今、夜勤から帰宅した所。
今日夜勤の休憩中にネットで知ったのだが、ヒルデガルド・ベーレンスが先月日本で亡くなっていたというのだ。
動脈瘤破裂、都内の病院で、72歳の生涯だった。
ベーレンスと言えば、カラヤン、ベーム、レヴァインなど共演、METやウィーンやその他世界の主要なオペラハウスで活躍した、ヘルデン・ソプラノだった。
私も、METのワーグナー「ニーベルングの指環」のDVDを持っていて、ベーレンスはブリュンヒルデを歌っていた。
去年、ハリセン先生と谷岡先生の勧めで草津国際音楽アカデミーのベーレンスのマスター・クラスを1日だけ聴講しに草津まで行った。ベーレンスはとても穏やかで、丁寧に受講生に指導されていた。とてもお元気だった。
私は、去年の今頃ウィーンでのレッスンを谷岡先生から持ちかけられていた。音楽に関しては高校どころか専門学校も大学も行っていない私は、幾らクラシック音楽、声楽曲やオペラが好きで勉強したい気持ちがあっても海外でのレッスンには難色を示していた。日本語以外は話せない、学歴も知識も勉強する時間も余裕も無い。ウィーンでのシューベルト歌曲のレッスンを勧められてはいたが、かなり気遅れというか怖かった。その時にハリセン先生と谷岡先生が、草津国際音楽アカデミーの事を教えて下さり、尚且つハリセン先生が聴講を勧めて下さった。私自身いつも時間に余裕が無い人間だったのだが、METでワーグナー「ニーベルングの指環」でノーマンと共演し、しかも私の憧れの役ブリュンヒルデを歌った偉大なソプラノ歌手が、ヨーロッパから遠く離れた東洋の島国日本に後進の指導に来ているのだ。ウィーンで外国人が日本人にどのようなレッスンをして貰えるのかを確認するという目的もあり、夜勤明けで電車を乗り継いで草津に向かった。到着したのは夜中近く、次の日早くにベーレンスの公開レッスン会場に向かった。
今、私が一番強く想う事は、もしも去年ハリセン先生や谷岡先生に草津行きを勧められながらも日程調整が付かない事を理由に草津行きを諦めていたら、ベーレンスに逢う事は生涯不可能だった、という事である。ここから導き出される答えは、一つ。私は去年ベーレンスに逢いに行かなければならなかった、という必然的結果論である。私が、去年、たった一日、レッスンを受ける訳でも無く、それでも私は去年たった一日でもベーレンスに逢いに行かなければならなかったのである。もしも去年私が、夜勤を理由に草津に行く事を逃したら、私は永久にベーレンスには逢う事が出来なかった、という事になる。それはまず確実に間違いが無い事である。
去年、たった一日、レッスンを受ける訳でも無いのにベーレンスのマスタークラスを聴講しに行った事には、必ず何某かの重要かつ重大な意義があるのだろうと考えている。一番悔しくて腹の立つ事は、その意味なり意義なりを私自身が理解出来ていない事、見えていない事である。きっときっと、必ず何かしらの意味なり意義なりは存在するのだろう。一番悔しくて腹の立つ事は、自分自身そのベーレンスとの出会いを、客観的に把握していない所である。
「意味はある。ただそれがどういう意味なのかを考えろ」
今は亡き、三原順の言葉である。
本当に間近でベーレンスにお会い出来ただけに、この訃報にはかなりショックだった。クラシック音楽界で72歳は、若い方なのではないだろうか。
何だか、もの凄く悲しい気分になった。
もっと長生きして、日本に教えに来て欲しかったのに。
合掌。
今日夜勤の休憩中にネットで知ったのだが、ヒルデガルド・ベーレンスが先月日本で亡くなっていたというのだ。
動脈瘤破裂、都内の病院で、72歳の生涯だった。
ベーレンスと言えば、カラヤン、ベーム、レヴァインなど共演、METやウィーンやその他世界の主要なオペラハウスで活躍した、ヘルデン・ソプラノだった。
私も、METのワーグナー「ニーベルングの指環」のDVDを持っていて、ベーレンスはブリュンヒルデを歌っていた。
去年、ハリセン先生と谷岡先生の勧めで草津国際音楽アカデミーのベーレンスのマスター・クラスを1日だけ聴講しに草津まで行った。ベーレンスはとても穏やかで、丁寧に受講生に指導されていた。とてもお元気だった。
私は、去年の今頃ウィーンでのレッスンを谷岡先生から持ちかけられていた。音楽に関しては高校どころか専門学校も大学も行っていない私は、幾らクラシック音楽、声楽曲やオペラが好きで勉強したい気持ちがあっても海外でのレッスンには難色を示していた。日本語以外は話せない、学歴も知識も勉強する時間も余裕も無い。ウィーンでのシューベルト歌曲のレッスンを勧められてはいたが、かなり気遅れというか怖かった。その時にハリセン先生と谷岡先生が、草津国際音楽アカデミーの事を教えて下さり、尚且つハリセン先生が聴講を勧めて下さった。私自身いつも時間に余裕が無い人間だったのだが、METでワーグナー「ニーベルングの指環」でノーマンと共演し、しかも私の憧れの役ブリュンヒルデを歌った偉大なソプラノ歌手が、ヨーロッパから遠く離れた東洋の島国日本に後進の指導に来ているのだ。ウィーンで外国人が日本人にどのようなレッスンをして貰えるのかを確認するという目的もあり、夜勤明けで電車を乗り継いで草津に向かった。到着したのは夜中近く、次の日早くにベーレンスの公開レッスン会場に向かった。
今、私が一番強く想う事は、もしも去年ハリセン先生や谷岡先生に草津行きを勧められながらも日程調整が付かない事を理由に草津行きを諦めていたら、ベーレンスに逢う事は生涯不可能だった、という事である。ここから導き出される答えは、一つ。私は去年ベーレンスに逢いに行かなければならなかった、という必然的結果論である。私が、去年、たった一日、レッスンを受ける訳でも無く、それでも私は去年たった一日でもベーレンスに逢いに行かなければならなかったのである。もしも去年私が、夜勤を理由に草津に行く事を逃したら、私は永久にベーレンスには逢う事が出来なかった、という事になる。それはまず確実に間違いが無い事である。
去年、たった一日、レッスンを受ける訳でも無いのにベーレンスのマスタークラスを聴講しに行った事には、必ず何某かの重要かつ重大な意義があるのだろうと考えている。一番悔しくて腹の立つ事は、その意味なり意義なりを私自身が理解出来ていない事、見えていない事である。きっときっと、必ず何かしらの意味なり意義なりは存在するのだろう。一番悔しくて腹の立つ事は、自分自身そのベーレンスとの出会いを、客観的に把握していない所である。
「意味はある。ただそれがどういう意味なのかを考えろ」
今は亡き、三原順の言葉である。
本当に間近でベーレンスにお会い出来ただけに、この訃報にはかなりショックだった。クラシック音楽界で72歳は、若い方なのではないだろうか。
何だか、もの凄く悲しい気分になった。
もっと長生きして、日本に教えに来て欲しかったのに。
合掌。