まった事で確かに喜んだだろう。でも、真央ちゃんはいつも言っている。200点超え、という事を。
全日本選手権だって、1位になってバンクバーオリンピック行きが確定したとしても、真央ちゃん本来の最低限度の条件である200点超えが出来なかったら、真央ちゃんの反応は果たしてどのようなものであっただろうか??????????
そう考えると、非常に考えさせられる。
私は真央ちゃんの大大大ファンなので、自分の偏狭な物差しだけで真央ちゃんを測るような下世話な真似はしたくないと本当に思う。
オリンピックへの出場やメダルを喜ばない人間はいないだろう。真央ちゃんだって、嬉しいだろうと思う。
でも、以前このブログにも書いたけれども、真央ちゃんが本当に納得出来るスケーティング、真央ちゃん自身が本当に目指すやりたい事をやって欲しいと、心からそれだけを願う。
真央ちゃんなら、バンクーバーオリンピックでもきっと多くの事を出来ると思うし、メダルの有無やメダルの色に関わらず真央ちゃんらしいスケーティングとスマイルを希望している。
2ヵ月待っていたのだ。これからも幾らでも待てる(笑)
笑顔でも涙でも、ずっとずっと真央ちゃんを応援し続けたい。
24日は休日なんだけど、26日は夜勤(爆死!!!!!)
夜勤の仕事、手に付くかなあぁ・・・・・・・・・・(自爆)
頑張れ、真央ちゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっ♪♪♪♪♪

さて、明日の夜勤に備えて、寝ます。BGMはヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」で(死)














魂が「パミーナ」

今日は、3月の演奏会のY先生との初ピアノ合わせ。
約1年振りになる。去年、ドイツリートの初リサイタルを行ってから、Y先生とは連絡を取らせては頂いていたものの、一緒の演奏は無かった。今回は初リサイタルの時の9曲と違い、バッハとモーツァルト2曲だけという事もあり、ちょっと気分的に違う(笑)変な緊張とゆ〜か、気負いが少ないとゆ〜か。

まず、疲労困憊で起き上がるのがやっとこさだったのだが、午前10時に起きて2時間スタジオ練習。
と言っても、最初の1時間はヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」セストのアリア「Cara speme」から。今日はきちんと楽譜を持って来た(爆)
今日は本当に疲れていて、朝起きて背中が痛くて、痰も出て喉がいがらっぽかった。調子悪っ・・・てゆ〜カンジ。折角、1年振りにY先生とのピアノ合わせだっていうのに、こんな調子じゃあ先が思いやられるなあぁ・・・と思っていたんだけど。
セストのアリアは比較的軽く歌い易いかな〜・・・と思ったんだけど、寝覚めと疲労で体の動きが悪く声の響きが硬い。仕方が無いので、休み休み細切れにセストのアリアを歌う。少しずつポジションを上げて重心を下に下げるようにセストのアリアを歌う。これだけ体が固まっていると、流石に2点Aは出ないが、それでも何とかこの疲労でも息の流れを掴まないと、少なくともバッハ「Bist du bei mir」は歌えない。
後半1時間、少し体が起き始めた事でバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアをざっと通して練習した。本当に調子が悪かったので、流し程度。それでも、バッハもモーツァルトも歌い始めると余り体調や喉の不調を感じないくらいの声は出た。多少フレーズの流れは悪いけれど、去年ドイツリートの初リサイタルの時の不調に比べれば、成長した分だけ調子が悪いなりにも何とかそこそこ歌えるようになっているかも知れない(苦笑)

時間に余裕があったので、Y先生自宅近くの駅のスタバで大好きなチャイティー・ラテをゆっくり飲んでからY先生の自宅に向かった。今日は雨でとっても寒かったので、いつもよりも美味しく感じた。

Y先生の御自宅に着いた。約1年振り。Y先生は何と風邪をひいていた(汗)顔色が悪く咳をしていて顔が少し浮腫んでいた(滝汗)
一日遅れのバレンタインのチョコレートをお土産に持って行った。
到着してもう速効ピアノ合わせ開始(爆)幾ら風邪をひいて体調が悪くても、音楽に関してだけは相当違うんだなあぁ・・・(溜息)尊敬♪
早速バッハから。一通り通して歌ってみて、Y先生が、

「上手くなったわねえぇ!!!去年よりも、自然に楽に声が出てるカンジ」

と一言コメントあり。流石の私も顔がニヤけた(自爆)
最初はテンポ調整。何度か歌った後にY先生から、

「この曲に対する確固たる解釈と信念があるためなのかな、そんなに声を出して歌わなくても大丈夫のように思えるんだけど。あんまり声を大きく出して歌う曲じゃあ無いわよね、きっと」

と早速チェックが入った。確かに。発声の基本は、メゾピアノ。そこで何度か歌い直し通し直して、何とか自然な形の発声で柔らかい響きで歌い通せるように何度も何度も繰り返す。特に曲の前半が歌い辛そうに聴こえると指摘され何度も合わせ直す。曲の前半は音域が低いためだろうか。体調も今一つだし。ようやく形になりそうになって来た時に、即休憩無しで、モーツァルトへ。
「魔笛」パミーナのアリア、歌い始めのY先生の伴奏のテンポを私がつられる事無く抑えて歌い続けた。なるべくゆっくり、ゆっくりに。なるべくピアニッシモに。
パミーナのアリアを一通り通して歌ってY先生が、

「いいんじゃないですか???」

と、ニッコリ。私もこれでようやく一息付く事が出来た(爆死)アジリダの部分が伴奏と中々合わずにちょっと苦しんだが、これは次回谷岡先生とのレッスンで再調整しなければならない。何よりも私がパミーナのアリアの伴奏に慣れていない事だと認識した。
ここで、一つY先生にウィーンでのレッスンの話をした。
「今回のバッハは去年ウィーンでレッスンを受けて来た曲で、モーツァルトのパミーナは去年ウィーンで、あなたはパミーナの声だと先生に言われたので、暗に勉強して来なさいよ、みたいな(笑)でも、日本に帰って来たら皆に、あなたはパミーナの声じゃあ無いだろうって言われて・・・」
と私が苦笑しながら話していたら、Y先生が、

「あなたの感性や魂が、パミーナなんじゃない???」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。これには私もかなりブッたまげた(核爆)
驚きながらも続けてパミーナを合わせる。何度やり直しても、アジリダの部分が伴奏と中々合わない。アジリダの部分だけ何度も何度も歌い直し、合わせ直しが続いた。
発声練習正味1時間、Y先生とのピアノ合わせも1時間近く歌いっ放し。それでもY先生からアジリダに関しては自然な流れで歌って構わないのではと指摘頂いた。でも、折角この状態で合わせて何とか歌えているので、何としてもピッタリバッチリカッキリ、ピアノと合わせたい。それでも約1時間のピアノ合わせがあっちゅ〜間に終了してしまった。きっちりみっちり1時間歌いっ放し。
Y先生がパミーナのアリアの伴奏を終えて、

「この曲は、本当にモーツァルトって感じよね。どこを切ってもモーツァルト。どうしてこんな音や音楽になるのかしらねえぇ・・・・・・・・・・。あなたは、夜の女王だっけ?、あれ歌うの???モーツァルトって、どうしてこんな音楽を書けたのかしらねえぇ・・・。ホント、天才よねえぇ・・・・・・・・・・」

と言いながらアリアの最初の伴奏を弾き始めた。流石に私は夜の女王は無理なので(激汗)でも、やはりモーツァルトは余り好きでは無いのだが、やはり天才の音楽である事には何等違い無い。余計な事をする必要が一つも無い。本当にモーツァルトの音楽とおりに奏でれば良いだけなのだろうと思う。Y先生が、

「私、今日ちょっとエクササイズに行って来たんだけど、自分の姿勢を整えたり保持したりっていうのは、違うみたいなのよ。立っている時は大地に両足を預けて、椅子に座っている時は椅子に体を預ける。だから、モーツァルトに全て預けてお任せして歌うといいんじゃないかしら。私達のせいじゃ無いのよ。良い事も悪い事も全てモーツァルトのせいだから(笑)」

笑いながら語るY先生。Y先生の言葉を頼りに何となくモーツァルトにお任せして(爆)もう一度通して歌ったら非常に楽に歌えた。Y先生も、さっきよりもとても良いし、何よりもちゃんと6/8拍子に聴こえると指摘された。作らないで歌う事。これは非常に難しい。最初に、マティスやポップやボニーのパミーナのイメージがありそれを覆すために自分自身のパミーナを作り上げようとする自分が確かに存在する。これを取っ払って自然に歌うという事が非常に難しい。しかし、客観的にY先生が私の歌を聴いてモーツァルトに預けて自然に解放して歌う、というイメージを持たれた事で、ほんのちょっとの契機で、音楽はこんなにも変わり、より少しずつ作曲家に近づいて行く事が出来る。そして、作曲家本来の意思に近づけば近づく程、本当に演奏する事の不自然な力や枠が取り外されて行くのだと実感せざるを得なかった。

1時間みっちりピアノ合わせで歌い終わったトコロでY先生にもう一つお話しした。
「このパミーナのアリアは、1時間歌いっ放しでもちっとも喉が疲れないんですよ。結構な高音も多いんですけどね」
するとY先生が一言、

「じゃあ、まるであなたのために在るアリアなのね」

これには流石に固まって返答に詰まってしまった(滝汗)
歌に先入観や偏見の無い音楽家は、先入観や偏見を持たないという理由だけで、このような事をサラっと言えてしまうのか??????????と本当に心底驚いた。
ウィーンのN先生やM先生や、谷岡先生が、何故私がパミーナの声だと仰ったのか、今更ながらようやく少しだけ道標が見えて来たような気がした。
もの凄く、嬉しかった。
また今年もY先生と御一緒させて頂く事が出来て、本当に不幸に疲れて不貞腐れて荒れかけていた心が少しだけ優しさを取り戻す事が出来そうな気がした。Y先生が、

「今年は、いい演奏が出来そうね!!!楽しみよね!!!!!」

と仰った。その「いい演奏」という言葉が何故か私の心に突き刺さった。
「いい演奏」というY先生の言葉を聴いた時に、自分がこれ程までに「いい演奏」に飢えていた事、渇望していた事を改めて思い知らされた気がした。
アマチュアには本当に難しい「いい演奏」無論、他人の評価では無く、自分自身がきちんと「いい演奏」が出来たという事を認識出来るような演奏会本番。それを、伴奏者であるピアニストと共有出来るという事。ここまで来るのに、10年かかった。
今度は28日と、会場リハーサルが来月11日にある。出来るだけ練習して、体調を整えて演奏会本番に臨みたい。


昨日は、夜勤明けでバレンタインのチョコレートを買いに行く予定だったのだけれど、夜勤で私の受け持ち患者さん2人、プチ具合悪い人がいて超忙しかったので、一回自宅に戻って一眠りしてから改めてバレンタインのチョコレートを購入しに、三越へ♪
今年のチョコレートは「PRESTAT」のピンクシャンパントリュフ♪♪♪
大切な人にはより良い贈り物を、がモットーの私としてはまずまずの選択かなあぁ。とってもじゃあ無いけど、手作りなんてしてるヒマ無いしぃ・・・・・。でも、流石に真っピンクの箱のチョコレートを2個も買うのは若干恥ずかしい年齢になって来たなあぁ・・・・・(大汗)と実感。
ピンクシャンパントリュフを差し上げた方は、どうやらまだ食べていないらしく味の感想を未確認。もし美味しかったら私も食べてみたいよおおおおおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜・・・・・(涙)

ホワイトデーに期待しよう・・・・・。

不思議と毒物と信念と希望の飲み会♪

今日は、っちゅ〜か、今日も連続夜勤の中休み。

15日はピアニストY先生との初ピアノ合わせがある。昨日はバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアのピアノ合わせ前の最終チェックと、6月ヤンクミ一座の演奏会で歌うヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲のうち新しく追加で歌うアリアとレチタティーヴォの練習と確認作業。
いつもの如く、スタジオ練習ギリ直前まで寝て、慌てて起きてスタジオへ直行。
今日は、いつも通り3時間スタジオが取れたので「エジプトのジュリアス・シーザー」のセストのアリア「Cara speme」とセストとコルネーリアの2重唱の譜読みもしようと思って来たのだが、例の如くこれまたセストのアリアの楽譜を忘れて来た(超苦笑)とゆ〜か、クレオパトラの他のアリアの楽譜と取り違えて来た。
まあ、仕方が無い。
最近、また疲労マックス状態だなあぁ・・・・・・・・・・。

とか思いながらも、セストとコルネーリアの2重唱から譜読み。もうDVDで相当観てるし聴いてるので、音取りはほぼ苦労せず。
但し、やっぱコルネーリアはコントラルトの役なので、音域が低い。
でも、これは本当に昨年のクレオパトラのアリアの勉強のお陰か、中低音域〜低音域がクリティカルに響きが当たるようになって来た。無論、私はソプラノだから、低音域を無理くり張り上げようとして声を出しても、響くワケが無い。だから、声量は飽くまで無理無く声を響かせる事の出来る範囲内に限られるのだが、それでも5線の下の音域が、非常に響くようになったという実感はあった。まあ、2重唱なんだから、それ程声量も必要無いと考えているので、これは良いカンジ♪
結構以前からアンサンブルの勉強はやりたかった。数年前に、モーツァルトの「フィガロの結婚」のスザンナや「ドン・ジョバンニ」のツェルリーナの2重唱は勉強して演奏会で歌った事はあるけれども、飽くまでも「お勉強のため」だったので、ちっとも楽しくなかったし、逆に苦痛だった。
けど、勿論今回私が友人の練習に付き合う(便乗とも言う)事とは言え、ソプラノの私がコントラルトのコルネーリアの曲を歌うとゆ〜事は、相当にイレギュラーな事だし恐らくウィーンに行ったらまたN先生から、

「Only study, concert No!!!」

と、ハリセンが飛んで来るであろう事は全く想像に難く無い(死)
でも、もともと私がヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ役を全幕通して勉強しようと考えてDVDを購入して観た時に、
「私はクレオパトラよりもコルネーリアの方が歌いたいよおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・」
と、真剣に考えたものだ。毎日DVDを観る度に、
「なあぁ〜〜〜んで私はコントラルトに生まれてこなかったんだっっっ!!!!!?????」
と、一人部屋でぶつくさ文句を繰り返していた。だから、今回は友人の練習の便乗とは言え、コルネーリアを歌える事は、超嬉すぃ♪クレオパトラよりもコルネーリアの方がキャラ的に好き♪

で、2重唱のコルネーリアの譜読みをざっと終わらせてから、今度はクレオパトラのアリア「Non,disperar」と「Se pieta」のレチタティーヴォの練習。「Non,disperar」は基本的にallegro ma non troppoなのだが、速度をどの程度に設定するかの調整に時間がかかった。allegroの基本120で始めてから徐々に速度を少しづつ下げて行った。最低でもメトロノーム100位で調整したかったのだが、私の声質がそれ程細く軽い訳では無いので、結果的に現在はメトロノーム94〜96で調整となった。歌い慣れて発声でもう少し軽めに調整出来れば、もう少しテンポアップ出来るかも知れない。アジリダの部分を、なるべく少ないブレスで歌い切りたいので、その程度のテンポに落ち着きたいと考えている。今後は歌い込んで慣れて行く事が一番。
「Se pieta」のレチタティーヴォは、これはちょっち大変(苦笑)この曲は、曲自体が本当にドラマティックな曲だし、中高音域のロングブレスは続くし、全く抜けるトコロの無いアリアの上に、レチタティーヴォからドラマティックな表現が必要。しかも、クレオパトラの数少ないシーザーへの愛が語られるレチタティーヴォなので、ドラマティックなフォルテと柔軟なピアニッシモと、声の緩急が表現として必要不可欠。今日はフォルテとピアニッシモのバランス配分を主に行った。こ〜ゆ〜表現を自分自身の解釈で脳味噌をフル叩きで考えて無い知恵絞って歌う事は非常に大変なのだが、全幕通して勉強するなら、もはや避けて通れない。まあ、このような勉強を自主的に行えるようになったという事自体は、成長の証なのだから喜ばしい事ではあるのだが。


ヘンデルの練習を約半分の時間で終わらせた後は、ようやくバッハとモーツァルトの練習。
と言っても、後は確実な暗譜と最終確認作業だけなので、余り歌い込み過ぎない程度に留める。15日のY先生とのピアノ合わせが終わってから最終的に固める調整を行った方が良い。
今日はバッハ「Bist du bei mir」はざっと通しただけ。前回の谷岡先生のレッスンで指摘された、中低音域に照準を合わせて声の響きのポジションを取る事をチェックした。4小節ブレスに関しては余り拘らない事にした。まず、バッハの声楽曲の発声の確立から慎重に勉強して行こうと考えている。前回の谷岡先生のレッスンで初めて歌ったバッハ「シュメッリ歌曲集」も視野に入れた勉強を行って行かなければならない。でも「Bist du bei mir」は歌い慣れてはいるので、今日は本当に通しだけ。

モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアは、アジリダの部分のブレス箇所の確認作業を主に行った。今迄この曲はメトロノーム60でテンポ調整して来たが、アジリダのブレス箇所の問題が持ち上がったため、テンポの再確認作業を行わざるを得なかった。基本的にアジリダ部分はノンブレスで行く。でも、普通のAndanteでこのアリアを歌うという野暮な真似だけはしたくない。ダサッ(古っ)
一応、メトロノーム76の普通のAndanteからパミーナのアリアを歌い直してみた。テンポ76。こんなお急ぎの悲しみがあっていいのか???あるワケないだろ!!!有り得ない!!!ちゅ〜こって、やっぱりテンポ70以下で再調整(爆)よくもまあ、みんな世のパミーナ歌うソプラノ歌手は、こんな早いテンポで愛と死の悲しみの表現が出来るなんざ、お上手な歌手が多いんだなあぁ(爆)まあ、私はモーツァルトあんまし好きぢゃあないしぃ、あんまし向いてないしぃ、オペラ全幕通して歌う事も無いしぃ、好きなよ〜に歌うさあぁ♪とゆ〜事でテンポ調整を行い徐々に遅くして行ったトコロ、テンポ64〜68ならばパミーナのアリアのアジリダ部分はノンブレスで歌える事が分かった。
もともと前回の谷岡先生のレッスンでも、

「やっぱり、あなたのパミーナのアリアのテンポはちょっと遅いのよ。アジリダをノンブレスで歌う事はあなたなら十分可能だと思うから、もう少しテンポ上げてみる気は無い???」

と指摘されていた。勿論テンポアップの状況は十分に想定内だが、あくまでもメトロノーム70以下というのが最低限度の譲歩条件。でも、テンポ64〜68でアジリダがノンブレスで歌えるなら、この程度は許容範囲内だろうな。とゆ〜事で、メトロノーム64のテンポ調整でざっとパミーナのアリアを通して、本日の練習は終了、きっちり3時間でした♪
しかし本当に不思議なのだが、パミーナのアリア、スタジオ練習の一番最後に歌っても、ちっとも喉に疲労を感じない。逆に、ヘンデルやバッハを散々歌った後にパミーナのアリアを歌うと喉の調子が良くなる気がするくらいだ。結構な高音域、2点hとか、ガンガン出して歌ってるのに。
この事に関して前回のレッスンで谷岡先生に相談してみたら、谷岡先生が、

「ああ、このパミーナのアリアはねえぇ、ヨーロッパなんかで歌ってる一流の歌手達が、朝イチで自分の発声を整えるために良くパミーナのアリアを歌うっていうくらい発声にはとっても良いアリアなんだって私の先生が言っていた事があるのよ。だから、あなたがパミーナのアリアの練習は長時間平気で声帯に疲労が感じないと思う事は、きっと正しい事だと思うから、それで良いと思うわ」

との事だった。ふ〜ん・・・ど〜りで1時間歌いっぱなしでも声帯に疲労を感じない筈だわ。


スタジオ練習が終わった後は、病棟の看護師飲み仲間と、宴会!!!!!
本日のメンバーは「不思議」な私と「毒物」と「信念」と「希望」な3名、4人で大騒ぎ(自爆)
成分解析は今日も話題になった(爆)
やっぱ、たまにはストレス解消しないとねえぇ〜♪

さて、寝るか。

成分解析。。。

昨日、今日と久しぶりの2連休だったので、連続夜勤で疲労困憊も忘れて色んな事やりまくったら、DVDも観られない程クタクタヘトヘト。ドツボ。

昨日は、スタジオが混んでいて結局2時間しか取れなかった。バッハ「Bist du bei mir」モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアを練習していたら、あっちゅ〜ま。
ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラの最初のアリア「Non Disperar」と「Se pieta」のレチタティーヴォを練習し終わったら、スタジオ時間残り10分(悲鳴)結局、セストの「Cara speme questo core」は、たった1回流して歌ったとゆ〜か、音取りしただけ。超凹んだ。
やっぱりせめてスタジオ練習は最低3時間は欲しい。きっぱり。だって元々はスタジオ練習4時間やってたんだから、2時間じゃあ足りねえぇの何のってハナシ。

スタジオ練習が終わってからギャラリーカフェで、楽譜作り。
クレオパトラのアリアは全部で8曲。残りの2曲の楽譜作りを途中までと、セスト&コルネーリアの2重唱「Son nata a lagrimar~Son nato a sospirar」のイタリア語訳と楽譜指示記号のチェックをよ〜やっと終了。友人のセストの勉強にお付き合い、とゆ〜か便乗(爆)させて頂くのに2重唱でコルネーリアを私が歌うつもり(ほぼ確定)なのだが、実は自分がコルネーリア歌いたかったりして(自爆)
コルネーリア、低っ!!!コントラルトの役だから、当然か(苦笑)
そして、今年6月、毎年恒例千葉のヤンクミ一座のコンサートに、今年はクレオパトラのアリア5曲歌う事にしたので、自己紹介文やら、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のあらすじやら、クレオパトラのアリアの楽曲解説や日本語訳をまとめてディスクに保存。あとはプリントアウトだけして楽譜と一緒にヤンクミに送るだけ。
最後にギャラリーカフェ閉店時間まで、セストのアリア「Cara speme quesuto core」のダ・カーポ部分の装飾音のチェックをして楽譜に書き込む作業。勿論御手本は、Concert CopenhagenのDVDのセスト役Tuva Semmingsenの歌唱♪
ここまで終って気が付いたら、夜8時。外は超寒かった(涙)

その後帰宅して酒呑んで少し食べたら、胃の動きが良くないのかすぐ眠くなってしまい、ちょっとウトウトしたら、夜中1時〜朝6時まで眠れず、ゴロゴロウダウダ(自爆)
仕方無いわな、いつもならお仕事真っ最中の時間。
それでも今日は谷岡先生のレッスンがあったので、無理やり眠ろうと羊を数えまくったが、結局よ〜やっと眠りにつけたのは夜が明けてから。


今日は11時からスタジオで発声練習してから14時から谷岡先生のレッスンに行くはずだったが、目が覚めたのが10時40分(爆死)
飛び起きて泡食ってシャワー浴びて自宅を飛び出た(超苦笑)
結局、発声練習時間は約30分弱。しかも、楽譜を忘れて来た(誤爆)
私は、例の赤と白のカワイ楽器の袋に、レッスンを受ける先生毎に楽譜を小分けして持ち歩いている。
ミルヒー先生用イタリア歌曲&イタリアオペラの楽譜、ウィーンのN先生レッスン用の楽譜、ウィーンのB先生レッスン用の楽譜、シューマン等のリサイタル用楽譜etc・・・・・。
今日持ってった楽譜は、ウィーンのN先生用の楽譜オンリー(凹)バッハやモーツァルトやベートーベンの楽譜しか、私の「のだめバック」に入っていなかった・・・・・・・・・・(死)

そ〜ゆ〜ワケで、本日のレッスンはバッハとモーツァルト。
谷岡先生のお宅に到着して、まずはハリセン先生の御在宅を確認。谷岡先生も、

「今日もハリセン先生はいないよ〜♪パミーナ練習する???」

・・・・・・・・・・・・・・・(核爆)谷岡先生も、やるなあぁ。。。
先日、ウィーンのM先生からメールを頂いて、今年のウィーン行きは9月くらいなら可能との旨御報告した。
本当は、ハリセン先生と谷岡先生が希望者を募って今年6月に数人でウィーンに行く予定らしいのだが、私はゆっくりレッスンを受けたいし、今の勉強ペースでは6月にウィーンに行ってもレッスン曲数が限られるし、6月には千葉でヤンクミとの演奏会もあるとゆ〜事で、6月のウィーン行きはちょっと無理。9月にゆっくりウィーンに行ってレッスンしたいとお話しした。ハリセン先生や谷岡先生と一緒にウィーンに行ったりしたら、きっとレッスンよりも、毎日夜のホイリゲがメインになっちまうううううぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜・・・・・(滝汗)
と、谷岡先生と爆笑しながら談笑。
先日ウィーンのM先生から頂いたメールにも書かれていたのだが、

「あなたのメールを読んでいると、まるで直接お話ししているかのように感じてしまいますが、違うのは、酒が無い事です!!!ひひひ♪」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(沈黙)私の先生方って、一体・・・(蒼白)
そ〜ゆ〜事で、今日は早速バッハのレッスンから。「Bist du bei mir」低声用は谷岡先生には初めて見て頂く。以前は原調版の高声用だったのだが、今回低声用で歌ってみて谷岡先生から指摘されたのが、

「あなたは、せっかく高音もかなり出るし、中音域も豊かに響く声を持っているんだから、高音だけ飛び出しているように聴こえないように、もっと自然に声を出してみたら???中低音域にポイントを合わせたら、もっと楽に声を出せるようになると思う。高音域で少し流れが止まっているように思う」

との事。やっぱ、ヘンデルのリサイタルでクレオパトラのアリアをしこたま歌って勉強してから、中低音域が自分でもかなりしっかり響くようになって来た実感があった。ようやく中低音もモノになるようになって来たかあぁ(滝涙)
次は、初レッスンにお目見えのバッハ「シュメッリ歌曲集」から2曲。何しろ、私も録音は一切聴かずに譜読みして、谷岡先生も「シュメッリ歌曲集」は歌った事が無いとの事で、手さぐり状態のレッスンとなった。
バッハ、シュメッリ歌曲集、短い曲と言っても音域も広いしメロディラインがバッハ独特。同じバロックでも、ヘンデルとはエラく違う。
ただ、歌詞がキリスト教の聖書に基づく内容なので、意味的には私にとって結構親しみ易いとゆ〜か分かり易いとゆ〜か理解し易いとゆ〜か。録音を聴かずに勉強して来たが、何とか谷岡先生の伴奏にくっついて歌う程度は出来た。少しホッとした(汗)
たった1ページの有節歌曲なのにテンポの変化があったり、カンマが無いのにフレーズを切る箇所があったりと、今までのドイツリートの勉強には無かった要素が多い。谷岡先生からもアドバイスされたが、バッハの器楽曲を聴いて勉強した方が良いのではないか、との事。イギリス組曲やフランス組曲など。
私が持っているのは、オルガン曲と、チェンバロ曲だけかも(苦笑)マタイ受難曲やh-mollはあるけど、バッハを歌うのならば今後は声楽曲だけではなく器楽曲も含めた「バッハの勉強」が必要になりそう(自爆)嗚呼、また読む本が増えそう・・・・・・・・・(疲)
ど〜してもバッハの声楽曲とゆ〜と「天使の声」的なイメージが大きいので、私が歌うには結構躊躇する事が多い。先日もアーリーン・オジェーのバッハ&ヘンデルのCDを購入したのだが、あんなカンジ。
しかし、谷岡先生が仰る事には、

「日本人とヨーロッパ人の、天使の声に対する認識がそもそも違うのよ。日本人は、ウィーン少年合唱団みたいな声を天使の声だと思ってるでしょ???ヨーロッパでは、ウィーン少年合唱団は、単なる子供の声なのよ。ヨーロッパの天使の声っていうのは日本と違って、もっと大人の声なのよね」

う〜ん・・・。確かに何度か谷岡先生から同じ事を指摘されて来たけれど。
まあ、どっちみちウィーンのレッスンにバッハの「シュメッリ歌曲集」は持って行くので、天使だろ〜が悪魔だろ〜が、気合入れて勉強しなきゃいけない事は確かなのだ。

最後に、パミーナのアリアをレッスン。結構歌い込んでいるので殆ど問題無しと言われたが、アジリダの部分で、どの個所でブレスするかが問題になった。ドイツ語の言葉は繋げなければならないので、ブレスするにしてもカンニング、結構な高音でブレスする事になる可能性が高い。でも、今私がスタジオで自分で練習している時はメトロノーム60で練習している。Largoの扱いである。それでも、パミーナのアリアの後半でのロングブレスは持つので、一応演奏会本番ではメトロノーム66〜68で調整する予定でいる。70以上のテンポでは歌いたくない。最低でもAdagioで行きたい、とゆ〜事で、アジリダの部分のブレス箇所の調整が課題となった。
もう一つは、谷岡先生から、

「どういうリズムで歌いたいのかが、ちょっと見えて来ない。テンポもまだ少し迷っているように聴こえる。それと、8分音符が少し長く聴こえる」

と指摘された。6/8拍子が3/4拍子に聴こえてしまいがちである、という事に自分自身気が付いた。これは、少し微調整が必要。下手にブレスが長いと、なるべく途中でカンニングブレスをしたくない!!!とゆ〜欲も出て来る。
まさかここまでパミーナに力が入るとは思っていなかったのだが(苦笑)
で、本日のレッスン終了。

次は、15日にピアニストのY先生と、初ピアノ合わせがある。
それまで、少ない時間を大切に練習しなければならない。
先日ウィーンのM先生から頂いたメールの中に、パミーナに対するM先生の考えが述べられていた。

「パミーナは、オペラの中で私はとても好ましく感じる人物です。最初のパパゲーノとの2重唱での彼女の優しさ、母である夜の女王との会話で彼女が示す正義を愛する力など、どれも生きて悩んでいる人間がいます。そして、時に戸惑ってしまう人間性など・・・いいですね」

日本から単身ウィーンに渡り、長年ウィーンで音楽を学び、今はウィーンで音楽を教えて演奏されているM先生からこのようなお話しを伺うと、本当に私は幸運な人間なんだなあぁ・・・と嬉しくなる。
何だよ、パミーナも結構イイ役じゃん♪とか思ったりして(自爆)


先日、連続夜勤の真っ最中、私の夜勤にしては珍しく静かな夜勤だった。
ヒマだったので、ブログ友人のブログを見ていたら、面白いモノ発見!!!
「成分解析 on WEB」

ワタシの解析結果は、
60%は不思議で出来ています。
17%は玉露で出来ています。
9%はマイナスイオンで出来ています。
8%は濃硫酸で出来ています。
6%はミスリルで出来ています。

とゆ〜解析結果だった。
真夜中ヒマこいていたワタシは、一緒に夜勤をしていた仲良しの看護助手さんと一緒に、病棟の勤務表の一番上から、片っぱしから成分解析して、真夜中のナースステーションで2人で大爆笑していた。
休憩に入っていた後輩看護師に解析結果をコピーしてあげたら、超複雑な表情をされた(核爆)
仲の良い飲み友看護師の中には、毒物で出来てたり、下心で出来てたり、カルシウムで出来てたり、純金で出来てたり・・・色々あったので、病棟でちょっと流行らせようと考えている。
ヒマ潰しと目覚ましには丁度良かった。
歌とか音楽で成分構成されてると思っていたのにいぃ〜〜〜・・・。
それにしても、玉露って、濃硫酸って・・・・・(謎)

Evangelist

昨日は連続夜勤の中休み。
スタジオの予約が丁度良い時間に取れなくて、21時〜0時にスタジオをようやく予約出来た。
昼過ぎに起きて、スタジオ練習までの時間は、久しぶりにギャラリーカフェで本当に久々の楽譜作り!!!
ホント、嬉しかった〜〜〜\(^o^)/

ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」で友人と一緒にデュエットする予定のコルネーリアとセストのアリアの楽譜を自分用に作成し直し。
クレオパトラのアリアで、今迄歌っていなかったレチタティーヴォを日本語訳&楽譜指示記号チェックしてから、今年ウィーンでレッスンを受けたいと考えているバッハ「シュメッリ歌曲集」から2曲を楽譜作成♪
ギャラリーカフェで楽譜作成に掛けた時間だけでも5時間。
その後、スタジオ練習を夜中まで3時間行った。
やはり、連続夜勤の中休みでもたった1日なので、少し歌っただけでもすぐ声帯に疲労を感じた。
でも、練習しない訳にはいかない。
喉を壊さないように、潰さないように、慎重に少しづつ練習していくしか他に術は無い。
最初にバッハ「シュメッリ歌曲集」から2曲を音取り&譜読み。
バッハの高声用楽譜は、音域が割に高い。せっかくウィーンから買って来た楽譜だが、これは低声用楽譜も購入した方が良いかも知れない、とマジで考えた。
バッハ「シュメッリ歌曲集」は、ウィーンのM先生と一つ大きな約束をして日本に帰国した。それは、ウィーンのM先生から、

「あなたくらい歌の勉強をしようという人なら、いい加減もう曲の録音を聴いて譜読みをするのではなくて、まず楽譜に向き合い、どんな曲でどんな歌詞なのかを、きちんと自分で考えながら勉強するべき。あなたなら出来るはずよ!!!」

と、去年のウィーンのレッスン時にM先生に指摘されて日本に戻って来た。
だから、バッハ「シュメッリ歌曲集」だけは、何としても、どんな事があっても、決して録音は一切聴かずに譜読みをしなければならないという自分自身の中の厳守項目が存在する。
「シュメッリ歌曲集」の中でも、比較的音取りし易い曲を選択したが、やはり初見などやった事も無い私にとっては、困難な作業である事には違い無いが、それでもフレーズ毎の和音をピアノで弾きながら、少しづつ音取りして譜読みを行った。


その後は、3月演奏会で歌うバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」パミーナのアリアの練習。
バッハ「Bist du bei mir」低声用は、どうしても楽な音域であるために、声を出し過ぎてしまう。少しづつ音量を絞りながら練習するものの、身体的疲労の激しい今はどうしても声帯の疲労を感じてしまう。もう少しコンパクトに歌う事を考えて行かなければならない。理由としては、まずブレスが4小節持たないのは、ドイツリートを勉強し歌う者としては、非常にみっともないし聞き苦しい。一体何を勉強しているのか???という事である。少なくとも、この「Bist du bei mir」を勉強し何度か演奏会に乗せているのだから、いい加減本当のドイツリートの必要最低限の御約束に乗っ取った歌唱を目指さなければならない。でなければ、歌っている意味が無いのだ。この課題に関しては、演奏会本番ギリまで苦心する事になるだろう。

その後は、モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアの練習。
不思議な事に、本当に不思議な事に、自分で考えた自分のやりたい自分しかやらないパミーナを歌うようになってからというもの、パミーナのアリアは、1時間歌いっぱなしでも喉に疲労や負担を感じる事が一度も無い。実際に昨日も、バッハを3曲練習してから一番最後にパミーナのアリアを1時間練習したのだが、声帯の疲労を感じるどころか寧ろ、パミーナのアリアの練習をした後は、喉が楽になり声帯の負担を忘れるくらいだった。
一体、ど〜ゆ〜現象なのだろうか(超激爆)
パミーナのアリアも、バッハの歌曲と同じく只管ブレスを長く繋ぎレガートにピアニッシモに歌う事だけに集中した。それでもやはり、下降音型では音程が低くなる事があり、それを一つ一つ厳密に洗い出して行く作業を入念に行った。恐らく、3月の演奏会本番まではこの作業との戦いになるであろう事は、まず間違い無い。


夜中過ぎに帰宅して、今日は非常に貴重な、日勤業務(猛爆)
何だか全身倦怠感&頭痛&耳鳴りが酷くて、でも仕事は山積み(爆死)
ようやく夜7時頃帰宅した。
今月は、3月演奏会のピアノ合わせの日程をY先生と調整するので、まずは谷岡先生とのレッスン日程を相談しなければならなかった。勤務シフトと睨めっこしながらワインを1本空けた所で、メール着信があった。

ウィーンのM先生からのメールだった。
先日、ウィーンのM先生に、今年の7〜9月は病棟で夏休みが取れるので、夏期間にウィーンの先生方々のスケジュールが大丈夫であれば、夏にウィーンにどうしてもレッスンに行きたい事をメールでお伝えしていた。その返信が、返って来た。
M先生から、9月以降であればN先生もB先生もレッスンが可能かもしれませんとのお返事だった。
9月なら、多少苦しくても日程的にウィーン行きが調整可能である可能性が高い!!!本当に嬉しかった。
それともう一つ、M先生からのメールに、一つメッセージが書かれていた。

「沢山の素敵な曲目を練習しておられるのですね。あなたのパミーナはきっと、とてもぴったりですね。私も聞かせて頂きたいです。音楽はあなたにとって、大事な事なのですね。お体もしかし大切です。どうか無理のないようにお過ごしくださいね」

このメールの文章を読んだ時に、本当に涙が流れた。
日本では、誰もが私がパミーナを歌う前から、
「パミーナは違うんじゃない???」
と、否定され続けて来た。悔しくて悔しくて悲しくて腹が立って、仕方が無かった。
私がやっとの事で練習したパミーナのアリアを、谷岡先生と友人だけが、認めてくれた。
でも、ウィーンのM先生は、去年のまだまだ今よりももっと未熟な声でしか歌えなかった私の声の状態しか記憶にお持ちでなくとも、私のパミーナのアリアを楽しみに待っていて下さっているのだと思ったら、もう外野の雑音なんかどうでも良くなった。
ちゃんと、3月にパミーナを歌えるようになろうと、決心した。
日本で誰もが歌を聴く以前に否定した私のパミーナのアリア。
ウィーンにレッスンに行くまでに、例え誰にどんな事を言われたとしても、絶対に自分だけのパミーナを少しでも成長させて今年のウィーンのレッスンに持って行きたい。
どんなに足掻いて苦しんで怒り不貞腐れても、試行錯誤しながら諦めずに勉強する事は、決して無駄では無いのだと、私自身が決して無駄にしてはならないのだと、身に染みた。
いっその事、日本なんかで私がパミーナを歌わなくとも良いではないか。
ウィーンにレッスンに持って行く事が出来るのならば、それでいい。


M先生の「良い知らせ」のお陰で、また今月の夜勤漬けの生活も何とか乗り切って行けそうな気がする。

パミーナのアリア、頑張らなきゃ♪



夜勤漬け生活

1ヵ月ほぼ夜勤漬けの生活が過ぎた。多少体は慣れて来たが、疲労は取れない。スタジオ練習に行くのが精一杯。
一番困った事は、楽譜作りが進まない事。ミルヒー先生や谷岡先生のレッスンが殆ど受けられない事。
楽譜作りが滞ると、来年以降の歌曲やオペラアリアの勉強に遅滞が生じる。イタリア語やドイツ語の辞書を開いて歌詞を一つ一つ丁寧に訳し発音記号や指示記号を調べて楽譜に書き込んで行く作業。
これは私が声楽のレッスンを始めた時から自分自身の御約束としてずっと続けて来ている事であり、この作業無くして声楽の勉強は有り得ない。
来月になったら、少しは夜勤生活に体も慣れて、楽譜作りの作業を再開出来るだろうか。
バッハ「シュメッリ歌曲集」や、ウィーナーリートの楽譜作りが全く進んでおらず、手付かずのままである。
明日から、少しでも楽譜作り作業に着手したい。


今月は、夜勤明けで自宅にいても寝て過ごす事が多かった。
ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを2種類、CDを4種類購入、更にサラ・コノリーのヘンデル・オペラアリア集とシューマン歌曲集を購入した。
まだ殆どきちんと聴けていないのだが、DVDは全て見比べてみた。
このブログで御大層なディスクレビューはしないので、簡単に歌手の比較と感想を書くに留めたい。

Dresden StaatskapelleのCraing Smithの盤、
Concerto CopenhagenのLars Ulrik Mortensenの盤、
それといつものグラインドボーンのウィリアム・クリスティの盤。

シーザー役に関して思う所は、アジリダの表現や音の正確さに於いては、サラ・コノリーがやはり抜きん出ていると感じた。但し、グラインドボーン以外の盤はどちらもシーザー役がカウンター・テナーである。Jeffery Gall、Andreas Schollというカウンター・テナーだが、どちらも非常に伸びのある声の持ち主でシーザー役としては楽しむ事が出来た。シーザー役に関しては、メゾ・ソプラノやコントラルトも良いが、演奏としては男性のシーザーの方が50歳代軍人の男臭さというか好色振りが出ていて良い部分も多いのかも知れないと感じた。そういう意味では、サラ・コノリーのシーザーは非常に清潔感や華麗さが漂うシーザーで、やはり男声が演じるのと女声が演じる事の大きな違いが際立つ事に、多少の驚きを覚えた。サラ・コノリーは女声だけあって非常に緻密な表現を徹底して歌唱に取り入れているという事を強く感じた。

クレオパトラ役に関しては、Susan Larson、Inger Dam-Jensen、ダニエル・ド・ニースだが、私が一番参考にするであろう声質のクレオパトラはInger Dam-Jensenになる。Susan Larsonは不思議ちゃん系のソプラノでこれはちょっと私が参考に勉強するのは苦しい(爆)但し、このSusan Larsonの「敬愛する瞳よ」のアリアは恐らく3人のクレオパトラの中では最も美しい美声で歌われているのだろうという事は感じた。まあ、日本人好みのクレオパトラだろう。ド・ニースも確かにヘンデル歌手としてウィリアム・クリスティに認められてはいるし、「苛酷な運命に涙を流し」のアジリダはインテンポに歌いこなしているので、その辺くらいは参考にして行こうと考えているが、ド・ニースのクレオパトラには政治的要素や中年軍人をおとすといういやらしさが余りにも欠けていて非常に面白みが少ない。小娘的なクレオパトラを声で表現する事は私には必要無い。
Inger Dam-Jensenは、声質がやや太めな事もありクレオパトラのアジリダの表現に於いては多少重くなりがちであるという私が抱えている課題とリンクする歌手であると感じたが、しっかりした強い声のクレオパトラで、実に野心的なクレオパトラを歌っているので大いに参考に勉強して行きたい。流石にクレオパトラが多少強めの声質であれば、カウンター・テナーとの2重唱の相性というかバランスが非常に良いと感じた。
でも、今後は自分自身がクレオパトラをどう歌いたいか、どう歌って行くのかをほぼ掴みつつあるので、それ程録音や映像を手本に勉強するという事は減少傾向になるだろうと思っている。

最も差が出たのは、トロメーオ役。
Drew Minter、Christopher Robson、クリストフ・デュモーの3人の中では、圧倒的にクリストフ・デュモーの一人勝ち(爆笑)と私は判断した。クリストフ・デュモーは若いのでChristopher Robson程のいやらしさは無いのだが、歌唱力という点では抜きん出ている。追随を許さない、というカンジ(笑)カウンター・テナーとしても相当にしっかりした強い声質の持ち主であり、テクニックも非常に高度であると感じた。トロメーオは非常に若いエジプト王だが、タダのクソガキやセクハラ王では無く、狂気という表現が加わるとこれ程までに貫禄が違うものなのか、と圧倒される。特に古代エジプトは、王権は基本的に女王主権移譲で近親結婚であるので、政治的才能が無い(特に外交政策や国防戦略)王は、古代数千年のエジプト王朝を滅亡される危機と他国(ローマ)との戦争に発展するという歴史的現実が存在し得る。そういう意味で、ただの幼稚さと好色さだけでなく、それに加えて暴力的で狂気を持ち合わせる(歌唱として表現出来る)実力を兼ね備えたクリストフ・デュモーはまさに当り役と評価されて然るべきであろう。
特に、ド・ニースとの兄弟姉妹による近親結婚の末のエジプト王権争奪戦という、血で血を洗うグロテスクな血縁因縁と歪んだ愛情を、あそこまで表現しているトロメーオは、今の所クリストフ・デュモーの他私は見つけられていない。そのような素晴らしいトロメーオの録音なり映像が存在するのであれば是非教えて頂きたい。
何故ならば、トロメーオの解釈がクレオパトラという役柄の理解と解釈と表現に、絶対に切り離す事の出来ない絶対的要素なのだからである。

コルネーリア役も、この役を歌うコントラルト歌手自身のレパートリーによって非常に差が出ると感じた。
Mary Westbrook-Geha、Randi Stene、パトリシア・バードンの3人の中では、やはりワーグナーも歌うパトリシア・バードンの声の迫力や厚みは群を抜いていると感じた。低音域の発声の安定感という観点からしても、やはりパトリシア・バードンが圧倒的であると考える。
余談なんだけど、Randi Steneが誰かに似てるなあぁ〜〜〜・・・と良く良く考えてみたら、ヒラリー・クリントンに似ていた(爆)

セスト役に関しては、非常に面白い事が解った。
Lorrain Hunt、Tuva Semmingsen、アンゲリカ・キルヒシュラーガーの3人の中で、最もセストとして素晴らしいと感じた歌手について、では無く寧ろ、最もセストとして疑問視せざるを得ない歌手が、キルヒシュラーガーであると非常に強く感じた。
セストとしての歌唱で最も差がはっきり認識出来る曲が2曲存在すると私は非常に注意深く考えてる。「Cara Speme」と、コルネーリアとの2重唱である。この「Cara Speme」で音程が低いという荒業をやってのけたのはキルヒシュラーガー一人だけ(超苦笑)しかも、キルヒシュラーガーはコルネーリアとの2重唱でパトリシア・バードンと音程が合っていない。他の2人のセスト役歌手は、コルネーリアとの2重唱で非常に美しいアンサンブルを聴かせてくれている。特に、Lorrainn Huntのセストは非常に美しい2重唱で、思わず涙が流れる程だった。Lorrain HuntやTuva Semminsenは非常に伸びのあるしっかりした歌唱で音程もポンとピッタリ当てている。この二人のセストの歌唱は何の不安感も違和感も無く聴ける。しかも、Lorrain HuntもTuva Semmingsenも、殊更セストが少年である事や若さを強調しなくとも自然な歌唱でセストを充分に表現出来ていると非常に強く感じた。特に、Tuva Semmingsenのセストはイタリア語も曖昧さが無く非常に安定感のある歌唱で、セストをレパートリーとしているという事が歌唱から十二分に感じ取る事が出来る。
要するに、キルヒシュラーガーは、グラインドボーンのミス・キャストと私は評価する。

3つの盤で最も大きく違ったのが、アキッラとニレーノの解釈。
Dresden Staatskapelleでは、コルネーリアを天使のように崇める優しいアキッラと、女声がニレーナとして歌っていた。
Concert Copenhagenでは、トロメーオの部下として、コルネーリアへの欲望との間で悩めるアキッラと、まるで僧侶のような影武者のカウンター・テナーのニレーノが歌われていた。
グラインドボーンのアキッラは、トロメーオにまんまと騙される悪役で、ニレーノはユーモアたっぷりのチャップリン・タイプのように感じていた。
3つの盤とも、ここまで違うと比較出来ない(笑)それぞれの演奏や演出を楽しむのが最も良いかな〜と思う。



最近、ようやく少し状況が動いて来た。

まず、3月の演奏会で歌うバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアを、去年のドイツリート・リサイタルのピアノ伴奏をしてくださったY先生と、ピアノ合わせの日程の調整に入る事になった。Y先生とのピアノ合わせまでには、少なくとも谷岡先生のレッスンを受けておきたい。来月2月も、日勤はたったの2日で、後は全て夜勤になっている。体調と喉の管理に集中しなければならなくなるだろう。ただ、3月のウィーン行きは無くなったので、練習時間は何とか確保出来るだろう。取り敢えず、出来る事をやるしか今は他に方法が無い。バッハもパミーナも歌唱の方向性は既に出来上がっているのだから、後は演奏会本番に乗せられるレベルを如何に向上させて行く事が出来るか、に尽きる。

それと、先日ウィーンのM先生からメールを頂いた。
親父の病気のために3月のウィーンでのレッスンを中止したい旨のメールを送ったが、M先生は非常に心配してくださって、ウィーンのN先生やB先生にも私の事情を詳しく説明して下さるとの事だった。そしてM先生からは、

「状況が落ち着いてあなたがウィーンに来られる時に、いらして下さい」

と、非常に有難い言葉を頂いた。
今年のウィーンでのレッスン、まだ諦めてしまわなくても良いのか、と思ったら胸がいっぱいになった。
メールを頂いて、涙が流れた。
現在、今年の夏頃ウィーン行きが可能かどうか調整中である。
希望が持てるという事は、本当に嬉しい有難い事だ。
絶対にウィーンでのレッスンは、決して諦めない。


残念な事に、連続夜勤の蓄積疲労で、昨日のフィギアスケート四大陸選手権の録画を忘れて夜勤に出勤してしまった。
真央ちゃんの「鐘」が観られなかった、トリプルアクセルジャンプ2回成功が、観られなかった・・・(滝涙)
でも、逆転優勝出来て良かったです。真央ちゃん。
バンクーバー・オリンピックでも、どうぞ真央ちゃんが演じたいスケーティングが出来ますように。



さっき、某ブログで非常にショックを受けた。
チェリビダッケが、ジェシー・ノーマンの歌う、R.シェトラウス「4つの最後の歌」を、

「ゴビ砂漠の春」

と批評した、という事。

私も、パミーナのアリアを歌う時には、聴き手と歌う場所を相当に厳選しなければ相当に野次られるのかも知れないな、と苦笑いしてしまった。
演奏する側が聴き手を選別したとしても、別に悪くは無い。
私はアマチュアなんだし。



私の堪忍袋のサイズはSサイズ♪

今日も夜勤の中休み。
明日からまた連続夜勤になるので、次の休日は31日。それまで声を出す事が出来ない。

今年3月のウィーン行きをようやく諦めてウィーンのM先生にレッスン中止のメールを送ってから、酒量が倍に膨れ上がった。
親戚一同が親父の入院費用等について色々言って来たが、一喝一蹴。
憂さ晴らしに、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のCDを4種類、DVDを2種類、買い漁り。金額合計約4万円也( ^^) _旦~~
嗚呼、すっきりした♪♪♪
これから届くのが楽しみだわあぁ〜\(^o^)/

今日は夕方からスタジオ3時間練習。
昼過ぎに起きて、まずは3月のお教室演奏会用のバッハ「Bist du bei mir」とモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアの楽譜をY先生に速達で郵送。
それと、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のセストのアリア5曲とセスト&コルネーリアの二重唱の楽譜を点訳依頼。
それからギャラリーカフェに行ってコーヒーを飲みながら、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア1曲目「Non disperar」の楽譜作りをしてから、スタジオに向かった。

今日から暫くは連続勤務・連続夜勤が続くので、5日間は声が出せない。
今日は何の練習をしようか、結構迷った。
3月Y先生のお教室演奏会で歌うバッハとパミーナの他は、本当は、今年リサイタル予定のシューマンを練習しようと思って楽譜を持って行ったのだけれど、ギャラリーカフェでヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア、まだ歌っていない「Non disperar」の楽譜作りをしていたら、やっぱクレオパトラを歌いたくなってしまった。
クレオパトラのアリア「Non disperar」は、実際歌ってみたらクレオパトラの他のアリア「Tu la mia stella sei」「Vennelle bella」よりも余程歌い易く、何でヘンデルのリサイタルにこっちの方を選んで歌わなかったのかあぁ〜〜!!!と、超後悔した(爆死)でもまあいいか(超苦笑)
一つ感じた事なのだが、ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のグラインドボーンの映像を購入してから、ヒマさえあれば毎日のようにDVDを観ているせいか、クレオパトラだけでなく、ヘンデルの「エジプトのジュリアス・シーザー」という音楽全体がもう体の中に叩き込まれているため、クレオパトラの新しいアリアを初めて譜読みしても、困難さも難しさも違和感も全く感じない。
当然私の頭の中にはダニエル・ド・ニースのクレオパトラの声や歌唱がおぼろげながら残ってはいるのだが、一番印象的な事は、ダニエル・ド・ニースの歌唱よりも、ウィリアム・クリスティのヘンデルの音楽構造の枠組みというか感性というか方向性というか趣向だったので、クレオパトラの新しいアリアを自分の声質と解釈と歌唱をベースに練習する事に、全く唯の一つも違和感を感じなかった。
強いて言えば、後はAllegro ma non troppoのテンポの創出に頭を搾るだけだった♪
要するに、自分自身にとっての真のレパートリーとは、即ちこういう事なのだろう(笑)という事が、ようやく得心が行くようになって来た。他の歌手、録音歌手に惑わされない、引き摺られない、自分の歌唱が最初の1フレーズで即座に掴み取る事が出来る。
それが即ち真の「レパートリー」という事になるのだという事。

その後は、バッハ「Bist du bei mir」とパミーナのアリアの練習。

バッハ「Bist du bei mir」は、低声用なので、まずは声を押さない響きを高く保つ練習。この低音ながら響きを高く保つ練習には非常に慎重に注意深く神経を使い果たす。
その上、このバッハの歌曲は原調版の高声用とはいえ、既に2回演奏会本番に乗せている。そのため、今回例え低声用で演奏会本番に歌うと言っても、今迄の演奏会本番よりもより質の高いレベルを目指さなければならない。今回の目標は、4小節ブレスを徹底する事。
世界的一流歌手の録音ですらブレスしている箇所でも、本来ならばブレスするべきではないフレーズは、ノンブレスで歌う事を目指す。それが、真の意味でのレパートリーという事なのだ。
ちなみに今のレッスン状況では、ギリセーフ(自爆)後は本番までに如何にしてノンブレスで4小節歌いきる事が出来るかを最終目標にする。
幸い、バッハも声の響きに関しては、特にミルヒー先生のレッスンで教えて頂いた事、ブレスは地面の下から深く、発声は地面の下から背後を通って頭蓋骨全体を響かせて、その練習の繰り返しで何とか方向性が見えて来た。3月の演奏会本番まで集中していかなければならない。

モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアは、ほぼ問題が無い。はっきり言って、私が歌いたい目指したいパミーナの歌唱というものについては、という飽くまで前提条件付き。
最近、でもそれの何がいけないんだあぁ???一体???外野は構うな!!!放っとけ!!!と相当にえげつなく開き直るようになったので、痛くも痒くも無い。
今日の練習も、ピアノで歌う低音域〜中低音域のテンポと正しい音程の確認作業に集中した。特に低音域のF♯と中低音域のC♯の音程が不安定で低めになりがち。これは、許せない、有り得ない、存在価値無し♪
メトロノーム60テンポで、ゆっくりじっくり1時間かけて集中練習。この音程の不安定さは、演奏会本番までに何とか克服しなければならない。我慢忍耐継続は力也。
でも、2点AだのHだのは一向問題無しなので、やっぱり後は如何にピアノやピアニッシモの発声で美しい歌唱に向かって到達出来るか、しか無い。演奏会本番に向かって日々精進邁進あるのみ。
不思議な事に、このパミーナのアリアは、1時間でも2時間でも、練習してもちっとも喉に負担がかからない。ずっとずうぅ〜っと練習してても、喉に変化無し(核爆)

早く注文した「エジプトのジュリアス・シーザー」のCD4枚、DVD2枚、届かないかなあぁ〜〜〜(滝涙)超楽しみ♪


去年の、無責任臆病者にしろ、今回の親父脳出血事件の親戚一同にしろ、一旦私が怒ったら歯止めが効かないし、誰も止められない。
私は、庚辰の金性魁罡で西の白虎、つまり怒りはドラゴン&タイガーの情け無用の破壊と破滅の怒りである。親戚だろ〜が他人だろ〜が例え家族だろ〜が、一度私を怒らせたら一生涯怒り続け一生許さない。
私は滅多に本気では怒らないが、一度怒り出したら堪忍袋は、一瞬たりとも持たない♪

嗚呼、明日からまた連続勤務。
でも、この調子で無茶な勤務を続けていれば、間違い無く希望期間内に自分の生を終結させる事が出来るだろう。
それだけが、超♪楽しみっ!!!





ウィーン行き中止。

今日も夜勤の合間の休日で、スタジオレンタル時間ギリに起床して、スタジオ練習。

3月のウィーン行きを中止したので、もう焦って勉強・練習する必要も無いので、のんびり行った。

3月にピアニストのY先生のお教室演奏会で歌う、バッハ「Bist du bei mir」低声用。原調版の高声用では既に2度も演奏会本番に乗せているので暗譜も出来てるし、後は歌い込んで行くだけ。
最近、ヘンデルのリサイタルが終わった後もずっとグラインドボーン「エジプトのジュリアス・シーザー」の映像をヒマさえあれば観続けている。シーザー役サラ・コノリーとトロメーオ役クリストフ・デュモーの観察を超念入りに行って来たせいか、「Bist du bei mir」の低声用を歌っていても、低音域が非常に安定して響きがしっかり取れるようになって来た。サラ・コノリーもクリストフ・デュモーも、歌っている時の下顎の位置が肩よりも低い事が非常に多い。特に横顔が映像として映っている時には非常に確認しやすい。そのため、その映像をイメージしながら発声を心掛けている。これが一番の効果であると考えている。
バッハ「Bist du bei mir」はhが最低音である。これがきっちりしっかり響かないと、非常にみっともないバッハになってしまう。
但し、「Bist du bei mir」低声用の音域は、私にとって非常に楽な音域なので、却って声を響かせるのではなく出し過ぎてしまう傾向があるので、その点には非常に慎重に留意しなくてはならない。
今後の谷岡先生とのレッスンでの調整に力を入れなければならない。

今もグラインドボーン「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを観てるけど、兎に角、キルヒシュラーガーのセストが、酷い。音程が低い。響きが当たっていないので聴いていて気持ちが悪い。下降音型で音程が下がる。しかも、少年という役柄を全面に出そうとしたのかもしれないが、声量がピアノになると、イタリア語が聞き取れない。
サラ・コノリーもクリストフ・デュモーも、声量がピアノになったって音程が不安定になる事も無いし、イタリア語が不明瞭になる事も無いのにねえぇ(呆)
まだ、ダニエル・ド・ニースの方がイタリア語に関しては、かなりキッチリ歌っている。
本当に売れっ子なのかなあぁ・・・本当にワルター・ベリーに師事したのかなあぁ・・・・・・・・・・(汗)


掟破りのパミーナは、今日はテンポ調整と細部の確認作業。
結局、テンポは基本はLargo(60)、その時の調子や体調によってはAdagio(60〜66)で調整して行く事で決定した。声量は低音域〜中低音域はピアノ、中高音域〜高音域はピアニッシモで決定した。今の体調でも何とかギリの状態で自己決定した声量で歌えるなら、演奏会当日は余程不調でなければイケる。それでOK。
但し、パミーナのアリアは音域の高低差が激しいアリアなので、低音域をきっちり正確に発声出来ないと、これまた超みっともない御粗末なパミーナになってしまう。
特に、パミーナのアリア全体をピアノまたはピアニッシモで歌うし、特に高音域はピアニッシモで歌いたいので、中低音域〜低音域はしっかりと声を響かせる事が望ましい。
非常に時間を掛けて丁寧に一つ一つの音符をしっかりと発声練習していかなければならない。パミーナのアリアのような一見キャラで得するように見せかけられるようなアリアは、私の今回のようなイレギュラーな歌唱をしようと考えたら、非常にアラが目立つ。それだけに、これだけの緩やかなテンポで歌うのだとしたら、非常に慎重に注意深く重箱の隅をつつくような練習が必要である。
でもまあ、Largoでもブレスは足りるので、今後は響きのクオリティを如何に向上させるか、である。
暗譜もまだ完全では無いので、これから十分にゆっくり歌い込んでいかなければならない。
でもパミーナはもう自分の好きなよ〜に歌う事にしたので、余り考える事も無い。
強いて言えば、Y先生が何と仰るか(爆)


それにしても、練習2曲って、すんげえ超楽チン♪♪♪


Y先生からメールがあって、曲目をお知らせしたら「楽譜を送ってください」とゆ〜事で、Y先生ご自身もとても楽しみにして下さっていらっしゃるご様子なので、それがとっても嬉しい。去年のドイツリートのリサイタルから既に1年が経過している。超久しぶりなので、緊張もするけど(苦笑)

今日、スタジオ練習帰りに、ギャラリーカフェに寄ってお茶したのだが、丁度社長がヒマしてたみたいだったので、ちょっとお話しを聴いた。実は、12月のヘンデルのリサイタルの感想を伺っていなかった。ギャラリーカフェの社長は、去年のドイツリートのリサイタルもヘンデルのリサイタルも、両方聴いて頂いている。だから、ちょっと客観的に比較してみてどうだったかのかを聴いてみなきゃなあぁ〜と思っていた。
社長曰く、

「ちゃんと良くなってると思うよ〜」

との事(激爆)
でも、これで来月からのY先生とのピアノ合わせは、少し安心して頑張れそう(自爆)
ギャラリーカフェの社長曰く、

「プロでお金取ってて歌ってる人でも、ヒドい歌手は一杯いるからね〜」

との事だった。
経営者って、結構シビアだなあぁ。


ウィーンのM先生に、今年3月のウィーンでのレッスン中止のお願いをメールでご報告した。
M先生からの御返事待ち状態。

何だか、凄く悲しい。
本当に悲しい時って、静かに涙が流れるだけなんだなあぁ・・・と思った。



女王様がお好き。

昨日は、今年初めての谷岡先生のレッスン。友人が見学したいと希望されたので、友人を連れてレッスンへ行った。
谷岡先生は、まずウチの親父の事を非常に心配してくださった。親父の現状をお話しして、今私が親父の借金を返済する為に夜勤専門で働いてる事、3月に予定していたウィーンのレッスンはどうやら不可能である事を御説明申しあげた。


早速レッスン。
まずは、例えウィーンに行く事が出来なくても、ウィーンのB先生の宿題のシューベルト歌曲を2曲と、今年末予定のシューマンのリサイタル予定曲から3曲。
シューベルト「Fischerwise」「Du bist di Rhu」の2曲。
どうしても「Fischerwise」のような音域の低いリートは、メゾソプラノやコントラルトの録音を勉強してしまうので、私自身の発声が籠りがちになってしまう。私が持っている録音は、メゾソプラノはヴェッセリーナ・カサロヴァと、コントラルトはナタリー・シュトッツマン。この二人の歌手共に非常に小気味良いシューベルトの歌唱をしているだけに、単なる声真似にならないよう非常に慎重に勉強しなければならない。
谷岡先生からは、

「声が奥に籠ってしまうから、もっと外というか前に声を出して歌って」

と指摘された。
次の「Du bist di Ruh」は、元々ソプラノが歌う高声用の楽譜は最高音が2点Aである事から、自己判断で中声用の楽譜を持って行った。判断理由をお話ししたら、谷岡先生も容易に御納得してくださった。恐らく、この曲をウィーンのB先生のレッスンに持って行ったとしても、同じように中声用に声域を下げるよう指摘されるであろう事は容易く予測出来た。実際、谷岡先生からも中声用で良いのではないかとの御判断を頂いた。
音域的には問題は無い様子だったが、ドイツ語の表現で幾つか指摘を受けた。
それから、これは今迄谷岡先生から指摘された事がなかった事実なのだが、どうやら私はドイツ語の「sch」と語尾の「ch」の発音が非常に聞き取り辛いようだ。勿論、今まではもっと他のドイツ語の発音の方が不十分極まり無かったので今回改めて課題に上った事ではあるのだが。今後はこれらが重要な克服事項となる。


次は、今年リサイタル予定のシューマン歌曲から3曲。
「Mädchen-Schwermut」「Melancholie」「Widmung」の3曲。
「Mädchen-Schwermut」「Melancholie」の2曲は、流石に谷岡先生も御存知無い曲だったので、大まかな発声と曲の構成とドイツ語発音を見て頂いた。指摘された事は、出だしの歌い出しの音が中低音域なので低く籠りがちになりやすい事。以前というか、去年までも指摘され続けて来た事である事は確かなのだが、恐らく去年のドイツリートのリサイタルの時に比べて、ヘンデルのリサイタルを経過した事によって、歌唱レベルが少なからず向上したためなのか、殊更強調して歌い出しの音域の発声に関しての注意がなされるようになったように感じられる。
ソプラノでありながら音域が非常に広く豊かであるという要因によって、より広範囲の音域に対してより質の高い発声を求められるという現実は、非常に厳しくもあるが、非常に嬉しくもある。ドイツ語に関しては、やはり「sch」「ch」の発音を修正され続けた。
シューマンの終わりに「Widmung」を歌った。これは、以前5年位前に2回程演奏会本番に乗せた事がある。この曲に関してだけは、私が尊敬し愛して止まないジェシー・ノーマンの録音以外では勉強していない。
谷岡先生から指摘された事は非常に少なかった。お決まりのドイツ語の発音と、低音域のロングブレス継続に関してのみ。2回程通して、実にあっさり終了(爆)


最後に、今回の超目玉商品、モーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアをレッスンして頂いた。
歌う前に、真っ先に谷岡先生にまずお断りした。

「えっと、私パミーナ歌います。3月に去年ドイツリートのリサイタルの伴奏してくださったY先生から、今年は出演しないかとお誘い頂いたので、バッハのBist du bei mirとパミーナのアリアを歌うつもりです。でも、パミーナは、ハリセン先生には絶対にレッスン受けません。ハリセン先生にレッスンを絶対に受けない前提で、私にしか歌えない出来ないパミーナを勉強して来ました。それと、楽譜の指示は一切無視して歌います。楽譜の指示にはAndanteと指示がありますけど、Adagio〜Largoで歌います。それと、声量はピアノかピアニッシモだけで歌います」

と谷岡先生に言い切った。でも、谷岡先生は私の覚悟を超サックリ流して早速伴奏を始めた(誤爆)
谷岡先生の伴奏出だしは遅いAndante位(約70)だったが、私は谷岡先生の伴奏に付いていかなかった。最初の「Ach!」から、曲のテンポの流れを自分で決めて促した。ソリストたる者、この程度の心意気と強さがなければソロは歌えない!!!!!
低音域はピアノで発声、高音域になればなる程ピアニッシモの発声を慎重に心掛けて歌った。テンポは、段々遅くなる事はあっても決して流されて早くする事は意地でもやらなかった。声量を最小限に抑える事によって、Adagio〜Largoでも充分にブレスは持ち堪える事が可能である。ピアニッシモでも2点hは私には十分イケる。留意すべき事はたった一つだけ。発声がピアニッシモでもドイツ語の発音が疎かにならないよう慎重に歌う事だけだった。
歌い終わって、谷岡先生が、

「結構いいんじゃない???いいよ!!!」

と仰ってくださった。
努力と執念の勝利。これをこのまま3月のY先生の演奏会で歌い、ウィーンのN先生のレッスンにも持って行く。但し、ハリセン先生のレッスンは受けない。
谷岡先生が、

「以前、プロのソプラノの人がハリセン先生にパミーナを見て欲しいって言って持ってきたんだけど、その時のプロのソプラノの人よりも今のあなたのほうが、全然細く綺麗な発声でパミーナを歌えている。テンポは問題にならない。ハリセン先生にあなたのパミーナを聴かせてみても良いのではないか???」

と言われたが、キッパリお断りした。
今日のこの私のパミーナの歌唱は、ハリセン先生には絶対に聴かせないという前提条件から生まれたパミーナである。モーツァルトを得意として、多くの合唱団で日本では演奏されないモーツァルトのミサ曲や小オペラを上演しているハリセン先生から見たら、私のパミーナは日本では「異端」である。ど〜せ私がどんなに努力してどんなに頭を酷使して発声を鍛えてパミーナを歌ったとしても、所詮日本では「異端」なのである。なのに何故、わざわざただ批判される為だけに、私がパミーナを歌わなければならない???歌う必要が何処にある???
答えは「否」である。
谷岡先生にも、ハッキリ申しあげた。

「ど〜せ私のパミーナはウィーンでしか通用しません。日本で評価なんかされません。ど〜せハリセン先生の前でパミーナ歌ったって、あ〜だこ〜だ言われるだけです。元々、ハリセン先生には絶対に聴かせない、他のどんなプロのパミーナ歌いのソプラノ歌手にも不可能な、私だけにしか歌えないパミーナを歌おうと思ったからこそ、今日の私のパミーナの歌唱があるワケです。ですから、谷岡先生に何を言われても絶対にハリセン先生には私のパミーナは聴かせません!!!!!!!!!!」

と断言した。
谷岡先生は、少しがっかりした様子で、

「じゃあ、ハリセン先生には内諸にしておきますね」

と言ってくださった。助かった♪
日本で私のパミーナを評価して下さる方は2人しか存在しない。
谷岡先生と、レッスンを見学に来て下さった友人だけである。
別に、萌系モーツァルトマニアの脂ぎったハゲオヤジの好評なんざ寒気がするから必要無いっす(爆死)
谷岡先生が、以前パミーナに関してハリセン先生と話し合った時に、
「ウィーンではそういう評価もありかもね」
というような事をハリセン先生が仰っていたらしい。
でも、そんな程度の曖昧な評価なら、無い方が宜しゅうおす。
私がわざわざ苦労して苦心して涙を流しながらも努力したパミーナ、聴くに値せず。
それが、私の意地と心意気。
要するに、幾らイジケても不貞腐れても開き直っていても、実際の歌唱がちゃんと先生やら聴き手やらを納得させられる歌唱であれば、問題なんざ無いのだよ。
谷岡先生、レッスンを聴きに来てくれた友人、超♪あっりがっとおおおおおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!!!!


その後は、レッスンを見学に来てくれた友人と新宿のDisc Unionの中古センターに行って、一緒にヘンデルやらシューベルトやらシューマンやらブラームスの録音を探して、新宿で御飯を食べて(私は酒を呑んで♪)オペラ談義に花を咲かせて帰って来た。
嗚呼、楽しかった〜♪


今日は、親父関連の諸々の支払い作業で、午後は日本橋の銀行に詰めっぱなし。キャッシュカードが使えないばっかりに、通帳と印鑑を持って三越前〜水天宮前を走り回り、キャッシュディスペンサーの作業で、右肘が痛い。しかも、今日は音楽関連の勉強が全く出来なかった。
谷岡先生にもお話ししたが、親父の借金問題のせいで、今年3月に予定していたウィーンでのレッスンは、止む無く中止と決めた。
この恨み絶対に果たすべく、ウチの一族は絶家とする事を私が決めた。
私は、本家の長女(祖母)の長男(親父)の、長女。
兄弟に男はいない。
妹は3人の内、一人が死亡、一人は結婚して娘はいるが別れた旦那に預けている。残る一人の妹は、まだ独身。
私が、親父の全ての借金を一人で引き受けた事の見返りに、独身の妹には今後結婚して子供が生まれても、ウチの姓は名乗らせない約束を取り付ける事は、非常にカンタン♪
よって、当一族は、絶家確定。


一族の断絶を決めるなんて、まるで将軍家みた〜い♪
まさに、女王クレオパトラの気分〜〜〜♪♪♪

嗚呼、スッキリす〜〜〜〜〜(^^♪




開き直り不貞腐れチャレンジ。

今日も夜勤の合間の休日。午後から3時間スタジオ練習。

先日、去年ドイツリートのリサイタルの伴奏をして下さったY先生から、今年3月にY先生のお教室演奏会に出演しないか?と年賀状でお誘いを受けたので、取り敢えず今日は3月の演奏会の候補曲を探す事を念頭に置いて練習した。
声帯が疲労しやすいので、発声練習はごく短時間に。

バッハ「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」から「Bist du bei mir」低声用をまず最初にサラっと練習。実はこの曲、私はヘンレ版の楽譜を持っていて、ヘンレ版は高声用というか原調版の楽譜なのだけれど、昨年3月にウィーンにレッスンに行った時にN先生とM先生にレッスンで聴いて頂いたのだけれど、M先生から、
「私のリクエストで、Bist du bei mir を低声用で歌ってみてくれないかしら」
と言われて歌った所、M先生もN先生も、
「Bist du bei mir は、あなたは低声用で歌った方がいいし、合ってるわよ」
と指摘された。
とゆ〜訳で、ウィーンにいた時にウィーンの楽譜屋さんで「Bist du bei mir」の低声用の楽譜を探してベーレンライターのピース楽譜を購入して来たのだ。ところが、日本に帰国してから重大な事に気が付いたのだ。低声用の楽譜は、ピアノ伴奏が非常に違う!!!!!その事を谷岡先生に相談したら、谷岡先生から、
「Bist du bei mir の低声用、ウィーンで買ってきた楽譜じゃ駄目なのかしら?伴奏はヘンレ版で歌いたいんだ。だったら、移調がC-durなら、自分で移調楽譜を作ってみなさい。」
とゆ〜訳で、「Bist du bei mir」のC-durの移調楽譜を手書きで自分で作成してみたのだが、これが、キッタ無くてとってもぢゃあないっすケド、ピアニストにお渡しして伴奏して貰えるような楽譜には仕上げられなかったので、先日、移調楽譜専門業者に「Bist du bei mir」のC-dur移調楽譜の作成を依頼し、今日その移調楽譜が届いた。そこで、早速Bist du bei mirを低声用で練習♪声帯の疲労が激しかったのだが、悪くは無かった。
まずは、バッハの「Bist du bei mir」は、3月演奏会決定〜♪

その他もう1曲をどうするのか、慎重に考えながら練習を続けた。
シューベルト、シューマンの歌曲を練習して、最後にモーツァルトのオペラアリア2曲を練習した。最初は、ちょっち久しぶりに、今年ウィーンのレッスンに持って行く予定だったモーツァルト「魔笛」のパミーナのアリアを超久しぶりに歌った。もともとパミーナのアリアは、谷岡先生からは、
「あんまり歌い込まないように、でもいつでも歌えるようにしておいてね♪」
と、普通アマチュアにそんな事要求すっかあぁ???とゆ〜よ〜な御指摘を受けていた。そんで今日久しぶりに歌ってみて、ちょっち、とゆ〜か、相当な違和感があった。


何か変だ。自分は本当に今迄聴いたCDや観たDVDで歌ってる、所謂カワイイ系の可憐で可哀そうで弱々しいパミーナを歌いたいのか???まるで脂ぎったオヤジ好みのモーツァルトマニア萌系美少女パミーナを、本当にウィーンのレッスンに持って行くつもりか???持って行きたいか???大体にして、そんなパミーナ歌ってて楽しいか???
ウィーンのN先生は、私にそのようなパミーナを望んでレパートリーとして私にパミーナという役を下さっただろうか???
無論、否、である♪
ウィーンのN先生は私に、
「パミーナを勉強してみなさい」
とは言わなかった。
「あなたの声は、パミーナの声だ」
と仰られた。
私は、今日決めた。私自身のパミーナを歌う。私にしか歌う事が不可能なパミーナを歌う。レッジェロやコロラトゥーラやスーブレッドなんざ、糞喰らえ。
また、勢いとゆ〜ものは非常に重要且つ効果的で、思わぬ展開を齎すものなのだとマジで笑えた。全て思いつきの直感、楽譜の指示は無視。自分自身の持てる「声」だけに頼る。
パミーナのアリアは、ピアノ以上の声量は決して出さずにピアノかピアニッシモだけでの声量で歌う。
楽譜の指示はAndanteだが、私はLargo〜Adagioで歌う。なあぁ〜に、これでもロングブレスだけは自信がある。しかも、クレオパトラの太さの声で歌ってやる。絶対に死んでも細めの声なんざ、だ〜れが心掛けるかいな!!!それを決定事項として、改めてパミーナのアリアをおさらいした。
なんだ、結構良いカンジぢゃんかよ。
よっしゃ、これで行こう♪幸い、17日は谷岡先生の今年最初のレッスンがある。3月、Y先生のお教室演奏会は、バッハ「Bist du bei mir」低声用&モーツァルト「魔笛」パミーナのアリアで決まりいいいいいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜!!!!!

最後にモーツァルト「ドン・ジョバンニ」ドンナ・エルヴィーラのアリアをちょこっとおさらいしたのだが、超つまらねえぇ!!!!!ってカンジで、止めた。

ど〜せ最初っから、日本に帰国した時から、谷岡先生以外の人間に、
「パミーナは違うんじゃない???」
と言われ続けて来た。今更怖いモンなんざ一つも無いからなあぁ〜♪
例えハリセン先生に、邪道だの違うだの言われても絶対にこの私自身のパミーナは、曲げない。
逆に、聴く誰もが批判して拒否反応を示すようなパミーナを歌って見せる(真面)
これなら、自信あるわあぁ(核爆)
ウィーンのN先生とM先生に、私だけのパミーナをお聞かせ出来る日がどうぞ来ますように♪
超楽しみ〜〜〜〜〜(激爆)


わざわざ、疲労困憊の体を引き摺りながら、毎日毎日来る日も来る日も夜勤をこなし、安くは無いレッスン料金を払いながら、なあぁ〜んでありふれた何処にでもある蹴飛ばせば石が当たるようなパミーナを歌う必要性がある?????
無いねえぇ。
だって、私、自分の歌でお金取らないアマチュアだもん♪
存分に、パミーナを楽しもう。
ああ、ワクワクするうぅ〜(猛爆)

年越しお年玉・・・(汗)

年末年始の連続夜勤で死にかけているのだが。

今日、夜勤明けで「ニューイヤー・オペラコンサート」の録画を観た。
お腹一杯、ごっそ〜さん。
期待出来る歌手とか、素晴らしいと思える歌手がいなかった。
木下美穂子は、発声が変わった???と感じた。
唯一記憶に残った歌手は、ウェーバー「魔弾の射手」を歌ったバス歌手だけ。
日本人はまだまだオペラ発展途上国か。
オペラの役柄を表現するために発声を戦略として歌う事の出来る歌手が、いないと強く感じた。
皆様、自分の声を聞かせるためにオペラアリアを声を張り上げて歌っている、というような印象。
曲の表現を、声の強弱だけにしか感じられない。
超高音域即テクニック、アジリダ即テクニック。
如何にプロと言えど、オペラアリア1場面だけ歌うのは、声を立派に張り上げてそれらしく歌う事は出来たように見せかけられても、オペラ全幕通して一つの役の表現を分析・解釈し身につけレパートリーとしない事には、ニューイヤー・オペラコンサートも、ただの「お祭り騒ぎ」だけ。
つまらない。
録画は、もう見なくていい。


兎に角、連続夜勤の超蓄積疲労で暫く歌えない。
でも、勉強はしなければならない、勉強したくてたまらない。
だから、昨日ヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」でチェックして目を付けたアリアを全て楽譜をコピーして、今日の夜勤のヒマな時間に早速楽譜作りをしていた(爆)
主に、まだ勉強していないクレオパトラのアリア、シーザー、トロメーオ、コルネーリアのアリアを12曲程。
そして、帰宅してひと眠りしてから、楽譜を観ながらDVD鑑賞。
やはり、楽譜を観ながらオペラを観ると、非常に新たな発見が沢山沢山あるある!!!
まず、ヘンデルのオペラアリアは殆どがダ・カーポアリアなのだが、このダ・カーポ形式も歌手によってその扱い方や歌い方が非常に異なるし、それがまた歌手の個性を非常に強力に示している事に気付く。

まず、シーザー役のサラ・コノリー。ダ・カーポの1stは、楽譜通りほぼ完璧(核爆)ほぼ余計な装飾は付けずに私の持っているベーレンライター版の楽譜通りに歌っている。これにはブッたまげた。
ダ・カーポの2ndは、勿論御約束のアレンジが非常に技巧的で尚且つメゾ・ソプラノでありながら男性役としても不自然さが無い。
サラ・コノリーはダ・カーポの1stを楽譜通りに歌う事で、展開部とダ・カーポの2ndに大きな説得力を与えているのだと、非常に強く実感した。非常に丁寧な歌唱。ヘンデルの作品を再現芸術として大切に造り上げている素晴らしい歌手、サラ・コノリー。
正に、鳥肌が立った。
特に「Va tacito e nascosto」は余裕タップリ。
流石、グラインドボーン合唱団からの、叩き上げは違う。私もこのシーザーのアリアは勉強してみたいと非常に強く考えた。
それに比較すると、ダ・カーポの1stから装飾バリバリのクリストフ・デュモーは、若い(激爆)と感じた。でも、それでもやはり音符一つ一つ非常に丁寧に発声を心掛けており、どのような発声で歌う事がデュモー自身のトロメーオに「聴こえる」のかを十ニ分に熟知している。
ダニエル・ド・ニースは多少粗というか雑さが目立つが、サラ・コノリーのようなベテランと比較しても仕方が無いとは言え、クレオパトラ最初のアリア「Non disperar」では、アジリダの音が幾つか飛んでしまっている。明らかに発声への取り組みと丁寧さや慎重さに欠ける。

でも、それにしてもやはりサラ・コノリーは凄い。

で、このグラインドボーンのヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを購入したのは去年のヘンデルのリサイタル前だったのに、今日初めて気が付いた事があった。

特典映像。プロダクション・ドキュメンタリー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、阿呆(自爆)
指揮者のウィリアム・クリスティ、サラ・コノリー、ダニエル・ド・ニース、アンゲリカ・キルヒシュラーガー、演出のデヴィッド・マクヴィガーのインタビュー映像の存在に、今日初めて気が付いた。
とっても感動した事が幾つかあった。
指揮者のウィリアム・クリスティが、シーザー役のサラ・コノリーと、トロメーオ役のクリストフ・デュモーを非常に高く評価していた事。
指揮者ウィリアム・クリスティがヘンデルのオペラを「ヴァイオリンの声部と、舞台上の歌、バス声部がある、20曲に及ぶ壮大なトリオ・ソナタ集」であると位置付けていた事は、私自身のヘンデルのオペラへの見方を大きく変えた事。オーケストラには歌手と同じくらい歌う事を望み、歌手には時に楽器で弾くように歌う事を望む。私の声は、楽器に例えたら一体何の楽器だろうか・・・???ヴィオラかチェロかな???(笑)と考えさせられた。

演出家のデヴィッド・マクヴィカーは、ヘンデルのオペラ・アリアのダ・カーポ形式に関して実に興味深い思索を展開している。
ダ・カーポ形式ではまず感情や考えを表して、次に別の考えが提示され、それから最初の考えに対するより深い思索へと続く。これは実際の会話での思考方法と同じで、何かを主張しようと思う時にはダ・カーポ形式となる、という事。
レチタティーヴォ・セッコに関しては、取り組む事の困難さは感じるようだが、その瞬間の感情の深さを理解するために意欲と信念を持って取り組むならヘンデルのオペラが決して静的なものでは無く、難解なものでも無い事が解るだろう、と述べている。

また、シーザー役のサラ・コノリーは、ヘンデルのオペラの調性を原調で演奏する事について強調している。シーザーを移調して歌うと、クレオパトラやセストとの対話で音域が同じになってしまう事となり、それはヘンデルの意図に反するという事を主張している。
これは私がリサイタル前に読んだ本「ヘンデル・オペラセリアの世界」に書かれていた事と全く同じである。

最後に、指揮者ウィリアム・クリスティが、ヘンデルは「エジプトのジュリアス・シーザー」という作品が好きで大変に力を注いだ事は草稿や作品の書き直しを見れば分かる、あらゆる音楽作品の中でも最も精巧な作品である、と述べている事に涙が流れた。
私のような者でも、ヘンデルがこれ程に愛した作品からレパートリーを得て勉強出来る事が、何よりも幸福な事であると心から感じる事が出来た。
どんなにか夜勤で疲れようとも、歌えない時があっても、決して諦めないで頑張ってクレオパトラを全て勉強して行く事を、願い祈らずにはいられなかった。


嗚呼、ニューイヤー・オペラコンサートなんか見てないで、もっともっとDVDのメニュー画面をきちんと見れば良かったなああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(溜息)

明日も、夜勤(滝涙)


リサイタル評価考察

リサイタル当日は、前日の不調に比べて喉の調子が良かった。痛みも無かった。ただ空気の乾燥が相当厳しかったため、水分摂取に努めた。
リサイタル前の発声練習は、リサイタル本番のために10分程に留めオクレール先生を待った。
オクレール先生がリサイタル会場のギャラリーカフェに到着してから、本当は前日の不調のためGPはヘンデルのアリアの前半4曲だけを通して歌う予定だったが、調子が良いのでやはり全曲9曲通して歌う事にした。GPは多少マズいトコロがあっても構わず通して歌うだけに留めた。声はリサイタル本番に大事に取っておかなければならない。しかし、会場のギャラリーカフェで一通り通して流れを掴みたいという気持ちが強かった。
リサイタル本番1時間前にはGP終了。後はメイクや着替え。会場のギャラリーカフェ内も非常に乾燥が激しく、水を飲み続けていた。
リサイタル本番は私の友人の到着が遅れたため20分程遅れて開始した。しかし、その分声帯を休める時間が出来た。

リサイタル開始。まずヘンデルについて、今日歌うオペラの概説のMC。

1曲目「アルチーナ」のオベルトのアリア「一体誰が知っているのか、愛する父が何処にいるのか」は、やはり緊張のため前半は体が硬くなりブレスが続かなかった。長年超スロースターターであるため(爆死)今回の経過も想定内の事ではあったので、後半とダ・カーポの部分から持ち直した。最近は他人も出る演奏会などでは1曲目でもそれ程酷い緊張は無くなって来たのだが、流石にやはり自分一人で行うリサイタルはそう簡単には行かない。この「スロースターター問題」は一生の課題になる。今回のリサイタルでの成長は、立て直しが若干速くなったという事か(超苦笑)
2曲目「リナルド」のリナルドのアリア「愛しい花嫁よ」は、恐れていた事が起きた。この曲は長く伸ばす音と休符が複雑なのだが、拍のカウント間違いとブレスの機会を逃してしまった所が2ヵ所あった。これはピアノ合わせの時点から度々あった事だった。ピアノ合わせ時には発声に気を取られて拍のカウントを間違う事が多かった。リサイタル本番では緊張していたので集中力を欠いてしまった可能性が高い。しかし、ピアノ合わせの時点から起こっていた事だったので、オクレール先生が上手くフォローしてくださり大崩壊は免れた。失敗は無いに越した事は無いのだが、やはり本番は何が起こるか分からない(苦笑)練習を多く積み重ねる事によって自分がどのような失敗を起こしやすいのかをきちんと把握しておく必要性は非常に高い。特に私はテンポやリズムに対する感覚が低いように思う。今後、更に勉強と努力と練習が必要だと超反省した。
3曲目「リナルド」のアルミレーナのアリア「私を泣かせてください」は、ほぼレッスン通りに歌う事が出来た。目立った失敗も無く、アルトのキーで何とかここまで歌う事が出来たか、とここでようやく一安心。
4曲目「セルセ」のセルセのアリア「懐かしい木蔭よ」も、ほぼレッスン通りに歌う事が出来た。しかし、レチタティーヴォを歌っていてブレスがやや前に出てしまっていたように感じた。ミルヒー先生の発声のオーダーは、

「ブレスは前に出すのでは無く、下を通って後ろから上に」

という事である。アリアに入ってこれをやや修正出来た。アリアは最初と最後が最も難易度の高い曲である。この修正が良い契機となり、レッスン時と同じく歌う事が出来た。

ここで15分の休憩。メイクをクレオパトラ用に直し、アクセサリーを変え、黒のレースの大きなショールをドレスにくっつけて・・・。休憩時間とは思えない程忙しかった。

後半「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲。
まず、私のクレオパトラという人物についての解釈を話し、オペラの概要を説明した。私のクレオパトラ像は「絶世の美女ではなく、才智に長け野心的で時に冷酷な策略家であり情熱家」である。

5曲目「貴方は私の希望の星」は、レチタティーヴォからアリアまで、いつものテンションでレッスン通りに歌う事が出来た。この後半のクレオパトラのアリアは高音2点Aが連発で来る。ただ、発声練習やGPで声をケチったのが効を奏したのか(激爆)、高音域は思っていたよりも楽に出せた。
6曲目「敬愛する瞳よ」は、いつものレッスン通りに歌う事は出来たが、飽くまでもレッスン通りでしかなかったので、相当に気落ちした。この曲は「エジプトのジュリアス・シーザー」の中でも最も美しいアリアと言われている曲なのである。このアリアをどれだけ美しく妖艶に歌う事が出来るかにより、コルネーリアとの対比やコルネーリアの悲劇性とのコントラスト、最後の2曲のクレオパトラのアリアのドラマ性と高慢とも言える自尊心の高さとがクローズアップされるか決まって来る非常に重要なアリアなのである。まあ、結果として、いつものレッスン通りの歌唱である。流石に自分自身の勉強不足と練習不足を嫌でも思い知らされる事になった。今後、より自分の発声を磨き、より美しくこのアリアを歌う事が希求の課題である事がより明確となった。いささかがっかりした。
7曲目「美しいヴィーナスよ」は、これもレチタティーヴォからアリアまでレッスン通りに歌う事が出来た。この曲も最高音2点Aが頻繁に出てくる。そろそろ疲労が出始める頃なのだが、ここで踏ん張って発声を整えて歌わなければ残り2曲をドラマティックに歌えない。その調整が非常に難しかったが、この曲は私にとって相性が良いらしく(笑)ほぼ予定通りに歌う事が出来たと考えている。
8曲目「公正な天よ、もしも私に慈悲を感じないなら」は、ロングブレスと中高音域がラルゴで延々と続くという殺人的なアリアである。例外無く、2点Aが頻繁に出て来る。このアリアは2年前の演奏会にも歌った事があるので、慣れという意味から言えば本当にいつものレッスン通りに歌う事が出来た。しかしこのアリア、声をセーブして歌う事が出来る曲では無い。ロングブレスと中高音域の連続の上に力強さの必要なアリアなので、非常に声帯を疲労させやすい。緩める場所が一つも無い曲である。しかも、オペラの後半で歌われるアリアである。実際のオペラとしては、勿論シーザーやコルネーリアやトロメーオやセストのアリアの間に歌われるのだが、リサイタル形式で休憩無しで歌うとすればこれ程厳しい曲も存在しない、と思わせるような体力&声帯消耗度の激しいアリアである。しかし、このハードな演奏環境を乗り切りこなす事によって、自分自身の声帯筋肉の強化と歌唱に必要な体力の増強という事で、このプログラムを組んだ。しかし、流石に自覚する程の声帯疲労が感じられて来たが、音程やブレスには影響を出さずに歌う事が出来た。
最後の曲9曲目「苛酷な運命に涙を流し」は、やはり相当に疲労していたのでレチタティーヴォで渾身の力を使い果たしてしまったカンジ(凹)アリアの前半はほぼレッスン通りに歌う事が出来たが、後半のアジリダはやはり声の回りが良くなかった。しかし最後の全身の力を振り絞って高音域やロングブレスは何とか歌う事が出来た。後半のアジリダがレッスン通りに歌う事が出来なかったがここで気を抜いたらリサイタルそのものが崩壊してしまう。アリアのダ・カーポは自分自身可能な限り、ピアノで歌わなければならない。この時の集中力は非常に高かったと思う。きちんとレッスン通りの弱声で歌う事が出来た。

リサイタルが終ってからの観客の方々への御挨拶で、オクレール先生に一言お願いした。ビックリ仰天大慌てしていたオクレール先生は、

「本当に、プロでも大変なプログラムで、忙しい仕事をしてるのに、良く勉強してるなあぁと思います」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(爆)オクレール先生精一杯の褒め言葉を言って下さったのだと思った。
本当に、涙が出そうになった。

2度目のリサイタル、しかも今回は初リサイタルよりも非常にハードなプログラム、しかもこの上無い厳しい精神的ストレス。その中でも当然不十分な演奏である事には間違い無いが、歌い切った事、そして諦めずにリサイタルを開催出来た事が嬉しかった。
恐らくこれだけのプログラムを歌い切る事が出来れば、今後はもっともっとハードな難曲に取り組む事の出来る可能性も出てくる。今回のリサイタルで相当声帯を鍛える事が出来たと考えている。
勿論、最も大切な事はほぼ1年前から今回のリサイタルに関しての準備を行い練習を続けて来たという事である。選曲は1年以上前に済ませ、練習は今年の3月ウィーンから帰って来てからすぐに開始した。10月に入り暗譜も終了する事が出来た。

勉強と練習に勝るものは無い。
資質も才能も感性も意欲も音楽に対する愛情も、地道な勉強と練習が全てを進化・昇華させて行く。
練習しない怠惰な人間は例えどのような言を弄したとしても、資質も才能も音楽に対する愛情も、側溝に放り投げているのと同じである。それを実感した。
尤も、天才は別であろうが(笑)

今後のイタリア・オペラのプログラムに関して、再考を要すると認識を改めた。

青森の親父の病状は変化は無かったが、積極的治療を望まないという事で、治療を点滴ではなく鼻からの経管栄養に切り替えたためか高カロリーの栄養が行く事になり、顔の褥創がかなり改善していた。
高度な治療だけが必ずしも人間の回復に繋がるとは言い切れない。

来年のウィーン行きは非常に厳しいが、出来る限りウィーンを目指す。

リサイタル本番へ

一週間前、田舎の青森の親父が脳出血で倒れた。
12月2日頃自宅の玄関手前で倒れたらしく、警察に発見されたのが12月5日だった。
左側を下にして3日間倒れていたので、左半身が褥瘡、血圧200以上、30℃の低体温、意識不明で、1晩持たないと搬送先の病院の主治医に言われた。
独居だったので、発見が遅れた。

北海道にいる、音信不通だった妹2人が青森に賭けつけて、親父は多少状態が改善し、現在は小康状態。

リサイタルを中止するべきかどうか、かなり悩んだ。
何故、今この大切な時に倒れるんだよ??????????

3日間考えて、リサイタルは行う事に決めた。
私が看護師の仕事をしながら、親の力を借りずに音楽の勉強を続けている事、
ウチの一族で、初めてウィーンへ行って音楽の勉強をしたのは、私だけであること、
それを一番喜んでくれたのが、親父だったから。

それにウチの親父なら、

「ちゃんとリサイタルをやって、自分のやるべき事をやってから来い」

と言うだろうと思った(苦笑)
リサイタル本番までの間、高額療養手当や介護認定、年金や銀行口座の処理など、私の病院の医療相談員と連日相談し、青森の妹と毎日連絡を取り、妹が出来る事を先に手続きしてもらったり、書類を探してもらったりしていた。
今日、リサイタルが終ったら、その足で青森に帰省する。
1週間、全ての処理を行ってから、東京に戻って来る。
親父の入院費の捻出のため、来月からは夜勤専門の勤務に変更してもらった。
来年は、ウィーンには行けないかも知れない。

暫く、ブログの更新は出来ない。
でも、青森にはシューマンのリサイタル用楽譜、ウィーンのB先生とN先生の宿題の楽譜を持って行く。
勉強する事だけは、諦めたくないし止めたくない。

人間、自分が本当に成すべき事をきちんと理解・認識・自覚してさえいれば、強く在る事が出来るものだ、と思った。

ラストスパート

今日は、11時から発声練習、美容院へ行ってカット&カラー(クレオパトラ風)、諸々用事を済ませてからオクレール先生との最終ピアノ合わせ、で、今帰宅。

今日は外気の乾燥が酷いのと疲労困憊で、声が普段の半分くらいしか出なかった。
喉が掠れて少し痛む。でも、歌い過ぎで痛い訳では無いので、調整可能だろう。
今日はヘンデルのアリア9曲通して、その後細かい所を微調整した。
本番でどのくらい歌えるかは解らないけど、出来る事しかやれないのは確か(笑)
オクレール先生は、今日は発声の事に関しては殆ど触れなかった。
前回のミルヒー先生とのピアノ合わせで、私の今後の方向性を御理解頂けたのか・・・。
一つオクレール先生に言われた事は、

「(ミルヒー)先生は、あなたを太く重い声の方向で育てたいんだねえぇ〜」

とだけ(超苦笑)
先生によっても御意見は様々だろうけれど、私自身が納得していればそれで十分だ。

今日もヘトヘト(爆死)
ここの所、連続勤務と不眠で休む時間も余り無かった。
良くも風邪をひかなかったものだ、と思う(苦笑)

泣いても笑っても、あと僅か。
今日はもう風呂入ってゆっくり休む。

リサイタルが終わったら、今度は新たな課題や問題が山積みだし(核爆)

サバイバル・カウントダウン

リサイタル本番直前に、非常に深刻な事態に巻き込まれた。
リサイタル中止を考えた。3日間、迷った。

でも、今リサイタルを中止するならば、それは私自身を失う事でもある。
私自身にとって逃げる事は、立ち向かって倒れる事よりも遥かに屈辱的であり、それは私の生き方では無い。
ベターよりもべストを選択する事に決めた。

リサイタルのための休日が1日減り、休日を2日にしなければならなくなった。
リサイタル直前のピアノ合わせは、予定変更によりミルヒー先生は来られなくなった。
この3日間喘息症状も不安定で、今日勤務の合間に強いステロイド剤の点滴治療を受けた。
全ての状況は芳しく無く、私に味方してくれないが、私自身の力と意思で切り抜け乗り越えなければならない。

不眠・不休で勤務が続いてのリサイタルまで、私に与えられた時間は僅かしか無い。
でも、リサイタルで歌うと決めた以上、例え最悪リハーサル無しでも歌う覚悟は出来ている。
それだけの準備はして来たつもりだ。
今の私が持っているものは、決断力と強固な意志だけ。

でも、以前このブログにも書いたけど、
「神様は、その試練を乗り越えられる人にしか、与えない」
そう信じるしかない。

ついさっき、ミルヒー先生からメールが届いた。

「お仕事大変ですね。予定が入っているため(最終ピアノ合わせに)伺う事は出来ませんが、先日のレッスンであなたの歌はバッチリでしたので、自信を持って伴奏合わせをしてください。(リサイタル本番)楽しみにしています。」

今の私には、祈る事と歌う事しか、出来る事が無い。
でも、ミルヒー先生のメールで、やっぱり歌う事だけは何があっても絶対に諦めない、そう誓った。

不眠と疲労と神経衰弱との戦いの、ラスト・スパート。

クレオパトラの「お婆さん」

昨日の夜調子が悪く、いつもならボトル1本半は空ける赤ワインが1本も呑めず、早々に休んだ。てっきりリサイタルが近いのに発声が今イチ安定していない不安のせいかと思っていたら、発熱、37.7℃(怒)しかし、先日久しぶりの喘息発作で最近非常に痰が増えてしまい、解熱剤を使用すると喘息発作の副作用の誘因となってしまうので、熱に耐えるために早々に休んだ。

今日は、ヘンデルのリサイタルの直前のミルヒー先生の最終レッスン。今日目が覚めたら熱は下がっていたが全身倦怠感が非常に強く、昼まで寝ていた。流石に、幾らレッスンが夕方からだと言ってもいい加減起床しなければ体も声帯も目覚めない。昼過ぎにのそのそと起きて、目覚ましにギャラリーカフェに行ってお茶した。
今日は、ミルヒー先生のレッスン前に敢えて発声練習を行わなかった。
自分自身、昨日の自己練習でミルヒー先生に指摘された「元の以前の発声」の状態に戻っているのかどうか非常に不安が強かった。何しろ、リサイタル本番まで日が無い。昨日の練習で自分の発声が元に戻っていないのだとしたら、自己練習を重ねるのは無意味な徒労。それならいっその事何もせずミルヒー先生のレッスンで全て修正して頂く事の方が余程賢明な選択と言える。無論、リサイタル本番まで間に合わない可能性が高いが、自分の声帯を無駄に浪費しないという至上命題も含めて、ミルヒー先生にお任せする覚悟でレッスンに行く事にした。
ギャラリーカフェでも非常に体がだるく、リサイタル用楽曲解説の原稿すら受け付けなかった。ギャラリーカフェの社長とプロデューサーがいつもと変わりなく笑顔で元気付けてくれた事が嬉しくて、とても感謝した。

早速世田谷のスタジオに向かった。ミルヒー先生が少し心配そうにされた。私の喉の調子を非常に心配されていたのだが、私自身は自分の発声が元の状態に戻ったのかどうかが一番不安で、昨日も自己練習したけれど本当に元に戻ったのかどうか解らなくて不安がある、今日は発声練習もしないで来たので、発声を再確認して欲しいという事を正直にミルヒー先生に話した。
ミルヒー先生は了解された。そして、

「ピアニストだけど、歌を習った人ではないので、もう言う事は聴かない方がいいと思う。これは結構誰でもぶち当たる事なのよ。特に音大なんかでは、それまでは自分の先生の言う事だけ聞いていれば良かったけど、音大なんかでは色んな人に色々言われるから、混乱するのよ。だから、あなたも今同じだと思うから。」

と言われた。成程、そういう事も十二分に有り得る。特に私の場合、元々声も太いし響きが纏まりづらかった事もあり、オクレール先生から見たら正に「ツッコミ所満載」的生徒だったのだろうと思う。でも、ミルヒー先生曰く、

「今迄プロ相手の仕事だったけど、プロじゃないあなたの伴奏をする事で、あなたを対等には見なかった、あなたを下に見た結果こういう事になってしまったのかもね」

まあ、学歴も無い自分相手にプロのピアニストが歌い手として対等な立場で伴奏してくださるとも期待はしていなかったので、別段驚きもしなかったのだが。まあ・・・これを機に、日本のクラシックで生計を立てている「プロフェッショナル」な方々に対しては、益々以って警戒を強める事にさせて頂くという事で、決着♪
まず、視るべきは、人間性♪こういう所で、人間そのものの本性が出る(笑)

取り敢えず発声練習から。基本的には、前回のピアノ合わせの時と比べてちゃんと元の発声に戻りつつある、とミルヒー先生から言われた。少しホッとした。そして時間も無いので、早速ヘンデルのアリアのレッスンへ。自分的に、非常に重要と思われるアリア4曲をレッスンして頂いた。
まずは、1曲目に歌う「アルチーナ」オベルトのアリア。これは前回のピアノ合わせも含めて以前よりも良い状態に仕上がっているとの事で、問題無し\(^o^)/
次は、前回のピアノ合わせでレチタティーヴォで声が当たっていないと指摘されたアルミレーナのアリア。これも、発声を修正する努力の甲斐が多少あり、かなり改善されたとミルヒー先生に言って貰えた♪ただし、楽譜の強弱記号を意識し過ぎだと注意を受けた。ミルヒー先生曰く、

「わざわざピアノやフォルテにしようと思わなくても、発声がきちんと出来ていれば自然に楽譜通りに聴こえるようになるから」

と諭された。これは、歌っていても未だ自分自身実感が得られない部分ではある。リサイタル本番直前までの集中力に依るしかないだろう。
次は、クレオパトラのアリア「敬愛する瞳よ」「苛酷な運命に涙を流し」の2曲。クレオパトラのアリアに関しては、恐らくこの2曲がリサイタル本番前にある程度の完成度を以って歌う事が出来れば、他のクレオパトラのアリアにも相当な割合で自然に応用出来るアリア2曲である。クレオパトラのアリアの中でも最も有名で美しく難易度の高いこの2曲のアリアだけは、何が何でも今日のうちに元の「太くて深い発声」に戻しておかなければならなかった。この2曲のアリアに共通して言えた事は、高音域で細めの発声に移行しそうになってしまい息の流れが前に出てしまう事で逆に声の響きが失われてしまう事で、特に「苛酷な運命に涙を流し」のレチタティーヴォに顕著に現れていた。丁度2点Fの近辺の音域は、私の声のチェンジ部分であり、余計に発声を押してしまいがちになってしまい、トータルの発声の流れから言っても力で押し出してしまいがちになる。ここを今日は集中的にミルヒー先生に修正して頂いた。
ポイントは、吸気時に下顎と下腿のポジションの流れを繋げる事。これでかなり修正する事が出来た。特に、クレオパトラの最後に歌うアリア「苛酷な運命に涙を流し」に関しては、オクレール先生から、

「そんなに太く歌うの???それじゃ、クレオパトラのお婆さんの声みたいになっちゃうよ。(ミルヒー)先生からは何も言われないの???」

と指摘され割と凹んだ(超爆死)その事を、極秘とゆ〜事でミルヒー先生にお話ししたら、

「失礼しちゃうわねええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・。もう、新しいピアニスト、探してあげるわねえぇっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!」

と、超お怒りモード(サゲ)
でもまあ、自分としては元々発声も太すぎたし頭のポジションも低かったし開き方も足りなかったので、オクレール先生の指摘は勉強になったという事はミルヒー先生にもお話したのだが・・・(汗)
兎に角、昨日の自己練習でミルヒー先生のオーダー通りに修正の方向に向かえたという事で、今日は心の底からホッと一安心。後は、リサイタル本番当日まで今よりも少しでもミルヒー先生のオーダーに近づけるように調整を行って行く事に尽きる。するとミルヒー先生が、

「本番前最終のピアノ合わせ、私も行くわ!!!!!!!!!!」

とのお申し出を頂いた(超苦笑)
いい先生に巡り逢えたなあぁ・・・・・と思った。まだオクレール先生から最終的な日程の御連絡を頂いていなかったので、スタジオが確保出来たらすぐにミルヒー先生にもご連絡する事になった。
最後に、私が参考にしている「エジプトのジュリアス・シーザー」のダニエル・ド・ニースについて少しミルヒー先生に話した。モーツァルトのバルバリーナやスザンナを歌っているアメリカ人のソプラノで、でもキャスリーン・バトル程は声は細く軽くは無いと思うのだけど・・・という話をしたら、ミルヒー先生も、

「もっとドラマティックでもいいのにねえぇ〜・・・」

と言われた。私が「やっぱ、日本人のソプラノって、細くて軽くて綺麗な声の、幸田浩子みたいなソプラノじゃないとダメなんでしょうねえぇ・・・(溜息)」と言った途端、ミルヒー先生が・・・・・、

「そうよ!!!そうなのよ!!!日本人って、ああいう細くて軽くてキーンと張った綺麗な声、好きなのよ!!!ああいう声、好きなんだよねえええええぇぇぇぇぇっ!!!日本人。でもね、イタリア人ってね、凄く若い女の子でも、ボン・ジョルノって結構低い声で言うけど、日本だったら低い太い声で挨拶したら、怖いっていうふうになるじゃない!!!だから、ホント、日本人は仕方が無いのよ!!!etc・・・・・」

と、爆裂マシンガントーク勃発(超核爆)何だか、自分が日本人じゃないよ〜な気がしてきた(サゲ)でもま、ミルヒー先生は私の声の最も重要な数少ない理解者の一人で、日本の既成概念に捕われないで私を育てようとしてくれている事は疑いが無い。それだけでも、本当に涙が出そうなくらい嬉しかった。まあ、幸田浩子が日本の典型的美声ソプラノだったら、私は別に「綺麗なソプラノ」には全く属しない「美しく無い」種類のソプラノと判別されても、別にど〜でもいいや〜♪

今迄声楽の勉強を始めて10年以上の間、頑張って続けて来てこれて本当に良かったと思った。
普通は、賞とか順位とか序列とか、自身が評価の対象となった途端に「自分のやって来た事は間違っていなかった」みたいな事をほざく輩が多いが私はそうは考えない。今回のような試行錯誤や紆余曲折を繰り返し、時には先生から破門を喰らうような間違いを犯しながら、自らの進む道を軌道修正して来たからこそ今の自分自身が存在するのだ。私は、いつも迷い他人の甘言に左右されながら来てしまったが、今は幸せだと実感している。

レッスンが終わって帰宅したら、フィギアスケートのグランプリファイナルの女子ショート・プログラムの最終滑走に間に合った。今回のグランプリ・ファイナルは真央ちゃんが出ていなかったので録画していなかった。でも、キム・ヨナがミスして現在安藤美姫がトップ。やはり、本番は何が起きるか分からない(笑)今シリーズでショートプログラム史上歴代最高得点を叩き出したキム・ヨナがミスで2位。人生は航海の如し。
年齢を重ねるという事は、智慧を獲得する事と同義でありたいと思う。新しいものは常に誕生している。古いものが良い、という価値観は人類史上常に使い古された手法であり、かのエジプトのピラミッドにも「今時の若い者は!」という落書きがされていたと高校の歴史で学んだ。新しい価値の感じられない煩雑で雑多な者の中から至宝を発掘するかも知れない。そしてそれは、歴史の転換期に立ち会う千載一隅の機会であるかも知れないのである。尤も、それは後の歴史の判断に委ねられる事ではあるのだが。
新しいものに目を向けず古いものに固執する事は、謙虚な老化では無く「偏狭な退化」と私は位置付けている。
年を取らない人間も死なない人間も、存在しない。
少なくとも、自分の不足な脳味噌だけで物事に固執しないよう老体に鞭打って短い生を生きなけれればならいと切に思う(苦笑)

それにしても、真央ちゃんがいないのが、寂しいねえぇ・・・(涙)

ヘンデルのオペラを想う

明日は、ヘンデルのリサイタル直前のミルヒー先生の最終レッスン。今日は、ミルヒー先生に指摘された以前の発声に戻すべくスタジオ3時間練習。今日は少し声を出し過ぎた。少し焦ってしまった。以前の発声を戻そうとする余り、声量をコントロールし誤った。スタジオ練習の後、話声が掠れた。寧ろ、以前の発声に戻すコントロールの間合いが取り辛くなってしまった可能性が高い。リサイタル本番まで時間が無い事に焦ってしまうのは仕方が無い。この問題に関しては、明日のミルヒー先生のリサイタル直前の最終レッスンでギリギリ可能な範囲まで戻す事に努め、後は体調コントロールを徹底する以外に方法は無いだろうと考えている。
考えて見れば、ミルヒー先生からレッスンを受けているベルカント発声で、オペラ・アリア9曲も歌う事は生まれて初めてである。長い曲は1曲7〜8分にも及ぶ。リサイタルそのものも、15分の休憩を含めて1時間30分以上に及ぶ。

これは今現在の私自身の声の基礎体力の限界だと考えている。

間違い無く、リサイタル本番まで調整との戦いになる事は既に百も承知の事であるので、これに失敗したら全て自己責任となる。仕事上の疲労などのハイリスクは織り込み済みなので、一種我慢大会と似ている。7月に歌った風邪をひいてのシューベルト4曲のように、ラッキーを期待する事は出来ない。リサイタル直前の調整を構成する要素どれ一つとっても失敗したら、恐らくリサイタル本番で待っているのは「破綻」である。特に、後半5曲歌わなければならない「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア。よくよく胆に銘じなくてはならないだろう。リサイタル本番までの練習回数も限られている。

本当に、演奏会本番までの道程は、私達アマチュアの歌い手にとっては正に「ナーバス・ブレイクダウン」の連続である。向き合い続ける以外に、他に手は無い。

今日ようやく「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」を読み終えた。このリサイタル直前に読み終えるとは、相当に遅いのだけれど、私的には「リサイタル本番前に読み終わって超ホッとしたあああぁぁぁ〜〜〜♪」とゆ〜カンジ(爆)勿論、本の内容的には私が今回のリサイタルで歌わないヘンデルのオペラに関する記述も非常に多いので、この短期間に読み終える事は体力的にも精神的にもかなりキッつかった(苦笑)
ただ、この著書は今回私がメインで歌う「エジプトのジュリアス・シーザー」についての記述も非常に多く、読み終わってみたらペンで線を引いて折り目を付けたページも結構多かった。この著書を、2005年グラインドボーンの同映像を観聴きしながら並行作業で読んで来た事は、非常に集中力の必要な作業ではあったが良いシチュエーションだったと思えなくも無い。
特に、ヘンデルのオペラの特性や様式や調性の幅広さ、選択楽器のオリジナリティー、アリアの形式の展開の多彩さ、レチタティーヴォの重要性、歌手の声質的特性の使い分けなど、まるで近・現代にも通じるかそれ以上に有り余って尚語り尽くせ無い音楽的創造性の深さを、いっちばん端っこながらも触れられた事には鳥肌が立つ程の驚きと喜びを感じた。

私がずっと観ている「エジプトのジュリアス・シーザー」の2005年グラインドボーンの映像に話は尽きてしまいそうになる(笑)
以前もこのブログで述べたが、シーザー役のサラ・コノリーは声は言うに及ばず、その姿もカウンターテナーに勝るとも劣らない声と容貌で、クレオパトラ役のダニエル・ド・ニースやセスト役のアンゲリカ・キルヒシュラーガーに比べたら、まるで「男性」に見えなくもない位に非常に凛々しいシーザーである(爆死)これ程の説得力を持つ適役というものは、正に「神様からの贈り物」と思う以外に無い(笑)ソロ・デビューは30歳を過ぎてからで長くグラインドボーンの合唱で歌っていたとは、もの凄い逸材だと素直に驚いた。しかも、コロラトゥーラの軽やかさといい美しさといい歌唱の表現の激しさといい、マジで惚れちゃうくらいのメッゾ・ソプラノである(自爆)ベーレンライターの楽譜上のシーザーの指定されている声質は、Alt Castratoである。メッゾ・ソプラノのコノリーは彼女自身の持つ身体的なポテンシャルも全て活かしてのシーザー役である事はDVDを観て納得するしかない。
最近、この2005年グラインドボーン「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDをほぼ毎日観ているのだが、私が観聴きするのは限られている。シーザーのサラ・コノリー、コルネーリアのパトリシア・バートン、トロメーオのクリストフ・デュモー、ニレーノのラシッド・ベン・アブデズラムの歌うアリアばかりを頭出しで観ているのである(激爆)現段階では、クレオパトラに関しては既に自分自身の解釈実現の段階に入っていると考えているので、録音や映像を参考にするよりも寧ろ、自身の歌唱を反芻・見直す事の方が重要な時期であると考えている。それでも「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラ以外の映像を観聴きする事は、このオペラの作品そのものに関する理解や解釈をより深めるために、非常に重要な事であると考えている。特に、シーザー・コルネーリア・トロメーオに関しては、クレオパトラとの人物像の対比や音楽的対比や効果という点に於いては非常に重要である事は間違いない。
コルネーリアを観察する事は、以前私がブログで述べたように、ベーレンライター社の楽譜で指定されている声質としてはコルネーリアはContraltoでありクレオパトラはSoparoである。女声の声質としては対極に位置するが、役柄の存在感としては対等でなくてはならない、という私自身の解釈にも依拠する。
ちなみに、ポンペイウスとコルネーリアの息子セストは、ベーレンライター社の声質の部分にはSopranoとの記載がなされていた(笑)

そして、エジプト王トロメーオ役のフランス人カウンターテナーのクリストフ・デュモーは「のだめカンタービレ」でも超お馴染みのパリ国立高等音楽院、即ちコンセルヴァトワール出身である。デュモーはこの2005年グラインドボーンの公演からトロメーオ役を当たり役とし、若い世代のカウンターテナーの期待の星となったとある。声はややハイ・カウンターテナーで、若き好色な狂気のエジプト王を非常に高度なテクニックでドラマティックに歌い上げている。このクリストフ・デュモーのトロメーオ役の歌唱を聴いて、改めてコンセルヴァトアールの凄さを目の当たりにしたように思う。

私はクリストフ・デュモーは、コンセルヴァトワールのヘンデルの至宝、とも言えると思いながら聴いている。

以前もこのブログに書いたが、ダニエル・ド・ニースのクレオパトラに関しては殆ど興味を持つ気持ちには到底なれない。これは「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」にも度々表現されていた内容であると私自身解釈しているのだが、アリアの曲の調性やテンポと、キャラクターそのものが混同されてはならいと考えている。つまり、明るい陽気な長調の軽いテンポのアリアだからと言って、クレオパトラが陽気なお転婆キャバ嬢では困る。誇り高いのと高慢ちきを混同してはならない。そこには次元の違いが存在する。それが、歌い手の知能レベルの解釈的能力に依拠するのか、年齢や経験に依存するのかは私の伺い知る所では無い事は確かだが、私自身の判断能力が過ちを看過しない事をより自己に求める以外に方法は存在しないと考えている。
表現は、既にヘンデルが楽譜上の音楽を通して非常に確実な指針を与えてくれている。歌い手の役割は、再現芸術としての作品の実現とヘンデルの創造力や構想力の美的展開と推進力に尽きる、と私は考えている。

無論、この点に於いて自分自身はヘンデルの音楽の末席にも存在する事は許されないかも知れない。

一つ、今後あらゆるオペラを歌い勉強して行くに当たって、一つ大いに重要な指針とも言える言葉を見つけた。「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」の著者、ウィントン・ディーン氏は、

「コロラトゥーラの目的は表現であり、輝かしさのためのものではない」

と述べている。
クレオパトラのアリアにもコロラトゥーラは在る。しかし、歌い手の声の誇示に繋がるパッセージとは決してならないような作りになっていると私自身考えている。特に、クレオパトラのアリア「苛酷な運命に涙を流し」のような、またシーザーのアリア「立ち去れ、邪悪な者め」のように、コロラトゥーラそのものがその役柄やアリアの感情表現に正に直結している事が、何よりの実証となっていると考えるのは、私だけであろうか。

コロラトゥーラを美声の目的と終着点のように誤認して持て囃す聴衆と歌手の「愚」を嗤う。

イタリアの偉大なオペラ作曲家、ジュゼッぺ・ヴェルディが「La Traviata」(椿姫)の最終幕で、ヴィオレッタにコロラトゥーラのパッセージを楽譜に残さなかった事と大きな乖離が存在しないであろう事は、オペラに於ける表現の世界という視点から考えればヘンデルのオペラアリアの創造性は、私の想像力を非常に掻き立てるという意味に於いては何等変わりないという事が言える。これは、飽くまで私の発展的想像の域を出ない事ではあるのだが。

多少辛辣ではあろうが、少なくとも例えアマチュアであってもソプラノの端くれであるならば、是非とも胆に銘じておこうと留意すべき事項である。

今日は、もう休む。


今日の練習〜♪

亀田興毅選手、世界フライ級新チャンピオン誕生。

「のだめカンタービレ」の最終巻、まだ購入していない・・・・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/
今日、何度も本屋の前を通り過ぎたのに・・・・・(凹)
明日、購入しなきゃ・・・・・(汗)

今日は、3時間のスタジオ練習だった。スタジオは夕方からだったので、昼過ぎまで腐る程、寝た(爆)
スタジオに行く前にカフェに寄って少し読書。先日慌てて表参道のカワイ楽器で購入した「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」をまだ読み終わっていない・・・(自爆)リサイタル本番近いのに、一体ど〜すんだあああぁぁぁ〜〜〜!!!とゆ〜事で、元々読書は苦手なんだけど、電車の中とかなるべく読むようにしている。後100ページ位で読み終わる。
今日は少し寒かったので、カフェで本を読みながらくしゃみをしていたら、ギャラリーカフェの社長が、

「どうしたの?また風邪ひいちゃった???」

と心配してくださった。う〜ん、本番近いからなあぁ・・・。でも、普段超頑丈なので、たまに心配して貰えると結構嬉しいもんだなあぁ〜♪流石にアラフォーになると、オバサンはそういった心遣いの対象から早々に消去される運命にあるんだあぁ〜と実感する今日この頃。

で、少しお茶しながら読書して、スタジオへ練習に行った。
今日は兎に角、以前のようにミルヒー先生に指摘された「太くて深い声」のポジションを取り戻す事だけに集中した。
実は昨日、ピアノ合わせレッスンが終わってから、ミルヒー先生と電話で話した。ミルヒー先生は、私を「太くて深い声」に育てようと考えてくださっているのだとはっきり仰られた。だから、今後はオクレール先生も含めて色々な事を外部から指摘されても、一切気にしないようにと、言われたのだ。これは、結構自分的にも想定外だった。元々頭部のポジションの低さや頭部の開き方が不足している事はミルヒー先生も含めて色々な先生に指摘され続けて来た事である。今回、オクレール先生との2度のピアノ合わせで、もっと声の響きを集めて細くする事も、同様に指摘され続けて来た事である。それでも私の場合、昨日もブログに書いたけれども少なくとも声の響きを集めて細く発声する事を心掛けたトコロで、私の声の太さにはあんまし変わりが無い(苦笑)だから、昨日のピアノ合わせレッスンでミルヒー先生に衝撃の指摘をされるまでは、自分でも結構良いカンジに発声が纏まって来たかな〜?と考えていたのは間違いが無いんだな、これが。
でも、私が自分自身想像していた以上に、遥かにミルヒー先生は私の声を「太く深く」イメージされていたという現実に相当驚きを隠せない。

はっきり言って、超が100個付くほど、嬉しいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(滝涙)
人生、酷い事や悪い事や悲しい事や辛い事や、裏切られたり欺かれるような事ばっかりでも無いんだなあぁ。

とゆ〜事で、今日のスタジオ練習3時間は、ヘンデル・オペラアリア・リサイタルの9曲すべて、ミルヒー先生のオーダーの発声に戻すべく練習を行った。
ブレスは全て地面の下から吸い上げる気持ちで、下顎と下腿を繋ぎ合わせる気持ちで声を自分の背後から天に向かって響かせる(意味不?)
それを、9曲全て一通り歌い直した。流石に、この発声方法は慣れないと全身に力が入りやすいし、声の勢いも非常に付いてしまうので、声量・音量は自己MAXに近くなる。でも、それ以上に全身を使うので、特に下腿の筋肉を最大限に使うので、声帯の疲労で多少話声は掠れ気味にはなるが、喉の痛みは全く無い。
従って、ミルヒー先生の言う通り、下腿の支えを中心に深くブレスを取れるよう勘を取り戻せれば、もう少し太く深くても軽く発声する事は可能だ。今日のように、最大音量で練習しなくとも大丈夫だろう。相当勘は取り戻せたと思うので、次回ミルヒー先生の直前レッスンで、後は自分の発声を確認・微調整して行くという事でどうにか行けそうなカンジだ。

今の私がどんな声なのか、それは私の歌を聴きに来て下さる人にしか解らない事なので、リサイタル当日が楽しみになるようにラスト・スパートで頑張るしかない。
でも、やっぱりクレオパトラは歌っていて、とっても楽しい(苦笑)特にここ最近は、特にレチタティーヴォで私自身が考える「クレオパトラ」の表情を付ける事に力を入れている。無論、私が持っているダニエル・ド・ニースのクレオパトラとはエラく違うが(爆)
絶対に、私だけの「クレオパトラ」を歌いたいと心から願っている。

私が最も目指す至高のクレオパトラとは、キャバ嬢でも美しき悲劇の女王でも媚売るジュリアス・シザーの奴隷でも無い。策略と知略に長けた狡猾で妖艶な、誇り高き激情のエジプト王女、クレオパトラである。

もうリサイタル本番まで秒読み段階だが、例年と違って差し迫った緊迫感とゆ〜か脅迫感みたいなものが無い。まあ、今回のヘンデルのリサイタルは随分以前から準備を重ねて来た事もあるし、クレオパトラにチャレンジ出来る嬉しさが大きかったからなのかも知れない。

リサイタル本番、自分の演奏が出来るように後少し頑張って最後の調整をして行けるよう頑張りたい。

クレオパトラの小姓役、ニレーノのアリアが歌いたいんだけど、ベーレンライターの楽譜は削除されていてアリアの楽譜は掲載されていなかった!!!その上、カール・リヒター指揮「エジプトのジュリアス・シーザー」のCDにもニレーノのアリアは録音されておらず、超ガッカリいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(絶句)
これから、ニレーノの楽譜を意地でも探し、絶対に譜読みして歌えるようになってやるううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・(涙)

その前に、本番本番(誤爆)

ミルヒー先生VSオクレール先生

ここ最近、病棟業務が無謀とも言える多忙を極めた。患者さんの急変・重症化・死亡が多く、勤務時間12時間以上という事態だった。流石にブログを更新する余力は何処にも存在しなかった。

今日は、ヘンデル・オペラアリア・リサイタル前の初のミルヒー先生&オクレール先生との3人でのピアノ合わせレッスンだった。ミルヒー先生とは中々スケジュールが合わず、ヘンデルのリサイタルの曲をレッスンして頂くのは超久しぶりだったし、オクレール先生とのピアノ合わせをチェックして頂くのは今日が初めで最後である。それなのに、土曜日の午後はスタジオの確保が非常に困難を極めた。オクレール先生のお仕事の都合で都内23区内のスタジオを探したのだが、何処も既に空きが無く、昨日の夜ようやく高円寺のスタジオを2時間確保出来た。ミルヒー先生もオクレール先生も私自身も、スタジオ到着までかなりの時間を要したが、兎に角今日ミルヒー先生にヘンデルのアリア、特にクレオパトラのアリアをチェックして頂かなくては、本番まで機会が無いので、先生方も私もギリの時間調整となった。
私は、ピアノ合わせ前に発声練習のためにいつものスタジオを予約したのだが、蓄積疲労で寝坊してスタジオに15分遅れで到着。発声練習を約40分行ってから高円寺に向かった。

スタジオは初めて使用する所だった。4畳にアップライトピアノだったのが、結構綺麗な新しいスタジオだった。

今日は主にヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリアを重点的にミルヒー先生にチェックして頂かなくてはならない。早速、クレオパトラのアリア5曲歌った。最初は、スタジオまで焦って駆け付けた事もあり息が上がってしまってブレスが不足がちだったのだが、疲労の割には声も響いていたし声の伸びも悪くなかった。暗譜も出来ていたし、何とか行けるかな?というくらいのコンディションではあった。しかし、クレオパトラのアリア5曲歌い終わった時に、ミルヒー先生から衝撃的な言葉が発せられた。

「あのね、暫くあなたの声を聴いてなかったんだけど、今、わざと細くしようとしていない???ヘンデルを歌おうとすると、こういう細さになっちゃうのかしら???それとも歌う曲が多いからわざと細く軽く歌おうとしているのかしら???以前のあなたはね、もっと太くて深い声が出ていたのよ。今のあなたの声を聴いていると、こんな声の人だったかしら???と思ってしまったのよ。今は、上のポジションだけで歌っているような気がするのよね。もう一度、以前の発声に戻してくれる???」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一瞬、4畳の狭いスタジオが緊張し凍りついた。

確かに、オクレール先生との2度のピアノ合わせで声の響きの太さとポジションの低さと頭部の開き方の不足を指摘されたので、努めてこれらを重点的に改善すべく努力して来た事は間違い無い。ただ、私の声は少なくとも自分自身細く軽く努めて歌ったとしても、決して細い声の響きとは言えない声質である。増してヘンデルのオペラアリアを9曲歌うともなれば喉の疲労も考慮しなくてはならない。しかも、9曲の最後のクレオパトラのアリア2曲が最もドラマティックに歌われなければならない曲なので、どうしてもエネルギー配分は考慮せざるを得ない。そこに来て、オクレール先生から、もう少し声の響きを集めて細く当てるようにとの指摘を受けて来たので、ミルヒー先生に指摘された事はマジで逃れようも無い現実だった。
オクレール先生は、無言というか、ノーリアクション。
私は、10分休憩を頂き、リサイタルの前半で歌うアリア、オベルト・リナルド・アルミレーナ・セルセのアリアを歌った。勿論、発声は声の太さは考えず、整った声を出そうとはせず、凡そ2ヵ月位前のまだミルヒー先生のレッスンで歌っていた時の体勢に戻って声を出す事に集中し務めた。すると、ミルヒー先生から、

「そうそう♪大分戻って来たわね。その声よ。でもまだ中途半端だから、もっともっと下(のポジション)を使って声を出して。今のあなたが歌った声の太さがあなたの声なのよ。その太さと深さが必要なのよ」

と指摘された。少なからずこのような状況だと混乱はする。しかし、私が今までレッスンを3年以上受けて来て私の声を最も知っているのは、他の誰でも無いミルヒー先生なのである。オクレール先生は、無言。勿論私も敢えて何も言わない。兎に角、ミルヒー先生が私に要求している発声に戻す事が緊急の課題となった。しかし、ミルヒー先生に指摘されてからすぐに元の太くて深い強い発声に戻りつつあったので、それ以上ミルヒー先生からは疑問の声は挙がらなかった。
最後、アルミレーナのアリアは低声用のキーなのでレチタティーヴォが今一つ声の響きが当たっていないという事で、リサイタル本番前にもう一度ミルヒー先生とレッスンをして調整する事になった。
オクレール先生からは、少しだけ指摘があった。

「その太さの声だと、ダ・カーポの装飾音やアジリダは声が回らなくて厳しいんじゃないかな?」

と言われたが、決して譲らないミルヒー先生(超苦笑)

「今はまだ以前の発声に戻りきってないから、下の(ポジション)支えが不十分だけど、きちんと下の深い所で支えられるように戻れば、それから(声を)軽くする事は十分可能だから、大丈夫!!!」

私は一人凍りついていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(爆死)

最も言える事は、ミルヒー先生が私の声を「太く深い」声に育てようとしているのだ、という事である。ミルヒー先生曰く、

「それがあなたの声だから」

という事である。ミルヒー先生の教育方針で私自身喉を痛めたり疲弊させているワケでは無い。確実に私の声は成長しているのだから。
最も、今回はミルヒー先生とオクレール先生とのピアノ合わせレッスンが遅すぎた事は良くなかった。でも、やはりミルヒー先生とオクレール先生とのレッスンの擦り合わせは非常に重要事項であった事は言うまでも無い。恐らく今日のピアノ合わせレッスンで、オクレール先生にもミルヒー先生の私に対する方針を御理解頂けた事は言うまでも無い。しかも、リサイタル本番はミルヒー先生が御来場予定だ。
明日からの自己練習では、今までとは違い、自分の声をより深くより太く(笑)。以前の調整に戻す事に努めなければならない。でも、以前は出来ていた事なので、然程難しい事では無い。
恐らく、オクレール先生には多少の異論もお持ちの事とは推察されるが、ミルヒー先生に軍配が上がった以上、私がやらなければならない事は、ミルヒー先生に要求された「太く深い声」でヘンデルを歌う事に尽きる。これは変更の余地無し。
しかし、オクレール先生の指摘によって頭部のポジションを高くする事や頭部を開く事が以前よりも遥かに可能になった。これはやはり非常に感謝している重要項目でもある。

複雑な一日だった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(苦笑)
でも、ミルヒー先生の言葉によって今後の方向性が一つ見出せて確定した事は、非常に喜ぶべき事で私自身とても安心している。
自分の声を細くしようとした事はオクレール先生の責任では無いと思う。
今迄の、何の責任も負わないくせに無責任な感想ばかり垂れ流され向けられて来た事による、くだらないコンプレックスだったと反省している。
何の関係も無い人間の戯言よりも、ミルヒー先生の言葉を信じるのは至極当然の事であるのだから。

明日から、また修正&調整の日々だ。

どう歌う?クレオパトラ。

今日は、連続夜勤の中休み。
休日の割に午前中から忙しく、ゆっくり寝呆けているヒマも無かった(怒)
郵便局に行ったり、注文していたメモリースティックのアダプタを取りに行ったり。

その後は午後から3時間のスタジオ練習。今日は前回のオクレール先生とのピアノ合わせで苦言を呈された部分を重点的に練習しなければならなかった。「リナルド」アルミレーナのアリアから。レチタティーヴォを丁寧にお浚いする。イタリア語のアクセントの通りにレチタティーヴォを歌う事に慣れるのは、結構難しい。この曲は、イタリア古典歌曲にも分類されているので、どうしても歌曲としての認識で歌ってしまいがちで、録音もイタリア古典歌曲として録音されたものを聴く事が殆どだった。「リナルド」を全幕通してオペラの映像を観たり全幕通しての録音を聴く事は、まず無い。私が所有している録音の他に、不本意に押しつけられた全曲録音のCDはあるにはあるが、全く聴く気も無いので、結局イタリア古典歌曲集の録音しか聴いていない。しかし、この曲を勉強し始めてから既に10年経過しているので、自分自身の努力で譜読みを丁寧に行って行こうと決心した。録音は、また後から探せば良い。取り敢えず、オクレール先生に指摘されたフレーズ、ピアノからクレッシェンドしてスフォルツァンドで歌うフレーズに時間を掛けて繰り返し練習。たった2小節に30分以上掛けてようやく少しだけ掴んだようなカンジ。小節の歌い出しを極力ピアノで歌う事と、クレッシェンドを急激にしないでフォルテの度合いを緩やかに取る事。このやり方で良いのかどうか、次のピアノ合わせでミルヒー先生やオクレール先生に確認する以外に方法は無い。

その他は、クレオパトラのレチタティーヴォをメインに練習を行った。
先日、2005年グラインドボーンのDVDを観てからは、クレオパトラの歌い方・演じ方に関して、非常に脳味噌を酷使しなければならなくなってしまった。ダニエル・ド・ニースという個人の歌手はど〜でも良いし問題では無い。ド・ニースがクレオパトラをどう解釈しどう歌おうが、私には全く関わりが無い事だ。問題は、全く参考にならないダニエル・ド・ニースのクレオパトラを観た後で、自分自身がクレオパトラをどのように歌って行くのかというベクトルなりスタンスなりを、自分自身どう決断し確立して行くのか、という事である。有名歌手の歌唱に惑わされたり引き摺られたり感化されないためには、自分自身の歌う役柄に対する徹底的且つ厳密な分析が絶対必要不可欠であり、尚且つ簡単に安易に他人に耳を委ねない厳しい姿勢が必要である。
先日オクレール先生とのピアノ合わせでオクレール先生から最も指摘されたレチタティーヴォ。喋っていないと散々注意された。何故レチタティーヴォで喋れないのか。散々考えて、ようやく見つけた答え。私がクレオパトラになって歌っていなかったからだと、ようやく気が付いた。これは、3年近く前に、川崎市内のとある小さなホールの20分枠の一般募集コンサートで、ヘンデルのオペラアリアを5曲歌った時の事だった。ミルヒー先生のレッスン中、良く怒られた事・繰り返し指摘された事が一つあった。ミルヒー先生いわく、

「このアリアは、クレオパトラのアリアなのよ!!!いい???クレオパトラよ!!!エジプトの女王なのよ!!!普段のあなたのまんまで歌っちゃ駄目なのよ!!!」

と、耳にタコが10コ位出来る程散々指摘され続けたのであった。今回も要するにそういう事だ。じっくり考えた結果、レッスンや練習で自分自身をクレオパトラだと思って歌った事は無かった(自爆)どのフレーズをどう歌うか、とか低音をどう出すか、高音をどう出すか、ロングブレスをどう凌ぐか、とかいう問題には血道を上げ発声には非常に神経を使ったが、自分はクレオパトラなんだからこう歌うのよ〜♪みたいな歌唱は、皆無だった。
ヤバい(爆死)これは、超ヤバい(核爆)早速今日から、自分はクレオパトラなんだとゆ〜自覚と認識を持って歌う事を念頭に置く練習を開始した(遅っ)
ただ、ここで問題になるのは、先にも述べた通り自分がクレオパトラをどう捉えどう歌うのか、という事。これに関しては私自身の持論もある。
まず、クレオパトラがキャバ嬢では、困る。おキャンなクレオパトラを歌うつもりもそのように解釈するつもりも、毛頭無い。クレオパトラは、一人の女性である遥か以前に、女王であり策略・知略・謀略に長けた野心家であり、男を手玉に取る妖艶さを持った、エジプト随一の誇り高き女王なのである。とゆ〜事で、ダニエル・ド・ニースの小娘的キャバ嬢路線は、却下。そう考えると、私が演じ歌うべきクレオパトラ像が少しづつ見えて来る。しかも、ただ単に、クレオパトラのオペラアリア集を歌うべきでは無く「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラ全曲の中のクレオパトラという役を歌い演じるという視点に立てば、おのずと見えてくる一つの非常に重要な問題点が浮き彫りにされる。このヘンデルの「エジプトのジュリアス・シーザー」というオペラは、タイトルロールはシーザーという男役だが、ヒロインが二人存在する。一人は、ポンペイウスの妻でセストの母で夫をエジプト王トロメーオに殺されエジプト将軍アキッラに情婦同然に差し出されそうになりエジプト王トロメーオにも慰み者の愛人と扱われそうになるコルネーリア。そして、エジプト王トロメーオの姉であり妻であるが、腑甲斐無いトロメーオに嫌気がさして不仲のため、自分自身がエジプト女王に君臨する事を野望するクレオパトラである。2005年のグラインドボーンのコルネーリア役パトリシア・バートンと、クレオパトラ役ダニエル・ド・ニースには、余りにも明らかな声の資質とキャリアに多大な差が在り過ぎた。しかし、このオペラの根源的且つ基本的な概念としては、コルネーリアとクレオパトラは、声質としては乖離的分類はあるものの、役柄の存在的意義としては、対極に存在しながらも対等である筈なのである。それを示すのが、ウィントン・ディーン著「ヘンデル・オペラ・セリアの世界」春秋社出版の中で、非常に慎重かつ丁寧に著者によって分析・供述されている。
つまり、私自身は、ウィーン基準ではリリコ・ソプラノだが、メゾソプラノやコントラルトのコルネーリアに決して勝るとも劣らないクレオパトラを歌わなければならない。これは、至難の業だ。美人のキャバ嬢のセンは、有り得ない。どこぞのソプラノ歌手とも違うし(笑)
自分自身の声の太さを最大限に活かしながらも決して重くならず、尚且つドラマティックさを失わず余裕の軽やかさと自尊心丸出しの狡猾さ。これが私の考えるクレオパトラ(超苦笑)
リサイタル本番までカウントダウンとなったが、今自分が考えるクレオパトラ像を全て演じる事は可能では無いだろう。しかし、一歩でも、半歩でも、近づく努力と野望は捨てるべきでは無い。

最も大切な事は、コルネーリアと対極を成しながらも対等の、声の太さを最大限に活かしたドラマティックさと余裕の軽やかな声の響きでプライドの塊の狡猾で魅惑的なエジプト女王クレオパトラ、をダイエットの体型と化粧の濃さと親から貰った容姿では無く、自分の持てる「声」だけで演じなくてはならいという事である(核爆)

さあ、大変だあぁ。

明日も休日なので、自己練習、自己練習♪

今日は何の日。

昨日は結構多忙な夜勤明け。重度の認知症で骨折の患者さんが夜一睡もせずに大騒ぎ&整形手術の患者さん&内科で夜中から急激に重症になった患者さんetc。一休みしてから、よ〜やっとHMVに注文したヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のDVDを観た。2005年グラインドボーン音楽祭の演奏。最近、欧米で人気のソプラノ歌手、ダニエル・ド・ニースがクレオパトラを歌ってる。去年くらいだったか、ダニエル・ド・ニースが日本でモーツァルト「フィガロの結婚」のスザンナを歌ってた。今日はミルヒー先生&オクレール先生合同ピアノ合わせだったので、何としてもレッスン前にDVDを観ておかなければならない、と思い眠気でボケた頭にワインで喝を入れながら観た。
感想。ジュリオ・チェーザレ役のサラ・コノリー(MS)と、コルネーリア役のパトリシア・バートン(MS)の圧巻的歌唱と演技力が余りにも卓越していた。感動して、部屋で一人で大喝采のブラヴォ〜〜〜!!!連発(爆)サラ・コノリーはイギリスを代表するヘンデル・メゾ。その双璧にあるパトリシア・バートンは、何とワーグナーの「ニーベルングの指環」でフロースヒルデやエルダを歌う、ひょっとしてコントラルト???系メゾ。二人とも深く温かい声と重厚なバロックを軽やかなテクニックで、熱演するまさに「バロックの至宝」そこに、二人のカウンターテナー、トロメーオ役のクリストフ・デュモーとニレーノ役のラシッド・ベン・アブデスラムが、非常に伸びやかなカウンターテナーの美声とハイ・テクニックを聴かせてくれている。やはり、カウンターテナーが登場すると、バロックとしての実感が湧く演奏になるものなのかと思わせるくらい、二人とも素晴らしいカウンターテナーだった。
で、一番物足りなく浅く聴こえたのが、セスト役のアンゲリカ・キルヒシュラーガーとクレオパトラ役のダニエル・ド・ニース。
でも、これはある意味仕方が無いとゆ〜か、想定内事項だろうな。だって、ワーグナー歌手のバートンと一緒に歌ったら、幾ら今大人気のキルヒシュラーガーと言えど色褪せて聴こえてしまう。セストの怒りや復讐心を感情的に表現してはいたが、何にせよコノリーやバートンと一緒に歌ったら、やっぱ子役なのは言うに及ばず。
しかも、クレオパトラのド・ニースに関して言えば、クレオパトラの威厳とか妖艶さとか狡猾さとか策略家とか、そ〜いった面はお世辞にも感じる事は不可能だった。ド・ニースに対しての私の感想は「キャバ嬢」(核爆)しかもド・ニースの声は軽めのリリコだが多少太めだから、クレオパトラ役に合っていないという事も無い筈なのだが。ド・ニースのクレオパトラは、クレオパトラをどう歌いどう表現するかというよりも、ド・ニースのキャラクターのミニマムワールドのクレオパトラだったとしか思えないとゆ〜か、聴こえなかったとゆ〜か。
とゆ〜事で、クレオパトラの勉強は、今まで通りタチアナ・トロヤノスで勉強する事にした。
しかし、考えてみれば、コノリーとバートンの重量級の声とデュモーとアブデスラムの伸びやかでテクニカルなカウンターテナーのキャステングでは、ド・ニースとキルヒシュラーガーの軽めの配役でなければ、随分と重苦しい暑苦しいヘンデルになってしまうので、キャスティングのバランスとしては宜しいのでは無いのでしょうか。

で、今日朝一番で寝呆けている時にミルヒー先生からメールがあった。
「風邪をひいてしまったので、今日のレッスンはお休みさせてください」
!!!!!こりゃ大変だ〜〜〜(苦笑)取り敢えずオクレール先生に急いでメールしてこの件を伝えた。最初、今日のレッスン場所は世田谷区内だったのだがミルヒー先生が来られなくなったので、急遽オクレール先生のお仕事の御都合に合わせてスタジオを渋谷区内に変更。慌ててネットでスタジオを検索、ど〜にかこ〜にかピアノが置いてあるスタジオを見つけた。オクレール先生にメールでスタジオの場所をお知らせしようと思ったのだが、途中で手に携帯持ったまま、爆睡(自爆)目が覚めたら、近くのスタジオに発声練習に行く30分前に、慌てて覚醒。泡食って自宅を飛び出した。近くのスタジオでは、ホントに発声練習だけ。だって、オクレール先生とのピアノ合わせは、マジで休憩無しで2時間ぶっ通しで歌わなければならないから(爆死)まあ、ヘンデル9曲歌うのだから、仕方が無い。

渋谷のスタジオに到着して、すぐピアノ合わせ開始。やっぱ、私はスロースターターなもんで最初の一声は結構重めになってしまう。それでも1曲目の「アルチーナ」のアリアは前回よりはそこそこ。2曲目「リナルド」のリナルドのアリアも、以前よりもスピードアップしてテンポに乗って何とか歌う事が出来た。しかし、オクレール先生的には、
「もう少しテンポが前に進んでもいいと思うんだけど、これが限界???」
と言われた。この曲、楽譜の指示がLargoなのだが、ヘンデル9曲も歌うし、プログラム自体がマニアックなのでオクレール先生から指摘されたオーダーは早めのAndante(苦笑)それでも今回は普通のAndanteくらいに歌えるようには練習して来たが、やはりもう少し早いテンポに出来るならその方が良いのでは、というオクレール先生の御判断だった。テンポが速いと、ダ・カーポで繰り返し歌う時の装飾音の入れ方が困難になって来る。私にはまだそこまでのテクニックは無い・・・・・と・・・思う(爆死)でも、次回のピアノ合わせまでには善処して来るとゆ〜事で。
今日一番躓いたのがアルミレーナのアリア「私を泣かせてください」中間部の下降音形をピアノからクレッシェンドで最後スフォルツァンドで歌う所。スフォルツァンドで歌うF♯が声が当たっていない事と、ブレスが続かず声がブレてしまう事で、フレーズが尻切れトンボに聴こえてしまうとの指摘を受けた。オクレール先生から指摘されたが、具体的に何処をどのように変えれば良いのか自分ではさっぱりチンプンカンプンだった。
「解らないなら、今の通りでいいよ」
とオクレール先生も半ば諦め気味に言われたが、ここで私は諦める程落ちぶれてはいない。私は指摘されてもそれを修正して自分の歌唱に確実に活かせるようになるのに、他人よりも時間がかかる。要するに、もの覚えが悪い。だから、この部分は一度持ちかえって少し時間を掛けて練習しないと歌えないので、今日は保留にして貰った。改めて「私を泣かせてください」という曲の難しさを思い知った。尤も、アルトの低声用のキーで歌っているので、余計に歌う事に難儀しているのは間違い無い(凹)

逆に「セルセ」のアリアは、コメント無し(爆死)

とゆ〜事で、早速クレオパトラのアリアへ。
オクレール先生曰く、クレオパトラに限らず、アルミレーナのアリアもそうなのだが、
「レチタティーヴォは、もっと喋って。自由に歌っても良いけど、きちんと楽譜のインテンポの中で自由に歌って。イタリア語のアクセントで言葉のリズムをきちんと取って歌う事。でないと、平坦に聴こえるし、レチタティーヴォに聴こえない」
・・・・・・・・・・。自分でも解ってるつもりなんだけど、出来て無いって事は解って無いって事か(溜息)
もう一つ細かく指摘された事が、やはりアジリダの音程。特に半音下がったり上がったりする音が若干低めに聴こえてしまう。もともと下降音形でポジションが下がりやすい事もあるので、テンポの速いアジリダは特に慎重に確実に一つ一つ音を取っていかなければならい事は、解ってるんだけど(超苦笑)オクレール先生から、
「歌いだしの音が中低音だとポジションが低いから、高音に移行する時に苦しいんだよ。それに頭部の開き方がまだまだ足りない。それで良く喉を壊さないでこんな難しい曲歌ってるよねえぇ〜〜〜〜〜・・・・・(呆)」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
褒められているのか、貶されているのか・・・・・(笑)
でも、クレオパトラのアリア最後の2曲は、殆どお小言を頂く事無く、無事2度目のピアノ合わせ終了♪正味2時間、歌いっぱなし〜(爆死)
流石に疲れたが、こんな物覚えの悪い私に付きあって下さっているオクレール先生の方が余程大変なんだよなあぁ・・・・・(滝涙)オクレール先生から、
「いつも休日って夜勤の次の日なの???普通の休みって取れないの???」
と聞かれたが、夜勤が多い私の場合、休日は大概夜勤の次の日が殆どだ。運良く2連休があったとしても、先生方のスケジュールに合うとは限らない。
取り敢えず、帰宅したら今月中にもう一度ピアノ合わせが出来るようにメールする事で、渋谷駅でお別れした。

今日は、渋谷のスタジオに行く前に、ビミョ〜に少し時間があったので、表参道のカワイに行った。本当は、フンメルの声楽曲の楽譜を探す目的だったのだが結局見つからず。
でも、ひっじょ〜〜〜に大きな掘り出し物にありつく事が出来た!!!!!(号泣)
まず新刊だと思うのだが「フィッシャー=ディースカウ シューマンの歌曲をたどって」白水社出版。来年はシューマンのメモリアル・イヤーなのでシューマンの歌曲のリサイタルを計画、既に選曲も全て済ませている。だが、以前にこのブログに書いたが、シューマンの歌曲の専門的学術書が日本に存在しない。そこいら辺のありふれたドイツ歌曲の解説書には、来年私が歌うシューマンの歌曲の殆ど、解説は載ってやしない。今日たまたま表参道のカワイに足を伸ばしてこの本を見つけた。曲目検索のページを見たら私が歌うシューマンの歌曲で、他のどの本にもCDの解説書にも載っていない曲の解説が、短いながらもあった!!!!!当然、お買い上げえぇ〜〜〜〜〜・・・・・〆て¥6600・・・・・・・・・・(滝汗)・・・・・・・・・・無言。
それと、私が必ず購読しているオペラ雑誌がある。
ONTOMO MOOK「GRAND OPERA」である。この雑誌は季刊誌なので年に4回くらいしか発行されない。見つけたらすぐに購入する。大概、世界の注目の音楽祭とか、今が旬で人気のオペラ歌手とかの特集記事が多いのだが、私がこの雑誌を購入するのには、全く別の理由が存在する。
この雑誌の巻末に「世界の歌劇場シーズン・プログラム」という項目があるのだ。これは、今現在シーズンの世界各地の歌劇場の演目と指揮・演出・配役がざっと書かれている。私は、まるで競馬新聞を読むオヤジのように蛍光ペンを持ちながらこの雑誌を読み耽る。
理由は、まず現シーズンで、どの歌手がどの演目のどの役を演じているのかをチェックする為だ。特に、私が好きな歌手・注目している歌手・好きでは無いが人気のある歌手・ベテランの名歌手、これらのオペラ歌手達の現在の動向を知る上で、非常に有効に活用出来るからだ。
例えば、ネトレプコが、キルヒシュラーガーが、ド・ニースが、デセイが、チョーフィが、ゲオルギューが、メイが、今どの歌劇場でどの役を歌っているのかに興味は無い(きっぱり)
ここで一番私が重要視している事は、オペラ歌手達の動向である。この雑誌を続けて読んでいると、歌手の動向が顕著に解る。
あらゆる有名大歌劇場で出ずっぱりの歌手、大劇場で声質に関係なく手当たり次第ヒロイン役を歌いまくる歌手、持ち役だけを地道に歌う歌手、近・現代曲に取り組む歌手、暫く見かけないと思ったら新しい持ち役を歌っている歌手、大劇場でしか歌わない歌手、劇場の大小は無関係に持ち役を歌い続ける歌手、etc。
これは、歌手の人間性や歌手としてのストラテジー、歌手の勤勉さや開拓精神の有無を判断する上での非常に貴重な指針にもなり得る。
まあ、例に挙げたのはソプラノ歌手だけだが、無論もっと私が大好きで注目・期待する歌手の動向を主にチェックしている。
それに、来年3月にウィーンにレッスンに再渡欧する事がほぼ確実になったので、時期的にウィーンの幾つかの歌劇場でどのオペラを観るか、の判断材料にもなる。

それと、もう一つ雑誌を購入したのだが、これはまた後日ブログにアップしようと思う。



そして、夜23時に帰宅。
41歳の誕生日に気が付いたのは、夜中過ぎてからだった・・・・・・・・・・(核爆)


声の出し過ぎ

今日は久々の連休2日目。今日はスタジオ3時間取れた。しかし、日頃の蓄積疲労か、2度寝してしまいスタジオのレンタル時間ギリに目が覚めてしまい大慌て。大急ぎでスタジオに駆け付けた。
天気が変だったせいか、矢鱈と痰が増えた。でも、6日のピアノ合わせまで時間が無いので、練習練習♪

スタジオに到着して、いつものように発声練習をして、いつものようにヘンデルのオペラアリア9曲歌った。9曲歌い終わって・・・・・声が掠れ始めた。ヤバい。マジで声の出し過ぎだ。練習直前まで寝てたせいか、発声練習してもまだ体が寝ているカンジ。声を押して出していたようだ。
スタジオは音響も良くない。アップライトのピアノがあるから良く利用しているのだが、基本的に響きは良くない。自分の声の響きの確認の目安が、20畳程あるスタジオのピアノの反対側にあるドラムセットのドラムの表面が私の声の響きで振動する音。でも、これでは本当に声の出し過ぎになってしまうと、反省した。
クレオパトラだけでなく、1曲目「アルチーナ」のオベルトのアリアの声量から考え直さなければならないなあぁ・・・。やっぱり、多少疲労で体が動かないか、喉の不調で無理は避けてる時の方が、発声としては良いのかも知れない。もともと声量はある方なので、声は出せば出すだけ出てしまう。しかも、やっぱりクレオパトラは気持ち的に力が入り過ぎてしまう。良くない癖だな、と不安になる。

それでも、前半4曲のオベルト・リナルド・アルミレーナ・セルセのアリアは大分余計な力が入らなくなって来た。クレオパトラもこれ位の慎重さと冷静さが必要不可欠だなあぁ・・・(溜息)
ギャラリーカフェが空いてる時には、なるべく本番会場のギャラリーカフェで声出ししないと。声帯に余計な負荷をかけてしまっては、リサイタル本番もそうだが、ウィーンでのレッスンにもひびく。今日、ウィーンのM先生からメールがあった。来年のウィーン行きは3月初旬になる事が決まった。ヘンデルのリサイタルが終わってもウィーンでのレッスンのために相当練習しなければならない。休んでダラけている余裕は一刻も有り得ない。
今日は結構凹んで帰って来た。6日のピアノ合わせは、きちんとミルヒー先生と打ち合わせして来ないといけない。曲自体はほぼ暗譜も出来ているので、残すはこの声量のコントロールの問題。やはり、きちんとした音響の会場で歌い慣れていない事、自分の声の響きを把握していない事は非常に不利な事だと実感。本当にリサイタル本番直前ギリまで努力しなければ追いつかない。
でも、私は2年前にも一度、20分枠の一般募集の演奏会で、ヘンデルのオペラアリアを5曲歌った事があったのだが、2年前はゲネプロの段階でヘトヘトだった。その時の演奏会では、オベルト2曲・セルセ1曲・クレオパトラ2曲。この事を考えれば、今は9曲歌っているワケだから成長してると言えなくもない。でも、やはりこの現状は決して宜しいものでは無い。ここで妥協したトコロで良い事は一つも無いどころか、弊害しか無い。

リサイタルも2度目になる。ウィーンへの渡欧も2度目になる。勉強しなければならない曲は芋蔓式に増えて行くし、常時30曲近く抱えている。
それでも歌いたければ、勉強したければ、無い頭から智慧を絞って行くしか方法は存在しない。

忍耐忍耐。善哉善哉。

今日、ギャラリーカフェの社長とリサイタルの打ち合わせしている夢を見た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
結構キテるかも(爆死)

久しぶりの・・・

2連休〜〜〜〜〜っ!!!(号泣)

昨日は日勤が終わった後に、ヘンデルのリサイタルの楽曲解説や歌詞対訳を作成してギャラリーカフェのプロデューサーにお渡ししなければならないので、メモリースティックを購入しに出掛けた。何だかんだ買い物をしていたら夜21時近かったので、さっさと帰宅した。

今日は日曜だったのでスタジオが混んでいたので2時間しかスタジオを借りる事が出来なかったのだけど、こ〜ゆ〜時は無理せず休め、とゆ〜事なのだと解釈して2時間練習。ヘンデルのアリア9曲一通り通し練習してから一時帰宅して、パソコンや本やCDを持参してギャラリーカフェに出勤(苦笑)
今日は、プログラムやらネット掲載記事や調律や会場の配置など、プロデューサーとヘンデルのリサイタルの詳細打ち合わせ。私が夜勤が多くて中々伺えないので、今日一気に沢山の打ち合わせをする事になった(笑)
今日から11月、そろそろ真剣に気合いを入れてリサイタルの準備を始めないと間に合わん。特に、楽曲解説や歌詞対訳を作成して、リサイタルのMCで何を喋るのかきちんと整理しないといけない。ヘンデルの4作のオペラのあらすじ、作曲年代や作曲された背景、自分がンデルの曲を選択して歌う契機や、アリアに纏わるエピソードなどを、原稿を作成しないまでも頭の中に纏めておかなければならない。ギャラリーカフェに到着してから、プロデューサーと話しながらパソコンのキーを叩きながら本を読みながら、と超忙しかった(滝汗)

私が一所懸命にパソコンと格闘している間に、ギャラリーカフェの社長&プロデューサーがトンでもナイ事をして下さっていた。
何と、ギャラリーカフェの店先にある掲示板に、私のリサイタルの写真入りポスターを作っていた!!!(絶句)
前回、今年2月のベートーベン&シューベルトの初リサイタルの時に、社長がこ〜〜〜っそり撮影していて後で私に渡してくれた写真。ちょっと前にプロデューサーが、

「あなたも、他の演奏者みたいにお店の前にポスター作って貼ろうよ〜♪」

と言われたのだが丁重に御辞退申し上げた。それなのに・・・・・(爆死)
こんなの恥ずかしくて友達や知り合いに言えないよおおおおおぉぉぉぉぉ・・・・・。
しかも、早速貼られてしまった。
いいや、自分は見ないようにしよう。そして、友達には、ナイショ(爆)
こんなの、こっ恥ずかしくて。
大体にして、自宅も職場も近いんだぞおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!
社長&プロデューサーは、2人ともとっても楽しそうだった(凹)
私は、ビジュアル系では無いのに・・・・・(超不服)
嗚呼、どうしよう。いやいや、見ないフリ見ないフリ。
現実逃避に決定。

体調は全快、とゆ〜程でも無いのだけれど、もうリサイタル本番までカウントダウンに入ったので、上手く調整しながらやって行くしかない。
6日には、ミルヒー先生のレッスンにオクレール先生も一緒に行って頂いて、主にクレオパトラのレッスンをする予定だし。ダ・カーポの曲が多いので1曲の演奏時間が結構長い。今日はエネルギー配分に一番重点を置いて練習した。やっぱり、ど〜やって歌ってもクレオパトラのアリアの後半4曲は、かな〜りドラマティックに歌う形になってしまう。その為、やはり前半4曲は軽めとゆ〜か柔らかい歌唱を心がけないとキツい。ここの所の調整は、6日にミルヒー先生&オクレール先生と御相談事項になるだろう。
やっぱり、クレオパトラのアリア5曲はかなりタイヘン(苦笑)それでも、きちんとブレスの位置を確認して行けば自分の想定通りに歌えると思うが、それでもなるべくブレスを長めに取ろうと思って無理すると中途半端になってしまうので、カンニングブレスの位置確認は直前まできっちりみっちり行っていかなければならいだろうなあぁ・・・と実感した。特にアジリダの部分は相当に要注意(滝汗)
それと、最近ヘンデルのアリア9曲通して歌うようになってから目立って来た事が、低音域(主に5線の下の方)の頭部や体幹の開き方がまだまだ不十分な事。もともと下降音形でポジションが下がりやすいので、非常に集中力を持って低音域を歌わないと喉が絞まりがちになって息の流れが悪くなる上にイタリア語の子音のアタックが弱くなり音程が悪くなってしまう。

音程の悪いバロックなんて、超最低(誤爆)

とゆ〜事で、やはり低音域はまだまだ不十分。相当集中して練習&確認を行っていかなければならない。しかも、クレオパトラは相当低音域をしっかりきっちり歌っていかないと、クレオパトラらしく聴こえない。ドラマティックに聴こえない。迫力が無くなってしまう。これは、流石に避けたい(笑)
私はプロでは無いので、通り一辺倒の歌い方をしたくない。自分の「クレオパトラ」を歌いたい。自分で自分を「型」に嵌め込みたくない。クレオパトラは今後全てのアリアを勉強して自分自身のレパートリーにしたいので、きっちりと自分の歌い方を掴んで確固たる声を作り上げて行きたい。そうなると、私の声質のポイントになるのは、やはり中低音域になる。この中低音域で勝負出来るソプラノ。これを目指している。
ストレートでは無く、スライダーやチェンジアップでストライクを取りに行くピッチャーみたいなカンジかな(日本シリーズ観戦中)
取り敢えず、6日のピアノ合わせまで頑張らなきゃね〜。

明日は月曜日だから、スタジオ3時間練習取れると思う♪

ヘンデル全曲通し練習。

今日は今月最後の休日。台風20号通過時は、多少痰が増えたものの夜勤は無事こなした。昨日、新入院の認知症の患者さんに一晩中振り回されて多少疲労困憊だったが(爆)、喘息発作も咳もひとまず落ち着いたカンジ。

今日は、12月のヘンデルのリサイタルで歌う9曲を通し練習開始。本当は今月初めに9曲通し練習を始める予定だったのだが、台風18号の上陸による喘息発作&風邪で、予定がかなり遅れてしまった。もうダラダラ休養してる無駄な時間は一刻も存在しない。
3時間のスタジオ練習で、15分発声練習してからヘンデルのオペラアリア9曲、前半4曲・休憩15分・後半5曲、と本番の予定に沿って歌った。占めて、1時間30分。
改めてヘンデルのアリア9曲歌ってみて、殺人プログラム・・・(爆死)と思った(滝汗)
以前、ミルヒー先生にも指摘された事なのだが、

「リサイタルの前半は、発声練習程度にしておかないとね〜・・・」

あははははは。さっすがミルヒ〜先生♪
しかも、ピアニストのオクレール先生が、先月の初ピアノ合わせで、

「僕って、すごく大変かも」

あっははははは。さっすがオクレ〜ル先生♪
・・・・・・・・・・。笑っている場合でも無い。
リサイタル前半は有名な曲があり、リサイタル後半は5曲ともドラマティックなクレオパトラの壮大なアリアが続く。今日一番考えさせられた事が、リサイタル後半「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア5曲のエネルギー配分。これを間違うと、最後2曲が最もドラマティックな曲なのに、最後で息切れしてしまう事は避けられない。余程頭を使ってエネルギー配分をしないと、非常にみっともない御粗末なリサイタルになってしまう。今日9曲歌ってみて改めて認識させられた。勢いだけでは最後まで歌い切れない。
でも、私がこのかなりシビアなプログラムを断行した理由には、自分の声を鍛えて育てる、という目的が非常に大きなウェイトを占める。今後、ミルヒー先生からヴェルディとプッチーニを、谷岡先生&ハリセン先生とウィーンのM先生・N先生・B先生からバッハからワーグナーまでのドイツ歌曲とドイツオペラを学んで行くためには現状の自分の声だけでは非常に不十分であり、ウィーンのB先生に指摘されたのだが、

「シューベルトの魔王や、ベートーベンのフィデリオのレオノーレなどは、今後声が育って行けば可能性としてはあるかも知れないが・・・」

との事だった。だから、今現状自分が出せる声で可能な曲を歌うだけでは無く、将来的に自分が歌いたいと思う曲を歌うために可能な限り自分自身で自らの声を成長させるべく鍛えなければならない。
今後、喘息発作がこれ以増悪するようであれば長生きは不可能。せめて死ぬ前に一度だけでもワーグナーは歌いたい。ミルヒー先生からヴェルディのオペラアリアに関しては全て勉強の許可が出ており、プッチーニはトゥーランドット姫の勉強も許可されている。これらの曲を歌うためにも、是非とも自分の声を今以上に鍛え上げなければならない。
取り敢えず。ヘンデルのアリア9曲1時間30分歌い終わって、喉が死にかけた。そこで30分程休憩してから、最も歌えていなかったクレオパトラのアリア2曲をもう一度お浚いしてからスタジオ練習を終わった。
まあ、後はもう暫く本番まで努力を続けるしかない。後は丁寧に歌い込んで行くだけだから。それと体調管理。今後は、ヘンデルのリサイタルが終わったらすぐに2度目のウィーン渡欧レッスンの準備をしなければならない。シューベルト歌曲は最低7曲以上、ベートーベン歌曲2曲、モーツァルトのオペラアリアは最低4曲以上、これだけは最低限来年のウィーンでのレッスンに準備していかなければならない。この他に出来ればバッハの歌曲、モーツァルトの歌曲、下手をするとモーツァルトのスザンナやツェルリーナ、ヘンデルのアリアをレッスンする可能性も皆無では無い。マジで、ヘンデルのリサイタルが終わっても休むヒマも無いどころか、ウィーンに行くまでもっともっとハードでシビアな日々になる事間違い無し♪
嗚呼、体がもう1個欲しい、または、1日48時間欲しい・・・(爆死)


昨日、夜勤明けで朝ホールで患者さんの食事介助をしていた時の話。
テレビのニュースで、のりぴーの初公判のニュースをやっていた。そこで、のりぴーが「介護の仕事を勉強したい」との報道。
・・・・・・・・・・・・・・・・。介護の仕事も、よくよくナメられたものだなあぁ〜〜〜・・・、と呆れ果てた。幾ら裁判対策とはいえ・・・・・(絶句)
私よりも、ウチの病棟の看護助手さん達が大激怒していた。

「あんな派手な芸能人生活してた人間が、介護の仕事なんか出来るワケ無いじゃん。介護の仕事をナメるのもいい加減にしろ!!!」

と、介護福祉士の資格を持つ看護助手さんも含めて、皆ブーイングの大合唱♪私は、食事介助をしながら一人冷やかにニュースを観ながら鼻で笑ってただけだけどね〜。
第一、覚せい剤に手を出すような、薬にだらしが無い人間に介護や看護などの医療業界の仕事なんざ死んでもやって欲しく無い。のりぴーが勤務した病院やら施設から、麻薬や劇薬や睡眠薬や向精神薬が原因不明で紛失したら、一体誰が責任取ると思ってるんだあぁ???バカが!!!誰が雇うかいな。アホらしい。


昨日のスポーツニュースでは、浅田真央選手の会見がほぼどの局でもやっていた。
私も最初は、真央ちゃんがトリプルアクセルジャンプを失敗するのは、真央ちゃんの精神的な問題やら課題やらが大きい、と思っていたのだが、ここ最近は実はそれはかなり大きな考え違いなのではないのか???と思うようになった。
練習ではトリプルアクセルが飛べる、でも本番ではトリプルアクセルが飛べない。精神的緊張が原因ならば、その精神的緊張に対応した対策が取られて然るべきで、あれだけのコーチやらフォロー体制が整備されているのだから、テクニカル・メンテナンスは完ぺきかと思ったのだが、見ている限りどうも不思議。メンタル面が問題ならトリプルアクセルジャンプのどの部分に最も気おくれなり躊躇いが出るのか映像も含めて解析可能だと思うのだが、メンタル面のフォローだけではトリプルアクセルの成功率が上がらないという事は、即ちテクニカル面での問題が存在するという見かたが妥当では無いのか、と私は考える。要するに、メンタル的に弱い部分を補うテクニックに不足している、という事。
歌も似ていると思うのだけれど、苦手な部分、例えば高音域、低音域、アジリダ、ロングブレス、レガートなどはテクニックが苦手なら気力でカバーする部分も大きいし、逆に気持ち的に逃げてしまうなら、苦手な曲やフレーズをカバーする為の技術なりテクニックなりを考えるものである。だから、メンタル的なフォローアップで解決しないならば、それはもう一度テクニカルな基本に戻るべき、というのが常道だと考えるんだけどね。
でも、一番大切な事は、浅田真央選手本人の最優先事項、もっともやりたい事は何なのか、という事だと思う。トリプルアクセルジャンプを成功させる事なのか、今年も世界女王になる事なのか、オリンピックで金メダルを取る事なのか。全ては繋がっているけれども、人間そんなに欲張る事が出来ない事がある。オイシイとこ取りだけでは人生は済まされない。真央ちゃんが一番やりたい事が出来るのが一番いいなあぁ・・・と思う。

そろそろ、リサイタルのプログラムや楽曲解説や歌詞対訳などの制作準備しなくちゃ〜・・・。
来年は、2月末〜3月初めにかけてウィーンに行く予定。早くウィーンのM先生に御連絡しなければっ。




通常練習へ

今日は連続夜勤の中休み。
まだまだ咳と痰は続いているんだけど、咳が減って来たせいか喉の痛みが取れた事や、もういい加減歌いたくてウズウズしている事(笑)、余り無理をしないで飽くまでヘンデルのリサイタル本番に向けて調整を行って行く事を決めたので、今日からスタジオ練習を3時間に戻した。
スタジオに行く前に、ヘンデルのリサイタルを行うギャラリーカフェに行き、会場費用とピアノの調律代金〆て¥35000(!!!)を社長にお支払いして来た。

アマチュアで歌い続けるには、ホントにマジでお金がかかる。

来月11月に入ったら、もうピアニストのオクレール先生との合わせ中心の練習にシフトして行かなければならないので、自分自身で細かい練習を行えるのは、今月まで。その事もあって、今日は難しい曲3曲に絞って練習を行った。とは言うものの、ヘンデルのオペラアリア、難しく無い曲なんざ無いんですけど(苦笑)
リナルドのアリア1曲とクレオパトラのアリア2曲。この3曲は結構なハイレベルのテクニックを必要とされるので、やはり丁寧に練習して歌い込んでおかなければならない。しかも今日集中的に練習した3曲は、今まで演奏会本番に乗せた事が無い曲だから。
ただ、時間をかけて勉強して練習して来ただけあって、全体的な流れとしてはそれ程不安は無い。咳が無くなればもう少し本調子で歌えるようになるし。細かい音符を一つ一つ丁寧に歌って行く事がバロックでは本当に重要なんだなあぁ・・・と改めて実感する、この3曲。タダでさえ、バロックを歌える「天使の声」的ソプラノでは無いのだから、こ〜ゆ〜細かいトコロは外せない。ちょっと、やっぱり自分って声質的に損してるのかなあぁ〜〜〜???と凹んでしまうトコロも無くは無いのだが、もう歌うっきゃ無いんだから後は努力あるのみ。
それでも、咳のために喉が本調子ではないからなのか、却って体に余分な力が入らないような気がした。以前先生に言われた事なのだが、

「調子の悪い時には悪いなりに調整しておけば、調子の良い時にはきちんと歌える」

との事で、やはり看護師という職業柄、調子悪の時の方が圧倒的に多いとゆ〜ハイリスクは承知千万なのだからして、調子悪いから練習しない、とゆ〜のは実に誤った考えだと思う。
調子の悪い時こそ、練習練習♪
本当〜〜〜に、私は練習は大大大好きなのだが、本番は大大大嫌い。本番なんて、すぐ終わっちゃうし、レッスン通りにいかなくてもやり直し効かないし、緊張するから楽しくないし、普段履かないハイヒールは履かなきゃならんし、好きでも無い化粧は厚塗りしなきゃならんし。これでも、未だに朝寝てる時間が惜しくて職場に化粧をして行った事が無い。幸い、現在の病棟課長は、スッピンでも文句を言わない!!!(激爆)
で、多少声は掠れる時もあったけれど、取り敢えず苦手なフレーズやアジリダを丁寧におさらいした。4小節以上ノンブレスで歌わなければならないフレーズもあるので、兎に角ブレスを取る体の準備のタイミングを測って自分の体に覚え込ませる作業に終始した。やはり、喘息発作と風邪のミックス状態をようやく抜け出した後なので、呼吸機能全体が多少低下しているせいか、普段よりもロングブレスが続かないが、もともと声量はある方なので、声量を多少落としてその分ロングブレスにエネルギーを回す。有難い事に、会場のギャラリーカフェは非常に響きが良い、音響的には有難い会場だから。
特に、クレオパトラのアリアでは、ミルヒー先生のオーダーもあり、ピアノになっても決して声の響きや体のポジショニングを「抜く」事が出来ない。飽くまでも「ドラマティック」に歌われなければならない。オクレール先生的には、もう少し細く軽く響きだけで歌うように指摘された事もあるのだが、兎に角ミルヒー先生が現状の発声で歌うようにとの御指示なので、多少太かろ〜が重かろ〜が、取り敢えずは今の発声でヘンデル9曲何とか歌い切りたいと考えている。
特にクレオパトラはドラマティックな曲が多い。だから、ついつい力が入ってしまいがちなのでそこが非常に宜しく無いトコだ。私がクレオパトラを歌うなら、もっと自然に軽く細くを心がけて歌っても十分ドラマティックになるのだろうが、これがやっぱりどうも余分な力が入っちゃう。ヘンデルにしては結構暑苦しく聴こえてしまうかなあぁ・・・と思うので、もう少し歌う時に冷静さが必要なんだな、これが。とか思いつつ、結局演奏会本番はなるようにしかならないので、ベストを尽くすしかないんだけど。

今日はヘンデルの練習の後、ちょっとしたキッカケでもの凄く超久しぶりに、イタリア古典歌曲を練習した。特に演奏会で歌う予定は無いのだが、もう3年位はイタリア古典歌曲を歌っていなかった。久しぶりに歌ってみると実に色々な発見があって、とっても面白いし楽しい!!!大概、イタリア古典歌曲は声楽のレッスン初期に課題に出されるものなのだが、私もオペラアリアの勉強の比重が高くなるにつれイタリア古典歌曲を歌う機会は激減した。もっとも、ミルヒー先生はイタリア古典歌曲よりもベッリーニ歌曲の方がお好みなので、レッスンや演奏会の課題になるイタリア歌曲はここの所ベッリーニがメインだった事もあるのだけれど。
でも、以前は歌うだけでいっぱいいっぱいだったイタリア古典歌曲、今歌ってみると、自分がやりたかった事が以前に比べて出来るようになっている!!!という事に気が付いた。ああ、あの頃はこんな風に歌いたかったんだよなあぁ〜〜〜・・・と思う事に少し近づいている。そう思ってイタリア古典歌曲で自分が良く歌っていた曲を4〜5曲軽く歌ってみた。本っ当に、歌い易かったし歌っていて楽しかった!!!これは、いいかも〜〜〜(猛爆)と思った。同じ曲を何度も時間を掛けて勉強する楽しさを、今回改めて教えて頂いなあぁ・・・と感動した。機会があったら、またイタリア古典歌曲を演奏会で歌ってみたいなあぁ♪

とゆ〜事で、これからフィギアスケートのロシア大会フリーを観ます(笑)



ドンナ・エルヴィーラに助けられながら

今日は谷岡先生のレッスンで、これからはモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラを中心としたレッスンをして行く事になった。
先週の谷岡先生のレッスンの後に、谷岡先生がハリセン先生と私のモーツァルトのレッスンの事について少し話し合われたとの旨を聞いた。ハリセン先生曰く、
「そりゃ、スザンナを歌えるような発声やテクニックを身に付ける方が先だし、ドンナ・エルヴィーラのようにレガートに勢いで歌える役の方が楽に決まってる」
との仰せだったらしい(滝汗)ただ、谷岡先生が、
「彼女は、どうもスザンナやツェルリーナは合わないので、もっと他の彼女に合った曲や彼女が好きな曲でスザンナを歌えるようなテクニックを身に付けないと、苦しい辛いだけになってしまうと思う」
と話してくださったら、ハリセン先生も、
「それはそうかも知れないね」
と御納得なさって下さったらしい(超苦笑)
という事で、スザンナを歌えるような発声のテクニックを身につけられる曲を今後他に探して行く事になった。谷岡先生曰く、
「ウィーンでなら、スザンナでもツェルリーナでも、あなたなら歌う機会があるかも知れないし、巨体じゃないから合わないという事も無いけど、やっぱりあなたはスザンナ合わないみたいだから今後はイタリア系でもドイツ系でも、テクニックを身につけられる曲を探して行きましょう」
との事だった。別に、スザンナもツェルリーナも、歌う機会は無くても構わないのだが(笑)
やっぱ、ハリセン先生は厳しいなあぁ・・・と思ったが、ホントの事だから仕方が無い。
それでも谷岡先生が言うには、ウィーン帰国後のハリセン先生御教室発表会で、ウィーンでレッスンを受けて来てウィーンのB先生に高声用→中声用に直されたシューベルト「トゥーレの王」を歌った時には、かなり勉強した事が感じられた、と言って下さったらしい。但し、移調の影響による音程の不安定さも指摘されていたとの事。
私が考え込んでしまったら谷岡先生が、
「とにかく、あなたはスザンナやツェルリーナよりもドンナ・エルヴィーラの方が早く演奏会に出して形に出来そうだから、まず出来る事からやって行きましょう。歌う曲の順序は多少人とは違っても、今後苦手な課題をどうして行くのかという問題には違いないのだから」
という事で早速ドンナ・エルヴィーラのレッスンを開始する事になった。

昨日から微熱と喉の腫れと痛みで、夜中目が覚めたらイソジンでうがいしまくりで、今朝ようやく喉の痛みと腫れが引いたので何とかレッスンに来られた。1時間スタジオ練習した時に、そこそこ声は出せたのでレッスンでも体は少しダルかったものの何とか歌う事は出来た。
今日は「Ah,fuggi il traditor!」と「Mi tradi quell'alma ingrata」のレチタティーヴォを中心にレッスンした。前回のレッスンではボロボロだったから(苦笑)それでも昨日のスタジオ練習、2時間といつもよりも短かったのだが、前回のレッスンよりもだいぶ形になって来た。毎日「ドン・ジョバンニ」のDVDを少しでも観ている事も効果があったのだろう。それでもまだかなり複雑なリズムやテンポに振り回されている感は否めない。それでも谷岡先生は、
「ドンナ・エルヴィーラのレチタティーヴォをきちんと勉強出来たら、わざわざスザンナの勉強しなくてもきちんと声をポイントに当てられるテクニックが少し出来るようになれると思う。スザンナで苦しむよりも、ドンナ・エルヴィーラで勉強した方があなたは楽しいし苦労も耐えられるでしょう(笑)???」
と聞かれた。・・・・・・・・・・図星(自爆)
ドンナ・エルヴィーラをきちんと勉強するようになって、改めてモーツァルトのオペラは非常に難しいんだな・・・と感じる事が多くなった。まだまだ音程も不安定な部分も多いし、声の響きを整えて行くのも今後の作業なので、まだ「地」で歌ってる感がある。しかも今は、ミルヒー先生のレッスンで思いっきりヘンデルで声を出しているので、モーツァルトを歌うには声の響きが少し硬いのではないか?と心配したのだが、谷岡先生は全然気にならないらしく、
「良いポジションで声が当たって響いていると思うわよ」
との事で少しホッとした。しかし、結構声を出している。声量を出そうとしている訳では無いのだが、去年演奏会でヴェルディを歌った時に近いような、割としっかりした声の響きに「なってしまう」のだ。自分的には、モーツァルトはもう少し軽めに歌う印象を持っていたのだが、どうやらこれは違うらしいという事は段々判って来た。谷岡先生やウィーンのN先生が、何故私にドンナ・エルヴィーラをレパートリーとして勧めたのかというと、要するにウィーンで言うドンナ・エルヴィーラの声は、私くらいの声の強さと声量が必要な役柄なのだ、という事なんだなあぁ・・・と改めて実感しつつある。今、私自身体調も余り良くないし喉の調子も今一つなので、ドンナ・エルヴィーラは私が歌うのには少し重い役なのではないか???と考えながらレッスンしていたのだが、いざ「Mi tradi quell'alma ingrata」のアリアを歌い始めたら、やっぱり声の響きも一段良く響くようになるし、多少音程の不安定な部分もあるが、難しいパッセージも声が良く回り始める。谷岡先生からも、
「高音域はきちんと張れているし、早いパッセージの所も私は全然心配していないの。しいて言うなら、やっぱり下降音形でポジションが下がり傾向な事と、フレーズの終わりの処理の仕方。フレーズの最後をもう少し自然に丁寧に歌えるように練習して来てね。でも、レチタティーヴォはかなり上手く歌えてると思うから、あまりリズムに惑わされないで、もう少し自由にイタリア語の単語のアクセントに合わせてディクションの練習をする方が効果的だと思う」
と御指導頂いた。
谷岡先生から見て、どうやら私はイタリア語よりもドイツ語の方がはっきり歌詞が聴こえるらしく、谷岡先生はそういう意味では私が歌うドンナ・エルヴィーラよりもパミーナの方が御好みらしい(笑)イタリア語のLの発音をもっと前に出す事やイタリア語のRの巻き舌をもう少しはっきり発音するように指摘された。

まだドンナ・エルヴィーラのレッスン2回目にしては、自分でもこんだけ歌えているのは結構不思議(自爆)なのだが、本当に歌う事は大変なのだが、苦しかったり辛かったりという事は少しも感じないのがとっても不思議だ。勿論、来年ウィーンのレッスンに持って行ったり、来年の演奏会に乗せたり出来るようになるまではまだまだ相当歌い込まなければならないだろうが、私も谷岡先生も、可能な事だと口にださずに了解している節がある(苦笑)自分としては、さっきも書いたが、去年演奏会でヴェルディを歌った時のテンションに近い状態でドンナ・エルヴィーラを歌っているのだが、これがウィーンでのある意味ドンナ・エルヴィーラの声質の目安なのかと思うと、今の自分にはドンナ・アンナやフィオルデリージはちょっと厳しいなあぁ・・・・・と実感した。コンテッサはウィーンのN先生からも谷岡先生からも私のレパートリーとして認められたが、今の自分の声の状態では、とても勉強で手を付ける気にならない。思いの他、ドンナ・エルヴィーラは多少ドラマティックさも含んだリリックな役柄であるとアリア3曲まとめて勉強してみて初めて思い知らされたカンジ。今の自分にはモーツァルトの役柄としてはドンナ・エルヴィーラが限界かな、とも思う。来年ウィーンのレッスンに持って行った時に、ウィーンのN先生やM先生がどのような評価をされるのにも由るのだが。

谷岡先生にも言われた事なのだが、ドンナ・エルヴィーラというキャラクターが非常に私に共感出来たりリンクする部分が多い役柄なのだろうと思う。だから、今このドンナ・エルヴィーラの大変なアリア3曲は私の実力で歌っているというよりも寧ろ、ドンナ・エルヴィーラという役やモーツァルトの音楽に助けられて歌っているんだなあぁ・・・という気持ちが強い。
以前谷岡先生から教えて頂いた話なのだが、
「ヘルマン・プライがね、モーツァルト「魔笛」のパパゲーノの役の依頼が来た時に、パパゲーノはバスも歌うから自分には役が少し重すぎるんじゃないかって迷った事があったらしいんだけど、パパゲーノという役柄に魅かれて、またパパゲーノという役に助けられて、歌う事が出来たっていう事をヘルマン・プライ本人が言っていたそうよ」
という話を思い出した。日本人が歌うドンナ・エルヴィーラもコンテッサもとても軽やかに綺麗に聞こえるが、私がドンナ・エルヴィーラやパミーナを始めとしてウィーンのN先生からレパートリーとして与えられたオペラの役柄は、ウィーン基準で歌えなければならない。今はまだ本当にドンナ・エルヴィーラというキャラクターやモーツァルトの音楽に助けられて歌っている事を心から感謝している。
しかし、少しづつでもドンナ・エルヴィーラを自分自身の持ち役として確実に歌えるようにして行く事をもう考えなくてはならない。そろそろ「ドン・ジョバンニ」の映像を観たり録音を聴いたりする事から卒業して、楽譜だけと向き合わなければならない時が来たのかも知れないな、と今日のレッスンで薄々感じ始めた。

最後に谷岡先生が非常に興味深い話をしてくれた。
「モーツァルトのオペラのエプロン役、スザンナやツェルリーナやデスピーナって、あんなに可愛らしく表現されているのは、男性の演出家の一種の願望や幻想みたいなものが大きいと私は思うのよね。だって、デスピーナなんて特に、役柄としてはオバサン向きよ!!!あんな若くて機転が利いて多少悪賢い女の子、いる訳無いじゃない!!!と私なんかは思うんだけどね。だから、あなたももう少し年を取って、というかオバサン化したらそういう先入観は取れて、自分のスザンナなりツェルリーナなり歌えるんじゃないかと思うのよ。ウィーンに行ってスザンナやツェルリーナは歌わないのか?とN先生に聞かれたら、正直に、勉強して歌ってみたけど楽しくないし合わないし苦しかったから駄目でしたっ!て説明しても良いと思うわよ」

ふ〜ん、そんなものなんだなあぁ、と思った。多少思い当たるフシがあるので結構笑えた。

今後はまた、ヘンデルのリサイタルに集中しなければならないのだが、少しづつドンナ・エルヴィーラの勉強も地道にやって行かなければならない。
ふう、疲れた。

過去のレッスン曲/本番曲

今日・明日は連休なのだが、ここの所のハードな勤務が響いてか超体調不良。明日は谷岡先生のレッスンなのだが、今日は体も超ダルダルで喉も不調なのでスタジオ練習は2時間で切り上げて帰って来た。頭痛もするので楽譜作りも厳しいし熱もあるので、自宅で雑用をした。

今年で声楽勉強を初めて10年になるので、ざっと今までレッスンを受けて来た曲と演奏会本番に乗せて来た曲を割り出して纏めてみた。

イタリア歌曲、レッスン曲36曲/演奏会18曲。
内訳:イタリア古典歌曲20曲/5曲
    ドナウディ歌曲 3曲/3曲
     トスティ歌曲 5曲/5曲
    ベッリーニ歌曲 6曲/4曲
   モーツァルト歌曲 2曲/1曲

イタリア・オペラ、レッスン曲35曲/演奏会16曲(アンサンブル含む)
内訳:モーツァルト13曲/4曲
    ベッリーニ 1曲/0曲
    カタラーニ 1曲/0曲
   ドニゼッティ 1曲/0曲
    ヴェルディ 6曲/3曲
    プッチーニ 2曲/2曲
     ヘンデル10曲/6曲
     グルック 1曲/1曲
  ヴィヴァルディ 1曲/0曲

ドイツ歌曲、レッスン曲51曲/演奏会24曲
内訳:   バッハ 2曲/ 1曲
     ヘンデル 1曲/ 1曲
   モーツァルト10曲/ 5曲
   ベートーベン 1曲/ 1曲
   シューベルト22曲/11曲
 メンデルスゾーン 3曲/ 2曲
    シューマン 5曲/ 1曲
    ブラームス 2曲/ 2曲
    ワーグナー 5曲/ 0曲

ドイツ・オペラ、レッスン曲3曲/演奏会2曲(アンサンブル含む)
内訳:モーツァルト 2曲/1曲
   ベートーベン 1曲/1曲

フランス歌曲・オペラ、レッスン曲3曲/演奏会2曲

ラテン語曲、レッスン曲7曲/演奏会1曲
内訳:ヴィヴァルディ 3曲/1曲
    モーツァルト 4曲/0曲

勿論この他にも、英語の曲や日本語の曲も歌っているのだが、クラシック音楽に分類されるのは上記のものだと思うし、曲を掘り返すのに疲れたので打ち止め終了。
こうやって改めて数えてみると、イタリア系とドイツ系の割合いとしては、歌曲とオペラに数の差ははるが、まずまずバランス良く勉強してるのかな〜・・・というカンジ。レッスンを受けている割には余り演奏会で歌っていないのがやっぱりモーツァルト。シューベルトは気合いを入れて勉強を始めてからまだ3〜4年だが歌っている割合いが非常に高い。今後はドイツ・オペラの割合いが増えて行くだろうし、モーツァルトのオペラの演奏会本番曲も増えて行くだろう。まだ殆ど手を付けていないヴェルディやプッチーニ、シューマンやブラームスも今後意欲的に勉強して行く予定なので曲数も増えるだろう。

やはり声質の問題は切り離せない。
ウィーンでは「リリコ」、日本では「リリコ・スピント若しくはスピント」と各先生方から評価されているので、これからもイタリア系とドイツ系、上手く使い分けて歌い続けていかなければならない。私の声質に関しては、根拠の無い自己判断では無く各先生方の客観的評価であるので、自分自身のレパートリーとしては多少広すぎるような気もしないでも無いのだが、これは頑張って努力して付いて行くしか無い。

10年間で、レッスン曲135曲、演奏会62曲歌った計算になる。勿論この他にも英語の曲や日本語のポピュラーな曲も結構歌っているし、何よりも上記の曲でも2〜3回繰り返して歌っている曲が結構あるのだ。イタリア古典歌曲、ヘンデルのオペラアリア、モーツァルトのオペラアリア、シューベルト歌曲などは結構繰り返し演奏会に乗せて歌っている曲が多い。10年間でこの曲数が多いのか少ないのかは私には判断しかねる。尤も、仕事に費やす時間が非常に多いので、もう少し体力的に負担の少ない職業ならばもっと歌えたのだろうか・・・???まあいいや。

そのうちホームページがアップ出来たら詳しい曲名まで掲載したいと考えている。
何度やり直しても一向にアップロード出来ないんだけど・・・・・・・・・・(滝汗)



   

ハマり役5

今日は久々の谷岡先生のレッスン。7月に千葉でヤンクミとの演奏会の時に風邪で喉を痛めてからレッスンを受けていなかったので約3ヶ月振り。まず7月の千葉の演奏会の報告。喉が潰れるかと思ったが何とか最後まで歌えた事、アンケートでシューベルト「野薔薇」「菩提樹」のような有名な曲だけでなく「トゥーレの王」「こびと」など日本では殆ど知られていない曲を選んで下さった方々もいた事を報告した。今は主にミルヒー先生やオクレール先生とのヘンデルのリサイタルのレッスンやピアノ合わせをしながら、来年ウィーンのレッスンに持って行きたいモーツァルトのアリアやシューベルト歌曲の楽譜作りを行っている事、今月は月の半分が夜勤でかなり死にそうな事など(笑)今日は谷岡先生もお時間に余裕があったらしくお茶しながら30分くらい話を聴いて下さった。

そしてレッスン開始。まずモーツァルト「フィガロの結婚」のスザンナのアリア2曲。「Un moto di gioja」「Venite,inginocchiatevi」から。一通り通して歌い終わってから谷岡先生からかなり指摘された。
『あなたにしては珍しく暴れてるカンジ。レガートに歌えていない。ポジションが全体的に低い、特に下降音型でポジションが下がりがち。2曲とも声が音の一つ一つにきちんと当たっていないし、早いテンポでも歌詞はきちんとついて来て歌えているけどメロディーの流れが止まって聞こえるの』
・・・・・。確かに自分で歌っていてもマジで超苦しい。体の疲労の問題だけでは無い。今日はレッスンは午後からだったので1時間スタジオで発声練習もして来た。曲の音程の高低差に振り回されている感じが自分でも良く判る。谷岡先生は、『あなた、スザンナ好きじゃないでしょう!!』
・・・・・。確かに(超苦笑)図星。好きじゃないとゆ〜よりは、嫌いです(爆)キャラクターも違うし、曲の感じも自分自身歌っていてもレガートに歌えるポイントを非常に把握しにくい曲が多い。役柄としても理解しづらい部分が多い。しかし、これは谷岡先生にもお話した事なのだが、幾ら嫌いな役でもスザンナをすっ飛ばしてパミーナやドンナ・エルヴィーラを勉強するのはものの順序が違うというものだ。それに、嫌いだからと言って勉強しなくても良い理由にはならない。谷岡先生は、
『あなたはレガートに歌える曲の方が得意なんだけど、このスザンナのように音型の細かい腹筋をかなり使うような細かいポジションで確実に声を音に当てて行く曲はまだまだ苦手だから、これからはもっとメカニカルに声を音に確実に当てられるようなテクニックを勉強して行く事が今後の課題。今歌ったようなスザンナのアリアのような曲でもきちんと歌えるようにならないといけないし、そうすれば他の曲ももっと楽に歌えるようになるはずだから』
と言われた。ただ私自身としては今勉強しているスザンナは演奏会本番にすぐに乗せられるようなレベルにするためでは無く、飽くまでも来年ウィーンのレッスンにパミーナやドンナ・エルヴィーラの持って行くための前段階として歌っている訳で、もしもスザンナを演奏会で歌う事を考えるならば、もっとかなり先の事として考えている事を話した。谷岡先生も少し複雑な表情をされていたが、取り敢えず私としては今後もスザンナの勉強は続けて行くつもりである事を話したら納得されていた。

次はこれも久しぶりのモーツァルト「魔笛」パミーナのアリア。これは前回は譜読みも不十分で音取りをようやく済ませた段階で歌ったので、今回はきちんと譜読みをして行った。但し谷岡先生から前回のレッスンで、
「このパミーナのアリアは余り歌い込みし過ぎないように、飽くまでウィーンで習って来た発声で、でもいつでも歌えるようにしておいてください」
とかなり難しい注文(笑)だったので、自分でも1回のスタジオ練習でパミーナのアリアだけは軽くおさらい程度にしていた。高音域のパッセージは確実に歌えるようになった事、中高音域はなるべくピアニッシモで息の流れに留意しながら歌う事が出来るようになった事もあり、通して歌った後で谷岡先生から、
「殆ど問題無いわね」
との評価を頂いた(驚)日本のパミーナ・ファンが聞いたら激怒しそうな私のパミーナ(爆)パミーナに関しては、録音も映像も一切観ないし聴かない事に決めた。マティスもポップもボニーも、私が聴いたり観たりしても全く参考にも勉強にもならないし、逆に余計な事や勘違いな事を真似しかねないと自分自身判断した。だって声質が全然違うんだから。この事に関しては谷岡先生も納得されている。だからマティスやポップやボニーの録音や映像を観たり聴いたりするくらいなら、楽譜だけと向き合いウィーンのB先生曰く「自分自身の感性と解釈」でパミーナのアリアを勉強した方が余程私自身のパミーナを作り上げて行く事が出来るだろうと考えた。どうやら今日の谷岡先生の反応を見る限りでは、その選択は間違いではなかったようだ。音域も高低差がかなり激しく決して歌い易いアリアでは無いのだが、私自身スザンナのアリアを歌う何十分の一も苦に思わないで歌っているのが非常に不思議なのだが、谷岡先生も、
「パミーナ、歌うの楽でしょう。だって、楽そうに歌ってるように聴こえるもの(笑)」
と一言(爆)でも、私がパミーナを開き直ってここまで何とか歌えるようになるまでに、相当傷ついたし悩んだし苦しんだし混乱もしたし、第一私のパミーナを良いと言ってくれるのは日本では谷岡先生しかいないですよ〜という事を話したら谷岡先生は笑っていた。谷岡先生から、
「敢えて言うなら、フレーズの終わりの音が声の流れが止まってしまいがちだから、フレーズの歌い終わりの処理をもっと息や声が流れるように工夫が必要。今度からはそこの所に気をつけて練習してみて」
と指摘された。
私が、一度ハリセン先生にもパミーナをレッスンで聴いて頂いた方が良いのでは?という事を谷岡先生にお話しした。ハリセン先生はタミーノを得意とされているから。でも谷岡先生は少し考えた表情で、
「う〜ん・・・でもハリセン先生はパミーナに偏見持ってるからね〜。自分が軽めのテノールだからどうしても一緒に共演するパミーナはコロラトゥーラかレジェーロに近いパミーナを基準に評価しちゃうからね。」
・・・・・・・・・・。あはははは(滝汗)確かにそうだわ(爆死)そりゃ〜御尤も。だって私だってもしも私がパミーナ歌うとしてタミーノを共演者として選ぶなら、恐らく日本人ではしっかりした強めで太めのテノールでないとバランス悪いし、もっともっと限定されてしまう(苦笑)まあ、私が舞台でパミーナを歌うなぞ死んでも有り得ない事なので心配は不要だが、選択基準の話としては恐らく谷岡先生の仰る通りだろう。とゆ〜事で、私のパミーナのアリアをハリセン先生に聴いて頂くのはもっと後の事になった。

そして本日のメイン、今日は1曲くらいは谷岡先生にモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラのアリアを聴いて頂きたいと意気込んでレッスンに来た(笑)谷岡先生にも、来年ウィーンのN先生のレッスンには是非是非パミーナとドンナ・エルヴィーラのアリアを持って行きたい事を話した。スザンナは不十分極まり無いのだがドンナ・エルヴィーラの勉強と練習もすでに開始しており、ドンナ・エルヴィーラはアリア3曲ともウィーンのN先生のレッスンに持って行く考えでいる事を話した。何しろ、パミーナもドンナ・エルヴィーラもウィーンのN先生からレパートリーとして課題を戴いた役柄だ。もう10年以上も前からドンナ・エルヴィーラをいつかレパートリーにする事を目標としていたので、増してドンナ・エルヴィーラをウィーンでレッスンを受けられるとなれば力も籠るというものだ(猛爆)とゆ〜事でまず1曲目ドンナ・エルヴィーラ登場のアリア「Ah! Chi mi dice mai」を歌った。このドンナ・エルヴィーラももれなく、兎に角モーツァルトのオペラアリアは音域の高低差が非常に極端に動く。時には1オクターブ以上音が飛ぶ事もあるので、本当に歌うのに骨の折れるアリアである。が、しか〜しっっっ!!!ドンナ・エルヴィーラは意地でもウィーンに持って行く覚悟である。早速歌います(のだめ風)で、ドンナ・エルヴィーラ登場のアリアを歌い終わった途端、谷岡先生が、
「歌うの楽でしょ!!!、楽だよね〜、楽そうに聴こえるもの(笑)やっぱりハマり役ってあるんだよね〜・・・。歌い易いでしょう」
・・・・・・・・・・。谷岡先生の仰る通りで(爆死)やっぱり自分で練習した時の印象通り、谷岡先生も私が歌うドンナ・エルヴィーラはかなりハマってると思われたようだ。早速2曲目「Ah!fuggi il traditor!」も歌う事になった。この曲は・・・かなりリズムと休符が不規則で難しく、まだメトロノームを使用しながらのディクション練習の段階だった。谷岡先生のピアノ伴奏に付いて行くのがやっとこさ、みたいなカンジだったのだが最後のアジリダのパッセージは全然楽に歌っているように聴こえたという事だった。そこで谷岡先生から、
「このアリア、リズムや休符がかなり不規則で難しいアリアなんだけど、ドンナ・エルヴィーラが何を言っているのか何を訴えようとしているのかをきちんと理解出来れば、この一見複雑なリズムや休符もそれ程難しくはなくなると思う。言葉の意味やドンナ・エルヴィーラの心情を良く理解しようと努める事が大切」
と指摘戴いた。こういう御指導を戴くと、本当に谷岡先生に出逢えてレッスンを受けている事で自分は幸せ者なんだなあぁ・・・と感動する。今後はドンナ・エルヴィーラの録音や映像を観たり聴いたりする時にも心構えが違って来るというものだ!!!ますます気合が入る(爆)そして、最後のアリア「In quali eccessi,o numi,〜Mi tradi quel l'alma in grata」も歌う事になった(爆死)ちなみにこのアリア、本日は歌う予定ではなかったのでかれこれ1ヵ月以上おさらいしていない(自爆)まあ、細かい譜読みがまだなのでレチタティーヴォは流石にボロボロだったが(号泣)やはりアリアはいつも観ているキャロル・ヴァネスの映像が非常に素晴らしいからだろう、マジで苦しいと思わずに歌えた。流石に連続夜勤の疲労も取りきれていない上に今日はモーツァルトのオペラアリア6曲目(死)それなのに、やっぱり谷岡先生からは、
「楽でしょう!!!だって楽そうに歌ってるもの!!!だって楽そうに聴こえるんだもの!!!一番高い2点hもちゃんと出てるし!!!」
・・・・・・・・・・。言葉が出てきませんでした。要するに谷岡先生が聴いてもウィーンのN先生の眼力は流石で見事にウィーンで指摘された役柄は私のレパートリーとして適役、という事らしい。スザンナとツェルリーナは例外、若しくは私の「嫌い病」だろうけど(苦笑)ドンナ・エルヴィーラのアリア3曲歌い終わって谷岡先生から指摘されたのが、
「ドンナ・エルヴィーラは、後は如何に美しく声の響きを磨いて歌うか、だわね」
と言われた。先日私がブログに書いた通り全く同じ事を谷岡先生に指摘された。要するに、私がドンナ・エルヴィーラを確実にレパートリーにして歌うために必要な事は「美しい声の響き」である。それ以外余り余計な事は要求されない。非常に単純だが、恐らく最も大変かも知れない。スザンナやツェルリーナのように、キャラクターが合わないとか好き嫌いなどの言い訳は一切通用しない、先生方だけでは無く自分自身にも。それは即ち要するに「歌えなければ、演奏会で失敗すればそれは全て自分の怠慢」という事になる。嗚呼、恐ろしい(笑)

ようやく本日のレッスン終了。占めて1時間半(爆)よくもこの疲労困憊の中1時間半モーツァルトのオペラアリア6曲歌ったもんだ。みんな他の人もこんなハードでシビアなレッスンしてるのかな、特にプロとか。

谷岡先生とまた少しお話した。谷岡先生は私の今日のモーツァルトのアリアを聴いて話して下さった。
「私の大学時代の先輩でね、綺麗なコロラトゥーラのソプラノの人がいたんだけど、ウィーンのN先生の所にベッリーニの「夢遊病の女」のアミーナをレッスンに持って行ったらN先生から「NO!」と言われて、かなり落ち込んで混乱した挙句にウィーンのN先生のレッスンに行くのを辞めてしまった人がいるのよ。N先生から見たら、あなたはパミーナで私(谷岡先生)はパパゲーナなのよね。やっぱり、日本とウィーンではレパートリーに対する物差しが全く違う。でも、あなたは、ミルヒー先生にレッスンを受けているヴェルディなんかはN先生のレッスンに持って行こうとしないで、私とのレッスンで勉強した曲だけをウィーンに持って行こうとしているでしょう。それはとても賢い選択だと思うわ。」
との事だった。先日、オクレール先生とヘンデルのリサイタルのピアノ合わせをした時に、オクレール先生からウィーンの事を少し聞かれた。私は、ウィーンの先生からモーツァルトのオペラの役の課題を沢山出されちゃったんですよ〜とか話したのだが、オクレール先生が、
「それって、例えばCome scoglioとか???」
と聞かれた。モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージはミルヒー先生とこれからレッスンする予定だが、ウィーンではフィオルデリージは違うみたいですよ〜とオクレール先生に話したら、オクレール先生は少し驚いたらしく、無言だった(苦笑)その話を谷岡先生にしたら、やっぱり黙って頷いていた。
谷岡先生は、
「本当はね、スザンナをきちんと歌えるようになってからドンナ・エルヴィーラを歌う方が私的にはお勧めなの。その方が今よりももっともっと楽にドンナ・エルヴィーラも歌えるようになると思うから。でもね、あなたはスザンナ好きじゃないし、仕事も大変だし喘息もあるし、今スザンナを続けてやったら、ただ苦しい辛い時間が増えるだけになっちゃうと思うのよ。だから、スザンナは置いておいてドンナ・エルヴィーラから始めるのもあなたの場合はアリかなって思う。でも、今後も少しづつでもスザンナは歌い続けた方が良いと思う」
との仰せだった。はい。今集中的にスザンナ勉強しろって言われたら、今度こそ真の「モーツァルト嫌い」になってモーツァルト歌えなくなっちゃうと思う(笑)私自身スザンナの勉強は細々とでも続けるつもりだし、ただ今後演奏会本番に乗せたりウィーンのレッスンに持って行くかどうかについては考えていないけど(爆)

次回のレッスンからは、折角だからドンナ・エルヴィーラを丁寧にレッスンして行きましょうという事になった。
3年前、半ベソかきながらハリセン先生に怒られながらモーツァルトを歌っていたとは思えない展開になって来たなあぁ、あははははは。
最後に、ウィーンのM先生がモーツァルト「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナのアリアを1曲だけN先生に極秘でレッスンを引き受けて下さった事を話して、ウィーンのB先生が私の声に合わせて選んで送って下さったウィーナーリートの楽譜3曲を谷岡先生にお渡しして帰って来た。

今日はまた、キャロル・ヴァネスのドンナ・エルヴィーラを観てから寝ようっと♪

地獄の23日間

9月、昨日までの23日間で当直7回で夜勤を14日行っていた計算になる。日勤は僅かに3日。そのうち1日は喘息発作を起こして欠勤。
ヘトヘトのボロボロだった。夜勤の合間、自宅でビールの蓋を開けて2〜3口呑んではテレビもパソコンもつけっ放しで気絶、目が覚めて夜勤に行くとゆ〜相当に悲惨な23日間だった。
しかも、その合間にミルヒー先生のヘンデルのレッスン、オクレール先生とのヘンデルのリサイタルの全曲ピアノ初合わせ。
きちんと休めた日は喘息発作を起こして病院で点滴をしていた1日だけ。
酒も殆ど呑めない。呑んでもビールや発泡酒くらいで、日本酒やワインやウイスキーを呑むと動悸と胃痛が起こったくらいだった。
その地獄のよ〜な23日間も昨日でようやく終了。後1日夜勤はあるのだが、流石に今後3〜4日は休日と日勤なので多分大丈夫だろう。

この状況に文句を言っても仕方が無いのは重々承知している。
まず仕事に関してだが、看護師が楽な仕事では無いのは当たり前である。しかも、私は病棟では経験年数的にポジションが上から数えて4番目。病棟課長・病棟主任・先輩看護師はただ一人、と言ってもその先輩看護師も私より経験年数が数年長いだけで同い年。後輩看護師や准看護師や派遣看護師の方が遥かに多い。つまり病棟課長や病棟主任が不在の時は管理業務をこなし、日勤ではほぼ全日リーダー業務をこなしながら後輩の指導に当たり、しかも夜勤が多いとゆ〜超御勘弁願いたいポジションなのだ。それでも声楽の勉強をしているので、会議や委員会や研究会等は全てお断りしている。それでも尚、この激務。
本当に文句を言っても仕方が無い。この職業の収入だからこそ、声楽の勉強にこれだけの時間と金をかけられるのだから。でも、愚痴はこのブログでしか言えない・・・・・(滝涙)

今日は連続夜勤が一段落して超久々の2連休。本来なら1日くらいはゆっくり寝て身体的にも精神的にも疲労を少しでも取れるよう休養するのが良いに決まってるが、私の場合そんな戯言は言っていられない。
何しろ、ヘンデルのリサイタル本番まで既に3ヵ月を切ってしまった。先日のオクレール先生との初ピアノ合わせでは、かなり細かい修正チェックが厳しく入った。特に、細かい装飾音符や、レチタティーヴォのリズムや休符の取り方など、どう歌えば曲の表現に繋がり尚且つ表現が豊かに聴こえるのか、というかなり高度な御指導がオクレール先生からなされた。相当にしんどかったが、高度な要求をされるという事は、その分去年のヴェルディよりも自分自身進歩向上した証、と力無く希望を持つ事にした(超苦笑)
今日は夕方から3時間スタジオ練習。流石に休養が必要で体が全く動かなかったのでスタジオ練習ギリまで爆睡、スタジオに向かう途中の駅前で病棟の後輩看護師に声を掛けられた。私は全く気が付かなかったのだが、後輩看護師は心配そうに私に声を掛けて来た。余程、ボ〜〜〜〜〜ッと漂っていたらしい(激爆)
スタジオに着いて、取り敢えず先日のオクレール先生とのヘンデルの全曲合わせで指摘・修正された箇所をおさらいし直した。9曲あるので全曲通して歌っている時間は無い。オクレール先生から修正するよう御指導頂いた箇所だけをピックアップして丁寧にチェックしながら歌った。特に、レチタティーヴォのリズムや休符、アリアの繰り返し部分で装飾音を付け加える部分など、こ〜ゆ〜トコロがバロックの難しい所以なんだなあぁ・・・と改めて思い知った。オクレール先生はピアニストなので、ミルヒー先生からは指摘されないような細部にチェックが入った。やっぱり器楽の演奏者は違うんだなあぁ・・・(溜息)一通りヘンデル9曲、オクレール先生にチェックされた箇所を練習しただけで既に2時間以上経過していた。今日は余り合間の休憩も入れていない。その分声帯への負荷を減らすため余り声量は出さずに座りながら軽めに声を出した。部分的なチェックだけでも2時間が経過してしまった。やはり、勉強している曲数に比べて練習時間3時間は非常に短い。しかし、4時間の練習に戻してしまうと、特に今の仕事の身体的疲労度を考えれば何時また風邪をひいて喉を痛めるのかが懸念されるので、ここは無理出来ない。

実は、27日に久しぶりに谷岡先生のレッスンが入った。8〜9月は私自身ヘンデルのリサイタルの練習に集中していたしオクレール先生との初合わせである程度ヘンデルのリサイタルの目途が付くまではドイツ歌曲に気持ちが向けなかった。今月に入ってからは谷岡先生の御都合と私の休日が折り合わずレッスンがかなり開いてしまった。谷岡先生のレッスンで早くモーツァルトのスザンナのアリアを終わらせて、次はモーツァルトの「魔笛」パミーナのアリアや「ドン・ジョバンニ」ドンナ・エルヴィーラのアリアの勉強を始めたいし、来年もウィーンに行く予定なので、ウィーンのB先生の宿題のシューベルト歌曲の勉強やヴィーナーリートの勉強も始めなくてはならない。本当は今日はヘンデルの9曲チェックが終わったら、モーツァルトのアリア5〜6曲の譜読みをしたかったのだが、ヘンデルのチェックが終わった時点でスタジオの残り時間40分(爆死)明日もスタジオ3時間練習でモーツァルトのアリア、特にスザンナのアリアをメインに練習する予定だったので、今日は諦めてモーツァルトは2曲だけ譜読みする事にした。
初挑戦、「ドン・ジョバンニ」のドンナ・エルヴィーラのアリア2曲♪と言っても、もう10年以上も前の話なのだが、私がまだ今よりも全っ然歌えていなかった時に二期会のメゾソプラノの先生にレッスンを短期間受けていた時に一度だけドンナ・エルヴィーラのアリアのレッスンを受けて見た事はあるにはあるのだが、今の私の歌唱レベルから考えたら、あの頃歌ったドンナ・エルヴィーラは経験の内には入らない。歌ってみただけ程度になってしまうのは致し方無い事である。とゆ〜事で、ほぼ初挑戦のドンナ・エルヴィーラのアリア2曲。ドンナ・エルヴィーラ登場のアリアと「逃げなさい、裏切り者から」の2曲の譜読みを行った。
はっきり言って、かなりイケてると思うドンナ・エルヴィーラ(激爆)こんなに歌い易いモーツァルトはマジで初めてだ(猛爆)自分の声をモーツァルト「風」にどうにかしようと余計な事は何もする必要が無い。自然に自分自身の持っている声だけで歌う事が出来る!!!こんなモーツァルトは初めてだ。ツェルリーナやスザンナは苦手意識も強く、その上「嫌い」に近い印象を持っている。勿論自分自身の声質や役柄のキャラクターが私自身のものとはかなり違うという違和感も強く、その上他人様から色々批評されているので今練習しているスザンナなどはほぼウンザリしながら練習していたのだが、ドンナ・エルヴィーラは違う!!!
まず、曲自体がドンナ・エルヴィーラの怒りを表現している構造になっているので、敢えてドラマティックにとか怒りの心情を込めたりとか、そういう余計な事は一切しなくて良い。私の声でドンナ・エルヴィーラを歌うなら敢えて慎重にする事と言えば「綺麗に声を響かせる」という事に尽きると感じた。それくらい余計な事を一切取り除いて楽譜通りに自然に無駄な力を一切使わずに歌う事、これが私の歌うドンナ・エルヴィーラだと思った。無論、アリアの難易度は非常に高い。私が所有しているDVDでドンナ・エルヴィーラを歌っているキャロル・ヴァネスはいとも軽々と歌っているが、当然私の場合は相当歌いこむ必要性がある。しかし、流石ウィーンのN先生!!!私の声のレパートリーにドンナ・エルヴィーラを挙げて下さった眼力は超越していると思う。是非是非、来年ウィーンに行く事が出来るならばN先生のレッスンに必ずドンナ・エルヴィーラを持って行かなければならないし、ある程度ウィーンのN先生からの評価を得たいと真剣に考えている。ドンナ・エルヴィーラは早くレッスンを受けたいし、出来れば早い段階で演奏会本番にも乗せたいと思う。来年、千葉のヤンクミの演奏会ではヴェルディを歌う予定で選曲もしていたが、このドンナ・エルヴィーラを含むモーツァルト・プログラムに変更しようかと真剣に考える事に決めた。最も、谷岡先生が私のドンナ・エルヴィーラを聴いてどのように評価されるかにも拠るのだが。

何だか、一気にモーツァルト苦手意識が治ってしまった(自爆)これからは頑張ってモーツァルトの勉強してガンガン歌って行こうと思う(核爆)
今、もの凄く疲労困憊なんだけど、今歌う事や歌う勉強を絶対に休みたくない。どんなに辛くても歌い続けたい。勿論言うまでも無く、今のペースで歌い勉強続けたら来年ウィーンのレッスンから帰って来た頃には倒れるかもね〜(笑)でも、倒れた時の事は倒れた時に考えよう♪ちなみにそれで息絶えたら、それが寿命という事で結構♪

素晴らしい発見の一日だった。

ヘンデル初ピアノ合わせ・・・・・(滝汗)

今年一番不幸な一日だったよ〜な・・・・・。
まず、今月は昨日まで夜勤10日とゆ〜事で、ほぼ昼夜逆転の日々で疲労困憊、体は鉛のように重く眠気で生あくびばかり出て物忘れも激しく食欲は無いが酒ばかり呑み、気持ちばかり焦って不眠の日々。
しかも今日はかなり運悪く、ピアニストのオクレール先生との合わせが夕方18:30〜だったのに、発声練習のためのスタジオが12:00から1時間しか取れなかった。発声練習後、オクレール先生が本番会場のギャラリーカフェに到着するまで寝てるワケにもいかず、来年ウィーンのB先生のレッスンに持って行く予定のシューベルトの歌曲5曲を楽譜造りしていた。ドイツ語の日本語訳と発音記号と強弱記号&指示記号を書き込む事5曲。しかもオクレール先生はスケジュールが押してしまったらしく約20分の遅れでギャラリーカフェに到着。今日はもともとギャラリーカフェでのピアノ合わせは社長の御厚意でイレギュラーな事だったので、事前にチョコレートの御礼差し入れを持って行ったのだが、ギリギリ正解だったらしい(虚脱)
昼夜逆転・睡眠不足・疲労困憊・練習時間のズレと、悪循環が重なった。その上、ミルヒー先生からは、
「全部9曲ぶっ通しで歌わないでね!!!!!!!!!!」
と散々言われていたのだが、時間の都合で結局9曲ぶっ通しで歌わなければならなかった。ゴメンなさああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・い。ミルヒー先生(自爆)
とゆ〜ワケで、体にも脳味噌にも声帯にも思いっきり鞭打ったかなりシビアでハードな初ピアノ合わせになってしまった。こんな事なら、楽譜造りはシューベルトの歌曲3曲くらいで止めときゃ良かった・・・と思うのだが、後2曲ベートーベンと3曲ウィーナーリートの楽譜造りが、まだ私を待ち受けているのだ・・・(滝汗)

会場のギャラリーカフェに到着したオクレール先生と、まずピアノの位置の打ち合わせ。オクレール先生はギャラリーの中をくまなく口笛を吹いて歩いた上に私に立ち位置を指定して声を出させた。結局オクレール先生の音響判断の結果、前回のドイツ歌曲のリサイタルの時とほぼ同じピアノ位置に決定した(笑)
予定よりも少し遅れて来たオクレール先生はかなり焦っていたらしい(ように見えた)ので、早速ピアノ合わせに移った。
会場のギャラリーカフェは場所の見た目以上にかなり響きが良い所なので、オクレール先生からは、去年ベッリーニの歌曲&ウェルディのアリアを歌った時よりも、音楽的な事よりも発声的な注意点が多かった。オクレール先生の台詞で一番多かったのが、
「ここは響く場所だから、もっと場所の響きの力を借りて、このホールの響きに助けて貰って、自分で声を抱えてないで声の響きを体から離しなさい」
という事だった。去年は、何か言いたそうな顔をしながらもミルヒー先生の御指導以上の事は余り言わなかったオクレール先生だったが、今年は何言われっかな〜〜〜???と戦々恐々だったが(超苦笑)まあ、発声に関して言うと、これはミルヒー先生にも指摘された事なのだが、普段からミルヒー先生のレッスンも含めて自己練習のスタジオはギャラリーカフェの何十倍も「響かない」スタジオ環境らしい。だから、いざ声や音が響く環境では私は「声を出し過ぎ・押し過ぎ」の傾向になってしまう事はミルヒー先生からも指摘されていたし自分自身良く認識している。それと、疲労困憊の体が自分の思い通りに動かない。これは、今日1年以上振りにピアノ合わせしたオクレール先生には全く言い訳にならない事なので、不幸な現実として目を瞑る(笑)まあ、でもオクレール先生も私が夜勤漬けなのは御存知なので良いと思う。
結局、途中オクレール先生から発声練習も御指導頂いた事と、今日歌った立ち位置がエアコンの真下で風を直撃だった事も手伝い、自分で立ち位置をビミョ〜に調整してはいたのだが、いつもは3時間自己練習していたはずなのに、早くも7曲目から声帯疲労が出始めた。まず低音域の音量が減った。ヤバイな、と思ったがオクレール先生の手綱は緩まなかった。だんだん音程が不安定になって来る、特にアジリダの部分。バロックを歌うならそれ程複雑で超高音域ではなくともアジリダは避けられない。これがバロックや古典の厳しい所以だと考えているし、今後自分が歌って行くレパートリーを考えると今ここで踏ん張って歯を食いしばるしか無い。それでもオクレール先生から、最後に歌ったヘンデル「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア「苛酷な運命に涙を流し」のアジリダは、
「良く声が回っていたと思うよ」
と言って頂く事が出来た。前回のミルヒー先生のレッスンでは、自分では全く納得がいかずに何度もミルヒー先生にやり直しをお願いして、帰りはあんまし悲しくて呑みながら、次のオクレール先生のピアノ合わせをどうしたら良いのか途方にくれた事もあった。こんなちっちゃな事一つでも、人間これから頑張って行けるもんなんだなあぁ〜と感動した(爆死)
取り敢えず、一番問題になったのはオペラ「リナルド」のリナルドのアリア「愛しい花嫁」だった。まず、歌うテンポが遅すぎる、息が流れていないし回っていない、アタックが弱い、その割にロングブレスだけは良く続く、という貶されてるんだか皮肉なんだか(核爆)とゆ〜事で、もっとテンポとゆ〜か流れをアップした歌い方に慣れるように練習しなければならない。
それから、特にレチタティーヴォに言えるのだが、リズムもテンポも変化に乏しく表情や表現が見えて来ないとゆ〜事。これは、特に「エジプトのジュリアス・シーザー」のクレオパトラに見られる傾向で、やはりDVDなどの映像を勉強しなければならないだろ〜なあぁ・・・と痛感した。
ギャラリーカフェの閉店時間を30分以上も超過して初ピアノ合わせはようやく終了。ギャラリーカフェの社長に只管頭を下げて帰って来た。嗚呼、チョコレート差し入れしといて良かった(号泣)

ちなみに、余談。
ピアニストのオクレール先生は男性なのだが、もともとピアニストしながら合唱団のヴォイス・トレーニングも少し指導していらっしゃると伺っていたのだが、今日ピアノ合わせをしていて私の発声を御指導頂いたのだが、結構なお美しいカウンター・テナーだった(卒倒)声の響きがとっても綺麗!!!私の声なんかよりもよっぽど綺麗!!!余りの綺麗さに自分の声は放っておいてしばし聴き惚れていた。
つくづく、私の声って美しくないなあぁ、良くもまあクラシック歌ってるなあ、いっその事元に戻って、へヴィメタ&ハードロックに戻った方がいいのかなあぁ、と痛感した。

後ほどオクレール先生に「私よりも全然綺麗な声〜♪」とメールしたら・・・・・・・・・・、
「ピアノがヤバいから、ソプラニスタでデビューしようかな???」
と、返信メールが返って来た。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一人呑み屋で、周囲の不審を買わないように爆笑するのに大変苦労した(猛爆)

確かに、ヘンデルのオペラ「セルセ」の「懐かしい木陰よ」なんか歌ったら、私より断然良いと思う(死)

嗚呼、疲れたけど楽しいピアノ合わせだった♪

ピアノ伴奏初合わせ直前レッスン

今日で9月も半分が過ぎた。9月に入ってからもう夜勤(当直)を4回もやっている。日勤は僅か2回。昼夜逆転。思いっきり夜行生活を強いられている。このままではボケるのではないかと・・・(滝汗)
19日夜に今年12月のヘンデル・リサイタルのピアノ伴奏をしてくださるオクレール先生と本番会場のギャラリーカフェで初合わせをする事になったので、毎日戦々恐々としている(笑)今日は夜勤の合間の休日で、ピアノ合わせ直前のミルヒー先生との調整レッスンだった。
朝起きたら超ダルダルで体が動かないし眠いし眩暈はするし吐き気はするし頭痛はするし微熱はあるし、でもレッスンに行かない訳にはいかないので、ほぼ寝ぼけ状態で自宅を出た。レッスンのため都内のスタジオに到着したら、話し声がかすれていたのでミルヒー先生に超心配されてしまった。兎に角、夜勤が多くて休養が取れないので体調管理が大変なのだが、幸いこの時期喘息発作は落ち着いているし、19日にはオクレール先生とのヘンデル初合わせで、しかも会場のギャラリーカフェで行う事になったので、ヘンデルのオペラアリア9曲ぶっ通しの初合わせになるので、今日のレッスンに這って来た事を説明した(超苦笑)
レッスン約1時間なのだが、今日は疲労困憊なので3〜4曲のレッスンで留めておこうと考えていたのだが、発声練習で殆ど問題無く、疲労でかすれた話し声の割には歌う声はきちんと出ていたので、ほぼいつものペースでレッスンを行い、結局9曲のうち6曲レッスンを行った(大汗)流石に息切れした。それでも殆ど大きな問題も無く、途中少し休憩時間を頂いたくらいでほぼ1時間ぶっ通しでヘンデルのアリアを6曲歌ったのだけど、流石に今日はマジで死ぬかと思った(笑)
ミルヒー先生から、ヘンデルはかなり良い状態であると言って貰えたのでこれで何とかオクレール先生との初合わせには体調に最大限留意して臨む事でまず安心だという事になった。休憩している時に、先日自己練習の時にミルヒー先生に勧められたモーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルデリージのアリア「Come scoglio」を譜読みした事を話した。かなり大変で難しいし、どう歌って良いものやらさっぱりワケわかめだった事を話したのだが、ミルヒー先生曰く、
「こんなに難しいクレオパトラがちゃんと歌えてるんだから大丈夫よ!!!ちゃんと歌える、歌える(笑)勉強頑張りましょうよ!!!」
と励まされた。3年前には、ミルヒー先生からフィオルデリージのアリアの勉強を勧められてはいたものの、一体どんな歌い方をするのやら・・・みたいなニュアンスの事を言われていた。私自身の発声や歌唱がこの2〜3年の間でかなり変わったんだなあぁ・・・と実感した。フィオルデリージを大丈夫と言われるようになるなんて・・・嬉し過ぎてちょっとだけ涙が出そうになった(苦笑)
レッスン終了後に、ミルヒー先生からなるべく早めにオクレール先生と一緒にレッスンに来て、特にクレオパトラについての伴奏との調整レッスンをしようと勧められた。19日のピアノ伴奏初合わせでオクレール先生が私のヘンデルを聴いてどのように感じて何を仰るのかは解らないが、取り敢えず今後はピアノ伴奏との調整と今回初めて歌う曲の暗譜が課題となるであろう事はまず間違い無いだろう。
兎に角少〜しだけホッとした。

レッスン帰りに青山のカワイに行って「ヘンデル・オペラセリアの世界」Winton Deen著を購入した。ついでにロベルト・シューマンの本も探したのだが、何しろどの本も歌曲の解説が余りにも少なすぎて話にならなかった。来年はロベルト・シューマンのメモリアルイヤーなので、何か新しい著書が出版されれば良いのだが・・・。谷岡先生に相談してみなければならないだろうし、一応来年ウィーンに行った時にM先生に相談してみようと思う。下手をすれば、英語かドイツ語の解説書を読みなさい〜♪とか言われかねない・・・かも・・・知れない(蒼白)

それにしても、も〜少し夜勤は減らないものだろ〜か・・・・・・・・・(滝涙)

こらあああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜・・・・・!!!!!病棟課長、何とかしてくれえええええぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜・・・・・!!!!!

爆死。
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