晴れの日はANDANTE

私のライフワークである歌曲やオペラ、日々の練習やレッスンについて、気ままに綴っていきます。

クラシック音楽

ピアノの発表会vol.35

自分自身の貧しい心を実感すると同時に、今日この演奏会に出る事が出来なかった事がとても寂しく悲しかった。
仕方が無い。今猛勉強中の自分が何もかも自分の思い通りの演奏なんか出来ない。それでも、ウィーンに行って得るものだけは多過ぎる程だと思っていたのだが、ウィーンから帰国後、私自身ワーグナーを演奏会で歌え無い事に落ち込んで投げやりになりかけてそれでも周囲の人達の助けがあって、せめて勉強だけでも続けようと考えた時にウィーンのM先生から頂いたメールを思い出した。『あなた自身が演奏したい曲を出来るたけ沢山演奏して、それをあなた自身が楽しむ事』
課題と高い目標を出来るだけ多く自分に課してそれに邁進する事は、伝統芸能・古典芸能であるクラシック音楽を演奏する者としては確かに必要であり、自分が理想とする演奏に近付きたいならばそれは避けて通る事は出来ないだろうという事を自分自身認識はしている。でも昨日のピアノの発表会を聴いて、本当に楽しかった事、自分自身とても大切な事を置き去りにして忘れて勉強しているのではないのかという不安というか寂しさを感じずにはいられなかった。欲張っても仕方が無い。必要な落ち込みならば受け入れて行くしか無い。

ピアノの発表会vol.25

さて後半。大人の部という事は分かっていたが、いざ演奏者は御高齢な方々ばかりだった(笑)まずこの年齢の落差に眠気が醒めた(笑)でも私自身の職業から考えても、これは非常に喜ばしい事である。指先の細かな動作は何より認知症状予防にかなり高い効果がある!!!と、いきなり話題が逸れたが、思わずワクワクしてしまった(爆)
が、聴いてビックリ!!!凄い。恐らく70〜80歳代と御見受けした。曲が、バルトーク・メンデルスゾーン・シューベルト・モーツァルト・ショパン・ベートーベン・ガーシュイン・・・・・etc。子供はまだブルグミューラーとかあったのだが、流石に度肝を抜かれた。まず、曲が進まない。度々同じ小節を繰り返し弾いてしまっている。一体いつこの曲は演奏が終わるのだろうかとハラハラドキドキしながら聴いた。特に私自身先日のリサイタルで歌ったシューベルト【セレナーデ】を弾かれたご婦人の時は他人事とは思えず超緊張して、ご婦人が曲を弾き終えた時には相当安堵した。夜勤明けの眠気は遥彼方太陽系外にふっ飛んだ(笑)
でもこれだけは確かに言えるという事が一つだけある。聴いていて本当にとっても楽しかった。ハラハラドキドキしながらいつ曲が終わるのか心配でも楽しかった。続きを読む

ピアノの発表会vol.15

昨日夜勤明けだったのだが、リサイタルでピアノ伴奏をして下さったピアニスト先生のお教室発表会を聴きに行って来た。本当なら私も出て歌う事を勧められていたのだが、ウィーンでの長期休暇(?)とゴールデンウイークとで休みの希望が却下された(苦笑)せめて聴きに行きたいと思って夜勤明け2時間睡眠で駆け付けた。
コンサート前半は小学生までのお子ちゃま、中半にピアニスト先生とジュリアード首席卒ヴァイオリニストのブラームスのソナタとサラサーテ【ツィゴイネルワイゼン】、後半は大人の部で、最後にピアニスト先生がショパンのノクターンとバラード3番を弾いた。
ピアニスト先生のお教室発表会なので、客席もとても賑やかだった(笑)子供もホントに色々なんだなあぁ〜と聴いてみて感心した。もの凄く緊張してる子、なに気にサラっと弾く子、楽しそうに弾く子、etc・・・・・。そんなにバリバリの天才肌の子供はいない気がしたが丁寧に弾いている子の演奏は非常に好感が持てた。これは技術的な事というよりも寧ろ、ピアノが好きとか曲が好きとかそういう事なんだなあぁ〜ととても実感した。まあこれは私自身の感じ方や好みなのかも知れないが、子供の演奏はストレートに聴き手に伝わって来た。続きを読む

歌手は短命???vol.23

そんな事言っても、世界的な声楽家って割と長生きなんだこれが。ニルソンもシュワルツコップも90代位まで生きてたしね。私の尊敬し愛するレオンティン・プライスもそろそろそれくらいのお年頃♪クラシック音楽の声楽家や歌手は長生き。増して私はかなり図太くしぶとく頑丈なもんだから余計に長生きするように見えるのは無理もねぇなあぁ(核爆)昔大好きだったアイルランド人青年にもモロ言われた(爆)
『アナタハ、90サイマデイキラレソウ』
大好きだったので笑顔で笑って許したが、嫌いなヤツなら半殺し♪
まあそれはど〜でも良いとして、私には長生きの意思が無い。皆無。理由は、妹が31歳で死んでしまった事が一番大きい。私なんかよりももっともっと長生きしなければならない筈の妹よりも既に10年長生きしてしまった。残された妹の旦那様も娘も未だに新しい妻&母を見つける事無く青森でひっそりと暮らしている。それなのに私が長生きする事にどれ程の意味とどれ程の価値があるんかいな???「そんなもん、ねぇよ」が私の答えだな(苦笑)
今の自分は、生きているから歌っているだけの事であって、歌うために生きる努力をする必要性を全く感じない。ただ歌うためだけに長生きする必要は無い。続きを読む

歌手は短命???vol.13

先月初リサイタルをやってみて強く感じた事が1つあった。それは、これを続けていたら長生きは不可能だなあぁ、という事である。そんなワケ無いだろ〜と笑われると思う。実際の所この話しをすると鼻で笑われて終了♪なんだこれが(苦笑)
でも、初リサイタルを計画してピアニストが決定したのが去年の11月、私からわざわざお願いしに押し掛けたピアニストだった事で想像が出来無い程のプレッシャーが掛かった。折しも去年は喘息発作で夏場は夜も眠れない程苦しみ、冬場は風邪もひいていないのに38℃台の発熱を繰り返し仕事も満足に出来ない状況の上に、月の半分は夜勤という生活。しかもリサイタルまでの3ヶ月半は休日は全て練習かレッスンで一日休養を取る事も出来ず、リサイタル直前まで喘息発作と発熱を繰り返した。リサイタル1週間前は禁酒したので1週間で4埖僚鼎減った。元々やや太めなもんで体重が減る事自体は一向に構わないのだが、非常にマズいのは体重と一緒に体力まで減る事だ。仕事中に貧血症状が何度出たか数えられない位キツかった。リサイタルが近いと言っても休日はリサイタル2日前。連休の前に連続夜勤は当たり前♪リサイタル前は昼夜逆転生活で夜中目が覚めて眠る事が出来なかった。続きを読む

ドキュメント・カラヤン・イン・ザルツブルクvol.45

今回取り上げさせて貰ったカラヤンの言葉は一つ一つが珠玉のような真実で、でも大変に高い知性と思索がなければ辿り着く事は不可能だ。でも、こうして貴重な映像が私達の目に触れ、聴く事が出来るという事は誠に幸いな事である。先にも書いたけれど私はこの《ドキュメント・カラヤン・イン・ザルツブルク》の映像の最後の部分、カラヤンとジェシー・ノーマンのワーグナー【トリスタンとイゾルデ】から《イゾルデの愛の死》のリハーサルと演奏会の部分映像を貰った。いつかこのカラヤンのザルツブルク音楽祭の映像が発売されないものかと永い間心待ちにしていたので感無量である。若き日のサミュエル・レイミーやキャスリーン・バトル、スミ・ジョーやチェチーリア・バルトリなどの映像が満載である。この映像を購入した時は本当に幸せで涙が流れた程だった。
最後に私の最も愛し尊敬するジェシー・ノーマンの映像について少しだけ書きたい。
カラヤンはリハーサルから本番までノーマンには一言も注文や指示を言わなかった。ウィーン・フィルに全ての注文と指示を出してウィーン・フィルにのみ要求をした。ノーマンはただ静かにイゾルデを歌っていた。嬉しさ以上に驚きが大きかった事は言うまでも無い。

ドキュメント・カラヤン・イン・ザルツブルクvol.35

のだめカンタービレ第5巻特別編で千秋が子供の頃ウィーンでの物語が描かれている。そこで千秋はヴィエラ先生に無理矢理弟子入りするのだが、そこに大変興味深いシーンがある。千秋がヴィエラの演奏を聴いて、自分の父親・千秋雅之の言葉を思い出す。チャイコフスキー《悲愴》で、千秋の父親千秋雅之は、
『そんなに大げさに暗く弾いちゃ変だよ。悲しさをただストレートに悲しく弾いたんじゃだめだ。この曲にはチャイコフスキーの秘密と謎が隠されてるんだ。秘密だから謎なんだよ。チャイコフスキーは悲しくてもそれを言う事ができなかったんだ。そんな風に弾いてごらん』
カラヤンの言葉を聴いた時に、のだめカンタービレのこの場面を思わず思い出した。これらの事を自分の独断に満ちた浅知恵で安っぽい言葉を並べ立てて書く事はたやすいのかも知れないが、今の私が間違ってもやるべき事だとは考えられないので、カラヤンの言葉については更なる熟考と歌の勉強と声の鍛錬が必要不可欠だからこれ以上のコメントは差し控えておきたいと思う。音楽の表現とはここまでに深く強固な概念と理論と熟練に支えられ尚且つ才能に恵まれなければ相当に不可能だと思い知ると、私なんかが歌う事は心底怖いと思う。続きを読む

ドキュメント・カラヤン・イン・ザルツブルクvol.25

それでも尚、やはりカラヤンにはどうしても強く心惹かれる。まずこの映像を何度も見て強く感じた事が、カラヤン独特の音楽の世界を形成及び醸造している「カラヤン語録」に関連していると考えられる。多くのカラヤンの言葉の中でも特に印象に残った言葉をこのブログに書きたいと思う。まず、モーツァルトのオペラ【ドン・ジョバンニ】のリハーサル、ドンナ・エルヴィーラとレポレッロのレチタティーヴォの場面。
『歌詞は本当に理解出来るように歌われなくてはならない』
要するに、カラヤンにはレチタティーヴォの台詞が聞き取れなかったのだが、早口ならもう少しゆっくり歌われなければならずいずれにしても高い入場料を払っている観客が理解出来るようにはっきり歌詞が聞き取れるように歌わなければならない、という事である。この言葉を世界超一流の歌手と会話している辺り、私なぞとは住む世界自体が違う(笑)でも、このカラヤンの言葉は歌手の永遠に困難で重大な課題の一つである事に違いはない。言語を話す必要の無い楽器と比べてかなり異なる難問である。カラヤンのお気に入りであったと思われる歌手達でさえこのような要求を突き付けられるのだと実感すると、自分が歌う事が寂しい。続きを読む

ドキュメント・カラヤン・イン・ザルツブルクvol.15

先日パスポートを作りに立川に行った時に《ドキュメント・カラヤン・イン・ザルツブルク》のDVDを見つけた。この映像では、ザルツブルク音楽祭でカラヤンが私の最も尊敬し愛するジェシー・ノーマンとワーグナー楽劇【トリスタンとイゾルデ】から「イゾルデの愛と死」が演奏されている。これはカラヤンとノーマン初のカップリングである。私は、もう15年位前に合唱団の副指揮をしていた人が私がノーマンの大ファンである事を知って、部分的にビデオに録画してくれた映像を頂いたのだが、今回このDVDが発売されるという事で私が見ていない映像もあるので早急に購入した。勿論、カラヤンとノーマンの映像を楽しみに胸を高鳴らせながら購入した。この映像のザルツブルク音楽祭の最後【イゾルデの愛の死】の演奏の後でカラヤンがノーマンの両手にキスする。ノーマンが涙ぐむ。その場面を見ると私まで涙が流れる。私はノーマン来日時演奏会の後に雨の中1時間楽屋口で出待ちしてノーマンと2度握手して貰ったから。やはりノーマンのワーグナーは素晴らしく、私が持っている15年前のボロボロの映像よりも遥に鮮明でしかも私が貰ったビデオには無い映像もあり、購入してから既に十数回は見ている。続きを読む

インターバル〜作曲家の《色》vol.35

最初にワーグナーが《金》のイメージとして確定していた。でもシューベルトの歌曲を数多く勉強して行くに連れ、ワーグナーはシューベルトの影響をかなり受けたと感じるようになった。例えばシューベルト歌曲【全能】【死と乙女】【駆者クロノス】【タルタルスの群れ】【プロメテウス】【解消】【無限】などはニーベルングの指環を想わせる。これは私個人の想像・妄想とゆ〜か(核爆)でもそのように思えてならない(笑)ワーグナーの《金》の壮大な輝きは、シューベルトの密やかな《銀》の煌めきが対に存在するというのが私の勝手な持論です(笑)シューマン、これは《緑》理由は、ブラームスの歌曲で【我が恋は緑】という曲があるんだけど、この歌曲の詩は何とシューマンの甥っ子が書いた詩にブラームスが曲をつけた曲。ジェシー・ノーマンが歌ってるんだけど、とても爽やかで情感豊かな曲。それとシューマンの歌曲集【リーダークライス】の自然の情景がやはり《緑》の温かさと爽やかさを感じるという、これも私の直感ですかね〜(笑)次にブラームス。これも文句無しに《茶》。まず去年演奏会で聴いた、アメリカのジュリアード音楽院主席卒バイオリニストが弾いた【ハンガリア舞曲】あれは正に土の香り。続きを読む

インターバル〜作曲家の《色》vol.25

ピアニストいわく、
『リヒテルのバッハは本当に真っ白で、でもそれはバッハじゃなくてリヒテルの色かも知れない』と仰っしゃっていた。なるほど、やはり作曲家や曲に対するイメージって結構違うんだな〜とかなり感心してしまった。
ここから、私自身の作曲家のイメージの《色》を紹介して行きます(笑)そ〜ゆ〜訳でバッハは《白》。モーツァルトは文句無く《ピンク》(爆)これは、松田聖子の影響か二ノ宮知子の感性かは解らないけれど、やっぱりモーツァルトは理屈抜きで《ピンク》だと感じる。直感なので説明不可なんだけど、モーツァルトのスーブレッド役にはそんなイメージはあるのかも知れない。特に【ドン・ジョバンニ】のツェルリーナなんか(笑)
話は戻るが、千葉のピアニスト方々がラフマニノフは《青》と言っていたが、私にとって《青》は結構微妙に細かい分類がなされている(笑)まず私にとってはベートーベンが、同じ青でも《群青》なのだ。これは、小・中・高校とずっとずっと繰り返し聴き続けて来たカラヤン指揮ベルリンフィルのベートーベン交響曲第5番【運命】の影響かな。限りなく深い《群青》ちなみに根拠無し(以下省略)
もう一つの青、それはヘンデルである♪続きを読む

インターバル〜作曲家の《色》vol.15

最近、体も心も脳味噌も死にかけている位疲れているので、気分転換したいと思った。
去年、千葉でヴェルディを歌った演奏会。声楽は私だけで後はピアノの連弾という極めて珍しい演奏会を毎年行っている。仲間由紀江似のピアニストが中心となってピアノ連弾サークル「タンドレス・アンサンブル」を開催しているのだが、去年は流石に「のだめカンタービレ」の影響もあってか(?)2台のピアノでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏していた。ハナシの発端はその演奏会でラフマニノフを演奏する時に着たドレスの色からだった。
ラフマニノフを弾かないピアニストが、
「やっぱりラフマニノフのイメージって言ったら《青》よね〜」
との仰せだったのだが、仲間由紀江似のピアニストはブルーグリーンのドレス、もう一人のピアニストさんはオレンジのドレス(笑)こんな話題で盛り上がれるのはやはり女性集団ならではか?(爆)と少しウケた。
そうか〜、ピアニストから見るとラフマニノフは青なのか〜と致く感心したので、自分でも作曲家の色のイメージを考えてみよう!と突然思い立ったのであった。
これに関してはかの「のだめカンタービレ」で、のだめのコメントが出て来ている。続きを読む

ウチのとんでもない親父vol.21

ですよねえぇ・・・(滝汗)いきなりそんな事聞かれてもねえぇ・・・(大汗)困るわな。余程ラフマニノフが好き、とか余程ラフマニノフの演奏機会がある、とかじゃあなきゃねえぇ・・・(溜息)声楽で言ったら、いきなりシュトラウスやワーグナーやマーラーやシューンベルク歌えって言われてもねえぇそりゃあぁ喧嘩売っとんのか!!!ごるあ!!!とかゆ〜話になるわな。
とゆ〜事で、再度ウチの親父に電話した時に、流石にヘンデルの演奏会でラフマニノフは厳しい、大体にしてヘンデルはバロックだがラフマニノフはロシア・ロマンスぢゃねえか、ど〜考えてもカップリングに無理があるじゃねえか!!!と話すと、親父も納得した様子。で、私が他の曲を先生に聞いてみるからバロック近辺で他に希望のピアノ曲は無いもんかと聞いた。親父はとても楽しそうに言い放った。
『テレマンでいいよ♪』・・・・・。何処のギャグだよ一体私如きのアマチュアのリサイタルにヘンデルのオペラアリア10曲近くも伴奏して下さるオクレール先生に、ラフマニノフの次にテレマン???それを私に聞けってかあああぁぁぁ!!!これだからマニアは困るんだあああぁぁぁ〜〜〜と思いながらも、オクレール先生にお尋ねした。続きを読む

ウチのとんでもない親父vol.11

最近凹む事ばっかりでかなり気が滅入っているのだが、さっさと切り離して立ち直ってリサイタルとウィーンを目指さなければならないので、ウザ問題は却下、という事で少しでも笑える話題を探したい。
来年2月のベートーベン&シューベルトの初リサイタルの後の来年秋〜冬頃に、没後250年メモリアル・イヤーのヘンデルのオペラ・アリアのリサイタルをやりたいと考えている。数日後にミルヒー先生にリサイタルに歌いたいと考えているヘンデルの新曲を4曲レッスンに持って行く予定だ。その事を先日親父に電話で話した。すると、来年秋〜冬にかけて従姉妹が結婚するので内輪の挙式のため親父が上京するという事だった。それなら親父の上京時期に合わせてヘンデルのリサイタルを開こうという話になった。
ウチの親父は大のクラシック音楽好きで私がクラシック音楽を聴くようになったのも親父の影響である。30年以上前自宅にはクラシック10枚組のLPやカラヤン・ベルリンフィルやオーマンディ・フィラデルフィア、リヒテルのラフマニノフやチャイコフスキーのピアノ協奏曲、カール・リヒターのオルガン曲のLPなど、とにかくクラシック音楽には事欠かなかった。唯一無かったのは、歌曲やオペラのLPだった(爆)続きを読む

自分との闘いvol.21

はっきり言って、躊躇している場合でも恐れている場合でも無い。恐らくそんな余地は無い。今私がやるべき事は、途中で伴奏をお断りされるような中途半端な勉強や演奏を絶対にしない事だけである。それは彼女に対しても人間としても最も恥ずかしい事だ。他人のものの見方に振り回されて最も大切な事を見誤ったり見失ったりする事は誠に愚かな事である。何よりも私が自分自身の眼で見た事、自分自身の耳で聴いた事、自分自身の心で感じた事を強く信じなければならない。所詮自分自身の努力にしか拠り所の無い自分なのだ。私が他の人よりもマシな事は《地道にコツコツ努力する》事だけなのだから。それを忘れたら歌は歌えない。自分の身の程を知らなければ、思い出さなければならない。不必要に恐れている場合では無い。譜読み、暗譜、ドイツ語、曲の解釈、やらなければならない事は山積みだ。難しいだろうし歌えるかどうかも分からないが、彼女に軽蔑されるような演奏だけはしたくない。
後は、自分との闘いだけである。やるべき事を出来得る限り努力するしか無い。後のどのような術も私には解らない。3時間かけてそう考えたら、大分落ち着いて考えられるようになった(笑)続きを読む

自分との闘いvol.11

今日は急いで仕事を終わらせてギャラリーカフェに行った。最近時間が合わなかったので行けない事が多かった。来年の初リサイタルのピアニストの事も報告に行かなければと考えていた。何しろギャラリーカフェの方々に紹介して頂かなければ出逢う事が不可能だったピアニストだ。
ギャラリーカフェに行ったら担当の方が丁度いらっしゃったので早速ピアニスト決定の報告をした。報告はしたが、もの凄く驚かれた。『ええっ!!!彼女が引き受けてくれたの???良く引き受けて貰えたね〜!!!彼女はもの凄く好き嫌いがはっきりしてて気難しいんだよ!!!凄いね〜良かったね〜練習頑張らなきゃね〜!!!』
それを聞いて本番で歌う以上に緊張した。まさかそんなに気難しい方だと感じた事も思った事も無かった。私の中では音楽に物凄いこだわりがあって研究熱心でピアノが好きで音楽が好きで厳しいだろうけどとても音楽とピアノを大切に大切に生きている方だと感じた。だからこそダメもとで伴奏をお願い申し上げたのだから。
でも良く良く考えてみればその評価はごく自然な事なのかも知れない。あれだけ音楽とピアノにこだわりと思い入れを持っている方だ。妥協も甘えも許されない事は容易に想像が付く。続きを読む

ピアニスト決定vol.35

死ぬ気で頑張るのは別に当たり前で当然の事なので改めて言うまでも無い事だ。今後はピアニストに伴奏をお断りされないようにひたすら勉強あるのみだ。だけど本当にホッとした。ウィーンへ行く前にドイツ歌曲をある程度形にしたいが為のリサイタルだった。伴奏者が決まらない事でウィーン行きの準備がままならないためウィーン行きを本当に心底危惧していたので、ピアニストが決まっただけとは言えこれ程心強い事は無い。最も重要な事は演奏会本番での演奏の質だが、それにしても今の私にとってこれ程の安堵感は無い。本当に嬉しい。
コンサートの後、すぐに4時間スタジオ練習を入れていた。ベートーベン2曲とシューベルト7曲、もう音楽は頭に入っている。後はどう体に覚え込ませるか、どう歌うかだ。早急に暗譜しなければならない。これからが正念場だ。それでも今はこれからの苦難や困難よりも喜びや嬉しさの方が遥に大きい。無論喜んでばかりいられ無い事は承知の上だけど今は素直に喜びたい。
私はヴァイオリニストやピアニストの足下にも及ばない。40年もの間勉強し演奏を続けて来た方々に追い着く事など不可能だし、おこがましい。しかしせめて彼女達の背中だけは決して見失なわないでいたい。

ピアニスト決定vol.25

御二人に御挨拶に行って私が言った言葉は至ってシンプルだった。ピアニストに
「一つお願いがあります。来年、ギャラリーカフェでドイツ歌曲の演奏会をやりたいのですが、是非伴奏をやって頂けないでしょうか。本当なら私のような者がお願い出来る事では無いですし、本来であればまず私の声と歌を先に聴いて頂いてからお願いするべき所ですが、伴奏をお願いする事で貴方の音楽を是非勉強させて下さい」
お願いした。ベタだが、私にはもうそれ以外に方法が無かった。これで断られたらもうベートーベンとシューベルトの演奏会は例えウィーン行きが係っていたとしても中止する気概でいた。例え気持ちを持って頂けたとしても時期が合わないかも知れない。ヴァイオリニストとの演奏会の他に、ピアノ教室や室内楽や子供のためのオペラもなさっている。私の都合に合わせて頂けないのは無理も無い。ダメもと。私は彼女のベートーベンピアノソナタ【悲愴】を聴いた時から彼女のファンなのだから仕方が無い、と開き直った。本当にこれ以上は無い覚悟だった。私如きが頭を下げた位でどうなる事では無い。が、ピアニストからは思いもよらない言葉が返って来た。私は余りの驚きに思わず自分の耳をかなり疑った。続きを読む

ピアニスト決定vol.15

今日は、ギャラリーカフェで知り合ったピアニストとヴァイオリニストがコンサートを開くというので聴きに行った。ヘンデル、バッハ、ブラームスのアンサンブルとシユーマン【子供の情景】だった。ヴァイオリニストの演奏会をきちんと聴くのは初めてだったので、とても楽しみにしていた。先日、今日の演奏会に伺う事をピアニストにメールしたら、私と会う事を楽しみにして下さっているとの事で、恐れ多かった(爆)
ヘンデルのヴァイオリンソナタは以前ギャラリーカフェで聴いた曲だったが、バッハのヴァイオリンソナタは今日初めて聴いた曲でBWV1019。ヴァイオリンの音色に思わず鳥肌が立った。ジュリアードを首席で卒業した御方にこんな表現は誠に失礼は承知の上だが他に例えが解らないので敢えて申し上げるとすれば、彼女のヴァイオリンは《のだめカンタービレ》で表すと三木清良と高橋君の両方を備えたヴァイオリニスト。極めて繊細なヘンデルかと思えば、フラメンコのようなバッハ(滝汗)私には初めて経験するヴァイオリンの音だった。ブラームスは、泣けた。ピアノとヴァイオリンのためのソナタ作品100、ハンガリア舞曲。ブラームスの激しさと穏やかさが余す所無く音に表現されていて涙が零れた。続きを読む

さあ 楽しい音楽の時間デスvol.35

一番考えた事は、こんなにも自分はウィーンに行きたいのか?と気付いた事だった。忙しい勤務体制、思わしくない体調、少ないレッスン、足りない練習時間、決まらないピアニスト。全てが滞っている。自分が考えていた何百倍もなんてウィーンは遠いんだろうか、そう考えると益々涙が出た。本当に自分はウィーンに行く事が出来るのかどうかも解らない状態な気もしている。でも今日購入した別冊宝島のだめカンタービレ特集で、ほんの少しだけ励まされた気がした。
ど〜せ以前だって辛く悲しい時期があったじゃね〜かよ(爆)今が思うように進まないから今が一番辛いような気になっちまう所はあると思う。でも確実に間違い無くこの辛い時期が無ければ《楽しい音楽の時間》もほぼ間違い無く来てはくれない。それは仕方が無いというか、必然に近いのだろうと思う。
帰りにいつものギャラリーカフェに寄ってお茶して、帰る間際にグランドピアノを少し貸して貰った。私が唯一弾けるバッハの平均律1巻1番のプレリュードを30分くらい練習した。グランドピアノの音も良いのだが、何よりもバッハの平均律は精神的な調整に良い。
また来年、仲間由紀江似のピアニストとシュトレーゼマンの台詞を言いたいもんだ。続きを読む

さあ 楽しい音楽の時間デスvol.25

のだめカンタービレから最も教えられた事は《音楽、楽譜と正面から向き合う事》だった。その頃の私は、モーツァルトのメモリアルイヤーで千葉でのモーツァルトの本番がボロクソに終わって、それでもハリセン先生にモーツァルト【ドン ジョバンニ】ツェルリーナの厳しい妥協を許されないレッスンを受けて、楽譜を開かなくなっていた。シュトレーゼマンも千秋も、音楽や楽譜と正面から向き合うようのだめに言う場面があるのだが、その映像を見て本当に苦手でどう歌ったら良いのか皆目見当もつかないまま泣きながらモーツァルト【ドン ジョバンニ】ツェルリーナのアリアの楽譜を開いてひたすら譜読みした事はきっと一生忘れない。
最悪のモーツァルトの次の千葉の本番でヘンデルを歌った時にピアニストとのだめカンタービレの話をしたように記憶している。仲間由紀江似のピアニストは、ヘンデルの本番直前舞台に出る寸前にっこり微笑んで私に向かって言った。
『さあ 楽しい音楽の時間です♪』
私は何気に笑って応えて舞台に上がった。実は今年のヴェルディの本番の時も、仲間由紀江似の千葉のピアニストは全く同じ様に本番直前に私に同じ言葉をかけた。その時、私は何の違和感も感じなかった。続きを読む

さあ 楽しい音楽の時間デス vol.15

今日夜勤明けだった。病院からの帰りが残業で昼近かったので本屋に寄って昼飯でも食べてから自宅に戻って寝ようと思い駅前の本屋に寄った。何気にぶらぶらしてると、別冊宝島「のだめカンタービレ」総力特集があった。駅前の本屋には「音友」が無い。つい購入してしまった。詰まる所アニメ版のだめカンタービレの特集だ。早速購入して昼飯を食べながら読んだ。超眠気が強かったが巻頭から丁寧に読んだ。假屋崎省吾とかヤポンスキーとか村主章枝とか、一体何の特集だ(爆)???と思いながら瓶ビール大瓶1本と日本酒2本空けながら読んだ。
読みながら思い出したが、のだめカンタービレが少女マンガ雑誌に出始めてあちこちのクラシック音楽サイトで話題になった頃、私はのだめカンタービレに全然興味を持ってなかった。理由は音大が舞台だったから。幾らクラシック音楽のマンガでも、自分が行った事は愚か足を踏み入れた事も無い音大が舞台なら「共感なんか有り得無い」と考え一蹴した覚えがある。雑誌は愚か単行本すら手に取らなかった。クラシック音楽が大好きで声楽を勉強していても、音大は全くの非日常で馴染みの無い遠い別世界の話だ。後退りする程疎外感、それを覆したのがテレビドラマだった。続きを読む

ベートーベンvol.11

先日東京文化会館にピアニストの演奏会を聴きに行ってから、少しベートーベンの勉強をしたいと考えていた。ベートーベンの【悲愴】を聴いてからベートーベンの音楽に再度興味が湧いたというか、中学〜高校時代は親父に呆れられる程毎日カラヤン指揮ベルリンフィルのベートーベン交響曲を聴いていたからかもしれないのだが。先日、秋葉原の某電気街でベートーベン【フィデリオ】MET・レヴァイン指揮のDVDを購入して来た。ウチには数年前のザルツブルク音楽祭の抜粋の映像しか無かったので。【フィデリオ】の録音はノーマン、ベーレンス、デルネシュと揃っていたのだが。ベートーベンはオペラは1曲だけ、歌曲の数もそれ程多くないし有名で良く歌われる歌曲となると限られて来るので、録音自体も決して多くは無い。しかし、声楽作品が限られているとは言え音楽的に学ばなければならない作曲家である事には何等変わりが無く、増してドイツ歌曲やドイツオペラを勉強して行くつもりならば外す事の出来ない作曲家である事は間違い無い。演奏会でベートーベンを歌うつもりでもあるし、特に【Ich liebe dich】は今後永く歌い続けて行く覚悟なので、少し遅いと言えば遅いのだが、勉強を始める事にした。続きを読む

『演奏家』としてのスタンスvol.35

アインシュタインの言う《仕事》が演奏をこなし他者の評価を高める事では無く、作曲家の一音を表現する事を永続する事なら彼女の演奏は非常に得心が行く。少なくとも比較論のみで自己評価と他者評価をした結果、他者との評価を避けるべくクラシック音楽の基礎から逸脱して自己陶酔の世界に入る人間は少なく無い。言語であれ基礎学力であれその一端に触れただけで自分がクラシック音楽を解すると誤認する人間は多い。その誤認に陥らない事が困難であるのはクラシック音楽に限った話では無いだろう。その地道な《仕事》を40年以上続ける事、ただ続けるのでは無くそこに明らかな意思が存在する事が彼女の音楽なのだろうか、その程度しか思いつかないから恥ずかしい。私は以前音楽の表現について書いた事がある。『表現とは指向性の問題というよりはむしろ内在された個人のポテンシャルの問題であり、その曲を表現するに足る資質と経験が備わっているなら演奏すれば自ずと表に表れる』と考えていた。つまり、自分の中に存在しない感情や経験に幾ら色をつけようと試みた所でそれを持ち得る者の表現する所には敵わないという事である。それが古典芸能・伝統芸能であるクラシック音楽の所以である。続きを読む

『演奏家』としてのスタンスvol.25

バッハの平均葎の4番やベートーベン【悲愴】やショパンのバラードに対するあの鬼気迫る切迫感は何なのかと考えた。恐らく、思い入れだけではあのような演奏は不可能だと思う。クラシック音楽の作曲家は、思い入れだけで聞き手の心を動かす事を目論めるような浅はかな作曲なぞしていない。そのような曲は歴史に残らないだろう。では、あのピアニストの演奏は何なのか。時間をかけて考えてみようと思ったが、まるで解らない。彼女は一言も「作曲家の何たるかを表現したい」とは言っていない。だからこそ考えさせられるのかも知れない。
彼女がショパンのバラードについて話した。
『本当は、あれこれこねまわさないでもっとシンプルに弾いた方が良いのかも知れないけど、弾いていると、冷たく凍るような旋律かと思えば熱くなる旋律が来て、一音一音力に入ってしまってetc・・・』
との事だ。一音一音にこだわる事は今までミルヒー先生に言われ続けて来たが、こういうものかと目の当たりにすると己の浅はかさを恥じるしか無い。自分は決していい加減な勉強はしてないと思ってもあれ程集中して取り組んでいるかと聞かれれば比較にならん。一体何がこの差を生むのか考えなければ真剣に考えなければならない。続きを読む

『演奏家』としてのスタンスvol.15

先日ギャラリーカフェで知り合ったピアニストの演奏会に招待されて東京文化会館に行って来た。曲目は、バッハの平均葎第1番〜4番、ベートーベンのピアノソナタ【悲愴】、シューマン【子供の情景】全曲、ショパンのワルツとバラード第1番だった。選曲としてはどうなのだろうか?私はピアニストでは無いから良く判らないのだが、誰かピアニストの方で御意見があればお聞きしたい。会場は30人程が入る部屋でスタインウェイがあった。用意された20余りの椅子はほぼ埋まり、前置きは殆ど無くすぐに演奏会が始まった。
彼女がピアノの前に座った途端、世界が変わった。室内の世界はピアニストの世界になった。彼女にはピアノしか見えていないのが、こちらから見ても充分に分かった。鍵盤すら見えているのかと思うくらい空間が彼女に凝縮された気がした。割と自由な揺れるバッハ。私がバッハを歌うなら、こうは演奏出来ない。かつてギャラリーカフェで『リヒテルのバッハは、バッハでは無くリヒテルを聴く事になる』と教えてくれた彼女のバッハは、私が感じた通りに言えば何だか《気軽なバッハ》だった。その気軽なバッハとは裏腹に弾いているピアニストは緊張感と気迫の漲る演奏だった。続きを読む

新しい出会いはvol.35

自分もまがりなりにも人前で演奏するのであれば、聞き手に空気の変化を感じさせるだけの気迫、集中力、緊張感を現せなければならない。そういう演奏が出来るようになってこそ、ようやく演奏家としての一歩が踏み出せるのではないのか?私もあんなふうに演奏できる歌い手になりたい、そう痛感した。もの凄く良い演奏を聴かせて頂けたし、とても良い勉強になった。
ヴァイオリンの音はとても素晴らしかった。音が全くブレない、揺らがない。ビブラートは力強くパッセージは正確かつ軽やか。発声のヒントとイメージが沸いた。やはり生演奏は良い。勉強になる。これからは、仕事に疲れたとばかり言っていないでなるべく生演奏を聴かなければいけないな〜と反省した。
最後に、お互いの連絡先を交換して、次の演奏会の御案内を頂いて帰って来た。
家に帰ってから、オクレール先生にメールでこの事を報告したら、
『それは良い勉強になりましたね〜♪』
と言われた。
何だか今まで自分が悩んだり凹んだり腐ってた事がもの凄くちっぽけで情けなく思えた。開き直る方向性が随分違ったな〜と反省した。ウィーンを目指す元気を貰えた気がした。その日教えて貰った事は絶対忘れたく無いと思った。続きを読む

新しい出会いはvol.25

流石、長年数々の修業、演奏を続けて来た大先輩達。言う事全て肝が座っててブレない。ストレートで飾りが無い。段々と私の《お悩み相談室》の様相を呈してしまった(滝汗)それでも雑談を交えて話しを聞いて下さった。
な〜んだ、ドイツ語話せなくたってドイツ語直されたって他人の2倍3倍時間が掛かったって別に良いんじゃないか〜(笑)なにげにサラっとそう得心してしまった。凄い説得力だった。
お悩み相談ばかりでも良く無いので、バロック音楽の話しをした。私はバッハが大好きでバッハの平均律はヘンレ版の楽譜を2冊見ながらCDを聴くという話しをしたら、ピアニストの話題になった。私は看護学校の音楽の先生に勧められてリヒテルのベーゼンドルファーの録音を持っている話しをしたら、そこから《平均律考察》になった(笑)ピアニストさんが、
『私達の時代はリヒテルしかなくて、リヒテルが一番で、リヒテルがバッハだったんだけど、私の知り合いに以前言われたんだけど【リヒテルのバッハを聴くと、バッハじゃなくてリヒテルを聴いてる事になっちゃうんだよな】って言われて。それからは、もっと親しみやすい身近なバッハでも良いのかな、と思うようになって(笑)』と話された。続きを読む

新しい出会いはvol.15

ここ2ヶ月前位から、駅前の回転寿司屋にたまに行くようになった。と言っても寿司よりアルコールの消費量の方が断絶多いのだが。その回転寿司屋のすぐ近くにギャラリーカフェがあるという事につい先日気が付いた。カフェは階段を少し上がったマンションの1階にあるので今まで見えなかったのだが、カフェのインフォメーションにチェンバロの演奏会の案内が貼ってあったので、階段を昇って店内を覗いたら何とグランドピアノが置いてあった。そこで早速カフェのオーナーに話しを聞いたら、演奏会もOKという事で案内を貰って来た。そのカフェは開店1周年で今まで出演した演奏家が無料でフリー演奏をするので是非来てみては?と勧められて先日行って来た。その日はヴァイオリンとピアノのソリストがバッハとヘンデルのヴァイオリン・ソナタを演奏していた。
凄い上手い!と思いながら聴いていたのだが、プロフィールを見てびっくりした。ヴァイオリンは桐●卒でジュリアードを首席卒でイギリスを始めとしてヨーロッパに長年留学していたし、ピアニストも桐○卒でソロ・リサイタルに多数出演しているという強者女性二人だった。私が聴きに行ってからも延々2時間ぶっ続けで演奏していて物凄い集中力だった。続きを読む
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